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2010年2月

2010年2月18日 (木)

来月まで帰らない予定。

ほぼ半月留守にするにもかかわらず、どこもかしこも「わや」。ま、しゃあない。とにかく時間がなさ過ぎる。ボストンバッグにようやく荷物を詰めこんだが、これからお風呂に入らなくては~って、ただいま午前3時前だ。

今宵は友人K氏を囲む会だったが、半分くらいは同窓生。同窓生ってホントに不思議。何故か懐かしい感じがするんだな~。何を言ってもオッケーみたいな、優しい笑顔があちらでもこちらでも交わされている。偶然出会った人たちだのに、、、、出会いの不思議を感じるなあ。

宴たけなわの時に我が携帯が鳴って、「母」の表示にどきっとしたら、「明日東京は寒いとテレビが言ってるよ」というお知らせだった!暖かくして行けというご忠告だ。まるで子供の修学旅行みたいな心配だ。勿論ありがたいんだが~。

 

明日は仕事で送ってもらえない夫に成り代わり、友人がドライブがてら空港まで送ってくれる。持つべき物は友人だ。

 

久しぶりの東京。楽しみだなあ。

2010年2月17日 (水)

東京は明日雪だそうな、、、。

やっておかなくてはならない事が山積だのに、明後日は上京だ。結局こうして積み残したことが先々自分の首を絞めていくことになる。が、生身の人間には限界がある。今日もやってきた友人が、明日から又介護の日々になるので今日映画に行かない?と言うが、流石に「う、う~~~ん」と返事が出来ない。乗せていってあげたいは山々なれど、貴重な時間が、、、の表情を読んで彼女の方からやっぱり止めようと言ってくれてほっとする。「じゃあ明日ね」と去っていく友の後ろ姿に、あっ、そうだった、明日の夕方からは友人K氏を囲む会があったんだ!と思い出す。なんでも今年やるかもしれない同窓会の話をするそうだが、、、ふ~っ。

 

日中我が家でのレッスン日で、階上から良い声が響いてくる。間もなく発表会とあってみんなの必死さが伝わってくる。難曲にチャレンジしている義妹は今日は殊の外上出来だったなあ~。みんな切羽詰まらないと出来ないもんだ。

 

だんだん声が出なくなってきている。いよいよ風邪か?

2010年2月15日 (月)

会議、そして会議。

このところのハードな日々は筆舌に尽くしがたい。会議と名がつくものもいくつかあり、それがしばしば深夜に及ぶ。一度は我が家で議論白熱したが結論出ず。こんな小さな団体で、こんなスケールのテーマでもなかなか簡単には決着を見ないのに、国会がああなるのも無理はない。

まあしかし、若者達が積極的に議論に参加してくれるのは、側で聞いているだけで楽しい。それがどんな内容であれ、若者特有の価値観や意外に古い倫理観などあり、なかなかに面白い。将来的には彼らが中心になるべき団体なんだから、基礎的なところから思想を練り上げて欲しい物だ。そう、実際我々オバタリアン世代にとっても新鮮な考え方ってものが出てくるもんなあ~。

 

そして昨日はと言えばメンバーの結婚式にお呼ばれしたのだった。想定外の緊張を強いられる披露宴で、スピーチは彼側から偉い方がお一人のみ。あとは私でしどろもどろの見苦しいスピーチと成ってしまった!グスン。前もって考えていたが、新婦から盛り込んで欲しいと言われた部分などつなぎ合わせようとしてかえっておかしな事になってしまった。その上、次々と出す受け狙いの言葉が全て無反応で、さっぱり!この私があんなに緊張するとは!?ってえくらいの物だった。あれで歌うことが無かったらショックから立ち直れなかったかも~。

まあ歌はケッコウ上手く行ったと思う。演出も予想外に受けたようで、ここで初めて全体が盛り上がった感があったのはまあ良かった。新婦のご親族にプロの演奏家が居て、うるうるでのお礼の言葉をかけて貰ってようやくほっとしたことだ。

新婦から心づくしの二次会用のチーズやワインまでお土産に頂いて、参列者が会長宅へなだれ込み、延々深夜まで飲んで、、、おおここでも議論だった!しかし、この議論はケッコウ有意義な物と成ったように思うが、どうだろう?あれだけ飲んだにもかかわらず、みんなしっかりした頭脳でチャンと話し合えたのはすばらしい(自画自賛の域を出ないが)あのウコンは効くなあ~。

しかし、いざ帰宅しようとしてもこのご時世の午前2時、流しのタクシーなんか走ってない。結局は電話で呼んで2カ所を回って貰う羽目に。遠い方の我が家に向かう車中では、運転手さんとの四方山話に花が咲く。みんな大変な中お仕事してるんだ。

家の鍵が閉まってるかも知れないからちょっと待ってて下さいとタクシーを降りたりしたが、めでたく開いていてやれやれ。後は前後不覚。足がつって朝方目が覚めたという次第。アルコールと関係アルのかなあ?

 

でもって今宵は定例の練習日で、M氏のレッスンも受ける。帰りの車の中でT君が、「今までになかった部分を教えてもらえて嬉しいです」と感想を述べていたが、確かにこういう点の指導者が欲しかった!これから少しちぇちも変われるか!?

 

昼間のシャンソン教室でどうやらフェリーが宇野までの運行を取りやめるらしいことが囁かれていた。となると、あたしゃどうなるんだろう?岡山から気軽に参加してきていた人々も、ちょっと困ったことになるやも知れぬ。ま、全ては成るようにしか成らないが、、、。

2010年2月12日 (金)

ロック。

かねてから一度は聴きたいと思っていた知人のライブに出かけた。中年のおばさん三人組で、そもそもロックのライブに行こうと思ったのが間違いの元。

まずは最初に(!)着いたところは、「へえ~こんなところにこんな場所があったんだ~、、、」てなところ。二階への螺旋階段を上がりきりドアーを開けるやいなや、カウンターに止まっていた数名の中年男性から一斉に見られる。ワンドリンク1000円です、と言われ、それぞれに注文。乾き物でちびりちびりと飲み始めるといよいよ最初のシンガーが歌い始める。「女性が来るとは聞いてなかったので、いつもよりもっと上がりそうです、、、」なんぞと気の弱い発言のあと我々にも懐かしい昔流行ったフォークのようなポップスのような音楽が流れ始める。なかなか良いお声の人で、ギターを間違えると、「あっ、間違えた!」と言いながら歌い続けるのもご愛敬。

しかし、この人の曲を聴きながら何となく変だなあ??と胸の内がゾワゾワ。お目当ての歌い手にメールしてみる。「ら・○○○ですよね?」しかし返事がない。これはもしかしたらやばいかな?と思いつつ聴いていたが、不安が募り思わずYに「もしかしたら間違いかもしれない、、、」と打ち明ける。おろろいた彼女はTに耳打ち。そうこうしているとそこのマスターらしき人が現れ、「ようこそいらっしゃい。どなたかのご紹介ですか?」と聞かれる。、、、間違いに気づき、「すいません、又来ます!!」と叫びそのお店を脱兎のごとく飛び出すのに3分とかからなかった。雨の中を歩く速度で走り、それとおぼしきところに飛び込む。入り口に知り合いのシンガーが立っていて、「今彼は熱唱中ですよ。」と教えてくれる。階段を下り切りドアーを開けるとなるほどK氏の熱のこもった歌声が聞こえてくる。「お、なかなか良い声じゃん!?」と思ったが、何しろ座る場所がない。ぐるりと厨房を取り巻いたカウンターは既にいっぱいの人。その後ろにも長いすやら何やらが置かれていたが、全て満席。ずっと立ったままで聴くのかと少々心配になった時、席を譲ってくれる人がいたりで、何とか座れた。が、肝心の彼の姿は結局一切見えずじまい。

ここで一つお勉強になったのは、歌は姿が見えないと良さが半減するってことだ。、、んん、これはなかなかの深い発見だったなあ~。

で、そのK氏もえらく心配してくれて、最初にシャンソン歌ったんですけどねえ~などと言ってくれるが、勿論それを聴きに行ったつもり。まあ簡単に言えばアチクシのドジでこんな顛末になっただけのこと。ふ~っ。

でもってこの日のおおとりは大阪のロック歌手だったが、まあ、オペラが分かんない人がいるように、この手の音楽も分かんない人には分かんないのだった。連れの二人は我慢して聴いていたが限界に来て二分の休憩時間中に出ると言う。まあ好みの問題だけはどうしようもない。あたしゃまだワインが残っていたが仕方がないので一緒に帰路につく。

私はカウンターに置かれていた水槽の中に居た大きな金魚が、音楽に合わせてエラをひらひらさせながら楽しげに泳いでいたのに見ほれていたが、、、。まあ我々はその金魚以下だったということか。

 

そもそもこうした間違いが起きるのは訳がある。あまりにバタバタして出かけるからだ。出る前に頂いたメールチェックもせず、気になりつつ「歌の合わせ」に先に駆けつけ、やることをやってからあちらに回ったのもその原因。パソコンに来たメールをメモしておくべきだったのに、それを怠ったのも原因の一つ。とにかく忙しいとろくな事にならない。以前はあまりなかったことが起き始めたなあ~。

2010年2月 8日 (月)

リサイクルショップ。

母の買い物に付き合って、友人の母上ともおデイト。二人の老婆が仲良く語り合うのを我々次世代老婆がほのぼのと眺めているの図が二時間、又お会いしましょうとにこやかにお別れして、今度はリサイクルショップへ車を回した。目的があってのことだったが、それ以外にもものすごい数の品物が展示されていて驚くばかり。何でもあることに母もしきりに感心している。、、、こういう商売は確かにエコが叫ばれるこのご時世、とっても良いことで、大いに繁盛して欲しいと思いつつ、、、、何だろう、何となくどんどん買いたいと思えないのは何故か?と考えながらとっかえひっかえ洋服を試着。一つには、過剰包装に慣れてしまった習性のおかげかも知れないなあ。パッケージが美しくないというそれだけで手が伸びないのはそういうことだろう。で、展示の仕方にも違和感がある。安いものだから手間をかけられないのは致し方ないと理解しつつ、、、、。なんてこと考えてた割に、結局はコートとバッグとジャケットを購入してきた。今日は偶然キャンペーンだとかで総額4千円にも満たない額に唖然。ある種宝探しのような気分で楽しんできたのだ!(なんのこっちゃ)レジで、「何か不要なものがありましたら、是非お持ち下さい」と言われて、な~るほど。持ち込むってえのもありだなあ~、とすっかりその気になっている。いや、確かにこの商法はグッド!!物が溢れかえっている日本。ボランティアで海外に持って行くにも、施設に持って行くにもおニューでないとダメだと聞く。きれいに見える一手間かけて、リサイクルでも良いんじゃないかなあ?展示されているブランド物の洋服なんか、きっと購入者が飽きたかなんかで、別に破れたとか、汚れたとかでないんだからねえ。洋服さんが喜んでくれるってもんだ。ここにも「価値観」の違いがあるんだろうけど、そういうこと言ってられない時代が来るかも知れないなあ。

2010年2月 7日 (日)

禅は善。

104歳の永平寺の高僧が、「禅」について色々語っていたのを偶然テレビで見たが、とてもその御年とは思えないかくしゃくぶり。あのように頭脳明晰でいられるのも、修行の結果だろうか。「自然は立派だ。時が来ればそのときに必要なものを咲かせて、それを褒められようが褒められまいが、又時が来れば枯らして去っていく。」「修行とは、真っ直ぐに生きることです。真っ直ぐとは、心が真っ直ぐ、姿勢が真っ直ぐ、、、、生きることそのものが真っ直ぐでなくてはならない。」含蓄のある言葉が次々とその唇から放たれ、テレビ画面とはいえ、私には「私に語ってくれた」という思いがしたことだ。この収録は何年か前のものらしかったが、今もお元気なのか?残念ながら予定の時間があり、途中でスイッチを切ってしまったが、何とかもう一度みたいもの。

毎年、かなりの若者がこの禅寺を修行のために訪れるらしいが、こういう所は永永と続いて欲しいところだ。というか、そうして厳しい修行の門を叩く若者がまだ日本にも大勢いることに安堵感を覚えた。彼らの修行は一人彼らの為だけではないのだ。一人の雲水が多くの人の悩みや苦しみを解くことになるのだから。

それにしても、こういう場所に女性が存在しないのはどういう意が、、、?女性は所詮そのような修行には向かない、ということか?まさか穢れ多きものだから?

 

今日は公演に来てくれた県外の方を3人ほどお招きしてランチタイム。いずれこの方々と共演出来れば、、、な~んてことも視野に入れての会食だ。総勢8名は時間の経つのも忘れ大いに和やかにお喋りとなる。そこでアル男性がおもしろい表現をされた。「人の会話には、運転の時のハンドルさばきのような遊びが要る。」

公演時の人間関係に話が及んだ時のことだったが、年齢層がかなりある我が団体においては、みんなが心しなくてはならないことだろうと、全員合点したことだ。

永平寺での修行にはほど遠いが、こうして我々も日々何かを得ながら暮らしている。

2010年2月 5日 (金)

Sさんの結婚。

メンバーの一人が間もなく結婚する。式に参列させてもらえるのが嬉しく心待ちにしていたが、、、本日1曲歌って欲しいとの依頼を受ける。アリアを指定までしてくれて、、、あと10日しかないのにだいじょうび~って感じ。

近々声を使う予定が無くて、内心「ああ、声のことを考えない暮らしはなんて自由なんだろう!」とほっとしていたところで、思わぬ伏兵に油断大敵を思い知る。又今日から喉を守らなくては、、、。たっぷり飲めるようにバスまで回してくれるというのに、これでは沢山飲めないじゃないの!?なんちゃって!

 

このところのテレビニュースではやたらめったら、「信じる」という言葉を使う人が出るが、それは信じるではなく、信じたいの間違いだろう、と思うことが多い。国会しかり、相撲界しかり、事件現場でも、、、。そもそも人が人を信じるということは、簡単なことではない。「走れメロス」ではないが、命がけで信じることが真の意味の信じるだと思う。そして信じるは愛するに繋がるだろう。

今回結婚するSさん、これからこの「信じる」と「愛する」をその手にしっかりと掴んでくれるようになるといいなあ。

2010年2月 2日 (火)

体力勝負の日々。

昨日はいよいよ来年となった50回記念演奏会の選曲会議。往復の時間を入れると7時間近くの拘束となった。集中して検討するのはホントに疲れる。結論が出なかったのも疲れた原因の一つだ。

同行のM氏のおかげで新鮮な流れが出来て、このところ混迷を続けるこの団体に光がさして来たかに思える。が、きっとM氏はある種の緊張を感じておられるに違いない。お気の毒だが、これも何かのご縁。あまり色々考えずに思いっきり関わって頂きたいものだ。物事は、成るようになる。成るようにしかならないのだから。何がどうなろうとも、あなたのせいではありませぬ、、というのが、ちぇちのメンバーの共通認識だろう。むしろ、飢えた植物のように新しい水を得る喜びを感じているに違いない。今宵の練習時の成果がそれを物語っている。指導によって美しくも醜くもなるのが声であり合唱なのだ。

 

ちぇち練に行く前は全精力を使って不要品の大物を外へ運び出す作業をしていた。一人でこうしたことをするのが普通になっているが、我ながら男らしいではないか。オーディオセットの棚から3段ボックスその他、5個も捨てるのだ。しかも奥へ奥へとしまい込んでいたものだから、出すだけで相当の力が要る。腕がしびれ、全く食欲がなくなるまでやってから大急ぎで出かけたのだが、明日は晴れたらこれを処分しなくてはならない。すれ違うように帰宅した夫が、呆れながらもおありがとうございと頭を下げてくれたもんだ。例を言うなら手伝って!だ。

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