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2009年1月

2009年1月31日 (土)

演奏会に行った。

 とにかくゆ~っくり、と思いながら過ごしているが、割り込んでくる予定に抗えないでいる。昨日は親類の若者4人を我が家でお接待。 こういう日に限ってカルチャー教室があるんだなあ~。何もかも予定通りこなし、割り込み組も入れてしまうこの気弱な性格、、、、 人は見かけによらないのだ。

 ま、色んな職種の若者と喋るのは面白いし、当世若者気質に触れるのは楽しいモノだ。意外と真面目で、古風で、真剣だったりして、、、 、おやおや、我々の若い頃とさほど変わってないのか?と思わせる。このご時世だから、話題は海外旅行の話になって、 それぞれが体験したことを面白おかしく話してくれて、これも楽しかった。、、、 こういうの聞いても海外旅行そのものにはあんまり触手が動かないのは、おみっちゃんとしてはやっぱり変だ。完全復活してないのか? (永遠に復活しないかも~)

 復活ならず、と思ったにはもう一つ訳がある。お料理をしていて、途中で急に気力が萎えて、予定より3品少なくなってしまったことで、 これは今まであまり経験がない。材料は買ってあるし、頑張ればお茶の子さいさいだったはずが、 どうにもやる気がなくなってしまって回復しないまま来客を迎えた。 それでも若者の胃袋を満たすだけの量はあったようで満足して貰ったのは幸いだった。

 しかし、話題はおのずと仕事の話へと移り、このところの不景気を憂えることとなる。 想像以上に落ち込んでいるというのが彼らの意見だった。自分達の将来も心配だが、会社自体の存続さえ危ぶんでいる。「働く意欲」 とかいう以前の問題だ。世の中これから一体どうなっていくんだろう。

 

 

 そして今宵は以前から予定していたコンサートに出かける。歌ばかりのガラだったが、色々あっても歌は矢張り楽しいなあ。 他人事だからこちらは余裕で見ているが、生の舞台にありがちなアクシデントもありいので、「歌はむつかしい~」という感想になる。 何たって完全にお客様の方を正面切って歌うわけで、観客の視線や呼吸がもろ伝わってくるからなあ~。緊張するのが当たり前だ。 きっと出演者の殆どが、程度の差はあれ練習の時と同じに歌えたら、どんなにか気持ちいいだろうと思いながらステージを務めていたに違いない。

 舞台に慣れているから良い結果が出ると決まっていないのが、生の舞台だ。むろんその方が表現の幅は出るだろうが、 その人が必ずしもベストの体調でない場合もあるし、慣れから来る観客との遊離、ということもある。新人でも、 案外舞台に向いている人も居るわけで、方程式が無いに等しい。だからこそ、全員が必死で取り組まざるを得ないのがこうした演奏会の特徴だ。 従って、多分一番聴衆を魅了するのはチームワークだ。その点、今日は合唱曲を2曲ともソリストが入り、 全員で歌ったのは全体を引き締めていたように思う。

 帰る道々車の中は演奏会の話になり、次はあの曲を歌ってみたいとかいう人も出る。女5人、 途中で立ち寄ったパスタ屋さんでも延々音楽の話が続き尽きることがない。ほ~んと、みんな好きなんだなあ~。この年になって、 ここまで熱中できるモノが持てていることに乾杯!だ。

2009年1月29日 (木)

政治は、だから嫌い。

 寒いような暖かいような、、動けば暑いし、じっとしていると足下から寒さが忍び上がって来るという一日。 どうも身体がシャンとしないで、あれもこれも進まない。明日は夫の親戚の若い人を4人招待している。献立を考えていたが、 内一人は料理人だからなあ~。ま、なんとか誤魔化すか。お話がおかずということで~。

 

 全く久しぶりに友人Uから電話があった。「よっ!」という声だけで相手が分かる私も大したもんだ。 お互いの元気を確認しあって再会を約す。まあ、今のところあちらの方が元気そうだからなあ~。ちょいと頑張らなくては!私も。

 

 そういえば昨日今年初めての陶芸に出かけたが、矢張り集中力に欠けるというか、思ったように出来ず、 花器のつもりがピサの斜塔のようになっちまった。次に削るところで何とか挽回だが、さあ~どうだかねえ。何事も健康でないと出来ないモノだ。

 

 昼間たまたま付けた「国会討論」で、田中真紀子議員の代表質問があると聞き、これはこれはと注目したが、 国会が始まると同時にもの凄いヤジと怒号が飛び交い、最初の質問者の声が十分聞こえないほどだ。なぜあ議長はあれを放置しているのか?何故、 NHKはあのやかましい人達にカメラを回さないのか?質問者は何故、そのヤジを制して、静かにならなければ質問しません、と言えないのか? 私には全く理解不能な会議の模様が延々と流されていて気分が悪くなった。あのオバマ氏の大統領就任演説の時、200万人以上の人が居ても、 彼の言うことをシ~ンとして聞いていたではないか。まあ、国会ではないから、比較は出来ないが、 少なくとも人の意見をキチンと理解するには静かに聞かなければ分からないだろうに。ホントに情けない、としか言いようがない。 あの真紀子女史でさえ、その怒号の前には声がとぎれ、以前のような歯切れの良い名口調とは行かなかったではないか。全く、信じられない。

 

 

2009年1月28日 (水)

じわっと、準備態勢。

 いよいよ楽譜が手元に到着した。これからの作業は半端じゃない。歌詞を付けて、台本作成に取りかかる。未定の部分が多くて、 スムーズに行くとは考えにくい。でも、やらねばならない。コレがないと、何も始まらないからだ。2,3日ホテルに缶詰、 な~んていう売れっ子作家のようなワガママが出来れば、スムーズに行きそうだがこれは無理。、、、何かヒントが欲しいなあ~。

 

 母が映画に行きたいというので、我が家で夕飯を一緒に食べてから出かけた。食事中に夫が、「おばあちゃんのこの元気だと、 お母さんの方が先に行くかも知れない。」と話したところ、真顔で、「そんなことになったら、私もあの世に連れて行って貰いますわ」と言う。 この言葉はズシンと来た。それほど頼りにされているのだと思うと、しっかり孝行しなくては、と思いを新たにした。、、、確かに、 この映画好きの母を、私が居なくなったら誰も連れて行かないだろうし、時々ケンカしながらも言いたいことを言える相手が居なくなり、 会話が減るだろう。孫は遠いし、息子にはその家庭がある。共通の昔話を持っている私という存在は、今の母にとって誰よりも必要なんだろう。 ま、気を付けて少しでも長く側に居てあげたいと思ったことだ。

 

 「感染列島」というこの映画は、単に恐怖感を煽ることに終始せず、人間如何にに生くべきか、を描いていてなかなか良かった。 母が開口一番、「良い映画だった。」と独り言のように話したのは、まだ余韻に浸っていたのだろう。このところ、ホントに邦画が頑張っている。 キャストの登用が面白かったのも良い点だった。、、、キャストねえ。オペラもねえ~、、、。

 

 

 

「例え地球が明日滅びようとも、今日リンゴの木を植える。」、、、今日の映画の中の言葉だ。

2009年1月27日 (火)

水爆とビールと短歌。

 ひさ~しぶりのジム。水に入るのは何となく怖くて、自転車を漕いでみた。目の前のテレビで世にも恐ろしい番組をやっていたので、 ついつい見てしまい、予定よりもかなり沢山やってしまって、1時間、110キロカロリーと出た。今ふくらはぎに少々違和感が、、、。

 何の番組かというと、アメリカとソ連が半世紀ほど前お互いに原爆を越える爆弾として「水爆」を次々と製作しては実験していたのが、 ドキュメンタリー形式で流れていたのだ。日本に落としたモノの威力を十分知っているはずだのに、科学者に命じて、 次々と破壊力のあるものを作らせ、スパイ合戦でより強力なモノを競争して作っていた時代のことが、 その実験の模様と学者の懊悩が交錯する形で語られていた。そういえば随分前の記憶だが、日本の第五福竜丸がビキニの灰と呼ばれる「死の灰」 を浴びたというニュースを何度も聞き、大人達が随分心配していたのを憶えている。まだその頃は世の中のことが十分分かっていなかったが、 そのニュースだけはもっとも暗いニュースとしてインプットされていた。

 いみじくも今日の出演者で、学者の一人が語っていた言葉、「人間は、自らを滅ぼすものを作ってしまった。」 という言葉が全てを語っている。どうなるんだろう、地球は?大国の理不尽な行動にムラムラと怒りが湧いてきて、 次々と打ち上げられるキノコ雲に私の心はギリギリと呻いた。この怒りを誰かと共有したかったが、 自転車組や前でランニングマシンに乗っている人達はみんなお笑い番組やクイズ番組らしきモノを見ている。しかし、 一人だけ真っ赤なTシャツの若い男性がランニングしながら真剣に画面に見入っていたのは救いだった。みんな、こういうの見てよ! と言いたかったが、こういう社会も死の灰の影響か!?明らかにアレルギーの人が多いとか、子供の運動能力が落ちてきているとか、 色んなことがその昔のバカな実験のせいかもしれないではないか。こういうのを見ると、ホントにがっかりしてしまう。人間は、挽回できるのか?

 

 そこを終えて、次は岩盤浴だ。Cantiamoの曲を憶え直ししなくてはならないので、個室。たっぷりお風呂も使って帰宅したが、 やっぱり良いもんだ。受付嬢が、「しばらくですねえ~。どうぞ又イラして下さい!」と笑顔で挨拶してくれる。全く。来たいんだけどねえ~。

 

 で、3分後はせめてものダイエットビールだ。無いよりはましか。

 

 本日来店客のお一人が短歌に通じていて、ご自身も詠むことがあるかただったので、今回私の歌が載っている本を見て貰い、 6首の内でどれが良いと思うか聞いてみたが、これは面白かった。結社が違うと多少視点も違うのかも知れない。 その方がお気に入りと言ってくれたのは次の2首だ。

 

 慣れぬ杖つきて歩むを嫌ひたる母に寄り添ふ高松空港

 車椅子を押しくれる人に気遣ひてしきりに礼言ふ小さき母よ

 

 

2009年1月25日 (日)

会議。

 ようやく今年の公演のキャスト他、あれこれが決まった。これからスタートだ。個人的には、今ひとつ乗れなくて、背骨が痛い感じだが、 、、。このハッキリしない体調は何時になったらスッキリするのか?参ってる。

 が、そんなことも言ってられない。12月なんかあっという間にやって来る。やるべき事を一つずつやっつけていかなくては。 今回は出演は無しにして貰った。どう考えても、台本書いて演出して、演技指導もやって出演は無理。もう若くない。出たいはやまやまでも、 決断は早いほうが良い。今の体調では、これが精一杯の答だ。ま、又チャンスは巡ってくるだろう。

 それに、こうして名前を並べてみると、今回もけっこう面白いモノが出来そうだ。フムフム。

 

 明日は久々にシェイクスピアの講座に出かける。そこでの仲間達には今年初めて会うし、それはそれで楽しみだがそのあとシャンソンだ。 何だかなあ~、疲れるなあ。

 

 

2009年1月24日 (土)

外は雪だったそうな!?

 今日も今日とてチョーチョー多忙。今までさぼってた仕事が溜まってるだけなんだが、晩ご飯を作る気力が全くなくて、 お気に入りのおかずやさんで全てまかなった。そこについ引け目を感じて、沢山出し過ぎてしまったようだ。 先生も夫も少しずつお残しあそばした!店屋物だってことは不思議と分かるんだよなあ~、彩り良すぎたりしてねえ。どうやらなんであれ、 アチクシの作ったものが良さそうだ。やれやれ。

 

 本日の来店客の中に、小学校の先生が居て、とうとうもう少しで依願退職となるらしい。PTAにほとほと疲れたというのだ。 この方は私から観て、絶対学校に居て欲しいタイプの先生だ。だのに、そういうことになるなんて、定年前に辞めなくちゃならないなんて、、、、 残念でならない。が、こういうケースがどうやら今の日本にはとっても多いらしい。どうにかならないのか?

 ある来店客の飼ってた猫ちゃんが急に心不全で亡くなったとか。4歳だったそうだ。そういうことがあるんだなあ~。 そこのご主人にそのことを電話で告げると、県外にもかかわらず急ぎ帰ってこられたそうだ。その方曰く、「ビックリしたわ! おいおい泣いたのよ、うちの主人。」は~っ、優しい方だとは思っていたが、、、そうなんだあ~。 ひろ~いお庭のどこからも見える所に埋葬したという。ペットはねえ、こういう目に遭いやすいからイヤなのよねえ~。

 

 娘さんのレッスンの為に岡山から運転して来宅されたKさんと、全く久しぶりに大笑いしながらお喋りした。 今年のオペラに出演してくれるらしくホントに嬉しかった。、、、、こうして少しずつキャストが固まってきている。

 帰りは美味しいうどん屋さんを紹介してあげたが、どうだったかなあ?うどん屋さんは好みもあるしなあ~。

 

 明日はいよいよ運営会議だ。これで殆どのことが決定されるだろう。、、、、多分。

 

 

 この忙しい中で、短歌12首はきつかったが、作っては推敲しを繰り返していると、やたら駄作振りがイヤになってきて、、、 でも頑張って形にして、、、しかしどうやって南局まで持って行くかなあ?と考えていたところに、飛んで火にいる夏の虫、じゃなく、 救世主のようにMさんが現れ、レッスン後に放り込んでくれるというありがたいお答え!! 25日締め切りのモノを出すには如何に速達でも遅すぎるかもと思ったが、せっかく書いたから封筒に入れて彼女に託した。どうかな?届くかな? 、、、、、。

 

 でもこの作業の後の爽快感は、この感覚のために頑張って出しているのか?というくらい良い感じだ。あるお方は、 「トイレに行った後のようだ。」と色気のない表現をされたが、まあ、それに近いかも知れない。フフフ。

2009年1月23日 (金)

今日は寒いなあ~。

 今日は久しぶりに本業(?)がチョー多忙で、実際目が回った。平行して我が家の二階では会長レッスンが行われていて、 こういう日は店内の放送は止めている。イコール二階の声がまる聞こえ。良いときも悪いときも聞こえてくるモノは仕方がない。 来店客も慣れたものだ。

 しかし病み上がりにふさわしい疲れ方で、夕食を作りかねた。ようやく今頃になって元気が出てきての日記だ。というのも、 昨日も岡山まで行ってたし、帰る早々接骨院で、そのあとFM2本録りだったから、まあ元気なときでもチョイと疲れるわなあ~。 お陰でよく眠れて、一昨日は娘夫婦が離婚しそうになった夢を見るし、昨日は、、、なんだっけ?思い出せない。まあ、よく眠った。

 

 ティータイムに会長と話していて、こちらからのメールが携帯にさっぱり届いてないということが判明。ぎょへ~っ。 じゃああれもこれもご存じない!?てえことはパソコンからのメールは全てはじかれてるってことだ。ってなことで、 慌てて思い出しながら喋ったが、こっちだって、送ったのを全て憶えてるわけでもない。やれやれ。お願いだから、パソコン早く直してよ!、、、 歳と共にこういうのがダメになってきてるなあ、私じゃない、会長のことだ!今より良くなることは無いだろうから、 これから管理させて頂かなくては、、、は~っ。(老々管理)

 

 

 明日は雪らしい。

 

 

2009年1月22日 (木)

FM

 今宵は楽しくFM2本録り。若者二人で歌と楽器の人だったが、大変楽しかった。 うぶな彼が赤くなったり青くなったりしてたのが可愛かった。

 

 若いって、ホントに、良いなあ~。

 

 とりあえず今日は眠気に負けそう~~~、、、、。多分針治療のせいかも。

2009年1月21日 (水)

オバマ大統領。

 オバマ大統領誕生のニュースをチャンネルを回しては見続けたが、確かにこれは世界の歴史的事件だろうと思った。アメリカという国を、 「若い国」と表現した彼の表現の意味するところは、「柔軟に考えて、積極的に行動できる国」ということだろうか。確かに、今、 アメリカのみならず世界が必要としている人物像だ。

 あるテレビ番組では、「アメリカでは素晴らしい就任演説が行われているのに、日本では総理がこの漢字読めますか?と質問されている。 質問する方もする方だし、される方もされる方だ!」という発言があり、思わず苦笑してしまったが、確かにレベルの違いを感じるではないか!?

 私は画面を見ていて、彼の額の深いシワが彼の任務の重さを物語っていると思った。ここ100日間を、 新任大統領のハネムーンというらしい。この間に何か実績を作らないと途端に国民はがっかりして評価が落ちるんだそうだ。大変な椅子だ。

 暗いニュースが続く中で、全く希望の星そのものだ。いつまでも輝いて欲しいモノだ。

2009年1月20日 (火)

みんな、自分のすみかへ帰っていった。

 午後近くまで起きられないで、さりとて眠っているわけでもなく、枕元の携帯メールに返事をしたりはしているのに、 ベッドから出られない。今日も本日休業の札をぶら下げているなあ~と考えながら、ぐずぐずしていたが、階下でごとごとゴミ出しをしたり、 食器洗浄機から食器を出しているらしい音がしていたのも止み、我が家が静まりかえったところでようやくのろのろと起き出した。 今日は午後に空港から出発する孫べえたちを見送らなくてはならない。母が電話してきたし、 いくらなんでも2時からのレッスンの準備もしておかなくては、、、、とやるべき事を頭に描いてようやく身体のエンジンに点火。 鏡の顔はメチャクチャむくんでいるが、多少のお化粧を施し少しは見やすくして母のお迎えだ。 車では隣でず~っとお喋りし続けている母の声を遠くに聴きながら、時々曖昧な返事をする。怪しまれずに空港に着き、 孫の顔を見たら急に元気になる私。ゲンキンなモノだ。このちび助、いきなり「ナイシューチューミーチュウー」と来た。 母親の説明に寄れば英語のテレビ番組が大好きなんだそうだ。昨今のテレビの影響はたいしたもんだ。「次ぎに会うときはひらがな書けるかな?」 と冷やかすと、「ん、書けるよ。お勉強するん。ぼちぼちね。」とまるで大人の言葉の受け売りだ。ホントに、次ぎに何時会えるか知らないが、 きっと又ずいぶんと成長しているんだろうなあ。あちらのご両親と我々と4人全員にまんべんなく別れの挨拶をして、 一人一人にガラス越しに手を振るあたり、一体誰に似たのか、ムムム。

 母を送り届けて帰宅する気になれず、極度の疲労感でとうとう接骨院に飛び込んだ。 通常1時間弱の施術時間を大幅に超えて丁寧に見て下さり、全身に針治療だ。途端にメチャクチャ眠くなり、少し眠ったようだ。 一日おきに来て下さい。と言われて、私の返事は、「努力します。」だった!そういう時間が取れれば良いのだろうが、、、。 要するに大変疲労していることは間違いないようだ。それにどっか故障してもいるようだな~。ま、なるようになる。

 

 昨日のサプライズは私の感違いもあったようで、みんなの演技力を試し損ねた。が、実は私的には、 全体の空気を見てハラハラしていたのだ。なんとなくわざとらしいというか、ギクシャクしているというか、自然でない空気が漂っていたからだ。 後から、騙されたA氏がいみじくも語ったように、普通なら個々に寄ってきて「おめでとう、何歳?」とか、「へええ?そんな歳なの?」とか、 色々言ってくれると思うのに、誰一人寄ってきてくれなかった、ということで、みんなぼろを出すまいとして遠巻きにしていたのが、 不自然さを醸し出していたのだった。フフフ。いやはや、演技とは難しいモノだ。

 

 大きな平和を論ずるには、小さな優しい心が必要だ。

2009年1月19日 (月)

ドッキリ成功!

 起きて始動するイコール、めまぐるしい日々の始まりでもある。今朝は老人ホーム慰問ですっかり精力を使い果たし、 今夜のちぇちは行けないかも~と弱気になっていたが、豚肉専門店の美味しいハンバーグ定食を食べてチョイと回復。 本日東京に帰る娘に付き合って今年初めてのお墓参りにも行ける。そして定時にちぇち練にも参加。 本日の一大イベントを最後まで見届けることが出来た!!

 そのイベントとは、メンバーのA氏が本日お誕生日で、こっそり彼ら夫婦以外のメンバーに連絡して、 素知らぬ顔でお祝いの席を設けようというものだった。何も知らないA夫妻を会場へわざと遅めに連れて行く役目を私と会長が担当。 色々用事を作り、ゆっくり会場へ到着すると既に予定通り何人ものメンバーが集まっている、という段取り。 これには流石の沈着冷静なA氏もビックリ!大いに感動してくれたようだ。

 この計画は幾つもの綱渡り的危うさを含みながら、みんなの連繋プレーで完璧な成功を見た。そしてこの場にいた人々の笑顔こそが、 何よりのプレゼントだった。、、、こうして、又「ちぇちの輪」が少し縮まったなあ。閉店までいたお店を出ると外は意外と寒くなく、 運転手役をやってくれるM君のチョー安全運転でわいわい言いながら帰宅。長い一日が、ようやく終わろうとしている。ふ~っ!

2009年1月18日 (日)

0,1%バック?

 どうも鼻水が止まらないし、鼻声から完全に脱却できないで、 身体もだるく今日も娘の運転の車の中でどうやら1時間も眠っていたらしい。孫べえのお相手をしたら思わず力が入ってしまうのか、 いつも後でぐったりなる。でもあの可愛さにはメロメロになってしまうのだ。傑作なことに彼女の中では「Cantiamo~」 と歌うのがマイブームらしい。ケラケラ笑いながら何度も歌うのが、ホントに身びいきでなく良い声だ。その話を会長にすると、 以前ヨーロッパで付いた先生が話していたのは、「子供の声はチャンとした発声法で、だんだん大人になるに従って変な癖が付いてくる」 んだとか。確かに口の中は豊かに広がって奥も開いていて、身体から声が出ている。メチャクチャボリュームがあって、 ちょっとその発声法おせ~て!?と言いたくなるほどだった。ふ~む。

 

 明日の慰問の準備にも追われて、案の定今日も午前様のお休みとなる。やれやれ。

2009年1月17日 (土)

99,999%回復?

 多少の鼻声ながら、ちゃんと短歌の新年歌会に参加し、一応集中して皆さんの歌を鑑賞し、お食事もお酒も頂き、全て順調にこなした。 と思う。

 二十数名の参加者で、職業も年齢もまちまちな人々が、一つの作品を全員で考え意見を発表し討論するというのは、 ホントに面白いモノだ。バラバラのようで、みんなそれぞれに全体の空気を読みながらの発言で好感が持てる。 これはそこに集まった人々の教養によるものだろう。時々ドッキリの発言もあるが、それはそれで場の空気を変える必要悪だろう。 だんだん顔なじみも増えてきて、お互いに親密感も出てきたのも、来年発足から10年が来るという団体の貫禄だろう。 大勢で醸し出す雰囲気というものがある。

 ま、なんといっても師匠の情熱に拠るところが大きいだろう。「朱に交われば赤くなる」の例え通り、 いつの間にかみんなが染まったというのが本音だ。流石我が師匠!凄い!というしかない。「異常にお元気ですね」 と冷やかしたメールを送ったが、いや全く。10歳も年上とはとうてい思えない。年頭にこのお方にカツを入れて貰うのが1年の元気の元だ。 アリガタヤアリガタヤ。

 

 明日は久しぶりに孫べえたちと会えるなあ。楽しみなことだ。

2009年1月15日 (木)

さあ~~!

 99.9%復活。ようやく、、、、。長かった、、、、。約2週間近くダウンしていたことになり、我ながら信じられない、「か弱さ」 だ。まあ入院するほどの安静は出来ないから長引いたということもあるが、体力が無くなったのを認めざるを得ない。

 帰省中のお嬢がジブリの背景画家の展覧会に行くというのに、この母の車を使うと言うので仕方なく横に乗って出かけたが、 松山往復は全く久しぶりの遠出となった。半分は眠っていたが、気分転換も出来たかも知れない。 親子漫才を繰り広げながらの車中は大いに楽しめた。母娘というのはホントにおもろいもんだ。 お互い趣味が合うというのもあって話題がつきない。

 私はあんまりアニメに興味が無く、トトロや千と千尋なんかは良いなあと思っていたが、 その良いと思う要素が殆どその背景画にあったのを知らされた。精密画の最たるモノで、中でも「ヒロシマ」 を扱ったモノなんかは訴える力も凄かった。「その時、止まったミシン2台」を描いたモノなど、 悲惨な現場を描かず表現しているのはかなり精神性の高い画家だと思った。

 それにつけても思い出されるのが、先日見た森光子のインタビューで、若い人達に何かメッセージをと言われた彼女が、 「平和を手放してはイケマセン。これだけは皆さんに強く言いたい。平和を皆さんの手で、しっかり握りしめて、、、。」 とたどたどしい物言いながらしっかり噛みしめるように訴えていたこと。

 本当に、平和でなければ何も出来ない。

 

 

2009年1月14日 (水)

ようやく復活?

 登山が趣味の我が友人のアドバイスに従って、ゆ~っくりお湯に入ってぐっすり眠ったら、何とか今日は復活出来た感がある。 朝は声が全然でなくて、早々と尋ねてきた友人Yに余りに長い風邪に驚かれたが、時間と共に元気が出てきて、夕食後は9割方回復した感じだ。 やれやれ、これで油断せずにしっかり治すとしよう。

 しかし、段々正気になるに従って、あれこれと気になることが出てくる。まずはほったらかしにしてあった年賀状の整理だ。 今頃になって夫と突き合わせをしたらお互いが出したと思っていて出せて無いところがあったり、二人が出しているところがあって赤面。 ホントに有能な秘書が欲しいくらいなもんだ。

 

 ま、全てはゆ~っくり、させていただこう。今年は牛歩と行くべえ~。

2009年1月12日 (月)

縁は異なもの。

 さむ~い空港に、息子の家族達を迎えに行く。嫁りんの祖父が亡くなり、 よく可愛がって貰っていた嫁りんとしては何が何でも帰りたいという思いを、自らも年寄りっこだった息子が理解して民族の大移動だ。 お金には換えられない思いがあるということだ。何も分からずはしゃいでいる孫べえの相手をしながらその足で葬祭場へお通夜へと出かける。

 息子の結婚式で、「一言言わして貰うが、アンタ、出世なんかしたらあきません。これだけは言うとく。」 という名演説で会場を沸かせたおじいさんの死である。果たして偶然にも我が親友の夫が昨年亡くなった時のお坊さんが今日のお説法で、 そのおじいさんの別の名言を披露してくれたことだ。このおじいさん、相手がお坊さんであってもお説教したらしいから流石だ。

 しかしまあ、人の縁とは不思議なモノだ。そのお坊さんと再会したのも何かの縁だろう。表玄関でバッタリお会いして言葉を交わしたが、 又お寺の方へ伺うという約束をして別かれた。いやはやいやはや、、、実は体調のせいにして本日は欠席しようかと思っていたが、 思い切って出かけて良かった。こういうことがあるんだなあ~。

 

 昼間は今年最初のシャンソン教室だったが、半分は来週に迫った老人ホーム慰問の相談に終始する。どんなことになるか分からないが、 「演歌」に頼らず、あくまで私たちが勉強しているモノをお披露目してこようということにした。頭から「分かって貰えない」と思わず、 分かって貰えるように歌う努力をしようということだ。さて、どうなることか、、、。

 

 諸行無常の鐘の音はラの音らしい。ラ~~~~、、、、、

2009年1月11日 (日)

雪が降ったなあ~。少しだけ。

 どうもすっきりしないなあ~。こんどの風邪は男の腐ったようなタイプだなあ~。 いつまでも居座り続けて追い出そうとしてもぐずぐずと色んな手を使って出て行かない。今日は逆療法でお風呂にも入って見ようと思う。参った!

 

  いくらなんでも明日くらいはしゃんとして動かなくては、と思ってる。シャンソン教室第1回目だもんなあ~。やれやれ。

2009年1月10日 (土)

ぶり返し?

ぶり返す、という言葉が標準語だったとは知らなかった。何の気無しに辞書を見て知ったのだが、どこから来た言葉なんだろう。

今日は基本的に仕事以外はだらだらと過ごしたが、母を病院に連れて行くオシゴトだけは手抜きできない。ついでに自分も点滴して貰い、 病人が病人を介護だ。二人とも、来週ちょっとしたお出かけしたいばっかりに、必死で治そうとしているのだが、どうも思うようにいかない。 私に至っては徐々に食欲さえ無くなってきた。薬で胃がやられたのかも知れない。ぶり返さないようにだけはしたいものだが、、、。

天気予報も寒い寒いと連呼しているし、世の中寒いお話ばっかりでは治る病気も治らない。暖かい話、無いかなあ~。

2009年1月 9日 (金)

完治ならず。

 人間とは勝手なモノだ。あれほどつらくて薬に感謝していたのが、数日飲み続けると薬が鬱陶しくなってくる。 まだ飲まなきゃイケナイの?と白目で眺めながら、水で飲み下すがなかなか喉を通らない。それと平行して回復してきているのを感じるのだが、、 、。といっても今日はI会長最初のレッスン日で、ちょいと急にあれこれし過ぎて又バックしているのを感じる。まだまだ油断は禁物か、、、。

 

 今日は孫べえに電話して、「ハッピーバースデー」を歌ってあげると、いきなり「またあ~~?」と言われる。 こないだ聴かせたアリアの続きと思ったらしい。でもその後キチンとした音程で自分でもその歌を歌ってくれて、 まあ別れてから日が経ってないのにもう成長しているのを感じる。「ろうそくは何本ふうしたの?」「サンボン~! なっちゃん一回でふ~したの~」、、、いっちょまえの会話が続く。人間この調子でず~っと成長し続けたら、 さぞかし世の中変わるだろうなあ~。幸か不幸かどっかでストップだ。

 

 少しずつではあるが、今年の公演の内容の構想が出来はじめてきた。やるからには面白いモノにしなくては。今年が一番面白かったと、 過去は全部そう言われてきたのだから、今年もそうありたいもの。いくつかの懸案事項が解決すればGO!だ。 走りながら解決するって方法もあるしなあ~。ま、あんまりしゃかりきに考えないでおこうとは思う、、、が、どうしても頭から離れてくれない。 この状態が1年びっちり続くかと思うとやせる思いがする。(思いだけ。)は~っ。

2009年1月 8日 (木)

晴れ続きの正月の一夜。

 つ、つかれた、、、、。久しぶりの娑婆は洞窟から出た魔女には眩しすぎたわい。しかも、 煌々と輝くサテライトスタジオ内での収録となり、これまた天使のような若き青年の奏でるキーボードの中、 我が番組には何度目かになるAさんの歌声を間近で聴き、複雑な編集の収録となった本日の2時間は、4時間にも感じられごそっと疲れた。

 今年になっても好奇心が衰えてないことを確認できたが、そう思えるときと、 奈落に沈んでいくような気分に陥るときとが交互にやって来るのには参った。没頭しているときは、体調の悪さも忘れているが、 少し油断すると全身に倦怠感が漲ってくる。それと闘いながら、音楽に助けられながら、何とか無事収録終えて、気持ちよくお別れしたが、、、、 まあ、世の中には、というか、身近にも面白い人物が沢山いるもんだなあ~。これが体調の良いときなら、 もっともっと面白い番組が作れただろうに、、、。

 この青年とは初対面であったが、既に落語ペラには来てくれていた。メンバーの知り合いだったというわけだ。若いだけに一番に 「賄賂チョコ」に話題が行ったのも面白かった。そうか、、、来てくれていたんだ、、、。てえことは、今年も、、、モチロン。

 

 さあ、無理は禁物。今日はもう寝よう。

2009年1月 7日 (水)

眠くなくても寝る。

 すっかり病気モードに入っていたが、明日からは始動だ!病は気からと言うではないか!?その手始めにお風呂に入っちゃえ! とばかり只今ぽかぽか上機嫌のおっかなびっくり。これが凶と出ないために、今宵はよい子でおねんねといこう。明日はFM仕事始めだし~。

2009年1月 6日 (火)

あと一息で回復か。

 いやあ~参った!年末年始の疲れがどっと出て、二日に孫べえをあちらの実家に返して以来ずっと寝込んでしまった。全くの寝正月。 賀状をどうこうするのもままならず、ベッドの中で少し覚醒したときチョロチョロと書いては眠り、、、、。 今日初めて空港まで孫達を送っていく時もマスク姿。いつまでも我が手を握ってバイバイするのをだっこも出来ない。残念無念。

 まあしかし、短い時間ではあったが、一日我が家で母親から離れてお泊まりがあって濃厚な時間を持たしてくれたのは嬉しかった。 3歳ともなれば殆どのことが分かっている感じだ。ピアノの部屋で遊んでいて、「お歌歌って?」と言うので、 ちょいとおもしろ半分にこないだ舞台で歌った「柳の歌」をアカペラで歌って見せた。長い曲だから途中で飽きるかと思いきや、最後まで聴いて、 拍手までしてくれたのにはおろろいた!で、もう一度別なのを歌おうかと欲を出すと今度は、「歌わないで!」と来た。やっぱり限界だったのか、 と思ったら、いきなり「カンチア~モ~~~~~」と大きな声で自分が歌うのには参った!!何を見て憶えたのか、 両手を広げて一流の歌手気取り。どうやらそのフレーズが一番彼女の印象に残ったみたい。何度も同じ事をやっては一人でカカカカ笑っている。、 、、その話を息子にしたら、「イカンイカン、悪の道に引きずり込むな!」とバカなことを言う。 子供がどんなものをもって生まれてきてるかしっかり見極めてあげるのが、アンタのオシゴトでしょ!!と他愛ない親子げんか。まあ、 ホントにどんな子供になっていくのか、楽しみではある。

 

 病気で寝込んでいる間中、頭を巡るのは今年の公演のことばかり。あの作品をちぇち流に作り替えるにはどうしたら良いか? キャストはどうなんだろうか?あの演技は抜かせないが、あの人は自分を離れてそこまでやってくれるのか? あのシーンをお金をかけずにそれらしく見せるにはどんな舞台装置を工夫できるか?練習形態については、 十分に突っ込んだ議論をしてかからなければ、、、なんてことばかり頭を過ぎって眠るに眠れない。

 

 今年は大変な年になりそうだ。

2009年1月 1日 (木)

元旦。

 我が家の恒例の与田寺参りはあんこ雑煮を食べて12時過ぎに行ったが、予想通り一杯の人出。 風邪を引いたという母を連れて行かないで返って良かったようだ。

 夕食を息子の家族と共に我が家でより、大洗から送って頂いたアンコウ鍋で舌鼓。色々小さなアクシデントに見舞われながら、 ようやくお休みになられたようだ。ふ~っ。まあ孫が可愛いからやれるんだなあ~これって。

 

 しかし、つかれた~。

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