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2010年11月

2010年11月28日 (日)

美しき歌姫。

「オペラなんか」とか、「こんな年寄りが行っても、、、」とか、「もうめんどくさい」とか言いつつ、新しいうどん屋さんにつられて付いてきた母が、本日のW先生リサイタルにいたく感動した。しきりに良かったを連発し、マダムバタフライのストーリーにも感じるところがあったようだ。そして「声」の素晴らしさについても何度もなんども感嘆していた。5時には仕事のため帰宅の必要があり高速道路をぶっ飛ばす私に注意を促すのも忘れ、しきりに舞台のことを話す。、、、良いものは90歳の年寄りの心をもとりこにした。

開演前から長蛇の列。これは矢張りW先生のファンが多いことの証明だろうが、その光景を不思議そうに見る母。どうしてこんな面白くもなさそうな音楽会にこんなに人が来てるのか?と言いたげな風情で椅子に腰かけ人々を眺めている。ようやく座席に座ってから、パンフレットを開く母にいちいち説明だ。出演者のあらましを説明して、後はストーリーを読むように勧める。母は熱心に読んでいたがやがて開演となり、一部の日本歌曲の声で既に驚いているのが分かる。第二部に入り、いよいよバタフライの時間だ。今日の進行役のO先生が分かりやすく解説を始めてくれて、母も尚よく理解したようだった。オペラはホント事前の勉強がいるからなあ~。

 

それにしても、ただの演奏会形式ではなく、ちゃんと舞台を芝居仕立てにしてあったのは良かった。オペラは芝居だということに他ならない。芝居の中でこそ歌が生きる。

今日のW先生はすこぶる調子の良いお声で、び~んと張った艶のある響きは、観客の胸に鋭く迫った。客席のそこかしこからすすり泣く声が聞こえる。私も久々に歌を聴いて泣いたなあ~。そしてW先生の美人度も本日ハイレベル。お相手のテノールT氏が年齢的にちょいとちょいとだったが、この方も往年の大歌手としての声の貫禄は出しておられて、充分聞かせた。又先日ドンジョバンニを好演されたT先生のバリトンもその演技力とあいまって、今日も味のある歌唱だった。

今日のは抜粋だったけど、実はこうなのよと、帰る道々全体の演出についても母に話してあげたが、話す内にも涙が出そうになる。O先生が紹介していたように、日本人が好む3大オペラの一つだろうと、私もそう思う。

 

新しいうどん屋とは、○○泉という有名なうどん屋のすぐ近くの、神社の中にあって、宮司さんがやっているというのを友人から聞き、行こうと思っていたら、テレビでこ○枝さんがそこへ行ってたのを見て、なおさら行ってみようと思ったのだ。我々が11時過ぎに入ったら数人待ちだったが、出るときは長蛇の列。実に良いタイミングで入ったもんだ。おもちの入った「宮うどん」なるものを頂いたが、これが又美味しい~!近所の子供らしい、10歳程の男の子がたった一人でうどんとおでんを食べて、手慣れた様子で「ごちそうさん」と出て行ったのには母も私もあっぱ顔。流石さぬきの風景だ。

 

ホールから30分で着いたら改めてその近さに母も感嘆。インターの側に住んでいるとこういう時便利だ。坂出まで400円という高速料金はいつまで続くのかなあ?

2010年11月27日 (土)

夕焼けは神からのプレゼント?

昨日のジムでの御教授がちときつかったせいか、今日は妙に体が重く(!)節々も痛い。風邪かも知れないなあ~。足の痛みに気を取られて風邪をひくまも無かったが、少し膝が落ち着いてきたと思ったらこれだ。あ~あ。早く治さないと明後日はW先生のリサイタルだ。せめて咳で困らないようにしとかないと、、、。

 

アジアが不穏な状況だが、平和は夢なのか。弱いニッポンというけれど、あたしゃある意味弱い方が好きだけどなあ~。少なくともすぐに切れるあの国の住民にはなりたくないもんなあ~。アジアの中で多くの場面で品位を感じるのは日本人が一番じゃないのか?、、、ってこれってひいき目か?

 

いろいろありながら、時間だけは加速を増していく、、、。

 

それにしても今日の夕焼けは素晴らしかった。「溶ける」という表現がぴったりの濃い朱色の太陽が、どろどろと山あいに流れていった。車を運転中だったので、じっくり見たわけではないが、その夕暮れのイベントは瞬く間に終わってしまった。

2010年11月25日 (木)

松茸バンザイ、女性バンザイ。

夫の親戚から今や珍味の「松茸」を頂いた。そこは松茸山を持っていて、夫が幼少の頃は時期になると毎日のように採りに登ったという。その頃はなんと佃煮にしたり、辛子漬けにしたりするほど採れてていたそうだ。幼い頃の味覚に段々戻ると言うが、夫は特に執着が凄い。お陰であたしゃこの季節が来ると、せめてものカナダ産を購入して気分を味わって貰っていたが、今日は久々の本物。それも超デカイ。、、、案の定帰宅した夫は驚喜してわくわく。1本の松茸が本日の食卓の主役となる。それは松茸にまつわる幼児期の思い出話へとつながり、終始饒舌な夫ではあった。それにしても作っているわけではなく、自然に生えているのは矢張り凄いなあ~。昔々、その山へ母と友人を連れて登ったことが思い出される。あの頃はみんな若かったな~。「登った人には必ず1本くれる山。」と言われるだけあり、全員が1,2本採って帰れたものだ。、、、30年も前の話だ。

 

実は夕べ膝の痛みでよく眠れず、今日こそジムへと思いつつ電気カーペットで夕食後眠ってしまった。、、、どうも疲れやすいなあ。こんなことでは、来月の上京が危ぶまれる。娘に言ったもんだ。「言っとくけど、お母さんよりおばあちゃんの方がまだましなんだからね。労るならこっちよ!」威張ることではないが、、、。ま、3連泊をホテル住まいだから、大丈夫だろうが、、、。

それにしてもこの3連泊ホテル代と往復の飛行機代込みで、通常の往復の運賃より安いというのは、、、これも価格破壊なのか?有り難いが、不安な感じもして、思わず婿殿にそのホテルは大丈夫かどうか訊いたもんだ。

今日NYへとお帰りになったK画伯夫人と昨日電話で話したが、これ又日本から往復3万円のチケットが出ているそうで、パソコンでそういうことをしたことがないという彼女はその話を人から聞いてただただビックリしたと言っていた。条件さえ合わすことが出来れば、そういうのもあるんだそうだ。いやはや、、、。

滞在中に我が家にお泊まりしたいと念仏のように言っていた彼女のささやかな願いはあまりの多忙に霧散してしまい、実現しないままとうとう日本を離れていった。文科省から賞を貰ったり、マスコミに大きく取り上げられてのインタビューとか、酷暑の中を瀬戸内芸術祭の開催地に毎日のように足を運ぶなか、他県での展覧会も開催。その全てにずっと寄り添う賢妻の彼女のパワーにはホントに頭が下がる。「夫を支える」ことに全身全霊を投入している彼女を見ると、文句なしに凄い、と思う。そこには一切の迷いが感じられない。、、、こういう生き方もある。ご本人は、「いえ、決して支えてるわけではありませんから。ただ付いてってるだけですから。」とあくまで謙虚。親子ほどの年齢差も全く意に介さず、「彼は若いでしょう!?」と手放しだ。確かに画伯の若さもたいしたものだが、私から見ると、なんといっても彼女の精神的強さにあこがれる。私より年下だが、彼女にはいつも教えられる。画伯の周辺には、彼女のフアンも大勢いるのだ。

 

色んな生き方をする女性達。わが周辺には素敵な女性が一杯だ。

2010年11月23日 (火)

疲れすぎた一日。

今日はお掃除日より。といっても我が家ではない。ちぇちの衣装部屋の大掃除が今日だったのだ。総勢6名で10時に集合してキッチリ2時間半息もつかずやっつけた。そして、出てきたゴミの山を分乗して、3台の車でゴミセンターへ運び処理して貰う。途中でうどん屋に寄ったのは正解だった。塩江の処理場が思った以上に遠く、多分食べずに行ったらみんな機嫌が悪くなったことだろう!(それは私か!?)

 

思いがけずドライブとなった訳で、道中秋一色に染まっている風景を眺めながらだったが、ともすれば無口になるほどの美しさ。夫がよく行くプールもそのセンターの側にあり、そこから出る熱を利用しての温水や暖房と聞く。この施設は素晴らしい環境の中にあり、たまに行くには良いと思ったが、、、、さて。

 

みんなを送って、今度は衣装をくれるというある方のお家へ頂きに行き再び衣装部屋に逆戻りして帰宅したら、メチャクチャ疲れていて、宣言通り昼寝をしたほどだった。なんだか耳鳴りもして、これは又やばいか?と内心慌てた。が、30分眠って目覚めるとまあ大体甦ったか。夕食後にそれこそプールで歩こうかと大急ぎで食事の準備をしてから気がついた!今日は祝日でいつものプールは午後7時までだったのだ!ショック。

 

それならばと深夜営業の郵便局へ速達を出しに行って、これ又深夜営業のお店で細かい日用品を購入。遂に歯が浮いてきた情けないアチクシ。

 

結局、勤労感謝の日にいつも以上に働いて、大いに疲れた一日だった。は~っ。

2010年11月21日 (日)

男らしい指揮者に酔いしれた!

今日は全く久しぶりに自分でチケットを買いに行って、オーケストラ演奏を聴いた。メインのゲストが10年ほど前に大感激したチェリストのM・マイスキーだったからというのもあるが、指揮者が日本人の女性西本智実で海外で活躍中というのもたいそう魅力を感じた。実際、彼女の佇まいは期待以上にビジュアル的で、あまりの素敵さにため息が出るほどだった。演奏中の表情がテレビでないから全く見えないのがもどかしいと感じたくらいだ。楽団員は全員が、東洋の彼女の魅力に惹きつけられているのではないかと思った。普通、舞台上で演奏する場合は、出番のない奏者の誰か彼かが客席を見たり、何かしら注意が散漫な時があるものだが、今日の演奏中は、殆どそういう時が無く、弾かない時も全員が指揮者の方をじっと注視していたように見えた。

彼女は美人だが、ただの美人ではない。たいそう知的で優雅な貴公子といった風情。その指先からは何か特別なものが出ているようだ。オーケストラを高く低く操り、激しく鳴らすかと思うと、一気に切り捨て、又ゆったりと掘り起こす、、、。切れの良い音楽は、全く女性の指揮者とは思えないほどダイナミックだ。高いハイヒールが指揮台を踊り、スペンサーモーニングの羽が時に激しく翻る様は、音楽を聴きつつ見とれてしまう。隣の友人は、「宝塚の男役みたい。」と呟くが、殆どすっぴんらしい顔つきから、そうは思えなかった。余りに凛々しいその姿は、新しい性を感じさせた。

 

そして、かのチェリスト、マイスキー殿は、時の経過を思わせる真っ白な髪。が、相変わらずのおしゃれぶりは、登場と同時に観客からどよめきが起こる。白い髪に黄色い皺加工のシャツがよく似合っている。はだけた胸にはシルバーの重そうなネックレス。指にもシルバーの指輪が、、、。昔とは確かに風貌が違ったが、、、、そして演奏もソフトに変化したようだが、今の彼の魅力を最大限出してくれたのではないか。指揮者を見上げながら、あるときはじっと見つめながら、あたかも自分が指揮をしているかのように体を揺すり、、、非常に丁寧に演奏した。そこには、何かしら暖かな物が流れて、、、、終了と同時に割れんばかりの拍手。この高松で、二度も彼の演奏を聴けたのはラッキーだ。前回一番印象に残っているのは、阪神淡路大震災の直後だったということで、亡くなられた方々へのレクイエムとして、彼が無伴奏でチェロを弾いたときのことだ。日本のわびさびにも通じる、尺八の音色のようなあの音を忘れることが出来ない。聴く人の胸底から、悲しみをえぐり出すような、涙無くしては聴けない演奏だった。

友人が買った5枚のCDの一部を借りて帰り、今それを聴きながらこうしてパソコンの前だが、「間合い」が何とも言えない落ち着いた演奏だ。

 

ホールの近辺の駐車場がどこもかしこも満員で、仕方なく駅の方に車を止めて、まだ長距離歩けないのでタクシーで駆けつける。いくら高松といえども、こうして良い演奏会には人が集まるというわけだ。必然的に帰りもタクシー。やれやれ。高いチケットがますます高く付いた。

 

夕方からはとある場所で、K画伯の受賞記念パーティがあり、友人達5人で出かける。行けば大勢の人で色んな人と出会い声を掛け合うことになるが、中に、「足をどうしたんですか?」と訊いてくる人が居る。自分ではしっかり歩いているつもりでも、体が揺れているらしい。やばいなあ~。、、、それに流石に2時間近く立っていると足がだるくなってきて、限界を感じてしまう。

そこでも、昼間の演奏会のことが話題になっていたが、「あの国は貧乏な国だから、弦の楽器が悪くて、演奏が物足りなかったでしょう!?」という人が居て、ああ、そういうことか、と合点することがあった。確かに言われてみれば、、、、しかし、この方も凄いなあ~。世界中をオペラ三昧しているだけのことはある。

友人が連れてきた美人ヴァイオリニストKさんは、先日リサイタルで見た時よりうんと小柄で、舞台では随分大きく見える人だと話題になった。予想通り男性の多いそこでは大もて!!30過ぎとは思えない若々しさだったが、結婚の難しさを話していたなあ。「女性が一人で何かに打ち込んでいると、男性は敬遠してしまうみたいなんです~」と言う。こんなに美人でもダメなようだなあ~。そういう人ばかりでも無いと思うけどねえ~。ま、出会いだろうが。

 

実は、午前中はジムで私の為に作ってくれたプログラムの説明を受けに行った。自転車に乗れることが分かって大感激。負荷をかけずに10分から始める。あとはマシンを軽く2種類だけ。お風呂で汗を流して帰るとこれだけでかなり疲れている。、、、何故、今日行く気になったか。テレビで、高齢者が卓球をしているのが流れ、「ああ、自分は一生卓球が出来なくなったのか!?」と急に悲しくなったのだ。卓球が出来る体に戻りたい、と切実に思ったので、一日延ばしにしていたことをして貰いに行ったのだ。

 

お陰で充実し過ぎた一日となった。ふ~っ。

2010年11月20日 (土)

事故。

ある方を施術の送迎途中で、事故現場に遭遇。ナント事故車の内一台が横倒しになって派手に路上をガラスの破片などが埋め尽くしていた。その車には人気が無く、既に運ばれたのかどうか、、、不思議な事故だった。

で、病院で診察があったため夕方にずれこんだ仕事中、救急車が家の前を通る、と思ったら、我が家の側で音を消して止まってしまった。いつもなら出て行って詳細を把握するところだが、仕事中でもあり、なんだか昼間に見た事故の印象が残っていて、あんまり確認したいとも思えなかった。後から買い物に出るときにそこを通ったが全て終了してお巡りさん達も引き揚げているところだった。

一日に2件も事故を間近で見たわけだが、気持ちの良い物ではない。日頃から運転していると必ずと言って良いほどパトカーやら白バイに出会ってしまう私だが、今日はひどかった。この2件の事故意外にも、交差点で2回おまわりさんと遭遇。路上で前後してすれ違ったのも3回ほど、、、、さぬきが最も車の事故が多い部類に入るらしいから、取り締まりを強化しているのかも知れない。

その話しをすると母が、「いつも緊張して運転しなさい」という警告だから気を引き締めて運転すれば良いだけ、と笑うが、確かにそうだ。

これだけ車が多くなると、ほんの一寸の気のゆるみで事故に繋がりそうだ。我が家から表の道路になかなか出られないほど車が増えているもんなあ~。

くわばらくわばら、、、。

2010年11月18日 (木)

悩ましき買い物。

昨日突然プリンターが故障した。自分ながらにあれこれ設定を点検したり、テストを繰り返したが全くダメで、本日遂にプロに見てもらおうとパソコンショップに持参した。予想通り、修理は簡単ではなくメーカーに出すしかないという。しかし、その修理代より、新品の方が安い値段で売られているではないか。説明によると、私の機種は本体は安いが、インクジェットが高くつき、結局は他の機種より高くなるのだという。道理で、友人達が言うインクジェットの金額とこっちで購入していた金額が違うはずだ。携帯電話が無料でも、使用料金で稼ぐというシステムと似ている。、、、ならば新しく効率の良い物を買うしかないなあ~とお勧めの機種の説明を受けると、予定外の出費となるには結構な金額だ。そこで試しに恐る恐る聞いてみた。「あの~、もし~ネットで買ってもこのくらいの金額ですか?」、、、このところ、お店で何回同じ質問をしたことだろう。答えは決まっている。「勿論、ネットの方がお安いですよ。人件費もかからないし、在庫も置かなくて良い、お店も構える必要ないですから。」とあっさり。。。。私は考える。どうして、その先を言ってくれないの?少々高く付くけど、これこれこうで、だからどちらが良いとも言えませんね、、、とかなんとか。」せめてそうでも言ってもらえると、決めやすいんだけど、その若者も後がなかった。その問答をした瞬間に彼は諦めている。この客は、ネットで買う人なんだと決めている。きっと彼自身がネットでのショッピングを普通にしているんだろう。、、、今日も確かに一度は矢張りネットにしようと、そう思った。が、なぜだか分からないが私はその若者をわざわざ探して、「やっぱりあれ頂きます!」と言ってしまったのだ。

単にあまのじゃくの性格のせいではないと思いたい。まあこのところのネットショッピングに少々疲れていたせいもあるだろう。対面してあれこれ説明を受けながら買い物をしたいと、、、、無意識にそう思っていた節もある。もしかしたら、あの若者の嬉しい顔が見たかっただけかも知れない。といっても今顔を思い出そうとしてもさっぱり記憶にないが、、、。

 

昔々は、安物買いの銭失いという言葉があるように、安い物イコール欠陥商品、もしくは、どこかいかがわしい物、というようなイメージがあったが今は全く違う。流通の違いが物の価値を変えてしまっているのだ。だから、ネットで安い物を買う時代であって、それが別に悪いことでもなければ、馬鹿なことでもないのだ。

それらのことが全て分かった上で、今日私は対面で買い物をした。みすみす高いと知りつつだ。それは私流のおセンチズムかもしれない。自分が商売をしているから、対面に拘るのかも知れない。「買う」という行為は「売る」という人を「信用」しているから成立する訳で、その「信用」を彼の中に見いだしたということだ。

、、、と言いつつ、大きな買い物は悩みに悩んでいる。あまりの値段の違いにどうにも決めかねて、考えることに疲れてしまった。という話しをある人にしたら、「買い物が昔より難しくなったねえ。」とのたまう。そのときは、「ホントそうですね。」と簡単に答えたが、よく考えてみると、これはたいそう深い言葉だった。世の中が便利になり、色んな事が簡単に簡単になっていくが、一方で、確実に落としていくものがあるような気がする。そして、その落とし物が思った以上に重くて、私の足かせになっているのだ。そのためすっと足が出ないという感じだ。そんなことに拘らず、安くて良い物をチョイスして買っていくべき、、、、なんだろうし、若い人には理解しにくい私のおセンチズムなんだろう。多分今から世の中は大きく変化するんだろうから、あとで振り返って、あんなことで悩んだ時代もあったと、懐かしむことになるかも知れない。

 

てなことで、結局あれはまだ買えない。

2010年11月16日 (火)

一年は速い。

今年の行事はほぼ終了したが、いわゆる「予定」はたくさんある。その中の一つ、ちぇちと市長の懇談会なるものが間もなく実施される。今日の練習時間ではその内容について色々とディスカッションしたが、こうした課程が大切だな~と思った。客観的に団を自分たちが考えることの大切さだ。当日も建設的な意見の交換の場になれば良いなあ~。ていうか、みんなが緊張しすぎないで和気藹々とやれることが一番だ。

 

予定のもう一つは、岡山と高松のシャンソングループのメンバーが一堂に会して忘年会をやろうというものだ。昼間はその話題で盛り上がったが、お互いどちらでしても海を渡ることとなり、それが良かったり悪かったりで、、、さて、まとまるかなあ~この話し。距離はそんなに遠くないが、近くもない。ホントの距離より心の距離だろう。

 

もっと近くの予定もある。月末のW先生のリサイタルに、来月の大阪国際会議場でのK女史のリサイタル。母を伴い上京の話しも、、、こうして手帳は最後まで黒く塗りつぶされていく。、、あと40日ちょいで、今年もおわる。

2010年11月14日 (日)

涙。

体調がイマイチの中、今日は4年に一度の同窓会。司会の席の後ろには専用の椅子を置いて貰って臨んだことだ。最後までもつかどうか不安だったが、相棒のお陰で何とか無事進行出来た。

それにしても同窓会とは不思議なものだ。ただ集まって飲んで食べて、顔を合わせてはその変貌ぶりに驚いたり感心したり、、、、2時間半のなかで出来ることはそう沢山はない。でも何故だろう?そこには特別な空気が流れている。くしくもある先生が、「私はこの同窓会というものに参加するのが一番好きなんです。」と述べられて大いに受けていたが、それはおそらくはその場に居た殆どの人たちの感想だったかも知れない。

二次会に至っては、ガンガンカラオケが鳴っている中で、殆どまともな会話は出来ない。でも全員が、その空気の中で笑い、歌い、冷やかし、拍手し、、、、と、今日など最後には「高校三年生」を全員で肩を組んで合唱してのお開きとなった。そうした中で何故かしらじ~んと熱い物がこみ上げてきたのは私だけだろうか?

 

二次会まで参加しても、帰宅して「龍馬」を見ることが出来た時間帯だった。、、しかし、さすがに疲れ切っていて、な~んにも出来ないで居る。

テレビでは龍馬が泣き、バレーボールの銅メダルにメンバーが泣き、、、、、涙とは良いものだ。

2010年11月12日 (金)

ある日の収録。

新しいビルに移転しての二度目の収録となったが、前回と違ってビルが色々整備され、常磐街の道路に面したスタジオになった。イコールだらしない格好では収録も出来ないという羽目になったはずが、ついついそういう状況だと言うことを忘れて、リラックスした姿勢になってしまう。慣れないおみっちゃんではあった

しかしこの日、私以上にリラックスしたゲストを前に、どうにもこうにも笑いが我慢できなくて、未だかつて無いおもろい収録とあいなった。ゲストはカルチャーのオーナーTさんだったが、私と対面しての会話だったのが災いした。真面目な話しを振っているのにフト見ると、彼女はヘッドホンがまともにかぶれなくて悪戦苦闘。ついには、片方を耳に垂直にくっつけての会話となる。ご本人は自分の姿が見えてないから良いのかも知れないが、こちらはその姿がおかしくて仕方がない。思わずぶ~っと吹いてしまって、、、、一度笑いの壺にはまってしまうとそこからなかなか出られない。挙げ句の果てには、「リスナーのみなさんには、どうして私が笑い声になってるか説明しましょう!」と苦肉の策を講じた程だ。いやあ、参った。、、、お陰で、ミキサーの二人もたいそう楽しんだようだから、ま、いっか。てなもんだが、、、。この番組を聴くのが怖いなあ。

2010年11月 5日 (金)

パソコン。

体力の減退をつくずく感じた今日一日。ホントに情けない。

たった一部屋の簡単なリフォームだのに、その部屋にあったものを一度他へ移し、又それを戻すという作業が、予想以上に身にこたえた。こんな筈ではなかったのに、、、、仕事もそりゃあ多少はしたし、勿論食事も作ったが、以前の自分からは全く考えられない消耗だ。夕食後思わず敷きたてのホットカーペットに寝転んで眠ってしまった。20分ほども眠っただろうか。起きようとしたら背中から腰からぎしぎし軋むように痛い。全く、ヨタヨタという形容詞が相応しいなあ~。

 

業者のおっちゃんが、怪訝そうに、「もしかしてこのパソコンは奥さんがされるんですか?」と聞いてくるので、そうですよと答えると、えらい感心されてしまったのは、余程婆さんに見られたのか?その人も言っていたが、このご時世、パソコン無しでは商売も難しいらしい。

そういえば、昨日もある家電量販店に母と連れだって出かけ、品物の値段交渉で、パソコンだと随分安いですよね!?と言うと、明らかに動揺した女性店員が、上司と相談に行き、いきなり1万円値下げした。しかし、帰宅後実際にその商品の番号をパソコンで調べたら、1万円どころか、数万円の違いだ。その商品が我が家に入るかどうか確認に来て貰ってからになるから、まあ結論を出したわけではないが、これは交渉の材料になりそうだ。母と私というコンビが、まさかパソコンの値段を言い出すとは、あの店員さん、予想してなかったのが明らかだ。

ホ~ント、世はパソコン時代なりだ。

ココ2,3日パソコンが使えたり使えなかったりして、かなりの不自由感があったのは、完全に生活の一部になっているってことだろうなあ~。

 

シェイクスピアの昼食会で、パソコンが時々やり玉に挙げられ、世の中の悪のような扱いを受けることがあるが、内心、「それほどでもないと思うけどなあ~、、、使い方だと思うけどなあ~、、、結局はその人に問題があるんだと思うけどなあ~、、、」のと考えている自分が居る。」携帯電話と同じで、パソコンも毛嫌いする人はもの凄い毛嫌いの対象だ。

ま、お酒と同じで、飲んでる内は良いけど、飲まれたらイケナイってことだと思うなあ~、、、。

2010年11月 3日 (水)

おかしなこと色々。

入院中にお嬢が送ってくれていたパジャマセットを今の季節に良いと思い洗濯して着てみたら、またこれが長いのなんのって!!いくら何でもこれじゃあ殿中でござるだわ~。母はそこまででっかくない!と電話すると、「やっぱり~!?」と来た。ま、大は小を兼ねるけどねえ~。気持ちは有りがたいけどねえ~。

 

深夜にぼ~っとパソコンに触っているとろくな事がない。「更新しますか?」てえのが来て、以前指導を受けたTくんが「まあ大体OKですけどね」と言ってくれたと思い、何回かイエスイエスと押していたら、あるとき突然、画面に眼鏡をかけて変な顔したおばさんが出てきた。あれ?これは何?とよくよく見ていると動くじゃあ無いの!?又さらによくよく見ていると、なんだ!これは自分の顔じゃん!?でも何で?どうして?と、パソコン上をなめ回すように見ると、ハッとした!知らないうちに外枠の真ん中からピカッとライトが光っている。どうもこれはカメラのようで、それを見ながら顔を動かすと画面も動く!!ぎょっへ~っ。これって何の為かなあ?未だに、疑問が解けてない。

実は、その不安もあったが、パソコンで見られていたテレビが急に見られなくなって、そんなこんなを訴えてTくんにちょこっと立ち寄って貰ったら、にゃにゃんと、単にUSBが抜けていただけ!!あっちゃ~!!面目ない。まあ他にも来て貰う用事があったから良いような物の、又しても老人介護をさせてしまった。しかも、まか不思議な自分の顔が映る事件を解決して貰わないままお帰ししちまった。多分、これって、優れた機能の一つなんだろうが、使えなくっちゃあ意味がない。やれやれ。

 

ただ今、この部屋をリフォーム中。それというのも、二階のピアノをここに下ろす為にやっているのだが、数日前に夫が、「そんなピアノを下ろすより先にお母さんのベッドを下ろした方が良いんじゃないの?」と言い出した。まあ確かに、今の私のおみ足の状態、これから先のことなどを考えると、階下で過ごす時間が長い方が良いことは良い。ゆくゆくはそういうことになるかも知れない。「確かにねえ~」と考えながら作業はどんどん進んでいる。レッスン室が二階にあるってことはまあ隔離されてるという利点はある。ネットで3社に見積もりを依頼して、個人的に紹介もして貰ったが、今すぐ下ろさなくても良いらしいことを業者さんから聞いたしなあ~。ま、いっか。

 

で、冷凍庫を人に差し上げて、本棚は下ろそうと思う。本は重いからなあ~。一つ買うためには一つ捨てなくてはいけない感じ。宝くじが当たったら、全体をリフォームするんだけどなあ~、、、。築34年。人間様と同様ガタが来ている。

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