外国語。
本日の夕食はリッチにフランス料理とあいなった。過去にも昼間行ったことがあって、お誘いした方が私の車の後を付いてくるのにも、 自信たっぷりの先導をしていた、にもかかわらず案の定迷子になった!昼と夜とでは全く違う。まあ、結局はたどり着いたが、、、。
お相手のOさんはいたく感動してくれて、「美味しい」を連発。高松にもこんなところがあるんですねえ~、とお店の雰囲気にも大満足。 しかしまあ、この高級店も満員だ。かろうじて予約が取れたような感じだったなあ。
彼女は日々母上の看病とかで、お疲れとか、ずいぶんストレスの発散になったと言ってくれるが、私的にはこのところ外食が多すぎて、 どんなご馳走もえっぷ状態。口には美味しいが、何を食べても感動がない。やっぱり大した物でなくても家で食べるのが一番美味しい、 と情けない感想が湧く。、、、以前はこんなことなかったのになあ~。やっぱ歳かあ~。
今日はお嬢と外国の歌を日本語で歌うことの是非について議論白熱したが、なかなか難しい問題だ。外国のものを翻訳した途端、それは 「似て非なるモノ」となり、本物ではない。ということも言えるが、しかし、その原語が分からない人の前で歌う場合、 原語で歌う事に意味があるのか?という疑問も湧く。楽器というのは元々言葉が付いてないから、世界中の人が、 それぞれの感性やさまざまな概念で自由に鑑賞できるだろう。これが歌となると、どうしても言葉の問題から目をそらせないことになる。仮に、 訳詞もしくは意訳による作詞で歌うとして、それが人々に与える感動もあるわけで、じゃあ、それは全てまがい物であって、 メロディーを借りた別物かというと、そうも言い切れないと思う。そもそも「表現」自体、フランス人がフランス語で歌ったからといって、 作詞者作曲者の意図したとおりのものが、みんなに歌えるというモノでもないだろう。「表現」というのは、 何かもっと奥が深いモノのような気がする。結局は、バベルの塔が倒れて以来の人間の言葉の分裂化による問題が、 ここにも現れているということだ。
今日はイギリスの友人にようやくメールの返事を出した。全く疲れる作業だ。喋るのはごまかせるが、書くのは大変だ~。、、、 言葉の違いは、かくも人々を悩ませる。
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