秋去りて、、冬来たりなば、、、
昨日だったか、おとといだったか、、、定かでないが、深夜のNHKテレビに山田太一監督が出ていて、 とつとつと大切なことを喋っていた。「私は役者に色んなセリフを与えるし、色んな演技を要求します。しかし、 視聴者にはそういう目に見えたり耳に聞こえてこないモノをこそ感じて頂きたい、と、いつもそう思って作品を作っています。」というものだ。
これは、先日のある演奏会で私が感じた疑問に一つの答を出してくれたと思った。
その演奏会は、これから演奏する曲の冒頭部分とか、盛り上がる部分を実際に弾いて見せて、 「チェロならここは素敵な男性が枯葉を踏んで並木を歩いている、、とかを連想して下さい。」「そこに美しい女性が現れます、、、」 でヴァイオリン、というわけだ。「モチロン、想像は皆さんの自由ですが、、、」といくら言われても、その解説を聞いた後では、 それじゃない想像はもの凄く出来にくい話だ。今聞いたことを払拭しようと初めは努力していたが、途中で虚しくなって諦めた。 メンデルゾーンさんごめんなさいってなもんだ。
音楽に限らず、作品を鑑賞するのに何かしら限定されたのでは、面白くない様な気がするがどうだろう? あらかじめ解説本を読んでから映画を見る様なモノ、推理小説のラストを知ってページをめくるようなモノだと思うが、、、。 山田太一の言うように、そこに紡ぎ出されるモノを心で感じられなくては、「それっきりよ~」だ。
これは市が企画した演奏会で、クラシックを一般の人々にも分かりやすく、という注文が主催者側からあったのかも知れない。 だからこその第一部は童謡唱歌のたぐいだったのだろう。しかし、これでは、 本当のクラシックの良さを知らしめたことにはならないのではないか?小学生達も大勢来ていたが、 彼ら子供の感性の方がそんな説明よりももっと優れていると、私は思うのだが、、、。これでは、ますますクラシック離れが起きるのではないか? 何故かというに、これから先クラシック音楽を聴くと何かしら映像を結ばなくては、と、その日参加した小学生達は思うのではないか? それは鑑賞の妨げになるばかりか、音楽を音楽として楽しめない人を作ってしまうと思えてならないのだが、、、。
キーツという夭折の天才文学者が、「優れた音楽は音がない部分が面白い。」と語っているそうだが、 この深遠な芸術鑑賞論こそが真実をついていると思う。
今日はうんとこさ久しぶりに岩盤浴に行き、たっぷり汗を流してきた。目的は二つ。一つはモチロン快眠の為。もう一つは「暗譜」 である。15日のシャンソン発表会のためのもので、自分にとっての新曲を今から覚えるつもりだ。約40分の缶詰でまあ、半分は覚えたか。 いやいやそれは錯覚で、殆ど汗と一緒に流れ出たかも知れないなあ~。しかし、午後11時過ぎというこの時間に一杯の人がお風呂に入っていて、 鏡のブースがなかなか空かないのには参った。平日の今日がこれだけ混んでいるというのは、つまりいつもこの時間帯はこうなのか? しかも年齢が高い人が多いことにも驚く。宵っ張りのお年寄りが増えてるのか?
そのジムに11時半ぎりぎりまで居て外に出る。真っ赤になった顔を外気にさらすと、外はもう冬の気配だ。
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