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2010年9月11日 (土)

放送。

結局夕べも丑三つ時の就寝となり、お風呂上がりに髪をタオルドライしながら見るともなくテレビを見たら、吉永小百合が昔撮った映画の話しをしていてつい引き込まれたが、連チャンの夜更かしは今の身にはこたえるので、又オンデマンドで見ようと少しで切り上げた。内容は、広島でのロケで今は入れなくなっているドームの中でのシーンが忘れられないという。被爆者を演じた恋人役の渡哲也が、実は自分は被爆者だと彼女に告げる時その胸にすがって泣くというものだが、「その時はこれが映画のシナリオだと思えずに本気で台詞を言ったことを思い出すと、あのドームの中の独特の空気の中での撮影は、矢張りとても重いことでした。」これ以後彼女の中に被爆者に対して何かしたいという気持ちが芽生え模索した結果、朗読で全国行脚を続けているのだ。同じ年齢だということを考えると、彼女にはいつも内心後ろめたさを覚える。時折テレビで報道されるのを見るだけだが、「あなたも何か出来るでしょう!?」と問われているような気がするのだ。

しかし、この映画は相当カットされたようだ。時代がそうさせたのだろうが、ケロイドの描写など、改めて全編を見た二人はあれは残すべきシーンだったと語っていたのも印象的だった。

 

このところNHKは「戦争」「原爆」などを取り上げた番組がとても多くなったと感じる。それは戦後65年という意味もあるだろうが、私は矢張りNHKだけはず~っと日本の良心だと思いたい。見るべきものを見、発信するべきものを発信する。そこに新しい感覚も取り入れてきているようだが、それでも節度を感じて好ましいと思っている。ただ、民放もニュース番組などは、「熱い番組」が増え、見応えもある。言えないことが少ない民放の特権だろう。「放送」は与える影響が大きい。さっきのおよそ10分でも私を大いに考えさせたくらいだ。

そういえば朝のワイドショーでOさんというパーソナリティが紹介していたといって、90歳で初めて詩集を出したsトヨさんという方の本を夫が貸してくれた。これは衝撃的だった。現在98歳だというこの方の自然な、思いっきり自然な詩に、引き込まれてしまう。そうか、まだ未来にはこういう事も出来るかもしれないんだ。そう思うと急に元気が出てきた。しかも、ご自身の半生をつづった文章の最後に、私のモットーと同じ言葉が書き込まれていて、思わずにやっとした。「どんなにひとりぼっちでさびしくても考えるようにしています。「人生、いつだってこれから。誰にも朝はかならずやってくる」って。」、、、これも放送つながりだ。

 

FMの収録だって、そういうことだ。聴いてる人が元気になれるような内容にしたいといつも思っている。次回は、素晴らしいサックス奏者との対談だ。「ハイ、パリは寒いくらいです。」と羨ましい返事を貰ったがきっと楽しい旅の話しも聞けるんだろうな~。楽しみ。

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