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2010年8月13日 (金)

終戦。

終戦記念日を間近に、テレビでは関連のドラマや古い発掘ニュースなど連日連夜放送されている。なかなか座ってじっくり見ることが出来ないで居るが、つい見逃したシンドラーの生涯的なドキュメンタリー番組はオンデマンドで再度見ようと思っている。「シンドラーのリスト」という映画で彼の存在を知った私だが、映画では語られなかった彼の人生の後半部分が、丁寧に取材されていたようだ。洗濯物など持ってウロウロしながら時々見ていたが、どうやら彼の善行のお陰でとんでもないしっぺ返しが彼を襲ったらしい。「善行」とは、所詮報われないものか。彼が助けたユダヤ人達の内の大勢が必ずしも幸せでなかったというのはショックだった。

そもそも戦争とは、百パーセント「悪」ではないのか?

今日も、なんたらいう中国の内戦を描いた映画が、日本の歌舞伎界のSという有名人が出演しているということで放映されていたが、これまたおびただしい数の死傷者が出る戦争映画だった。こういう映画を見る度に、そのテーマが如何に崇高なものであろうとも、全く無意味だと感じるのは私だけだろうか?それが史実だろうとは思うが、その他大勢の死者の一人一人は、存在価値が全く無いという扱いだ。その一人の兵士にも家族は居ただろう。恋人が、友人が、大切な人が居たに違いない。そこには全くスポットが当たらない戦争映画というものを、見たくもないし、認めたくもない。

その映画が示すように、そこに登場するのは殆どが男性だ。根本的に男性には闘争本能がインプットされているのではないか。誰かを何かから護る、という大義名分も美化された表向きのことで、本当はその生まれつきの闘争本能に支配され続けてきているのが、男性社会ではないのか?

 

最近母が終戦当時の話しばかりをしてくれる。若干24歳の母は、生後3ヶ月の私を抱いて、はるばる台湾から高松の実家へと引き揚げたのだが、その一部始終を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、事細かに教えてくれる。例えば、引き揚げ船の船底が、たか~いところに裸電球一つついてるという殆ど闇状態の中、ひしめきあうように人々が詰め込まれ、南京虫に刺されてび~び~泣く私をあやしながら、汚物や汗の臭いの中、窃盗までありいので、必死で帰国することだけ考えていたことや、高松駅に降り立ったとき、あまりの焼け野が原に呆然としたこと。そこから実家のある駅に着いたとき、ショックと疲労で歩けなくなった父と嬰児と荷物をそこに残して小走りに実家に向かったこと。近所の人たちがそれを見つけて次々と駆けよってくれて、祖父を呼びに行ってくれた人もいたりと、それはそれは大騒動になったこと、、、、。もう二度と会えないと思っていた祖父母はもちろんのこと、地域の人たちがこぞって帰りを喜んでくれたこと、、、、母の話は止めどがないのだ。母はこの手の話しを孫達にも繰り返し話しているようだが、有り難いことだ。

こういう話しは語り継がなくてはならない。

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