スカイツリーは霞んで全く見えず。
前回入院してしまった縁起の悪い東京さへ母を連れて行ったが、まあさしたることもなく連日空は晴れ渡り、何度も何度もそれを喜ぶ母だった。用心の上にも用心して、空港では往きは車いす。帰りは電動カートで移動。何しろ高松便到着ロビーから出口までが半端じゃない距離。あれをもし歩いていたら二人とも何もしない内からダウンしていただろう。どうしてもタクシーに乗れというお嬢からのご命令を無視するつもりが、しっかり息子を監視役に付けられて、仕方なく羽田からホテルまでタクシーに乗る。そこまでしなくてもと思ったが、老いては子に従えのたとえを守った形。半年来ないともう様子が変わっている羽田にちょいと戸惑ったが、まだ電車には乗れるけどねえ~。
今回はそういうわけで何度も何度もタクシーを利用したが、お陰で随分と高い旅となってしまった。日頃余りタクシーに乗らないだけに、余計そう感じるんだろうが、、、。もう少し安いと助かるなあ~ババ二人の旅は。
3連泊のホテルは部屋も広々として清潔感も充分。大きなお風呂もあり、母は1年ぶりにこういうお風呂に入ったこととなり大層ご機嫌。従業員の応対にもしきりに感心している。確かに礼儀作法が行き届いている。殆どが若い人で、あの明るくて優しい物腰に多くの旅人はホッとすることだろう。ネット検索で、お嬢の住まいの極く近くを選択しただけだが、偶然良い感じの所に当たった。
母にとっては約3年ぶりの東京だったが、娘夫婦の計らいで表参道のイルミネーションは見られるわ、江戸前寿司は食べるわ、老舗の豆腐料理やにも行き、最終日は恵比寿ガーデンのTという中華料理にも行き楽しんだ。、、、が、ショックだったのは孫べえがひどい人見知りで、泣きに泣かれたこと。ある程度予想していたが、連日電話で話しかけていたので何とかなるだろうと高をくくっていたのだ。が、「もしもし」と言うとこちらを振り向くが、どうやらこのおみっちゃんの顔は電話機だと思っているらしく、違うと分かるとくるっと後ろを向いてしまう。やれやれ、あの入院騒動の原因はあんたなんだけどねえ~と言ったところで分かるはずもなく、、、。チト早く行きすぎたかも~。
こうして何とか帰ったが、高松空港に降り立った途端、何時ものように深呼吸だ。この美味しい空気は何ものにも代え難い、と、今回も思った事だ。母も同調して、「やっぱり高松が良い」という。そんな二人の土産話をゲラゲラ笑いながら聞いて運転してくれた夫をその日も一人残して、あたしゃ実家にお泊まり。弟夫婦も出かけていて留守なのだ。久しぶりの実家での就寝は、疲れの極致だったせいもあり、結構よく眠れた。疲れすぎた我が足を何度も移動させては布団を蹴散らして、余りに寝相が悪いと母を呆れさせてしまったが、、。
で、翌日は大阪日帰り。で、その次の日は1泊でレオマまで運転して行き忘年会。で、今宵はあるクリスマスコンサートに出かける。我ながらよく持っていると感心しているが、単に疲れを感じるのが後回しになっているだけかも知れない。まあ今日は流石にこれ以上続ける元気が無い。さ、寝よ。
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