« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月30日 (水)

唸るしかない。

足を引きずりながらも、ようやく帰ってきた。毎度の事ながら、高松空港の空気を久しぶりに肺まで吸った。この何ものにも代え難い宝を捨てての都会暮らしはやっぱり出来そうにないなあ。例え孫べえの為でも!?

 

今回の上京は思いがけず自分自身入院の憂き目にも会い、生まれて2ヶ月ほどのちびっ子をこれ又病院に運び込むなど、やたらハプニング続きで、流石の私も心底参った!!回復にはしばし時間が必要だろうなあ~。

 

しかし、長期に留守をするとはこういうことかと、唖然とする我が家の状態。まるで閉鎖された学校のトイレみたいになっている我が家の哀れなトイレ。テーブルの上は食器が置けないほど物で溢れかえっている。床はもしや庭かと思うほどチリやゴミで、、、ああ、、、。ここからやらなくてはイケナイ悲劇。むむむむ、、、。

2010年6月 8日 (火)

忘れるということ。

すっかり忘れていたが、昨日の演奏会の後、車のキーが無いことに気付いて大慌て。「もっとしっかりバッグを調べた方が良いですよ」とM氏に促されるも、いくら探しても出てこない。ゆっくり考えるとそういえば休憩中にどうしても席を立たなくてはいけない時があり、なにやら慌ててパンフなんかを落としたなあと思い出し、隣の席だった友人Yに電話すると、「そういえば何か落としたわねえ。でもすぐに拾ったでしょ!?」と言われるも拾ったのはパンフだし、、、、、でも他に思い当たることがない。M氏に訴えると足の悪い私に代わり機敏に動いて下さって、ホールの方で探して下さるところまで取り付けて頂く。あの階段を再び上がる元気がまるでなかった私。以前ならとっとと自分で解決しただろうに、もの凄く落ち込んだ時にM氏が慰めて下さる。「大丈夫。僕が付いてるから絶対出てきます。」あの口調で言われるとこれが真実に思えるから不思議だ。、、、いや、実際真実だったのだ。案の定座席辺りに落ちていたと、係員が届けてくれて一件落着。

でも、最後にM氏曰く、「蓮井さんといるとホント飽きないなあ~。」トホホホ。

 

明日から東京。どんなドジ旅行に」なりますことやら。

2010年6月 6日 (日)

リサイタル。

今日は志度まで小濱妙美さんのソプラノリサイタルに出かけた。我が家から高速を使うと18分でホールに着いたのには驚いた。これなら全然面倒じゃないなあ。会場で岡山からお越しのM氏に聞くと、1時間15分だったそうだからやっぱり車は便利だ。

もう一つ驚いたことがある。自分自身がこんなにも足が痛くなったせいかもしれないが、杖をついている人が多いこと。随分勧めてくれた人もいるが、さあねえ~。なんとなく抵抗があるなあ。車椅子を拒否し続けた母の気持ちが分かるというものだ。

沢山の人にチケットをお願いしてあったもので、着くや否や挨拶のしっぱなし状態。はるばる県外からお越しの人々もいる。中には久しぶりにお目にかかる人もいて、旧交を温めたことだが、当然のことながらそこまでは全く演奏会の話は出ない。いわゆる四方山話に花が咲いただけのこと。

ところが、演奏会終了後は全く違った。

まるで私が歌ったかのように次々駆け寄ってきて、感動したと口々に言われる。何度も握手をしてくれて、是非我が県にも誘致したいという人も。中には、ピアニストを絶賛する人もいて、涙ぐんでいる人も、、、。凄い音楽の力、歌の力、歌い手の力だ!

聴き慣れた私からみても、本日の彼女の声は賞賛に値するホントにピュアな声だった。ドイツ語なのに、母音が延びて子音の詰まる音も全く気にならない。なめらかな美しい響きは、ホールの空間を埋め尽くし、人々の胸の内まで届いた。

歌が上手い人は沢山いるだろう。でも、彼女のように聴く人に何かを注ぎ込むことが出来る人はそうざらにはいない。今日の聴衆の中にどれほどドイツ語になじんだ人がいただろうか?殆ど居なかったのではないか?少なくとも私が声をかけた殆どの人はその部類だ。それらの人々があんなにも感動するのは、言葉ではあるが、言葉ではない声と、言葉ではないが、言葉を持つピアノが一体となって、人々の胸に流れ込んできたに違いない。私的には、トリスタンとイゾルデのイゾルデのアリアには鳥肌が立った。あの表現力。舞台に登場した瞬間からイゾルデになりきっていた。

ピアニストの椎野伸一氏は、以前から何度か聴くチャンスがあった人だが、今回は乗っていた!彼自身が歌い手の歌に巻き込まれ興奮の渦の中で弾いているような時があった。こうした演奏会は矢張り二人の気持ちが一体とならなくては面白くない。

あとの打ち上げのティーパーティーでは、椎野氏がいつになく饒舌で、良いお仕事の後の興奮冷めやらぬお顔付きだったのが印象的だった。その会場には讃岐弁丸出しの人々に囲まれるプリマドンナの姿があり、全ての人々に満面の笑顔で接する彼女のパワーに内心舌を巻いた。自身のスピーチに、今日の演奏会はオペラ3本分のエネルギーを使いました、という程のものだったからだが、チャンと、「いえ、でもまだまだ大丈夫ですから」と余力があることをアピールしたのは流石だ。

再び帰路の高速を鼻歌交じりで運転したが、6時だというのに外はホントに明るい。良い演奏会の後のすがすがしい気持ちで、この私を待ちわびる孫べえの母親の元へと急いだことだ。

2010年6月 2日 (水)

道程。

昨夜は久しぶりにちぇちの練習に参加した。が、練習ではなく、話し合いの場と化し思いがけず参加者の生の声を聞くこととなった。練習日以外は日頃殆ど顔を合わせることのないメンバー達の、考え方や今思っていることなどを知るチャンスが無いため、大変新鮮な感じがしたことだ。、、、が、限られた時間内で、大勢の人間が熟慮して話すのはかなり難しかったとも言えるだろう。あらかじめ準備していたのと違い、考えをまとめるのが困難だった人もいただろう。思いついたままを口に出し、後からそういうことが言いたかったのではなかったと、臍を噛む思いのしている人もいるだろう。そもそもテーマが理解できてない人もいたかも知れない。しかし、こうした時間が貴重であることは間違いない。

人は、話し合いの中でしか理解し合えないのだから。

 

それで、ちぇちぃりぁという団体のことを自分自身も考えてみた。

22年前、細々と立ち上げた歌好きの集まりは、誰もが参加出来るコンサートをやる団体だった。高校生も、音大生も、一般の歌好きも、そこにあらゆる派閥を排除して、全く自由にただ歌を愛する人の集まりとして発足したのだ。「いつかはオペラをやりたい」という思いを持ちながら。

12年後、それまでのソリストオンリーから合唱を遣りたい人も交え、オペラ、オペレッタをやる団体として再出発、現在までに「メリー・ウイドー」「フィガロの結婚」「愛の妙薬」「魔笛」「ホフマン物語」「劇場の好都合不都合」「こうもり」の7作品に取り組んできた。どの作品も、アマチュアが取り組むには空恐ろしい作品ばかりだ。

何故、こういうことが出来たのかを考えるとき、勿論協力者のおかげではあるが、矢張り根本はメンバー全員の「一生懸命」しかないのだと、改めて思う。明確なシステム化がなされているわけでもなく、みんなが同じラインに立ち協力し合う。命令系統は、あるようで無く、時々集まっては問題点を話し合い、やるべき事の確認をする。こうして、みんなの力で作り上げることで出来ていったのだと思う。そこには、他人に対する思いやりや、相手の意見を尊重するという基本的なルールがあり、一人一人が持っている能力を出し合うことで思いがけない大きな力が生まれていったのだと、、、。

我々の後ろに道は出来たが、果たして前に道は出来るのか?

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »