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2010年9月

2010年9月21日 (火)

まいにちまいにち、、、、。

世の中が騒々しいなあ~。今日は検察庁がニュースの中心で、それを初めて伝えるNHKのニュースキャスターの慌てぶりが、如何に大変なニュースであるかを如実に伝えていた。「落ちるところまで落ちましたなあ~」と街頭インタビューに答える人が居たが、全く同感。

昨日は丸亀でバイクドロボーが逮捕されたが、警察官の目を盗んで逃亡したというニュース。我が家ではここんとこ続けて盗難に遭っていて格別な思いで見ていたが、今朝になってその17歳は自首したという。もしや我が家のバイクドロボーの一味か!?ほんの少しの隙をついて犯行を重ねる彼らは、スリルを味わっているのだろうが、ホントに大迷惑。もう乗るのを止めたら?と言っても諦めない夫。今度は今までの数倍強化された盗難予防グッズを取り付けた。、、、いつまで持つか?

外交問題も薄気味の悪さを伴って報道される。酷暑が続くというのも嫌な話題だ。そんな中で幼稚園から孫べえの書いた絵はがきが送られてくる。私の髪は長くてくるくるしてて、じいじいの髪は短いのは、彼女の中のイメージらしい。まだ夫の髪が黒く描かれているのはいつかホントの色に変わるんだろうなあ~。

 

この日記に、次回書き込めるのはいつになるだろう?その頃はきっと秋たけなわ、かな?いくらなんでも。まさか冬に突入してるって事は、、、、無いことを祈ろう。

 

Buona notte!!

2010年9月20日 (月)

準備。

まるで家出みたいな荷物になっちまった!友人一人に頼むのも気の毒になってきて結局弟の男手を頼んだが、我ながら呆れている。動けない日がどれほどなのか全く分からないまま、個室でせっせとあれもこれもやろうとしているのだ。そういう私の性格を見越してか、東京からオペラの台本が送られてきたりと、どうやら退屈する暇はなさそうだ。

でもこれは内心の不安感から逃れるための行為かも知れないとも思う。「身元引受人の欄」にサインしてと夫に頼むと、それってもしもの時は引き取れということかと訊いてくるから、勿論そうでしょうよ、と答えると意味ありげにニヤリ。それを追求するとケンカになるから大人な私はサッと用紙を引き上げる。今日友人が夫婦で散歩中にバッタリ前方に倒れ、ボインのお陰で顔も打たず、怪我がなかったけど、前を行っていた夫が振り向きざま、駆けよりもせずぼそっと、「倒れると大きいな~」と言ったとか。あまりのことに痛いけど笑ってしまったと電話口でゲラゲラ。我々共にン十年付き合ってる夫婦だ。綾小路君麻呂が言ってる通りを日常的にやっている。

 

これが入院じゃなくて海外旅行なら良いのになあ~と思いながらの支度だが、この円高の時代にさっぱり旅行に行きたくもなく、実際この体では行けもせず、先日イタリアでレッスンを受けて帰国、その成果発表の演奏会にも出たとの羨ましいメールを指をくわえて眺めるばかり。彼女の成果が今度聴けるのは楽しみなことだ。って、私ホントに聴けるのかな~?希望を持つのみだ。

人生で二度目の手術。

とはいえ、昔と今ではやり方も快復期間も大違い、らしい。2週間程度の入院となるようだが、実際は開けてみないと分からない。どちらかというと後のリハビリが大変そうだ。何もかも試練だと思って耐えるしかない。

中学3年生で盲腸の手術をして以来半世紀ほど経つわけで、そりゃあ医学も進歩してるわなあ。色々調べても傷口はホントに小さいものらしい。

 

ここんとこ友人達が次々と病院と仲良くなって、何となく心細い感じ。今のところ必ず復帰しているが、その内、、、、。てことを思っていると、偶然つけたテレビでソプラノM女史とか名前は知らないが有名な若手タレントの出演するタモリ司会の番組があった。テーマは「死」。これはなかなか良い番組だったと思うなあ。もっと早くから見たかったけど、番組表を見ないとこういうことが起きる。以前からM女史は好きで、クラシック界からミュージカルなどにも出演し好演していて大阪まで観劇に出かけたこともある。私どころではない(!)ボリュームの肉体からあふれ出るチャーミングさは、スマートでキレイな女性より好ましく思える。彼女の膝は大丈夫なんだろうか?って余計なことまで考えてしまった!!いつの間にか結婚していて、そのご主人が交通事故の後遺症で今まだ闘っているなんて、ちっとも知らなかった。生死を彷徨う夫に、必死で歌を歌い続け、40代で死ぬなんてそんな馬鹿なことして良いの?やりたいことがいっぱいあるでしょ!?とか言い続け、彼を黄泉の世界から連れ戻したというから凄い!そして、彼女のお父上が死ぬ間際に、自分の「死」を側の母上に実況中継したという話しには驚かされた。片方の足がしびれ始めて、だんだんそれが他へ移っていき、いよいよ最後に、「これが死か!」と言って息を引き取ったというのだ。さすがただ者ではない。番組の中で、タモリがいつになく神妙に、「こうしていつもいつも死について考えて生きるべきなんだよなあ」と語りかけていたのも印象的だった。あのタモリだけに。

 

それにしても、今日は入院の準備をしていたら3つも大きな荷物が出来てしまって、ムムムム。どうすんべえ。減らすか?でも後からと思っても頼りにならない我が夫を考えると、なるだけ持って行きたい。その日も会議だという夫に代わり友人が送ってくれるわけで、先が思いやられる。なんでも自分が頼りだ。

「速達」が届いて何事かとおもいきや、嫁りんの字。大きな封筒の中からは、画用紙一杯に書かれた孫べえからの便りが入っている。「みっちゃんとじぃじぃだ~いすき」という字がお花畑で躍っている。右肩にある数字は何かと思い電話で聞いてみると、「それは多分電話番号のつもりらしいです~」と解説してくれる。な~るほど。子供の脳の中は面白いなあ~。こうして時々良く効く薬が届くと頑張らなくっちゃ~と自然に思える。有り難いことだ。

2010年9月18日 (土)

芸術の秋。

突然秋がやってきて、動けない私にさえ、今の体の状態を知ってもらえてないからだが、様々なお誘いが来る。音楽会はもとより、演劇、ミュージカル、寄席、OB会にミニ同窓会その他諸々、、、。全てお断りをしている状態だが、今日はまた飲み会にまで誘われた。事情を話すと一様に驚かれるが、膝を痛めたというとこれ又一様に納得してくれるからおかしい。

、、、それにしても残念なこと。これほど声をかけて貰えるというのは実は有り難いことなのだ。なのに、どれ一つ参加出来ないというのは余りに情けない。自分の出演する舞台さえ、車いすかも~と冗談が出る始末。全く無いとは言えないなあ~。明日の再診でハッキリするだろうが、、、。

 

一日限定して数名の顧客の施術をさせて貰っているが、習慣とは恐ろしい物で、やっているときは膝の痛みも8割方忘れていられる。勿論休み休みではあるが、事情を分かってくれる人ばかりでむしろ気遣ってくれるからやれている。1時間立っていると足全体が麻痺してくるし、何とも気持ちの悪い鈍痛に襲われる。今は上半身のみで生活しているような感覚だ。

そんな中、夕べはパリ帰りのサックスのS嬢とドイツ帰りの画家のST嬢の二人とFM収録。予想よりは大丈夫だったが、ハプニングがあったりして、いつもの倍近く時間もかかり終わったときはヘロヘロだった。救いは若い二人の明るさだったが、体調の悪さは滑舌にも声にも表れて、内心ドキドキものだった。集中力に欠け、意味のない質問をしたり言葉の選択を誤ったりと、まあ若くて利発な彼女たちだからやれたようなもんだ。有り難かったなあ。

それにしても若い人の中にこうして夢に向かって真っ直ぐに駆けている人たちが多くなってきたのはとても嬉しいし、こういう人たちと触れあえるのも幸せだ。

 

ミキサーを担当してくれたちぇちの二人のサポーターに守られて車で移送して貰う。何時もながらホントに頼もしい彼らだ。ほとんど介護を受けてるようなもんだなあ~。ふ~っ。

2010年9月11日 (土)

放送。

結局夕べも丑三つ時の就寝となり、お風呂上がりに髪をタオルドライしながら見るともなくテレビを見たら、吉永小百合が昔撮った映画の話しをしていてつい引き込まれたが、連チャンの夜更かしは今の身にはこたえるので、又オンデマンドで見ようと少しで切り上げた。内容は、広島でのロケで今は入れなくなっているドームの中でのシーンが忘れられないという。被爆者を演じた恋人役の渡哲也が、実は自分は被爆者だと彼女に告げる時その胸にすがって泣くというものだが、「その時はこれが映画のシナリオだと思えずに本気で台詞を言ったことを思い出すと、あのドームの中の独特の空気の中での撮影は、矢張りとても重いことでした。」これ以後彼女の中に被爆者に対して何かしたいという気持ちが芽生え模索した結果、朗読で全国行脚を続けているのだ。同じ年齢だということを考えると、彼女にはいつも内心後ろめたさを覚える。時折テレビで報道されるのを見るだけだが、「あなたも何か出来るでしょう!?」と問われているような気がするのだ。

しかし、この映画は相当カットされたようだ。時代がそうさせたのだろうが、ケロイドの描写など、改めて全編を見た二人はあれは残すべきシーンだったと語っていたのも印象的だった。

 

このところNHKは「戦争」「原爆」などを取り上げた番組がとても多くなったと感じる。それは戦後65年という意味もあるだろうが、私は矢張りNHKだけはず~っと日本の良心だと思いたい。見るべきものを見、発信するべきものを発信する。そこに新しい感覚も取り入れてきているようだが、それでも節度を感じて好ましいと思っている。ただ、民放もニュース番組などは、「熱い番組」が増え、見応えもある。言えないことが少ない民放の特権だろう。「放送」は与える影響が大きい。さっきのおよそ10分でも私を大いに考えさせたくらいだ。

そういえば朝のワイドショーでOさんというパーソナリティが紹介していたといって、90歳で初めて詩集を出したsトヨさんという方の本を夫が貸してくれた。これは衝撃的だった。現在98歳だというこの方の自然な、思いっきり自然な詩に、引き込まれてしまう。そうか、まだ未来にはこういう事も出来るかもしれないんだ。そう思うと急に元気が出てきた。しかも、ご自身の半生をつづった文章の最後に、私のモットーと同じ言葉が書き込まれていて、思わずにやっとした。「どんなにひとりぼっちでさびしくても考えるようにしています。「人生、いつだってこれから。誰にも朝はかならずやってくる」って。」、、、これも放送つながりだ。

 

FMの収録だって、そういうことだ。聴いてる人が元気になれるような内容にしたいといつも思っている。次回は、素晴らしいサックス奏者との対談だ。「ハイ、パリは寒いくらいです。」と羨ましい返事を貰ったがきっと楽しい旅の話しも聞けるんだろうな~。楽しみ。

2010年9月10日 (金)

久々の会議。

猛暑のためでもないが、懸案事項が気になりながらしばし会議を開けず、ようやくの開催となった。予測したとおり議題が多くて、全て網羅するにはいたらなかったが、まあ大切なことはおおよそ決定したか。

総勢9名の精鋭達で我が家の台所のテーブルを囲んだが、これだけの人数でも意見が一つにまとまるのはなかなか時間がかかる。この運営会議を練習日に全員に計るという意見は矢張り実現不可能だと思われた。

 

いよいよ来年の記念公演について、具体的に動くこととなったが、、、、。

 

実は、会議の前に膝のMRIを取りに行き、「おわかりでしょうがあなたは太りすぎです!」とこっぴどく叱られた。「今回は手術でしょうが、そのあともダイエットしなければまたすぐ切れます!」とも言われ、さすがのおみっちゃんも暗澹たる思いで帰宅。従って、テーブルにはなるべく我が家の甘い物を並べみんなに食べて貰う。勿論私は食べないでおよそ7時間に渡る会議の間、もっぱらお茶、水、紅茶。あの医師は、言葉での治療を試みたのだろうが、多分成功だ。

で、本日は紹介状を持って整形外科へ。膝専門だというこの医師は、受付あたりに貼ってある経歴書によるととってもユニーク。立派な経歴の横には有名な「歯が白い野球選手」や私でも知ってるスポーツ界の著名人と並んだ写真が飾ってある。どこかのサッカーチームの主治医でもあるらしい。月の半分近くは県外らしく、実家の家業を手伝っているということらしい。高松のお医者様も二世が活躍する時代になってきた。

おそるおそる入っていくと、軽くひげを蓄えたスマートな紳士が優しく迎えてくれる。あのMRIの先生がゴリラとすれば、さしずめカモシカのような先生だ。しかも一言も私に太りすぎだとかも言わず、ひたすら丁寧に検査をしてくれる。もっとも驚いたことはひょんな事から、「私はオペラ歌手の○○さんをよく知っていて、一緒にカラオケにも行きましたよ。あの離婚劇で有名な人ね。」な~んぞとおっしゃる。「まあ、私、その方のリサイタル行きました。」というと、「高松にもお忍びでよく来ておられますよ。」と。そんなところから気持ちもほぐれ、説明もよく分かり徐々に信頼関係が出来てきたのを感じる。この方に手術をお任せしよう、、、と。

ゴリラが、「現在県下で、このての手術がもっとも出来る人でしょう。」と太鼓腹で太鼓判を押してくれただけのことはある。、、って、まあ手術はいつかも決まってないが、これもご縁というものだろう。

一応のめどは立ったか。

そういえば、カモシカ先生面白いことを言われた。お気に入りの接骨院や整体院があれば行くのはけっこうですからね。術後もリハビリをそちらでして貰っても良いです。これからの医療もそういう時代に入ってきたと思います。、、、などと言われる。ほ~、そういえばこれに近い言葉を他の医院でも聞いたなあ~。昔は西洋医学と東洋医学は仲が悪かったという印象があるけどねえ~。ま、なんでもいいから早く良くなりたものだ。

2010年9月 8日 (水)

落ち込んでる。

落ち込む?あんたが?と言われるかも知れない。でも意外とよく落ち込む。外からはあまりそう見えてない節もあるが、実際は相当落ち込むタイプの人間だ。無意識にそういう状態から抜け出したくて、何やかやと手を出すのかも知れない。だからといって逃げてるというつもりもない。来る物拒まずは、自分にとって良いものもそうでないものも、両方に対しての対応だと認識している。人生が地球と同じで、山ばかりでなく、谷もあれば河もありなのは百も承知だ。そしてその地球に住んでいる、体はでっかいが存在はちっぽけな私という一人の人間は、時々山から転落しそうになり、河で溺れそうになるというわけだ。

溺れそうになったとき、有り難いことに友人達が救いの手を差しのべてくれる。今日も二人の友から電話があり、「大丈夫?」と訊いてくれる。正直いうと、よく眠れなかったせいもあるが、朝からな~んにもしたくない症候群に悩まされていた。ある人が、外から見たら積極的な舞台人なのに、「実は私引きこもりなんです!」と言ってたのを思い出す。そう、人は見かけによらない。でも、友は私の内心を察知して電話をくれるのだ。喋りながらうるうる、、、。気弱になっているなあ。だって、永いこと色々我慢しているからなあ~~。って、10年我慢していた人もいるからなあ、、、。その人に比べるとまだ修行が足りないか。

 

痛みの合間を縫ってサロンコンサート用の暗譜を始めた。いまいち集中力に欠け、遅々として進まないが、まあ気休めにはなった。

気休めと言えば、偶然つけたテレビの洋画が、ハンガリーの昔の皇后エリーザベトの新婚時代を描いていて、その描かれ方がどうやら歴史とは隔たりがあるようで、美しく、奔放ながら可愛く、ひたすら夫を愛し、子供のために一見わがままに見える行動をした、、、とあったのは、何かそういう映画を作る必要があったのか。歴史的なことを全く知らなければ面白い映画ではあった。若い頃の愛称「シシー」は今までの私の印象では大人になりきれないわがまま一方の女性のように思っていたが、、、実際はどうだったのか?日本の妃殿下があれこれ噂されるのと同じで、興味本位のでっちあげニュースも多かったかも知れない。

ハンガリーでの外の戴冠式で印象的だったのは、合唱団が素晴らしく良い声で、無伴奏で歌っていたこと。特に男声が厚く、朗々として流石音楽の本場の映画だけあると妙に感心して聴いていた。

 

人間の世界の、どんな場面にも音楽が似合うなあ。

2010年9月 6日 (月)

今日もあっちっち、、、!

ちぇちのメンバーのMさんからの紹介で、カイロ=整体に行ってみた。もちろんそれは、このところの膝痛を何とかしたかったからだが、何とかどころか、MRIを撮った方が良いとのことで、早速病院に紹介状を書いてくれて、予約も入れてくれた。「最悪の場合は「手術」となるかも知れませんよ。」と言われて、ショック。

整体は昔通っていたこともあったが、名医が年を取られて引退してからはどこも信頼が置けないような気がして永く行ったことがなかった。久しぶりだったせいか、やたら体がだるくてだるくて、迎えに来たT君の運転中ぼ~っとして助手席。今日のちぇち練は最後までいられるかどうか自信がなかったなあ~。音楽の力で何とか踏ん張れたが、、、。

愉快な先生で、最初から最後までよく笑った。ついには、「あの~私、生まれてこの方64年間、一度も痩せてた記憶がないんです。」というと、「そんなに自慢するこっちゃないでしょう!?」と側に居た我が母と二人で大爆笑。

さて、今度こそ信頼できるか。

2010年9月 5日 (日)

人の歴史は人との出会いで作られる。

第27回Cantiamo終了。余りというか殆ど練習出来ずに臨んだが、プールでリハビリするような効果はあった。久しぶりに歌って、満足出来ないまでも、やって良かったと思える程ではあった。途中で腿から膝にかけてしびれるような痛みに襲われたが、一応まがりなりにも歌えたのがうれしかった。

全体を見ての感想は、この独特のアットホームな雰囲気に、一人一人が存在価値を与えられているという心地よさに尽きる。それぞれの良さが、それぞれのスピードで上昇しているのを聴くと、師匠はつくずく「声の錬金術師」だと思う。蚊の鳴くような声で歌っていたあの人もこの人も、堂々とオペラのアリアに挑戦し、完璧でなくとも、オッと驚く声が何カ所もあって、大いに驚かされた。あとの反省会で、「歌は忍耐の一語に尽きます。」と強く主張された師の言葉に、みんな大いに頷いたことだった。

その師匠も、御年70歳を超えているとはとても思えない素晴らしい声で「誰も寝てはならぬ」を朗々と歌われ、やんやの喝采を浴びた。日本を代表するオペラ歌手のあのお方より年上でありながら、確かな技術と豊かな情感で安定した歌唱力を見せつけた。師については一時期心配したこともあったが、これを聴く限り「まだまだ行ける!」生涯現役はホントなのか!?と思わせる。これからも我々にその偉大な財産を供与し続けて頂きたいものだ。

 

演奏会の間中、絶え間なく笑いが広がり、それは反省会でも、打ち上げの会でも続き、互いの情報交換の場としても有意義な会となった。

そうなんだ。こうした人と人との出会いが、私の、みんなの人生を形作っていく。、、、幸せのドロップ効果がまだ健在だ。

 

たかだか数分の歌を歌っている間でも、膝の状態はこの調子だからなあ~とてもじゃないが、これから先長時間舞台に立つのは無理かも知れない。打ち上げで食事中でさえ、常時足を動かしては楽な位置を探している有様。立っても座っても椅子にかけても寝ても痛いのは、にゃんともかんとも、、、。

又明日から、健康な体を取り戻す=やりたいことが出来る様になるための作業に真剣に取り組まなくては。

2010年9月 4日 (土)

まだまだ暑い!

足の治療に行くために真っ昼間車を出したら、表示温度は37度。カンカン照りつける太陽を何とか遮ろうとするがままならず、仕方なく個室サウナの人となる。只運転しているだけで汗が噴き出す有様。目の前の高速道路の上には巨大な入道雲が広がっている。矢張りニュース通り、しばらくこの暑さが続くのだろうと予感させる。

 

着いてみると、その治療院を紹介して下さったご夫婦が先にこられていてしばし懇談。実はフェリーでの失態以来ここをサボっていた私。再び気を取り直しての来院だった。「自然治癒力」を使っての治療とは時間がかかる分根性が必要だ。病院には病院の良さがあり、こういう所には又別の良さがある。両方を上手く取り入れて気長に治療するしかない。又しっかり通うようにと促されて深々と頭を下げてお願いしてきたことだ。

 

暑いので、用事はいっぺんに済ませたいと、車を郊外へと回す。しばらく走ると車内も冷えてきて、暑さが苦にならなくなってきた。周りは田んぼばかりで、古い農家や小さな林なんかが点在している。、、、そういう景色の中をゆっくりと走ったせいか、突然私は、言葉に尽くせないほどの「幸福感」に満たされた。世の中暑いけど、こうしてその暑さから逃れることが出来ていて、車は私の思うようにすいすいと走ってくれる。足は痛いけど、不治の病という程ではない。今夜はピアニストのSちゃんが我が家に伴奏合わせに来てくれる。そうやって歌が歌えるって、なんてしあわせ。この大気のもやりの中を走るこの車は、あの高い空から見たら小さな点にしか過ぎない。その点の中のもひとつ小さな点として運転している私という存在。この小ささに感動だ!小さいということは、こんなにも楽なことなんだ。あの悩みも、この悩みも、こっちの心配も、あっちの心配もぜ~んぶ小さい!とりあえず、今、私は、生きてるんだ!

今日のこの一瞬の幸福感を、時々ドロップでも舐めるように思いだそう。

 

人間て不思議。気持ちの持ちようでうんと変わる。勿論それには気がつかないが何か原因があるんだろう。今日24時間テレビに取り上げられてた人の話を聞いたのもあるかも知れない。様々な障害を乗り越えて、強く明るく生きている人の話には心打たれた。ひょっとしたら新しく我が家にやってきた炊飯ジャーが優れもので、ご飯が美味しく、時間が経っても全く臭わなかった!な~んてことかもしれない。孫べえの写メールがその理由だったかも知れないし、病気だった友人が元気にやってきて、ぱぱっと作ったお昼を美味しそうに食べてくれた!なんてことかも、、、。

きっとその全てなのかもしれないなあ~。

 

こうして明日がやってくる。

2010年9月 1日 (水)

カラ元気?

同窓会の打ち合わせが、本番の会場のレストラン室で賑々しく行われた。ほぼ男女比が半々で、予約していた場所が詰め詰め状態。急に来られなくなった人も居たが、逆に駆けつけてくれた人もいて、さながらミニ同窓会。のっけから、「今日長寿手帳が送られてきてショックだった!」と言う人がいたりして、わいわい楽しく会は進行した。色々新しいアイデアも飛び出し、我が輩の作製した名簿も無事ハガキに印刷されて登場。予定の作業は全て済んだ。、、、遅く来て早く帰る人が置き土産に、「みんな年を感じとるようやけど、これでも今日大きなコンバインを動かしてたら、やっぱり若いもんは早うてええなあ~と言われたぜい!」と叫んで全員の爆笑を誘っていた。予定では100人を越えるのを目標だが、どうかなあ~。宿泊組もどれほどになるか、、、、まだ何回か集まる事になりそうだ。大きい声では言えないが、ある人の情報が亡くなったはずだとか、いや生きてるはずだとか飛び交っていたのも、なんだかねえ~~。それにしても、大病をして復活を果たした人も複数居たりして、まだまだ行けるを確認し合ったことだ。

 

先日我が家に逗留したM家の奥様から嬉しいメールが届く。中でも我が家を実家同然に過ごして貰えたような文面と、4歳の坊やが「みっちゃん好き、又行く」と言ってくれたようなのには大感激。それまで元気を取り戻さなくては!、、、と思えども、病院では当分プールはお預けです、と言われてしまう。残念無念。又一から出直しだ~。まあ、主婦は家事がリハビリになるそうだからなんとかなるか。やれやれ。

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