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2010年3月

2010年3月31日 (水)

対岸の火事、まさしく。

本日ガソリンを給油のとき、前方にものすごい煙が上がっていた。担当者も妙に興奮していて、「あっちで火事なんですよねえ。凄い煙でしょう!?今頃になって臭いまでこっちに来ますからねえ~多分車は混んでて動きませんよ。」と説明してくれる。確かにその車線は渋滞していてとても動きそうになかったため、路地に迂回して渋滞から逃れた。今の彼の表情から、ホント、火事って何故か人を興奮させるんだよなあ、と思いながらだったが、それから3時間後に近くを通るとき、わざと現場とおぼしきところを通ってみるあたしも、かなりの野次馬だ。ところが結局現場を発見できないとんまな野次馬だった。

 

頭痛と首のこりに悩まされていて、ろくろく仕事がはかどらない中、今日も治療院へと通う。帰り道でどうやら追突したばかりの様子の車が2台、幅寄せしている。やれやれ。これだけ車が多いと事故も多くて当たり前だなあ~。我が家の前の道路でも半端でない通行量で、なかなか駐車できない程だし、間違いなく車が増えている。大阪の友人が電話してきて、「もう運転止めなはれ!」と簡単にのたまうが、この立地条件で車無しで暮らすのは至難の業。おそらく今の半分も動けなくなってしまうだろう。家族のためにお役だちの私の運転なのだ。昔は主に子供のため。今は主に母の為だ。

 

 

イベントの出演依頼が複数来ている。何かしら楽しいものを企画しなくては、、、。

2010年3月30日 (火)

別れ。

シャンソン教室を始めることになったきっかけの人が、今日で最期となることとなり、みんなでさよなら会食。およそ10年もの長きにわたり、この不肖の師である私目と付き合ってくれたことに、ただただ感謝。私は人の才能を見抜く力だけは備わっていると自負しているが、このお人も歌だけでなく数々の素晴らしい才能を持った方だった。私はむしろ教わることが多かったといえるだろう。これからも生涯の友としてお付きあいしたいものだ。

人は出会っては別れていく。すれ違うだけの人もいるが、深く自分の内面にまで関わって、それが自分の一部となる人もいる。どれだけ後者の人と出会い関係を育くんでいけるかが、自分の成長のかなりの部分を決めると思われる。思えば、こうした人間関係を築くことの大切さを教えてくれたのは、我が恩師である。

数日前にニュースで、卒業式に「仰げば尊し我が師の恩、、、」というあの歌をしらけた高校生に教えて、彼らが実際その場になると期待以上の反応を見せたという特集が放映されていた。多くの生徒達が涙を流しながらその歌を歌うのを見ながら、思わず昔のことを思い出しじ~んとした。自分自身、あの歌が大好きだった記憶がある。ん十年経った今、改めて師に感謝。月日は経ったけど、心はあの頃のまんまだから。

2010年3月28日 (日)

春雷。

昨日から著しく体調が悪いと思ったら、首が右に全く回らなくなってしまった。しかもおそろしく疲れやすくて、導入剤でが~っと8時間寝たにもかかわらず、夕方はホントに疲れ切った状態。マッサージ機で3回クール全身をマッサージの間も熟睡したような感じ。

どうもこれは天気に関係がありそうだ。昼間は晴れていたが、先ほどから雷鳴がとどろき、雨も降り出した。又永いむち打ち生活がはじまるのか!?

世の中これから春だというのに、、、。

 

「好きなことを一生涯やる」というのは、勿論殆どの人の願いだろう。が、様々な事情でこれまた殆どの人が、その「夢」を叶わない夢として過ごしているんだろう。でも、このゲストブックに書き込まれた情報で、あのテノール米田氏が、職業をなげうってミュージカル劇団「四季」に入るらしいことを知ると、ホントに嬉しくなる。若いとは言えない年齢で、新しい環境に入ることも凄いと思う。この決断には多くの越えなければイケナイハードルがあったことだろう。が、きっと、これからの人生、あの方は素晴らしく充実した日々を送って行かれることだろう。心からのエールを送りたい!!

2010年3月26日 (金)

無罪。

病院の見舞いに、焼き芋とでっかいイチゴを買った。が、焼き芋一個以外はいずれもチョーがつく不味さ。母にそんな大きいイチゴなんか、見た目にも不味そうだのに、、、と馬鹿にされるも、真っ赤に熟れた大粒のイチゴはまるで違うフルーツのようで喜んでくれるかと思ったのだ。焼き芋に関しては単に運が悪かっただけ。友人kは遠いところからわざわざそこへ母上を連れてお買い求めに来る程の気に入りよう。いつもは美味しいんだから。

しかし、私は考えてみるとよくこういう事をやってしまう。「良かれと思ってやったこと」が、上手く行かないってことだ。てんこ盛りの「我が善意」も、届かないことがまま起きる。その場で分かれば言い訳も出来るが、分からずに勘違いしていることも多いんだと思う。、、、しかし、これはどう解決したら良いのか?難しいことだ。

この私の中に、「悪意」は全く無いということを分かってもらえる人間関係を創ることしか無いんだろうなあ。

17年間刑務所に入ったままだった人が、今日えん罪だったと完全無罪を勝ち取ったが、ホントに自分を分かってもらうというのは難しいことなんだ。ひとたび疑いをかけられると、なかなかそれを晴らすことが出来ない。それは何も法の世界のことだけではない。日常的な生活の中でも起きうることだ。

かくも人間とは複雑でややこしいものだ。

ようやく雨が上がった。

本日遂にあごサポート?装着。10年前と違って随分軽量化されて、簡単。でも、これに頼ってると自力で首をもたげる力が弱るとか聞いたけどなあ?確かにこれを付けていると楽は楽だが、、、。

 

昨日来店のお客様から、上野美術館で「長谷川等伯」とういう日本画家の展覧会に行った話を聞いたが、相当な展覧会だったようだ。日本にこんな凄い画家が居たんだと改めて感激したという。日本画というのもはまると奥が深く面白いらしい。その方も永く自身で描いていたようだ。そう聞くと、行ってみたくなるのが人情亜が、既に終わっているらしかった。矢張り情報は大切だなあ。上京していたときにやってたんだからなあ~。無理したら行けたのになあ~後悔先に立たず。

 

友人達が明日の早朝バスツアーに出かける。萩、津和野ルートでこれは行きたかったなあ~。あたしゃ突発事項でキャンセル。5つ星ホテルはどうだろうなあ~ふぐは美味しいんだろうなあ~。うらやまぴ。ま、こういうこともあらあね。

2010年3月24日 (水)

雨また雨、、。

本日は雨の中、同窓会の打ち合わせが行われた。多分6回目くらいになるこの会も、世話人が段々固まってきて、今日はひとまず常連組の集まりとなった。が、早速メンバーの中に急病で来られない人もいるなど、思わず年齢を口にすることから始まる会ともなった。

男女比が半々という会はケッコウスムーズに事が進行する。年内の開催が決定し、早速会場探しにみんなで奔走することとなった。目的はただ一つ。4年ぶりに開催となる同窓会を、参加者にとってひたすら懐かしく楽しいものにするために、みんなで力を合わせようということだ。今宵はお互いに出来ることを持ち寄り、協力し合おうと確認し合う決起会になったようだ。又永い時間が流れるなあ~。

 

ちぇちのB会員Mさんが5/9岡山でリサイタルをされるとお知らせがあった。ホントに彼女は意欲的だ。旦那様の後押しも半端ではないが、何よりご自身の向上心が凄い。それも、さらりとやってのけているというイメージが凄いと思う。たいそうなことをやってます、と一切言わず、いつの間にか着々と準備が出来ているのだ。きっと今回も大成功に終わることだろう。

行けるといいなあ~。

 

先日のカルチャーでのコンサートは、自分自身は最悪だったが、中には間違って感動してくれた人もいるようで、そういう趣旨のお電話を頂いて再び顔が赤くなる思いだ。終わったときはいつも反省猿なんだが、、、、。

でも、結局は歌というのは人に聴いて貰って初めて完成するんだ。一人で歌ってる間は、自己満足でしか無く、例え一人でも聞いてくれる人がいて、初めて「歌」なんだ。自己チューで、周辺の何もかも振り捨てて、死ぬ前に一度舞台に立ち思いっきり歌いたいと願う今日この頃ではある。(無理か)

むち打ちだそうだ!

左手というのは、思いがけずよく使っているものだ。治療院で出来る限り使わないようにと言われても、気がつくと左手にバッグを持ったり、おも~い買い物袋は左で持とうとする。車のドアーも右手で開けて左手で荷物を入れる。他にも色々、もし左手が無かったら困るなあ~ということが、今日一日でもたくさんあった。

三日前に婿殿と温泉に行きやって貰ったマッサージ師の言う通り、コリ方が「異常」だったのは矢張りそういうことだったのだ。昨日の春のコンサートの時の体調の悪さから、今朝は頭が痛いし、吐き気がするし、肩はバリバリだしで、どうしようもなくなって名医と噂のM治療院へ行く。そこで針治療をしてもらったのは良かったが、あまりのつらさに飛んでいったため、本日我が家でのレッスンをすっかり忘れていた。電話がかかるまで思い出さないで、自分の体のことばかり考えていたというわけだ。こういうこともあろうかと、事前に義妹に家のキーを預けていたのが幸いして、彼女が駆けつけてくれたと言うお粗末。

夜は病院に見舞いに行かねばならず、結局は本日先生のお顔を見ないままだ。こんな状態の私だが、明朝は出張施術の予定だし、夜は同窓会の集まりがある。とりあえずこの雨でも上がってくれたら違うんだけどなあ~~。よく降るなあ~~。

2010年3月21日 (日)

暑い?

何かの間違いかと思うほどの暖かさ。強風は春に多いけど、この暖かさは不安を感じる。もしや、、、、?本日は枕元に洋服を置いて休もうかと思うくらいだ。

久しぶりに婿殿と一緒に温泉に行ってみた。そこは以前マッサージを娘と二人でやって貰ったことを思い出して、早速やってもらうことに。すると、そのときのカルテがあり、そのせいかどうかものすご~く丁寧にやってくれた。というのも、「このコリ方は異常ですよ。どうもこうもなりませんわ」と言われるほどの肩こりで、確かに自分でも今までにないひどさだと思う。職人気質のなせる技か、なんとかしてあげようという気迫がみなぎっていた。30分で予約したのに殆ど倍の時間やってくれたようだ。婿殿には待ってもらい気の毒なことをしたが、この期を逃してはまた行けなくなるとの思いからであった。、、、一体治るのか?

 

本日の音楽祭の陰アナは、場所が寒く自分の声も聞こえない位置で、あまり良いとは言えない状態の中でだった。ほぼ1時間、じっと座っての作業はほとほと疲れた。、、、いやあ、何をやっても疲れるのだ。

 

客席から見てないので何とも言えないが、まあまあの出来だったのではないか?色んな方々が「良かったよ」と声をかけて下さるのも、あながちおべんちゃらだけではないだろう。

それにしても、400人程の参加者が一堂に会して音楽する姿は、それだけで素晴らしい。音楽王国香川だけのことはある。

 

とにかく、ねよう!

2010年3月20日 (土)

わすれな草。

本日の会長のためのサプライズ誕生会は、思いがけず大勢で祝うことが出来て成功。このビックリの仕掛けが危うくばれそうになってヒヤッとする場面もあったが、ポーカーフェイスの会長にそれがどうだったか聞くチャンスもなく知るよしもない。が、まあばれていようがいまいが、結果、みんなの気持ちが伝わっただろうし、良しとしよう。

わすれな草を歌えと言われてワインをしたたか飲んでいたにもかかわらず一応歌ったが、まともに歌えるはずもなく、歌詞の内容を考えるとぐっと来て、さんざんだった。この曲は以前聞いてくれて泣けたと言ってもらったこともあるが、ホントに寂しい曲だ。

 

 

時は流れる。

2010年3月18日 (木)

歯が痛い。

3/1の東京在中の時点では真っ白だった手帳が、いつの間にか真っ黒になってしまった。明日は友人と会食、その後料理を創って会長の誕生パーティへ。次の日は婿殿がやってくるが、あたしゃ春の音楽祭でミューズホール。次の日はピアノ合わせのあと、婿殿を囲む会を我が家で。次の日は婿殿を送って空港へ行った後、春のコンサート。平行して会議がいくつか行われるはずだが、参加出来るかどうかかなり怪しい。というか、事故のせいではないだろうが、歯が痛くて痛くて、肩もバリバリ。車はようやく治ってきたが、どうも体はしゃんとしない。こんなので、人前で歌えるのか?口角がただれて口が開きにくい上にこれだ。トホホ。

 

今日は友達関係の中で傷ついてボロボロになった友人がやってきた。そうなるのは致し方ないこともあったが、話をする内に、矢張り彼女のなかでも「大いなる誤解」が幅を利かせているのが分かった。彼女は両親の介護でもほとほと疲れ切っているようだ。その精神状態の中では、ほんの些細なこともハンマーほどの威力を持つ。が、しばらく話をして、最後は以前のように笑顔で帰ってくれたのには、ほっと胸をなでおろした。私たち、あまり永くない残りの人生を、出来れば笑顔のままで暮らしたいものだ。

この指たかれ、、、。

オーディションというものを久しぶりにやることとなったのは、とにもかくにもオペラ公演には人集めが必要だということからだ。どれくらいの人が参加してくれるのか全く分からないが、出来れば沢山の人が気軽に来てくれると嬉しいなあ。自分自身はオーディションを受けた経験はミュージカルの時が最初で最後。あれほど場違いな所へ来たと後悔したことは無かったなあ。今回のちぇちのうたい文句と同じで、「軽い気持ちで参加して!」と主催者のお一人からお誘いを受け、ただただ参加することに意義ありとのみ思って行ってみたら、想像を超える沢山の若者で会場は埋め尽くされている。しかも殆どの人が、「CATS」とかプリントされた黒いTシャツなど着て、レオタード姿。「運動しやすい服装で、、、」とあったから、一応ズボンでは行ったが、、、。そのあとの厳しい審査風景は今思い出しても冷や汗ものだった。どういう風が吹いたのか、合格通知を受け取ってからの3ヶ月間、死にものぐるいの特訓を受け、大ホールに立ってから私の人生が変わった。たまたま夏休みだった娘がくっついてきて、これもその公演に参加した東京の俳優陣と演出家に出会い人生が変わってしまった。20年ほど前のことだ。

ちぇちのオーディションで人生が変わる人がいるかどうかは分からないが、それほどの影響力のある団体なら良いなあとは思う。

ちぇちの場合はホントに「軽い気持ち」でオッケーだ。面接に毛が生えた程度のものと思って貰えば良いだろう。

こ~のゆ~びた~か~れ~、、、!

2010年3月17日 (水)

警鐘。

人のお世話をするっていうのは、ホントに大変だ。自分に何のメリットも無い場合、聖人君子でも無い限り、何度か嫌になり投げ出したくなることがあるだろう。ただ今ちぇちの中に約2名ほど、特に気の毒な状況にある人が居る。まあかつてはアチクシ目が担っていた部分を代わってくれているわけだが、ホントにお気の毒だ。が、彼女たちの能力を持ってすれば、何とか完遂されるだろう。

問題は、その努力に対してみんながどの程度認識しているかだが、これが又、体験しないと分かりにくいことではある。人は「想像力」だけでは真実の半分も理解できないだろう。願わくば、メンバー全員が彼女たちに感謝の心で接して欲しいものだ。批判は誰でも出来るが、実行は難しいものだ。ただ今午前1時を回っても、彼女たちは仕事をしている。私もメールのやりとりの中でこうしてブログに手を付けたのだが、みんな明日は本業がある。お二人ともお若いからねえ~~。ふ~っ。

 

私の交通事故は、多分スムーズに処理が進んでいるんだろう、と思う。この頃の事故は保険屋さん同士の話し合いがメインらしい。代車で走っているが、他人の車というのはなんとも腰の辺りが落ち着かない感じ。ま、体にたいした異常がないのが不幸中の幸いだ。こういう時に限って車で出ることが多いが、今のところメチャクチャ慎重運転だ。もしや今回のことは神様が鳴らした警鐘だったのか?

2010年3月13日 (土)

災難。

事故というのは全く予想外の形で降りかかってくる。

今日はとある訳ありの同窓会に出かけていた。懐かしい、実に50年ぶりにお目にかかったH氏が、最近まで文○庁に勤務していたと聞かされたことなど、今日の会話を思い出しながら運転していた。二車線あるセンターライン側を走っていると、突然車のお尻近くに派手な音とともに衝撃が走った。一度停車してすぐに路肩に車を寄せて停車。バックミラーで見るとその当たって来た車も後ろに着いてくる。「嫌だな~面倒なことにならなきゃ良いけどなあ~」と思っていると、運転していた若い女の子と助手席の同じ年頃の女の子が降りてきて、「すいませんでした。お体は大丈夫でしょうか?車は?」と聞いてきてくれる。内心、「お!?これは良かった。普通の感覚の子だった。」と胸をなで下ろす。お定まりのやり方で警察も来て、保険屋さんも指示してくれて、「お怪我がなければお互い示談で済ませてください。」と手慣れた様子の警察官に挨拶してその場を離れるまで、ものの20分もかかっただろうか?あまりにスピーディな流れに、なんだか物忘れしたみたいな気分。こちらの車は左後部側面が少し怪我している感じだが、あちらはかなり痛んでいたなあ~。それにしても、後部座席に乗っていたお仲間らしき男性二人も女の子同様ぺこりぺこりと頭を下げ、「すいませんでした!」と声をかけてくれたのは好感が持てた。もしかしたらみんなで車内で盛り上がっていたのかも知れないな~。前方不注意か、運転ミスか、、、。「お互い気を付けましょう」と連絡先を交換して別れたが、時間が経つに従って、どうも首やら腰やら、手首やらが怪しくなってきている。でも、よほどのことがない限りこのままにしておくつもり。「人身事故」となると、またまた面倒なことが起きる。、、ただいま手首にサロンパスを貼っているが、ま、大したことはないだろう。これ以上何も変化しないことを祈って、今宵は早寝するとしよう。

明日は母の遅れ遅れの卒寿の祝いだ。心配させることになりませんように。

2010年3月12日 (金)

又々会議。

会議続き。本日のは本業関係のもので、時間もキッチリ2時間という、ちぇちの会議と比べたら「○」みたいなもんだった。でも行ってみて初めて自分が表彰されるってことが判明。いやあ、永年表彰だからなあ~、感慨も無いとは言えない。考えると間もなく開業して35年が来るわけで、時間の経つのが異様に速く感じられるなあ。それだけ年取ったわけだ。

いずこも同じで女性が多い会議は、どうも男性の声が小さく、発言する男性の必死な様子がにゃんともかんとも。あるお方は言いかけて途中で、「誰も聞いてないから止めよう」と独り言言いつつホントに止めちゃった!!ふひょ~っ。アチクシはこの会議では別に役付でも無いから、その人をフォローも出来なかったが、、、何ともかんとも。

まあしかし、集まって話し合うことで、何かは進行し、何かは解決するもんだ。あまりこの手の会議に参加出来なかったが、これからは頑張って行かなくてはと思った事だ。一応組織の人間だし。、、、。ふ~っ。

会議も悪くない。

ちぇちぃりぁ号が新しい航海の為にいよいよ港を出発した。今度は一度に航路が4つもあるため、少々ドキドキの面もあるが、それぞれの船長がしっかり目配り気配りの上、航路を過たず進めてくれるに違いない。

高松に帰ってから何度目かの会議が今宵も行われたが、確かな手応えを感じたことだ。話し合いを重ねて重ねて、お互いの意見をすりあわせ、調整するが、必ずしも反対の矛先を引っ込めてしまうのではなく、主張は主張として残しつつ、お互いを認め合うという進行は高度な議論と言えるだろう。会議を重ねるごとにこういう事が出来る様になってきたのだ。それはお互いに理解し合えるようになってきたということだ。

10人いれば10人の考えがあり、どれも間違いという訳ではない。どこに重きを置くか、どこにこだわるか、どこが一番心配か、、、、それは個人レベルで考えるべきか、あるいは団体としてどうなのか、、、、そうやって詰めていく内に何をどうするべきかが自然と出てくる。感情的にならずに話し合った結果だ。話し合うということはかくも大切なことだ。

正直、私は内心とても嬉しかった。新しくM氏が参入してきてくれたことも大きいが、彼を中心に無理なく回り始めたちぇちの頭脳が頼もしいから。そして、単に団体の将来を外形的にのみとらえるのでなく、構成員一人一人のハートにまで思いをよせながらの討論は好感度100パーセント!おそらく、側で殆ど口を挟まずニコニコして聞いていた会長も、私と同じ思いだったのではないか!?これぞちぇちの精神だ。全員にスポットを!ということだ。

 

今日のような会議は全く疲れないなあ。深夜に車を駆りながら、本日豊かな気分のおみっちゃんではあった。

2010年3月 5日 (金)

整理と保存と和食。

整理なんてただしんどいだけだと思っていたら、やってみるもんだ!マッサージ機の下から永くお隠れになっていた私の新しい眼鏡が出てきた。この整理も、明日電気屋さんが工事に来てくれることになっていて、必要に迫られてのことだったが、おまけが付いた様に嬉しかった。

たまりに溜まった写真など、みんなどうやって保存しているんだろう?床が抜けるほどあるなあ~。これからは極力CDに保存して、アルバムは作らないでおこうと思うなあ。どう保存しようと、見ない物は見ないんだから。

 

整理作業の前は嫁りんと子供達に母と娘を連れて総勢6人での会食。このお店に限らず、今日は何故かものすごく色んなお店が混んでいた。予約を何軒か断られてふと思い出してある店のマスターに電話してみたら、満席だけど、支店の方なら20人掛けのお座敷がキャンセル出たので、ご自由にお使い下さいという。これぞ願ってもない申しでだった。ちびっ子が間違いなく騒ぐし、うろうろ歩き回るから、そういうところこそ有り難かったのだ。のびのびと美味しい和食を頂き、今日ばかりは嫁りんもいつもよりは少し多めに食べられたようだったのはケッコウケッコウ。二人の子育てでかなりやせてきているから心配なのだが、本人は全く気にしてないようだ。若いってこういうことだ。

 

それにしても久々のちびっ子達との数時間は何もかも忘れさせてくれる素晴らしい時間だった。

2010年3月 4日 (木)

ニーチェとおフランス料理。

新幹線で帰るとなると本の一つも読みたくなる。でも目が、、、で、どこを開いても読めるという仕組みになっている、「ニーチェの言葉」超訳なるものを買ってみた。大変読みやすく現代人にも分かりやすい内容だった。

その中に、「反対する人の心理」というタイトルの面白い文章があった。

「提示されたある案に対して反対するとき、よく考え抜いたうえで確固とした根拠があって反対する人はごく少ない。多くの人は、その案や意見が述べられたときの調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するのだ。このことが分かれば、多くの人を見方にできる方法が何かおのずと知れてくる。表現の方法、説得の仕方、物言いの工夫という技術的なものも確かにあるだろうけれども、それらの上には、技術で及ばないもの、つまり、意見を述べる人の性格や容姿、人柄、生活態度などがあるということだ。」

容姿には驚いたが、まあそういう点もなきにしもあらずか。

自分はこんな名案を提示しているのに、何故反対されるのか?と思ったとき、この文章を思い出せば思い当たることがあると、私も思うなあ。特に口調や物腰、言い方などはかなり重要な要素だと思える。そういう意味では私自身もよく失敗してるなあ。友人なら笑ってやり過ごしてもらえても、関係が希薄な場合、丁寧すぎるということは無いのかも知れない。携帯メールの絵文字がどんどんエスカレートしているのも、もしやそういうことか?

メールと言えば、東京に永く住んでいる友人が必要に迫られて携帯メールを始めたと言う。介護を必要としている義母と夫を残して私のために出てきてくれたこの友人が、メールで帰宅時間をご主人に打とうとしてあまりに時間がかかり遂に諦めた。初めて息子さんにメールして待ち合わせの時間と場所を全てひらがなで打って叱られたという豪傑だから仕方ない。ま、そのうち何とかメールで言ってきてくれるだろうが、今のひどい介護の生活ではそんな余裕も生まれないかも知れない。ホントによく頑張ってる。彼女の住む町も老人ホームは満杯で順番待ちだそうだ。寒くなる話をたっぷり聞きながらのフレンチフルコースは素晴らしく展望の良いレストランで、オレンジ色の東京タワーを眺めながらのものだったが、現実とかけ離れた世界で、彼女にとってはつかの間の癒しの時間となったに違いない。恐ろしくデラックスなこのホテルのロビーは黒大理石が輝き、ゴージャスな外車が次々と現れる全くの別世界。流石首都東京だと感じた一瞬ではあった。

2010年3月 3日 (水)

新幹線も悪くない。

ほぼ半月に及ぶ上京からようやく帰ってきた。往きは飛行機だったが、帰りは新幹線で、こちらは全く久しぶりに乗車した。

空からは期待通り富士山が雪を抱き出現。もくもくと雲を従え悠然とした様は、おお、これぞニッポンの山!と訳もなく嬉しくなったものだ。

新幹線は、以前より座席が広くなって、私でも!リラックスできて楽だったなあ。行きも帰りもそれぞれにほぼ満席で、いつもながら旅する人の多いことだ。

丁度東京に居るときに羽田が濃霧で大変だったが、それに嫁りんと孫達が巻き込まれ大騒動だった。羽田まで助っ人に出動しようか?との問いに、気丈にも、「何とか頑張ってみます」と嫁りんから返事が来て、二人の子供を連れて初めて遭遇した事件を乗り切ったようだ。母は強しか。数時間は空港で立ち往生だった筈だが。

飛行機も良いけど、こういう事があるからなあ~。便利は不便、不便は便利、か。

 

東京ではしっかりおさんどんさせられて、まるで引っ越し屋さんになったような働きだった。こんなにも文化芸術の類に触れずに帰ったのは初めてだった。友人が誘ってくれて一度雅叙園の100段階段ひな人形展なるものに連れてってもらったのと、娘とビュッフェ展を見に行っただけ。帰ったら帰ったで、ムムム。救われない主婦の母の女のさが。

これからおいおいに東京さのことでも書いていこうか。なんせ、帰ってからも時間が無い。

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