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2008年10月

2008年10月31日 (金)

良い音楽と美味しい食事。

 今日も今日とて演奏会。ある偉いお方のご招待のため、とってもラッキーな目に遭う。といっても何かを頂いたわけではないが、 ちと早い時間に到着した我々二人は、このホールの構造をよく知っている。「裏から入ろうか?」 といたずらっ子の様にF先生が言うのに促され楽屋口へ。すると、本日の主催者のお一人とバッタリ。で、なんなくどうぞどうぞと裏口入場。 開場前に入ったから、客席には誰も居ない。30分間上等の指定席に座ったマンマ、久しぶりのおしゃべりに花が咲く。

 演奏はソプラノとチェロとマリンバ(パーカッション)、それにハープ。4人とも本当にキッチリした演奏をされるし、 ハーモニーも抜群だ。洗練された高級なワインを飲んだ感じ。ソプラノSさんは、 ずいぶん以前に帰省コンサートをされたのを何度か聴いたことがあったが、ずいぶん成熟した女性になられていたが、美声は相変わらずだった。 今回の曲目が全てピアニッシモが基調となっていたため、いわゆるドラマティコではなかったが、その集中力の高さには感嘆した。 言葉が極端に少なく、「ヴォカリーズ」の類の歌が殆どだったのは、声も楽器として編曲しているのだなと思った。

 なのに、一部コックリさんになったのは、余りに癒し系の音楽のため、自然に眠くなったのだ。このところの睡眠不足も祟っている。

 演奏家が登場してすぐ、「今日はブラボーおじさん来てなきゃ良いですねえ」と私が言えば、「ホントホント」 とF先生が拍手をしながら相づちを打った瞬間、「ブラボー」とでっかい声。二人でつつき合って笑った事だ。今日のような演奏会で、 あのブラボーを傍若無人にやられたらたまったもんじゃない。せっかく出来た良い空間があの声で台無しになってしまう。 歌舞伎のかけ声にしても全部ルールがあるんだ。舞台を盛り上げるなら良いが、ぶっつぶしたのでは何にもならない。

 

 終わってからどっかで軽く食べましょうとなり、新規開拓とばかり25時まで営業のあるお店に。どうやら若者が多い店らしかったが、 ケッコウ美味しくて、満足して帰ろうとしたら若い店長が、「以前のお店でよくお見かけしてました。」と言うのでよくよく見ると、 確かに打ち上げで使っていたお店にいた青年だった。出世して一店舗任されているようだ。「今後ともよろしく」の声に送られて帰路につく。 演奏会の後、あれこれ話しながらの食事はおいしいものだ。

2008年10月30日 (木)

狭いながらも楽しい我が家~、、、?

 ああ、疲れた。ガラコンについて始動しなくてはとの思いから、Yさんを自宅に招いて(決して強制した訳では、、、 やっぱりしたかも~)二人でとにかく本番までにやるべき事を洗いだし、誰が何をどうすればよいか具体的に詰めてみた。 これを会長副会長に承認いただき、GO!としなくては。、、、しかし、お互い一日の終わりでもあり、この作業は疲れる。何とかなったのも、 私の人物を見る目の確かさのお陰だ。これだけは自信がある。Yさんは私のあっち飛びこっち飛びする話をパソコンにぜ~んぶ打ち込んでくれて、 系統立ててくれるので、仕事量が半分になる。全くありがたい。眠い眠いと言いながらババばっとキーボード、母上がこちらに来られる準備 (お掃除)をしておかなくては、、、と言いながら又パソコン。彼女ほどパソコンが使えたらと思っても見るが、結局は「根気」の問題だ。 ほ~んと、頼りがいのあるお方だ。

 ここまで書いたら深夜にもかかわらず母からの電話。何事かと思いきや、最近弟達と購入してあげた座椅子がどうしても動かないという。 あれこれ電話口で指示していると夫が「行って見てあげろ」、と言う。実際その方が早そうだったので出かけてみると、 私たちが組み立ててあげたモノを勝手に低くやり直していて、それがどうも間違って付けているようだ。しかし、 元通り直してみてもやっぱり動かない。ということは壊れたのかも知れない。午前様になってしまって尚直らず、 仕方なく解決は明日に持ち越すことに。「以前はこんな事はなかった。こういうことは得意だった。まだまだ行けると思っていたが、 もうダメになってしまった、、、。」と私の作業中に側をウロウロしてはグチグチ言っている。「老いては子に従え」って言うでしょう!? と私は優しくない。イヤ実際、家族の中で誰よりも電気関係には強かったし、大工仕事なんかプロかと思うほどキチッとやる人だった。 しかしなあ~、こうなってしまうんだ。つらいなあ~。

 

 考えてみると今日我が家に出入りした人は、お店の業者や顧客を除いても、9人。ホントに人がよく出入りする家だ。 これがレッスンでもあろうもんなら一日10数人~20人以上が出入りするんだからけっこうなもんだ。 亡くなった父が誰も訪ねて来ないような家はダメだ、とよく言っていたのを思い出す。しかし私の実家は父の死後、 人付き合いの嫌いな我が弟を筆頭に性格の似ているその家族と母になって、殆ど人が訪れなくなってしまった。しかし、 母は沢山人が出入りしていた頃のマンマいつも庭をきれいにして暮らしている。それなのに私と来たらそれどころか、 ろくろく掃除も出来ないで居る。やれやれ。

2008年10月29日 (水)

人間の身体の道具って、一つも無駄がない、なあ~。

 又しても時間に追われだした。こういう時に限って歯の治療中。 お陰で今日のFM収録は声が漏れるのを気取られまいと緊張して喋ったために、その緊張がゲストにも移ったらしく、しきりに「緊張しました!」 を繰り返されるのが気の毒だった。たった1本の歯でも、こんなにも重要だ。

 今日のゲストはフルート日本一の折り紙を付けられたUさんの母上だったが、やっぱりこの方も音楽畑だ。 お話をきいていると如何に母親が娘に影響を与えているかがよく分かる。具体的に手取り足取りは無くても、生きる上での「核」 のようなものをこの母上もしっかり娘さんに渡しているのが分かる。中学卒業以来上京させて10年以上離れて暮らしていらっしゃるというが、 常に、「感謝しなさい」としか言ってないと仰る。どんなに良い演奏が出来てもそれは自分一人の力ではなく、 周辺の方々の支えがあったればこそと、それしか言いません、と。今日収録で聴いたお嬢さんの演奏も素晴らしいが、なかなかの美人でもある。 香川県出身の音楽家がこうしてどんどん大輪の花を咲かせているのは誇らしいことだ。

 この方自身は専門のエレクトーンで最近は子供「弁士」を育てる会にも関わっているらしい。 その稽古の模様を話される時の生き生きしたお顔には本当にお人柄がにじみ出ていた。その方が仰るには、 「何かというとボランティアばっかりですよ。」「ボランティアでオッケーの人がこんなにも居ることが嬉しいですねえ。 楽しくて仕方ありません。」、、、まあ、そういうことだ。お金儲けにならないことが一番楽しいのだ。

 このアチクシも深夜になってようやく次回のシャンソン発表会のチラシとはがきの製作を終えた。今回は少々気合いが入っているので、 レイアウトなんかにもこだわりが、、、。実際こういうことが好きなんだからしょうがない。ふ~っ。

 このコンサートも毎回一人が6曲歌うというチャレンジを続けてきて、とうとう最後の時が来た。 このMさんははるばる岡山から10年にわたって通い続けてこられている人で、歌以外にも色んな才能があり、 ちぇちぃりぁもお世話になっている人だ。ホントに良い物を持っているのに、性格がシャイで、なかなか前に出られない。 ひとたび舞台に上がると人が変わるが、いつもは引っ込み思案でおよそそういうことが出来る人だとは思えない。 このギャップこそが芸人の芸人たるところなんだが、、、。今回はようやくその気になっているし、 きっと観客に満足して貰えるだけの歌が歌えることだろう。私自身が楽しみだ。、、、って、私もその日歌うんだった!?ぎょへ~ってなもんだ。 どちらかというと12月のガラコンが気がかりなんだが、、、、その前にこれがあるんだもんねえ~~。とりあえず、本日は寝~ましょ!!

2008年10月27日 (月)

寒いような暑いような、、、、。

 よくもまあこれだけやることがあるもんだ!つくづく本日は自問自答してみたが、どれもこれもどうにもならない、 カットできないモノばかり。昨日のCantiamoの後の食べ過ぎの気持ち悪さを我慢しつつ、 次回のシャンソンの為の資料を伴奏者に渡すべく作りながら家事をする。やりながらホントに一人しか、 自分しかやる人が居ないんだと思うとぞっとした。何故、こういう状態で倒れないのか全く不思議。 二日続きの寝不足でぼ~っとっしてシェイクスピアの講座に行く準備をしていると友人から行くの行かないの?と電話が入る。 行くわよ~と答えながらも絶対遅れる、と確信している。

 「空騒ぎ」の講座の途中、ついコックリとなってしまった。 昨日は相当にハードだったからヨレヨレのはずのI先生は何故か妙に張り切っている。よくぞ脳みそが働くもんだ。しかも、 夕方からのちぇち練でもずいぶん頑張っていらしたからなあ~。あり得ない程のお元気だ。

 あたしゃ昼食会の司会を終えてシャンソン教室へすっ飛んでいった。伴奏者を酷使して今度のコンサートの合わせをやったのだが、、、、 疲れた。2時過ぎから5時過ぎまでの3時間、こちらもハードであった。好きだからやれるんだなあ~、これは。これからチラシ作成にかかるが、 これが又大変だ。ふ~っ。今回はちょっと力が入っている。出来るだけ大勢の人に来て貰いたいモノだ。

 

 このようなことは、意味を考えていたら出来ないことだ。ボランティア精神あるのみなんだから。「必要とされている」 ということが私の報酬だ。明日はイタリア語だ。いつになったら夏物と冬物の入れ替えなんて出来るのか? メチャクチャよく働くお手伝いさん募集しようかなあ?どっかにいないかなあ~。

 

 丁度シャンソンのレッスン中休みに娘から携帯メールが入ってくる。「激怒」というタイトル。何事かと思いきや、カミーユ・ クローデルの伝記本を買ってきて読んだ結果、ロダンに、世間に、家族に猛烈に怒りを覚えたという。30年もの長きにわたり、 精神病院に入れられて、何度も友人達に救いを求める手紙を出していたのに、誰も彼女を救えなかった。 あの程度の事ならこの私だって精神病院に入らなくてはイケナイジャン!?というのがお嬢の感想。母はそれに対して、 「じゃあ~あんさんも精神病院に入れてあげようか?」

 

2008年10月26日 (日)

又一つ終わった。

 午後2時開始のCantiamoの会は司会者A氏のお陰で、びっちり密度の濃い演奏会となり、 結局3時間半の長きにわたり歌と批評が交わされた。師匠はかなりお疲れモード。そりゃあそうだろう。もし私でもあれは酷な仕事だ。 一人一人に丁寧なコメントを付け、取り出してレッスンもするという気の入れよう。打ち上げの魂の抜けた様なお顔も納得だ。

 自分のことはさておいて(さておくな、という声が聞こえる)まあ、みんなそれぞれに良い歌が歌えるようになってるなあ~。 新人でめざましい人も居て、なかなかに面白い音楽会となった。ひとえに師の努力のたまものだろう。

 これで残すはあと二つの舞台だけとなった。頑張るべえ~と思うのだが、偶然見た占いの本によると私の運勢は大殺界らしく、 色々失敗が起きるらしい、と読めば気力も萎えるなあ~。

 

 帰り道、私の運転手を引き受けてくれたMくんに、「私ねえ、何故かパトカーに縁があるのよねえ~」 と話した途端左側車線にそのパトカーさんが信号待ち。「ほ~、そうなんですかあ~、、」と彼が返事した途端、「あっ、ホントですねえ~」 と言うので、はい~?と見るとすぐ横の対向車線もパトカーが通り過ぎるというタイミング。やっぱり!!

 聞けば彼が言うには、昨日私がトッツカマッタ場所は、踏切の手前のあまり人が気を使わない場所だという。 踏切は気を付けるがその手前のT字交差点はみんながあまり気にしてないから、パトカーとか白バイがよく待ち伏せしているそうだ。 それを聞いてますます頭に来たが、明日は仕方なく入金する。

 

 只今、チト食べ過ぎのカンあり。気持ち悪いゲップが出ていて、胃薬のお世話に、、、。アルコールにも弱くなったなあ~。

 

 

2008年10月25日 (土)

災いは忘れた頃にやってくる、、、。

 全く時間がない。なのに今朝は、そのわずかな時間が国家権力によって奪われた。な~んという運の悪さ。

 あと1時間で明日のCantiamoの為のレッスンを受ける予定。それまでに母に届いた茨城からの荷物を届け、 病院でしばらく貰っていない薬を貰わなくてはならない。しかしまあ、1時間もあれば十分なハズ、だった。 

 明日の演奏会の前日とあって、往生際悪くイヤホンで練習風景のテープを聴きながら走り慣れた道路をきちんと踏切も止まり、 安全運転で走っていた、つもり。「そこの車停まって下さい」と言われても全く身に覚えがない。しかし、 運転席側へべたっと張り付いた白バイはどう見ても私に文句が言いたいらしい。仕方なく路肩に車寄せして、しぶしぶ窓を開ける。

 、、、しかし、どう説明を聞いても納得できない。一旦停止をしていないと言われるが、こじつけとしか思えないのだ。 わざわざ停めてまで注意する程の事ではないと、私は思っている。しかし、絶対とらえた獲物は逃さないという姿勢の若いお巡りさん。 色んな事を言ってつじつまを合わせようとする。あと15分しかない私としてはこれ以上意味もない応酬を繰り返している暇はない。 仕方なく仰せの通りサインをして7千円なりだ!チ~ン。

 しかし土壇場で、言いたいことも言っておこうという気がむくむくとわき上がり、「どうして善良な市民ばかり捕まえて、 悪質な人を野放しにするんですか?」と言ってしまった!モチロンそれには想像通りの答が返ってくる。 「いやいやそういう悪質な人は法の目をくぐり抜けるのが上手いんですが、そちらはそちらで取り締まっていますから。」「そうですかあ?」 と返事しながら疑わしく見たのであちらさんも私の気持ちが分かったらしい。ぽろっと 「外からは奥さんが乗ってるかどうか分かりませんでしたから、、、」と来た。そか、この新しい車は若者仕様で、 まさかこんなおばんが乗ってるとは思わなかったのか!?これが軽自動車かなんかで、おばさん好みのスタイルなら多めに見てくれた? なんてこった!

 どうも私はお巡りさんに縁がある、というか、しょっちゅう車の前後左右にパトカーやら白バイがくっついてくる。 今日のように運が悪いことも、そりゃああるわいなあ~、、、グスン。

 滑り込んだ病院では、血圧を測りますと言われ、さっき交通違反で捕まったので高いと思いますよ、 と医師に告げたら若いお医者さんがビックリしていたなあ。142の88だから、異常に高くはなっていなかったのは良かった。 これ以上高血圧で病気にでもなったら踏んだり蹴ったりだった。

 

 案の定携帯に伴奏者から電話が入ってくるのにお返事をして、久しぶりのレッスンだったが、そのせいとは言わないまでもボロボロっ! ふ~っ。

2008年10月23日 (木)

高松は良いなあ~。

 老々の旅は奇跡的に終了した。しかし、その終わり方は如何にもおみっちゃんにふさわしいドタバタ振りであった。

 

 空港が整備されたは良いが、やたら長い距離を歩かなくてはならない。もしやと思って往きは乗る前から車いすをお願いしてあって、 屈強な男性がちゃんと押してくれてなんの問題もなく行ったが、帰りは母がそういう形には抵抗があるらしく、 結局はこの私が車いすを押すことに。すると往きよりもうんとこさ長い距離を歩く羽目に。もうあたしゃ疲れ切っていて、 最後の力を振り絞って押したが汗びっしょり。しかも、高松上空は霧のため神戸に降りるか、羽田まで引き返す恐れありとのアナウンス。 気力も萎える。、、、まあ、結果、何とか無事帰れたのだが、、、、疲れた。

 

 結局今回は体力の消耗が疲れの全ての原因。転倒の後遺症を持ったまま出かけたのもあるが、いやあ~、 母を連れては次回があるかどうか、怪しくなってきた。母にその気が起きる可能性も少ないが、、、、。

 

 レンタカーで久しぶりに首都高を走り、常磐道を茨城まで行ったのも、ふ~っ。振り返るのは後日にしよう。とりあえず、 体力の回復を図るべえ~。

2008年10月18日 (土)

又一つ終了。

 何か忘れているような気がして仕方がない。明日の上京に必要なモノか、それともそれ以前にやっておくべき事なのか、、、、。ま、 思い出せないのはしゃあない。別に外国に行くわけではない。何もかも何とかなるだろう。

 

 心配した声は完璧とは行かないが何とか知らない人には分からないまでに回復して歌えたようだ。珍しく母が来ていたので、 嘘もおべんちゃらもない感想が聞けたので、一安心だ。宝塚「イモ組」の公演も笑いは取れたようだ。練習時間が少なすぎて、 約束事がさっぱり守られてなかったが、それなりにお客様の方がなぞってくれていたようだ。ま、芝居は難しい。でも、 袖でみんなの声を聴いていたが、矢張り声は良くなっている。緊張して頭が真っ白になって言葉がさっぱり出てこない人も何人か居たが、 声は確実に良くなっている。最高齢のAさんがあんなに美しい声になってくれたのは本当に嬉しいこと。これからどれくらい続くのか知らないが、 出来る限り頑張って私の力を出すことだと、マイウエイを歌いながらそう思った。シャンソンは、ホントに良い歌がいっぱいある。

 

 昨日は短歌「食」のお題を深夜に提出。又してもボロンノチョンかと思いきや、師匠から1首以外は12首にでも入れなはれときた。 ほ~。さいざんすか、てなもんだ。てえことはあと10首、上京中に作ってあちらから提出かなあ~。 あの楽譜共々どこまでも私に付きまとう影を感じるなあ~。あ~あ。

 

 

2008年10月17日 (金)

痛いのも慣れるもんだ。

 食糧危機が日々テレビやなんかで報じられているが、相変わらずバナナダイエットなんかが流行っているのもおかしな話だ。 かくいう私目もそれに犯されている一人。毎朝バナナを食べるだけという気軽さは大いに受けた。しかも何本食べても良い、というから尚良い。 先日来、そのご信頼しているバナナが店頭から姿を消し、約1週間お目にかからなかった。で、 仕方なく以前の習慣に戻してパン食をしていたがこれがぱさぱさしてて、どうも食欲が湧かない。ぼちぼちお店に現れたと聞いて急ぎ買い求め、 早速4本食べた。と昨日やってきた友人達に話すと、す~っかりバカにされた。それがダイエットしてる人のすること!?というわけだ。 第一4本もよく食べられたわねえ~~~と言われるが、私にとっては別に~ってかんじ。元々好きなモノだし、 これ以上手間がかからなくて食べやすいものもない。まあ、4本というのは流石に久しぶりだったからだが、今朝も2本モグモグしながら、 そういえば今月の短歌のお題は「食」だったなあ~と思い出す。ここをやっつけたら早速送るつもりだが、どう考えてもこれは川柳向きのお題だ。 (私にとっては)やれやれ。

 

 今日も3日続きの接骨院通い。針治療も慣れて、全然緊張感が無く、「しばらくこのままで休んでいて下さい」 と言われ知らない間に眠ってしまう。ぐ~っと深い眠りから覚めたのはナント自分の鼾でだ!はあっ?ここはどこ?てなもんだ。 薄いカーテンの隣から若い女性の声と先生様の話し声が聞こえる。かっこわる~。と思ったが今更遅い。それに、 たくさんあるベッドのあちこちからいつも鼾が聞こえていたのだ。きっとここの人は慣れているだろう。、、、そんなことより、 そのあとがケッサク。かなり広範囲が痛んでいるので、テーピング以外にベルトで固定しましょう、と言われ待っていると、 しばらくして先生が持ってきたモノはどう見ても私の胸のサイズではない。でも「まあ、テストしてみましょう」 と当ててみて胸の前20㎝ほど合わないのが分かると、急いで引き返した先生はさっきよりももっと待たせて、全く違うモノを持ってきて、 「これなら大丈夫」と自信満々。それもそのハズ。実際は腰用だそうだ。今のところそれしかないと言われたらそれを買うしかない。でまあ、 付けて帰ったが、、、、むむむ。効果があるような無いような、、、むむむ。

 

 で、この気分の悪さをジムのお風呂でも行って解消しようと車を飛ばした。明日の事など考えながら駐車場に停め、お風呂グッズを出し、 玄関の自動ドアの前に立ってもドアーが開かない。あっ!今日は金曜定休日か!?ぎえ~っ。せめてドアーの前へ行く前に思い出せないモノか!! いつもより空いてるなあ、と一番近い所へ車を置き、何の疑問も抱かなかったのは、かなり重症か?

 とにかく今日は色んな目に遭った。あまりの忙しさから来るジタバタでもある。午後のシャンソン教室から帰ろうとしたら車が動かない。 こういうときに限って携帯を忘れている。またまたエレベーターで引き返し電話を借り販売店に電話。 「それはハンドルロックがかかっているんでしょう」とこともなげに言うメーカーのお方。 言われたとおりしてみると何のことはないスムースに動いてくれた。そういえばこの車のことも十分勉強してなかったなあ~。

 宅急便で大きな荷物を送ったが、中身は「うどん、衣類、雑貨」と全くたいしたモノは入ってない。しかし、 この怪我では持つのは最小限にしなくては、、、、。

 夕方行った歯医者さんには診察券を忘れる常習犯。受付嬢も慣れている。しかし今日はお初ドジも。 診察台に横になってハッと気が付いた。今日に限って真っ赤な口紅を付けている。慌てて持っていたハンカチで拭き取ると看護士さんが、「まあ、 ティッシュをお出しすれば良かったですねえ。」と恐縮される。、、、結局明日は一カ所歯無しで歌わなければならない。ま、 遠くからだしいっか。

 医者と言えば、旅行用の薬を貰い損ねている。明日行けるかどうか、微妙だなあ~。なんせ、朝8時から予約客が二人。 12時ホール集合だ。どうなることか、、、まだ声がハッキリ出ない。なあ~。

2008年10月16日 (木)

オペラはおもしろ~い。

 これは今の自分のカンだけど、今回の東洋医学はどうやら適切だったようだ。昨日よりも一回り長く大きくテーピングがなされたが、 そのお陰もあり施術の的確さもありで、夜になって少し痛みも軽減されてきた。相変わらず大きなため息をつくと胸に響くのだが、、、。まあ、 ため息なんてつかないことだ!

 夜は友人がオペラのお勉強会みたいなものに連れて行ってくれたので、神妙に2時間椅子に座っていたが、 講話が面白かったのもあり大した疲れは感じなかった。O先生は流石に喋り慣れていらっしゃるし、 お人柄で気取らない空気が皆さんをリラックスさせていた。分かっているようでハッキリしてない部分も系統立ててのお話でよく分かったし、 ユーモアタップリの講座はオペラを知らない人をも退屈させなかったようだ。オペラの面白さをしっかり伝えてくれたと思う。

 W先生のアリアもあったりとまとまった良い時間だった。しかし、W先生はタフだなあ~。 このところず~っとあちこちで歌っていらっしゃるが、県下にこういう人が居てくれてホントに有り難い。帰りにご挨拶させて貰ったら、 マスク姿の私を見てずいぶんと同情的で、夏の疲れが今頃出てるんでしょう!?と言われてしまう。せ、先生、それは無いとは言わないけど、 もう1ヶ月近くなりますからして~、そのせいとは言いにくいですねえ~。とも言わず、あわただしくお別れしたが、 今もっとも充実した年齢だろうなあ~歌い手として。やっぱりオペラは若い内でないと難しい~ってことだ。

 

 驚いたのは先日のオペレッタでご一緒だった方と会場でバッタリお会いしてなんだか懐かしいとお声をかけたら、逆に 「ブログで拝見して心配してました。大丈夫ですか?」と言われてしまう。アッチャ~この適当なブログを見て下さってるなんて!?光栄だけど、 良いのかしら~~。好きなこと書いていて、今更良いのかしら?も無いもんだが~。そういえば、東京のM氏も読んでくれているようで、 お見舞いメールをくれたなあ~。いやはやいやはや、ま、これがアチクシの実態だ!!お許しあれ~。

 

 こうして、近い人も遠い人も私のドジ話を読んではニタニタと笑ってくれていれば、これを書いている値打ちも出ようというモノだ。 そのうち、パソコンもいじれない時が来るんだろうしなあ~。

2008年10月15日 (水)

東洋医学。

 先日の転倒が尾を引いて、というか、どんどん痛みが増してきて、これはもしや骨にヒビでも入っているのか?とまあ、 友人達が騒ぐのもあり、少々シンパイになっていたところ、東洋医学の名医が居るからそこへ行けばと言われ、 もうこれ以上は我慢が出来ないところだったので、急ぎ行ってみた。で、「いつ転倒されましたか?」と聞かれ、 きっとこの質問があるだろうと予想してあらかじめこの日記を読み返してから行ったので、これにはすらすら答えられた。結果、「針治療」と 「テーピング」となったのだが、モチロン速効があったわけではない。「明日も来なさい」と言われ行こうと思っているのは、 週末の発表会と上京に照準を合わせているのだ。果たしてこの笑っても痛い、から解放されるのか?あ~あ。

 そのせいかどうか、肩も素晴らしく凝っていて、声はしゃがれ、アフターも1個増えた。明日のレッスンはキャンセルだ。う、う、う、 ちらい!

 そういえば、今日の名医が言ってた一言が気になったなあ~。「これから、どんどん転んだら骨が折れるようになりますよ。」そうか、 そうだよねえ~。骨に来てないだけ未だましか!、、しかし、痛いなあ~~。

 

 

2008年10月14日 (火)

スピード。

 元来走るのは苦手。体型を見ても納得、と多分ほとんどの人が思うだろう。まあ、それは仕方ないが、 そういう自分が実は実生活の中ではかなりのスピードで過ごしている。と思う。

 日々のスケジュールのこなし方も、食べるのも、食事の用意も、もし競技大会があればかなりの成績だろう。例えば昨日は、 昼食を15分も(!)かけたが、夕食は5分。今日も昼食は10分。夕食は8分の快挙。でまあ、 一応食べて満足して貰えているようなのはめでたしめでたし、というところだ。ちなみに今日のお昼は残りご飯をあるもの野菜で洋風焼きめし。 それを炒めている間にみそ汁を別のガスにかける。 その間にキャベツと大根とレタスとにんじんを全部千切りにしてごまドレッシングにトマトをあしらう。10分後ランチョンマットには、 できあがった洋風焼きめしの上にのりと茗荷のみじん切りのせ、それにサラダにみそ汁。 自家製のカラシ漬けと昨日頂いた鰹と昆布の佃煮を加えて、へい、一丁上がり~。夕食は、卵たっぷりの牛丼とお昼頂いた大根菜のみそ汁、 サラダに焼きなす、高知産の焼き鰹を乱切りして箸休めを一品、以上本日の営業全て終了。ふ~っ。

 料理はかなりの部分趣味の領域だ。品数を沢山作るのが好き。昨日今日の様にどんぶりモノは全く珍しい。第一カレーライスなんか、 子供がいなくなってからは数えるほどしか作っていない。あれこれ考えながら作って最後の盛りつけが面白い。どの器にどれを、、? と考える楽しさ。、、、しかし、今日はふと、積み上げた器を出すのが面倒だと感じ、すぐ諦めた。、、、これは、 喉の調子がおかしいのと関係があるのか?全体に疲れているのだろう。スピード狂もそろそろおしまいか?車の運転も中年暴走族と呼ばれたが、 最近は以前ほどではなくなってきたしなあ~。

 

 ともかく寝よう。

2008年10月13日 (月)

ナンテ一日!?

 本日は午前中パジャマタイムにしようと決めたものの、午後からの教室の資料作成したり、家事をしたり、 何やかやと連絡事項をやり取りしたりと、結局はリラックス姿に似合わないバタバタとした時間を過ごしていた。 珍しくクラシックのコンサートに出かけるという夫のためにおよそ15分で昼食を作り、自分は食べながら義妹と電話で話していたが、 「今日はカルチャーが早い時間だそうね、大変ね~」と言われ、ハッと思い出した! 今日は土曜日のホールの場当たりのためにいつもより1時間早い時間に行くことになっていたのだが、その時まです~っかり忘れていた。 「ぎゃっ!」と叫んで、義妹の、「ええ??忘れてたの?」の言葉を聞く間もなく電話を切って、さあそこからが大戦争。 ダビングが終わったばかりのテープをバッグに詰め込んで、夜のちぇち練のバッグも準備、大急ぎで衣装替え。 続いて化粧品をバッグに放り込んで脱豚の如く飛び出し、モチロン車中で化粧らしきモノをし、忘れ物のチェックし、 本番用のテープを聴きながら今日の練習を考えている。予定より数分遅れて到着し、モチロン既に現れていたメンバーに指示して場当たり。 それから2時間のレッスンで、かなりへとへと。しかし、夫に、「今夜は帰りが9時半だから、そのおつもりで~」と、 一度帰宅しないと宣言してきたので、今更帰りたくもない。結局メンバーと夕食を食べにいくことになる。

 5人で入ったアジアンのお店はみんな初めてだったので、全員が違うモノを取り、わけわけして頂いたが、これが全部みんなの口にあい、 いっぱい食べた感じで、このやり方も良いねと帰る道々お腹を叩く。、、、とにかくみんな大満足。色んな事を話し合ったが、 中でもそれぞれの家庭の事情の話は多様で考えさせられることが多い。しかし、こうして色んな考えの人々と話すことで、価値観が矯正され、 活路が開ける場合もある。そういう意味で、オバタリアン会合にも意味がある。

 さあ、土曜日が上手く行くかどうか、、、、シンパイ。おみっちゃんにして初めてみんなの前で自分の歌を歌ってみたが、 覚えているようで、矢張り2カ所ほど言葉が出てこない!付け焼き刃の練習はダメだなあ~。必死で取り組むほか無いが、、、。 救いはこの歌が好きだということだ。

 

 ちぇち練に少しばかり遅れたが、3人を送り届けてになるから仕方がない。発声とイタリア語が終わっていたなあ~。

 このところ、会長がお元気で、しっかり指導者をやってくれているので安心だ。「声の錬金術師としての」 I先生にはまだまだ頑張って頂かなくては、、、。

 Sさんが京都からのおいしいお土産をみんなに配ってくれて、あのお店でデザートを食べなくて良かったあ~と内心ほっ。京都かあ~、 しばらく行ってないなあ~、今頃は良い季節だろうなあ~、、、、モグモグ。。。であった。

 

 グロッケン先生がちぇち練に登場してくれて、みんなも緊張感が出たかな?本番が楽しみ~、、って、他人事ではない。 私も歌うんだった!ああ、ナレーションも作らなくては、、、、その演奏会で、今年の異常な多忙も終わりになる。、、ハズ。

 

2008年10月12日 (日)

チカレタび~。

 歌っても、喋っても、笑っても、左胸が痛い。モチロンこれは転んで打った所の後遺症だろうとは思うが、、、その痛みのお陰かどうか、 左舌の裏に大きなアフターが出来ていて、それも痛いし~、~~。

 

 伴奏者とアリアの合わせをやったが、ボロボロ!相変わらずの不勉強が祟っただけだが、やれやれ、ほんまに上京出来るんかいな!? そのあと夕食後に夫のヘアーカラリングと母のパーマネントを施術。上京前のやることその一だったが、終わって母を送り届けたらもうヘロヘロ。 体力が無くなっているのを感じる。東京さは寒いんだそうだが、あたしゃまだ冬物を出してないんだなあ~これが。

 

 今度のカルチャーの発表会では、マイウエイを歌うことにしたが、これって感情移入しちゃったら歌えない内容だ。 「やがて~わたしも この世を~ 去るのだろう~」とか、自分の事に簡単に移し替えられる歌詞だからなあ~。何とか歌詞を覚えた段階だが、 音楽として身に付けるまで大変かも~。頑張るべ~。

2008年10月11日 (土)

食べ疲れ、ふたたび、、、。

 朝のヴァイオリン演奏を鑑賞して、(と言っても半分は寝てたが~)そのあとの立食パーティへとなだれこむ。 この形容がぴったりな程大勢の人数が、大広間に集まり祝賀会は始まった。友人Yと「これは、とっとと食べないとすぐ無くなるわね~」 と話し合って、同じテーブルの恩師達の為もあり、もっぱらウエイトレスと化して食べ物のゲットに走った。

 ところが、取っても取っても無くならないで、次から次へと新しいお料理が運ばれてくる。これは全く予想外の出来事!しかし、 それに気付くのが遅すぎた。既に我らがテーブルの上には相当なお料理が並んでしまった。肝心の恩師達は、 あるお方はご高齢の為か食が滅法細く、又見るからにほっそりとしたあるお方は、病気を心配されてちっとも召し上がらない。T様は「短歌の会」 への勧誘に走ってさっぱりお料理に手を付けず、そもそも最初から「ビールしかないの?」 とお召し物の帯がきつくなるのをご心配あそばしているご様子。いやモチロン日頃からビールよりはお腹の張らないお酒類がお好みではあるが~。 (よく知っているのだ)その上、老いも若きも男どもが(あまり若きは居なかったが)次から次へとTさまを取り囲み、その昔、 先生が如何にお美しかったかを連綿と語り続けるので、そのお相手のためますますお食事どころではない。モチロン今でも誰しも認める美女で、 我々より10歳も年上なのに、同窓会では絶対恩師に見えないお方ではある。まあ、これだけもてる人もあまりいないだろう。

 その隣でその光景を横目で眺めながら「フン」とばかり、モグモグパクパクひたすら食べて飲んで居た我々二人も、 ある時点で遂にこれ以上は無理と諦めたもんだ。まあ、あれだけ食べたというのも味が良かったせいもある。最近あそこは美味しいのだ。 フルコース2回分くらい食べたかな?いやもっとかも~。ビールもしっかり、焼酎までYが持ってきてくれるので、遠慮無く頂くし、 「やっぱり最後はおうどんよねえ」と訳ワカメのセリフと共にそれも頂く。、、、お陰で、本日夕食は全く入らない。夫とI先生に作り、 せめて冷や奴くらいと自分にも付けたがさっぱり手が出ない。ふ~っ!ああ、しんど。

 全く成果が無かった訳ではない。「ちぇち便り」を受け取りましたという御礼の言葉をかけてくれる人も居たり、 オペレッタに来てくれた人も居たり、音楽関係者と話をしたりまあそれなりに、色んな人との交流ももてたことは良かった。 意外な人が同窓生だったことも分かったり、まあ80年記念の会ならではだろう。

 ヴァイオリンは、フォルテのボリュームの点で私好みではなかった。ピアノがヴァオイリンに被って聴こえてきて、ちょっと残念。 PPPは流石に上手いと思ったが、まあ、彼女は全身をセクシーに使って演奏するのが売りみたいだから、それを楽しんだ人も大勢いただろう。 しかし、パーティ会場ではそこを痛烈に批判していた人も居たので、まあ、両方だろうが、 同窓生から有名人が出たというのは何にせよ喜ばしいというのが、全体の歓迎ぶりから分かった。有名人といえば、 野球界の中西太氏も来ていて驚いた。75歳らしいが、マイクに向かって「こういう会には出来るだけ顔を出すようにしています。 そのうち出られなくなるので、、、」と笑いを誘っていたが、さすがに場慣れしている。

 県下でも有名な音楽科があるというのに、お酒の席だからか、オープニングは邦楽で始まった。詩吟に琴である。 久しぶりに良い音色のお琴が聴けてこれは良かったが、私的にはフラストレーションが溜まっていたので、最後の校歌を歌うので発散した。 まったくあの校歌は難しいし、高音が要求されるし、そういう意味では珍しい校歌だと思うが、高校生時代から私はケッコウ好きだった。

 

 で、一通りのものに参加して少し早めに出てあたしゃ小ホールで行われていたコンサートに移動。しっかり酔っぱらっていたが、 不思議なことに歌は眠くならないなあ~。、、、眠くならないが、この演奏会は気になることがあった。子供達が多く、 それも声を出して走り回るたぐいの騒音がケッコウあって、演奏に集中できない。あれは歌い手にも酷な環境だろうが、、、? 主催者から以前話をきいたことがあるが、「子供にも本物の音楽を」というコンセプトだそうだ。全部大人しくさせるのではなくて、 騒いでも良いときは騒ぐのを許す、というか一緒に音楽を楽しんでもらおう、ということらしい。しかし、今日の演奏会で言えば、オペラ 「トスカ」の歌に生き愛に生きを、子供の嬌声の中では鑑賞しにくいではないの? これを大人しくさせる技術が主催者側にあるならそれも良いかも知れないが、子供とはそう簡単なモノではない。そんなことが可能なら、 親は苦労しないで済むというものだ。

 

 妙な一日だった、なあ~。

2008年10月10日 (金)

お説法と映画鑑賞そして転倒事件その後。

 先日の思いがけない旅の思い出話を、夕食時のおかずにしたところ、夫が、「お布施をして帰ったんだろうなあ?」と口を挟む。 「ありゃあ~、ぜ~んぜん頭になかった!!」と私が言えば、レッスンに来ていたI先生までが、 「ああいう所はお布施で成り立っているからなあ~」ときた。「お守りとちょっとしたモノは買ったけど~~」と弱々しく答えると、 尚も夫は鬼の首を取ったりとばかり責め立てる。「還暦過ぎたええ歳のおばんが4人も居て、誰も気が付かなかったのは信じられん!!」

 言われてみればその通りだが、あのときの気分はナント説明すれば良いか、、、、お金を払って、 それに見合うお説法を聞きたいとそこへ行ったわけではない。偶然、まるで仏様が我々の目の前に現れて道を示してくれたような、 なんとも不思議な良い気分に全員が陥っていただけだと思う。しかし、これは確かに夫の言い分に理があるだろう。 次回このお返しに行かずばなるまい。は~っ!?

 

 夜ご飯は色々忙しくて十分タップリとは行かなかったが、昼ご飯は恩師とアジアンのお店で満喫。その時に言われてしまう。「アンタ、 ブログの転倒事件は私の記憶では去年の肉離れなんかじゃ無いと思うよ。確か、お葬式でやったでしょ!?」と。ぎょへ~、そうでありんした! あの時もこっぱずずかしかった!なんせ、大勢の人前だったからなあ~。「奥さん、どっかお悪いんですか?」と聞かれたと、 あのとき夫が言ってたなあ~。、、、、しかし、誰かから突っ込みが入るとは思ってはいたが、思いがけないところから来たもんだ!!参った! 思わず胸の湿布をなでなでしちまったわい!

 

 話は違うが映画というのは、その時感動してそれっきり、というのもあるが、時間と共にさらに感動の度合いが深まるモノもある。 今日電話でお嬢に聞かれて先日のを説明しようとしたが、さわりを聞いたお嬢がストップをかけて、実際の映画を見ると仰るので止めたが、 お陰で再びあの映画を思い出していた。あの映画にはズシンと胸に来るセリフがあって、その言葉を聞き逃さないことが大切だ。 そのキーワードが全体を説明しているのだが、、、、さて、お嬢はそれに気が付くかどうか。楽しみなことだ。 娘と母が見るにも良い映画だろうなあ。同行したY子と違って、あたしゃ監督が誰かも知らないが、少ないセリフ運びがとても洒落ていて、明暗、 悲喜両方にキッチリした対話があり、饒舌でないのに多くを語るという「巧みさ」があった。見ているときは、 だから自然にその画面の中にたたずむことが出来たのだ。

 映画館を出た後、「ああ、リチャード・ギアがここに現れたらなあ~!」と私が言って、全員が大爆笑 (モチロンみんなもそう思ったに違いない!)したのを思い出すが、全く、ほ~んとに格好いいなあ~彼は。

 

 明日は母校の記念祝賀イベントに参加する。母校ねえ~。そういえばあの頃から舞台に立っていたなあ~。といっても、 放送部で主にイベントの司会だったが。ある時は「カルメン」の脚本を書き、クラスメイトに演技を付けて舞台に立ったこともあったなあ~。、、 、結局三つ子の魂とは言わないが、あの頃と大差無い事をやっているおみっちゃんではあ~る。チ~ン。

2008年10月 9日 (木)

余韻。

 考えてみると昨日の住職は、全くユニークだったが、もしかしたらあの土地の有名人なのかも知れない。「呼びもしないのに、 ようお越しになった!」とはずいぶんとご挨拶だが、その笑顔には全ての人を受け入れるおおらかさが溢れていた。

 今日、母を連れて温泉に連れて行く道々、その住職の話をしてあげるとゲラゲラ笑っていたが、そういえば「親を大切にしなさい」 としきりに言われたなあ~。「貴女は自分の中に優れたところがあると気づくこともあるだろうし、 なにかしらやりおおせたと思うこともおありだろう。しかし、それもこれも、全ての元はご両親のお陰じゃ。ご両親の恩を忘れてはいかん。」 というあの言葉が蘇ってきた。確かにそうだ。改めて両親に感謝だ。

 実は今朝はなんだか身体がシャンとしないため、スポーツジムへ、お風呂に出かけた。打ったらしい左胸も痛むし、 この水不足のおりでも地下水で営業を続けているジムのお風呂にたっぷり浸かろうと思ったのだ。これはかなり効果的だったようだ。

 だのに、何故又夜も温泉かというに、そこの温泉の店内に湯オケが売られていて、 真っ白なおしゃれなデザインのオケを買い求めに行ったという訳だ。娘から何が何でも買ってこいとのご命令に、素直に従ったのだが、 何故わざわざ、、、と訝っていた母もそのれを見て納得。デザインがとても良いと感心している。、、こうして何やかやと送る荷物が増えていく、 、、、。

 

 只今、大変な書物に手を付けているが、一体完読できるかどうか、、、、疑わしい。その名も「ヴェルディ、オテッロ」。モチロン、 作品について彫り下げた鑑賞法を示唆してくれているし、シェイクスピアとヴェルディの関係についても深く触れている。それだけでなく、 当時のオペラ界にあって、如何にヴェルディが苦労して作曲していたかを事細かく描いている。面白くないわけではない。、、、しかし、 字が小さい!!分が厚い。今日は30ページでダウンだなあ~。ふ~っ!

 

 温泉前に初めての天麩羅屋さんでごっちしたら、まあ、フルコースぜ~んぶ平らげたにはおろろいた!流石我が母!!この分なら、 1週間後の東京は大丈夫か、、、?

 

2008年10月 8日 (水)

良い旅終わる。

 何事もあまり期待しない方が結果は良いみたいだ。今日の小旅行も全く期待してなくて、たった一つの明確な目的、 開店休業中の我が店頭に飾るべき、顧客へのプレゼント品としての陶器を購入に行くという事以外に、ハッキリした事を何も決めずに出かけた。 あとはまさしく行き当たりばったり。ところがこれが大当たり!

 友人Kはチャンとお弁当まで作ってくれて、お茶の準備まで至れり尽くせり。あとの3人はひたすら日頃の憂さを晴らすことに専念。 したがって車内はおしゃべりと嬌声で満杯。全ての日常から解放されて熟女4人は、明るい秋の日差しの中をとっととっとと、まずは松山入り。 道中、今日の次なる目的地を決めようとするが、誰も資料を持っていないし調べてもいない。様々な話題の中で「U」 というおいしい冷や酒の話となり、それならその蔵元に行こうとなり、すっかりその気になったものだ。 実は私は秘境の地にある蕎麦屋へ行きたいと思い、そう誘ってみたが、、話している内にお酒に惹かれついそちらにグラッと気持ちが傾いた。が、 まあ、まずは陶器だ。

 この砥部焼きは、阪神神戸の大震災でも壊れなかったという評判を取ったほどに頑丈でしかも美しく、 私はお気に入りでこの窯元はケッコウ通っている。家族全員が大好きで、みんなで来たことも何度か、、、。 そこの名物おかみが突然亡くなったと聞いていたが、ちゃんとその後も順調にお店は営業されている。 朝食を食べてきてないお馬鹿さんの為に急ぎ荷物を作ってもらい店を後にするが、何しろ知らない土地だ。お弁当を広げる場所探しに難儀する。 でも、こういうときに勘が働くアチクシ、欠食児童がガソリンスタンドで車の中で、、、 とかなんとかわめいているのを無視して走っている車の中から見えたお寺にしようと宣告する。

 静かなたたずまいのこのお寺。全く偶然の「お導き」であった。石段を拝借してゆっくりお弁当を食べ、 やおら立ち上がり信心深くもない我らが帰ろうとしたその時、上の方から降りてきた中年の男性がどこから来たのか?と聞いてくる。 少し立ち話をすると、そのお寺は伊丹十三氏のお墓があるという。で、ここの住職は話が面白いから是非聞いていけ、とも、、、。 まあ急ぐ旅でもなし、そうしましょうと意見はまとまり納経堂へと歩いていく。 道々なるほど寄付高が刻まれた石碑の中に伊丹十三その人の名も見える。誰もいないような古い建物の暗い中をのぞき込みながら声をかけると、 しばらくしてからつるつる頭のご高齢の元気そうなお坊様が出てこられた。で、我々4人に向かっていきなり出た言葉が、「ほ~~~、 これはこれは、こんなところへ来る人は、大体壊れかかった人が来るもんじゃが、あんた達はまだ壊れかかっとらん人たちじゃなあ~。」 で思わず高笑いとなる私たち。「何でまた?」と真顔で聞かれ、さっき降りた人から聞きましたとそのまんま話すと、 急に張り切ってお説教の時間と相成った。確かに面白いお話が次から次へと聞けて、 なにやら大きな懐に入ったようなリラックスした気分になった我々は、すっかりそこで長居をしてしまった。 自殺したと言われる伊丹氏は実はそうではないのではないかと、その住職は思っているようだ。自殺は最も良くない行いだと力説し、 「人は用事が無くなったら自然に死ねる、、」とも。常々「私は70歳になったら死ぬ」と口癖のように言っていたTが、 これからは心を入れ替えてそんな考えは止めると言い出したのは御利益その一だった。

 丁寧に御礼を言い、お札を買い求め、ゆらりと表に出た4人が4人とも、これ以上は無いくらい仕合わせにゆるんだ顔をしていた。 これぞ宗教のありがたさだ。昔はこういうお説教をしてくれるお坊さんがあちこちに居たのに、この頃はお金お金の時代で情けない、 とはみんなの一致した意見だった。私は道ばたの小さな野菜売り場で里芋を二袋200円で買い求め、 他の人もみかんなんかを買ってお手洗いも済ませ、さあ、良い気分でもっと良い気分になるため酒元へしゅっぱ~っつ!! と威勢良く出たは良いが、せっかく目的のインターで降りたのに、携帯で問い合わせた場所が実はず~っと前に閉鎖され、 ビヤガーデンになっちゃってるということが判明。途端に行く気が失せ、もう帰ろうか、となる。しかし、 午後4時というその時間にこのまま帰るのも悔しい、と本日「おくり、、、」 という映画に行ってるはずのちぇちの連中にメールで問い合わせてみる。すぐに返事が来てとっても感動した、 というので時間をさらに聞いてみるとレイトの9時半~しか無いという。それでは遅すぎるという3人の意見(あたしゃレイトは慣れてるが) でまあ、とにかくその映画館のある新しいショッピングモールに行ってみようとなる。

 着いてみれば、偶然にも「最後の初恋」というリチャードギアの映画が、まあ、許容時間内で観られることが分かった。ならば、 と先に食事を済ませ、急に映画鑑賞となる。、、、これが大正解。全員が大泣きして、顔を合わせるのが恥ずかしい状態。 座席指定にもかかわらず余りにスカスカの座席なので結局全員バラバラで観て正解だった。

 まあ、女性好みの映画ではあったが、、、、。

 

 というわけで、本日のメチャクチャフリーな日帰り旅行は99点で終わった。1点は、あの冷酒が飲めなかったこと!無念。

2008年10月 7日 (火)

手負いの○○。

 眠り薬とは、眠るための薬だが、私の場合、眠ったために身体の調子が良くなったという意味の、眠り薬だった。12時間と9時間、 我ながらよく眠った。動物たちが傷を負い、なめて休んで治すのと似ている。眠りは本当に素晴らしい薬だ。、、 お陰で溜まりに溜まった家事がトホホ状態ではあるが、それに代え難いこの開放感。

 

 イタリア語の読み方研究会(!)第1回目は、結論からいうと、やって良かった。2時間があっという間だった。  合唱で分かったような気になっていても、実際は分からないまま声に出していたところが見つかったり、全く勘違いしているところもあった。 この会は、そういう点を見つけることも目的なので、1回目にしてはよしよし。段々積み重ねていくことですらすらと読めるようになるだろう。

 

 二階ではレッスンたけなわ。ホントによく人が出入りしたなあ~今日は。この環境ならではの恩恵だ。

 

 明日は思いつきの日帰り小旅行。まあ、私には目的があるが、他の友人達はおまけみたいなモノだ。 計画の当初は私が運転するつもりだったが、転倒から三日目では流石にKさんにお任せするのが賢明だろう。 本人よりも周りが心配するだろうから。私の転倒事件を知らない連中が、明日なんて言うか!?さっき大阪の友人に、「ホンマ、気い付けや~!! 」と電話でおしかりを受けたもんなあ~。本人に記憶は無いが、ちょっと前にも似たような事件があったと彼女が言うから、あったんだろう。ま、 登山が趣味のこの人と同じにはいかんわい。、、、そうか、去年の肉離れ事件のことかもねえ。あれは疲れが溜まっていただけ。ま、 今回もそうではないと胸を張る事は出来ないか。とりあえず同年の人々よりは疲れているだろう。意識にないが、、、。

 

 明日同行する連中はみんなこないだのオペレッタを観た人たちだ。きっと色々酷評されるんだろうなあ。既に聞こえてきたのは、 料金が高過ぎる、というものだ。「あんなもん、映画6回(シニア料金だ)観た方がずっとまし!!」とズバリと言われた。確かに、 私もそう思う。そりゃあ映画の様に何百回も何千回も観られるものではないし、舞台美術やもろもろを考えると、仕方がない料金設定とは思うが、 ただ客側からのみ言うと、確かにその通りだろう。完成度から言っても、どうしても海外からのものと比較して隙があるのは否めない。 その友人曰く、「ちぇちぃりぁは良いわよ。あれくらいでないと!」、、、そうなんだよなあ~。作る側の論理では、お客様は満足してくれない。 このご時世、芝居も、音楽も、何もかもが低空飛行してる。そういう中であの団体はホントよくやっている。、、とは思うのだが、、、。

2008年10月 6日 (月)

快眠。

 おそろしく眠った!12時間。入眠剤を飲んだとはいえ、これは凄い。だのに、実はまだ眠い。 病院に行ってから午後のシャンソンに出かけ、そのまま打ち合わせと相成り、夕方7時からのちぇち練に着いた頃は吐き気がしている。 しかも生あくびばかり。やっぱりまだ寝てた方が良いのかも~。

 

 でもなあ、このまま寝てたら、寝たきり老人になりそうだしなあ~。

 

 昨日は次回のオペラの演目について話し合ったりもしたが、なかなか的を絞れないまま終わった。何故かというに、オペラは難しいから、 という一語に尽きる。どれをとってみても、あ、これなら簡単だから行ける、とは言い難い要素がある。過去にも相当難しいモノをやってきたが、 、、、、苦労はあった。

 さあ、どういうことになるか、、、、もう決めるに早すぎるということはない時期だ。ふ~っ。

2008年10月 5日 (日)

転倒事件勃発。

 別に転倒したからここを情けない報告の文字で埋める気になったという訳ではない。 そいうことならここ何日かの空白の時間はあれこれドジの連続であった。(自慢じゃないが)。ただ、 本日はあと何時間か後に副会長宅へ打ち合わせに行くという予定があり、そのまえに多少の時間があったため、まあ、 今日のショックを整理するためこのページを利用するというわけだ。

 ショックといっても別にど~ってことはない。我が家の前で車から書類を降ろし、トランクをばたんと閉めて、 雨の中を急ぎ玄関まで逃れようと2,3歩踏み出した途端、ア、ワ、ワ、ワ、ワ、、、、ドタン!ドドドド!セーフ。 と相成ったというだけのこと。ア、ワ、、、は空中遊泳、ドタンは着地、ドドドは滑ったってことで、 セーフは左半身で全体重を受けて寝っ転がった状態。この間、頭の中にはギブスを巻いて松葉杖の我が姿が点滅、「しまった!やっちまった!」 という思いでいっぱい。そのまましばし起きあがれず、もしや骨折か?と寝たまま考える。そぼ降る雨に濡れてしばらくじっとしていたが、 「自分の事を客観的に見られる」おみっちゃんとしては、この状態が余りに恥ずかしく、やおら起きあがるしかない。 飛んでしまった書類を抱えて足を引きずりながらドアーの中に、、、。ともかく怪我の状態を見ようとぐっしょり濡れた服を脱ぎ裸になると、 膝と左上腕にけっこうな傷がある以外は、まあ大丈夫そうだ。おお、運動不足にしては受け身が上手く行ったか!? 願わくばねじった腰とかが痛み出さないことだが、怪しいなあ。

 モチロン原因の一番は不注意だろう。雨の中滑りやすいサンダルを引っかけて外に出たのが間違い。 重たいトランクのふたをエイッとばかり閉めた反動もあったのだから、バランスを崩した無理な体勢にも問題があった。 昨日頂いた封筒が意外に重くて「えっ?」と注意がそちらに向いたため、ちょっとした集中不足が生まれたのもある。、、、 そんなこんなでこうなるというのが、そもそも「歳」だ!ムムム、、、、。グヤジ~。

 昨日はこの辺のお祭りで、ちょいと留守していた間に子供御輿が通り過ぎたらしい。 毎年寄付を渡すのが渡せてないのが気になっていたが、まさかねえ~~~。とらしくもないことまで頭に浮かぶ。テヘヘヘ。

 

 実は先日も崖っぷち経験をしたばかり。恐ろしいヘアーピンカーブを曲がりきれず立ち往生。前は絶壁、後ろは石垣。 新車の扱いがイマイチ慣れてないせいもあり、前にも後ろにも動けなくなっちまった!これはJAFのお世話になるしかないと諦めたその時、 前方から上がってくる一台の車。どうやらその辺にお住まいの方で、「どうしましたか?」と親切に声をかけてくれる。事情を話すと、 「やってみましょう」という頼もしいお言葉。モチロン即刻運転を代わって頂く。 オートマはアクセルを踏んだままサイドブレーキをはずさないとイケナイので、こういう状況ではけっこう厳しい。 万一やり方が不味いとそのまま真っ逆さまか、ガガガと大きく車を破損してしまう。その救世主は2度ほどトライしてくれて、バッチリ、 車を壊すこともなくそこを脱出させてくれた。あんなに有り難かったことは久しぶり~!世の中には勇気ある親切な人が居るもんだ。助かった!

 

 さ、出かけてくるとしよう、、、何事もありませんように~!

 

2008年10月 1日 (水)

遂に風邪?

 台風のせいなのか、夏の疲れなのか?朝起きたら声が出ない。FMの収録予定があり、これはヤバイなあ~、 と思いつつ対策を講じてみたが、いっこうに変化無し。が、これ以上日程を変更できない事情もあり、そのまま出かける。 母が昨日のリベンジにもう一度診察に行くというので病院に連れて行く。病院の受付が1時、収録予定時間が1時なので、 丁度良いかと思ったのだ。が、これがお~まちがい。局に着いてみるといつも時間厳守の今日のゲスト、ピアニストTさんがまだ見えてない。 しばらく待つが念のため電話してみることに。、、、こういう場合、大体間違いというのは一声聞いただけで分かるもの。 何の屈託もなく明るいお声で出られたTさんの声を聞いただけで、自分の間違いに気づいた。時間間違いだ! 手帳に記録するという習慣に頼っていると、うっかり記入漏れがある場合など最悪だ。私の今日のメモには「1時収録」と書いてある。が、 変更したあとを書いてなかったようだ。「ようだ」というのは、その記憶さえ怪しいからだ。

 間違いに気づいた私は、とりあえずじゃあ診察が終わっているはずの母を迎えに行き、一度送ってから再度来れば無駄がないと考え、 早速病院へと逆戻り。で、待合いに居た母にいつ終わるかと聞くと2番目で、1時半には診察が始まるからちょっと待てと言う。 じゃあ外で待ってるからね。と車で新曲のお勉強をしていると母が降りてくる。ぎょっ!荷物を持ってない、ということは、、、、やっぱり、 私の母だ。「診察は2時からだった!」ですって~!?あたしゃ分刻みで動いてるんだ!とも言えず、 じゃあ仕方ないから収録が終わるまでここで待ってね!と宣告する。4時に終わる予定だというと流石に参ったという顔をしていたが、 諦めも早い。何か本でも読んでるからというので、急ぎ家に帰宅。私は私で予約客の時間の変更を電話して、表の張り紙を変更して、 慌てて局に駆けつける。途中叔母から電話があって、母を迎えに行ってあげる、というお申し出。一度はご辞退したが、 二度目にかかったときは有り難くお受けすると返事する。いやあ~、そうしておいて良かった。声の調子が悪く、 いつになく集中して収録していたので、もしかしたら母を忘れて置き去りにしたかも知れないのだ。昔そういう前科があったからな~。ふ~っ。

 

 収録中も声が気になって気になって、歌うときの発声を思い出してみたりと、水鳥の如く見えないところでジタバタ。熱っぽいし、 喉も痛くなってきて、これは風邪と同じ症状だが、、、、むち打ちの場合もこれと同じ症状になるから、ちょっと分からない。 なんとかかんとかゲストの協力も得られて2本録りが出来た。、、終わったらへとへと~。なんとしても金曜日までには治したいモノだ。 その日はシャンソンもあるし、収録もある。睡眠が一番の薬だろう。やるべき事には全て目をつぶることだろう。、、、 分かっちゃいるんだけど~。 

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