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2010年8月

2010年8月30日 (月)

一瞬の豪雨。

8月が終わる。なんともかんとも忙しい月だった。体調の悪さと相まって、この多忙さがいつもの倍に感じられる。今日なんか朝から出かけて帰宅したら午後10時をかなり回っていた。ちぇちの方は遂に運転を代わって貰い、助手席に鎮座状態。一日の最後の行事ともなると足がもつれて何度も転倒しそうになる。首から上がまあましなので何とか参加しているが、その内こちらの方も怪しくなるんだろうなあ~。

とはいえ、間もなくCantiamoがあるし、秋のサロンコンサートもあるし、カルチャーの発表会もある。そして4年に一度の同窓会も!OL時代のOB会の案内も来ているが、これが又瀬戸内芸術祭を見て回るというおまけ付き。これは多分おそらくきっと無理。、、、ホントは行きたいんだけどなあ~~。無念。

今日のシェイクスピアの後の昼食会である人が「最近倒れて、つくずく出来ることが狭まってきたのを感じる」と発言したのに、あたしなんざあ一番に「そうよねえ~」の相づちだ。こんな筈ではなかったのに、、、とは、そこにいた殆どの男女が一致した意見。人は自分の未来を本当には予測できないのだろう。

予測できないのは今日の雨。期待はあったが、こんなにもの凄い雨が降るとはビックリ。これが長時間続くとゲリラ豪雨とか言われるんだろうなあ。ま、少し涼しくなったか。

 

先日関東から家族連れでM氏が我が家に逗留した。目的はお墓参り。奥様はスッチーをしていたというだけあって細やかな心遣いの出来る人。明るくてホントに気持ちの良い奥様で、ただ従順というのではなく、言うべきは言うという、自分というものをしっかり持った人。可愛い4歳の男の子と1歳半の女の子が一緒。全くうちの孫べえたちと似た年格好。そのせいかどうかお互いすぐに打ち解けて、仲良くなれたのは嬉しかった。それに、高校時代から知っているM氏が、こんなにも素晴らしい家庭を持ち、奥様のご両親とも実の親子以上に仲良く暮らせているのを詳しく知り、本当に嬉しかった。さぞや天国のご両親も安心されていることだろうと、無宗教の私でさえ思う。一家のさわやかな風に無粋なわが夫でさえ、みんなが帰った後で、「来てくれて良かったなあ」と喜んだくらいだ。4歳の坊やは指揮者になるというのだが(!)そうなるかも知れない片鱗を見せていた。楽しみなことだ。

 

明日は同窓会の打ち合わせだ。ふ~っ。

2010年8月26日 (木)

まだ暑い!

「月が赤いで~」、と大阪の友人からメールが来たので外に出てみるとなるほどケッコウ赤い。「月まで暑苦しいなあ~」と返事して、やりかけのキューリの漬け物に再び取りかかる。ハタと気付くと砂糖が足りない。夕方プールに行くと出た夫に期待せずにメールしたら、案の定手ぶらで帰ってきた。そもそも頻繁にメールチェックなどする人ではない。仕方がないから今日は休肝日とばかりノンアルコールで我慢。食後にローソンに走ったことだ。

このローソンでのこと。月曜日の練習時に指導者のM氏が2枚の楽譜を大きく一枚にコピーしたら左右反対に出来てしまった!と自嘲しながらみんなに紹介していたが、それを思い出しながら、あたしゃこの時3枚のA4の楽譜を裏表両面印刷をやってみた。1回目。バッチリ表が左右反対。2回目。何故か裏面が上下逆に印刷されている。3回目にしてようやく思った通りのものが。ま、若い彼がああだから、無理ないか。

 

昼過ぎに名簿の校正を持ってきてくれたので、それでパソコン内を修正して最後のチェックを同窓生Yに届ける。これほど丁寧にやっているのは、葉書にじか印刷を考えているからだ。印刷されてからの修正はたいへんだから。一度こうした大変さをやっておけば、次回から楽だろうという寸法だ。が、一体あと何回同窓会がもてることか。こんだけエネルギーを使ったのだから大いに活用して欲しいけどねえ~。

で、Y宅を出てから郵便局へある振り込みに行く。すると通帳もカードもなく、手数料がお高いからと勧められて帰宅して探索後やっぱり無くて、通帳の存在さえ怪しくなって再び郵便局へ。調べて貰うとやっぱり持ってる筈だという。忘れていること自体、残金が殆ど無いと言うことだろうが、めぼしいところは探したんだけどねえ。やれやれ。再度探して見て下さいと言われて他の用事だけしてスゴスゴ帰宅。深夜の今までそのことすら忘れていた。こりゃあ重症だあ!

夕べも24時間営業の郵便局へ短歌の原稿を出しに行ったばかり。きっと明日も行くんだろうなあ~。、、、暑さのせいにしとこう。

2010年8月22日 (日)

料理。極暑のオペラ。

昨日ニュースで、国内の販売数が最も伸びているのがキッチン用品だと言っていた。なんだ、私も世間並みの思考回路を持っていたのかと思った。

特に理由はないが、ホントに色々買っている。それぞれたいした金額でないから、まあ台所に立つ楽しみを追っていただけかも知れない。と思っていたが、その中でもダントツの優れものと思えるものに巡り会い、今日の食卓なんか感激の連続だった。夫なんか、「大変おいしゅうございました」とテーブルに頭をつけたくらいだ。

一つは発祥がアフリカのもので、タジン鍋というもの。野菜も魚も肉も、何もかも食材の水分で蒸してくれる。出来た物を好きなもので味付けて食べるだけ。もう一つは、あっという間にジュースや大根おろしやオムレツなどの具材を作れる小さな機械。これは今までの料理のやり方を根底から変えてしまう位のものだ。お嬢が離乳食用に欲しいなあ、と言っていたので、思い切って二つ購入。これは大満足だ。手間をかけずに済むというより、レパートリーが広がる、という感じ。

で、こうなると具材が必要で昨日も野菜やフルーツをしこたま買い込んだというわけだ。すると今日は色んな人が届けてくれるのもお野菜。なすにキューリにカボチャにゴーヤ、枝豆ジャガイモタマネギ、ブルーベリーには感激した。ホントにこの暑い日々、せっせと作った物を頂いたかと思うと、なにもかも丁寧に美味しく料理しようと思うことだ。買った物と頂いた物が全くダブらなかったのも不思議なことだ。

 

余韻というのは翌日も続くものだなあ。昨日のオペラがちらちらと脳裏をかすめる。ドン・ジョヴァンニの騎士長役の人は良かったなあ~、とか、Y先生はやっぱり頑張ってるなあ~いくつになってもスターだなあ~、とか、主役があの礼儀正しい=堅物のイメージがあったK先生だったのは驚きだったなあ~とか、、、、。いやあ、オペラはやっぱり面白い。、、、だのに、1部が終わってラ・ボエームになったらかなり空席が増えていたのは、矢張りこの暑さが原因かもしれない。ホント、会場に行くだけで疲れるものねえ~。

2010年8月21日 (土)

オペラ公演。

出かける前はかなり大儀で、このところの睡眠不足で眠い上に早めの夕食までとってから出かけたので、本日のオペラはきっと爆睡だろうと思っていた。案の定、あくびの連続。幸い周辺に人が座らなかったのであくびのし放題。会場が余り寒すぎずちょうど良かったのも災いした。頑張って見よう聞こうと必死で舞台を見ていたが、前半は気がつけばとろっとしていた。

しかし、お目当ての彼の出番はバッチリ見ることが出来てまあ良かった。なかなかに頑張っていたし、声がよく響いていたのも上々。入り口で本人にバッタリ。「余裕ねえ!?」と言うと、「出番はほぼ1時間後ですから」などと会話をしたが、なるほど舞台では自由に動いていたなあ。まあ今回はパンフレットにも書いてあったが、殆ど全員化粧もせず、ヘアーも衣装も現代版だからこういう事が出来るというわけだ。

全部見ての感想は、この不景気の時代にあって尚オペラを上演するエネルギーを持ち続けることの意義をつくずく感じたこと。それに伴い、派手な美術や衣装に拘らず、ひたすら経費節減を目指していたらしいのはむしろ音楽に目がいって好ましかったこと。そしてやっぱりオペラは難しいなあ~ということだ。それは声を最善の状態にキープすることの難しさでもある。聴いている人はその場限りの状態で判断するが、そこに到達するまでの訓練は並大抵のものではない。

当然のことながら経費節減は舞台のセットにも現れていて、大変シンプルであった。高名な演出家の手になるものらしいが、今後はこういう形のものが当分続くのだろうなあ。勿論ちぇちとは違って、その演出家や指揮者に支払う額などが半端ではないだろうが、、、。それでもこの団体のこれまでのやり方からなら180度の転換だ。

久しぶりのホールで、色んな方が声をかけて下さるが、中に15年ぶりという人がお嬢さんと来られていて、しばし歓談。他にもいつもちぇちを応援して下さる音楽家の方々、お客様など。なるべく目立たないように居たつもりがケッコウ沢山の方とご挨拶。びっこをひきひき歩くのは恥ずかしいものだ。

椅子に長時間座るのも大変で、絶えずごぞごぞと動いて体勢を変えてみるも、痛みが段々増してきて本当に辛かった。同じ姿勢が続くとこうなる。やれやれ。

帰りに11時まで空いているスーパーに寄り、あれこれ入れて財布を見るとあっちゃ~お金が足りない。仕方なくすごすごジュースをバック。こないだ会ったMさんに会えると借りるとこだったが、、、、。やれやれ。

夏が行く、、、。

ようやく同窓会の名簿を打ち終わった。何しろ500人以上居るから簡単にはいかない。明日はこれを誤りが無いか同窓生がチェックに来てくれる。昨日の案内葉書の原稿作成とこれで一応私の役目は終わる。後は本番のことを遣ればいい。、、、てなことで、この暑いさなか、次々とやることがあるおかげで動けているのかも知れない。

昨日は開店当時からのお客様Tさんがお見えになった。2年ほど前に未亡人になられて以来一人暮らしをされていたが、お子さんの薦めで転居しお孫さんを見ながら暮らすことになり、最後の施術にお越しになったのだ。33年という永いお付きあいになったわけだが、その方の人生をずっと見つめてきたし、あまり役には立たないが色々と相談相手にもなってきた。華奢な体にこれでもかというほど次々と不幸が襲いかかり、店内で涙ぐんでお話しされることもしばしば。根っからの善なる人であり真面目に生きてきた方だのに、ヨブ記ではないがどうして神はこのような試練を与えるのかと、見えないものに怒りを覚えるほどだった。今後、転居して新しい環境で幸せに過ごされることを願わずには居られない。お別れのご挨拶でお互い涙が抑えられず、手を取り合っての別れとなった。、、こういうことがある仕事でもあるなあ、美容師は。

なんだかあれよあれよという間に時間が経ち、この間いくつかの事件も我が家では起きた。勿論世間でも信じられない程の奇異なニュースが流れまくっていて、これは猛暑でみんな頭がおかしくなっているのかと疑うくらいだ。

我が家の事件の一つが、「息子の講演を聴く」というもの。国際政治学をやっているのは知っているが、まあ離れてはいるし、たまの会話ではよく分からないこともあって本人がいやがるのを無視して友人と母を伴い出かけてみた。そこそこ良い評価を頂いたようだが、母親としては言いにくいことも言わなくてはとチクリと言ってみたが、それを嫌がらずに素直に聞いていたのは成長の証でこれは嬉しかった。いつの日か、大学の先生でございというのから離れて、人々の心に強く残るメッセージを伝えることが出来る人になれば、、、と夢想している。

ちぇちのメンバーA夫人から、「ご子息がテレビに出てらしたのを見ましたよ~」とメールをくれるが、「どちら似ですかあ?」とかが首題のメールに思わずにやり。そうなんだよなあ。知人がテレビに出てると、その内容よりも見てくれに気が行ってしまう。夫がよく以前ニュースなどでテレビに出ると、「今日のネクタイがどうの、背広がどうの、眼鏡が、、、」とそればっかり言われて、内容に触れてくれないとぼやいていたのを思い出す。これが知人でないと全く違うから面白い。

東京の孫べえは寝返りを打ち始めて目が離せないという。そこへ、息子の家族が水戸へ帰りがてら寄り道をしたらしい。狭いマンションで大騒動だったらしいが、まあ二人しかいない兄妹だからいつまでも仲良くやって欲しいものだ。

彼らが帰って元の生活が戻ってきたが、ふっと淋しくもある。

と思っていたら、千葉にいるM氏が家族連れで我が家に逗留したいと言ってきてくれて、おお、外孫が来てくれるか!?と夫婦で喜ぶ。ホント、子供は良いなあ~。な~んてこと思うのはやっぱり年なんだろうなあ~。

2010年8月13日 (金)

終戦。

終戦記念日を間近に、テレビでは関連のドラマや古い発掘ニュースなど連日連夜放送されている。なかなか座ってじっくり見ることが出来ないで居るが、つい見逃したシンドラーの生涯的なドキュメンタリー番組はオンデマンドで再度見ようと思っている。「シンドラーのリスト」という映画で彼の存在を知った私だが、映画では語られなかった彼の人生の後半部分が、丁寧に取材されていたようだ。洗濯物など持ってウロウロしながら時々見ていたが、どうやら彼の善行のお陰でとんでもないしっぺ返しが彼を襲ったらしい。「善行」とは、所詮報われないものか。彼が助けたユダヤ人達の内の大勢が必ずしも幸せでなかったというのはショックだった。

そもそも戦争とは、百パーセント「悪」ではないのか?

今日も、なんたらいう中国の内戦を描いた映画が、日本の歌舞伎界のSという有名人が出演しているということで放映されていたが、これまたおびただしい数の死傷者が出る戦争映画だった。こういう映画を見る度に、そのテーマが如何に崇高なものであろうとも、全く無意味だと感じるのは私だけだろうか?それが史実だろうとは思うが、その他大勢の死者の一人一人は、存在価値が全く無いという扱いだ。その一人の兵士にも家族は居ただろう。恋人が、友人が、大切な人が居たに違いない。そこには全くスポットが当たらない戦争映画というものを、見たくもないし、認めたくもない。

その映画が示すように、そこに登場するのは殆どが男性だ。根本的に男性には闘争本能がインプットされているのではないか。誰かを何かから護る、という大義名分も美化された表向きのことで、本当はその生まれつきの闘争本能に支配され続けてきているのが、男性社会ではないのか?

 

最近母が終戦当時の話しばかりをしてくれる。若干24歳の母は、生後3ヶ月の私を抱いて、はるばる台湾から高松の実家へと引き揚げたのだが、その一部始終を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていて、事細かに教えてくれる。例えば、引き揚げ船の船底が、たか~いところに裸電球一つついてるという殆ど闇状態の中、ひしめきあうように人々が詰め込まれ、南京虫に刺されてび~び~泣く私をあやしながら、汚物や汗の臭いの中、窃盗までありいので、必死で帰国することだけ考えていたことや、高松駅に降り立ったとき、あまりの焼け野が原に呆然としたこと。そこから実家のある駅に着いたとき、ショックと疲労で歩けなくなった父と嬰児と荷物をそこに残して小走りに実家に向かったこと。近所の人たちがそれを見つけて次々と駆けよってくれて、祖父を呼びに行ってくれた人もいたりと、それはそれは大騒動になったこと、、、、。もう二度と会えないと思っていた祖父母はもちろんのこと、地域の人たちがこぞって帰りを喜んでくれたこと、、、、母の話は止めどがないのだ。母はこの手の話しを孫達にも繰り返し話しているようだが、有り難いことだ。

こういう話しは語り継がなくてはならない。

メロメロ。

生活のリズムは人それぞれであって、他人が見たら「ええ~~っ!?」とおもうことも、本人にとってはそれがベストなんてことはよくある話しだ。実際夜のお仕事の人なんかも沢山いるし、、、、。

我が友人のKさんはたかがモウチョウーで手術をし、腹膜炎を起こしていて、それがこじれて2ヶ月も入院してしまった。で、もう運転して我が家に来られるのだが、話しを聞いておろろいた。彼女は糖尿病もあるので、歩くのが薬よりも良いということで、朝の5時に起きて毎日1時間歩いているという。1万歩を目指していると万歩計をみせてくれる。は~っ!!この真似は到底出来ない。が、まあ彼女のように病気になっちゃったらすっかたなかんべさ~だ。それにしても5時とはねえ~。

ただ今孫べえの闖入で私のリズムも狂いっぱなし。特に今日はひどいことになった。初めて4歳の女の子のお付きあいを一人でやった訳だが、予想通り大変だった。朝は船に乗せる約束を実行するためフェリーに乗る。丁度お昼時だったので、おうどんとおにぎりで昼食だ。大体において食が細い子だが、夕べも買ってあった手巻き寿司を作る道具で遊びながらだと信じられないほど食べたし、今日も食べる間中、物語を作って話すと与えたものは全部食べたなあ~。で、宇野について待合でアイスを買ってそのままUターン。少し船に慣れたようで今度は階段を目ざとく見つけて上に上がるという。お陰で全く久しぶりに展望台に上がった。今日は台風の影響だろう、少し涼しくて風の中で大いに楽しんだことだ。こちらも疲れたが、敵も緊張が取れたようで車に乗った途端お眠り遊ばした。父親と一緒で一度寝たら最後、なかなか起こせないとは聞いていたが、母を連れて次の目的地「三○」のプリキュアなるものに行ったが、案の定さっぱり起きないばかりか、この期に及んで「おかあさ~ん」と泣き叫ぶ。ここで負けては今後に響くから持久戦。遂に根負けしたのと、プリキュアの力でおめざと相成る。

友人から聞いてはいたが、ものすごい人気のイベント。子供の数も多いが、洋服を借りて写真を撮るというのは、最終の5時~のも満杯の盛況。聞けば朝から並んで順番を取るんだそうだ。は~~っ!

実を言うと、何かあってはいけないと、90歳の母を連れて行ったほどに自信がないデパート行き。居ないよりはまし程度の連れだけど、ちょっとここで待っててとか言えるからねえ。そんな私を必死で頼りにしてくれて、ず~っと手を離さない孫べえ。まあ、これは私へのプレゼントだったんだろう。有り難いことだ。、、、大いに疲れたけど心地よい疲れだ。

夕べも温泉に連れて行き、裸の付き合いをした間柄だ。「又行こうねっ!」と言われたら、も~メロメロ。ま、こういう時間があっても良いか。

2010年8月 9日 (月)

ドジばなあだ花花盛り。

一時期、睡眠障害かと思うほど寝付きが悪く、毎日薬を飲んでいたが、プールで運動した後は不思議とよく眠る。

眠れないときに決まってかけるのが深夜放送NHKFM。時々いい話が聞けるのだ。が、そういうときに限って途中で睡魔に襲われていつの間にか眠ってしまっている。

先日は作家の話だったが、結局誰の話か分からないまま眠ってしまった。その人の幼い頃、マラソンに参加した時のことを作文するという宿題を考えるとき、ただいつどこで何をしました、でないもっと自分でないと書けないことをテーマに絞って書こうと思ったそうだ。とにかく走ることが辛くてしんどくて大変だったという点についてのみ、書いて提出したら先生にいたく褒められて、それが自分が物書きになった大元になったと思う、と語っていた。先生という職業は、ホントに誰の人生を変えるか分からないものだ。

 

足が悪いと動きにくいのもあって、時間の流れが何時もと違う。日常生活に追われ、日記を付けるところまで行かない。パソコンは同窓会の名簿を作成したり、メールのやりとりで使わない日は無いのだが、日記を書くところまで余裕が無い。すると、先日ある人が、「みっちゃん日記は面白いわよ~。以前はもっと面白かった、、、。」と言われたという。きっとその人は私のドジ話しがお気に召して居るんだろうが、このところドジを遣るほど動いてない。小さなものは毎日のようにあるんだけど、、、例えば先日の昼下がりのこと。同窓生の男性が名簿の作成に付き合ってくれていて、まあ我が家にそのお方と二人きりだったというわけだ。間の悪いときに、ぴんぽ~んと現れたのが、名前が思い出せない人で、しかしとっても人なつっこく、「先日ご主人とバッタリ目医者で会いましたよ。」とか言う。「頭がまっしろになってビックリしましたわ!」などと、次々と言われて、内心「この人誰だっけ?これだけ親しそうに話す=懇意な人だわなあ~?でも、さっぱり名前が思い出せないなあ~困ったなあ~どう切り抜けようか?」と思いつつ、「今ね、同窓会の名簿作りの仕事してるから、スイマセン又主人が帰ったら伝えておきます。」と言いつつ、なんとなく居心地の悪そうな友人を指さして今は都合が悪いとアピール。「じゃあ又よってください!」とサービス満点の笑顔で強引に話しを切り上げてお帰り頂いたもんだ。その友人に、「実を言うとね、あんなに親しそうに喋ってたけど、名前が全然思い出せないのよ」と言うとゲラゲラ笑われた。まあ、そういうこともあるわ、と言われながら仕事を進めていく内に30分位して突然思い出した。なんだ、我が家に出入りの電気屋さんだった!!出入りと言ってもここ数年来てない人で、すっかり脳裏から消えていたのだ。今度は私がゲラゲラ笑う番だ。なんてこと、すっかり夫の友人か、はたまた自分の知人かと、うんとこさ頭を巡らせていたのだ!多分あのおじさんも面食らったかも知れない。未だかつて無いほどの歓待の言葉だったから!?

まあ、てなドジはちょこちょこ、、、そういえば別の先日は、FMの収録をはたと思いだし、ミキサーをやってくれる予定のA氏が確か仕事が忙しくてダメだったような気がしてきた。それを確認しないで慌てて別の人を探して自分の車でかっさらうように連れて行った。ら、ら、ら、A氏が不思議そうな顔をして入ってくる。「え?今日ダメって言わなかった?」「いいえ、そんなこと一度も言ってません!」と言われてしまう。あっちゃ~!この思い込み。そもそも、当日に思い出してバタバタ動くからそんなことになるんだ。ごめ~ん、とせっかく来てくれたのにお帰り頂いてしまう。は~っ!!

これからもドジ街道をまっしぐら、というかきっと加速されていくんだろうなあ~。やれやれ。

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