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2009年3月

2009年3月31日 (火)

春と桜と家族。

 山間に別宅を持っている叔母が大きな桜の枝を手折って届けてくれた。流石にまだ殆どがつぼみだが、春が来た、 という感じだ。昔は、幼い頃は桜は大嫌いだった。この花が咲く頃は大体に置いて別れの時期だし、 小中と4回も転校した経験を持つ我が幼少期は、緊張と悲しみの季節だったというわけだ。 恐らくはその体験から桜が好きになれなかったのだと思うが、年齢を重ねる毎にこの桜という花が好ましくなり、 昔は小さな花の集合体が疎ましかったのに、それ故に可愛いと思うようになった。、、人は変わる。

 今日は、息子の家族が我が家でお泊まり。夕食を下の子供の誕生日をかね料理屋さんでとったが、大分聞き分けて扱いやすくなり、 気が短いはずの夫も気長に子供達の相手をした。しかし、こちらは何を食べたのか分からない程の気配りで、 ようやく我が手から子供が離れたので追加を注文すると、とっとと先に食べてしまった夫がよくもまあそれだけ食べられるもんだと冷やかす。 全く、何も見てないんじゃないの?私はそんなに食べてませんから!と言っても信用しない。、、、が、もしかしたら、 ホントは夫の言うようにケッコウ食べたのかも?さっぱり食べたような気がしてないが、、、。

 相変わらずのアルコール欲しくない病の私と、元々飲めない嫁りんで2台の車を運転して帰る。 アチクシは今日頂いた沢山の新鮮野菜をキレイにして、、、、明日は遊園地でも、、、天気がねえ~。疲れるなあ~。

2009年3月30日 (月)

天才と凡人。

 なんという夫婦。我々のことだ。朝海外からご帰還した夫と顔を合わせたのは、夜の10時過ぎ。 メールのやり取りで食事の催促はあったが、イコール元気という合図だ。帰宅してみれば、台所のあちらこちらに着ていたものが散乱している。 洗面所など扉のあるものがどこもかしこも開いている。ああ、同居人が帰ってきた!という実感。ふ~っ。

 しかしおかしな人だ。出かける前は体中にアレルギーの湿疹を作っていたのが、帰国したら嘘みたいに消えている。はあ~っ? それホント?ってなぐあいだ。余程ラオスという国が身体に合っているんだろうねえ~。おみっちゃん、わかんな~い!!

 

 24年間続いているシェイクスピアの講座が今期も無事終了した。講義の後の昼食会に、新しく参加して来た人も何人か居て、 司会の私もやりやすく興味を惹かれた。中には、20年前からどうしてこの講座に出会わなかったのか、残念でならない。 この近くをうろうろしていたにもかかわらず、こんな良い講座があることに全然気付かなかった。という人が居た。まあ、 確かに出会いというのは不思議なもので、余程の興味と関心が無くては、文学の講座を受けようとは思わないに違いない。しかし、 考えてみるといつの間にかシェイクスピアは私の体の中に入ってきている。今、娘からの強い勧めで「カミーユ・クローデル」 の伝記本を読んでいるが、これを読みながらでも私の傍らにはシェイクスピアが居る。

 思うに、同じ天才でも、カミーユが狂気に囚われて悲惨な生涯を送ったのに比べ、シェイクスピアは精神のバランスを保ち、 人生を全う出来たのは、詩人でもあったが、ひとえに劇作家であったが故だろうと思う。劇というのは、 自分を客観的に見る事が出来る最良のものだ。

 この本の中に、「彫刻家という職業は、男にとっては良識に対する不断の挑戦とでもいうべきものだが、孤独な女、 とく私の姉のような気質の女にとっては、これはもう不可能以外の何ものでもない。彼女はロダンに全てを賭け、彼と共に全てを失ってしまった。 美しい帆船はしばらく苦い波に翻弄されたのち、船体、積み荷もろとも沈没してしまったのである。」と、詩人で戯曲家で、 作家で外交官の彼女の弟は文章で残している。30年を精神病院で過ごした姉に何らかの悔恨と、痛々しい想いを込めての文章だろう。

 もう一つ、この本で驚いたことは、彼女の母親の存在だ。ロダンとの禁断の恋をした娘に、現代ではあり得ない厳しさで接している。 終生娘を許さなかったというわけだ。だから、病院から出してくれと、哀願する娘の手紙も無視したと言うから凄い。 私にはとうてい出来ないことだ。モチロンこの母親のように階級意識が強く、又そういう家系に生まれ育った人物と比較は出来ないが、、、。 つくづく、一般ピープルで凡人で良かったあ!と思ったことだ。カミーユの不幸は、こういう家庭に育ったことも起因しているだろう。

 

 夜は実はお休みをさせて頂こうと考えていたちぇち練にも出かけた。モチロン行けば行ったでやることは沢山アルのだが、、、。いやあ、 これからが本番だ。

 が、明日は息子の家族がお泊まりだ。さあ、寝ておかなくては、、。

2009年3月28日 (土)

一つ終わった。

 とりあえず終わった。自分自身の課題はいつものように残ったが、みんなは忙しい中よく頑張った。 県外からはるばる聴きにきてくれたKさんが早速あれこれ感想をメールしてくれる。ありがたいことだ。 この客観的に見るということが舞台では全く不可能。想像するしかないのだかから、、、。

 

 後半のプログラムを拝聴したが、今年は何か地味というか、全体に盛り上がりに欠けた様な気がしたのは私だけ? まあ13回にもなるこの会だが、お世話する方々は大変だろう。ここまで続いたのは凄いなあ。 言われたとおり舞台に乗っかって歌えば良い立場の我々は楽チンだが、、、。

 

 さあ、これが終わったということは、いよいよオペレッタに本腰だ。

2009年3月27日 (金)

瓦なげ。

 若い子はケッコウ古風な子が多いとは、日頃の若者の歌ってる歌詞を見ても思うことだが、 只今娘の友人が夫婦で11ヶ月の赤ちゃんを連れて高松入りしていて、その理由がふるっている。数年前、 奥さんのOちゃんが独身の頃高松に仕事の途中で立ち寄った時、たまたま帰省していた娘と私で屋島山上から「瓦投げ」に案内した。 彼女は大きな声で、「しあわせになりますように~!」と何度も叫んだものだ。、、、その後めでたく結婚、一児を授かり只今最高に幸せなので、 今回松山に友人の結婚式に行くついでに再度高松に、屋島に行き是非「お礼参り」がしたいという。何でも、 自分の結婚式にはこの瓦投げをエピソードとして発表したらしく、彼がそれを覚えていての実現となったようだ。で、 私までもがお付き合いをしてちょいと風が強かったが、人生で何十枚めかの瓦を投げてきたものだ。

 それにしても昨日は最高の景色だった。こんなにも美しい風景があまりにも忘れ去られていることが残念でならない。私は外国の人や、 県外の人は必ず連れて行くが、季節毎の美しさがある。 土産物通りに知人でAという美術館をやっている方をお訪ねしたがそこには800年前の源平合戦屏風があって、それも見せて頂く。が、 この辺り昔々の賑わっていた屋島は面影もない。お店も次々と閉めているようだ。、、、ホントに時は流れた。

 Oちゃんには娘の結婚式で司会をやって貰ったのでよく知っているが、彼の方は初めて。自動車のエンジンの設計をしているとかで、 研究者らしい繊細さも持ち合わせていたが、初対面でも臆せず話せる都会の好青年だった。どうやら我が娘がキューピットらしい。ま、 出会いは色々ある。これからが大変。「瓦投げ」に頼らないでがんばれ!てところだ。

 彼とは実際初対面とは思えない程色々と話したなあ。自動車業界の大変さもよく分かったし、 彼の仕事の重要さや間違いが許されない厳しいものだということがよく分かった。だからこそ、案内した屋島や庵治の海岸線は「癒される~」 の連発だったのだ。少しは娘の恩返しになったかも知れない。

 今日は私の車をお貸ししたから、きっと再びうどん屋巡りをしていることだろう。昨日は3軒もはしごに付き合わされてげんなり。 炭水化物ばかりの一日だった。さぬきの人間は朝昼晩と食べていると思われているからな~。

 

 アチクシはここ3日間8時間以上寝ているのが功を奏したのか、3日連続通い続けている接骨院の効き目があったのか、 声が少し元に戻ってきた。今日又ぐっすり眠れば大丈夫かも。さあ、ね~ましょ。明日がすめば羽を、、、う、孫べえが、、、。

2009年3月23日 (月)

お~っモウレツ!

 奇跡的に生きてる。今日は3連ちゃんの酷い一日。朝現場に10時いりして、リハなどあり、1時半からの本番、 終わって次なる予定カルチャーへ30分遅れで行く。そのあと迎えに来た娘と母とで近くのうどんやへ。 でもって映画に行くという二人と別れて夕方のちぇち練だ。1時間ほどの待ち時間の中で短歌を絞り出す。 たまたまコーヒーを飲みながらこれをやっているとき、ちぇちのメンバーMさんがやってきて、かる~い、 私からみたら食べてないのと同じコーヒーとホットドッグで夕食だという。ふひょ~っ!よくそれで身体が持つわねえ~。

 で、本日は28日の演奏会に向けての最後の練習とあって、I先生のしごきがすさまじい。 まるでボクシングでいくらパンチを食らっても起きあがる選手のようにそのしごきに耐えた。が、最後は流石に立ち上がれない。 I先生にはちゃんと以前報告してあったが、どうやら今日が私にとってどういう日かが分かってないなあ、あれは。

 迎えに来た娘が呆れている。「同じステージで2曲歌っただけの自分でもおばあちゃんと映画に行って居眠りしてたのに、 その上二つも仕事をしたなんて、考えられない、やりすぎだ。」という。いや全くその通り。年齢以上の事をしている。 これが自分の運命だと言い聞かせているが、出るつもりが無かった演奏会にも歌うし、オペレッタ自体にも出演しない約束が、 とうとう出る羽目になっている。流れに乗りすぎているのだろう。どっかで棹さす必要がありそうだ。

 

 明日は絶対朝寝してやるう~~~!

2009年3月20日 (金)

信頼。

 今宵はある芸術家の奥様Jさんと夕食を共にしたが、色々含蓄のある話が聞けて楽しかった。しかし海外に長く住む彼女が、 「言っちゃあ悪いけど、あんな愚かしい政治家が牛耳ってる日本という国に住んでなくてホントに良かった。」という言葉と、 「永住権はあるけど、市民権は取りたくない。自分は矢張り日本人だから。」というこの裏腹な発言には考えさせられた。昔読んだ 「サンダカン八番娼館」を」思い出した。日本を呪いながら死んだ娼婦達のお墓は全部日本の方を向いて建っているという部分だ。 ちょっと例えは悪いが、悲しい心模様は同じかも知れない。

 今朝偶然見たテレビ番組で、スエーデンという国の特集があり、よく知られているように福祉が充実していて、 子供に殆どお金がかからず、国民の医療費も驚くほどの安さ。こういう事が実現できているのは、税金が高く、 企業からの取り立ても大きいからだそうで、何故政府が要求したらみんな素直に従うかについて、「国民が政府を信頼しているからですよ。 政府がこのような事にお金が必要だからと言えば、国民は素直にお金を出すのです。小さな国だから、みんなが協力し合って幸せに暮らすのです。 」という。現在の日本と余りに違うじゃないの!?今の日本の政治に最も足りないのが、「信頼」の二文字だ。

 

 信頼つながりで面白い?ことがある。イチローが不調で不調でみんなの期待はずれも甚だしいが、そのWBCの放送中のコマーシャルが、 どっかの保険か何かで、「信頼」の代弁者としてイチローが出ている。これはにゃんとも皮肉なことだ!?

 

 シャンソン教室が終わってから、約束通り3歳の孫べえのお守りをしに嫁りんの実家まで行く。三輪車を押して側の公園に行き、 1時間半くらい歩いたり遊んだり遊ばせたり、、、、滑り台の変わったのがあって、上から降りてくるとき「きゃ~っ!」 と叫びながら降りるんだが、これが半端な声じゃない。辺りの人がみんな笑って振り返るくらい大声だ。 やっぱりこの声を活かしてもらわなきゃあ~。ねえ。この孫べえ、「みっちゃんも滑り台のろうよ~。」というので、「みっちゃんはね、 怖いから乗らない。」と返事すると、「怖くないよ。なっちゃん怖くないもん。」「なっちゃんはね、ちっちゃいから怖くないのよ。 みっちゃんはおっきいから怖いのよ。」と分かったような分からないような返事。「そんなことないよ。やってみようよ。 やってみたら怖くないよ。だいじょぶだいじょぶ」と来る。いくら誘われても無理。第一このお尻が収まるような幅じゃあない。 何とか説得して孫べえだけを遊ばせる。、、、今日の収穫は「影法師」を教えたことか。自然の中におもちゃは一杯ある。

 

、、、てなことで、本日も目一杯。

2009年3月19日 (木)

天候が気になるなあ~。

 昨日の孫べえとの時間が早くも祟って、今日は身体がだるいだるい。夜になって恩師から電話があったが、 実はその時テレビを見ながら寝椅子に横たわってうつらうつら、寝るでもなく起きるでもなく食後の時間を過ごしていたのだ。 その為返答がおかしかったと、話す内に段々目覚めて来たころ言われたことだ。やれやれ。

 今日はある方が入院されているという話を聞かされたが、このところこんな話が多すぎてあまり驚かなくなったのも困ったもんだ。 「誰にも内緒ね」と言われたが、、、、ねえ、、、。ご本人の希望ならそれも致し方がないことだ。会いたくないというのでもないらしく、 要するに見舞いの金品が困るというものらしい。「お返し」という慣習を考えるとぞっとするという訳だ。それは良く分かる。 全く元気でエネルギーが回復しての退院ならばそれもまあ出来るだろうが、高齢だとか、やむなく退院とかの場合はホントに煩わしいだけだろう。 、、さあ、どうするべきか。

 その電話をくれた人が私の声を今まで聴いたことがないくらい元気がない、と評してくれたがそこまでとは意外だった。 まあ元気は声に出るけどねえ。今年は色んな同窓会が1泊旅行として誘いが来ている。 これまでの私なら3人以上人が集まるところには必ず出かけていたから、みんなが返事のない私を心配しては電話をくれるというわけだ。 でもねえ~、今から体調がハッキリしないもんねえ~、、、って、これが又私らしくないことだ。が、きっと「参加」 に○を付けるんだろうなあ~。

 

 こうしてなんだかんだと一日が終わるが、合間合間でオペレッタの台本を打ち込んでいる。既に作成した部分も、 時間を置くと別なアイデアがわき起こり修正につぐ修正。なので、行きつ戻りつになっている。いくつかの方程式も解けずにいる。さあ、 予定通り完成するのか?はなはだ疑問。

 

 今日も孫べえと公園で遊ぶはずだったが、雨がぱらついたことを良いことにキャンセルした。明日ということにしたが、 さあ明日の天気は如何に?

2009年3月18日 (水)

にっぽん男児とFM.

 本日のFM収録は若き声楽家T氏だったが、このような体験は初めてのことと緊張していることを告白。 その通りのうぶでシャイな発言が次々と飛び出す。でもその言葉の端々に彼の人柄の良さや、秘めたる情熱もかいま見える。 ラジオは音声だけだから、なかなか全貌を伝えにくいが、そうした中でも彼の並々ならぬ人間性は控えめな会話からにじみ出ていた。 母上をとても大切に思っているらしいことも、家庭人としても愛情溢れる生活を送っているらしいこともよく分かった。、、、この12月、 彼と舞台を共にするが、どのようなアイゼンシュタインをやってくれるか、ますます楽しみになってきた。

 

 昼間は全く久しぶりに孫べえ達とお出かけ。二人ともすくすくと育っていて一安心。やっぱり母親が若いとエネルギーが違う。、、、 こちらは、疲れた。でも又会いたいと思うのが不思議だ。ただいま投げキッスが3歳の孫べえの中でマイブーム。 誰でも彼でもにチュッチュチュッチュやるもんだから、みんなが大喜びの大笑い。笑いの渦がそこかしこでわき起こる。良いなあ~、子供って。

2009年3月16日 (月)

今夜は眠れますように!

 昨夜何故か殆ど眠れず、それが祟って今日は一日中ぼ~っと過ごす。が、予定は予定。友人の母で、 私の人生行路の船頭でもあったHさんが退院されるとあって、病院へと出かける。思ったより元気そうで、目に以前の光が戻っていて安心した。 実は面会時間でないため、「ご家族ですか?」と聞かれて「ハイ」と答えての訪問だがまあ家族みたいなもんだ。 友人も来ていて荷物の搬出を手伝えたのは良かった。短期間でもケッコウ荷物はあるものだ。

 しゃばの空気が吸いたいとのHさんのご希望に添って、喫茶店に行こうとするも、どこもかしこも閉店だったり、休業だったり、 駐車場が無かったりと思いがけずあちこちしてしまう。結局我が家の近くまで来ちゃって、そこでゆっくり話をしたが、ご本人は 「ドライブが楽しかった」という程の回復振り。やれやれ、一安心だ。これから先はその時のこと。精神力の強い人だから、 きっと自然体で生きて行かれることだろう。

 

 84歳のHさんとのこの変なドライブ中に東京の友人から思いがけない電話が入る。彼の奥さんが58歳で突然死されたという。 再婚ではあったが、新婚旅行では高松を案内したこともある方で、大いに驚いた。まるで健康そのもののような感じだったし、 聞けば何となくしんどいからという程度で近所の病院にちょっと休養がてら調べましょうと入ったら三日目で突然死だったとか。、、、 他人事ではない。私のこのところの体調と酷似しているではないか!?二人も奥さんに死なれるとは、よくよく家庭に縁がない人なんだなあ~。 それにしてもこのタイミングでの知らせにはなんともかんとも、、、。

 

 さあ、明日は朝6時から仕事が入っている。卒園式シーズンだもんなあ~。

2009年3月15日 (日)

半月振りのビール!

 今朝は早くに出立した父と息子を見送って、それ以後の慌ただしさの中を短歌の歌会にも駆けつけた。 表向きはこのおみっちゃんお多忙さに同情的な師匠も、遅れて行ったか弱いアチクシに容赦ない!!駐車場が満杯で、 ウロウロした挙げ句先達から知らせて貰った100円パーキングを探しようやく停めて走り込み、 仕事モードから短歌モードに切り替わってないまま登場したらいきなりの歌評ときた。いやはや、いやはや。

 で、家に鳥を呼ぶために蜜柑を切って吊す習慣があるというのを、あたしゃ全然知らず、 それを詠んだ麗しい短歌をさっぱり理解できずにあたふたしたという次第。その場にいた人全員がこの風習(?)を知っていたにもかかわらず、 寄りによって知らない人が評するとは、お気の毒としか言いようがない。でもって、 今日は歌会から帰宅して母を迎えに行き道中その話を出してみた。ら、ら、ら、やっぱり母も知らないという。その理由は、 田舎に住んでいたから、そんなことしなくても鳥は一杯飛んできたから、、、、だ~って。この母にしてこの娘ありってところだ。 案外我が子供達の方が知っているかも知れないなあ。ふ~っ。

 

 今日は自由の身第一日目。で、母の誕生祝いを二人きりでしようと出かけてみたが、 驚いたことに大内長尾線沿いのどこもここも一杯で長い列が出来ている。そうか、今日は日曜日だと諦めて、今度はレインボー通りへと移動。 お目当てのところが上手いこと空いていたのでとっとと入る。母はよく食べたなあ~。確実に私よりは食べたと思う。 「イベリコ豚の変わりなんとかモヤシ乗せ、冷シャブねばねばサラダ、煮込み餃子、手巻き寿司を分け分けして、 その上母はご飯セットときたもんだ。二人ともノンアルコールのカクテルで乾杯だ。慇懃なマスターのお見送りに愛想を返して帰りに本屋さんへ。 煌々とした電気の下でハタと気づいたら、あたしゃパンツの裾をがばっと折り返して作業していたときのまんまの格好だった! あのマスターきっと気づいておかしかったんだろうなあ~、、、、はじゅかし~と言えば母曰く、「誰も見てないわな!がははは。」いや、 絶対あの人は見てた!としょうもない会話。あ~あ。二人して年取っていくなあ~。

 

 しかし、この開放感は良いなあ~。誰にも鑑賞されず今宵は溜まりに溜まったカセットテープの整理。少々の音量も大丈夫。でもって、 遂に半月振りにビールが飲みたくなって飲んでみた!さあ~、これが吉と出るか、凶と出るか?上手く行けば、このまま全快か。 何しろ私にとってのビールは健康のバロメーターだもんね~。

2009年3月14日 (土)

時間が足りない。

 明日は朝4時起きで海外出立の夫と息子を送っていく。その代わり、2週間は解放されそう!て、 何故かいつもこういうとき病気になっちまうアチクシ。今回こそはそうならないよう、ガンバロウ。

 

 かわゆい孫のお出迎えで、遅れてしまったピアノ講座に駆けつける。 フランスの音楽についての講座でサティとかありシャンソンに縁が深い内容だった。ピアニストTさんはホントによく弾きこなすひとだ。 なんとか、今後もやって欲しいものだ。もっと気軽に楽しめるような機会を沢山もってくれたら、、と、外野は好きなことを言う。でも、 日本でもヨーロッパのような音楽の楽しみ方が、もうそろそろ出来ても言い頃だと思うが、、、。

 

 さ、明日は午後は短歌の歌会だ。寝~ましょ。

2009年3月13日 (金)

悲しい知らせ。

 友人がやってきて、彼女の母親が癌で手術をしたという。しかもそこ以外にも癌があるというではないか。私にとっても大切なその方は、 気丈な人で後の方は手術はしないで、なるに任せると言うらしい。高齢だから、 肉体の老化と共にガン細胞も老化していけるかも知れないという望みはあるが、、、、。 我が母よりも5歳もお若い事を考えるとついこみ上げるものがあった。友人もショックを隠しきれないでいる。当然だ。 早く会いに行かねばという気持ちと、会うと涙を押さえる自信が無いというつらい気持ちで一日中憂鬱だった。

 

 明日は、息子が家族と共に帰省するが、、、、家族といえどもいつか別れるときが来る。

2009年3月12日 (木)

暖かい一日。

 先月岡山に行かなかった為久しぶりにフェリーに乗って宇野まで出かけた。こないだまで速攻で室内へ逃げ込んでいたのが嘘のように、 今日は甲板で風を受けても寒くない。いつの間にか良い季節がやって来た。 でもまあ室内で書き物でもしようかと着席するとちょっと辛めのうどんのダシの臭いがする。そういえばお昼を食べてなかったことに思い至り、 まずは腹ごしらえからだ。350円だったかを支払って席で待つつもりが、「すぐ出来ますから。」 という店員の女性の機関銃のようなお喋りに相づちを打つはめになってしまう。長くこの手の船に乗っているが、ここまで愛想が良いというか、 話し好きな人に出会ったのは初めて。それも彼女の全くプライベートな事が話題だからちょっと呆れた。ほ~、 昨今このような人は居ないと思っていたが、珍しいなあ~、と思っている内にうどんが出来て無罪放免となる。なので、 しっかりこの女性のお顔を憶えてしまい、帰りの船もこの方を見かけ、何も悪いことをしてないのに顔を見られないようにこそこそと着席。 このときは、数名の若者がターゲットになっていたようだったが、流石若者は対応が自分流だ。一切無視というか、反応しないからだろう、 遠巻きに憮然とした表情で彼らを観るその女性が面白かった。(って、何を観察してるんだか)

 今日は新人さんが見学とかで、たったそれだけでもメンバーの緊張がいつもと全然違う。矢張り歌は人前で歌うべき何だと改めて思う。 この新人さんは昔演劇の世界に身を置いていたらしく、しばらくぶりに色々再開しているようだが、歌は初めてだという。 でも演劇の経験があるということは歌を歌う上で大いに役立つものだからして、案の定しっかりした声で堂々と歌うのだった。 おいくつくらいの方か、、、、目に力があり、好奇心に満ちている。楽しみな人だ。

 

 ぼんやりしていたら明日が母の誕生日だと思い出した。正真正銘の89歳。おおお~っ。てなもんだ。

2009年3月10日 (火)

シャンソン。

 ここんとこパソコンを最小限度にとどめているせいだからか、不要品廃棄へのエネルギーがとどまることが無く、 今日も今日と手仕事の合間と、シャンソンコンサートから帰宅後もやり続け、ようやくパソコンの前に座ったらにゃんと午前様となっていた。 片付けながら今日の歌い手の事や、コンサートそのものについてあれこれ考えていたが、やっぱり歌は面白い。

 ハッキリ言って今の○川昌子さんの歌は決して上手いとは言えないだろう。 仮にこれが無名の人が同じ声で同じように歌ったらブーイングだろう。声はだみ声(ハスキーとも言い、 シャンソンに向いている声とも言われるが、昔はこんな声ではなかった。)フレーズは殆ど伸びないし、 フォルテもピアニッシモもコントロール出来てない。言葉さえ不明瞭だ。が、歌手というのは歌がうまけりゃあ良いというものではないと、 70代半ばらしい彼女は教えてくれる。歌は人生なのだ。例えば今日彼女が吠えるようにドスを効かせた声で歌っても、その声の底の底にある、 彼女の人生の深い部分のうめきが聞こえてきて、人々は心を突き動かされる。そして又、声にならない声でかすれるように歌っても、 その声はまるでサックスがすすり泣くように会場に染み渡る。高齢の為、トークも行きつ戻りつするが、肝心なことははずさない。それは、 彼女の人生経験の中で最も大きな事件、「戦争体験」だ。戦後63年経った今も、 彼女の脳裏にはくっきりとその日の様子が描かれているようだった。「戦争ほどばかげていて、情けなくて、愚かしくて、何の意味もない、、、、 」「昔も今も、偉い人はみんなバカだ!」と次々と発せられる言葉は美しくはないが、 体験から来るストレートな叫びにみんな共感し拍手が湧いたことだ。江戸っ子らしい切れの良い言葉が次々と観客の爆笑を誘い、 もう一人の出演者で彼女の伴奏者でもあるK氏はハンカチで涙を拭きながらの演奏だった。

 おみっちゃんが一番凄いと思ったのは、彼女の「居直り」だった。「私はこれで良いのよ。」「どうよ!?」「なんか文句アル?」 的なオーラが、最初から会場を圧倒していた。そりゃあ褒められれば嬉しいが、特に若く見せようっていう様子もない。 色んなものを切り捨てて生きてきた女の強さ、とでもいうものが彼女の身体を包み込んでいた。これは、真似ようとて真似られるものではない。 仮に髪の毛を同じように3色に染めたとしても、ああはなれない。

 だから、シャンソンは若くてはなかなか歌えない。

 

 思ったより大勢の人が詰めかけていて、大盛会だった。若い人が2割くらいというのはちと淋しいが、、、。

2009年3月 9日 (月)

ちと、疲れた。

 今朝は頑張って朝寝坊せず起きて、一昨日から少しずつ始めている、「不要品の廃棄」を続けた。 アルバムは整理済みのものを決めた一に並べ、未整理の物はほったらかし。いつになったらこれに手が付けられるか全く不明。 おびただしい数のテープやビデオ、どうするんだろう?って、他人事にしてしまいたい。ちょっと、のつもりが大事になってしまって大弱り。 しかし途中で止めるわけにも行かない状態で、思いの残る本などを思い切って処分することにした。それ以外にも「これどうする?」 と言うような物までドンドン出てきて、只今我が家は集塵場みたいになっている。明日、レッスンに来る人には申し訳ないが、 やって仕舞わなくては、、、。

 病気になったとき、頭をよぎったのは、「このまま自分があの世へ行ったら、娘達が困るだろうなあ~」ということだった。 なるだけ捨てるものを捨てておかないと、、、、という心境になった訳だ。せめて分類だけでも分かりやすくしとかないと、 あまりのことに頭を抱えるだろう。今の私みたいに。でも実際は、全部捨てて貰って良い物ばかり。 私がこの世にいなくなっても置く必要のあるものなんて、あるはずがない。私が生きていて、使っているからこそ必要なだけだ。 だからどうでも良いんだけど、、、始めてしまった。

 

 その後カルチャーで、その後ちぇち練だ。流石に病み上がりの身体にはこの緊張がこたえたなあ。妙なアブラ汗が出て気分が悪くなった。 ま、完治にはしばらくかかるかも知れない。全くアルコールが欲しくないし、夫が側で飲んでいようが、全く食指が動かない。今日何人かに、 「それは異常ですねえ~!」と驚かれたが、いやまったく。アルコールは健康のバロメーターだ。

 明日はシャンソンコンサートに出かけるが、○川昌子さん、初めてその声を聴く。こういうときに限って「ワンドリンク付き」 なんだよなあ~、これが。

2009年3月 8日 (日)

ドライブ、2回。

 回復したら早速今日はこんぴらまで出かけた。かねてからT先生にとても良いグループがあるから是非一度聴きにおいでなさい、 と勧められていたコンサートだった。結論から言うと、「行って良かった、観て聴いて良かった。」である。一番凄いのは、一人一人が真剣で、 パワフルなことだ。そのみんなの力が集まり、全体を押し上げている。人数の多いのもうらやましい限り。特に男性が。しっかりした舞台構成と、 よく訓練された動きでスマートだ。何もかも手作りだというが、バックの全体の背景がまで私の隣の隣の方が手書きだと聞いて思わず唸った! 教えてくれたのが偶然お隣の席だったT先生。ソリストの女性のオペレッタの中でのソロにお一人で小さく手を叩いておられたのが印象的だった。 確かに、そういう場面で通常なら拍手が来ても良い場面が、おそらくは慣れてない観客が多く、拍手するタイミングが掴めていない。 しかし郷にいれば郷に従えだろう。土地の人で一杯の会場の空気を乱したくなかったT先生のお気持ちがよく分かった。 私も同じ気持ちだったからだ。

 「日本語だから」、「子供向けのお話だから」、「オペレッタのほんの一シーンだから」などと、出演者の誰一人思ってなく、 決められたルールにのっとり、全員がしっかりと演じ、歌っていたのは、T先生が絶賛するだけのことはある。、、、大いに見習わなくては、 と同行の我々メンバー4人は帰る車の中でもしきりにその話だ。少々疲れたが、行った甲斐があった。

 

 今日は私の運転だったが、昨日は夫の強い勧めで山間に素敵な別荘を建てられたK画伯を夫の車でお訪ねした。 病み上がりの私の気分転換ということだったが、一人で行くのもつまらなかったらしい。やれやれ、これから先の老後が思いやられるわい、 と助手席に深く沈んで小一時間。天気が良いのが救いだった。

 間もなく80を迎えようかという画伯は、早く花が観たいからと、周辺に桜とか梅、桃、など様々な大人の樹を沢山植えていらした。 庭には作品が並び、さながら美術館。ログハウス的な建物は単色でシックな造り。室内も開放的で、、、、 何より素晴らしいのは窓から見える借景だった。遙かに瀬戸内海を一望に見渡せ、近くにはミカン畑が拡がる。 視点を移せば高松の町並みもかなり広範囲に見える。自然と共に、出来るだけ多くの時間を過ごしたいという、 画伯のお気持ちが手に取るように分かるというものだ。アシスタントの女性が運んでくれたコーヒーが肌寒い空気を暖めてくれる。聞けば、 毎日3回くらいキジの雄がこの庭を歩いて渡るらしい。どうやら通り道らしいとか。のどかな話だ。

 間もなくNYから帰国される奥様を交えての再会を約し、おいとまして、すぐ上にある民宿でおそばを食べる。 このあたりの桜は全てがつぼみを付け、かなり膨らんでいる。桜の季節には母も連れて来ようとそば湯をすする。

 

 健康とはありがたいものだ。

2009年3月 6日 (金)

ゆっくりと復帰。

 今日は平常通り、とは行かなくてもまあまあ動けて、ご予約の方も滞りなく施術させて頂き、溜まった家事も少々やっつけ、 食べるものも生もの油物を避けて通常に近い物を通常の4分の一ほど食べる。そんなに食べて無くても、 人間動けるもんだと妙に感心しながらだった。、、、しかし、これがいつまで続くかはなはだ疑問だ。 実際このペースを守っていけば相当スリムになるはずだ。 でもそういえばお嬢がネットで調べたこの病気についてのあれこれを読み上げているとき、「お母さん、残念なこと書いてるわ。」 と言うから何事かと思えば、「回復すれば体重はすぐ戻ります。だ~って!ガハハハハ」で私も、「ヤッパリネ。ガハハハハ」と相成った。 そんなことくらいで痩せるようなヤワな身体じゃあござんせん!残念。

 

 まあしかし、娘とはありがたいものだ。今日訪ねて来た友人Kとつくづくそう話したことだが、 こういう事があると近くに置きたいという誘惑に駆られるなあ~。ここがぐっと我慢のしどころだ。過去に上京させた時以来、 こうした母親気分にはおさらばしたつもりが、しばしば会っているとよろしくないのだ。

 我々親子は本気でケンカもするし、議論も戦わせて、お互い全く容赦ないが、だからこそお互いを理解し合えて優しくなれる。 お互いの人格は認め合っているし、長所を助け合って伸ばそうとしている点ではどちらが上というわけでもない。 私が彼女を生んで育てて一番良かった思えるのは、この子と一緒に自分も育っているという点が大きい。「負うた子に教えられ」ということだ。 人は誰でも自分を客観的に観ることが難しい。そこの所を指摘し合うには、傷の痛みの少ない親子関係がベストだろう。 同じ事を他人から言われたら立ち上がれない程の事を言い合うわけだ。まあ、娘を持たない人には気の毒だが、 これが息子ではこうはいかないのだ。不思議なことに。(もっとも、これは一般論ではない。私だけの事かもね。)

2009年3月 5日 (木)

寝だめカンタービレ?

 今年に入って2度目のドカ~ンがやってきた。朝ぐら~っときて吐き気がする。血圧を測ると180以上ある。えっ? と思いすぐさま病院へ。「お疲れなんでしょう」と言われ点滴を。

 帰宅してしばらくお休みしたが、夕方からのFMにはどうしても出かけなくてはならない。 たまたま帰省していたお嬢に送ってもらい到着するも、何となく気分がすぐれない。ゲストの3人の男性の内お一人とは顔なじみなので、 「実は今日体調悪くて、全権委任したかったんですけど~」と振って見るも、「冗談じゃありません!!」と一笑に付される。ま、 すっかったなかんべさあ~と始めて見ると、やっている間は体調を忘れていた。時々むかっとは来たが、何とかのりこえた。しかもゲストからは、 始まる前はこの人ホントに大丈夫かな?と思ったが始まった途端発声が変わり、 スムーズに番組が進行したのには驚いたと言って貰える程度の事だった。

 迎えに来たお嬢の車に乗り込むと、既に別会場で飲んだくれてすっかり酔っぱらった夫が後部座席でグースカピー。 久しぶりにこき使われている娘ではあった。

 で、玄関に入った途端むかっと来て、トイレに走り込むもふたを開ける暇もないほどの勢いで、身体の中から異物が噴射された! しかも何度も何度も繰り返しやってきて、もしやこのままトイレで一晩過ごすのか?と思うほどの勢い。 丁度その時友人Kから電話が入っていたのにお嬢が出ていて、「今、トイレ、あ、吐いてる、あ、あ、あ、すごい、吐いてる、、、、」 と実況中継してる。バカ目、心配するじゃん!?と思いつつも口がきけない。

 やがて一段落してすぐさま病院に電話。局にすぐ近くの病院にと又運んで貰う。 がらんとした深夜の病院は子供が小さい頃よく体験したものだが、こうなってみるとホントに病院とはありがたいものだ。殆どが問診で、 わずかな触診とカルテ歴で「ウイルス性腸炎」との診断が下される。吐き気止めの点滴を受けて帰宅。 とりあえず寝ようとするも又しても嘔吐下痢ときた。体内に残っている物が全て出尽くすまでは出るみたい。しかし、考えてみるとこれって、 身体の自己防衛機能が優れているってことじゃないのかなあ?全く上手く出来てる、人間の身体は。

 あとはひたすら眠る眠るねむる、、、、。時々起きては上京を一日遅らせた娘の持ってくる暖かい飲み物や、おかゆなどを口に運び、 ふたたびみたび、ねむるねむる、、、。薬に眠くなる物がはいっているらしいが、それにしてもまあよく眠った。昨日は丸一日殆ど眠っていた。 今日は娘が、「無理するな!」と言い捨てて朝一番の新幹線で帰っていき、 あたしゃ彼女の言いつけ通り薬とおかゆを口に運び再び眠った後自分で病院へ。栄養剤を点滴されて、 もうこれ以上薬を飲む必要無しと診断されて帰宅。現在、90%回復したような気分。

 こうして眠っている間に、下の階では、運悪く電話で実況中継された友人Kがやってきてあれこれと台所を手伝ってくれたようだ。 頂き物のお野菜の処理など色々教えて貰ったと娘はちゃっかり喜んでいる。

 しかしよく眠れるもんだなあ~。夢はよく見たが、、、、それも、 次の舞台の事が主というところが真面目~なおみっちゃんらしいではないか。

 

 眠りは、死と同じような物で出来ている、とはシェイクスピアの言葉だが、これだけ眠ると、これが死だったら死も悪くない、 と思えてくるなあ~。

2009年3月 2日 (月)

しんどいなあ、、。

 今日のちぇち練は絶対酔ってなかったんだけど、なんだか身体が起きてない感じで、ぼ~っとしていたように思うなあ。 行きの車の運転時もあくびの連続で、会長に大丈夫ですか?と聞かれてしまったくらい。 同乗のM君に運転代わって貰おうかと一瞬考えたがめんどくさくてそのまま運転。昨夜の薬が残っているのかと思うくらいだった。まあ、 みんな本番ではちゃんとやるだろう。

 で、居残り組にさよならして、今日はとっとと帰宅した。なんだかねえ~。疲れやすい身体になっちまってるなあ~。 いつもなら絶対に行くお誘いもキャンセルしっぱなしだし~。陶芸の先生の展覧会も失礼しちゃった。メンバーの生け花展も行けずじまい。、、、 ああ~あやんなっちゃうなあ~おろろいた。

2009年3月 1日 (日)

なんという一日。

 今日は長年の顧客のご主人の葬儀があり、その為早朝から着付けだ何だがあり、そのあとも他の来店客でてんやわんや。で、 12時からの葬儀に40分遅れで参列、お焼香のみ済ませてから、会長ご出演のコンサート会場へ駆けつける。ランチ付きだったが、 完全にその時間は終わっていて、一人で目の前のランチを口に運ぶも、全てが冷たいし落ち着かず、食べたのか食べてないのか意識がない。 よりによってこういう日に限ってこんな風にバタバタしてしまうのが、私の運命。

 今日のコンサートは弦楽四重奏と歌だったが、今日に限らず演奏会は良いも悪いもホントに参考になるなあ。観客のためにと、 軽い曲を持ってきても、必ずしもそれが観客のためになってない、という場合がある。 それよりも歌い手や演奏家の自信のあるものを羅列することで勝負をかけるほうが訴える力がある、場合もある。かといって、 好きな曲の羅列はこれまた、自己チューのそしりを免れないだろう。そういう意味では選曲はホントに難しい。

 そして、これは自分自身も良く失敗することだが、会場と観客と演奏のバランスの問題。 客観的に聴いて貰って調整が出来るのが一番だろう。が、なかなかそうも行かない事情もあるだろう。でもこれは矢張り是非やっておくべき事だ。 信頼できる人に頼んで、観客としてチェックして貰うと言うことの必要性だ。、、、 いずれにしても演奏会は沢山の課題をクリアしなくてはならない。

 

 このようにそのように忙しかった一日をつぶさに見てきたお嬢が相当呆れていて、 「お母さんは一生そうやってバタバタして過ごすのよねえ~きっと。」と感想を述べる。イヤ全く。なんでもノーと言えないこの性格。 お嬢とおばばに付き合って昨日も遠い遠いイオンの映画館に、これまたながいながい「オーストラリア」という映画を観て、 帰宅したら午前様だったものなあ~。これだとて、急遽遠出をした弟夫婦が帰れないというので、母を連れ出したというわけで、 決して自分の意志ではない。あの「鯛焼きくん」の歌詞みたいなもんだ。まいにちまいにちおいらはてっぱんの上で焼かれてやんなっちゃうな~、 、、、。

 

 あまりの多忙と目の状態のため、ここをさぼっているが、イコール台本が進んでないということだ。ふ~っ。

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