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2010年12月

2010年12月31日 (金)

♪あ~あ~やんなっちゃうなあ~、驚いた!

今夜は短歌の会の忘年会。おみっちゃんにとってはこれが今年最後の忘年会であった。明後日が元旦というこの日のせいかどうか、体がリラックスしていて余り沢山飲んでないのになんだか結構酔った感じ。メンバーに送って頂き8時半という異例の早さで帰宅したところ、これ又10時半の予定の夫が既に帰宅していて、出がけに作っていた料理をむさぼっていた。吸い物を温めて息子共々こっちもワインをお相伴。、、、そのお酒でとどめをさされたのかどうか、あまりの睡魔にパソコンを打っていたはずがいつの間にかホットカーペットで寝てしまった。どうも3時間くらい寝たようだ。こんなことは初めてのこと。1年の疲れがどっと出たのかも知れない。

 

今日は嫁りんの実家から大きなハマチが届き、必死でそれをさばき、刺身やら吸い物にしたんだが、基本的にお魚は弱い人でいつまでも手から魚臭さが抜けなくて困った。が、それにしても活きの良い魚はホントに美味しい。弱いアチクシでさえそう思うのだから、猫の舌の夫は歓喜。、、、それを食べずに出かけたら、会場となったお店でも刺身がそれ。つい切り方に目がいくってもんだ。確かに美味しい切り方ってあるよなあ~。

 

昨日はテレビでどっかの国から移民してきてる夫婦が、日本で貧困にあえぎながら暮らしているというのを延々とやっていたが、食べるのには一応困らない我々の暮らしと比較して、ホントに気の毒だと思う。渋滞に捕まって途中から歩いて会場まで行った道中、若者達がはしゃぎながら色んなお店に入っていくのを見ながら複雑な思いがしたことだ。この寒空の下、どれほどの人が震えながら過ごしていることだろう。

大晦日も雨だという。雪まじりにならなければ良いが、、、。

ただ今午前3時。本気で寝るとしよう。

2010年12月29日 (水)

今日も今日とて、、、。

今朝は電話で起こされ午前9時からお仕事。夕べ遅くまで賀状を少しでもとやっていたので眠い目をこすりながらだった。今もってその眠い状態が抜けていない。ちょっと横になろうかと思わぬでもないが、それをやってしまうと明日の朝まで起きられそうにない。ま、これから続きをやってからだなあ~。

眠い理由のもう一つの原因は、膝の手術をするに至ったきっかけになったM整体師のところへ、実に3ヶ月ぶりくらいで行ってボキボキやってもらったのもあるだろう。この方の的確な判断で、今回の手術とあいなったわけで、いろいろご報告の意味もあったのだ。

ホントにまか不思議なことに、ものの20分くらいで普通に歩けるようになる。たいした事をやってるように思えないが、確実に変化するから東洋医学恐るべしだ。私の執刀医とこの方が先日某所で会われて、お話しされたと聞いて今後の患者の治療のためにそうあって欲しいという方向に動いている事を知る。「多角的判断」てことだ。

 

施療院に行く前には母を連れて予約してあったお正月用の餅を取りに行く。この老舗のお菓子屋さん、例年通り満杯のお客さんでぎっちぎちの混雑。予約してあって大正解。そこからホームセンターに移動するも、なんだか母の顔色が冴えないのが気になる。珍しく「しんどい」なんぞというので急ぎ帰宅。何事も無ければ良いが、、、。車から降ろして残した買い物をしにスーパーへ。7時の整体予約まで1時間半しかない。大急ぎで夕食を整え、買ってきた餅をクール便で送るべく荷造り、「行ってくるね!」と声をかけて家を飛び出す。、、、やれやれ、どうしてこうも忙しいのか。たまには用事を追っかけてみたいもんだ。

 

ま、師走っていうからねえ。

2010年12月28日 (火)

おぺら~。

今日はやたらめったら疲れ切って、夜のオペラに行けないかと一時思ったが、運転をT君にやってもらい義妹とともに出かけたが化粧する気にもなれず、すっぴん状態で帽子を深々とかぶって出かけたもんだ。

が、案の定知ってる顔だらけで、隠れるにもこの巨体では限界があるってもんだ。ちぇちの連中も何人かと会い、立ち話の最中も色んな人が声をかけてくれる。、、、チライ。が、そんなことはおくびにも出さず、にこやかにご挨拶、、出来たかなあ?

出演のM氏の労を労って楽屋にも参上。玉のような汗をかいて、彼はそこでも存在感を発揮。本番後のあの感じだなあ~。重い役柄で、見た目よりナイーブな彼にはぴったりの役で「帝」という上品な役だったが、おそらくは演出家の意図するところを演じ切れたのではないか?

オペラ全体の印象は、あくまで個人的見解だがなんだかはっちゃけてないなあ~。が、正直なところ。作曲自体が静かで押さえた音楽に作ってあるから、演出家もその枠を越えられないのかもしれないが、舞台からパッションが感じられないねえ~、と同行陣と話しながら帰路に付く。子供の頃読んだ、あるいは何かで見た「かぐや姫」のどきどきした切ない感情は湧いてこない。長年育てた老夫婦の悲しみや、そこから巣立つ姫の心の葛藤が今ひとつ描き切れてないような気がした。西欧のオペラは感情が右から左に極端に振れるから面白いのだが、矢張り日本のものはこうなるのか、、、。マダムバタフライのように、日本の話しでも外国人が作るとあれ程激しいものになるのだろうなあ。

そういえば、このお話がトゥーランドットに通じるものがあることに改めて思い至った。以前からそう感じていたが、今日見ていてなおさらにその思いが強くなった。それこそ外国人が作ったトゥーランドットはあれほどに残酷で、日本人が作るとおかしみと切なさにその内容がころっと変わるのは、矢張り国民性というものかも。

合唱曲の中にとても気に入ったのがあったなあ~。

が、日本語上演の難しさを今日も感じた。中にはハッキリしている人もいるが、ともかく歌の内容が殆ど分からない。そのためフラストレーションが起きてしまう。ところどころくっきりハッキリするから、余計それ以外の意味をしっかり聞き取ろうとして疲れる。東京では日本語上演だのに字幕スーパーが付く公演があると聞くが、もっともな話だ。きっとこれは永遠の課題かも知れない。我々も心してかからなくては、、、。

 

朝から本格的に仕事をして、昼食も3時過ぎにとる有様で、流石に疲れた。男どもの夕食の準備をして出る頃には体力の殆どを消耗し尽くしていた感がある。そのため行く前から、今日は寝ると思う、と言いながら出かけたが、案の定所々記憶が飛んでいる。ほ~んと、舞台鑑賞は体調が良くないと楽しめないのだ。ふ~っ。

2010年12月27日 (月)

孫のいる暮らし。

自分の人生に孫が登場してくるとは、子供達の結婚が遅かったせいもあり、長い間考えたこともなかったが、いざこの世に現れたチビ達の存在は、予想外の彩りをもたらし、少しばかり残っている生命力を絞り出しても付き合いたいと思わせる力を持っている。

来月5歳になる女の子は、もうもう生きているのが楽しくて仕方がないといった風で、生きるのに疲れた大人達を巻き込み、限りない幸福を描いてみせる。絶え間なく笑い、はしゃぎ、全てに好奇心を持ち、エネルギーの固まりのようだ。ひとしきり指人形とかシャボン玉で遊んで疲れたおみっちゃんは休憩の意味で、画用紙とペンを使ってお話を作る。作る。少なくとも体全部を使わないで済むからだが、白紙に描かれる線を飽かず眺めて、先へ先へと促して行く。、、、こうして膨大な時間が過ぎても、敵はさっぱり疲れないのだ。2歳の男の子は殆どは従者の如く従順で、時折騎士の様に姉を労る。ろれつが回りかねていたが、ようやくハッキリした言葉が沢山出てくるようになった。食べたいくらい可愛いとはこの時期のことだ。

結局朝から夕方まで思いっきり遊んで嫁りんの実家へと帰っていった。ホント、おいしいとこ取りだなあ~。有り難いことだ。

 

で、今日は年賀状を仕上げようと思ったが、それは叶わず一部でもやっつけようかと今ボンヤリ考え中。

 

そういえばもう一人の孫騒動で、今日は余計疲れたのだ。

それというのも、東京の孫べえが、先日ポリオの予防接種で高熱が出て一瞬気絶状態になったとお嬢からの連絡があり、その後両親が子供の頃にその接種を受けたかどうかが問題があるとの知らせ。さあ母子手帳だ!が、一番ありそうな場所を一番後回しにして探し回り、へとへとに疲れたあげく、やっぱり残るはあそこしかないと、古いアルバムを一杯入れた棚にはしごをかけ、息子と夫の3人がかりで探したもんだ。やっぱりそこから出てきた母子手帳にはしっかり接種票が貼られてあって一安心。それが出てくるまで誕生日の新聞やら、初めて描いたお絵かきやらが出てきてついついそれを眺めてしまうのも仕方がない。38年前のものだからセピア色を通り越して茶色に変色している。、、、、かくも時間が経ったのだ。

 

探すのが大変だったとお嬢に報告するも、「そりゃああんたが整理が悪いからそうなっただけ!」とケタケタ笑うだけ。クッソ~!こっちだってもっと若い頃に言ってくれりゃあ思い出すのも早いんだ!と、悪態つきたいのをグッと飲み込んで、孫べえの泣き声を聞きながら電話を切る。ふ~っ。

 

ま、そんなこんなで今日もジ・エンド。

2010年12月26日 (日)

今年最後の映画鑑賞。

母のため、「最後の忠臣蔵」なる映画を見に行く。日曜日というに三分の一ほどの入りで、タイトルしか知らずに入ったときはあまり期待できないかなと思いながらであった。

が、これが大当たり。よく知っている忠臣蔵とはまったく違うお話だった。勿論役所広司という素晴らしい役者の演技におうところも大きいが、内容も深く、当時の男と女の生き様が無理なく描かれていて、好感が持てた。会場はすすり泣きの声があちこち。映画が終わっても誰一人立ち上がろうとはせず、最後の最後のテロップまでシンとしていた。

「忠義」のために「切腹」するという男の行為は、この映画では、究極のエゴイズムかも知れないという問いを投げかけていた。そうしか生きられない男。その男にかかわる女達。、、、人間の幸せとは、本当の幸せとはなんなのか。もっといえば、人はこの世で生を全うしなくても、精神の結びつきで満たされるのかも知れないということ、、、。人形浄瑠璃の「近松心中」を織り交ぜながら語られる男と女の情念は、現実とは違う次元の結びつきを暗示している。

終わってから、何時もと違って母が何も言わないので退屈したのかと思ったら、全くの逆で、余りに感動して声が出ない、ということだった。一度口をついて出たら、帰り着くまで「良かった」を連発。今年最高の映画だったようだ。

母を連れて行ってホントに良かった。

明日はちびっこがやってくるらしいから楽しみだ。空港では、「又みっちゃんちでお泊まりする?」と聞いたら、「でも骨は?大丈夫?」ときた。どうやら母親が我が膝のことをしっかり説明して無理を言わないようにと説得しているらしい。まあ確かに万全ではないが、父親がいるんだから大丈夫だろう。、、、、どんな一日になることやラ。

2010年12月25日 (土)

落ち着いた時間。

息子が帰ってきて、その家族は奥方の実家へ。従って自然と3人の静かな日常が過ぎていく。幼い頃は口から生まれたか、とみんなに言われるほどうるさかった息子だが、大人になってどちらかというとかなり静かな人間になってきた。年取ってもうるさい彼の父親とは全く違う。今こうしていても我が足下のカーペットに寝転んで、なんたら言う新しい機械を手に静かに遊んでいる(?)ついでにこの母親に誕生祝いとしてプレゼントしてきた温熱治療用器具を自分が使っている。この器具は確かに効果がありそうではある。忙しくてゆっくり使う時間があまりないが、、、、。

 

出来た嫁りんのお陰でこうした水いらずの時間がプレゼントされ、今日は温泉に行き夕食にはキムチ鍋を囲み、ビール、日本酒、ワインに焼酎と、昨日に続きアルコール漬け。あたしゃウーロン茶をがぶ飲みして中和しているが、、、。全員が飲んべえの我が家、この時期の酒類消費量が半端じゃない。ま、飲める内が華だが、、、。

 

ニュー孫べえがポリオの予防接種で副作用に見舞われ、一瞬気絶状態になったと大騒動。今熱も下がり普通に近い状態に戻ったらしいが、一時はドキドキした。離れていると様子がイマイチ分からず、必要以上に心配する。ま、これからだろうなあ~。いろいろありながら大きくなっていくんだから。我が子でさんざん経験してきたにも関わらず、やっぱり心配する。、、、、考えてみると生きつづけるって事は凄いことだ。

2010年12月23日 (木)

余韻。

今朝は今年最後のFM収録だったが、そこでの話題ももっぱら昨日の「虹」。我が家とは方向違いからの写真も見せて貰い、改めて余韻に浸った。母は今日も昨日の感動を持ち越して、東京まで電話をしている。

 

スタジオが常磐街になったため、久しぶりに町中を歩き、2カ所でのライブもチラ見したが、やっぱり休日は結構人が出てるなあ。歳末だからかな?収録はとんとん拍子に進んだが、他の収録とブッキングしてしまい、結局は明日も行く羽目になる。やれやれ。明日は、明けましておめでとうございますバージョンだ。

 

帰宅してからカラオケに行っている母を4時に迎えに行き、そのまま留守番をして貰い一人で2件ほど用事を済ませると外はもう真っ暗。日暮れが殊の外速く感じられる。

冷蔵庫が来たための我が家の模様替えも最終段階に入った。お嬢が送ってきた「不要品」の中から引っ張り出したカーテンのようなのれんのような物を釘で打ち付けてつり下げると、これがなかなか良い感じ。、、不要品も場所が変われば必要品に早変わり。これでいかなくっちゃあ~。

 

、、、、疲れ切ってるが、明日孫べえ達の顔を見たら疲れも吹っ飛ぶ筈。多分。

君は虹を見たか。

まるで映画のタイトルみたいだが、ホントに今日の虹は特筆すべきものだったのだ。

いつも週刊誌を届けに来る本屋さんが、「ご存じですか?今日の虹は凄いですよ!」と告げてくれる。仕事中だったが、お客は友人でもあったため、促して外へ出る。すると、これまで見たこともない素晴らしい、でっかい、立派な、しかも二重の虹が空を二分する形で浮かんでいる。思わず家に駆け込んで母に言いつつ、手を取らんばかりに再び外へ。母が叫んだ言葉に友人とのけぞった。「まあ、生まれて初めて見たわ~こんなの!!」母がそう言うということはほぼ1世紀に一度現れるかどうかの珍しい虹だったのかもしれない。こんなにハッキリした色合いの、端から端までキチンと形のある虹は、ホントに初めてだった。我々が余りに興奮して空を見上げているし、携帯で写真は撮るしで、道行く車がみんな怪訝そうに通り過ぎていく。それらの人々に、大声で知らせてあげたいくらいの素敵にでっかい虹だった。携帯でもバッチリ写っていたから便利になったもんだ。その友人が言うように、「素晴らしかったのよ。」といくら口で言っても、この感動は味わって貰えないわねえ。写真だとて同じ事。この実際の風景はメチャクチャ迫力があったのだ。

さしずめあの本屋さんは、「虹売り人」だったのだ。うち以外にもそう言ってあげられたのだろうか!?ものの数分くらいでキレイサッパリ消えてしまった、はかない虹ではあった。

 

 

今日は新しい冷蔵庫がやってきた。思った以上に良い感じ。ま、これから又お勉強しなくてはいけないが、、、。なんでもそう。新しい物を買うと、必ずマニュアルを読まなくてはならない仕組みだ。ぼけ防止と思って頑張ろう。、、って、まだ開封してない新品の電気製品があるんだけどなあ~。開けると使わなくてはいけないから、まだ開けてないんだけど、、、どうするかなあ~。あのパン焼き器。

2010年12月21日 (火)

嫁入りとは疲れるもんだ。

遂に長年使ってきた我が家の冷蔵庫が嫁入りした。夕べ遅くまで一人でせっせと掃除して、残りを今朝友人と二人でこれまたせっせせっせと念入りなるお手入れ。彼女は孫可愛さに、私はまあ門出だからと二人で新品のように磨いた。面号まで登場したくらいだから我ながら凄いと思う。、、、しかし、ちゅかれた~。やっぱり人も物も同じで嫁に出すのは疲れるもんだ。

大晦日までにやるべき事を一つ一つやっつけている感じ。が、車で移動中に同窓生から電話があり、写真を送るのに何か「お言葉」を作れと言う。こういう風にやることが降って湧いてくる訳だ。まるでモグラたたきのようなもんだ。「無理して元の木阿弥にならぬよう!」との助言があちことから寄せられるが、ノーと言えない性格。今回も又元旦の初詣は車中の眠り姫になりそうだなあ~。

2010年12月20日 (月)

自然。

近々我が家に新しい冷蔵庫がやってくる。で、古いのをリサイクルの予定だったが、友人お孫ちゃんが欲しいという。いよいよ明日これを引き取りに来るとあって、冷蔵庫の整理をする必要があり、急遽その友人と母を夕食に誘う。かなりはけたと思ってワイワイ楽しく食事を終えたところに突然話題の主が現れた。このご夫婦のお嬢ちゃまをただ今夫が仲人中。慣れないことに少々疲れ気味の夫が、丁度良いタイミングとばかり進捗状況を尋ねている。男女の仲というのは、なかなか絵に描くようには行かないもんだ。相手の考えや思いが伝わるには時間がかかる。さて、うまく行けばよいが、、、。

さっきBSで絵本とガーデニングの有名なターシャ・チューダーの特集をやっていて、お嬢が録画してと言うのでこっちもみんなが帰った後に少し見たが、ホントに良い番組だった。彼女ならではの素晴らしい言葉の数々が次から次へと語られ、思わず涙しながら見ることとなった。中でも印象的だったのが、「最近の人は待つのが嫌いだけど、待つことが大事。待たなければ本当に大切な物は手に入らない。」というのがあったが、確かにガーディニングを通して身につけた哲学だろう。

 

人は自然からこそ、真実を学ぶ。

 

 

冷蔵庫をいざ他人にあげるとなると、やっぱりちょいと磨かなくては、とやり出したらほとほと疲れた。長く使ってきて、こんなに隅々までお掃除したことがなかったなあ~。でも、磨けば綺麗になるし、愛着も湧いてくるもんだ。お嫁に行けて良かった良かった。ふ~っ。

2010年12月19日 (日)

留守で元気が、有り難いのこころ。

こんなことを言うと結婚しない若い人たちにそれ見たことかと言われるだろうが、本日夫が一泊で県外に行っていての~びのび。で、私は夕方体のご不自由な方を送り迎えしてのFM収録だ。いつもなら夫が留守のこの自由な時間をどう使おうかとワクワクしていて、実際その方を送り迎えの道中は、「温泉に行こうか?」「やっぱり連続だけど映画かなあ?」とか、思い切ってどっかで一人で豪華なフルコースでも食べるかなあ?なんてことも考えたが、結局はそのまま温泉もレストランも素通りして帰宅。粗末なダイエット食を食べながらワインをグラス1杯。テレビで映画を楽しむ。例によって番組表を見るわけでもないから、チャンネルを回して行き当たった面白そうなものを見るだけだが、、、。この開放感はいつもながら良いなあ~とつくずく思う。、、、が、よくよく考えてみると、もしかしたらホントに一人になったらやばいかも知れない。なんにもしたくない症候群で、たちまちにして栄養失調になるか、家がゴミ屋敷と化す、なんてことにもなりかねない。適度な緊張は我が身のためでもあるんだろう。

しかしまあ相変わらず私の一日はせわしない。朝起きてから、家事に接骨院に仕事に、友人の絵の展覧会にデパートに不良品の交換とついでに2本が1050円というバーゲン品のワインをゲット。で、そのFMの収録にも出かけた訳で、出入りがやたら多い。「多動性なんたら」っていう病気か?

でもホントの自分は結構閉じこもりが好きな方だと思っている。だから若い頃から読書や絵を描くという一人ぼっちの作業が好き。それが今頃になって台本を書くなんて事に繋がってきているのも不思議な巡り合わせだ。

 

ただ今年賀状の文面を推敲していたら、おおもうすぐ午前3時だ。いくら何でももうお風呂だなあ~。

2010年12月17日 (金)

映画。

今宵は母を伴って、念願のレオニーという映画に出かけた。丁度お誕生日の記念ワインを進呈しますとの案内を貰っていたので、友人のご子息の経営するイタリアンで腹ごしらえを済ませてから行くこととした。そこにその友人も加わり、その上又連絡したら別の友人も来て急に賑やかになった我がテーブル。4時過ぎという変な時間帯のお陰でお店が空いていて助かった。オバタリアンの笑い声は特別で、普通はひんしゅくを買ってしまうのだ。

そこに展示してある「墨彩画」にはおろろいた。最高91歳の方から我々ぐらいまでの方々の作品群で、中にはおっと声が出る力強さのものもある。珍しくシェフが出てきて、「この人達には頭が下がります。僕は料理以外なんにも出来ませんので。」と仰る。ご自身のおばあちゃんにあたる人の作品もあるのだ。母もしきりに感心している。

 

そうこうしているうちに時間が来て、ミーティング(?)を解散して予定通り映画館に着き、やれやれと座席に腰かけると声をかけられる。見ればグロッケン先生じゃああ~りませんか。「金曜日だと混んでないかと思って、、、。」その通り。観客は10名もいただろうか?母が心配したくらいの少なさだ。ちょこっと先生と交わした会話の中で、28日の「かぐや姫」にグロッケン先生もご出演と聞く。行きたい要素が増えたってもんだ。

 

全くその内容を知らずに見に行ったアチクシ。イサムノグチの母の半生を描いたもので、日本の名優や、アメリカの著名な俳優も出ていてビックリした。協賛に高松市が入っていたので、そこまでの映画とは思わずに行ったのだ。

ちょっと筋立てが込み入っていたが、力のある俳優陣のお陰で佳作になったと思う。母はしきりに「良い映画だった。」と繰り返していたが、、。

感想のその一。近頃の役者さんは、英語が堪能かどうかで貰える役も違ってくるのかも~。

その二。芸術的なものは、矢張り努力より持って生まれた感性なんだなあ~。

その三。どんな時代にも、運命を自らの手で切り開いていく女性が居たんだなあ~。

その四。男って!!

その五。スポットの当て方でどの人も主人公になり得るなあ~。

 

読んだばかりの塔和子さんの詩を思い出したなあ~。それは「かかわること」についてかかれてあるもので、「胸の泉に」という題名だった。、、、、ああ 何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人 私の胸の泉に 枯葉いちまいも 落としてはくれない、、、という下りが強烈だった。ホントに青松園のこの詩人は素晴らしい。多くの詩がベッドの中で生まれるらしいが、今日の映画の中に描かれたあの場面に思いが重なる。

それは、大工の棟梁が、毎日自分の手元を眺めているイサムノグチに、初めてカンナでの削り方を教えるという場面だ。後ろから覆い被さり、両手を重ね、目をつぶれ、心の目で見て心の耳で聞け、と囁くシーン。これはこの台本作家が、将来の大芸術家の原点を表現したかったのだろうと思えた。

きっと塔さんも、ベッドにいながら人々に見えないものを見ているんだろう。

親切な病院。

母を連れて予約してあった病院へと出かける。おそろしく丁寧な応対で恐れ入る。が、結局4時間半という長時間病院にいたことになり二人とも少なからず疲れた。

高速を飛ばしてギリギリに着いたと思ったら病院の場所が新しくなっていて、移動している内に予約時間を超過してしまった。が、受付嬢の「大丈夫ですよ~」という明るい対応にホット一安心。こういう一言が患者を随分と和ませるものだ。

以前人間ドックで訪れた所だが、新しくなった病院は大きくなってその上まだ増築工事中でもあった。人気の病院だというのが分かる。患者も多く、みんな待ちくたびれた顔つきで長い待合が埋まっている。だからこちらもあんなに時間がかかったわけだが、診察自体も丁寧で、ホントに親身になって相談に乗ってくれる。担当のドクターはとても感じの良い人で、母もお気に入り。その前診断というのもあって、その担当医は女医さんで、これ又優しい方だった。行きつ戻りつする母の言葉を丁寧に一言も漏らさずに聞く姿勢だ。老人にもキチンとした対応をしてくれるのはホントに有り難い。その人の尊厳を守ってくれているのが、患者をリラックスさせているのが分かる。放射線科の人々も感じの悪い人は一人もいなかった。これは大変珍しい。、、、この病院に人気が集まるのが理解できるというものだ。

、、、しかし、病院は疲れる。中には重症らしき人も居て、帰宅早々手洗いとうがいをしたもんだ。矢張りインフルエンザも流行っているんだろう。いくら良い病院でも願わくば、こういう所にご縁のない生活を送りたいものだ。ふ~っ。

 

無罪放免とは行かなかったが、思ったほどでもなく、母と二人ご機嫌で再び高速に乗る。空はどっぷりと暮れて、夕方6時過ぎだが車の量も少ない。何故だろう。今日は初めてパトカーと会わなかった!!救急車には遭遇したが、、、!

 

 

帰宅してからが大忙し。夕食の支度中にCOOPがやってきて、Kさん注文の売るほどの商品を降ろして帰る。先日転倒して胸を打ってる筈の彼女のためにそれを届けることとした。たまたま夫がどこでも良いから温泉に連れて行ってくれというので、それに引っかけてのことだった。急ぎ夕食を済ませ、屋島まで車を走らせ、帰りに土手沿いの温泉に行く。先に入った夫が早速誰かと話していると思ったら、ボランティアで活躍しているNさんという方とそのお友達。二人とも夫婦別姓でお子さんも連れてきている。時代は変わったなあ~。

一時間たっぷり暖まって、帰路に付いたが、夫が止めるのもきかず、細い土手沿いの道を走り始めた。すると前方から一台の車がやってくる。ちょっと広くなったところで待っていると、その車が運転をあやまりかけて目の前の坂道に一瞬落ちかかり、何とか体制を立て直して走り去ったが、我々の方がしばし呆然。もしあのまま事故になっていたら、こちらとて知らん顔は出来てなかっただろう。やれやれ夫の言うことを聞いておけば良かったと思ったことだ。安全第一だなあ~。

2010年12月15日 (水)

今日は寒かった。明日は雪だそうだ!

本日は仕事の合間に先日の同窓会の参加者名簿を作成したが、近々打ち上げ計画もありいのでまだまだ終わらないのだ。思えば長い時間をかけてやったもんだ。これから先、一体何回できるんだろうなあ~。4年に一回だから、80歳までに3~4回くらい出来そうだが、役員メンバーがどこまでやれるか、だ。

 

2枚購入している映画に母と行こうと思うがなかなか行けない。イサムノグチの母親の話だそうだ。、、、明日は我が母親の病院だ。行けるかなあ?その映画。

嬉しい一日。

今日は良いことがあった。

あまりの多忙さに危うく忘れかけていた整形外科の予約を思い出し、10分遅れで到着。尚かつ30分待ちいいので、次の予定が気になり始めた頃呼び出された。実は上京前に予約していたが、その日も多忙でキャンセル。私以上に多忙なそのお医者さんのスケジュールもあり、この先生にお会いするのはホントに久々でなんだか妙に懐かしい。気持ちよく会話が続き、触診の結果、「随分良くなってますねえ。これならしばらくうちに来ることもないでしょう。このまま様子を見て下さい。」と仰る!なんなら今日の注射もどっちでも良いって感じですがと言われたが、それなら今日だけ痛いのを我慢しようとお願いした。そうはいっても、よそのお医者さんとなら全く違って、同じ注射がホントに痛くないのだ。これを技術というのだろう。

久々に晴れ晴れとした気分で帰宅。我が家でのレッスンを終えた先生にも食事中に早速報告。「こないだの誕生会にみんなで沢山散歩したのが良かったんじゃない!?」と言われ、夫からは残るはスポーツとダイエットだけだと激励とも嫌みとも取れるアドバイスを貰う。でも今日ばかりは何でも言ってって感じ。実際このところ我が家の階段を「普通に」上り下りが1,2回出来はじめたのだから、大いなる進歩だ。

てなこと言ってるが、昨日のちぇち練終了後は、靴を履き損ねて危うく大きなガラスの壁に激突するところだった。あの弁償は高いだろうなあ~~てなこと言ってピアノちゃんに呆れられた!「そんなことより大けがするでしょ!!」てなもんだ。メンバーで一寸前に脳梗塞を起こした経験のあるKさんが、同じようになったかと一瞬心配してくれたもんだ。やれやれ。まあまだまだ油断は禁物だ。

 

今日は昼間にホールの申請にM氏と出かけ、細かいことも聞いてきた。思った以上に使いやすいというのが感想で、10年前に利用したときより、使用者側の事を考えてくれているのが分かる。色々問題もあるが、この箱を使って、最大限良い舞台を作らなくてはならない。ようやくイメージが湧いてきた感があるなあ~。

 

運転中にお嬢からメールが入り、暇になったら電話して。ビッグニュースがあるから、とあったのが気になったが、又々何時ものように行き帰りにパトカーと出会うから、運転中は無理。急ぎ帰宅して電話してみると、ベイビーに歯が生えてきた!というものだった。少し前からべろべろと舌を出すのがおかしいと写真を送ってきていたので、それはきっと歯が生えるのよ、と予言していたのだった。その通りだったと、大事件が起きたかのような電話だ。まあ順調に成長していて、このおみっちゃんに抱かれないくらいは免除してやろうじゃないの!?と我と我が身を慰める。ちょいと長時間接触したら、ほ~んとに可愛さが増して、又ぞろ早く会いたいと思うのは、きっと標準的婆なんだろう。何事もガマンガマン。ふ~っ。

水戸の孫べえから「おたんじょうびおめれとう~」との電話。何やらプレゼントも届くらしい。いいねいいね、ホントによくぞ孫を作ってくれたもんだ。こっから先は分からないが、とにかく今しばらくは嬉しいことばかりだろう。上の女の子はおしゃまで、「みっちゃん、なっちゃんねえ、もうプリキュラは卒業したの。今ね、○○っていうのが好きなの。みっちゃん知ってる?」と言われても全く分からない。なんでも、それを着ると子供が大人になる物があるんだそうだ。すかさずあたしゃ言ってやった。「みっちゃんはね、それを着たら子供になれるお洋服が良いなあ~」すると、「えええ~~~?うそでしょう???子供はつまんないよ~。」と言う。どうして?と聞くと、「大人は何でも買えるし、アイスクリームも食べられるし~、○○もできるし~、、、、」と止まらなくなった。余程子供家業が窮屈らしい。長々とばかげたお喋りをしている我々に業を煮やした息子が割ってはいる。「ハイ、もうおしまい!」いやはや、無粋な息子じゃわい。ま、食事時だったんだろう。、、、でも、こっちの孫べえたちにはもうすぐ会える。楽しみなことだ。

2010年12月14日 (火)

クリスマスコンサート。

教会というこの手のコンサートにはうってつけの会場で、テノールとソプラノのハイレベルの演奏会があった。彼は私の番組にも時々出て貰う才能溢れる青年だ。女性は彼のお友達のようだったが、随分北の方のご出身だそうだ。よく息のあった歌唱だった。

こういう会に行くと必ずどなたかに出会うのだが、この日は娘の恩師でもあり、わがちぇちの恩人でもあるT先生とバッタリお会いした。ナント聞けば、胆石のため切腹をして2ヶ月も入院されていたという。とてもそんな風にはお見受けできない颯爽とした居住まいで、詳しく事の顛末をお聞きしてようやくそれが真実だったと理解できたくらいだ。以前より少しおやせになられて、余計ダンディな感じ。そして一部も二部もちゃんと指揮棒を振られ、まだまだ現役であることをアピールされた。80歳にはとても見えない。この先生の素晴らしいところは、いつもユーモアをまじえたスピーチで人の心を和ませるとことだ。とっても自然で、正直で、てらいというものがない人だ。二期会の舞台でご一緒したときも、どれほど精神的に支えられたことか。

ご本人も述懐されていたが、この方は多くの人に道を示し、沢山の音楽家を世に送り出した。おそらくは後世に伝説としてその名をとどめるだろう数少ない人だ。

この時、実は他にもお久しぶりの方がいて、話しを交わすことが出来たのは、矢張り地元の演奏会だということだ。大阪では、一人も見かけなかったもんなあ~。

 

プログラムは殆どがクリスマスソング。なじみのある物もそうでない物もあったが、教会で、パイプオルガンによる演奏はクリスチャンでもない私をも敬虔な気持ちにさせてくれた。

 

実をいうと、この時疲れが出て、演奏中にショルダーバッグを一瞬床に落としてしまった。「良い音楽を聴きながら寝るのが最高よ!」とのたまう友人の声が聞こえる、、、、!でもなあ~~。

2010年12月12日 (日)

本日おみっちゃん誕生日だあ!!

東京、大阪と移動して、お次は県内のRホテルで一泊してシャンソンの忘年会。岡山組と初めての合同の会。みんな大いに張り切って出かけたもんだ。テレビなんかでたびたびキャンペーンを放送中のこのホテル。大変リーズナブルな料金で、以前家族で行ったときとなら随分違う。バイキングの夕食も種類が豊富で、寿司ご飯系がちょいと柔らかい以外は味も良く、「バイキングはこれだから困るのよねえ~つい食べ過ぎちゃう!」とかなんとか言いながら、みんなでお腹をさすりさすり席を立つ有様。

しかし一つ困ったことが起きた。

「今日は日頃の「お勉強」の文字を忘れて大いに呑んで食べて喋って歌いましょう!」の心だったにも関わらず、カラオケがない。正確には、部屋はあるがただ今そこは使用出来ない状態とのこと。いくらフロントに掛け合っても無いものはどうしようもない。結局タクシーで山のホテルから町なかのカラオケルームまで行き、ようやく目的を達成したという次第。(そこまでやる!)

まあそこでのはじけぶりは、最近の私の体験の中では最高レベルだった。不思議なことにアルコールを飲んでない人の方が役者ぶりを発揮、私を初め呑んでる人の方が温和しいという奇妙な現象が、、、。それにしても凄い!一人も男性がいないとこういうことになるのか!?てなもんだ。いっそどさ周りの劇団でも作る?と言っては笑いあったことだが、これほど役者が揃うのも珍しいことだろう。

ホテルへ帰るタクシーで余韻に浸ってわいわいやっていると、運転手さんが、「随分長い間お楽しみでしたねえ~」と声をかけてくる。行きも帰りも同じタクシーというのも、田舎具合がわかるというもんだが、「そうですよ~、楽しかったのよ~」と答えてはゲラゲラ。往復結構な料金だったにも関わらず、みんなご機嫌。いやはやいやはや、、、!

 

余りに笑って呑んだせいか、あたしゃ夜眠れずに睡眠導入剤を午前1時と3時に服用。そのため今度は起きられず朝風呂もモーニングもパス。出発のぎりぎりまでベッドだった。人を乗せて走るだけに睡眠は大切だ。ホテルをあとに、そこから遠くないガラス館を冷やかし、私の先導でこないだ開拓した神社のうどん屋さんへと移動。岡山のめっちゃうどん好きに大いに喜ばれた。

旅は平日がこんなにも色々簡単にいくのかと感心するほどどこもかしこもスムーズに行けるなあ~。

 

それぞれ別れを惜しみながらも別れ、宇多津から高速に乗ってあっという間に帰宅。待ちかねていた母をカラオケへと乗せていく。「東京呆けでどうも変だ」とか自嘲していたがどうやら1曲は歌えたらしい。歌にはきっとそういう効果もあるんだろう。そういえばここんとこコンサートに出かける回数が多かったせいか、歌いたくてうずうずしている自分に気付く。、、、、これが三日前の出来事。

 

で今日は小さなホームパーティでついに1曲歌ったなあ~。したたか呑んだ後で、イマイチだったが、歌ったという実感は良いもんだった。本日12月12日午後12時に集合、65歳とあいなったアチクシの誕生日を祝ってくれたのだが、おおおお~~65歳とは!結構な御年だ。又ここから、オイチニ、オイチニと歩いて行くこととするか!

2010年12月11日 (土)

移動第2弾のお話。

東京から帰宅して翌日には大阪往復という過密スケジュール第2弾は、K女史のリサイタルであった。国際会議場のドーム型ホールで、10周年記念イベントが大々的に催されたわけだが、まさしく押しも押されもせぬ大歌手とおなり遊ばしたK女史。まるでシャンソン歌手の如く会場の客席の中を歩き周り、観衆を魅了し続けた。舞台はそりゃあ見やすいのだが、確かに席によっては聞こえ方も異なり全員にまんべんなくとはいかない。特に本来の音楽ホールで無い場合、その差はかなり激しいと言えるだろう。

それを見事に払拭した今回の演奏。観客からため息が漏れ、素晴らしいわねえ、とささやき合う声も聞こえる。この手のイベントだけあって、前列にはお偉いさんらしき方々がずらっと陣取って、それも殆どおじさま族。勿論その方々にもお愛想を振りまくことを忘れてはないが、その他大勢の人々に隅々まで声を届けようとするこのやり方は、余程舞台慣れし、曲に精通し、伴奏者と意気が合ってないと出来ない芸当だ。もし私なら、歩いている内に歌詞の一つや二つや三つ、、、いやいやもっと沢山きっと忘れてしまうだろう。ところが全くそういうことが無く、日本語は勿論イタリア語もホントに正確に歌われることに驚かされる。

司会を務めた放送局のアナウンサーの話によると、どうやらその主催者の社長好みらしい日本歌曲もいくつか歌われたが、情感に溢れたその歌唱力に全員静まりかえりしみじみと聴き入っている。一曲終わる毎のやんやの拍手は終演に近づくにつれ大きくなる。今回の共演者、尺八の演奏者をホセに見立てた「ハバネラ」は、アンコールの気安さもあり拍手と笑い声に包まれた。彼女独特の演出効果だ。

以前、「私は音楽と結婚したのよ。」と言い切った彼女の姿がそこにあった。

 

良い音楽の後は、それを魚に、、、、とばかり友人と居酒屋へ。これが又大当たりで、京都のおばんざいを出すところ。味も良いけどヘルシーでもある。さすが食い倒れの大阪だ。翌日が人間ドックだというMは、「もうええわ。今晩は気分ええし、やっぱ呑もう!」と叫んで乾杯となる。

 

大阪までの往復高速バスはホントに便利。酔い止めを飲んで一眠りしたらすぐに目的地に着くって感じ。、、、しかし、東京まではもう無理と長い間思ってきたが、中央インターから乗ろうと待合に入ると偶然夫の兄とバッタリ。聞けば東京までのチケットを買いに来たという。足腰の悪い姉も一緒にお正月を埼玉の娘の所まで行くんだという。え?確か二人とも80歳を越えているはず!!凄い。深夜に出発して早朝に着くというあれに乗るんだそうだ。あたしゃ50代初めにギブアップして以来、全く頭にない交通手段だったが、、、この頃はシートもゆったりして、以前とは比較にならないのもあるそうだが、、、。その勇気はないなあ。あたしゃ完全に負けている!はあ~っ!!

スカイツリーは霞んで全く見えず。

前回入院してしまった縁起の悪い東京さへ母を連れて行ったが、まあさしたることもなく連日空は晴れ渡り、何度も何度もそれを喜ぶ母だった。用心の上にも用心して、空港では往きは車いす。帰りは電動カートで移動。何しろ高松便到着ロビーから出口までが半端じゃない距離。あれをもし歩いていたら二人とも何もしない内からダウンしていただろう。どうしてもタクシーに乗れというお嬢からのご命令を無視するつもりが、しっかり息子を監視役に付けられて、仕方なく羽田からホテルまでタクシーに乗る。そこまでしなくてもと思ったが、老いては子に従えのたとえを守った形。半年来ないともう様子が変わっている羽田にちょいと戸惑ったが、まだ電車には乗れるけどねえ~。

今回はそういうわけで何度も何度もタクシーを利用したが、お陰で随分と高い旅となってしまった。日頃余りタクシーに乗らないだけに、余計そう感じるんだろうが、、、。もう少し安いと助かるなあ~ババ二人の旅は。

 

3連泊のホテルは部屋も広々として清潔感も充分。大きなお風呂もあり、母は1年ぶりにこういうお風呂に入ったこととなり大層ご機嫌。従業員の応対にもしきりに感心している。確かに礼儀作法が行き届いている。殆どが若い人で、あの明るくて優しい物腰に多くの旅人はホッとすることだろう。ネット検索で、お嬢の住まいの極く近くを選択しただけだが、偶然良い感じの所に当たった。

 

母にとっては約3年ぶりの東京だったが、娘夫婦の計らいで表参道のイルミネーションは見られるわ、江戸前寿司は食べるわ、老舗の豆腐料理やにも行き、最終日は恵比寿ガーデンのTという中華料理にも行き楽しんだ。、、、が、ショックだったのは孫べえがひどい人見知りで、泣きに泣かれたこと。ある程度予想していたが、連日電話で話しかけていたので何とかなるだろうと高をくくっていたのだ。が、「もしもし」と言うとこちらを振り向くが、どうやらこのおみっちゃんの顔は電話機だと思っているらしく、違うと分かるとくるっと後ろを向いてしまう。やれやれ、あの入院騒動の原因はあんたなんだけどねえ~と言ったところで分かるはずもなく、、、。チト早く行きすぎたかも~。

 

こうして何とか帰ったが、高松空港に降り立った途端、何時ものように深呼吸だ。この美味しい空気は何ものにも代え難い、と、今回も思った事だ。母も同調して、「やっぱり高松が良い」という。そんな二人の土産話をゲラゲラ笑いながら聞いて運転してくれた夫をその日も一人残して、あたしゃ実家にお泊まり。弟夫婦も出かけていて留守なのだ。久しぶりの実家での就寝は、疲れの極致だったせいもあり、結構よく眠れた。疲れすぎた我が足を何度も移動させては布団を蹴散らして、余りに寝相が悪いと母を呆れさせてしまったが、、。

で、翌日は大阪日帰り。で、その次の日は1泊でレオマまで運転して行き忘年会。で、今宵はあるクリスマスコンサートに出かける。我ながらよく持っていると感心しているが、単に疲れを感じるのが後回しになっているだけかも知れない。まあ今日は流石にこれ以上続ける元気が無い。さ、寝よ。

2010年12月 2日 (木)

公演までのなが~い道程。

月が変わり、月初めのホールの抽選会で、われらが頼もしきピアニストと指導者M氏の連係プレーで見事好都合の日をゲットした。1年前の予定を決めての場所取りが、他の団体との競争となる。全てはここから始まる。

これからの1年間、様々なことが起きるのが通例だ。公演に関わる人間の数だけ問題が起きると言ってもいいかもしれない。出演者はもとより、外回りを固めて貰う人々、お手伝いしてくれる方々、もっと言えば行政や、世の中の変化なんかにも影響を受けるのが舞台公演だ。考えてみると空恐ろしいことをやっているもんだ。みんなで渡れば怖くない!のたぐいか。

そして発生した問題がストレスとなって我が身を襲い、ストレス太りとなってきたこの体(ふひょっ!?)今回はなんとしてもそうならないように、様々なことをスルーさせてこの身に溜まらないようにしたいものだ。せっかく下降線を辿っている加重が、これ以上膝に乗っかると絶体絶命になる可能性があるもんねえ。

 

今日は変な事があった。

二階に上がり、ちょいと片付けをしていたら、階下から洗濯機が突然「ぴぴぴぴっ!」となり始める。あら?故障かな?と思い、急いでも今更仕方ないし、そもそも急げないこの身。ゆっくりと階段を降り、洗濯機の方へ行こうとすると、洗濯籠が台所で転がっている。ああ、洗濯物をバランス悪く置いてたせいだろうと元に戻し、外へと出る。すると、不思議なことに洗濯機が途中で止まっている。しかも、それは途中で蓋を開けたから止まったようなかたち。へ?私じゃない。だって私は上にいた。じゃあ誰が?と思った途端急に怖くなった。で、台所から出刃包丁を持ち出し、裏の部屋から裏の二階へとくまなく探検だ。もしやドロボー?それとも、、、、道中、階段に置いてあった寝具を持って上がり、付けっぱなしになっていたトイレの電気を消し、用事をするのも忘れない。しかし、どこにもそれらしき者は居ない。内心ホッとしたものの、未だに謎は解けてない。あの洗濯機は勝手に開くような近代的な物ではないし、再び作動のボタンを押したらちゃんと正常に動いたもんなあ~。、、、いまだにその謎は解けないまま。あれは一体、、、。

 

明日から、母を伴い上京だ。羽田では大阪へ出張のおぼっちゃまと待ち合わせてランチの予定。上手く巡り会うかどうか心配になった彼が電話してきたので、待ち合わせ場所をすかさず「おそば屋さん」と指定。美味しい物を食べ過ぎないように気を付けなくては!!ってことで。さて、どんな道中になることか!?

2010年12月 1日 (水)

雑多な感想。

市長を囲んでのディスカッションタイムは、あっという間のことで、我々の思いを伝えるには矢張り短かったというのが感想だ。用意していた案件も、必ずしも予定通り言えず、消化不良といったところか。2回3回と重ねることが出来れば、もっともっと良い結果が出せると思うが、、、。おそらくは毎日超多忙な市長のこと。こういう機会はもう訪れることは無いかも知れない。クラシック好きの市長の脳裏のどこかに、我々のことがインプットされていれば有り難いってことだ。我々と市が何かしらタイアップして出来ることはないのか?もう少し突っ込んだ話しがしたいところだったが、、、。

練習会場だとか、ホールの事だとか、とかく経費に関連したことが話題になったが、皮肉なことに今日のニュースでは、市長始め、市のお歴々の給与賞与がカットされると流れていた。おお~お気の毒に。あれ程お仕事をされているが、このご時世、致し方ないのか!総勢7名でお越し頂いた職員の皆さん方、本当にお疲れ様!というところだ。

市長は、実は私は初めてではない。赴任されてすぐのあるパーティで握手をしながら、クラシックがお好きだとお聞きしたのだ。そのとき、若くてバイタリティのある方に、市の未来を担って頂けると期待したものだ。、、、それにしても大変なご職業だと言わざるを得ない。精力的なご活躍ぶりは市報を読むまでもなく、毎日のように至る所でお名前を見ている。並大抵のエネルギーではやっていけないポジションだ。前任者はわが友人の旦那様だったが、リタイヤされて今や俳句三昧登山やお散歩など、今までを取り返すかのごとき生活だと聞く。そうだろうなあ~と心から同情する。

が、市民の暮らしに直結している方でもあり、是非とも頑張って頂きたいものだ。

最後に合唱曲を1曲お聴き頂いてお開きとしたが、個人的な印象では、「真っ直ぐにこちらを見てお話をされる実直な方」で、緊張しがちな我々にも常に笑顔を向けてお話しされる、フレンドリーな方だった。

市民オペラを冠にしている我々には、大いに協力して頂きたいお方だ。

 

本日のドジバナ一つ。

愛車のハンドル脇に、ドリンクと携帯を置ける小道具をセットするべく、エンジン停止したまま懸命に作業して、結局上手くいかず、誰か得意な人に頼もうと、そのまま車を降りてしまった。キーレスの車のため、キーを家に持ち込んで安心していたが、完全にOFFにしていなかった。当然の結果として、完全なバッテリー切れ。全く久しぶりにJAFを呼ぶ羽目となる。長年年会費を払っていても、殆ど利用することが無く、「今日の作業には一切費用がかかりません!」と威張られても、あんまし有り難くもない。、、、なんて言ってても、いつか役に立つことが起きるかも知れない。と思って継続だなんだが、、、。やれやれ。

 

昨日リサイタルを終えたばかりのW先生からお電話を頂く。ひどい鼻声で、きっとお疲れが出てるんだろうと思いきや、ナント、本番の日も風邪を引き込んでいたんだそうだ。本番出来るかどうか危ぶんでいたというから、相当ひどかったんだろうに!凄いとしか言いようがない。全くそれを感じさせなかった。まあ、歌で使う声帯と喋るのとは違えることが出来るから、理解は出来るが、、、。誰にでも出来る芸当でもない。この先生の人間性と素晴らしい声を尊敬するなあ。、、、おっと、この方も年下だ!年齢は関係ない。輝いている女性は沢山いる。

 

本日、昨年のこうもりに出演してくれたメンバーのお子さんで、中2のK君がこのほど合唱の指揮をして賞を貰い、そのときの様子がケーブルテレビに流れるというので見てみた。すると、確かに彼は他の子と明らかに違っていた。指揮の意味するところをキチンと理解して、歌う人を引っ張っていた。あれなら賞を貰っても不思議はない。舞台度胸といい、なかなか将来が楽しみな子だ。

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