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2008年9月25日 (木)

パリ、ロダン、そしてカミーユ・クローデル。

 このところこの日記をさぼっていたが、書いておきたいことはかなりの量溜まっている。その分量を思うだけで、 今日は止めとこ、と、なってしまって先送りする羽目になっていた。別に大したことでもないが、すこしずつ書いておこうか、、。

 本日ようやく遊び疲れた声でお嬢が羽田から「帰ったコール」をしてきた。こっちもようやく安心だ。数日前だったかに電話してきて、 前回のパリで私は行ったが娘は行かなかった「ロダン美術館」に行ったという。物事を考えているとき独特の沈んだ声でかけてきて、 「お母さんが好きなあの彫刻を見てきた。」という。それはロダンの作品ではなく、ロダンの恋人カミーユ・クローデルのもので、 日本語のタイトルは「分別ざかり」というものだ。フランス語は「熟年」とかで、タイトルはイマイチ理解できないが、 初めてこの作品をオルセー美術館で見たときはショックを受けた。

 裸の男女が悪魔の様な者によって今しも引き裂かれようとしている。男は大きな衣をひるがえした悪魔のような老女に身体を捕られ、 片手を若い女の方へ弱々しく出しているが、重心は明らかに往く方の足にかかっていて、戻る気はないことが分かる。 若い女はその手を取ろうとしているが、二人の手と手の間には厳然とした距離があり(彫刻という形ゆえにそこに少しの望みもないように見える) 、女の行為は虚しいばかり。その瞬間の男と女の心理を恐ろしいまでに生々しく描いているこの小さな彫刻に、私は激しく感動した覚えがある。

 、、、これは、ロダンが妻と恋人のカミーユとの間で揺れ動き、最後は妻の元へと去っていく姿を描いたもののようだ。唯一の救いは、 彼の一方の手が、彼女の方へまっすぐに伸びていることで、彼女に愛情が残っていることを示している。もしやカミーユはここに願望か、 期待を込めたのかも、、、。これが、カミーユ・クローデルの作品であり、二人が別れた辺りの作品で、どう見ても、 カミーユ自身のことを描いているとしか思えない。

 今回娘はその作品を裏からも横からも見て、私とは違うものも感じたようだ。そして、おびただしいロダンの作品も見て、 その若い女と同じ女性として悲しいけれど、やっぱりロダンはロダンだと認めざるを得なかったと、共通の感想を語り合う。 でもって私が結論めいたことを言う。「結局天才芸術家としてのロダンは、人生の全ての答を作品で答えている訳で、 外に現れた彼の生き様は許されるものかも知れないね。」と。すると娘曰く、「じゃあ、芸術家のわたし~何をしても良いのね?」と来た。 「アホ、それは天才にのみ許されることなのよ!!」と私が言えば、「あっちゃ~、フォ~フォッフォフォ!」とパリから高笑い。ま、 色んな事を見たり考えたりしてきたことだろう。

 

 パリねえ。もうすぐ寒くて美しいパリの季節がやってくるなあ~。

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