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2009年11月10日 (火)

雨が降る、雨が降る。みんなの心に雨が降る。

 本日は主役のみの練習。といってもロザリンデとアルフレードの濡れ場のみ、だが、、、。これが簡単ではない。 大体日本人はラブシーンが苦手。プロと呼ばれる人達でもこちらが恥ずかしくなることもケッコウあるくらいのものだ。 まあ最近の若い人は上手くなってきているが、昔の映画なんかこっぱずかしくって見られたもんじゃない、ってえのもたくさんあったもんだ。 外国の映画を見ていると、ホントにスマートで、小さい頃からスキンシップで育っている人種の違いを感じる。、、、おまけに、 今回は日本人中の日本人、というか、芝居そのものに恐怖感をさえ抱いている人がやろうとしている。 特別に時間を取る必要がどうしてもあったのだ。

 成果は、確かにあった、と思う。次回の練習でみんなの前でやってくれるときのみんなの反応が楽しみだ。「恥」 のはの字も見せないでやって欲しい。それ以外に特効薬はない。

 

 あっという間に3時間が過ぎて、雨の降る中を帰ってみると夫が勢い込んで、「捕まった!」というので、思わず、「どれが?」 と叫んでしまった。だって、怖い事件が次々起きるこのご時世。にわかには分からない。「あれ、あれ、、、、」 と名前が思い出せない夫よりもいち早くニュースの画面が目に飛び込んで来た。

 整形逃げまくり男の逮捕劇が、事細かく報道されている。どうしても画面に釘付けになるが、心の底にズシンと重たいものを感じる。 きっと彼も捕まってホッとしているのではないか。2年7ヶ月。生きていたと言えるのか?それだけ厳しい刑期が延びたというだけだろう。 一番関心を持って見た画面は矢張り彼の両親のコメントだ。取り乱すことなく、出来る限り冷静になろうと努力している様子が理解できた。 この人達の2年7ヶ月はもしかしたら当の本人より残酷だったかも知れない。もし我が子がそんなことをしたら、、、、そう思うだに恐ろしい。 どこかでボタンの掛け違いが起こり、あのような残忍な犯罪者が育ってしまった、ということに、親として何が出来るか。 画面でしか推し量ることが出来ないが、まさしく「自分を捨てて」記者達の前に姿をさらしている。あらゆる感情的なものを排除して、 質問には全て答えるという姿勢。「勇気がある」と吾が夫は言うが、私はそこに勇気と呼べる以上の「ねばならぬの強い義務感」と、 「当の被害者のみならず世間に対する謝罪」の姿勢を感じた。親として出来うる限りなんでもする、という姿勢だ。

 しかし、それにしても殺された女性は、本当に美しい人だった。そのご両親の癒されない悲しみは想像を絶する。 「私たちは娘の死を乗り越えられないと思います。」という父上の言葉は、この事件の大きさ奥深さを感じる。いやいや、 何もこの事件だけではない。身近にも坂出出身の女性がバラバラに山中に捨てられていたわけで、これも全く同じことだ。 世の中で起きるこのような猟奇事件は、本当に後を絶たない。人間とは救われない存在だ。

 

 

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