今日は志度まで小濱妙美さんのソプラノリサイタルに出かけた。我が家から高速を使うと18分でホールに着いたのには驚いた。これなら全然面倒じゃないなあ。会場で岡山からお越しのM氏に聞くと、1時間15分だったそうだからやっぱり車は便利だ。
もう一つ驚いたことがある。自分自身がこんなにも足が痛くなったせいかもしれないが、杖をついている人が多いこと。随分勧めてくれた人もいるが、さあねえ~。なんとなく抵抗があるなあ。車椅子を拒否し続けた母の気持ちが分かるというものだ。
沢山の人にチケットをお願いしてあったもので、着くや否や挨拶のしっぱなし状態。はるばる県外からお越しの人々もいる。中には久しぶりにお目にかかる人もいて、旧交を温めたことだが、当然のことながらそこまでは全く演奏会の話は出ない。いわゆる四方山話に花が咲いただけのこと。
ところが、演奏会終了後は全く違った。
まるで私が歌ったかのように次々駆け寄ってきて、感動したと口々に言われる。何度も握手をしてくれて、是非我が県にも誘致したいという人も。中には、ピアニストを絶賛する人もいて、涙ぐんでいる人も、、、。凄い音楽の力、歌の力、歌い手の力だ!
聴き慣れた私からみても、本日の彼女の声は賞賛に値するホントにピュアな声だった。ドイツ語なのに、母音が延びて子音の詰まる音も全く気にならない。なめらかな美しい響きは、ホールの空間を埋め尽くし、人々の胸の内まで届いた。
歌が上手い人は沢山いるだろう。でも、彼女のように聴く人に何かを注ぎ込むことが出来る人はそうざらにはいない。今日の聴衆の中にどれほどドイツ語になじんだ人がいただろうか?殆ど居なかったのではないか?少なくとも私が声をかけた殆どの人はその部類だ。それらの人々があんなにも感動するのは、言葉ではあるが、言葉ではない声と、言葉ではないが、言葉を持つピアノが一体となって、人々の胸に流れ込んできたに違いない。私的には、トリスタンとイゾルデのイゾルデのアリアには鳥肌が立った。あの表現力。舞台に登場した瞬間からイゾルデになりきっていた。
ピアニストの椎野伸一氏は、以前から何度か聴くチャンスがあった人だが、今回は乗っていた!彼自身が歌い手の歌に巻き込まれ興奮の渦の中で弾いているような時があった。こうした演奏会は矢張り二人の気持ちが一体とならなくては面白くない。
あとの打ち上げのティーパーティーでは、椎野氏がいつになく饒舌で、良いお仕事の後の興奮冷めやらぬお顔付きだったのが印象的だった。その会場には讃岐弁丸出しの人々に囲まれるプリマドンナの姿があり、全ての人々に満面の笑顔で接する彼女のパワーに内心舌を巻いた。自身のスピーチに、今日の演奏会はオペラ3本分のエネルギーを使いました、という程のものだったからだが、チャンと、「いえ、でもまだまだ大丈夫ですから」と余力があることをアピールしたのは流石だ。
再び帰路の高速を鼻歌交じりで運転したが、6時だというのに外はホントに明るい。良い演奏会の後のすがすがしい気持ちで、この私を待ちわびる孫べえの母親の元へと急いだことだ。