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2009年5月

2009年5月31日 (日)

認知症のことなど。

 今最も気がかりなことは、母がもし認知症になったら、、、ということだ。長く一緒にすごしていると、 不安に思うことが多々出てきている。これが単なる老人性の健忘症なら良いのだが、、、。 ネットの情報によればその兆候を見つけるのは矢張り家族がしっかり見極めなくてはならないらしい。これが、口で言うほど簡単ではない。 基本的に母が認知症かもしれない、なんてことは認めたくないのだ。私が持ち込んだ週刊誌を毎日読んでいるし、なんだしっかりしてるじゃん!? と思うのだ。そして、例え繰り返し同じ事を言おうと、おかしな事を言おうと、長い病院生活の中で若くても起きる一時的な健忘だろうと、 思いたいのだ。しかし、もしこれが本物だったら、、、と心をよぎる不安がある。友人の母上も、 知人の父上も色々大変だったことを知識として知っているだけに、どうぞそうはなりませんように、と願うしかない。いやいや、 観察が大切だろう。人生の最後を、そうしたことで終わりにして欲しくないのだ。ここが頑張りどころだろう、家族の。

 

 なんとも言えないいや~な介護疲れの中、昨日はちぇちのメンバーと今後の練習スケジュールの打ち合わせをし、 今日はCantiamo,自分は歌えなかったが、皆さんのは聴かせて頂いた。集中力が衰えていて、長い曲だと途中で必ずスヤスヤ。 良い音楽を聴いていると眠くなる、と言う友人の言葉を思い出しながらスヤスヤスヤ。従って、今日のみんなの歌は良い音楽だったに違いない。 確かに、声が磨かれてきて、ホントに綺麗な声になってきている。ある種の公開レッスンのような形を取ったが、 みんな受講力とでもいうべきものが付いてきて、ヒントですぐに良くなるのは面白かった。これが「声の錬金術」の醍醐味だ。あたしゃ 「歌を忘れたカナリア豚」となっているが、こうした時間を持つと歌いたいと思えてくるから不思議だ。絵を見て絵が描きたくなるのと似ている。

 

 それにしても異常な肩凝りで、メンバーが少しもんでくれたが、どこを触られても痛い痛い。大丈夫かなあ、、、。

2009年5月30日 (土)

裁判員制度。

 母の病室で見始めた裁判員制度を扱ったテレビドラマを帰宅してからも続けてみたが、 話の展開もテーマの描き方もなかなか良い具合に仕上がっていたと思った。人が人を裁くということへの漠然とした嫌悪感に支配されていたが、 初めて真面目に考えるきっかけになった。誰かがしなくてはならないこの制度を、真っ正面から考えるべき時が来たのだ。、、、このドラマは、 様々な人の心の闇をえぐり出し、懊悩する人間の心理状態を克明に描きながら、尚かつ人間に絶望する必要はないと語る。見終わった後に、 さわやか感が残ったのは、主役の青年の熱い演技に寄るところが大きいが、ラストシーンの燃えて炭になった桜の大木から、 若芽が芽吹いているという描写は、これからのこの制度と、人間の生き方を考えさせるものがあった。 このような番組はこれからドンドン制作して欲しいものだ。

 

 ようやく前の病院に転院出来た母は、顔なじみの看護士さんや医師達から声を掛けられて、心底「帰った」という喜びを感じたようだ。 これからの長いリハビリに耐えていける希望が感じられて私も嬉しかった。 1週間後はヘアーカラーやカットも良いと言われてこれまた大いに喜んだ。ま、このおしゃれ心が残っている限り大丈夫だ。

 

 しかし、こっちはどうも体調が思わしくない。喉のイガイガがさっぱり治らず、肩はビンビンに凝っているし、 口の中をたびたび噛んでしまう。やれやれ。

 

 

2009年5月29日 (金)

ならぬ堪忍するが堪忍。

 今朝張り切って早く出かけたにもかかわらず、転院予定の病院が満室で今の病院を退院するのが1日保留となった。 母がかなりガックリ来ていて、可哀想なほどだったが、これからも何かと我慢の日々が続くなあ~。「人生は我慢の連続。」 とは最近どっかで聞いたセリフだが、、、。

 子供の頃、母の実家でよく行われていた宴会で、座敷の壁に飾ってあった色紙のような額があって、それには、「ならぬ堪忍するが堪忍」 と墨字で黒々と書かれていた。同時に、大きな樹の下で、ある男性が憎々しげな表情の男に腰の辺りを足で踏んづけられていて、 苦痛に顔をゆがめているという絵も描かれていた。その傍らには別な男性があざけるように笑っていたと思う。 だからその言葉の意味も幼いながらに理解できたのだが、あれは日本人を描いてないところを見ると中国からの故事か何かを題材に、 日本人が作製したものだろう。出来る堪忍は堪忍とは言えないということらしいが、確かに、、、、。でもねえ。人間弱いからねえ。 ちょっと我慢したら、もうすぐ自分にご褒美をあげたくなる。

 

 友人Kの母上が術後退院してあまり日が経ってないにもかかわらず、今日は同窓会とかでKが送っていったものの、 小一時間ほどで迎えに来て欲しいとの電話。Kは頭にべっとりとカラリングの液をつけたまんま、急ぎお迎えと相成った。 その母上は我が家に着くが否や側のソファに横になり、ナント2時間近くも眠っていらした。相当体力が衰えているらしいが、 まあ我が家でそうしてくつろいで貰えたのは良かった。お帰りの時に、「今度は私が又お宅におじゃましますね。」と声を掛けると、「ハイハイ、 今度はうちで寝て下さい。」と笑っている。若い頃私もこの方には少なからずお世話になっているのだ。お休みの間、Kと、 一人の女性としての母上の数奇な人生について話したことだ。ホントに人間にはそれぞれにドラマがあるなあ。この方も、沢山の「我慢」 を重ねて来た人だ。

雨。

 雨が降るとまだ寒いなあ。雨の病室は更に暗くて気が滅入る、と母はしきりに言う。明日は上手く行けば転院だが、 晴れてくれると良いなあ。

 

 ちびりちびりと演出が描けて来ていて、その作業に時間を忘れて連日深夜となっている。 それほど自分の中で面白くなってきているということでもある。これはやばいなあ。明日は朝早く病院だから、本日は寝るとしよう。

2009年5月27日 (水)

溜まるということ。

 何もかもが溜まっている。

 おびただしいメールの山をちょびっと整理したが、これはとてもじゃないが整理しきれるものでないことが判明しただけ。

 洗濯物の処理が溜まっている。家と店と娘の残していったものだが、、、。

 取りかかったままになっている楽譜の整理もそのままピアノの部屋に山積みだ。

 手紙のお返事すべきが、出来ずに溜まっている。メールさえ返信できないのに、手紙と来たらなおさらだ。

 短歌も作れてないので今月は欠詠。陶芸も長いこと行けてない。

 遂に病院にオペラの楽譜を持ち込んでようやく3幕分を整理した。

 FM関連のあれこれも一切出来てない。かろうじて収録のみこなしている。

 、、、そうして、このフラストレーション一杯の頭で、オペラ公演の事を考えている。、、、容赦なく時は経つ。

 

 今日は午後から半日ず~っと母の側に居たが、そばに居ることの必要性を感じたなあ~。人は話すことが大切だ。特に高齢になると、 喋ることで、脳も活性化するようだ。見舞客が来てくれると途端にしっかりした口調になってくるところを見ると、 矢張り出来るだけ多くの他人とも会話する必要があるのだろう。病室で日頃見ないテレビ番組をいくつか見たが、 クイズ番組なんかは良いかも知れないと思った。この私のためにも!

 こうして一応営業している店をほったらかしに出来るのも、電話が転送機能を持っているからだ。予約の受付は出来るというわけだ。、、 、しかし、病院というところは疲れる。外へ出て、夜のしじまに一歩踏み出すと心底ホッとする。 こう思うことが母に対して申し訳ないとは思うが、本当のことだ。今も娘からの電話で、そのことを共感し合ったところだ。 これは体験者でないと分からないだろうなあ。別段大した動き方をしているわけでもないのに、本当に疲れる。ま、いずれは終わるんだが、、、。

2009年5月26日 (火)

かもかも~、、、。

 さすがに今日は溜まった疲れが一気に吹き出て、予定の家事は半分も出来ず本業もお休み。 急きょマッサージ師に来て貰っての施療となる。しかし、夜はマンドリンの小演奏会に出かけ、FM収録の約束を取り付ける。 10数人で一杯になる小さな会場で、これまた贅沢な演奏会だった。若い人でこの秋ドイツに留学の予定だとか。 生きの良いみずみずしい演奏だった。まあ、こういうマニアックな演奏会に来ている人は矢張りマニアックな人らしく、どこぞの先生みたいに、 自分は弾きもしないのにその楽譜は持っています、などと休憩時に話していた人もいる。成る程、高松にもこういう人が居たんだ、、、 と妙に感心。当のご本人は広島から来ている方で、明日帰郷の前に収録だ。

 

 最後まで演奏会場に居られなくて病院に行くと、母はナントテレビでボクシングの世界タイトルマッチ中継を熱心に見ている。 私はさっぱり知らないが、何でもチャンピオンは真面目な好感度の良い日本人だそうだ。母がこんな格闘技を見る人だとは全く知らなかった。 そこに娘から電話が入り、祖母と孫の長電話だ。その間にあたしゃ部屋の片づけをして、花を活け終わるとようやく電話がこちらの手に。 どうやら東京はインフルエンザもあまり影響が無いらしい。

 いよいよ3日後に元の病院に逆戻りの予定だが、母の期待通りあの可愛い介護士の坊やは待っていてくれるんだろうか? 妙に母のお気に入りで、「帰ってきて下さいよ」と言ってくれたとしきりに言う。まあ、目標があった方が快復にも良いだろう。フフフのフだ。

 娘と電話で話していると、よく二度三度と同じ事を言うので、「アンタ、又おばあちゃんしてるよ」と言うことが多いが、いや全く。 これって伝染るのかも。かもかも~、、、、!

 

 

 

 

2009年5月25日 (月)

濃い一日。さぶっ。

 本日は会長がご病気でお休みのちぇち練。あたしゃ、病院行きは諦めて、全時間練習に付き合うこととした。今の練習は、 例えばかき氷の「宇治金」を食べるようなもので、どこから食べても良い状態。中のあんこまでたどり着くには時間がかかる。 とにかくどこからでもつっついて食べ始めなくてはいつまで経ってもあんこにたどり着かないのだ。(変な例え)

 

 しかし、歌詞を、著作権もあり、ストーリーの筋の通し方で変えているが、 そのせいで出来ないのが歌詞のせいになることが多々あるのも困ったもんだ。おしまいにはメロディまで変えたくなるんじゃないか、ってね。 ある程度妥協しながらやっていかないと、前に進めないのではないか。今日見学のあの方はどう思っただろう?「手作り」 と良い方に取ってくれれば有り難いが、、、。ま、難しい問題が山積だ。オペラに最も要求されるものの一つが、「協調性」だ。

 

 「昔人間」と自分の事を言う母は、とにかく他人の手を煩わすのを極端に嫌がる。何でも自分でしたがるのが、今一番怖い。 見張ってないと、勝手になんでも出来ると思いやろうとする。 もしそれで二次災害が起きたらあとは寝たっきりの生活が待ち受けているのは目に見えている。極力それを避けようと、私たちは必死なのだが、 当のご本人にはさっぱりその自覚がないから困る。しかも、お風呂なんかは私が居ないと入ろうとしない。弟に頼むのはモチロンイヤだし、 さりとて看護士さんにも頼みたくないのだ。で、自分で勝手に断ったりする。お陰で今日は看護士さんに謝って、 自分で入れますからと再度頼みに行ったくらいだ。汗びっしょりになって病室に連れ戻ると、「ああ、さっぱりした!」だ。ったく、 勘弁してよ~。アル意味ワガママなのだ。が、本人はさっぱりそう思ってない。

 

 そのご病気の会長も、午前中のシェイクスピアの講座にはチャント講義をこなして居られたから、登校拒否病かもしれないなあ~、 なんちゃって。それにしてもアチクシの咳とくしゃみも治らないなあ~。

2009年5月24日 (日)

本日は、○。

 「お母さんは遊び過ぎよ!」と痛烈な言葉で罵倒されたのが、松山から帰り、多少のアクシデントに見舞われながらも、 何とか母の病室に駆けつけ、30分ほど寝る前のやるべき事をあれこれやって病院の外に出て、ホッとして車に乗り込んだときだった。 娘にしてみれば、自分が付いていられなくなり心配していることの別表現に過ぎないが、これに対して、「遊びなんかじゃないわよ、、、。」 と弱々しく答えるのが関の山のアチクシ。朝6時に家を出て、病院の門限夜9時半の会話だ。こちとらあ疲れてるんだ!!ふんっ!

 行きは最初の私の予定では危ないと言われ、1時間早めて出発し、高速をそれなりに走って余裕で着いた。松山はそれほど遠くない。 早速ETCカードのお世話になってのゲート通過だったが、流石に依然と比較にならない大勢の利用者だった。機械の購入費用くらい、 数回松山往復でも元が取れるだろう。これからはしっかり利用しなくては。

 短歌の大きな歌会に初めて参加したが、ハッキリ言ってこれは遊びなんかじゃあない。中央から偉い先生が来られていて、 お名前だけしか知らなかったこの方から直々の指導を受ける。40人以上の人々の歌に真剣に向き合い、 必死で意味を理解しようと集中するのはホントに疲れる作業なのだ。ざっと眺めても殆どが年上の方。 しかもいつ質問がこちらに向けられるか分からない状況の中で、気が抜けない。そして、本日おみっちゃん大当たり~ドンドン! そのえら~い先生のお歌の批評が当たってしまった!無記名だが、どうやらその方のものらしいと分かってから、失礼があってはイケナイし、 上っ面の評はモチロンよろしくないし、適当に流すのも気が引ける。ええい、ままよ、ここでどう思われても仕方ない。 と腹をくくり思い切って感じたままを喋らせて頂いた。他の方々のように礼儀正しい言い方が出来たとは到底思えないが、 自分の言葉で思ったとおりのことは言えたように思う。予期せぬ事に、あとからその発言を褒めて下さる方が何人か現れたのには驚いた。 又是非お会いしましょうと言われて、その方がどういう方々かの記憶がない、というお粗末。あの破れかぶれが良かったとはねえ~。 当のアチクシは多分緊張していて何を喋ったか殆ど思い出せない。しかし、私流に褒めたことは間違いない。 私の好きなユーモアのある良い歌だった。

 

 さて、松山に転送になった電話は、昨日の演奏会に挟み込んだ「団員募集チラシ」を見て、合唱に加わりたいという人からのものだった。 おお、現代の利器はこの転送電話だ。是非、沢山の人があのチラシでやってみようと思ってくれると良いなあ。 一人でも多くの人達と公演の成功を分かち合いたいものだ。

 

 

 

2009年5月23日 (土)

ビッグイベント。

 本日メンバーの一人が出演した「K・B」という一大イベントに出かけた。県外からの知人も同行したが、 流石に大きな舞台で見応えがあった。立ち見で大変だったが2階席を早く行った人に取って貰ってセンターで見られ、全体がよく見えて良かった。 多分1階席の前あたりだと迫力はあったかもしれないが、全体像を知る上ではここが好都合な場所だった。

 「声楽」と「バレー」「オーケストラ」「合唱」のそれぞれの技を競い合うような舞台だったが、 知人も沢山出ていて見るところが多く楽しめた。グロッケン先生は流石に最後を立ち上がってばしっと決めておられたなあ~。 あの絶妙のタイミングには思わず拍手だ!バレリーナは贅肉というものが全く付いてない肉体の見本みたいな、骨数が読めるような、 それでいて筋肉質な、逆三角形の男性バレリーナが流石の演技だった。ソロの女性もなかなかの力のある人のようだった。 バックコーラスのダンサー達も美しくのびのびと踊って気持ちが良かった。振り付けのS氏の苦労の跡が忍ばれた。男の子のソロも楽しかったし、 ダンスは全体に面白く、時に合唱などが消されてしまう場面もあって不思議な感じだった。視覚の方が聴覚よりも身体に入りやすいのか? ただO氏のバスのソロは凛々しくて、時にダンサーの姿が消えることがあったのは、その時々の技量の優劣がそうさせるのか?でも、 こういうものは「融合」してこそ素晴らしいので、どちらが優れていると、感じるようでは鑑賞の仕方がまずいのかもしれない。 何しろお疲れのおみっちゃんのことだ。鑑賞力も衰えているに違いない。だって、1部は本命ではないせいもあるけどコックリしてたもんなあ~。

 しかし、このような珍しい公演が、一地方で鑑賞できるのは素晴らしいことだ。沢山の人が関わり、大きなフェスティバルだったが、 演じる人も、見る人も聴く人も弾く人も、全員が力を合わせて一つのことに集中しているの図は、ケッコウなものだった!!

 Oさんは明日も来るわ!と言い捨てて帰っていった。その明日、あたしゃ松山だ。あさ6時に家を出るというハードスケジュール。 はてさて、、、。

2009年5月21日 (木)

メールの功罪。

 今更ながらメールというものの怖さを実感している。長くなると文章の細かいところに気が届かず、誤解を生んではイケナイと、 単純な文章を送るとそれはそれで、そっけない文章と受け取られる。それでも友人間で、気の置けない間柄なら、 その人となりを熟知しているから想像力でカバーできるが、そうでもない場合はちとやっかいなことが起きる場合がある。いやいや、 そうした親密な間柄でも、その時の状況、打つときや読むときの気分でもって、解釈が色々になりまたまた誤解を生んでしまうケースもある。 メールで人間関係が壊れてしまうこともあるのではないか?

 今回私がやっちまった誤解はどちらもが疲れ切った状態でのやり取りだったことが一番の原因だ。 そういうときはありったけの武器でもって相手をねじ伏せようとするものだ。そしてお互いがますます傷つき合うと言うわけだ。 電話の方がまだ良いなあ。間違いはすぐ訂正できるからなあ~。

 

 世間でも、メールによって殺人事件が起きたり、嫌がらせの道具になっている場合も多々聞いている。 この現代の利器だったハズのものに、人間様が振り回されている。情けないことだ。

 

 今日は岡山の日で、楽しく歌のレッスンをしてきたが、やっているときはこのところの疲れも忘れている。 少しずつ皆さんが成長しているのを見るとホントに嬉しい。中に演劇の経験がある人が居て、歌が、 特にシャンソンが演技力を必要としていることに思い至らせてくれる。「表現」として捕らえることが経験のない人よりも上手いのだ。 セリフも棒読みは誰でも出来るが、そこに色を付けるのは至難の業だ。それと同じ事がシャンソンにも言える。 楽譜通り歌っても面白くも何ともない。じゃあ何かと言われるとそこに一言では言い切れないものがあるのだ。「感性」、それも大切だ。 でもいくら感性があって理解力があっても、それを表現するのは又別物だ。そこにテクニックが加わることによって、 音楽に幅が出来るというものだ。メンバーの中には長くやっている人も居て、その人はご本人が思ってる以上に上手くなっている。 久しぶりに前回その人を聴いた人が驚いていたくらいだ。が、これは本人には到底わかり得ないことなのだ。

 歌は難しい、と言われる所以がそこにある。

2009年5月20日 (水)

健康。

 いよいよ新型インフルエンザが大流行の兆しを見せ始めた。あたしゃ外出時は必ずマスクをしているが、 それについては一昨日深夜にもかかわらず「D・H」という雑貨屋さんで密かに数箱ゲットしてきた。NHKでマスクの必要性が流れて、 これは絶対時間の問題で売り切れるよ、と娘に言うと意外にのんびり屋の娘は「まさか」と言う。しかし、 ず~っと以前オイルショックでトイレットペーパーが何処にもなくなったことを知っているから、あたしゃ何が何でも買い込んだというわけだ。 少なくとも母にはいつ必要になるかも知れないし、介護疲れで体力が弱っているとこっちにもくっつかれ易いかも知れないと思ったのだ。案の定、 その日にはドラッグストアに殆ど無くなり、翌日はMという大型スーパーにもメチャ高いものしかなくなっている。「だから言ったでしょ!?」 と大きな顔をする私。娘は東京のダンナに電話して、あっちにも無くなっていると聞き驚いている。こっちでゲットしたものを持ち帰るそうだ!!

 8年前からマッサージ師として仕事をしているYという青年が、随分自信を付けて私の目の前に現れた。半信半疑だったが、 まあやって貰わなくては良いも悪いも分からないと、昨日娘と私がそれぞれ1時間ずつマッサージして貰った。すると、 娘の方に小さなしこりがあるのを見つけてくれて、今日は早速その正体を検査してもらいに病院へ行く。悪性かどうかは即刻分からないらしいが、 その医師も「よくこんなの見つけましたねえ!?」と感心する。何でもなければ良いのだが、、、。その病院でもマスクの配布があり、 患者も関係者も全員がマスクだ。ふ~っ。

 この青年の施療というのは独特で、主に自律神経のバランスを整えるのが目的らしい。 なんだか経験したことのないリラックスした感じになり、温泉に入った後のような癒された感じになる。これはかなりイケル。 ちょっと今までにないやり方だ。娘も大のお気に入り。ストレスの多い現代人にピッタリかも知れないなあ。訪問治療というのが有り難い。 彼はいつの間にか結婚して子供まで居たが、そのせいか真剣に勉強を続け、かなり腕を上げたようだ。 いざというときの助け船になってくれるかも~。

 

 公演の準備がぼちぼち形になって進み始めた。いつも足下を見つめていこうと思っている。「登山、登山」と心に念じて、 てっぺんは見ないことだ。やるべき事をやる。これだけだ。

2009年5月19日 (火)

会議は踊る?

 予定通り昨夜は練習の代わりに、年末公演に向けての決起集会を行った。外部からも沢山の人が参加してくれて、 出演者の殆どに加わり指揮のW先生も最後までいて下さるなど、にぎにぎしく執り行われた。準備には何人かが忙しい思いもしたが、 矢張りやって良かったと思う。一応スタートラインに全員が立ったということになる。多少の出遅れがある人も、 その内同じコースに入ってくれるだろう。ああして、みんなが全員の前でいわゆる決意表明をするというのは、意味のあることだ。 ゴールは随分先のようで、実はそうでもない。やるべき事が山積で、とくに私はこのところ寝ても覚めても演出のことばかり。 石けんの泡のように大小のアイデアが浮かんでは消え、出来てはつぶれている。いつもの事ながら、お金が無い中を、 見ごたえのある舞台にしなくてはならない。この課題の答えをなんとかかんとかひねり出すのだ。

 こうした中、今日は岡山の知人から電話を貰い、イギリスからロンドンロイヤルシェイクスピア劇団が「ロミオとジュリエット」 を持って来るというお話。過去にも同じ劇団の公演を観に行ったが、英語オンリーでも十分楽しめる芸達者な人達ばかりの公演だ。 早速友人と4人で出かける約束をした。この劇団は、ホントに舞台にお金を掛けない集団で、、その点からでも何か貰ってこられるだろう。

 

 さて、オペラ公演ともなると、何かが起きる、というのが定説になっていて、 今回7回目ともなると何が起きても動じない心構えだけは出来てきた。しかし、それにしてもまだ始まったばっかりのあれやこれやには、 正直うんざりしている。じゃあいつだったら良いのかと言われると、、、何もないのが一番ありがたいのだがそうはいかない。としたら、 せめてもう少し先が見えてきてからだと問題解決能力が成長しているだろうに、と思うのだ。 まだ殆ど始まっても居ない段階でちょろちょろ出てくるネズミ小僧には何をもって対処すべきか、、、。いやいや、 あまり考えないで前を向いて歩いていこう。ともかく、やるっきゃないのだ!

 

 母の介護では今のところすっかり娘におんぶに抱っこ状態だが、間もなくその頼りになる娘も帰京してしまう。となると、 そこからは私にかなりの比重がかかってくるだろう。本当は、快適な環境で、母を看ながら自分の事も出来れば一番良いのだが、、、。 病院から解放されないし、病院に居るときが未だましかも知れないという不安もある。一体どうなっていくのか?

 

2009年5月13日 (水)

落語。

 今日は日本の伝統話芸というものの神髄に触れた感のある「寄席」に行った。関西にいて、なかなか本物の関東風落語に出会えないが、 その意味でも又最高クラスの話芸という意味でも、出かけて良かったと思う。娘が「おばあちゃんのことは任して!」 と言ってくれたので出かけられたが、行った甲斐があった。

 案内をくれた我らが落語ぺらの立役者K師匠が、「こんな凄い人と競演できるチャンスは殆ど考えられないことで、 私は興奮してるんです。」と話しておられたが、全くその言葉に嘘はなかった。 柳家○○喬さんという私もテレビでお顔を見たことがあるという落語家さんは、小さな殆ど聞き取れないくらいの声でぼそぼそと喋り始め、 笑いも大笑いを呼ぶようなものではなく始まる。これは間違いなく計算された喋りだ。客席は自ずとシ~ンとなり、 全員の目と耳が舞台の一点にと集中する。そして、切れの良い江戸っ子弁はピアニッシモから段々クレッシェンドしていき、 時にが~んとフォルテで喋るなど、全体のリズムが素晴らしい。その上、所謂笑いの壺を確実に押さえ、観客を十二分に楽しませる。 二つ目の演目では、殆ど「語り」が中心で、花魁と米搗きやの丁稚の話は、舞台にまるで本当のように立ち姿の美しい花魁が現れ、丁稚が泣き、 亭主が泣き笑い、その他大勢の人々が出現して聴衆を魅了した。あたしゃ思わず涙して聞き入った。 たった一人でこれだけの人間を表現できるこの「話芸」にはホントに感心してしまう。一番凄いと思ったのは、 本人が自分の笑いを絶対しないことだ。最初から最後まで「芸」で通す。全くスキのない舞台、スキと見せかけるテクニックにも流石と膝を打つ。 聞けば、大阪で本番の後、高松でのこの舞台をこなしたようで、その体力にも脱帽だ。K師匠は、「同じ時代に生きて、 生で聴けてホントに良かったと思えるお方です!」と言われたが、成る程その通り。もう二度と聴けないかも知れないが、 私の記憶の中にしっかりとインプットされた。日本が誇る芸術だ。

 夕食を食べてない我々同行女5人は良く気があって、最近開店のお好み焼き屋さんでわいわい言いながら時間を過ごす。 このメンバーは旅行にも一緒に行く仲だから、全く気が置けない。言いたい放題で、船頭多くて船が山に登るの例えよろしく、 4種の内まともに出来たのは最後のプレーン焼きだけというお粗末。もんじゃ焼きに至っては、なんじゃもんじゃと相なり、 ヒロシマ焼きはピカドン焼きとなり、焼きそばはソース漬けとなり、「主婦歴ん十年の主婦でこれえ?」と自問自答の大笑い。 それでも1000円ぽっきりで大いに楽しめたのは、ここで正解だったということだ。

 久しぶりに息抜きが出来て、良かった~。

2009年5月11日 (月)

祈り。

 台本を全員に配布した今日、初てっぱちから、しかも表紙の年号から間違っているのが発見され、おろろいた。 間違いとはこうした場合が多いが、大きな字こそ目に入らないという例だ。 しかもそれをメンバーのSちゃんに目を通して貰ったような気になって、私のせいじゃないわよと言わんばかりの発言をしてしまい、内心あれ? そうだっけ?表紙はもしかして誰にも見て貰ってなかったっけ?と思ってる内に、他の人から次々と声を掛けられその件が頭から離れてしまった。 ところが帰宅して、別件でSちゃんの旦那様に電話したところ、風邪で本日お休みだった奥様に成り代わり、案の定しっかり抗議されてしまった。 「うちのSは表紙は知らないと言ってますよ!!」と。てへ。まずい!ご本人が側にいて訂正してくれたらその場で済んだが、全く申すわけない。 げに美しきは夫婦愛、ってか?

 中身に入って間違いがないかとびくびくものだったが、今のところ2,3カ所かる~い(!?)間違いがアルだけだ。 実際に動く中ではどんどん変わってくるだろうが、、、。

 でもって、居残りのソリスト達が読み合わせとなった、、、が、あたしゃもう止めて帰りたくなった。 今日の所はセリフの難しさがおそらく全員の頭上を飛び交っただけに終わった。これは予想通りの展開で、 あまり多くを期待していたわけではないが、それにしても、、、むむむ、、、。背中が寒くなったのは風邪のせいだと思いたい、なあ~。

 

 この練習にはかなり送れて参加となったが、それというのも再びA病院とB病院という二つの病院のお医者様にそれぞれのご意見を伝達、 ご理解を求め、対策を考えて頂く、という作業に時間を取られていたからだ。しかも、 それに加えての当事者である母のご意見もないがしろには出来ない。それぞれの病院としての立場や考え方、 やり方をこちらが飲み込むのに時間がかかる。どうすることが一番良いのかは、どの立場に寄り添うかで随分違う。、、 ようやくひねり出された結論によって、今日に引き続いて明日もB病院に行くことになった。いよいよ今週中には母の手術が実現しそうだ。、、、 これが良いことかどうなのか、、、運を天に任せるしかない。

 

 人間の力には限界がある。分かっていることだが、、、、。

 

2009年5月 9日 (土)

失せものはいずこ?

このところ私の生活は、何本ものレールが走っていて、ある時は交わったりもするが、大体平行して進んでいる感じ。特急や新幹線、快速 (家事など)もあるが中には鈍行の汽車ぽっぽ(本業など)もある。まあいわばそれらの列車の運行をしているおみっちゃんだが、 このところよく忘れ物をしていて、それがどの列車の網棚かさっぱり分からず、路線毎に調べている。いまのところ困っているのが「メガネ」と 「温泉のチケットの束」メガネはもう一個の方を必死でなくさないように頑張っているが、これとていつまでアルか分からない。 要するに忙し過ぎて、各列車に居ながら別な路線のことを考えているから、ついつい何かが疎かになっているというわけだ。声楽、陶芸、 短歌は運休状態なのに、である。

ちぇちの公演の台本は私にとっては新幹線とは言わないまでも特急並に頑張ったつもりだが、 受け取る方は鈍行だったと思うかも知れないなあ~。いよいよ来週は綺麗に仕上がったものがみんなの手元に配布される。 イコール読み合わせに入るということだ。どんなことになるか、楽しみなような、心配なような、、、、、。経験から言うと、 列車が動いている間は不安がない。駅で待たされているときが最も不安だ。ダイヤは予定通りかとか、客は多いか少ないかとか、 天候なども気になってくる。が、動き始めたらそんな事忘れている。そうなんだ。 なんでも動いているときは余計なこと考えている暇がないからスムーズだ。「ちぇちぃりぁ号」これからは、しっかり動くしかない。

巷に溢れるインフルエンザ恐怖は、外国帰りのちぇちのメンバーに及ばなかったようで一安心。が、 全員今後も健康管理が大切になりそうだ。、、、って、すでにあたしゃけんびき風邪。でもって、午前中に宅配マッサージのお世話になる。 すると、午後には昔からの知人が長い間勉強の末、新しく宅配整体を始めたので又呼んで下さいと宣伝に来る。確かに、こういうのって、 効くのよねえ~。こういう人達の世話になりながら、にゃんとか持たせなくては、、自分の体。

毎日病院を往復している間に、周辺が段々賑やかになってきた。あまりにも私が連絡しないため、同窓会やらOB会の方から矢の催促。 お断りするものも出てきて驚かれる始末。3人以上集まる所には必ず出かけていたおみっちゃんが、「ええ~っ!?来ないのお??」 と言われるのも無理はない。こうした状況の中でも、電話で友人達に励まされ、同じ体験をした人の話など聞かされると随分参考になる。

そして毎日、誰か彼かが親切を届けてくれて心から感謝の日々だ。病室に私が居なくても勝手に行って、 母の話し相手になってくれている人も居てホントにありがたいことだ。一昨日は届いた新鮮な鯛の刺身を頬張り、 母は生きていて良かったというような顔をした。今日はお庭の花を花束にして届けてくれた人もいる。きっと、 母の快復はこういう人達の笑顔が大いに助けてくれているに違いない。怪我の治癒力は医師や看護士が目を見張る快復力だ。

そんな中での昨日はN病院での別の病状の診察。これには正直参った。1時半の予約で1時に入るも、 実際に母の診察が始まったのは5時半。いくら連休明けとはいえ、これでは予約の意味がない。モチロンベッドを借りて待機させて貰ったが、 4時間以上付いている方もバテてしまった!偶然出会った知人も、朝の9時前から入って午後3時に終わってないと言う。大病院の宿命か。 しかも、母の場合は目的を達することなく、別の病院に回されることに。、、、病院てとこは、ホントに疲れる。 それにしても多くの人が黙って待っている光景は、にゃんともかんとも、、、、!!

 

外はいつの間にか、新緑が美しくなり、空気も美味しい。娘と二人で何も言わずに車の側で深呼吸だ。

 

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