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2009年6月

2009年6月30日 (火)

サプリメント。

 新メンバーkさんから「こうもり」のCDを2種お借りした。かなりのオペラ通らしいが、さすがの収集だ。 二枚を聞き比べると全く違う。まずテンポがおそろしく違う。われわれがどの程度のことをやることになるのか、指揮者次第だが、、、。 それにしてもコーラスが際だっている。このオペレッタはコーラスの声で雰囲気の殆どが決まってしまうから、 我らが合唱隊もしっかりしなくては!と思ったなあ。それと、AとBではセリフ運びやセリフの発声が全く違う。 共通しているのはソリストの特に男性の声の圧巻だ。、、、今日は、おみっちゃん御用達の歯医者さんに「ご一緒に歌いませんか?」 と声を掛けてきた。「いやあ~、そんな僕なんか足手まといですよ。見学だけに亜h行かせて貰いますが、、、。」とのお返事。あと一押しか? フフフ。この方はジャズバンドで歌っているという情報を得ているのだ。奥様からかなりのひんしゅくらしいが、、、。

 

 およそサプリメントというものを飲んだことがない私だが、メンバーが見かねてあてがってくれたものを昨日から飲んでいる。 気のせいかよく眠れるし、なんかすっきりしている。 サプリメント大好き人間の夫がうらやましそうに指をくわえているので一回分だけ許したがあんなの一回ではダメでしょう!?、、、さ、 これで元気百倍になれば良いのだけど~。

2009年6月29日 (月)

のど。

 実は先日近所で評判の耳鼻咽喉科に行ったら自分の喉の状態をモニターで見せてくれた。 如何に恐ろしいことになっているかを肉眼で見ろと言うわけだ。いやあ~、確かに怖かった。 本来つるんとしているべき喉の奥の部分がデコボコになっていて、医師曰く、「ひどい状態」なのだ。 あれを見たら流石の私もちゃんと薬を飲んで治さなくては!と思ってしまう。それ以来きっちり薬を飲み、うがいをしているが、、、。

 今夜の練習で、こういう声って出して良いのかなあ?っていう高音を出しまくったが、内心不安だった。 そう言えばそれが良いかどうか聞くのを忘れていたもんなあ~。今度は歌ってることを話さなくては!?ふ~っ。

 後半では別室でセリフの練習をして貰ったが、なかなかめざましい成長はないものだ。 今のところ台本の背景を理解して自分の動きを想像力で補っている段階だ。でも、特訓すれば何とかなりそうという期待感はもてた。 とにかく頑張るしかない。

 

 

2009年6月28日 (日)

課外授業

 劇団Mの演劇を観にKさんと行く。今回のオペレッタで半端じゃない演技とセリフを要求されている彼女に、 すこ~しお勉強して欲しかったのが狙いだった。勘の良いKさんは既に私の意図を飲み込んでいて、そのつもりでやって来たようだ。 終演後の喫茶店で、舞台上で喋り演じることについてよく観察してくれていたのが分かった。しかもそれでいて、 戦争を描いた内容に深く心打たれ、この気持ちのまま帰りたくない、とお茶の誘いにすぐ乗ってきたのだ。若いけれどこの感性は大したものだ。

 実は今日の公演が始まって間もなく、暗い客席内で「痛いっ!」と叫ぶ声と、「大丈夫ですか?」という複数の声が上がり、 一時騒然となったのだ。モチロン舞台は整然と進んでいて、 そちらも気になるがこちらも気になるという状態でしばらく舞台に集中出来なかったのだ。我々の席からは遠いので想像だが、 誰かが客席を移動中に転んだのではないかと思う。いつの間にか騒ぎは収まり徐々に全員舞台に釘付けとなって行ったことだが、 ムムムこれは我々の公演でもあり得ることだ。「会場係」が伊達に居るんじゃないってことだなあ。、、、しかし不謹慎ながら、 会場でお目にかかったこの劇団の関係者は内心「クッソ~」と思ったのではないか?と思った。一度しか演じられない生の舞台。 やり直すことも出来ないわけだ。そこへ行くまでのなが~い練習時間や努力を思えば、 如何に観客の心を舞台に集中させることが出来るかに精一杯の力を注いできたに違いない。それが、 このようなアクシデントの前にはあっという間に崩れ去り、その努力も水の泡となってしまう。だから何度も言うが、大切なのは「会場係」だ。 敏速な対応が必要で、瞬時に状況を把握する適応力も要求される。そしてその前に、こうした事故が起きない為の対策も不可欠となる。 この点でも本日の観劇は大いに参考になったというわけだ。

 このような劇を観るとどうしても演出に目が行くが、シンプルで緩急があり、ラストの描き方は唸るものがあった。 この劇団の座付き作家兼演出家に寄るものだったが、讃岐弁を駆使するセリフ回しに特徴がある。戦中を描くという難しいテーマを、 防空壕という限られた世界に限って描くことで、より身近なものと感じさせ、観客を恐怖へと誘う。 最後に外から命を取り留めて帰ってきた老婆が、壕の中で全てが消滅したショックから茫然自失となり、 全く声を発しないでぼんやりうごめいているというくだりは、まるでセリフを忘れたのではないかと思わせるほどの長い沈黙で、 これをやらせる演出の勇気に感服した。やがて赤ん坊の声が小さく聞こえ始め、 それが段々現実味を帯びてきてその老婆が狭い壕の中を狂気のように探し回り、遂に声の正体を発見しそれを抱き上げ抱きしめ、 初めて大声でわあ~っ!と声を上げ、いつまでもいつまでも繰り返し泣き続けるという演出は、観客の涙を誘った。「このまま帰りたくない」 と言ったKさんの言葉はきっと多くの人々の気持ちと一致しただろう。

 思いがけず長いお茶タイムとなったが、それというのも次から次へと話題が尽きなかったからだ。モチロン芝居の話はしたが、 そしてそれに連なる我々の舞台の話も、、、。でも、こういう風にメンバーの誰彼と話すことが余り無く、 今日はお互いの意思疎通が図れたという意味で全く良い時間となった。これからは、他のメンバーともこういう時間を持ちたいものだ。

 

 帰りにシャンソンのメンバーが緊急入院している病院へとお見舞いに。思ったよりお元気そうだったが、 手足のしびれに見舞われ相当ショックを受けている。他にも沢山の病気と付き合ってきた80ン歳のAさんは、 気丈にも恐ろしい病室に入っていた。お向かいの人はとても年齢がAさんと同じとは思えない風貌の人で、矢張り脳をやられたらしく、 ひっきりなしに「ぎゃ~っ」とか、「いたい~っ」とか、叫び続けている。Aさんも他人事ではないと、それにも恐怖を感じているらしい。 朝の8時からやっているそうだ。お隣さんは口腔外科手術後で、口内をえぐり取られ、一切口がきけない状態の人だとか。 もう一人は全くの寝たきり状態の方。私はそれを聞いただけで気分が悪くなったが、これから1週間はその病室で点滴を打ち続けるらしいAさん。 シャンソン教室の最高齢の指揮官として又復帰してくれるだろうか?歌が好きなAさんも、しばらく歌うことが叶わない。ホントに、 健康が無くなるとなんにも出来なくなる。

 

 そのまた帰りに昨日の一泊外泊から病院へと逆戻りした母親の元へ。同室の人々を交えてしばらく歓談。看護士さんとも話したが、 回復期には入っているので、徐々に帰宅外泊回数を増やして貰うことに。確かに、 物忘れなど考え合わせると自宅療養に入るべき時が近づいているのを感じる。次なる段階に突入か、、、。

2009年6月26日 (金)

今日も疲れた。

 喉の調子が完全に戻らないまま又レッスンを受けた。発声の途中で咳が出る、食事の後だったためゲップまで! その前ははるばる岡山からレッスンにやって来たKさんにセリフの説明。その前はその役どころの衣装を決めに衣装係さんたちと衣装部屋へ。 上手い具合にピッタリなのを発見。今日の所はスムースに決まっていった。

 その前は母の入浴。その前は仕事。、、、てなわけで、本日もバタバタバタ。

 

 疲れた頭でぼ~っとパソコンの前に座った途端お嬢からおもろいTVを見ろと電話がある。歌舞伎界の大御所が総出演のお祭りみたいな 「余興」みたいな舞台でシンデレラがそのテーマだった。従ってドレスも出るしミニもある。見覚えのある役者達が傑作な格好で出てきて、 ところどころ光る演技を見せるが殆どが素顔のままの出演だ。こんなのもやるんだ~、と感心してしまった。「御法度」のハズの「裸」まで見せ、 何でもありいの舞台に驚いた。歌舞伎の神様のお話にしていたが、実際歌舞伎の神様はにゃ~んとおぼしめしたことか?

 

 話は違うがマイケルジャクソンが亡くなった。50歳という若さだ。友人にメチャクチャ追っかけがいるが、 彼女はきっと相当落ち込んでいることだろうなあ。ニュースもそればっかりだったが、彼の人生はなんとなくプレスリーと似てるなあと思う。 天才と大金持ちは幸福な死に方が出来ないのかも知れないなあ~。

 明日は母の外泊に伴い実家泊まりだ。

2009年6月24日 (水)

みたびうどんのお話。

 やっぱりうどん中毒らしい弟と今日はにゃんと2軒はしご!その一つは「神の手」という凄い名前のお店。 そのネーミングに引かれて行ってみた。がっかりする程では無いが、あがめ奉る程でもない、というのが正直な感想。で、 当初の予定のDというそのすぐ近くのうどん屋さんで、2杯目を。これは珍しい味と見た目で、実はソプラノ歌手のOさんからの情報だが、 お勧めの通り美味しかった。、、、流石にもおうだめ~、という感じになったが、大満足。 今日は夕方からのFMを終えて10時に帰宅するまで何も食べずに済んだというのも、すべてうどん屋はしごの結果だ。げっぷ。

 

 遅くなったが、母への手みやげの「雑誌、冷たい飲み物、おやつ、パジャマ」を慌てて届ける。 9時半ともなれば部屋は既に消灯となっている。顔なじみになった同室の方に謝りながら届ける結果に。でも母は嬉しそうだったなあ。 病院生活の一日を思えば、如何に孤独で退屈だろうと思う。今日はお嬢が「大人の塗り絵」なるものを送ってきたらしい。何でも良い。 繋がっているよというメッセージが大事なんだ。土曜日に外泊予定だが、待ちこがれている。が、簡単に退院は出来ないだろうなあ~。

 

 ある新聞社の香川の記者だった方から転居の知らせが来る。この方とは、ちぇちの公演の為に知り合って以来のお付き合いだ。 ドンドン出世しておられる様子だが、こうして私如きに丁寧な挨拶状を下さることからもその人物像が理解できるというものだ。その文章の中に、 「自分らしさを見失わないよう心がける所存です」というのがあり、マスコミに働く人の、又人の上に立つ人の良い言葉だと思った。 いい人は側に居なくなるなあ~。

2009年6月23日 (火)

再びうどん。

 昨日は母の病室から弟夫婦と昼食に又うどん!弟はうどん中毒かも~。まったくまあよく知っている。 新田にあるそのお店は私は全くの初めて。緑の多い良い感じのお店だった。あっという間に食べ終わるけど、店主のこだわりだろう。 庭に花を咲かせ、実のあるものを植えている。確かにそれらを眺めながら外で食べるのは例えうどんでも良かった。

 

 夜は「こうもり」でへとへと。なんとしても「セリフ」を頑張って仕上げなくては!!あの場でやる限界を感じてしまうが、 兎に角他人様のを聞きながら自分の勉強をして貰いたいものだ。時間が無いのだから。、、、それにしてもセリフは難しい~。 どこまで自分から抜け出せるかがポイントだ。いつまでも自分の身体の中でうじうじしていると、出口が分からなくなってしまう。 どんなきっかけでも良いから、自分から離れて欲しいのだ。さて、、、、。

 

 しかし、アチクシの喉の調子がいっこうに良くならない。これは一体なんなのか?いくら居心地が良くても長居しすぎだろう、 私の身体にこの病。ふ~っ。

2009年6月21日 (日)

吟行。

 今日も疲れた!短歌の歌会は10時に八栗ケーブル乗車口集合にギリギリ間に合って、涼しい風にあたりながら頂上へ。 上では住職の奥方がお出迎え下さり、丁寧な説明をして下さる。85番札所だが、 面白かったのはまるでキリスト教と同じような絵がずらっと壁にかかっていたことだ。大師の誕生から成長過程、、、 もっとゆっくり見たかったが、「写真撮ります~」の声に急ぎそこを退出、少し降り出した雨のせいもあって美しい菩提樹の緑を背に集合写真。 そのあと鐘楼をならしに少し歩く。私の音が凄いと誰かが言うと、すかさず「そりゃあ、あの体格だもの、、!」と師匠が言うのに、 あたしゃ鐘の付き方を教えてあげることに!決して体格には関係ないという意味で!!ま、そんなこんなでわいわい言いながら、 そのまま下へ降りる組と、まだその上の天狗堂まで行く組に分かれ、ゆるりと下に降りるともう次なる目的地「Yうどん屋」である。 日曜日とあって、庭先には列も出来ているが、そこは手慣れたもので次々と呼び上げ客はさばかれていく。10人という団体なので、 無理かと思ったが上手い具合に座れて空腹を満たす。朝抜きで来ているあたしゃ当然2杯。ぶっかけと天ぷらうどん。でも、 なんだか今までと違う。麺が出来たてでないような、、、天ぷらのえびが固すぎるような、、、、だしも特徴がない。おんや?何かが違うぞ~。、 、、っていうのが感想。当然のようにみんなの話題は「うどん屋」のあれこれ。しかしやっぱり、讃岐人はうどん好きだなあ~。

 

 その後は、庵治町の竹井観音、そのすぐ近くの自然主義の喫茶店でずらっと並んで海を眺めながらティータイム。 みんなメチャクチャくつろいで、Mさんなんか眠くなったと目をしばたく。そこのトイレに弘法大師の座右の銘として、無道人之短 無説己之長 (人の短所をいうことなかれ 己の長所を説くなかれ)と書かれたカレンダー(?)がかけてあり、おお、 あれほどの人でも座右の銘を持っていたんだと、妙に感心。我が家には、「一生感動、一生情熱、一生不悟」 と相田みつおのカレンダーをかけているのを思い出した。「ここは孤独になるところ 自分が自分になるところ」というのもなかなか良いなあ~。 トイレにピッタリ。但し、これらはそれだけの人が言うから値打ちがある言葉となるのだ。

 予定をこなすべく車を移動してその先の万葉集の歌碑を見て、予定にはなかったが、 急きょメンバーのNさんのご自宅まで窯を見にお訪ねすることに!素晴らしい、女性にしては渋くて男性的な陶器を色々見せて貰い、 お茶をたてて頂き大満足。いろんな生き方があるな~。

 これでジ・エンドとならないのがアチクシ!皆さんとはお別れして師匠を誘って三本松まで食事に出かける。 全く適当な友人Kの紹介で迷子になり、街の人に丁寧に教えられながらたどり着いた。ノンアルコールのビールで我慢した分、 帰宅してから一番搾りをしっかり摂取。、、、まあ、なんと充実した一日だったことか!!

 帰りに母を訪ねて、部屋の電気が消えていたにもかかわらず、つけさせて貰い八栗の有名らしい「草餅」を同室の方々にもお分けして、 母が美味しいと食べるのを見届けてから帰ったが、いやあ~ちょいと疲れたわい。明日は入浴日だ。

2009年6月20日 (土)

事件?

 朝のことだった。我が家の前辺りで消防車の唸る音が聞こえ、しかもすぐ側で止まった。と思う間もなく今度は救急車の音。 たまたま出かけようと夫が外へ出た時で、元来野次馬の夫はやたら興奮して表に飛び出した。 こっちはその夫を玄関のカーテン越しに覗いていたが、すぐに夫がとって返して、「Yさんの息子さん達が入ってるマンションみたいだから、 Yさんに電話したら!?」という。で、言われたとおりに電話してみると、Yは驚いて、「すぐ電話してみるわ」とのこと。 夫はその間偵察に行って、どうやらドアをこじ開けているようだ、と言う。一体何があったのか?この頃のことだ。 何があってもおかしくないんだ、こんな田舎でも。ラストシーンを見られないまま無念そうに出て行った夫が、夕方になって帰宅するやいなや、 「どうだった?」と聞くので説明したが、矢張りYさんの息子さんのお隣の家だったとか。朝早く息子さんを訪ねてきた母親が、 ドアをいくらドンドンしても電話をしても返事がないし、これは合い鍵で入れて貰うしかない、と管理人さんに頼みに行ったらしい。 ところがそこがよく分からないのだが、鍵がなかったのかどうなのか、その人も同じようにドンドンやって名前を呼んだらしいが、 いっこうに返事がない。もしや事件か?となり、消防署に連絡。すると早速サイレンを鳴らしてやってきたが、例えば心中事件とか、 ガス中毒とかを考えたのか、救急車も出動したというわけ。ところがギッチョン!ドアーをこじ開けて入ったところ、にゃにゃんと、 部屋の中には若い夫婦がチャント眠っていたというお粗末。土曜日の休日、若い人なら致し方がないことだ。が、 それにしても大音量のドアノックにもめげず爆睡していたのはケッサクだ!何事もなくて、ケッコウケッコウ!の巻き~。

 

 そんな事件があったことも忘れて、午後からはKY嬢と今後の練習形態について話し合った。こうして具体的に動いてくれる人がいて、 ホントに助かる。作業中に荷物が届き、その中に注文していたDVDがあったので、二人で見始める。と、これが役者揃いで、 おもしろいのなんの!だからイヤだったんだ!こんなに面白く出来るものを、これ以上面白く、どうやってやれば良いのか!? 同じようなものをしても、絶対彼らに近寄れないばかりか、そんな舞台は意味がないとさえ思える。「ちぇちぃりぁらしく」 スタートを切る会でさんざん出た言葉だが、ホントにそこにポイントを置かなくては、、、、は~っ!頑張るしかない!!

 

 明日は吟行だが、雨が降るかもねえ~。ま、久しぶりの雨は歓迎すべきだが、、、しかも、 こないだ雨が如何に好きかと詠んだ所だからなあ~。あの歌はなんなのよ、と突っ込まれないように雨を楽しもう!ってね。

 

 雨音も濡れ行く道も水の輪もなべて好まし歳経るごとに

2009年6月19日 (金)

チャタレイ。ぽ~

 偶然ケーブルテレビでかかっていた「チャタレー夫人の恋人」の映画を殆ど観た。 殆どというのは途中でちょこちょこ仕事をしながらとなったからだが、原作に忠実に描かれていて美しかった。 少なくとも同名の映画を3本は見てるが、これは美しさという点に於いてはトップだった。さすがフランス映画だけのことはある。 セクシーな場面も官能を捨てずにそれでいてあくまで「美」から離れることもない。役者も好みだった。 ロレンスの原作から私が受けていたものにかなり近いものがあった。が、実は若い頃読んだこの作品は、余りに官能的で眩しすぎ、 当時悪書かと裁判になっていて世間をにぎわしていたのも頷けた程だった。が、自分自身その後かなり感想が変わってきた。  あれは絶対悪書なんかじゃない。人間の心理をたくみに描き出して、小説としての面白さを越えていると思うのだ。 

 でも、今日見たこの映画は、そう言う意味では綺麗すぎたとも言えるのではないか?矢張り障害者の夫の奥底に潜む黒い心理や、 その夫人の抑圧された煩悩と理性の葛藤がイマイチ描けてないような気が、、、、。「綺麗な恋愛映画」に終始していた。、、、 でもやっぱり映画は面白い。

 

 この映画の背景も、ちぇちの公演に利用したいものが多々あったなあ~、、、でも、高そう、、、。

 

 昨日のこの日記を読んだという人からメールが入る。それっていつ?ということだったが、生憎調整が付かないことが判明。 涙を呑んで貰った。さあ、はるばる行って、どの程度なんだろうねえ~。 お味は。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

2009年6月18日 (木)

ドンマイ!

 昨日から店に冷房を入れ始めて、それに伴い腰痛の復活、自律神経の不安定が起きてきたので、 これはやばいと全く久しぶりに二日続きでジムへ行く。といってもサウナとお風呂だけ~。とにかく行けば、 行ってあの空気に馴染めばジムの方にも足を運びたくなるかも知れないというくわだてだが、 二日ともさっぱり二階のマシーンの部屋には上がる気がしない。でもまあ、一日の終わりに汗をかいて、さっぱりするのは、 家風呂とは比較にならない爽快感だ。元気を盛り返さなくては、、、。

 昨日は早朝からK画伯の授賞式のために奥様の着付けにはせ参じた。あんなに朝早く五色台から海を眺めたことはないので、 少々感動した。少々というのはあまり余裕がなかったからだが、画伯はお出かけのぎりぎりまで庭の樹の枝を切ったり、 海を眺めながらすっかり好々爺の風情。いやいや御歳80歳になられてもかくしゃくという言葉が似合わないほどの少年だ。 ご自身がたっての希望で彼の地に住まいを建てたと聞いているが、あのご様子を見る限り夢の叶った少年そのものだ。 二人でそれを笑いながら眺めて、すがすがしい空気を感じながら着物をお着せしたことだ。これは、 最近亡くなられた母上が遠く離れた娘の為にと斬新な柄を選んだらしいまるで現代アートのような素敵な着物で、 彼女にとっては格別な思いのあるものだった。私が撮ってあげた写真を週末に四十九日のため帰郷して仏前に飾ると仰る。 悲しみがいや増す時期だなあ~。

 この日の様子が早速今日の朝刊にカラーで出ていた。でも実際は画伯のお洋服はもっと素敵で、さすが~、の色合いだったのだ。 ちょっとあれだけのカラフルなものを誰でもは着られないだろう。

 

 昨日はそれもあったり、予約客が何人かあり、一日中バタバタ。で、夜になって母を病室に訪ねると、 「あんた今日お風呂だったの忘れてたでしょう。」と言われる。あっと思い出したが、手帳には書いて無くて、 「書いてても忘れるんだから書いてなきゃなおさらよ!」と居直る。で、急きょ熱いタオルで身体を拭いて差し上げる。ま、 それでもスッキリしたらしいが、、、、トホ。明日はその入浴日で、こちらは絶対行かなきゃ~流石にこれは忘れないだろう。 母の認知症を気にしてる場合じゃないかも~トホ。

 

 今日は東京のM氏から電話があり、二人目の赤ちゃんが無事生まれたとのこと。おお、めでたい!この出産というのも、こちらから 「どうだった?」と訊ねにくいものだ。万一ということもあるし、そうした場合そんな電話は迷惑なだけだ。 だからご本人から知らせて貰ったらホントにホッと安心した。とうとう彼も二児の父、というわけだ。フレ~フレ~!

 

 予定はすぐに埋まっていき、明後日はKY嬢と今後の練習形態などについて打ち合わせをやることに、、、。 ホームページも手直しが必要だし、、、やることが一杯だなあ~。もう殆ど諦めムードのアチクシだが、、、、ま、若い人にやって貰おう!!

 明後日は吟行。幸い夫が県外にお出かけらしく、夕食の準備から解放されそうなのが有り難い。

 今日の我が家でのCOOPの仕分けの時間に、やってきたKさんは転んで胸を打ったらしく、ヒビが入ったという。 まるでお能のような歩き方をしながらそれでも運転してきたなあ~!おろろき。でも、みんなで話していて、そう言えばこのお方去年も転んで、 確か顔に大きなあざを作っていたよねえ、と思い出し不謹慎にも大笑い。本人までが胸を押さえながら笑っている。 三度目の大きな怪我が無いよう気を付けようと、同い年3人、若干若い義妹の4人で語り合ったことだ。ふ~っ。で、 ここからが我々らしいのだが、にゃ、にゃんと、はるばる岡山まで美味しいお料理を食べに行こうということになる。 予約してないと絶対入れないらしく、中華なのにフランス料理みたいなんだそうだ!?とにかくみんなで憂さ晴らしに行こう! とすぐ話がまとまる。言い出しっぺのYさんに電話して早速了解を取り、日程も決まる。 こうして抜く所があるからみんな笑顔で生きて行けてるんだ。ドンマイドンマイ!!

2009年6月16日 (火)

レッスンそしてスイカ。

 全く久しぶりに個人レッスンを受ける。母が入院してからこっち殆ど歌らしきものを歌った覚えがない。今日も声はまだ7, 8割方の戻りで心許ないままだった。が、このまま歌わないで手をこまねいていても時は経つし、オペラ公演はドンドン近づいてくる。 自分のことだけやっていれば良いという立場でもない。そろそろ出演部分をさらっておかないとヤバイ、と思ってのことだった。が、案の定、 レッスン途中で咳が出たり、妙な冷や汗が出たり、どうも自分の声でないみたいな感触だった。しかし、 先生はいつもと変わらない声だと言ってくれる。でまあ、オルロフスキーをちょびっとさらったが、やたら高音な上、 日本語の歌詞をキチンと発音する自体大変だ。本番までになんとかなるのだろうか、、、?心配。、、、多分、 今多くの人が私と同じ感想を持ちながら日夜練習していることだろうなあ~。

 

 友人のY=映画通がやってきて、先日おみっちゃんが感動した映画の話となるが、流石このお方よく知っている。 スラム街で良いことも悪いこともしながら兎に角生き延びてきた青年が、クイズ番組で人生の折々で遭遇した事件によって、 偶然出された質問を解いていき、どんどん億万長者に近づいていくというこのお話。実は、映画の世界的大ヒットにもかかわらず、しかも、 撮影前の約束にもかかわらず、この主人公が住んでいた家が破壊され、スラム街は国の恥とばかり、その街は全て撤去されてしまったらしい。 あの純朴そうな牛の目をした青年の顔が脳裏に蘇る。余りに悲しい現実だ。「国の力」はかくも残酷で強力だ。

 

 今日は病院に市の係員が来て、状態の確認というものをしてくれた。 これによって帰宅後のケアになんらかのサポートが付くかも知れないし、ならないかもしれない。ま、 いずれにしても家族は様々なお勉強を強いられる。いずれ我が身と思っておいた方が良いかもねえ~。

 レッスン後の夜9時前という時間によく冷えたスイカを一切れ持って母を訪ねると、待ってましたとばかり食べてくれる。 母のスイカ好きはしっかり私と孫に受け継がれているのだ。しかも今日持って行ったのはとびきり美味しかったので、 たった一切れでも持っていったのだ。まるでメロンのような大きさのスイカだったが、皮が薄くメチャ美味しい。、、、、いつの間にか、 スイカがこんなにも美味しい時期になっている。

2009年6月15日 (月)

一日目一杯。

 風邪を抱えこんでいる人が何人か居る状態でのちぇち練だった。かくいう私目も咳が取れない=喉がいがらっぽい、で、 十分な声を出すのが怖い状態。声は少しは出るようになったが、さあ、100%快復にはどうだろう? 明日は自分の個人レッスンをいれてはいるが、、、。

 休憩もとらず3時間べったりの練習は、さすがに疲れる。一日の最後の時間を使っているしなあ~。まあ、 若い人が場の空気を元気にしてくれているのは有り難い。(誰のこと?と突っ込む声が聞こえる、、モチロンあの人とこの人と、、、 一杯いるじゃん!?)

 見学者の男性はどうかなあ?入ってくれるかなあ?もうある程度進んでいる状態での見学は、実は困るんだなあ~。 初めからこんなに歌えているかと勘違いされるんだよなあ~。さ、どうなることか。

 

 昼間はシャンソン教室でこちらも風邪引きさんの欠席者が、、、。最年長のAさんがもしかしたら軽い脳梗塞かも、、、と知らせがあり、 みんなでお家を訪問する。80を過ぎて尚、お一人で暮らしていらっしゃるが、ホントにきっちりと自立した暮らしぶりだ。 お見舞いに行ったのに、綺麗にお化粧されて、お茶など準備して待っていてくれた。話を聞けば、精密検査の予定だとか。何事も無ければ良いが、 、、手がしびれるとか、妙な感覚があるとか、心細いことばかり言われるのであるメンバーは涙で聞く有様。こんんな縁で知り合って、 親子のような絆が出来ている人達も要るのだ。、、、しかし、10年教室を続けていて、みんな年取ったということだ。 いつまで続けられるだろう。私自身も、、、。

 

 朝は母をお風呂に入れたが、今日はゆっくり1時間使えて満足。汗をかいたので私もシャワーを浴びる。その点便利だこの病院は。

 夜になって帰宅したら主人が一時期メチャクチャ凄い雨が降ったという。わ~お、窓を閉めて出かけて良かった!というと、 夫はどうやら自分の布団を干したようで、すっかりそれを忘れていて、思いっきり濡れたんだとか。いや、だからあ~、 雨が降るほど珍しいことをするから忘れてそんなことになるんでしょう!と早口で言うと、「何?」と問い返すので、「いや、別に」と返事する。 やれやれ。又ケンカになってもつまらない。くわばらくわばら、、、。

2009年6月14日 (日)

県展と映画。

 友人の絵が県展に出ているので是非見に行ってくれと連絡が入り、定休日の今日のんびりと出かけてみた。 日展なんかと違い数が少ないのがありがったかった。絵の鑑賞って疲れるのよねえ~。全体の感想は、「変わらないなあ」だった。 ここ数年見に行ってないと思うが、作品の傾向が余り変化してないように思った。中にはオッと目を見張るものもあったが、、、、。 友人Yの絵は、そうした中で異彩を放っていたがまるで哲学的で、これにコメントせよと言われても難しい~。ま、 自分なりの感想を言うしかないが、、。絵は声楽と違い自分の心の中を自由に描けるのが良い。そうすることに殆どなんの規制もないだろう。 歌は、作曲家が居て作詞家が居て、その上伴奏者に合わせるという作業が要る。

 それにしても香川は彫刻家が少ないのか?メチャクチャ少ない出品だった。モチロン不合格の人が大勢いたのかもしれないが、、、。 洋画に比べるとお話にならない程の数だ。 友人のS氏のお陰で毎年のように日展の沢山の彫刻をイヤと言うほど見ている私としては拍子抜けといったところだ。楽しいのになあ~って、 製作を考えると確かにとっつきは悪そうだけどねえ。場所も取るし、モデルも要る。

 

 美術展を見た後は映画鑑賞だ。インドのお話でミリオネラーというクイズ番組で多額の懸賞金を取っていく若者が主人公。 この映画はアカデミー賞を貰ったというが、なるほど作品はかなり楽しめるし、テーマも深く感動した。 私自身がこれを選んだ理由の一つはインドの衣装だ。予想通り大いに参考になった。

 それにしても美術も映画も今日は大勢の人だった。私と入れ違いで映画の部屋に入る人々は「ターミネーター」 がらみのようで小さな子供さんも沢山来ていた。いつもこれ位人が入ると映画も発展するんだろうが、、。

 困ったのは朝昼抜きで座っていたら、お腹が鳴って鳴って、、、!終わってから急いで中華のお店に!冷麺出来ます!につられ注文。 結構行けた。

 

 こうして変な時間に食事みたいなものをとったので、自分は欲しくないが、、、夕食の為の食材を買い込んで、一度母の病室に行き、 明日のお風呂に又来るからと、食事の為に部屋を出るのを見送ってTさんの母上を見舞う。しばらく四方山話をしてから病院を後にし帰宅。

 

 結局今日もバタバタだったなあ~。

2009年6月13日 (土)

締め切り。

 偶然母と同じ病院にTさんの母上が入院した。こちらは自転車同士の事故だが、怪我は半端じゃない。 病室を訪ねると2ヶ月で8キロもお痩せになり別人の様相。傷跡も見せてくれたが、ムムム、、、。 でもこうやって怪我の殆どが手術によって修復できるというのが凄い。大昔なら完全に障害が残り日常生活もままならない事が多かっただろう。、 、、でも、その頃はそんなに怪我をする人も少なかったかも知れないなあ。 今のようにどっちを向いても走る凶器がうようよしている時代とは違う。人間の成長は危険と隣り合わせだ。だから文化の向上は、 新しい危険と戦う医学の向上と平行して進んでいるのだろう。いたちごっこだ。

 

 ソリストが段々その気になってきた。おいおい今頃?と言うなかれ。ちぇちは何故かのんびりやが多い。 多分今現在も今度の公演の何かをやっている、もしくは考えている人は片手居れば良いほうだ。そりゃあ、頭のどっかにはなにかしら 「やらねばならぬ」強迫観念が小さな脈を打ってはいるだろう。でも、それより大きな面積で、「まだ時間がある」 と思っている人が多いのではないか。それがねえ~、、、時間はねえ~、、、あっという間にねえ~、、、。

 マッサージ機でうとっとしていると、夫が隣の部屋で(即ち台所で)テレビを大音量にして「詩のボクシング」なる番組を見ていて、 時々パチパチパチと手を叩く。起きて移動中に、「よっくそれだけテレビに向かって拍手出来るわねえ~」と嫌みを言うと、「何が悪い、 これが自然な行為だ!」と返してくるのでさらに、「今から老人ホームしなくても、、、」と嫌みの上乗せ。ま、 これでは夫婦げんかになるわなあ~、と内心思いつつ、パソコンの前に座る。あたしゃ締め切り前の短歌が出来なくて機嫌が悪いのだ。 夫がとっとと二階に上がったらしいので、静かになったところで無い頭をぼちぼちひねるべえ~。

 

 締め切りねえ~。無いと絶対作れないものだ。

 

 

 

2009年6月12日 (金)

モデルと天才。

 今朝は母と二人でにゃんとモデルになった!母はヌードモデルだ!

 実は初めて一人でお風呂に入れるということになっていたので予定の時刻に出かけたが、新人見習いの介護士さんが、 お風呂の入れ方を学習したいから見せて欲しいとのこと。断るわけにも行かず、 結局先輩介護士と二人が見守る中をやや緊張しながらの入浴タイムとなった。いつも誰かが付いていたので、 今日こそは二人でリラックスして入れるね、と話していたのに、むしろお手本を示さなくてはと思ったりして、殆どお喋りも出来ず黙々と入浴。 母もそそくさと湯殿から上がってくる。にゃ~んだ、てなもんだが、まあ仕方がない。初めからは色々出来ないことだらけだろう。 見て学ぶことも多いだろうし、、、。お風呂での事故は結構多いらしいし。頑張って貰わねば。

 

 ちょいと疲れたが速攻帰宅して来店客を仕上げ、個人レッスンをしてからFMに駆けつける。今日は面白いグループで、 朗読劇なるものをその場でやってくれたが、機械の都合で延々3時間半スタジオに缶詰となってしまった。私の段取りミスでもあったのだが、 専門家が間に合わなかったというわけだ。ま、皆さん時間をあれこれ調整してくれて、なんとかかんとか2本分の収録が済んだ。 私は生で聴けるのだが、矢張りなんでも生が良いなあ。

 伴奏者は以前にも出てくれた面白いピアニスト?で、絶対楽譜というものを見ない人だ。 どんな難しいオペラの曲も耳で聴いてそれを音に出来るんだそうだ。まるであの天才と呼び声の高い全盲のピアニストTさんと同じではないか!? 今日そう言うと、「確かに共通項はいくつかあります。」と言う。小さい頃にオモチャのピアノをねだって買ってもらい、 聴いたものをすぐ弾いていた!んだそうだ。不思議な人がいるもんだなあ~。

 イヤハヤイヤハヤ。

2009年6月11日 (木)

空も海も綺麗だったなあ~。

 1ヶ月ぶりのフェリー。デッキに立ち、潮風を一杯受けながら陽を浴びていると日常生活の全てを忘れることが出来た。 でもそれは高松港に戻り着くほんの少しの時間のこと。行きも帰りもしっかり台本と取っ組み合っていたのだ。 往復2時間はもの凄く仕事がはかどる。誰にも邪魔されず、やりたいように出来るからだ。今晩の衣装のあれこれも段取りがあらかた出来たし、 先日の小道具の洗い直しも出来た。そして第1稿に付け加えるべきセリフの数々も挿入できたし、効果音の洗い出しや、 転換のインパクトについても名案が、、、、。時々外を見るとどこまでも美しい瀬戸内海が拡がり、眠気さえも起きない。

 ところが、実はぎりぎりまで家に居たのもあり、途中の渋滞のせいもありいので、 特急で車を停めて乗り場まで行ったときは1分近く遅れていた。「すいませ~んん」と叫ぶと、「こっちから乗って!」 と車乗り場に呼び込まれる。車ほどでかくはないつもりだが、、、。とりあえず間に合って良かった。

 2時間のレッスン時間がとても短く感じられるというのは私にとっても有り難い。皆さんのお顔も充実して赤くなってきて、 途中で頂くお茶の美味しいこと。歌が好きな人の集まりって、ホントに良いよなあ~。 今日もシャンソンが如何に演劇に近いかということに想いが至ったことだ。楽譜を見ていては、演じられない。自分では 「歌は苦手だったんです~」と言う人が立派に歌っているのも面白い。

 友人に言わせると、よくもまあ物好きに4時間も!たださえ忙しいくせに!ということになるが、これは私の気分転換の時間でもある。 海が好きというのもあるが、また高松の人達とは違う雰囲気の人達とのお付き合いは、精神生活をリフレッシュさせてくれる。昔々、 私はもの凄い人嫌いだったのだが、、、、。不思議なことに今は友人の誰よりも人と接しているみたい。きっと、 こうして色んな人に生かされて居るんだろう。

 

 ちぇちはついに衣装に取りかかることとなった。我が家に集結した衣装係さん達は真剣に話し合った。 出来ることと出来ないことがあるが、なるだけちぇちらしい、それでいて感動を与えられるようなものが出来ると良いなあ。 知恵をだしあってやれば不可能という字はない、ハズ!!

2009年6月10日 (水)

快方に向かう。

 大分楽になってきた。流石の病もいつまでもおみっちゃんの身体にくっついているのに飽き飽きしたのかも知れない。 声も十分ではないが、一応人様に通じるまでには快復した。嫌いな薬も飲み、強力なうがい薬も使い、カリンの原液とやらも喉にたらし続け、 マッサージも受け、本日は最後のとどめで(とどめにしたい)針治療に行ってきた。頭までが痛くなってきたためだったが、「大丈夫ですよ。 お元気な方ですよ。」と慰められる。ま、その針が功を奏したのか、随分と身体が軽くなった。このまま、一直線で快復して欲しいものだ。

 

 昨日全盲のTさんがピアノコンクールで1位になったという素晴らしい快挙が報道されていたが、 夜には全盲で聾唖の大学教授が取材を受けていた。人間て、身体の機能が一部欠損すると、別な機能が充溢し鋭くなってくるのだろう。 五体満足が良いとは、必ずしも言えないという良い例だ。五体満足なくせに、さっぱり何も出来ないなあ~と、彼らを見て恥ずかしくなってきた。 いやいやだからこそ頑張らなくては!

 

 そしてイギリスのアマチュアのテノールがこれまたコンクールで1位になったとかで、今朝のワイドショーに出て歌っていた。 誰も寝てはならぬを聴いたが、成る程。他の曲をもっと聴きたいと思ったなあ。彼は歌手になる夢を捨てきれなかったらしいが、 夢を持ち続けることが大切だと力説していた。夢ねえ~。、、、そういえば宝くじってもう売ってないのかなあ?ああ、情けない夢。だって、 こないだラジオで聞いたが、アメリカの青年が20億だか30億だかの賞金を手にしたと報道されていたもんなあ。もしそんなことになったら、 あたしゃ一番にちぇち専用のホールを建てるなあ。モチロン練習会場も、使い放題の楽器も揃えて。広い駐車場もあって、 食堂なんかもあると良いなあ。カウンターのでっかいのがあって、棚にはワインやら洋酒やらがずら~っと並んでいて、 冷蔵庫には飲み物がわんさか入っている。暇な人は音楽したり飲んだり食べたりし放題。いいないいな、、、!んん、 合宿も出来るような設備があるともっと良いなあ。ま、合宿はいっか。飲んだり食べたりは持ち込んでも良い。 運転できないからアルコールもなしでいっか。後片付けが大変だから、食堂も無し。駐車場なんて贅沢言わない。田んぼで良い。 ピアノがあればまあ良いか、、、、てな具合にしぼんで行くおみっちゃんの夢。それさえ叶わない現実。ふ~っ。夢みるだけ時間の無駄。ち~ん。

2009年6月 9日 (火)

小道具係スタートライン。

 遂にスタート!という感じの「小道具係の会議」が本日夕刻行われ、充実した時間となる。三人寄れば文殊の知恵ではないが、 8人の志士達は頑張った。大分舞台の図が描けてきた。ユニークな面白い舞台となりそうだ。予想通り今までと違い、 もの凄い数の小道具が必要となったが、みんなで手分けしてやることとなった。さあ、どこまで優れものが現出するか見ものだなあ~。 結局3時間半かかったが、深夜までかかると予想して来ていたメンバーもいておろろく。あたしゃそこまで身が持たない。

 

 午前中に母をお風呂に入れる。初めての自分での入浴を大いに喜ぶ母。人間、状況ではこんな小さいことでも幸せになれる。 同室の人と私もよく話をするようになって、初めてお隣さんが母と同じ日に交通事故にあったことを聞く。ご本人は覚えてないそうだが、 自転車に乗ったままはねられたんだそうだ。どうやらボンネットの上に放り上げられたらしい。頭にかなりの傷があり、 専門の病院に搬送されたが、そちらより骨折だと又別な病院へ。恐ろしいくらいの骨折でも、1ヶ月半で今の病院に転院だとか。 私より若い人だと思っていたら、ナント2歳上の人だった。平然と話されるが、さぞ苦しんだことだろう。でも、 運転手が20歳の青年でそこの家庭状況を聞くと逆に同情しているとのこと。ん~ん、人間が出来ている。危うく命を落とすことになったのに、 凄い。他人事ではない。交通事故だけはいつ我が身に起きるか知れないのだ。

 

 

2009年6月 8日 (月)

時計よ止まれ。

 昨夜1泊で実家に帰った母に付き添って、全く久しぶりに実家に眠る。移動に疲れたのか、 母は私と弟が見ているテレビの音を子守歌にスヤスヤと寝息を立てている。病院での規則正しい生活が身に付いたかと思ったが、 夜中に3度ほど目覚め私の肩を借りてトイレに通い、そのたびにぐっすりしかも遅くまで眠ったところを見ると、これは病院疲れのようだった。 自分のベッドで、ゆっくりと気兼ねなく眠れたのは、何よりの心の薬となったのだろう。そういえば先に退院した友人の母上も、 退院したその日からまる二日間というもの、食事も殆どせず、ひたすら眠り続けたという。病院では夜中も誰かが廊下を歩き、 部屋の出入りもあるから落ち着いて眠ることが出来ないのだ。「眠り」はホントに人間にとって最も必要なものだ。

 朝ベッドから庭を飽かず眺めている母の姿を、私も静かに眺めていたが、あのとき一体母は何を考えていたのだろうか。 母の代わりに弟が丹精込めて苔を育てているのを喜んでいるのは分かっている。 樹がそれぞれに調和を持って成長しているのを見るのは喜ばしいことだろう。それらが最も美しく見える天候だった。、、、でも、 放心状態で動かず庭を眺める母の背中は別なことを私に告げていた。

 私が仕事に戻ったとき、お嬢が東京から電話してきて、どうやら長電話したらしい。「おばあちゃんがねえ、 開口一番何を言ったかお母さん分かる?」と電話してくる。「庭の緑が綺麗で、今まで見たこともないような綺麗な色で、 何時間見ても飽きないってよ!これぞ心のケアよねっ!」、、モチロン、そうだろう。が、娘にはその奥にあるもの、 母の今までのことやこれからの事への不安や思いがまだ理解できてないのだろうと思う。ま、電話で分かることとそうでないことがある。

 母を観察していて思うことだが、多分同じ年齢の人よりはかなり元気だ。病気になっても快復力がめざましい。 10年前のくも膜下出血の手術後も120%快復したし、今回の2度の手術にも関係者が驚くほどの快復振りだ。これは「生命力」そのもので、 我々周辺の人間の期待に応えなくては、という強い意志が常に漲っている。だから、介護のしがいがあるのだ。どんなに周囲が頑張っても、 本人にその気がなくては治るものも治らない。、、、このまま、どうぞ日常生活に戻れますように、と願うばかりだ。

 今日は仕事が休みの私は、母を病院に送って帰り、マッサージ機に直行。そのままぐっすり小一時間も眠ったか。少し楽になって、 家事をやっつけ、夕方再び病室に行き、そこからちぇち練だ。自分自身はまだ歌えない状態だが、やることは山ほど抱えていく。しかし、 どうも調子が出ない。頭脳が明晰でない感じ。前頭葉に膜がかかった感じ。体調不良というのは、ホントダメだなあ~。 実際母の心配より自分の心配かも~。

 

 今日の練習で多くの人が何度か台本を読み、前後関係も把握出来てきたような感じはしたが、 今度は相手の出方に対応するというのを練習する必要があると感じた。ピンポンと球を打ち返す感じが欲しいのだが、 壁に向かって一人遊びをしている人が多い。これを解消するには全員で揃った練習をする必要がアルのだが、、、、 なかなかこれが実現しないのも困ったもんだ。参加者には告げたことだが、今のところテレビドラマのセリフになっていて、 劇場型の言い回しが全く出来てない。意味を取るという段階は出来て来つつあるが、これをしっかり劇場のセリフに持って行かなくてはならない。 歌と違うと思いこんでいる人には、そうでないことを理解して貰う必要がある。日本語でやりながら字幕が必要と言われないために、、、、ああ、 時間が無い。

2009年6月 4日 (木)

淋しい人とそうでない人。

 今日久々にご来店のTさんは、ご主人が亡くなって100日が来ようとしている。一人っきりになってしまったが、 何とかそこから這い上がろうとシルバーに登録に行ったそうだ。講習会に行き、色んな話を聞きつつ行政の矛盾を感じたことなど話してくれる。 そこまで精神的な自立が出来てきたのだなあと聞いていたが、一番の心配事は今後の身の振り方だという。働ける内は良いが、 これから先年取って身体が動かなくなったら、県外の娘のところへ頼っていこうか、それならいっそ元気な内に行って、 少しは役に立ってから世話になろうか、、、あれこれと考えがまとまらないという。住み慣れた土地を離れるには矢張り相当勇気が要るようだ。 私と余り年齢の違わないこの方の話を聞いていると、自分の老後も先のことではないとしみじみ感じる。間もなく後期高齢者だ、おみっちゃんも。 後期、ねえ~。

 このTさん、帰るとき、「今日もホントに来て良かったです。ここへ来るのが私の唯一の慰めです。」と仰る。ナントお気の毒な! 私のようなものの所へ来て、ほんの2時間足らずお話するのがそんなに、、、。それくらい淋しい生活を送られていらっしゃるということか。 後ろ姿に心から頭を下げた。

 

 母の病室が個室から3人部屋となり、マスクをして気兼ねをしながら訪問し同室の方にご挨拶。すると暇をもてあましているらしく、 70歳くらいの方が次々と話をしてくれる。聞けばご主人と二人暮らしで、 自分が入院したためご主人は10日あまりで2キロも体重が減ったとか!その報告に来たご主人のことを楽しげに話されるのも可愛いではないか! 良い方と同室になったものだ。母のことをしきりに若く見えると言ってくれるが、「でも、昼間こんなことがあって、 そういいうところはお年かなあ?と思いましたがね。ホホホ」とまで言ってくれる。これはもしかしたら良い監視人にもなってくれるかも~。 もう一人の方はご主人が訪ねてこられて、ず~っと仲良くテレビを見ておられた。こちらはお若くお仕事も現役の方のようだ。 こうして若い方の間で随分やる気になっているらしい母を見て一安心して帰る。

 

 このところ、寄ると触ると「介護」だ「老後」だ「認知症」だの話になる。右を見ても左を見ても身近にそういう人が増えてきた。 昨日も同行したMさんの話だと、彼女は二人のお姑さんと自分の母親を看て介護のベテランというわけだが、 確かに身体が大きい人を看るのは大変よ~、と言われる。ぎょへ~、モチロン分かっちゃいるけど、ねえ~。だから、と彼女は面白いことを言う。 「近頃の若い娘達はやれ体格がいい人が良いの、背が高い人が良いのって言ってるけど、いざ介護って歳になったらきっと後悔するのよねえ。 だからほどほどが良いのよほどほどが!」わ~お、うちのお嬢が聞いたら何というか!?確かにそう言うときが来たら困るだろうなあ~。 彼のあの立派なお体!ま、私を看る人もねえ~。でも、もしかしたらやせ細る病気になるかも知れないジャン!?って、 あんまし可能性無いかなあ?嘔吐下痢症になっても殆ど変わらない頑丈なこの身体だもんねえ~~。めっちゃ忙しいときに余計太る人だし~。 ストレス抱えると暴飲暴食するひとだからなあ~おみっちゃんは。

2009年6月 3日 (水)

ロンドンからあの劇団がやって来た。

 昨日は体調のこともあって随分迷ったが、結局岡山まで「ロミオとジュリエット」を見に行く。この劇団イギリスからの来日だが、 ここ大学では無料で見られても、東京などではケッコウな金額で公開されている由緒正しき劇団なのだ。今年で4回目見ているが、 ホントに素晴らしい。無理して出かけた一つの目的は、とにかくお金を掛けずに舞台を創っているし、 無いものをアルかのように見せるテクニックに長けている劇団だということを知っていたからだ。これをちぇちの公演でも頂こうという寸法だ。

 が、当然の事ながら、この観客の想像力に訴えるやり方は、出演者の技量が問われるし、特に言葉の明瞭さが問題だ。 その意味ではこの英語劇は、日本人の我々には理解しにくいものだったが、 身体と表情で言葉以上に説得力のある演技だったため殆ど問題なかったといえるだろう。モチロン、 シェイクスピアの深い意味合いを持つ言葉の隅々まで堪能できたかというと、それは矢張り疑問だが、 それはこちらの英語力のなさのためで彼らのせいではない。、、、それほどに、素晴らしい演技力だった。 たった6人で早変わりに次ぐ早変わりで、音楽ありいの歌ありいので、ここまで演劇もシンプルに出来るのかというほどシンプルだった。

 これを参考に、ちぇちも何とか考えねば、、、、と思わされたが、その為には歌と演技を余程しっかり訓練しなくては無理だろう。 お金を使わずやるからには、しっかり演技と歌の勉強だ。ともすれば心の支えが無くなりそうでも決めたからには前進あるのみと、 吾と我が身にむち打つのだ。

 それにしてもジュリエットの美しさは目を見張るものがあった。ロミオは好みではなかったが、他はピッタリの配役で、、、 こういうのを見てると、外国の芸術は矢張り外国人のものか、とため息が出るばかりだ。

 

 そして、アチクシは案の定上演中何度も咳き込んで、マスクをしていても何の役にも立たないばかりか、 マスクの繊維の粉が喉に引っかかっているようで余計イガイガして困った。他にも随分と咳が聞こえていたのは時節柄気味が悪かった。 多分私自身相当他人様から気味悪がられていただろうなあ~。

 シェイクスピアの講座に初めから参加している古くからの友人Mと一緒だったが、殆ど声が出ない私と一緒で気の毒だった。 まあそれでも、「一人だと長く感じられる道中が二人だったから短かくて良かった。」と言ってくれてホッとした。みんな優しいなあ。

2009年6月 2日 (火)

声が出ない日。

 恐るべし、友の呪いの言葉!「あんた!そんなことしとったら、明日は声がでんようになるで~~!」 と夕べ言われたその通りになっちまった!!朝、電話が鳴ったので取るには取ったが、自分では「ハイ」と言ってるつもりが全く声が出てない。 あちらはこちらの声を待ってから喋るつもりらしくシンとしている。「シャーシャー」というような声にならない声で「もしもし」と言うと、 「あら先生!?お風邪ですか?寝込んでるんですか?」と言われても、返事が出来ない。 なんとかかんとか声らしきものを絞り出してようやく意味が通じて、電話を切ったらどっと疲れた。参った!

 友の助言通り意を決して耳鼻咽喉科に走る。するとその医師も大いに怒る。薬を適当に飲んでいるとこうなります。 こんな事になるまでほっとくのは考えられん!だった。流石に大人しく、「ハイ」しか言えなかったが、矢張りこれは正解だったようだ。 大分調子が良くなった。

 声がないというのもつらいものだ。ホントに出来ないことが多くなる。

 しかも、夜になって母の病室に訪ねると、8時というのにもう部屋を暗くして寝ている。驚いて顔を見ると何となく顔が赤いし、 声が鼻声だ。やばっ!私のがうつったのか?熱が少しあって水枕をして貰ったという。急なリハビリのせいかもしれないし、 7度1分だというから余り心配は要らないのかも知れないが、、、、。介護も自分が健康でないといけないなあ~。

2009年6月 1日 (月)

練習のあとは疲れ切る。

 最悪の体調でちぇちぃりぁの練習に参加したにもかかわらず、会長殿は体調不良とかで今日もお休み。この私の頑張りはどうなるの? と言いたい。そりゃあ休んでもそれなりに進んでいくだろう事は分かっている。でも、私は休めない。電話で話した友人がこっちの悪声に呆れて、 こっぴどく叱られた。自分の歳を考えて行動しろ!!がその友人のセリフ。おお、セリフ!現実のセリフはかくも説得力がある。

 全体として有意義な練習が出来たと思うが、それもこれも進行係のY嬢のお陰だ。 先日二人の間で決めていたことを確実に段取って進行してくれた。これなら今後の練習も希望がある。例え誰彼が休もうと、 やるべき事が進行していく。今は特にどこをやっても大丈夫な時期。イコール取り崩すべき山はまだ高いということだ。

 

 今日休む人もいれば無理をおして来ている人もいる。はるばる岡山からの人もいるんだ。高松の人はちょっと見習うべきだろう。 5時間かけて来ている人がいるのだ!!

 今日は全く久しぶりにシャンソン教室だったが、もうすっかりこの人達はグループ化しているなあ。 この教室に来なけりゃあ絶対出会わなかった人達が出会うという意味では、カルチャーの持つ意義は大きい。

 

 昨日は母の介護を巡って弟とやり合ってしまったが、今日は何事もなかったかの様に話が出来たのは矢張り姉弟だなあ。男と女、 姉弟といえども考え方に大きな開きがある。お互いの生き様がその主張に反映してくる。かなり話し合いが必要だろうなあ。 どちらも母を想っていることにかわりはない。

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