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2009年7月

2009年7月30日 (木)

ああしんど~・・

 日々、余りに疲れることが多くて、夜になってここにカキコする体力気力が残ってない。今日は朝の仕事前に書いている。 予約客が来るまでの間の時間だが、実はまだ完全に目覚めていない。さっきシャワーを浴びたが、それでもぼ~っとしているのは重症かも~。 又酸素カプセルのお世話になった方が良いかも~。

 

 昨日は衣装を完成させるための布を探しに衣装係の3姉妹と出かけた。なかなかイメージに合う物が無いし、あればお高いときている。 なんとか、買ってきた物を工夫してやるしかないだろう。、、、衣装は大切だ。が、この衣装合わせのスケジュールも大変だ。その上、 セリフの練習スケジュールが重なってくる。私の手帳はみるみるうちに埋まってくる。なんだか恐ろしいくらいだ。今夜はFM収録。 明日はパーティ。明後日は打ち合わせ。次はセリフ練習。次は定例練習日。次は我が家でのレッスン。次は衣装合わせ、、、、 と毎日毎日本来の仕事や家事の上に乗っかってくるわけだ。、、、本番まで持つのだろうか?

 という思いの中で昨日は長年の友人Yさん夫婦の訪問を受けた。我が家の近くに勤務している彼らの可愛い一人娘Tさんが話題の中心。 幾つになっても親は子を心配する。Tさんの抱える悩みが即ち親の悩みとなっていて、迷路にはまりこんでいる感じ。 順調に留学も果たし立派な会社にも就職出来、順風満帆のはずが、 ありがちな社内の人間関係やシステムの中での軋みがTさんを襲っているらしい。タップリ親の悩みを聞いたあとで、 勤務を終えたTさんがやって来る。少しずつ話を聞き始めるが、ご飯を食べながらも泣き出す始末。しかし、徐々にほぐれてきて、 人生の先輩面した我々夫婦の話を聞く内に段々落ち着いてもきた。、、、きっとこんな悩みを抱えている若者は大勢居るんだろう。 彼女はまだこうして親に話すことが出来ているが、それも叶わない人も居るだろう。、、、生きにくい世の中になってきているんだ。

 生きにくい理由の一つは、世の中が一見「自由」であることだろう。表だった縛りはないが、だからこそ自分で考え自分で行動し、 それが批判にさらされる。本人は心の中で大いに悩み葛藤しているが、それを外には出しにくい。悶々としている内に身体に来る。 やがては自分を全否定してしまうようになり、落ち込み動けなくなってしまう。

 しかし、彼女の場合案外簡単に解決できるのではないかと思った。なぜなら、Tさんは海外に一人で出かけ、 自分の足でちゃんと動けるのだ。むしろ海外での自分の方が解放されて楽しいと感じるらしい。これは凄いことだ。 まあ言葉に不自由しないということもその大きな理由の一つだろうが、自分を飾る、あるいは守る何ものも無い海外で、 自分の足で立つことはもの凄い孤独との闘いだから、彼女の芯の部分にはそういう強さがあるんだろう。一人っ子で甘やかされて、 良心の愛情をた~っぷり受けて育つ彼女を見ていて、大丈夫かなあ?と多少心配したものだったが、無用の心配だったか。 今は27歳にもなった大人の女性だ。

 

 なんとこの後チョー忙しくて今午後11時前になってようやくパソコンの前に座れた。今日はここを埋めるのに一日かかったってことだ。 ふ~っ。

2009年7月26日 (日)

大雨のあと。

 昨夜は母が外泊の為実家に泊まり込んだが、あまりの静けさと涼しさでぐ~っすり眠り込んでしまい、 夜中に母がトイレに2度も起きたのに全く気付いてない。何のための添い寝だかさっぱり分かんない結果に。畳敷きの広々とした部屋で、 庭のそよ風を感じながらの睡眠はかくも幸せなのだ。日頃薬を飲んで寝ることが多いこの頃だのに!

 退院前の練習外泊だったが、所在なげにベッドに居る母は、「家にいると落ち着かない。病院の方が落ち着くみたい。困った。」 などという。だから私は言ったものだ。「それって、ショーシャンクの空でとかいう映画の中で、 囚人が出所しても社会生活に馴染めずもう一度強盗でもして刑務所に舞い戻りたい、っていうのとおんなじだわねえ~。」そして二人で大笑い。 全く、刑務所と大差はない、というのが母の感想だった。しかし4ヶ月。よくぞ頑張ってくれたものだ。100%とはいかないが、 ぼけずになんとか行けている。、、、そんな母の脳を刺激するために、病院に舞い戻る前にチョッと海の方にドライブした。 私自身が大昔一度通ったくらいの知らない道に母は興奮気味。思いがけず広々とした道路は雨上がりのせいで街路樹が青々として美しい。 人の気配はなく、倉庫が建ち並ぶばかり。いつもと違った角度から屋島を眺め、父を伴って花火大会にこの近くまで来たことを語り合う。 造船所では間もなく仕上がるらしい大きな船が見事な船体をさらしている。ほんの1時間ばかりのドライブでも、 少しリフレッシュ効果があったようだ。、、、こうして、母はあと三泊の病院生活に戻っていった。

 

 今日はある若き音楽家と話をしたが、音楽の話は止めどがない。自分でも、 「僕は音楽の話が出来る人とでないとコミニュケーションが取れないんで、それを克服したいんです。」という。 何事にもまっすぐな性格なんだろうが、まあ、社会に適応は難しいだろう。しかし、こと音楽、 それも声楽のこととなると次から次へと面白い話が飛び出してくる。、、、彼は気付いてないのだ。音楽の事は別に独立させて考える必要はなく、 生きること即ち音楽することだということに。だからそのコンプレックスは角度を変えれば克服できるということだ。彼のような人こそ、 ちぇちの一般ピープル達と話すことが必要だ。是非仲間になって欲しいもの。とにかく、ちぇちぃりぁという場所は、 若者が沢山集まる場所になって欲しい。その為ならば、喜んで裏方をしたいと思う。

2009年7月24日 (金)

会議。

 会議会議会議、、、。疲れた。様々な問題点が上げられ、一つ一つ検証していく作業は、まあ若者達の参加で大いにはかどったが、 それでも疲れることに変わりはない。なんだか積み残したものがあるような気がして落ち着かないが、、、。一つ演奏会をやるとなると、 様々な事が起きてくる。それが3ヶ月足らずの間に二つあるわけで、こりゃあ大変だああ~。ま、ちぇちの体力気力で勝負だなっす。

 

 

2009年7月23日 (木)

FM収録。

 今日のFMはケッサクだった。中学1年の男の子で今回のオペレッタに出てくれることになっているK君とやったのだ。 私の運転する車の後ろで、やたら緊張しまくっていると思ったが、 実際収録を始めると昨日から作文していたらしい言葉を必死で探りながら受け答えしてくれる。出来るだけ普通の会話を録りたい私は、 せっかく彼が作ってきたものを壊そうとする。その都度多少逡巡するものの、すぐ立ち直って明快に答えるなかなかの根性の持ち主。 これなら舞台も大丈夫だろう。ミキサーのAさんも笑いを堪えるのに必死。終わっても感想は「面白かった」である。 良い経験になったのかも知れない。しかし、「オペラを歌ってみたいと思いませんか?」という問いに速攻で、「いえ、ありません。」 と答えるあたり、素直というか、面白いキャラだ。いやあ~愉快だった。

2009年7月22日 (水)

自然の明と暗。

 防府市が水害で大変だと連日ニュースで流れている。水害の恐ろしさは近年いくつか経験しているが、死者が出るほどのものは、 こちらでは余り無いため、画面に見入ってしまう。いずれ我が身、かも知れないではないか。まあ、近くに崖はないけれど、、、。

 丁度今、種田山頭火の伝記を読んでいて、偶然にもこの土地の名前が私の脳裏に刻まれている。防府は彼が生まれた土地で、 晩年にボロボロの虚無僧のなりで生家辺りを歩いたそうだ。彼が幼少の頃までは大きな庄屋で辺り一帯がその所有物だったそうだ。母親の自殺、 それも自宅の井戸へ投身自殺したというショッキングな事件が、当時11歳だったという彼に与えた多大な影響は、十分理解できる。

 昔から訳も分からずこの山頭火が大好きだった。うんと若い頃は、「こうして何も持たず、ただ歩き続けるだけで、 人間は生きていけるんだ。」という点に興味を持った。そうした生き方にあこがれに似たものを感じたと思う。、、、その後、 少しばかり世の中のことや人生というものが分かりかけて来た頃、山頭火の「旅」が、人生の歩き方と同義だということに気付いた。 彼の作品に再び接したとき、彼が辿った道の折々に作った作品に深く頷くばかりであった。「人生は淋しい」「どこまでも一人」 といった内容の歌は、別に彼のように放浪の旅をしなくても人生の旅路で誰もが知りうることだ。それを彼の作品が明確にしてくれる。 どこまでも時雨れていく中をひとりぽっちで歩く山頭火の後ろ姿は、即ち我々の姿だ。死に向かって、毎日歩き続けるのが人間だ。

 その防府。今は大勢の人が流されて、又自然の脅威を思い知らされている。

 自然と言えば今日は皆既日食。母を入浴の日で病院で看護士さんから、「見えますよ見えますよ」と声を掛けられたが、 結局闇が晴れていく瞬間を感じただけで終わった。テレビに7回も見たという100歳のおじいさんが出ていたが、その言葉に驚いた。 「これが最後かも知れないが、出来ればもう一回見てみたい!」お~モ~レツ!

 衣装の作製にH村に行って3姉妹と頑張ったが、なんでもこちらでは、この皆既日食を「下」を見ることで鑑賞できたそうだ。 みんなが上を見上げている時刻に彼女たちは庭の木漏れ日が三日月型に揺れているのを見て感動したそうだ。残念!それは見てみたかった!

2009年7月21日 (火)

大雨のコンコンチキ。

 今日は大雨で、全国的だったようだが、そのためにあたしゃが~んと打ちのめされて起きあがれずに、 歯医者さんの予約を勝手に2時間近く遅らせてしまう。それでもやって貰えてラッキーだった。ようやく口の中がととのった感じ。

 ところが帰宅してからも全くからだが利かない。マッサージ機でちょっとやってもみたが、、、、 もしや昨日のマッサージの後遺症というか、余韻かなあ~?やたら身体が重い。(もともとじゃん?と言う声が聞こえる)

 

 しかし、夕食の準備から始まって、やるべき事はいっぱい。その上に短歌だ。ようやく送れそうだが、、、疲れた。

2009年7月20日 (月)

クタクタ。

 疲れたび~。今日は美容技術選手権大会なるものがあって、公演のヘアーのヒントが貰えるかも、と出かけてみた。 若い人の感性を頂こうとの狙いだ。まあ、期待通りにいくつかの作品が参考になったか。 今度はいろん面であり得ないような事にチャレンジしたいと思っている。その為にはこういうコンテストが一番だ。

 で、とある会談に出かけたが、こちらの期待通りの結果が出るかどうか、、、、期待したい、何が何でも、、、。で、 余りに疲れたのでマッサージのお世話になっていると、県外にお出かけ遊ばしている夫からメール。確か明日と聞いていたが、 これから帰るとのこと。あっちゃ~、結局は家に帰らなくては、、、となって、しわ寄せが夜の練習と母の病室にいっちまった。 どっちも遅刻である。

 それにしてもあのマッサージ師のおじさんは呆れていたなあ。よくもまあこれだけ凝っていて何ともないんですねえ。いや、 何ともないことはない。けど、さいわいなことに頭だけは痛くならない。

 

 ちぇち練は自分の進退がハッキリしてないため、かどうか?乗り切れず、残念!!

 

 で、またまた今夜も丑三つ時まで、無い頭をひねっている。数だけ揃った短歌だが、、、、さて。

 

 

2009年7月19日 (日)

うんざり

 只今丑三つ時。短歌が出来ず夜の闇に苛ついている私。闇は頭の中だ。急に降り出した大きな雨音さへもカンに障る。 やらねばならないことに気が向かないというやっかいな性癖に、自分自身が悩まされている。自分の発想ならばどんなことも楽しいが、 締め切りに間に合わせるとかってことになると、途端に他のことがしたくなる。といって、じゃあ締め切りが無ければやれるか、 っていうとこれが又ダメなんだなあ~。やれやれ。

 母が外出日で、夕食は我が家でと決め弟夫婦と4人での食事。良く笑いよく食べ、母もご機嫌だったのは何より。 門限が8時なのでそれまでには病院に帰っていったが、楽しい時間だった。後少し、みんなで頑張らなくては。

 

 お嬢がなんでも大風の中、豪華ヨットでクルージングというスリリングな体験をしたそうだ。ニュースでは同じく大風の為、 山で遭難しているらしいが、お嬢達は無事で良かった。聞けば大波は数メートルとか数十メートルだかも上がり、 波のポケットに入ったら生きた心地がしなかったそうだ。だのにマストの先に昇り歌を歌ったと言うから、やっぱりアチクシの娘だ。 冒険の血が騒ぐってところだろう。

 

 寝よ。

2009年7月18日 (土)

観劇。

 三浦綾子原作の「銃口」という演劇を見に友人のYを誘って出かけた。一幕は80%寝た。休憩時にぱちっと目が開き、 それを言ってYに笑われたが、これはむしろ小説として読んだ方が良いような気がした。くどくどしい描写は時折目を開けても、「あ、 まだそんな事やってるの?」と再びまぶたが重くなるという繰り返しだった。Yが言うには「アンタはまだお腹の中にも居ないからよ。 私でも2歳だもんね。」いやあそんな物じゃない。この手の作品は過去にもいくつも見てきたが、その都度感動したものだ。 今日のはどう考えても演出上の問題だ。ところが、二幕になって、がらっと違った展開になり、俄然芝居として面白くなった。 眠るどころか身を乗り出しての鑑賞となった。時々は涙さえ頬を伝い、隣のYもしゃくり上げている。見終わった感想は、「良いお芝居だったね。 」だったのだ。びっくり。

 結果的にこの作品のテーマは、私にとっては大変興味深いものだったということだ。モチロン自分自身戦争体験は無いわけだが、 人が人を殺す、という作業が与える感情について、それなりの想像はしていた。戦時下でも、 命令に背き自ら銃刀での殺戮を行わなかった人も居たのではないか?というのが、私の持論で、実際に手を下すのと、殺そうとするのとでは、 「罪」という点で全く違うと思っている。、、、それが、今日の作品の中でハッキリと描かれていた。罪がない人間を、 命令されてもどうしても殺せない人が、今日の主人公だった。

 シェイクスピアの「ハムレット」の中で、義父の祈る後ろ姿にハムレットが剣に手を掛けながらも殺さなかった、という場面。 クローディアスが兄を毒殺したことを懺悔して神に赦しを乞うため祈ろうとしてるのだが、矢張りそれは出来ないと、 一度折った足を再び伸ばすというこの場面。自戒や自責の念を持っているからと言って、クローディアスの罪が、人間が誰でも持っている「原罪」 と同じとはとうてい考えられない、というのが私の考えだ。だから、ここでクローディアスの長々とした反省の弁(独り言)は、 文学的に高い評価を得ているらしいが、それは「詩」としての価値はそうでも、この独白が「人間の本質」 を語り尽くしているというのとは違うような気がしている。私から見ると、この独白は偽善者の独白と思えるのだ。

 その証しのように、今日の芝居は展開された。と思う。人間は、正しくあろうとすればそうあり続けることが出来る。どんな時代でも、 人が人を殺すことはあってはならない。、、、完全な「反戦の芝居」だった。

 なんといってもプロのお金を掛けた舞台は見応えがある。今日は、作家の作品を象徴して、 舞台の上に厚みのある大きな原稿用紙様の舞台がセットされ、これまた大きなペンが添えられたり、それが回り舞台で使われたり、 かなり凝っていた。今日もエッセンスいただき~の巻き。ホントに舞台芸術は面白い。

 

 行く前に我が家で「冷麺」と「餃子」と「自家製の茄子とキューリのカラシ漬け」などでたっぷり夕食を食べてから出かけたのも、 眠気を誘う一因だった。帰りは温泉に行き、再び我が家で「一服」して、今度はヨーグルトに桃に、 残った餃子であたしゃビール一缶をあれ以来恐る恐る頑張って飲む。別に頑張る必要も無かったが、 このまま一切飲めなくなるのもしゃくだったので、ちょっとテスト。今のところ胃に収まっている感じ。やれやれ。 夫が留守の二日目はこうして夜も更ける。いつ帰ってくるんだったかなああ?忘れちゃった。んん?

2009年7月17日 (金)

新人演奏会。

 今日の演奏会は寝るなあ~と思いながら出かけたら案の定しばしば眠った。それもあり得ないことに歌の時だ。 楽器と歌が交互に演奏されたが、いままでこういう事はなかった。何はともあれ歌の時に寝るナンテ事は今までほとんど無かったと思うが、 今日は妙に眠くて仕方がなかった。夕べは薬を飲んでグッスリタップリ眠ったはずだのにこれはいったい、、、、?

 それはともかく、矢張り演奏会で歌と楽器が聴けるのは嬉しい。特にマリンバのような余り聴く機会のないものは新鮮で面白かった。 大ホール1階席を埋め尽くした観客の前での演奏は、かなり緊張しているようだったが、 一音出すとみんな落ち着いて練習の積み重ねが感じられた。新人演奏会といえども力のある人ばかりの演奏で、 聴衆の拍手も応援してますよという暖かい物だった。いつも思うことだが舞台と客席は双方で音楽を作るのだ。

 しかし、まだ携帯が鳴るなあ~。私の隣の人はバイブ音が気になったし、この私はといえば、 大事なところでバッグから携帯がぽろっと滑り落ちて、「ガッチャ~ン」と派手な音をたてる。瞬間とはいえ冷や汗ものだった。 今日は咳が出ないなあと思ったらこれだ。携帯事件は後を絶たない。

 

 で、帰ってからにゃんとなく疲れ気味で、ふとテレビをつけると「エクソシスト」をやっていてつい見てしまった。が、 あれはキリスト教信者には面白いかも知れないが、そうでない人間にはど~ってことない話だなあと改めて思った。 昔映画館でも見た記憶があるが、時が経ってもこの感想は変わらないなあ。ずっと「四谷怪談」の方が怖いと思うなあ。

 天候のせいもあるのか、疲れやすい。が、昼間は台本の最終稿に向けて打ち合わせたり、あれこれ公演に必要な用事に振り回されていた。 まあ疲れるのは当たり前かも知れないなあ。

2009年7月16日 (木)

だるい。

 ようやく母の退院のめどがたってきた。これで少なくとも母の悲しげな顔を見ることもなくなるだろう。 しばらく通院生活が続くにしても、娑婆の生活が楽しいに決まっている。人生の終焉まで幸せであって欲しいものだ。

 

 今日は会長レッスンが我が家で行われて、新人さんの声も聞こえてきたが、なかなか将来性のある声質だった。 まだまだ舞台で十分活躍出来る年齢だし、頑張って貰いたいものだ。経験者でもあり、即戦力となりそうなのは有り難い。

 

 舞台のイメージ図というのは大切な物だ。これによって衣装が決まってきた。、、、面白いことになりそうな予感が、、、。

 

 短歌のたった1首が完成しない。どうも向いてない感じ。盛り込みたいことが無いというのでもないが、なんだかモードが声を出す「歌」 から切り替わらない感じ。やっかいなことだ。ま、色んな時があらあね。

 

2009年7月15日 (水)

海はいつまでも見ていたいなあ~。

 今日は芥川賞と直木賞が発表された。が、街の人のインタビューではあまり関心がない人が多いようだ。かくいう私目もその一人。 ある時その賞を取った人の作品を読んでガッカリして以来、むしろその賞が付いた本は買いたくない症候群だ。 そもそもこのところ余り小説を読まなくなった。読みたいという欲求はあるが、視力が衰えていて、夜電灯の下では読みにくいことはなはだしい。 一度ページを開いたら最後まで読まないと眠れなかったが、この頃では数ページ読んで睡魔に襲われることも多い。眠くならないまでも、 長時間メガネをかけて探りながらの読書はホントに疲れる。てな事情で複数の本を同時進行で読むことが多くなっちまった。信じられない。で、 昨日帰京する娘を送っていく途中、今読んでいる内の一冊の説明をしたところメチャクチャ怒られた。彼女曰く、「普通、 途中までしかしらない本の内容を説明する?」と言うのだ。「そんなことされたらフラストレーション溜まりまくり!気分わる~」というのだ。 そうかもしれないなあ。フフフ。でもそれは哲学の本だから、ちょっこらちょいと読み切れるもんじゃない。説明しながら考えてるわけで、 あたしゃ反芻しているつもり。、、、などなど言い訳したりなんかしてると、ふと娘が言う。「ところで哲学って何?」、、、「、、、シ~ン」 で、この会話はジ・エンド。

 それにしても娘と海を見ながらランチを食べたのは気分が良かった。 このところ良く通っているので顔なじみになった感のあるウエイターがとても愛想良くサービスしてくれる。時間的に遅い時間に行ったため、 ナント残ってるフルーツやデザートは「よろしかったら、、」と全部持ってきてくれる!!「えっ!?」と絶句したにもかかわらず、 殆ど食べてしまった!二人で大笑いしながら別れの時間を楽しんだというわけだ。ま、 お互い良いところもそうでないところも知り尽くしている関係だ。話すことも終わりがない程たくさんある。 娘は結局予定より30分遅らせて新幹線で帰っていった。

 で、今日も又そのお店でデート。今度は逆に東京から帰省したM氏に瀬戸内海をじっくり見せてあげようと思ったのだ。 ケッコウ長い時間そこにいて、音楽の話や彼の家庭の話をいっぱいしたが、本当に良い人生を送っている。彼の原点は、「恩を忘れない」 ことだろう。今の自分があることが、自分一人の力ではなく、確かな出会いのお陰であることを今日も語っていたが、 モチロンその上に重ねてきた自分の努力もある。まだまだこれからという若さだが、 2児の父親としてしっかりと地に足の着いた生活を構築しているようだ。ひとまず安心。帰る頃には太陽がかなり沈んで、 今日の最後の熱をまき散らしていた。光を受けた海面がぎらぎらと光り、最近多くなったヨットを揺らしている。これぞ「夏」。

 

 昼間母の病室を覗いたらスヤスヤとお昼寝中だったから声を掛けずに帰り、 デートの帰りに再び寄ってみると私が行ったことは全く知らなかったとのこと。 昨夜眠れなかったと朝の入浴時に言ってたからそれもやむなしと思うのだが、母は「不覚だった」と言わんばかり。 昼寝が出来ないのが口癖の人だから、自分が許せないらしかった!ふ~っ!行けば必ず退院の日を訊かれるのがつらい。私に訊かれても、、、、 ってところだ。

 

2009年7月13日 (月)

暑い夜。

 昨日息子が、まだ元気だった母を真ん中に息子の家族と娘に私の7人で撮った写真を送ってきた。これは昨年水戸の公園に行き、 薔薇ガーデンの前で撮ったもの。みんな笑顔でいい顔しているのだが、それをもう一枚パズルにしてあるのだ。一度ばらして、 元通りに組み立てよ、という呆け防止を考えてのことらしかった。が、持参すると母は、 すっかりバカにしてそんなのは簡単だバカバカしいとまで言う。それじゃあ、後から来るからね、 と約束して実際夕方娘が行ってみて驚いたらしい。ちゃんとA4サイズの写真が組み立てられていたそうな。ふっふ~ん。なるほど。 これなら行けるか。次回はもっと大きいのを、、、。いや、もしかしたら必要なのは私のほうか?今日は西暦を訊ねられてとっさに2001年、 と答えて娘に唖然とされたもんなあ~。やばっ!

 昨日ここに「深酒」話を書いた途端、色々メールを頂くことに!この場をお借りして、 ご心配をおかけしてもうすわけござりませぬ~と言いたいところだが、まあ止めとこう。多分きっと多くの人が、「他人の不幸は面白い」 とばかりニヤリとしただろう事が想像できるから。少なくとも生き死にの問題ではないのだから、「まあ好きにやりたまえ」てなもんだろう。 こうして人は歳を重ね、失敗も重ね、死に向かっていくのだ。そういえば、詩人の若い女性が面白いことを言ってた。 「私小さい頃から何故誕生日をみんなが嬉しそうに祝うのか意味が分からなかった。それで、どうして死ぬことに1年近づいたのにお祝いするの? と大人達に訊いてみんなから逃げられたんです。」と言うのだ。いやあ、こういう子は矢張り普通の人生は行かないなあ。 みんなが見ないようにして生きていることを、平然と見つめることが出来る。いや、それと私の深酒は一切関係がないが、、、。

 しかし、深酒の効果甚大なるものがあり、あるお方が本日の練習で、ある程度しっかりお歌いあそばした。 練習後にそれを話してS女史と溜飲を下げたことだが、さあ、いつまで続くことか。 まあ今後も気を抜かずに公演の縁の下の力持ちをやりつづけなくてはならないが、これからは深酒だけは勘弁して貰おう。フフフ。

 それにしても酒やけした喉は案の定声が出ず、久々にお見えになったW先生の指導に私個人にはさっぱりだった。 「全体に思った以上に良くできていました。」とお世辞を言ってくれたが、それほど悪くはなかったようで一安心。これで立ち稽古へと突入だ。

 それにしても熱帯夜だ。

 

 広告の素敵なのが出来そうだ。舞台の青写真も段々出来てきた。、、、何もかもこれからだが、、、。

2009年7月12日 (日)

酒は涙かため息か~?

 恩師から、4日も日記が書けてないのは「大丈夫?」という鋭い指摘があったが、全く大丈夫でない日々の連続であった。 その中でも最たるものが、「急性アルコール中毒」事件。いや全くこれは事故というかなんというか、、、、。 このところ余りアルコールを飲んでないくせに、お誘いがあり、まあ生1パイならば、と頂き、つい楽しい食事と美味しいワインにほろ酔い、 内心「あら、私行けるジャン!?」とグラスを重ねることに。でもまあ、ここまでは良かった。この段階で帰れば何も起きなかった。で、 そのあと、ビリヤードに行こうとなり、ほんの3ゲームほど、これもまあ、どお~ってことない。同行のS女史が言うように、 あれはスポーツではない。強いて言うなら頭脳プレイだろう。だから激しく運動したわけでもない。ところがその後、彼女の強いお誘いがあり、 ご自宅初訪問となる。兼ねてから飲んべえとは思っていたが、さすがあ~の品揃え。美味しいワインも出してくれるし、 カクテルまで作ってくれる。「おっ、イタリアのお酒だ!」とチンザノに舌鼓を打ちながら、話題はもっぱら我々にとっての重要課題。 従って飲むことに集中しているわけでなく、話しの方にもっぱら気を取られた格好だ。そこに水があればそれをしたたか飲んだだろうが、 たまたま出して頂いた物がアルコールであった!それという意識のないママ随分と頂いたようだ。彼女は後で、 そんなに言うほど飲んで無いじゃありませんか!?と言ってくれたが、このところの私にしては明らかに飲み過ぎ。 迎えに来たお嬢の車に乗って帰り、数時間眠って後からがさあ大変。ギョッギョギョッギョ上げるは下げるわ、全くトイレから離れられない。 これまた運が悪いことに、この日は母の外泊日。一度我が家できれいにしてから帰宅すると言い、弟が送りつけてくる。 まさかお酒のせいだとも言えず、「ちょっと調子が悪いから。」 と手伝いに頼んであった元従業員に全て指示してアチクシは隣の部屋のソファでゴロン。しかし気分はドンドン悪くなる一方。 母にはとっととお帰り頂いて、お嬢の車ですぐさま病院へ。もう全く口がきけないくらいひどい気分で、 女医さんがいたく同情してくれてすぐさま点滴。病院を出るときに飲ませて貰った薬も、家に帰った途端全部吐いてしまった。、、、 全く間が悪いことに、大阪から翌日の有馬温泉での同窓会に一緒に行くために帰省してきた友人Kが我が家にご逗留の予定。しかし、 一切何も考えられずひたすらベッドで眠る眠る。そういう薬が入っていたらしい。やがてKとお嬢が私も行くはずだった演奏会から帰ってきて、 ベッドサイドで口を揃えてバカ呼ばわり。「大体ね、いい年して、若者と同じように飲むやなんてアホのすることやわ!」「ハイ、 その通りです~。」「確かこないだも似たようなことやったよねえ!?」「ハイ、いつか忘れたけど、ありました。」「それや、それ、 忘れるからあかんのや!!」、、、としっかり責められて、でもKは「おうどんなら入るやろ」としっかり私の夕食を作ってくれる。 食べられないかと思ったが、意外にもチャントお腹に収まった。すると現金な物で、結構良い感じ。少し喋る元気も出て、 明日の同窓会のキャンセルを電話する。、、、、考えてみると、これで今年2度目のこの手の会のキャンセルだ。いやはやいやはや。

 で、翌日の今日、母にはくれぐれも内緒と箝口令を敷いて、ランチを弟夫婦とお嬢を交え母にとっては3ヶ月ぶりの外食をする。 すると意外なことに全く普通に食べられる。時々お腹に痛みが走るが、別にそれだけ。お嬢が呆れて、「これだから性根に入らんのやわ」 とその快復ぶりを冷やかす。母は単にお腹を壊していると思っているが、つじつまは合うのでみんなと大笑い。ま、 私をおかずに盛り上がった外食だったというわけだ。

 病院へと送り届けて、あとはもっぱら運転手。この事件の時にさんざん迷惑を掛けたお嬢の為だ。ふ~っ。

2009年7月 7日 (火)

カプセル効果。

 はまりやすいというか何というか、酸素カプセルが功をを奏して今日はとても元気に動き回れた。お嬢が久々に帰省するので、 まずはお掃除から。そうこうしている内にあちらこちらが気になり始め、ゴミの始末から部屋の除湿、わ~っと山ほどの家事が押し寄せてきた、 というか、追いかけた感じか。どれ程か計れたら面白いだろうにと思うほど汗をかいた。首にタオルという、 おばさんスタイルも合理的だと感心しつつ、若いセールだろうとお構いなしに応対。

 セールスといえば、今日はちょっくら頭に来たなあ。最初は「ですます」口調の丁寧語だったのに、 ちょいと気を許して勧める品を買ってあげたら、「これは御し易し」と思ったのか急にため口になる。しまった、 こんな人のだったら買わなきゃ良かったと思ったが、お金を渡した後ではまずいから、ぐっと我慢。 こっちは逃げ隠れできる状況じゃないから出来るだけ反感を買わないように対応するのがベスト。近頃何をされるか分かったもんじゃない。 「誰でも良いから殺人」が増えすぎている。夫に言わせるとそれは自殺願望と同義らしい。殺人の向こうに自殺を見ているのだそうだ。全く、 どうなっちゃたんだろう。日本は今後若者に何が出来るのだろう?

 

 昨日のちぇち練では、矢張りセリフがダントツ難しい感じだった。もう少し台本を深く読んで欲しいが、 これは慣れてないと簡単にはいかないのだ。持てる限りの想像力を駆使して、字面に生命力を吹き込んで欲しい。歌は伴奏がアル分、 無言でもまあ何とかなる。しかし、セリフは飛ばしたら最後、修復は殆ど不可能だ。ま、やるっきゃないが、、、。

 

 ワルツの練習に少しの時間を割いているが、まあまあ進歩してきたか。「音楽能力」と「運動能力」は比例して備わっているらしいから、 きっとすぐに上達出来ると思うが、いやあ、面白い。ロボットが居たり、仕掛け人形が居たり、中には格好いい人も居る。実際これは楽しみだ。

 

 明日もカプセル予約してある。これでもっとパワフルになるべえ~。

2009年7月 6日 (月)

せめて28時間欲しいなあ、一日。

 にゃんとも忙しい一日であった。数えてみると、外出先の用事は歯医者さん、母の病院、舞台屋さん、Yタウンでのデート、耳鼻咽喉科、 一度帰宅して家事をしてから、二人のメンバーを乗せてちぇち練だから、8カ所移動ということになる。しかし、そのどれもが大切な時間となり、 大満足。

 今日の元気の元は、母の病院での「Oツー=酸素」カプセルに入ったことだ。最近左手が妙に冷たく気になっていたが、 50分入って出てきたらそのしびれのような冷たさはすっかり解消されていた。この効果にはホントに驚いた。次回も予約して返ったが、 Yタウンでその話をしたら、あれはすご~く良いもので、スポーツ選手や疲れる仕事の人でやってる人が多いんだと教えてくれる。 酸素を体内に取り込むのに現在最も効果的なカプセルだという。「歌う」ことが有酸素運動だとは思っていたが、毎日歌っているわけでもないし、 これは良いものに巡りあった。ただ、入ってすぐが気圧が高すぎて耳と頭が痛くなり、ちょっとゆるめて貰ったのが残念だったか? あれをしなければもっと効果があったかも~。別にそう言われたわけではないが、、、。

 

 ちぇち練は会長副会長がお休みの中、みんなで頑張った。とにかく他人のことは構っちゃいられないんだ。やる事がいっぱいあって、 居る人の所をとにかくやる。もうあたしゃ覚悟を決めた。誰が休もうと気にしないことにした。 これを一々気にしていたらストレスが倍々の勢いで増えていくだけ。舞台で恥をかくのは出演者自身だ。自分の事は自分でなんとかして貰おう。 まあ、以前ゲスト出演したN会のオペラ練習も、必要な人が抜けていて随分苦労したことだ。で、参加している人が叱られる訳だ。でまた、 頭に来るのが、毎回真面目に来ている人より滅多に来ない人がチャント歌えていたりすることだった。しかし、それでは全体が進んでいかない。 特にオペレッタの場合、セリフが半端でなくあり、ということは相手の出方次第でこちらの言い方が変わるということだ。 いくら台本と首っ引きで自主練していても、みんなの中に入ると全く違ったことをやる必要があったりする。

 その上、ちぇちは手作りだ。練習中でも、常に舞台のことや衣装のこと、進行のことが話し合われていなければならない。 何しろみんなに会える時間はこの時間だ。先の先まで見通して練習時間を有効に使う必要がある。

 

 舞台屋さんとじっくり話し合って、ある程度の方向性は出た。というか押しつけた格好だ。さて、どんな舞台が出現するか。 楽しみなような、、、。今回は照明さんにも無理を言う必要がある。さあさあさあ、、、だ。

 

2009年7月 5日 (日)

もう5日だ。

 このところ食べる事に縁がある、とここに書いたら早速「ちと食べ過ぎではないですか。なんか見ていられない」 というお節介な忠告メールが恩師からやってきた。べ~という絵文字入りと来ている。そりゃあ機会は多かったけど、 いくいらアチクシでもちゃんと加減はしてますわよ、フンフンッ!てところだ。第一、パーティでも「なんか飲み過ぎたみたい」 と私が言うと友人が、「ええ?そんなに飲んでないしょ!?」と驚いたくらいだ。 フルコースは人の半分くらいしかいつも食べられない人がこれも上げるアレも上げる、というのを一つも頂かなかったし、、、 ということは普通だしい。その日の夕食はおもてなしする方だから余り食べてない。しかも運転だから飲んでもない。 何度も言うが機会は多いが食べ過ぎてはない、はず。

 ところが、今日友人の洋装店で服を脱いだら、「あら、相変わらずねえ」と言われてしまったのはなあぜ?こんなに忙しくて、 毎日ストレスの山で、なんでこうなるの?先日聞いた話では、あんまり太いと介護料が倍になるところがあるらしい!ふへっ!! やっぱり痩せる方向に持って行くか?(痩せるとは言わない。方向だ。)

 

 ある人から「パリ祭」IN東京の話を聞いたが、今年もますます「老人会」になってきているようだ。歌手がみんな高齢になってきて、 しかもその席を譲らないから若い人が育たないという業界。そりゃあいつまでも歌えるというのは素晴らしいこと。でも、 若い人も是非シャンソンの魅力を知って歌って欲しい。何が良いって、メロディの美しさはモチロンのこと、 歌詞の多様性と意味の深さにその魅力があるのだ。従って、豊かな声量で、しっかり聴衆にそれを届けて欲しいのだ。 枯れた声も魅力がないとは言わないが、若くてまっすぐな声も、成熟期の芳醇な声も、シャンソンには合うのだから。 それに連れて聴く人の年齢層も低くなるというものだ。「戦争の悲しみ」「失恋や、人生の苦しみから立ち上がる勇気」「美しいパリの街並み」 「おちゃめでおしゃれなパリっこ達の歌」「時の流れ、、、」「などなど。本当に幅広いのがシャンソンだ。

 

 母は昨日今日と病室が一人で、塗り絵や読書など一人遊びに興じていたが、今日は無理矢理杖で院内を散歩して貰った。 日曜日はリハビリが無いらしいからそれをする必要がある大分しっかりしてきてはいるが、まだまだ不安が多い歩行だ。 嬉しいのは意外にも母が平常心でいてくれることで、不平不満を言うこともなく、ヒステリックになることもないのは有り難い。 先日のパーティでK画伯の奥方Jさんが、「最近亡くした母の事が段々強く思い出されてつらい」と話されていたがそうだろう。 なんでも亡くなる前に、Jさんに、「私が人生の中で一番幸せだったのは、貴女が手術して2週間ず~っと一緒に居られた時以外にはない。 あの時はほんとうに幸せだった。」と告げられたそうだ。母と娘というのは、大体に於いて長く一緒に暮らせない。 だからこういうセリフも理解できるというものだ。これからしばらくきついあろうなあ~。

 

 明日は朝歯医者さんに行き、その後母の入浴、その後舞台の打ち合わせ、その後耳鼻咽喉科、そのあとちぇち練が待っている。ふ~っ。

2009年7月 4日 (土)

食べホクロ。

 私は口の辺りにホクロがある。このお陰で食べることに縁が多いと、母は言う。真偽はともかく、昨日も今日もご馳走責めと相成って、 もしや本当かも、と思ってしまう。

 昨日のパーティでしっかり食べたから、明日は朝抜きで行かないと無理かもねえ~。と話していた言葉はどこへやら。 朝起きてみるとすっかりおなかが空いていて、迎えに来たKの目の前でパンを食べていた。で、 途中で別の人が来たので席を立った瞬間そのパンに服の裾が引っかかり、約半分の食パン「きなこと黒ごまクリーム」塗りが床に落ちてしまった。 「ははあ、食べるなという神のお告げね。」と冗談を言いながらそれで食事を終える。

 まもなく揃った女5人組は、わいわい言いながら7人乗りの車でいざ出発。我が家のすぐそばのインターから颯爽と繰り出した。 予定より1時間も遅れたにもかかわらず、付いてみたら予約の30分前。一体どういう時間の計画か?

 その店は、中華料理と言うに店名がフランス語。確かに出てくる料理も中国料理のイメージとはやや違う。器はかなりのこだわりだが、 全て手作り色いっぱいのものばかり。たっぷり2時間かけて頂く段取りで、少しずつ出てくる凝った料理に舌鼓を打ちながらお喋りにも花が咲く。 同い年のみんな、お互いにまだまだ行ける、と確認し合っているような話題だった。、、、ともかくはるばる高松からはせ参じる価値のある (高速が安いせいもあるが~)美味しい料理だった。これはリピート「あり」だなあ~。

 で、予定の4時にこれまた1時間も早く着き、ちょいとお茶してから解散。あたしゃ東京からの客を海辺のレストランにごあんな~い! いたく感動されたは良いが、こっちはかなりお腹に来ている。のにもかかわらず、これまた胃袋に入るんだなあ~これが。

 それにしても、今日の二店舗は、いずれも満席。列が出来ているんだから驚く。、、ホントに不景気?

2009年7月 3日 (金)

Party.

 今日のパーティはたっぷり食べ物があって、フリードリンクときてすっかり食べ過ぎ飲み過ぎ状態。 こんなこたぁまさか無いだろうと思っていて、行く前にがっつかないためにと「ウナギの寝床」なるケーキを一口、 迎えに来た友人と夫の3人でパク付いてから出かけたのだった。そしてこれが嬉しい誤算となって、まあ出るわ出るわの大ご馳走。 かなりの人数が参加したにもかかわらず、料理が残っていたもんなあ~。近頃珍しい風景だ。

 急ごしらえの進行係も、にゃんとかこなせて、それが気になって料理が喉を通らない、ナンテ事もなく、 しかっかり頂いた本領発揮のおみっちゃん。しかも、しっかりちぇち関連のお偉いさんや、関係ありそうな方々にもご挨拶をし、 旧知のお顔にも一通りのご挨拶をしたら、ケッコウな運動になったかも~。約三分の一の方々は知ってる人だった。 過去にお世話になった方はモチロン、今後お世話になりそうな方々にも出来るだけご挨拶を!

 そうした中で、主役のK画伯ご夫妻の心温まるスピーチに、参加者の多くが涙した。 いわゆる芸術家と言われる人のプライドの高さや排他的な人格とはほど遠い、素晴らしくホットな画伯の言葉と、 それにも増して感動的な夫人の言葉は、多くの人の心に残ったことだろう。「僕と知り合えてホントに良かった、 今日この場に居て良かったと思って貰える作品作りに、これからも邁進したい、、、。」79歳。なんて謙虚な言葉だろう。 「こんなにも大勢の方々に支えられて、私たちはなんて幸せ者でしょう、、、。」こんなお二人だから、 私たちもず~っとお付き合いしたいと思っているのだ。何しろ奥方は、「私の第二の実家ですから」と私のことを紹介してくれるんだから。 この絆はちょっとやそっとでは切れないだろう。、、、ホントに良い夜だった。

 

 実は前々から計画していた、「高速道路をぶっ飛ばして美味しい中華を食べに行こう会」が急きょ明日になって、「じゃあ、明日又ね」 と連中と別れたが、連ちゃんのご馳走だあ!!ま、こういうこともあらあね。

2009年7月 2日 (木)

だるだる、、。

 一昨日辺りから腰痛が出てたので、湿布を貼っていたが今日はついにマッサージ師に来て貰う。 これのせいだろうメチャクチャねむ~くなって、それでもそれを我慢してあれこれやったが、只今それももう限界。

 しかし、台本の手直ししたものを復帰の彼に渡す必要があるし、楽譜の修正などやってくれているY嬢にも渡さなくては、、、。 最終稿をパソコン上でやり直してくれるS女史にはもう少し後だ。、、、眠い。

 明日のパーティは進行を頼まれちまった。明後日は、、、明々後日は、、、、ムムム、、、。

2009年7月 1日 (水)

晴れのち雨。豪雨。のち晴れ。

 今日は嬉しいことがあった。公演のメンバーが主演不可能かもと言っていたのが周辺の事情が改善されOKと連絡してきてくれた。 責任感の強い彼のことだから、もしかしたら不参加を余儀なくされるかもと苦慮してくれていたのだろう。が、これで万々歳。 私のイメージの中に彼抜きでは考えられないストーリーが出来上がっている。これで一安心だ。これに力を得て、 これからの練習を密度の濃いものにしなくては!(これ以上?という声が聞こえるが~)

 新メンバーのKさんの貸してくれたCD2種は聴くほどに面白い、というかあまりの音楽性の違いに驚くばかりだ。ということは、 やっぱり、「ちぇちらしく」ということに尽きる。一人一人は小さな力しかないが、みんなの情熱を寄せればきっと凄い力になると、、、 私は信じる。

 

 母の退院が1ヶ月先に伸びたのに、当の本人が一番ショックを受けていて、顔で笑って心で泣いているのが分かる。 ここまで頑張ってきたのに、と顔に書いてある。まあ、残る病院生活をなんとか頑張って貰うためにせっせと通わなくては。

 

 良いことも、そうでないこともあるのが人生だ。

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