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2008年9月26日 (金)

ありゃりゃ、また丑三つ時だあ~。

 オペラの公演が終わってから、いや正確には二日目の公演で裏のお手伝いをした日も別ホールで地元のミュージカルを観たし、 その二日後には加藤健一事務所の「詩人の恋」という二人芝居を観た。前者を観たときは未だ自分の舞台を浮遊しているような気分もあり、 あまりの作品の違いに、中に入っていけなくて前半は疲れもありほとんど寝てしまった。日を追う毎に疲れが増して、年齢を感じていたので、 母と約束していた後者の芝居を見に行くのは少々ためらわれたが、楽しみにしていて公演日を一日早く勘違いしていた母を思うと、 頑張って行かねばという気になった。が、行ってみて久しぶりに感動した。これはちぇちの連中にも全員に観て貰いたいと思うほどの作品だった。

 登場人物は二人。年配の方をM、若い方をSとしておこう。場所はウイーン。Mは落ちぶれかけたドイツリートの声楽教授。 彼の元へアメリカから、天才ピアニストと言われたほどの青年が挫折して再起をかけてやってくるが、 Sは何故自分がこんな落ちぶれた教授に教えを乞わなければならないかが分からず、絶えず憤慨している。しかし、 捕まえどころのない教授に接している内に徐々に自分を取り戻し、音楽の原点に立ち返る事が出来る、というものだった。そして、 これにそれぞれの過去が平行して現れてくるのだが、まずはSが自ら自分はユダヤだと告白する。それに対してMは、 君の祖先には素晴らしい芸術家が沢山居る。けっして卑下することはない、と異常なまでに励ます。そしてその偉大な詩人の一人ハイネの 「詩人の恋」を全編歌うことを強要する。自分はピアニストだと猛烈に反発するSだったが、 結局は言われるままに歌のレッスンを受けることになる。最初はひどいものだったが、段々歌心が分かるようになり、 そのうち相当の歌唱力が身に付いてきて、それと同時にいつの間にかピアノも深い味のある音が出るようになっている。 その頃には二人は親子か無二の親友のようになっていて、Sは言う。僕は自分の事を全部喋ったのに、教授は何も喋ってくれない。 一体貴方の過去には何があったのです?と問いつめるが、なかなか告白しない。ある時、いつものようにさんざんののしり合った挙げ句、 教授は如何にも疲れたという風に手を投げだし、左手のワイシャツの袖を少しずつ上にめくり上げていく。見せるというのでもなく、 自然に分かれば良い、といった体だ。

 その腕には黒く大きな字で「Judea」(ユダヤ)と焼き印が押されたあとがある。そこで初めて教授の暗い過去が明かされる。 なんと、彼はアウシュビッツの生き残りだった。そうなんだ、そういう人たちも居るだろう。 例えばローマ法王ベネディクト14世はヒトラー青年部で、ナチの軍人になったわけで、あのおぞましい戦争からこっち、立場が変わり、 色んな生き方をしている人がいるに違いない。

 Mは言う。「永い闘いの歴史の中で、虐げられてきた人間は、素晴らしい天才を生み出す。それは何故かというと、芸術の最高点は、 どん底の悲しみ苦しみと、最高の喜びが合体したときに生み出されるものだ。どちらかだけでは完成しない。」

 今まで多くの芝居に接してきたが今回の作品ほど、 色んな貴重な人生訓とでも言うべき言葉がちりばめられていた作品にお目にかかることは滅多にない。シェイクスピアは別格として。

 あとで思わずサイン会に並んでしまったが、彼らにしっかり握手して貰い、下北沢で観た「お葬式」とかの話もした。 間近で見るとごくごく普通の人たちだ。まあ当たり前だが、、、、それにしても素晴らしい舞台だった。40回もやってるそうだ。 やっぱりねえ~。隣で声に出して笑ったり、涙をぬぐったりしている母に、無理しても来て良かったとつくずく思ったことだ。

 、、、こうして母と並んで席に座るのもそう永くはないだろう。今を大切に、だ。

 

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