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2010年5月

2010年5月31日 (月)

Cantiamo健在だった!

前回も参加出来ず、今回も無理かと思っていたが、ともかくこの「歌のない生活」から抜け出したくて思い切って、「今日はとにかく行ってくるから」と宣言して出かけた。久しぶりだったせいかホールまでの道のりが随分遠く感じられた。外は快晴で、窓を開ければ暑くも寒くもない良い空気が車内に入ってくる。、、、膝の痛みは和らいで、運転にも全く支障がない。カーラジオからホセカレーラスの歌声が聞こえてくる。峠の木々は新緑をたたえ、鳥の声も聞こえる。急に異次元の世界に入っていくような気分で現地入りする。

既にプログラム1番が終わっていて残念だったが、後の参加者の歌はしっかりと聴かせて頂いた。折り目正しい司会者のぬかりない進行でとんとんと運び、終わったら5時半となっていた。私も飛び入りで歌わせて貰い、I先生もバッチリ女心の歌で決めてくれたし、大変楽しくて充実した3時間だったと思う。車座の反省会ではユニークな話も飛び出し、笑いと反省の弁の渦が巻いた。、、、この和やかさ。この自由さ。これがCantiamoの醍醐味だ。歌は孤独に一人で歌っていくものではない。こうして人の前で歌ってこその「歌」だ。I先生もいつになく現役ぶりを見せつけてくれ、ホッと一安心。Cantiamo健在なりだ。

打ち上げの話も出ていたが、さすがにこれ以上は無理で急いで帰宅。ベイビーのご入浴、みんなの夕食の準備と、さっぱり時間がない。必要とされすぎているアチクシなのだ。

2010年5月30日 (日)

命。

生後40日を過ぎた我が家の居候チビは、毎日唸りながら成長を続けて、抱くのも重くなって来た。顔を見ながら少しでも人間らしい部分を読み取ろうとするが、未知の部分が多い、というかそれが殆どだ。例えばTVから流れてくる音楽に耳を傾けていないかとか、、、、こちらの声を聞き取ろうとしてないかと目を見つめてみたり、抱いている殆どの時間が、観察の時間だ。いつ、この子が私を認めてくれるんだろう。ぼんやりと見ているような見てないような目を向けるこの目が、母親の母親だと理解する日もそう遠くはないだろうが、人間の成長とはホントにゆっくりしているなあ。馬の子なんかだと、生まれてすぐ立つから40日も経ったら相当成長しているはずだ。この、ゆっくりしていることに意味があるんだろうなあ。

この子の個性かも知れないがやたらよく笑う。言葉を持たず、目が見えてないということは映像も脳裏に結べないのに、、、と言うとたまたまレッスンに来られていた会長が、「生まれる前からそう設定されてるんだろう」とのたまう。な~るほど、と周囲は笑いながらも妙に納得。そういえばお嬢の話だと、体内での笑い顔の写真がどこかの国で発表されていたらしい。まか不思議な人間の命。

たまたま今宵は5時間ぶっ続けで眠ったので、長く顔を見続けたが、この子にはどんな未来があるんだろうと考えたことだ。でも、「未来」ってなんだろう。この子にあるはずの未来は、その生命が維持され続けてこその未来だ。事故や病気や事件やありとあらゆる危険をすり抜けて、命を長らえてこその未来だ。約束なんかされてない。だから、その意味では、90歳の我が母と同じ条件かも知れないのだ。勿論このアチクシもそうだ。明日、心臓発作であの世かも知れない。先日の突然逝った知人S女史のように。

違いは、自立しているかどうかだけだろう。だからこそ、赤ちゃんの成長は、「祈り」なんだ。母親にとっては勿論、家族など、この子を取り巻く人々の祈りなんだ。もう少し言えば、人類の祈りだ。

その筈だ。だのに、人間社会には信じられない事が頻繁に起こっている。日本における子供の虐待は悲惨で、耳を塞ぎたくなる事件だがかなりの数に上っている。しかし今日はよその国で、1歳半からたばこを吸わせ、完全なニコチン中毒にしてしまったというニュースが流れた。栄養失調でお腹が異様に膨れあがった子供の写真を見続けて久しいが、こんな事まで起きているんだと空恐ろしくなった。きっと氷山の一角で、それ以上ひどいことが、この地球上でもっともっと行われているに違いない。

「祈り」は届くのか?

2010年5月29日 (土)

縛られる日々。

まるで麻薬を打ちに行くように待ち遠しい明日の膝関節への注射だ。多少和らいで来ているような気もするが、相変わらずの歩行困難。上を軽くしようと努力始めて1キロ減。たったこれだけ!しかもこういう時に限って我が家には珍しいお菓子など集まってくる。出来るだけ我が家に来る人にお裾分けしているが、どうもねえ~、、、、。

 

明後日は久々のCantiamoだっちゅうのに、あたしゃ歌を忘れたカナリア状態。従って勿論不参加。来月都内のとあるところで歌わせてくれると言うが、果たして歌えるのか?音楽会の重鎮や各界のお偉方の居並ぶ中、いくら知らない人の前だとはいえ、だ~いじょうぶかあ?

全く我が日常がどっかへ行ってしまった暮らしの中、来年のオペラ公演の事などいつも脳裏にあり、間もなく始動すべき時が来ていると、分かってはいるが、なんともかんとも悪条件が重なりすぎ。逆に上京した方が時間は取れるかとも思っているが、、、、。「メリー・ウイドー」ねえ~。あの複雑な内容の作品を、原作に忠実にどうやって観客に分かってもらえるか、頭が痛い。我々の方に作品を近づけるのはむしろやり易かったが、原作の方に我々を近づけるとなると、歌もさることながら音楽以外のもの、演技や舞台美術などが断然難しくなるのは間違いない。出るのはため息ばかりなり、だ。

2010年5月27日 (木)

力。

昔からの知人で、多分私と同じ年齢のSさんが亡くなったと、スーパーでの買い物中にバッタリあった共通の知人から聞かされてショックを受けた。明るくて明るくて、周りの人をも明るい気分にさせずにはおかない、笑った時のエクボの素敵な人だった。生涯独身を通し、ご両親を見送り、ご兄弟の面倒をカラカラと明るく見て、お仕事をし、素晴らしい書を書き教えていた人だった。「わたし、力使い果たして、ちょっと疲れたの、、、」とベロを出している彼女が浮かんでくる。それにしてもちょっと早いよねえ~。60代だからねえ~私たち。

 

毎日毎日、チビの存在に振り回されて暮らしているが、膝の痛みを我慢してのことで、何もかもがじれったいほどはかどらない。痛い所があると、全身に影響が出るなあ。「注射がメチャクチャ効いて、その日は嘘みたいに痛くなかった、注射の力は凄い!!」と友人に言っておいたら、別の友人がそれを聞き知って、「そんな馬鹿な話はないわよ。注射の液が吸収されたら元の木阿弥の筈よ!」と立ち寄って喋ってくれたが、残念ながらぴんぽ~ん。注射を打ったその日だけだったなあ~、痛みが和らいだのは。結局は再度再再度と通院して打って貰うことになるようだ。それでも治れば良いけどねえ~。

 

今日はスーザン・ボイルの特集番組を娘と一緒に見たが、現代のシンデレラ物語そのものだった。その番組からは、「聴衆」の心理状態も見て取れてなかなかに面白かった。確かに彼女はピュアな美しい歌声を持っているが、一度付いた群衆の「評価」が彼女の後押しをしている。彼らはシンデレラストーリーを目の当たりにする興奮の中で、彼女の歌を過大評価して聴いているようにも見えた。番組の最期の歌など、ちょっと訓練した歌手なら、あの3倍はフレーズを延ばした表現が出来たはずだ。伴奏が残りすぎたと感じたのは私だけだろうか?でも、番組のタイトルにもあったように、「歌の力」を感じたのも事実。人々を陶然とさせ、熱狂させる力が、確かに歌にはある。彼女はこれから、あの世界でどう生きていくのだろうか?

 

そういえば昨日は県民ホールでS劇団の公演があり、出演者達が娘に縁のある人たちなので、開演前にベイビーを見せに連れて行った。そこで思いもかけず私の好きな有名女優KIさんに祝福して貰ったのは嬉しかった。他の役者仲間は、「この子の両サイドに金槌と台本を置いてみて、どっちに寄るかで役者か裏方どっちか将来を占おう」なんてジョークが飛び出す。「役者は派手だけど食えねえ」「裏方は金は入っても体がしんどいよ」どっちもなあ~って、言い合っては爆笑。後から娘にメールも来て、開演前に赤ん坊見て元気を貰ったせいで今日の芝居が今回の旅公演の中で一番上手く行った、とあったそうだ。いやあ、赤ん坊ってのは、ホントに得体の知れない力を持ってるなあ~。

2010年5月25日 (火)

見えてないことがあるもんだ。

上京を二週間後に控えて、初めてのベビーカーでの外出。少しは外に慣れておかないと、母親も対応が不安とのことだったが、出かけたデパートにはチャンと授乳室もあり、至れり尽くせりの設備。今まで関係ないからと気付いてもなかった。頻繁にその辺りを歩いているはずが、全く目に入ってない。まあそんなものだろうけど、、、。今回新幹線を利用するが、これ又結構なシステムで、勿論授乳室みたいな部屋もある。これだと安心して旅が出来るというもの。知らなかったなあ~。

 

それにしても膝が簡単には治らない。昨日と打って変わって今日は痛くてかなり憂鬱。そんな甘いもんじゃあ無かったなあ~。もっぱら買い物に行くお嬢をベビーカー片手に待つだけの時間となった。さあ、どうなることか!?

2010年5月24日 (月)

雨が降る降る雨が降る。

大雨注意報が隣のテレビから流れて来たが、まさかの高松放送局からだったので驚いた。珍しく降り続いている。

その雨の中、今日は友人の母上の葬儀に我ら夫婦と弟夫婦で出かけた。新しい葬祭場はどこも色々工夫されている。最期は棺がエレベーターで待ち受ける人々の前に降りてきて、天国への道を行くかのような渡り廊下を進んで外へ出る仕掛け。つい最近、生ピアノの葬儀に参加して驚いたばかりだが、、、。色々工夫されて、昔とは大違い。友人の話に寄れば、いわゆる「送り人」なる業者に依頼して、最期のお風呂や洗髪、死に化粧をバッチリしてもらって、おおっと言う額を支払ったそうな。なるほどねえ。結婚式と一緒だなあ。新商法だなあ~。

新でもないが、このところの電話セールスにはほとほとうんざりする。赤ん坊が泣いてようが、鍋が火にかかっていようが、洗濯物を干していようが、電話が鳴れば何を置いても飛んで出るという習性が利用されている。顔が見えないから成立しているとも言えるこの商法。何とかならないのか。色んな人に対策を聞いてみたが、これっという名案は無い。ちょっと眠くて今書けないが、最近これでえらい目にあった。テキトーに答えているとろくでもないことに巻き込まれる。アブナイアブナイ。

2010年5月22日 (土)

亡くなる、生まれる、生きる。

友人のお母さんが亡くなって、明日のお葬式前に通夜に行ってきた。94歳とのこと、昔の写真が飾ってあって、すご~い美人。どんな美人もあのようにこのようになるんだよねえ~。人生は無常だ。

車に乗るとワイパーが必要なほどに雨が降っている。余計無情を感じるなああ。

 

一方でこれから生きようとしている命もある。毎日毎日変化というか進化し続けるこの力強さ。我が家の新米坊ちゃまは、今のところさしたるトラブルもなく、よくおっぱいを飲んでよく寝てよく唸ってばかりいる。

この新しい命と付き合うために、今日は整形外科に行ってきた。予想通りというか予想より若干軽めの症状とわかり一安心。なんでも5段階ある症状の左足1,右足が2だそうだ。処方された薬はメチャクチャよく効いて、飲んで1時間で階段の上り下りが苦痛でなくなった!ヒアルロン酸の注射をしばらく続けるらしいが、おかげで一時は断念しようかと思っていた上京も、予定通り出来ることとなった。

こうなると、俄然ベイビィの世話も楽しみが増す。まあそうでなくても親子で爆笑に次ぐ爆笑で世話をしているのだが、、、。昨日なんか娘に、「お風呂の残り湯に毛が浮いてるのよねえ~」と告げるともなく言うと、「ふ~ん、どこの?」と来た。髪の毛以外の毛が既にあったら怖いじゃないの!?と言って二人してしばらく大笑い。この爆笑の大音量にもめげず知らん顔して寝ているベイビィが又おかしい。

 

婿殿の父上が先日お宮参りに石清尾八幡宮に行ったときの写真などをアップしてくれて、それが全国誰でも見られるというものらしく、アドレスを知って多くの親族が見てくれているらしい。中にはお気に入りに保存します、なんていう我が友人も居る。まあ新式のご挨拶というわけだが、私と同じ年の父上、やることがまめでオープンで、A型らしいがO型気質入りだろうなあ。

 

夕べは友人が家族連れでやってきて、チビちゃんを囲みながらの団らんとなった。指が長いと口を揃えて言う人たちはこれまたみんなが、「将来はピアニストだなあ」と言ってくれる。将来が見えないというのは何を言っても大丈夫な訳で、安心して大きな事を他愛もなく言い合っては笑いの渦が出来る。子供のいる空間は、かくも優しい。

2010年5月20日 (木)

専業主婦にはむいてない?

人間、痛い所があって、それ以外の場所が痛くなると前の痛さは感じないんだそうだ。健康番組の受け売りだが、このところの自分の膝の痛さがつらくて、前のむち打ちの症状が緩和されたように感じる。ふとした拍子に首に手をやっていることはあるけれど、どうしようもないほどの痛みや不愉快さが無いのはそういうことか?昨日友人が届けてくれた足のサポーターを有り難く身につけているが、、、、ま、その内良くなるだろう。

 

病気のデパートと言われた娘が出産出来て、喜ばしい反面色々と心配も付きまとう。出来る限りのケアーをしてきたが、おそらくこれからもヘルプは必要だろうなあ~。今日は眠れてない彼女のために昼間1回ミルクを作って飲ませ、数時間母親業から解放したら随分楽になったという。遅い昼ご飯を食べながらおみっちゃんの育児体験を話すと、「まだまだこれからなんだねえ~」と大きなため息をつく。結局登山と一緒で、先を見てたらしんどいだけだ。毎日足下を見ながら暮らしていくんだねえ~などと話してみたり、、、。

こうして毎日まるで専業主婦のように暮らしているおみっちゃんだが、どこかぞわぞわと忘れ物をしたような妙な気分だ。ゆったりと赤ん坊の世話をして、家族の食事をいつもよりたっぷり種類も豊富に創り続けていると、こういうのも良いなあ~って思うんだけどなあ。貧乏性に出来ているのか、、?

2010年5月19日 (水)

犯人は階段!?

思いがけず膝の痛みがひどくて、何をやるにも倍以上時間とエネルギーがかかっている。流石の私も本気でダイエットを考え中!(このチューが怪しいが。。。)

 

膝の痛くなった原因の一番は、考えてみると我が家の階段だったかも!

4/13にお嬢が男の子を生んで以来、というかそれ以前に里帰り出産のため帰省してからというもの、裏の2階が彼女たちの巣になっていて、巣作りやら、掃除やらのため、多分この3ヶ月で過去の1年分くらい階段の上り下りを繰り返したのだ。不思議なもので、それまでは出来るだけ用事は1日1回にまとめてなるべく階段を使わないようにしていたのが、「必要」に迫られると何も考えずにやってしまった。特に10日遅れで母親の元に退院してきた赤ん坊の泣き声には、何を置いても駆け上がった(つもり)ものだ。その結果がどうなるか、なんてこと一切考えてなかった。そんなこんなですっかり疲労しきった膝が、あのヒールで悲鳴を上げたのだろう。

この私だって、実母に頼って見て貰いながらの子育てではあったが、その母は今の私の一回り若いときだ。そりゃあ違うでしょう、ってことだ。

 

しかし、赤ん坊はこんなにも可愛いものだったのか!?我が子の時のことはもう霧の中だし、息子の子供は毎日面倒をみた訳ではない。この「毎日」っていうのが大きな違いだ。

今はこの小さな新人が、我が家で一番偉い人。おかげで午前3時の今、授乳中の声を聞きながらこうしてパソコンに向かっているというわけだ。こちらのリズムも狂いっぱなし。おみっちゃんの全ての日常はすっかり塗り替えられて、今現在あらゆる活動が全てストップ。全く何も出来てない。あらためて息子の嫁りんの母上に感謝の気持ちが湧く。先日やってきたチビの父親から、

たった2日間でしたが、子育てを体験して、
美加やみっちゃん、お父さんの大変さを
痛切に感じました。感謝感謝です。

な~んて子煩悩な父親らしく優しいメールが届いたが、いやまったく。体験でしか人は真実を我が物には出来ないのだ。若夫婦二人になったときからが勝負。是非頑張って欲しいもの。

2010年5月12日 (水)

普通のありがたさ。

結局膝の痛みは病院で注射の憂き目をみたが、流石によく効いて今日は普通でもないが、かなりましに歩けたなあ。医師に言われるまで気がつかなかったが患部がかなり腫れていて、我ながらびっくり。友人Mさんの体験談を参考にこれからはよくよく注意が必要だ。医師にはやっぱり、「痩せて下さい。運動して下さい。」と予想通り言われたが、ホント、まじめに考えないとちょい先の上京予定がどうなるか、、、、。都会は歩くしなあ~~。そういえばKさんは一時期より随分スマートになられたし、あの颯爽ぶりは体重に大いに関係するだろうなあ~。分かっちゃいるけど、、、っ!

このところ毎日かなりの時間3キロちょいのものをこの自分の体重の上に持ってる訳で、転ばぬ先の杖ではないが、今宵は腕に湿布をして寝ることとする。ただ今午前3時13分。きっと30分にはあの世だ。

2010年5月10日 (月)

母の日のプレゼント?

うららかな春の良き日に、ひさ~しぶりに音楽に身をひたすべく、すべきことを全て放りだして車を駆った。

までは良かったのだが、余りに久しぶりのお出かけだったからか、しょてっぱちからドジをやってしまった!

その一。いつもの感覚でぎりちょんに出かけたら、そか!今日は日曜日だった。いつもの駐車場は満杯、あてにしたところは駅から遠い。ってもたかだか歩いて数分の場所。ところが、今日の私にとっては、この数分がメチャクチャ困る距離。なぜなら、久々のお出かけに着ていく物を物色中、買ったきり一度もはいてない白いパンタロンが目にとまる。おそるおそる足を入れると何とかウエストも合うのでこれに決めた。ところが、いざ靴を履こうとするといつものぺったん靴では道路のお掃除になっちゃう。ちょっと迷ったが、ズボンを履き替える時間はない。ええい、今日はお迎えに来てくれる人もいるし大丈夫だろう。と久しぶりのハイヒール、といってもたかだか5㎝だが、日常的にはいていた時と違って、長距離を歩くのはチョイ大変なんだ。これが二番目のドジ。運転には問題ないので車を止めるまで気にもとめなかったが、この数分がきつい。しかも、何故か腰まで痛く、そのせいで右膝が急激に痛み出した。「医者に行ってもどうせ痩せなさいと言われるのが落ち」などと胸の中でぶつぶつ良いながら駅に着いたらあああああ「間もなく発車致します、、、」のアナウンス。いつもの私だったら絶対間に合ってたのに~と悔しがってももう遅い。予定より1本遅く行くこととなる。これが第3のドジ。

車で来てくれる方に電話して時間をずらせて貰い、ホームで好みでないうどん一杯(これも選択間違いのドジ?)頂き、ホッとしたのと満腹とで即、車中の眠り姫に。「次は岡山駅終点です~」の声にハッと目が覚め、チケットを取り出すまでは上出来。ところが、声をかけられて振り向くとグロッケン先生ではないか!?まあ奇遇ですねえ~とか言いながら出札口付近へ来ると確かに手に持っていたチケットが無い。「はあ~~っ?」確かに持ってたのに、どこでどう、、、?で、はたと気付いたのが、立ち上がったときに膝にかけていたストールが落ちて慌てて(これがみそ)拾い上げたきっとそのときに落ちたんだろうってこと。そんなことグロッケン先生に言ってもしょうがないことだのにお優しい先生はじっと我慢の子で聞いてくれたあげく、私の荷物まで持って下さってどうぞ受付で処理して下さいと言って下さる。でまあ始発から頂きますと言われて高松からの料金を再び支払う。で、坂出からにしとけば良かったですねえ、そうでしたねえ~とドジネタで笑いながら外へ出ると外は休日の人出に賑わっている。それぞれ別ルートで行くので「では後ほど~」とお別れしてやがて来てくれた車に乗り込む。久々にお目にかかる3人の方々と四方山話をしながらドライブ少々。ところが予期せぬ出来事が。全く歩く予定の無かった私に二度目のウオーキングチャンスが!ホールまで10分程度だったかは歩くのだった!!勿論私の足の状態を知るよしもない元気な運転手Kさんは、「近いですから」と颯爽と道案内をして下さる。連れだって歩いてくれたNさんは、知ってか知らずか「Kさんの近いは近くないですから」とおっしゃる。内心「わ~お、どうしよう」と思いつつ、「あそこです!」というKさんの元気な声にどれほどホッとしたことか。

本日のリサイタルは小ホールながら凝ったデザインの個人所有の場所だった。主催者も言われていたが、こういう小さなホールは歌手にとってはかなり酷な環境ではある。私なんかだと、とてもじゃないが緊張して歌えないだろうなあ。しかし、Y女史は流石の貫禄ぶりで全てのプログラムをこなしてらした。いつまでも清純な乙女のような声と立ち姿は、私のお隣のおじいさんをうならせていたもんだ。しかも専属ハズバンドを自認される旦那様は軽妙な語り口で来場者を笑わせたり和ませたり、時には歌の解説を加えての大活躍。いいないいなあ、あんな人金のわらじでも探せないよねえ~。

終演後はもちろん来た道を帰るのだ。しかし案外近くに車があって、何とかたどり着いたが、、、、常日頃こうした足の悪い友人Mさんを気の毒がっていたのを思い出し、体験的に彼女の苦しみを理解したという次第。イヤホンと、足は大切だ。

電車に乗ろうとエスカレーターに足をかけるとT先生が上がったり降りたりウロウロしておじゃる。「先生どうされたんですか?」と聞くと、「いやあ、それがねえ~、Nさんがねえ~、急に居なくなっちゃってねえ~」その後を詳しいことを聞かずにそのまま乗り込むと会長が居る。「あら、こちらだったんですねえ」と言いながら座ると後からやってきたT先生が、「困っちゃうんだよねえ~帽子を預かってるしねえ~」それなら私が電話しますと言った時が遅すぎた。彼女と電話が繋がった途端に電車は発車してしまった。ちょっとしたことが原因で行き違ったらしいが、会長は携帯を持ってる筈だのに、どうして電話してあげなかったのか?今頃思ってる私も遅いけど、、、。ま、携帯は持ってるだけでは機能しないってことだ。当たり前だ!気の毒に、Nさんは一便後で帰るとメールしてきて、そのお帽子はT先生が駅で待っててお渡しするとか、、、、ふ~っ。ま、全てはなんとかなるけどねえ~。

私のチケットドジ話など、三人でそれぞれの近況報告のような会話をしつつ1時間はあっという間に過ぎたことだ。T先生も早く元気になって欲しいなあ~。気持ちがあっても体がついて行かない年齢になりつつあるのは分かるけどねえ~。

で、お二人にお別れしてからの私のおみ足は段々ひどくなってきて、こういう時あの駅前は不便だ。ぐるりんと回らないと目的のパーキングに行けないからなあ~。泣きの涙で車に乗り込むとおろろく料金。いやはやいやはや何事も自ら招いた結果。今日は母の日に相応しく、試練の日となった訳だ。

結局、帰りに立ち寄ったコープで、ウオーキングシューズを購入、ようやく生き返ったアチクシであった。これ、自分で自分にプレゼントの巻き~。

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