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2010年5月30日 (日)

命。

生後40日を過ぎた我が家の居候チビは、毎日唸りながら成長を続けて、抱くのも重くなって来た。顔を見ながら少しでも人間らしい部分を読み取ろうとするが、未知の部分が多い、というかそれが殆どだ。例えばTVから流れてくる音楽に耳を傾けていないかとか、、、、こちらの声を聞き取ろうとしてないかと目を見つめてみたり、抱いている殆どの時間が、観察の時間だ。いつ、この子が私を認めてくれるんだろう。ぼんやりと見ているような見てないような目を向けるこの目が、母親の母親だと理解する日もそう遠くはないだろうが、人間の成長とはホントにゆっくりしているなあ。馬の子なんかだと、生まれてすぐ立つから40日も経ったら相当成長しているはずだ。この、ゆっくりしていることに意味があるんだろうなあ。

この子の個性かも知れないがやたらよく笑う。言葉を持たず、目が見えてないということは映像も脳裏に結べないのに、、、と言うとたまたまレッスンに来られていた会長が、「生まれる前からそう設定されてるんだろう」とのたまう。な~るほど、と周囲は笑いながらも妙に納得。そういえばお嬢の話だと、体内での笑い顔の写真がどこかの国で発表されていたらしい。まか不思議な人間の命。

たまたま今宵は5時間ぶっ続けで眠ったので、長く顔を見続けたが、この子にはどんな未来があるんだろうと考えたことだ。でも、「未来」ってなんだろう。この子にあるはずの未来は、その生命が維持され続けてこその未来だ。事故や病気や事件やありとあらゆる危険をすり抜けて、命を長らえてこその未来だ。約束なんかされてない。だから、その意味では、90歳の我が母と同じ条件かも知れないのだ。勿論このアチクシもそうだ。明日、心臓発作であの世かも知れない。先日の突然逝った知人S女史のように。

違いは、自立しているかどうかだけだろう。だからこそ、赤ちゃんの成長は、「祈り」なんだ。母親にとっては勿論、家族など、この子を取り巻く人々の祈りなんだ。もう少し言えば、人類の祈りだ。

その筈だ。だのに、人間社会には信じられない事が頻繁に起こっている。日本における子供の虐待は悲惨で、耳を塞ぎたくなる事件だがかなりの数に上っている。しかし今日はよその国で、1歳半からたばこを吸わせ、完全なニコチン中毒にしてしまったというニュースが流れた。栄養失調でお腹が異様に膨れあがった子供の写真を見続けて久しいが、こんな事まで起きているんだと空恐ろしくなった。きっと氷山の一角で、それ以上ひどいことが、この地球上でもっともっと行われているに違いない。

「祈り」は届くのか?

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