メールの功罪。
今更ながらメールというものの怖さを実感している。長くなると文章の細かいところに気が届かず、誤解を生んではイケナイと、 単純な文章を送るとそれはそれで、そっけない文章と受け取られる。それでも友人間で、気の置けない間柄なら、 その人となりを熟知しているから想像力でカバーできるが、そうでもない場合はちとやっかいなことが起きる場合がある。いやいや、 そうした親密な間柄でも、その時の状況、打つときや読むときの気分でもって、解釈が色々になりまたまた誤解を生んでしまうケースもある。 メールで人間関係が壊れてしまうこともあるのではないか?
今回私がやっちまった誤解はどちらもが疲れ切った状態でのやり取りだったことが一番の原因だ。 そういうときはありったけの武器でもって相手をねじ伏せようとするものだ。そしてお互いがますます傷つき合うと言うわけだ。 電話の方がまだ良いなあ。間違いはすぐ訂正できるからなあ~。
世間でも、メールによって殺人事件が起きたり、嫌がらせの道具になっている場合も多々聞いている。 この現代の利器だったハズのものに、人間様が振り回されている。情けないことだ。
今日は岡山の日で、楽しく歌のレッスンをしてきたが、やっているときはこのところの疲れも忘れている。 少しずつ皆さんが成長しているのを見るとホントに嬉しい。中に演劇の経験がある人が居て、歌が、 特にシャンソンが演技力を必要としていることに思い至らせてくれる。「表現」として捕らえることが経験のない人よりも上手いのだ。 セリフも棒読みは誰でも出来るが、そこに色を付けるのは至難の業だ。それと同じ事がシャンソンにも言える。 楽譜通り歌っても面白くも何ともない。じゃあ何かと言われるとそこに一言では言い切れないものがあるのだ。「感性」、それも大切だ。 でもいくら感性があって理解力があっても、それを表現するのは又別物だ。そこにテクニックが加わることによって、 音楽に幅が出来るというものだ。メンバーの中には長くやっている人も居て、その人はご本人が思ってる以上に上手くなっている。 久しぶりに前回その人を聴いた人が驚いていたくらいだ。が、これは本人には到底わかり得ないことなのだ。
歌は難しい、と言われる所以がそこにある。
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