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2009年4月

2009年4月29日 (水)

世の中連休だっちゅーのに~。

 台本は出来たが、最後の美装に手間取っている。そしてそれにつれて様々なやるべき事も浮かび上がってきて、、、。あたしゃ、 もう限界だ~。頭がふらふらする。月曜日のちぇち練から帰り、スリッパを出して、再び別なスリッパに履き替えていた程のおちゅかれ~。、、、 って、これに近いことは前からあったかもね!?

 昨日は会長宅が新居へとお引っ越し。こんな状態の私にでも出来ることはお手伝いしようと頑張ったが、 こういう日に限って本業も忙しい。一方で台本の修正のあれこれをメールや電話でやり取りしながらであり、 段取り通りやって来るM君を乗せてレンタカー店に行き手続き。彼が運転してくれて助かったが、 A地点に集合してくれた3人のメンバーとグロッケン先生ともども、出したり乗せたり動かしたりの作業。 続いてB地点ではもっぱら立ち働くのは男性達で、そこからはいよいよ新居だ。 この日の夜のパーティの為に必要なものををチェックして買い物や掃除などもそこに居られる人に依頼。 志度にも荷物を取りに行くという先生のお言葉に、男性二人は軽トラ。あたしゃもう一人を乗せて志度まで行く時間がない。 運悪くそこ居たHさんに志度行きをお願いして、Nさん、Kさんにお留守番を頼み私はパーティ用の飲料と食事の手配。 帰宅途中にM君の実家に立ち寄り本日の彼の功労を報告、帰宅したらすぐに来店客。その方を施術中にも台本についてS嬢からしきりに電話が! それに受け答えしながらお客様を送り出し、母の病院に持って行く洗濯物をバタバタとセットして、あわただしく病院に行くと、「あんた、 忘れてたでしょ!」と言われる。そうだった!この日は母を入浴させる日だったのだ!いつから忘れたかも定かでないが、 とにかく夕方行くまで全く覚えてなかった!看護士さんが棚からタオルなど出して何とか済ませてくれていたが、冷や汗! どっさり出た洗濯物を持って病院を出るも、母に申し訳なくて反省しきり。ホントに、忙しすぎる。

 ま、夕方からのお祝い会は和やかに進行し、先生も大方片づいた部屋に満足の様子で、リラックス出来てたみたい。 S嬢がしきりに広いからパーティに向いてると言っては先生始めみんなを爆笑させる。あたしゃ言ったもんだ。 それなら先生の表札の横にあなた方ご夫妻の表札も並べといたら!?ってね。ハハハ。近くの学校に勤務している彼女はまじで、 毎日来るかも~などと笑いを振りまく。このご夫妻はホントにその場の空気をあったかくする名人だ。きっと、あら、 普通にしてるんですけど~って言われそうだが~。

 

 今日も午前中は台本に首っ引きで、あまりの良いお天気に我が家のお嬢の帰省に伴う部屋の模様替えもやって、 遂に首から肩に掛けて本格的なこり症状が出てきた。ここらでちょっと息抜きをしないと、、、 と今日は病院帰りにジムのお風呂に行くつもりまんまんで出たが、結局母の所を出るのが遅くなり、 夫が帰る10時という時間の食事の準備が出来ないと諦め、急ぎ帰宅。なんだか、舌の調子もおかしく、料理の味が掴めない。全くお手上げで 「お味はご自分で調整して」と言うと私の嫌いなナンプラーをかけてご機嫌で食べていた。、、、あああ~あ、夕べも話題になったが、 この食事が家庭での一番のネックだなあ~。

 

 来月の短歌の歌会の案内が愛媛からやって来た。なんだか緊張を強いられそうな席順。それに朝が早いなあ~。ま、 その頃にはいくら何でも母も快復のめどが立っているだろう。駄作をあれこれ評されるのを聴くのもつらいなあ~。参加することに意義あり、 とはいえ、、。ふ~っ。

2009年4月25日 (土)

ホッ!

 今日は久しぶりに肩の力が向けてリラックスできた一日だった。まずは、昨日台本が一応全て上がった。まあ、多少の修正部分はあるが、 第一稿は出来たということだ。楽譜の歌詞も全て仕上がり、これからはひたすら練習するのみだ。50ページに及ぶ今回の作品は、 かなりの部分がセリフで、芝居が占める割合が多い。これを舞台に上げるためには、相当の個人的心構えが必要だ。テレビ、映画一つ見ても、 自分の事として、そのセリフの言い回しなど勉強して貰わなければならないだろう。

 5/18に決まったスタートする会の為のレジュメを始め諸々の書類もできあがった。裏方の舞台関係の承諾も得たし、 ゲスト出演者の皆さんの了承も貰った。今のところトントン拍子に事が運んでいる。いくつか気がかりなこともあるにはあるが、まあ、 動き出せばそれなりに収まっていくだろう。

 こうした私の制作部分をサポートしてくれている、印刷係楽譜係のH村の人々、 今回は特別にパソコンが堪能だと言うだけでしっかりこき使われているY嬢なども大変だった。いやいやこれは過去形ではない。 まだまだこれから様々な作業が待っている。一つオペラ公演をやるとなると、私は一大事業だと表現しているが、 ホントに様々な仕事をこなす必要がある。いよいよその歯車が回り始めたというわけだ。

 

 一方で、母の出血が今日初めてごくわずかになり、初めての入浴も出来、今までの入院生活の中でもっとも健康的な顔つきになったのは、 何より嬉しかった。心底ホッとした。そのせいで夕食は余所で買ってきた食料品をも美味しそうに食べ、報告書には 90%と記入できた。 娘にも報告して二人で喜び合ったことだ。これなら次なる手術も案外簡単に越えられるかも知れない。 今日の顔は89歳とは思えない艶やかな顔だったなあ~。

 こうして母が元気になると、仕事も捗るというものだ。次々と押し寄せる仕事も、、、そうだった、 今日は夫がどっか遠いところまでお蕎麦を食べに行き、どっかの(!)道の駅で買ってきたという「タラの芽」をどっさり天ぷらにしたのだが、 いつもなら、「こんな私の状況で、こんなもの買ってこないでよ!」と叫ぶところだったが、今日は文句も言わずせっせと作り、「昆布塩」 とかいう珍しい塩で美味しく食べたことだ。しかし、これを食べた時間は10時前だったからなあ~。母がいつも驚く時間だ。

 

 このブログを書いてないときに例の「裸逮捕劇」が巷を走っていたなあ~。あたしゃ、 まず一番にちぇちのメンバーの顔を思い出したなあ~フフフ。でもって、ついでの時にそう言うと、「あら、蓮井さんだって、 偉そうなこと言えませんよ~」と来た。確かに。彼女にならって「記憶がなくなるまで」飲んだ武勇伝は記憶に新しい。

 でもねえ~、まあ、そりゃあ日本はアフリカではないから、裸には免疫がないだろうが、「逮捕」して、「家宅捜索」 までするようなもの?って感じだ。Dという外人タレントが話していたのを聞いたが、「日本は、飲め飲め、もっと飲めと勧める文化だのに、 ちょっと過剰反応がひどいんじゃないか?急にタリバン政権になったみたいだ!」ハハハ。これは面白かった。確かにもっと冷静に報道も、 大臣もやって貰いたいなあ~。

2009年4月21日 (火)

風と地震の日。

 病室の窓を開けると大きな音がしてビックリするほどの風の襲来だ。程なくニュースで東北に続いて四国地方に地震、と来た。 変な一日だったなあ~。

 今日は母がいつもの倍の輸血に入り、気分もすぐれないようだったので、FMの収録から帰りに病院に寄り、深夜まで付き添った。 食欲が落ちているが、アイスクリームやフルーツなど目先の変わったものをタイミングを見て話しかけながらだと、ケッコウ食べてくれる。 イコール付いていないと段々元気がなくなってくるということに、、。就寝時間にトイレの始末をして入れ歯を磨き、 身近にラジオやティッシュなどをセットして「おやすみ」と声を掛け、母から「ありがとう」 の声を聞いて病室を出るのがこのところの日課になっている。「ありがとう」なんて言わないでよ、と外に出て思った途端涙がこぼれた。、、、 疲れている。

 

 今日は番組宣伝、いわゆる「番宣」を収録した。昨夜ちぇちのメンバーの声を録音してあって、それをベースに作成して貰ったのだが、 出来上がりが楽しみだ。皆さんさすが芝居っけがあって良いですねえ~、と褒めて貰えて嬉しかった。

 本日の番組のゲストはカルチャー教室の主催者だったが、50歳の彼女とは10年来の知り合いだ。初めからなら随分成長されたなあ、 というのが実感だ。人間相手の商売というのはホントに成長させて貰える。「我慢」もその一つだろうが、 お相手の持つ様々な資質の影響を受けるのだろう。そして新しい感覚で、 自分の道を歩き始めた彼女は改めて今日綺麗になったなあ~とも思わせてくれた。おおらかにゆったりと歩いている今が素敵だ。

 

 女性が元気だなあ~。

2009年4月14日 (火)

緊張に次ぐ緊張。

 今朝は早くから病院に行き、午後の院長先生からの「お話」を聞くまでの8時間近くを病室で過ごしたが、疲れた。 懇切丁寧な病状の説明に納得したが、問題が解決したわけではない。どうやら転院を余儀なくされることになるらしい。

 その足でFMの収録。のりのりのゲストで2本録りとなり、ふ~っ。まあ、オペラの話は面白いんだが、、、、。

 その病室に次々と12月の公演に向けてのプランなどが入ってくるが、昨日私が練習に参加しなかったこともあり、 不安要素が増幅したようだ。しかし、私の頭の中では、昨年の予定とほぼ同じ程度に進行しているという思いがあり、 多少の遅れはメンバーの諸事情の為仕方がないと考えていた。が、まあ、心配してくれるというのはやる気があるということだから、 こういう意見は歓迎だ。早速速攻でプランを立て、スタートに向けての準備に入らなくてはならない。なんでも具体的に動くことが大切だ。 昨年通りなら5月末日か6月初めが決起集会だが、、。

 しかし、我が家は壊滅状態。外出から帰るとおぞましい光景に思わずげんなり。これを放置しておくのも精神衛生上悪いし、 体力的には片付ける元気もない。一人病人が出るとこういうことになってしまう。う、う。、、、明日も朝から病院へ行く約束だ。 とっとと寝るべえ。

 短歌は未発表のものしか中央へ送れないとのこと。ここに書き続けるのももう無理か。ま、 気まぐれ短歌が溢れるほど湧いてくるまで待つとしよう。

 

2009年4月13日 (月)

介護は続く。

 昨夜病院泊となり、殆ど眠れなかったため、今朝帰宅後2時間は爆睡。如何に自分の寝床が良いかが身にしみた。 午後からのシャンソン教室に間に合いかねて、むくんだ顔で出かけた。3週間ぶりの教室で、充実した時間となる。私にとっても気分転換だ。

 その後再び病院に行き、今日はテストケースでお泊まり無しと告げると、途端に母は緊張し始める。 お泊まり用の布団を返却すると言うと、別にそのまま借りていても良いんじゃないかと恨めしげに私の顔を見る。誰かがいつも側にいて、 何くれとなく世話を焼いてくれていたのが、急に一人きりで夜を過ごすとなると不安になったようだ。入ってきた看護士に、 「今日は私一人で過ごすんです~」と訴えている。「大丈夫ですよ~。遠慮無く何でも言って下さいねえ~。」 と慣れた口調で返事をしてくれるが、「はい~~」と答える母の声は心細げだ。、、、これは、私なりの決断だ。介護が長丁場になりそうで、 みんなが上手く行くためには心を鬼にするときが必要だ。その代わり、明日は朝早く行き、夜の様子を聞いてあげよう。さて、どうなることか、、 、。

 看病で何がつらいって、夜眠れないことだ。自宅でも時々入眠剤を飲んで寝ている私だが、眠ってしまっては介護にならない。だから、 半分起きている状態で夜を過ごすことになる。とろっと眠ったところを起こされて、排便のあれこれをやったりしていると、きっちり目が覚める。 やがて母の寝息が聞こえてきて、病院中が静まりかえって、看護士の歩く足音だけが小さく響き、外の車の騒音が遠く聞こえるなど、 妙に音が気になる。いくら他のことに想いを巡らそうとしても「眠れない」という一点に考えが集中してしまうのだ。 やれやれと何度も寝返りを打ちながら、そのうち朝を迎えるというわけだ。娘は泊まっても、交代して昼間がが~っとまとまって眠れるが、 あたしゃそうはいかない。これを続けていくと、必ずこちらの身体がおかしくなるのは目に見えている。弟達にしてもそうだ。 少し肩の力を抜いた介護を続けなくては、、、という思いに至ったわけだ。今日は久しぶりにゆっくりお風呂に入り、明日から再出発だ。

 

 付き添ひのベッドに横たふ我が胸に去来するものこれからのこと

 「おやすみ」の声に頷く母残し病室のドア勢ひよく開く

 湯に浸かり両手を広げ介護するこの爪明日は切らむと思ふ

   

2009年4月11日 (土)

一難去って、、、、。

 いよいよ明日は我が家のベスト看護人が東京さへ帰る日だ。ベッドの母もそれを告げると口には出さないが淋しそうである。 娘にしても完治で無いだけに後ろ髪引かれる思いのようだ。ま、しかし良くやってくれた。持つべきものは「娘」だ。実際はこの私が、 母から言えば「娘」に当たるんだが、どうも今年のおみっちゃんはイマイチ元気が出ない。それをしっかりカバーしてくれたのがこのお嬢だった。 確かに一番助かったのが私ということになる。明日からは、どんな日が待ち受けているのか、、、。

 早速母の我慢が引き起こした別の病気で、入院中他の病院で他の手術を受けることになりそうだ。にゃんともかんとも、、、、。

 弟と病室で夕方を過ごすのが続いているが、3階の窓から暮れゆく空を見ていると、懐かしいような、なんとも静かな気分になり、 二人して感傷に浸ることになる。幼い頃過ごした海辺の夕景や、元気だった頃の父の話など、久しぶりの家族のしみじみした会話が続く。 この4人(一人欠けたが)で出発した家族が、それぞれ自分たちの家族を持ち、なんとか今日まで来ているが、 原点がここにあるという感じだった。

 

 病床の母を挟みて談笑す吾と弟幼き日のごと

 うつうつとベッドに横たふ母の顔を夕日が染めるまだら模様に

 介護終え病院いでて車駆るバックミラーに花びらの舞ふ

2009年4月10日 (金)

今日の車内は夏日。

 今日ははるばる母の為に帰省して病院のお泊まりを全部引き受けてくれているお嬢に感謝のランチタイム。 海の側のテラスでイタリアンに舌鼓。パラソルの下はやや冷たい風がそよ吹いて寒いかな?位だったが、お喋りに花が咲き、 ひたすら海の美しさに感嘆していたため忘れていた。十分満足して少し外を歩いてみる。散歩人がパラパラと日向ぼっこ。 テラスから見えていたおむすび型の島は下の方が霞んでまるでぽっかりと空中に浮かんでいるように見える。 大小様々な船が行き交う静かな海面は、見飽きるということがない。これぞ讃岐の宝物だろう。

 母は、お医者様から驚きとお褒めの言葉を頂くほどの快復ぶり。看護士さん達も付き添いが沢山で良いですねえ、 と全く付き添いの居ない人も居ることを教えてくれるが、こういうことも母の快復を助けているんだろう。ま、 これからどうなるかは誰にも分からないが、今のところは認知症の気配もなく、やれやれといったところ。

 

 間隙を縫って台本を書いているが、こういうものはまとまった時間がどうしても必要だ。2, 3行書いては他の用事に走らなくてはならない今の状態では、ホントに歯ぎしりしたくなるほどに進み具合が遅々としている。ま、会長先生から、 あまり無理しないように、というアドバイスを頂いてるから少しは気が楽だが、、、。

 

 傷痛み死にたきほどと言ひし母皇室ニュースを今日は笑顔に

 

2009年4月 9日 (木)

今日も晴れ。

 ギチギチに入っていたスケジュールを9割方こなしながらの看病は、娘が居るから何とかなってる。彼女は夜はずっと泊まってくれて、 かゆいところに手が届く看病振り。しっかりご馳走食べさせて、英気をを養って貰い病院へと届ける。しかし、 それもこの日曜日で終わり東京へと帰っていく。そこからが、私にとっての正念場かも知れない。

 今日は、どうしてもお通じがないのが気になるというので、焼き芋を作って持って行った。夕食時、 ご飯の代わりにそれを食べさせると霊験あらたかなるお芋さんは、早速母に便意を催させてくれた。 このやり方はさんざん母が父にやっていたことで、今回も成功したというわけだ。かなり精神的なものがあるということだ。それに、 前回は失敗したというのでよく聞いてみると、例のイケメンのお兄ちゃんが便器に座った母の側でじっと立って見ていたというのだ。 そりゃあ無理だろう。そんなところで出るわけがない。、、、で、本日はおみっちゃんしか居ない状況で落ち着いて出来たので大成功。 あたしゃ初めて母の下の世話をしたというわけだ!!忙しすぎる私にいつも、「肝心なときに頼りにならないだろう」とぼやいていた母が、 全面的に私に委ねてくれるのは嬉しいことだ。

 

 今日は朝6時から仕事をしていた私は、日中病院には行けず、弟夫婦と娘がやってくれていた。午後は娘を我が家で爆睡させて、 仕事と洗濯ものの片付けを終えて弟と交代、夕食を挟んで3時間をびっちり母と過ごし、タップリ食べさせ、最初の便器使用=リハビリを済ませ、 着替えをさせてテレビのリモコンを教え、目覚めた娘を迎えに家に戻り焼き肉が食べたいという娘を連れて東バイパスの大きな焼き肉屋さんへ。 たっぷり食べてぽかぽか温泉へ。リフレッシュしたところで再び病院へと娘を運ぶ。

 夫は夜の付き添いは要らないんじゃないかと、我々を心配して言ってくれるが、これがそうはいかない。 やってみないと必要性が分からないが、いくら完全看護といえども、身内が看るのとでは母の気持ちが違う。母は自分で言う、「昔人間」 で遠慮の固まりみたいな人。看護士さんは夜は寝てると思いこんでいて、どんなに痛くても苦しくてもベルを押そうとしない。 その我慢が良くない結果を生むが、そんなことはぼ~っとした頭では理解できないのだ。身に付いた慣習が母を支配していて、 側の人間が注意してないと必ず良くないことが起こる。

 あまり先のことは考えないでしばらく頑張るとしよう。

 

 

    十六年父を看て来し母をただ一週間看て疲れ切る吾

2009年4月 8日 (水)

春爛漫。

 ケアハウスというところに今日は仕事で出かけた。今時の行き届いたマンション形式の一室で、 84歳の元教師だったという女性のヘアーを施術する。車椅子での生活の中で、 もしかしたら薬よりもよく効くのではないかと思われるほど喜んでくれた。早くからの予約だったため、お断りもならず、 疲労を押してのことだったが矢張り行って良かった。別なお年寄りもやって欲しいと言われ、ご希望通りに。、、、そうなんだ、 いくつになろうが女性は女性。おしゃれ心は残って居るんだ。明日は我が母親も、ドライシャンプーくらいはやってあげようと思う。 只今毛が逆立って、なんたらいうこわ~い仏様みたいになっている。

 しかし驚いた。今日は病室にお医者様が来られて、母は瞬間ではあるが、立ち上がったというのだ。モチロン鼻には酸素吸入器を入れ、 尿袋は外に吊って腕には点滴状態で、である。夕方になってようやく病室に行けた私の目の前で、顔をしかめながらもベッドに座らされ、 自分の手で食事をとる姿を見せられたときは、「おお現代医学よ!」と拍手をしたいくらいだった。 イケメンのリハビリ士が昨日細かく話してくれた計画通りに事が運んでいるということだ。この分なら、意外と早く回復するかも知れない。 いや~、おろろいた!

 

 子と孫の連繋プレーで看護する母の病室笑ひ満ち充つ

2009年4月 7日 (火)

手術。

 母の手術は無事終わった。かすかに覚醒したところでお嬢に後を頼んで病室から弟共々退出。二人ともどっと疲れていて、「お疲れ様」 と声を掛け合うのがやっとで別れた。いやあ~、手術というのは嫌なものだ。麻酔自体が怖いものねえ。 近いからと毎日のように自転車で見舞いに来てくれる友人Yが、母が手術室から出てくるまで付き合ってくれて、 何くれと無く世話を焼いてくれる。傑作なことにすっかり娘と間違えられていて、術後の医師からの説明も、 彼女の方に視線を向けての説明となる。まあ私も友人Kの母親の退院の時、ご家族ですか?と聞かれて、何のためらいもなく「ハイ」 と答えて病室にはいったもんなあ~。ま、我々は家族みたいなもんだ。

 

 今夜をなんとか乗り切ってくれたら、明日から予定通りリハビリだ。次から次へと難関が待ち受けているなあ。

 

 

 耳元に口を寄せては呼びかくも術後の母はいずこか彷徨ふ

 

 

 

2009年4月 6日 (月)

花の宴

 今宵はちぇちの「お花見の宴」であった。のんびり花見の気分でもないが、お嬢が行ってこいと言ってくれたので、まあ参加した。 みんなと様々な話に興じていると、疲れも忘れている。時々お嬢から病院の母の様子や医師からの通達を受け、 それに返事をしながらではあったが、、、。

 H村の桜の大木はこれでもかと、お庭の空を花又花で埋め尽くしている。樹齢40年ほどらしいが、 しっかりした様子からは手入れの良さが伺える。大勢で押しかけ、村人は大変だったと思うが、みんなよく食べよく喋り良く笑った。 Kさんの手作りケーキでとどめを刺した感のある胃袋も、最後に3曲ほど全員で歌って少し落ち着いたか。遂にアチクシもビールを飲んだ! 「水よりは美味しい」と言ってI先生に笑われたが、実際最後の方は苦いと思ったから、これはもう絶対変。 一年中ビールを飲んでいた私にしては、断然おかしい。回復しなければ、色々楽しいことが出来ないジャン!?

 

 

 気がかりも不安も共に飲み下さむ苦きビールを桜愛でつつ

2009年4月 5日 (日)

老老介護突入!

 母が倒れた。大腿骨骨折。日常生活でかなり気を付けては居たが、ほんの些細な不注意から絵に描いたような結果とあいなった!しかし、 現代医学は、89歳の母をも手術して治してくれるという。問題は介護をすべき私の年齢が、既に介護を必要とする年齢かも知れないことだ。 今年は年始からろくな事がない、とぼやきつつ自らに次々と襲ってくる病魔と闘っていたが、今回はどっか~んと、大物がやってきた!はてさて、 私の身体はもつのかしら?

 病院と言うところは疲れるところだ。いくら個室とはいえ、絶え間なく入ってくる看護士や医師、お掃除の人や、給食の人、介護士の人、 至れり尽くせりの手厚い看護に、付き添いといえども知らん顔は出来ない。介添えもしたり、患者の訴えに一々答えなくてはならない。 訴えが無くても、察知して次々と手をさしのべる必要もある。泊まり込んでの介護はおちおち寝ては居られないのだ。バスルームがあって、 そこでお風呂に入れたのがまあせめてもの慰めだった。

 今日ははるばる東京から帰省してくれた娘と代わって、あたしゃ無罪放免自宅での安眠となる。予定。やっぱり歳だなあ~。 二日続きのほぼ徹夜はど~っと疲れて、一時帰宅して爆睡3時間。往生際悪く、病院にまでスコアを持ちこんでいるが、一行も書けない。諦めて、 明日は少しこれに時間をかけようと思う。容赦なく時は流れているのだから、、、。

 

 叔母が持ってきてくれた桜が、只今満開。玄関先を飾ってくれている。花見に行けない私にとってのせめてもの慰めか。、、、 とはいえ明日は、ちぇちのメンバー宅で、お庭の桜を眺めながらの宴の予定。留守番が出来たので参加しようと思っている。

 

 街を染め山に色なす桜花ベッドの母の夢にもいで来よ

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