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2008年1月

2008年1月30日 (水)

ブルーな気持ち。

 ストレスって何だろう?多分心の平安を乱されると起きるものか?人は多分、 誰でも瀬戸内海の凪のように静かで波のない心を持っていたいと願っている。風のない琵琶湖のような心、それは至福の時かも知れない。しかし、 だからこそその水面に荒々しく石が投げられたり嵐によって大波が立つと、不安と焦燥にかられ何とかせねば、元の平穏に戻さねば!と心が動く。 少々の波ならば、それは覚悟の上の人生だが、思いがけない大きさだったりすると、心という器は壊れそうになり、それ即ちストレスとなる。 てことか。

 加齢とともに、心の平和を望む気持ちが強くなり、些細なこともストレスと感じるようになってきた、と感じる。 自分の力でなんとか解決できれば良いが、それが難しいときはかなり落ち込む。アルコールなんかではなんともならないのだ。

 一つの団体を維持し続けることの大変さ。20年になるこの団体の初めから関わり、多くの人の出入りを眺めてきた。 それぞれ出て行くには理由があった。モチロン。転勤が一番多いだろう。進学もある。 それ以外の理由は人間が人間であるが故の哀しさかもしれない。

 「音楽好き」「歌好き」この指た~かれ!と始めて、ず~っとこのかた、それを唱え続けてきた訳だ。 集まってきた人達は多いときも少ないときもあったが、ず~っとファミリーだと思ってきた。これからもその思いに変わりはないだろう。 私は自分に余り母性があるとは思ってなかったが、ことちぇちぃりぁに関してはかなりあるんじゃないかと思っている。「音楽が、歌が好き」 という以外の共通項が無い面々が、一カ所に集まり、懸命に精進している様を、私はいとおしく思うのだ。もし、 この会に関わらなければ一生会うこともなかっただろう人々が、お互いに自分の力を出し合い協力し、より良い団体へと作っていく姿は、人間の 「えにし」というものを感じずには居られない。

 だからこそ、誰かが出て行くという寂しさを人一倍感じるのだろう。そして、その理由が納得出来ない場合、尚更に身体に応えるのだ。

 家族の中でも、分かり合えないことは多々ある訳で、当然の事かも知れないが、例えば栄養価が高く、 本人のためだとばかり思って一生懸命に料理して出してた食事が、実は本人の好きな物ではなくて、かなり我慢して食べていた、 というようなことが起きる。思ったことを何でも口に出せる性格の人でない場合、それは逆効果だったのだろう。 そこに気が付かなかった親が悪い、てことか。

 

 あ~あ、ブルーだなあ。

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2008年1月29日 (火)

良いお話。

 今朝ご来店の、昔からの顧客Oさんから、今月初めに病床にあったお母様を亡くされたと聞く。癌で何度も入退院を繰り返されていたが、 亡くなる前の2ヶ月は自宅療養となり、最後は全く穏やかに逝かれたらしい。 この母子さん達は以前シェイクスピアの講座にもご一緒していた時期もあり、 病気になられて以来はもっぱらそのお母様のご様子はOさんの口を通して聞いていたのだが、80歳くらいか?ホントにしっかりした方だった。 文学への想いも強く、色んな本を生涯を通して読んでおられたようだった。

 今日Oさんから聞いたお話の中で一番印象的だったのは、そのお母様が亡くなられる前、子供達全員を枕元に呼び、 「みんなに良くして貰ってホントに感謝している。有り難う。ただ、私は人間の死んでいく様をみんなに見せたかった。(浄土真宗だったか?) 仏教の教えの通り、無常なものだということを身をもってあなた達に教えたかった。」と言われたらしい。Oさんはそれを聞いて、「母が、 自分の考えていたことを言ってくれた」と感動し、妹さん達と手を取り合って泣いたという。

 そういうことを言う方らしく遺言も出てきて、そこには、「自分の病気治療などにかかった費用はあそこのあれでまかなってくれ。 それで余った物は姉妹で分けて欲しい。もし足りなかったら、残念でした!」と書かれてあったという。いやあ~、参った! この期に及んでこのユーモア!、、、自分のことを考えて、おみっちゃん、こんな風に死ねるかなあ?

 死に方は、生き方だ!

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2008年1月28日 (月)

大雪。

 雪が降る、、、、。誰が何をしたのか、珍しく雪が降る。、、、、って、珍しいことしたのは私だったかも~。ちぇち練から一度帰宅。 ジム用のグッズを整えて再び出かけて行ったんだから。そして松葉杖以来初めてスポーツらしいものをやったのだ。

 最初2階のジムへ行って肉離れの後をどう動けばいいか訊こうと思ったが、あいにく手すきのインストラクターがいなくて、 結局自転車をゆ~っくり漕いで、30分後にお目当てのインストラクターを捕まえた。

 しか~し、こっ恥ずかしい事件が、、、。かわゆいお兄さんが、 優しく私の疑問に答えて肉離れの説明をしっかりし終わったときその事件は明らかになった!イケメンの彼が言う。 「あの~ぼく~さっきから気になってたんですが~、、、。」一体何のことだろうと、いぶかしく彼を見ると、 笑いながら腰を折り吾が背中を叩く。「あら~っ?」と言って照れ笑いをした途端「はがしていいですか?」と言うが早いか、 べきっとばかり背中のホッカイロをはがしてくれる!「上からコートかナンカ着てて忘れてたんでしょう!?よっくあるんですよねえ~。」 と明るく笑われてあたしゃ吹き出してしまった。その後若い女の子からストレッチのやり方を伝授して貰いながらも、 もうおかしくて笑いを必死で我慢していたのだった。

 考えてみると、このドジは本日三回目のドジであった!

 その一。朝、起きた途端「今日のシェイクスピアは遅れないで行こう。」と思ったまではお利口さんだった。で、 友人のKさんに電話して、「あんた、忘れてるんと違う?」「いやあ~、この電話で思い出したわ~」「ほんじゃあちらでね。」と会話する。で、 何もかも早めに済ませ、もう忘れ物は無いかな?とチェックしているところへ、電話工事の人が駐車させてもらえないかというので、 「ど~ぞど~ぞ、私はスグ出かけて、しばらく帰りませんから。」と愛想良く応対して、いざ出発しようとしたら車のキーがない。 まあ最初の5分くらいは平静に探していられたが、だんだん不安になって焦りが出てきた。ここと思うところは全部探したが出てこない。 ものの30分くらい経ったとき、ちょっと止まって考えてみようと思う。最後に運転した日のことを、帰宅してどうしたか、 あの日着ていた洋服は?とそこまで考えて、それでようやくもしや?あの服のポケットか?と二階に駆け上がると、ありんした。 いつもは着ないベストのポケットに、あの日寒くて一枚コートの下に着ていたあのベストのポケットに!な~んてこった!それから慌てて出発だ。 我が家の家の前だというに、こそこそと出て、工事中のおじさん達に会釈して、予定より3,40分遅れで車を出す。ふ~っ。

 その二。シェイクスピアの講義も終わり、そのあとの昼食会も楽しく終わり、そのあと、 毎回何人かが集まってお茶してる大学前の喫茶店に行く。実はそこに行った半分の人は「今日は帰ろうかな?」と言ってた人達。 珍しく私が行けるので、それならばと集まってくれたのだ。1客25万円もするコーヒーカップでお茶を頂き、 あれこれ雑談に花を咲かせていたとき私の携帯が鳴る。着信の名前はシャンソンのメンバーのAさんである。「あの~、私今日のレッスン、 随分と遅くなりそうなんです。必ず参りますから~」と言う。「え?今日は教室お休みじゃあ~?」「でも、チョット待ってね。 私この頃ドジやるから、、、。」と言いつつ手帳を見ると矢張りシェイクスピア以外の予定は記入が無く、 夕方7時からのちぇち練までは身体が空いてるハズ。「やっぱり無いみたいですよ~。」と笑顔で応対する。あちらも笑いながら、 「やっぱり私の勘違いですか、スイマセン。お騒がせしました。」と電話を切る。、、、しかし、何となく居心地が悪い。 おしりの辺りがモゾモゾする。これは確かめた方が良いと、誰かが囁く。で、カルチャーセンターへ電話すると、なんでこうなるの? 「今日は2時から先生のお教室ですが、、、?」と言われてしまう。あっちゃ~~。てえことは今から10分しかない。「やっぱりねえ。 おかしいと思ったわ。貴女がこんなにヒマなハズがないと思ってたわ」と送り出してくれる声を後に大急ぎで駆けつける。、、、モチロン、 メンバーには素知らぬ顔で対応だ!てへ。てへてへ。

 ドジは死ななきゃ治らない~。

 

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2008年1月27日 (日)

ようやく洗濯物が自力で乾いた。

 今朝は陶芸教室で新しい発見があって、大満足。これは当分興奮状態が続きそうだ。「物を作り出す歓び」に勝る物はない。 それも全くの「無」から形にしていく面白さだ。作品に関わっているときの集中力は相当な物で、ちぇちのメンバーとして義妹が、 「歌の集中力を磨くのに丁度良いかも~」とつぶやくのも分かる。いやあ~、はまるなあ。

 

 夜は中学時代の同窓会だ。といっても30人足らずの有志による新年会。チャンと先生もご臨席だ。 2000円の会費にはその安さに驚いたが、押し抜き寿司のお土産付きには参った!それもこれも幹事達の並々ならぬ努力のお陰だ。 何しろ幹事の女性達の手作りのお惣菜や場所を提供してくれる人の食材までが振る舞われての結果だ。 こんな集まりだからこそ長く何度も続いて居るんだろう。

 いつも何かというとお接待側に回るおみっちゃんも、この会だけはいつもすっかりお客様だ。ホントに良くやってくれる。 丁度まったっく同じ時間に大阪近辺在住の面々も、神戸に集まり同じ時間に同窓会をしているという気の合いようだ。 この利害関係の一切無い集まりというのはホントに楽しいものだ。それぞれが昔話に花を咲かせて飽きるということがない。何が嬉しいって、 不参加の人の情報をみんなが優しく語り合うことだ。中にはヤクザ屋さんもいるようで、 町を肩で風切って歩いているAにバッタリ出くわしたMさんは「あんた、○○ちゃんやろ?元気そうやなあ~。 次の同窓会はこれこれだから来てよなあ!」と普通の会話をしたと自慢そうに話しててみんなで大笑い。又早めに切り上げて帰る人を見送って、 その人の息子さんが結婚して子供も居るのに心身症にかかりお風呂も入れてあげないと自分では入れないらしい、という話しをする人がいて、 全員がシュンとしてしまう場面も、、、。

 驚いたのは、どう見ても知らない男性が一人混じっている。いくら私の記憶力が悪くても、 同窓生かどうかは分かるはずだと首をかしげていると側の友人が、あの人はTさんのご主人で、 こちらに引っ越して以来ずっとこの手の集まりには参加してくれていると、事も無げに教えてくれる。みっちゃん、初めて? と聞かれてモチロン初めて!と力が入る。やれやれ、記憶力低下ではなかったようだが、オッたまげたなあ。 すっかりその場の空気に馴染んでいるから凄い!まあしかし仲良きことは美し哉!であった。

 恐る恐る次回のためにオペラのパンフレットを持参したが、吾も吾もとあっという間に売り切れ。 どうして私にも教えてくれなかったのよ!と有り難いおしかりを大勢から受けた。まあ社交辞令でも嬉しいわい。

 それにしても最後までもめていたのが、次期同窓会を来年やるか今年やるかということで、本来なら前回の3年後の来年なのだが、 会場係が間違えて今年を取ってしまったというのだ。じゃあついでに今年やろうよという意見がかなり強く出ていたが、 矢張り幹事の主役はその大変さを思うと勘弁してくれ状態で、結局どうやら元の鞘に収まったようだ。 しかしその代わりの花見の会やら花火鑑賞会やら色々と計画があるらしい。ま、その内いくつ参加できるか知れないが、 出来れば参加したいものだ。

 元気でね!と声を掛け合いながら夜の舗道に出ると冷たい冷気が顔を打つ。 ちゃっかり家まで送り届けて貰って家にはいると夫がわざとらしく「早いなあ~」と驚いてみせる。、、、 間違っても同窓会に一緒に行けない夫婦であった。

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2008年1月26日 (土)

月を見ない日。

 午前中本業。午後はレッスン生とお茶タイム。 全員に付き合ってたらたまんないと思いながらついついお茶とお菓子、ってなことになっちまう! 今日はDVDのズームアップ版をまだ見てないというKさんの為にちょこっとこないだのオペラを見始めたが、 これがどうにもこうにも止まらなくなっちゃった!何度も腰を浮かせた彼女は結局アンコールまで見てしまって、慌てて帰っていった。 見ていると途中から次々と新顔がやってきては、時ならぬ試写会となる。

 段々見ていく内に色んな事がクリアになってきて、演技の上手い人や動きに無駄のない人、 目線の良い人、逆に無意識の無駄な動きが多い人、完全燃焼出来てない人、中途半端な人、などが際だって見えてきた。 みんなもこうして反省材料としてのDVD観賞をしてくれると良いのだが。多分まだ無理だろうなあ。舞台の余韻に酔いしれているだろう。

 今日は岡山のメンバーから、「思いがけない人が舞台の写真を撮ってくれていた」 と一冊のアルバムにして送ってくれた。どうやら写真のプロらしく、構成のしっかりした良い写真を撮ってくれている。有り難いことだ。 こうした色んな人の好意が集まるのが舞台公演の醍醐味だ。昨日もお芝居に行ったとき随分久しぶりに会った人から、 「こないだのオペラ行きましたよ!とても楽しかったですよ!」と満面の笑みで言われたのは嬉しかった。色んな人が来てくれたんだなあ~。

 

 てなことで、最後の人が終わって最後のお茶タイムが終わったら、結局深夜になっちまった!

 

 それにしてもなんでこんなに眠いのかと思ったら、 夕べDVDを見た後テレビをつけたまんまあれこれやっていたら、「地球温暖化対策大討論会」なるものをやっていて、 最後まで見たかったが我慢できずに寝てしまった。でもそれが午前3時過ぎていたから眠いはずだ。

 何故見たいと思ったかと言うに、ある人が「地球の温暖化をヒステリックに叫んでいるが、 統計の取り方にも問題があり、必ずしも正確な数字ではなく、やたら人民の不安を煽るだけだ!」という意見を蕩々と述べていて、 その人の意見を一体どういう事かもっと聞きたかったと思ったのだ。しかし、全部聞かなくても良かったかと今は思う。こと地球問題に関しては、 絶対「転ばぬ先の杖」が必要だと思うからだ。いや、私から見て、体感的にも絶対温暖化は進行していると思えるし、 早い話が子供の頃雪だるまして遊んだほど雪が降っていたここ高松にも、サッパリ雪が降らなくなってきている。 30度を超える夏日は滅多になく、30度を超えたといってびっくりしていたのが、この頃では30度どころか毎年最高温度を更新中だ。 これは明らかな温暖化ではないのか?

 どうやらこの対策が政治の駆け引きと大いに関係がありそうだということが見え始めたときテレビのスイッチを切ったのだが、 そんなことだろうと思った。、、、結局は人間の愚かしさをより深く知っただけのことか、、、。

 

 今日は月を見るどころではなかったなあ。

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2008年1月25日 (金)

白い月。

 今日は母を伴って久しぶりに観劇だったが、なかなか良いお芝居だった。タイトルは「セメタリー倶楽部」というもので、 未亡人3人が一人で生きていく上での人生観などを墓場を舞台に繰り広げるというもの。重くなく(今流?)しかし考えさせる場面もあり (おみっちゃん泣く!)見終わった後に、「良い芝居だった」と思わせる何かしら清々しいものだった。

 シェイクスピアの講座で、「人生で最も大切なものは、生まれるときと死ぬときで、 人はその間を悩んだり苦しんだり喜んだりしながら過ごすが、それは大したことではない。」という講師の言葉を思い出した。確かに、 綾小路君麻呂じゃないが「人間の死亡率は100%」だ。そして生きている間、人は色々な目に会う、というか色んな事をする。けど、 それって確かに視点を変えれば、どおってことないものだ。「死」と比べれば何だって、大したこと無いと思える。

 久しぶりに母とパスタとピッツアという外食をして帰宅。溜まっている洗濯物をタタミながら会長からお借りしてるDVD 「素晴らしき哉、人生」という古いアメリカ映画を見た。これが偶然にも人間の生死を描いたもので今日の芝居にかぶり非常に面白かった。

 映画の方は、一人の善なる男性が、大きな負債を抱えて絶望し、 自殺を考えているのを天国の神々が今年のクリスマスに救済する人間として白羽の矢を立てる。が、彼はどうしても自分の人生が不運の連続で、 どんなにより良く生きようと努力しても結果はつまらないものだった、死んだ方がましだと嘆くばかり。そこで天使は彼を「無」にしてしまう。 彼がこの世に生まれても居なかったら、この世が一体どうなっていたかを彼に見せつけるのだ。すると、 彼が存在しなかったために彼の家族や友人の運命が全く狂い、淋しい暮らしをしているのを知る。 そこで彼は初めて自分が生きてきた事の意味を知る、というものだ。最後のクライマックスで、困った彼を助けようと町中の人々が駆けつけ、 なけなしのお金をはたいてでも彼の役に立ちたいと集まってくる、如何にもアメリカ映画らしいハッピーエンドではあったが、考えさせられた。、 、、そうなんだ、みんな生きていることには意味があるんだ。

 

 今宵母と見た月は白かったなあ~。

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2008年1月24日 (木)

赤い月。

 今朝は雪が降り、かなり激しく風も吹いたので岡山行きは無理かと思いきや、フェリーに乗る頃にはすっかり晴れ上がり、 多少時刻に変更があったくらいで本日の予定をキャンセルすることなく往復できた。 病人が出たり介護が必要な人が居たりと頓挫した教室が別のメンバーを入れて復活だ。なごやかに2時間を過ごし、「月1回ではつまらない」 と言う声は聞こえないふりをして乗り場まで送って貰う。実際これ以上は無理。行きのフェリーは寝てたし、ともすればだるいなあとため息だ。 やってる間は楽しいし、だから一生懸命だが、終わったらどっと疲れが出る。これ、会長のここ10年くらい前からの口癖だ。 ようやく私も同じ領域に入ってきたか!?

 高松港に着いたらば即次の予定だ。実は昨日FMのゲストとして参加してくれた高松出身のフルーティストS君だ。 君呼ばわりする仲ではないが、どうみても私の子供達より若いから、そう呼びたくなってしまう。聞き出し上手の会長が相手で、 色々話しているうちに彼自身の事が段々見えてきて、大変好感の持てる情熱的音楽家であることがよく分かった。 なんでも彼の実家は漁業をやっていて、音楽の道に進みたいと言ったときから家族と断絶が続き、 上京してからナント7年間も一度も親とコンタクトを取ったことがないという。一度母親から泣きながら電話がかかったことがあったが、 絶対に自分からかけるまい、何らかの形が出来るまでは、郷里には帰るまい、と固く決心していて、それを守り通したと言うから半端じゃない。 それを知っていたら、昨年の演奏会がもっと楽しめたなあ。あのとき、「誰か指揮を体験してみたい人!?」 とコンサートマスターが客席に声をかけ、舞台に上がった二人の内一人はナント彼の父親だったのだ! モチロン音楽というものには全く無縁の人で、S君は一体どうなるんだろうと内心胸の鼓動が鳴りやまなかったらしい。まあ、 なんとなくその場を収めて客席が大いに湧いたのは私の記憶にもあることだ。 一応郷里に錦を飾る形で演奏会が出来たのでようやく家族と和解したそうだ。

 、、、きっと、あのお父さんにとっても自慢の息子だろう。親にとって、必ずしも言いなりになる子供が可愛いのではない。 刃向かってでも自分の道を貫き通す姿勢は、内心嬉しいものだろう。「可愛い子には旅をさせよ」ということだ。 思わず我が子の事も思い出したが、矢張り男の子と女の子はどこか違うのか。娘は周囲の反対を押し切って上京したが、 泣きながらよく電話をしてきたなあ。「良いよ。もう帰ってきたら?」「つらいんでしょう?とっととお帰り!」と飴もムチも使ったが、一度も 「帰る」とは言わなかった。まあ、その電話が命綱だったんだろう。S君に比べてふぎゃ~にゃあにゃあ! 吾が息子には出来るだけ電話をしないようにしていた。この母親は、むしろS君の立場に我が子を追いやったわけだ。 きっと淋しくてきつくてホームシックになってるだろうと予想しながらも、敢えてほったらかしにしていた。 どこか性格的に弱さがあると判断してのことだ。まあ、今思えばケッコウ残酷な母親だったか。私もその苦しさに耐える若さがあった。

 

 S君を見ていて良いなあ、と思うことの一つに「夢」があるということだ。 そしてそれを一つ一つ自分の足で実現させていく能力も実行力もある。こんな人がちぇちにも必要だ。若くて、実行力があって、 労力をいとわない人。、、、おみっちゃんは体力切れ~。ひたすら彼を見ていて羨ましい~であった。若さだけは取り戻せない。いくら 「年寄りには年寄りにしか出来ないことがある」とわめいても犬の遠吠えに効力は無い。ある部分絶対若さには叶わないのだ。

 彼はそのオーケストラの中で地元に於いては私のちぇちでの役割を担っているようだ。渉外から企画、 ありとあらゆる事に関わり昨年の公演の後、団内でついグチを言ったために大変なことになった、と話してくれる。いやあ、分か~る分か~る! その仕事の大変さは経験しなきゃあ分からないのだ。

 この我々の会話を聞いていた会長がぼそっと、「同病相憐れむだねえ~。」その通り! S君は公演のことが心配で夜も眠れずゴソッと痩せたそうだが、あたしゃ寝てないと翌日動けないので、入眠剤のお世話になっていたせいか、 ゴボッとお肉が付きストレス太りだ。ただいま付いたお肉を返上しようと秘策を練っているが、どうなることやら、、、?

 打ち合わせが一応終わり、帰るときには空に大きな赤い月がぶら下がり、シンとした冬の雨上がりが緩んでいたなあ。

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2008年1月23日 (水)

まだ雨。

 「後ろから来た男に突然、髪の毛をつかまれた空手経験者だった女子中学生が、左肘で男の腹部を突き、振り向くと、 刃物のようなもので髪を切られた。しかし彼女は男の下半身をけり、うずくまった隙に逃げ出しため無事だった。警察署で調べている。」、、、 という頼もしい記事を発見。ケッコウじゃあござんせんか!こうでなくっちゃあ!女は弱々しいとばかり思われちゃあ困るんだ。って、 誰も私を弱々しいとは思っちゃくれないだろうが、実は案外弱いんだこれでも。その証拠に何もしないで肉離れ起こしたくらいだ。 振り向きざま男性の股間を蹴るなんて事した日にゃあ、、、、想像出来にくいか。大体この頃痴漢が多すぎるよなあ。それも、 教職又は要職にある人間とか、余程ストレスが溜まるのか?あたしゃ思わず日々大学の仕事が多すぎるとグチグチ言ってる愚息に言ったもんだ。 「あんた、痴漢だけはおやめ!」すると息子の言うには「そんな元気ない!」おいおい、そう言う問題?

 

 先ほど収録帰りにジムに行ったが、又してもお風呂だけ~。一人で行くせいか、他人の話し声がよく耳に入ってくる。 一人の女性がどうやら旅行好きで、ツアーで良く外国に行くらしい。全く経験がないという別の人にしきりに勧めている。結論は、 「もう元気がなくなったら行けないんだからね。お金には代えられんよ!」、、、確かになあ。 私自身もこのところ既にもう海外へ行きたいという強い願望が無くなりつつあるのを感じている。娘がお母さん今年は何処にする? なんぞと電話してくるが、どうもイマイチ乗り気でない。イタリアの海や町並みが時々ホッと浮かんでは消えるが、 そしてもの凄く懐かしい気分にもなるが、それっと出かける元気がない。公演前は多忙で、公演後は疲れ切っているせいかもしれない。 そういうことにしておこう。

 

 今日はあるソプラノOさんとSさん、それにフルーティストH氏の3人で2本分の収録をしたが、 その内のOさんがしきりにこないだの公演が面白かったとあとの二人に吹聴してくれる。中でも嬉しかったのは「もう一度観たい」 と言ってくれたことだ。そうなんだ、そう思ってくれるんだ、と単純に嬉しかった。ある意味、 関係者の殆どが持てる力を出し切った公演だったかも知れない。だからこそ、その情熱に人は賛美をくれるんだ。 今後何回落語ぺらが出来るか知らないが、今回はみんなの記憶に残るだろう。

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2008年1月21日 (月)

あかん、眠い!

 本日ちぇち練の第一日目。早速そのあと会議で帰宅は例によって深夜。ほんに疲れるわいなあ~。まあしかし、 ワンマンでやっている団体ではないので、何事も会議で決めなくてはならない。しかし、会議ほど疲れるものもない。ただ、 今日のようにやればやっただけの結果が出せる場合は意義を感じる。しかし、ローテーションを組んで、 一回ごとにワンマンで進めるのも面白いかも~と思って皆さんの意見を聞いていた。そうすると無責任な発言は許されないし、 責任もともなってくる。ま、なにはともあれ今日からスタートには違いない。今年も少なくとも3回の舞台がある。

 しかし、世の中みんなホールで何してるんだろう?ことごとくホールが空いてない。11月は全くダメで、 12月にかろうじて1日のみ空いていた。いやはやおやはや。

 

 今夜の練習には殆どの人が参加していたので、先日のオペラ公演の練習と重なって懐かしいものがあった。 今度はこのメンバーで又何か面白いことをやろう!と思いながらの練習時間だった。とりあえずは3/20のミューズホールの曲目が決まり、 それを練習したのだ。

 

 む、ねむっ!

 

 

 

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2008年1月20日 (日)

雪混じりの雨が、、、。

 久しぶりに短歌を詠んだ。締め切り間近はいつものことだが、今回は何かしら落ち着いている。1月飛ばしたためかも知れないが、 ようやく短歌の気分が出てきた感じ。部屋を暖かくして、電気座布団にお尻を当てての作業で眠くなるかと思ったがスムーズに12首詠めた。 何かしら表現したくなる今宵の雨だ。

 

 しかしまあ、世の中には、音楽で表現したいと思っている人が沢山いるもんだ!このところ次から次へと音楽会のご案内だ。 その内の二つには我々も参加するのだが、その為にまたぞろ急がしくなりつつある。この私の「忙しさ」 を今年こそはナントか軽減させようと思う端から「忙しさ」が「多」を連れてやってくる。「多忙」 が重なってたぼたぼたぼになるおみっちゃんの身体だ。グスン。こりゃあやっぱ死ななきゃ治らないのだろう。

 ちなみに今週のスケジュールで手帳に何も書かれてない日は1日だけ。向こう一週間というもの頭と身体を酷使の日々だ。 その一日だって怪しいもんだ。ん?不安だなあ。

 そんな中、本日陶芸に出かけたのは、「癒し」を求めてのことだ。粘土に触るのは何かしら懐かしく癒されるものだ。 懸命に黙々と作品を作る過程がナントも幸せなのだ。しかも、毎回目から鱗の新しい事を教わる楽しさったらない。 今日はマグカップの取ってを作ったが、「自然の引力」を使ってステキなカーブが出来たのには驚いた。師匠はアメリカ人Bさんだが、 このやり方は陶芸作家みんなが使っているものなのかどうなのか?いや~おもろかった。

 Bさんはたまたま会長もご存じの方だが、その方に陶芸を教わり始めたと言ったら、あきれ果てられた。 「そんなことをするヒマがあったら、音楽に集中してくれ!」だって!てへ。予想通りだがここまで来たらもう無理。止められまっせ~ん。だ。 でも、作品を見てくれて、反応は長いことかかったが「ん、まあ良い」と一応誉めてくれたみたい。ふふふ。一生は一度きり。 やり残すことがないよう、遣りたいことはやるのさ!今年もおみっちゃん号は行き先知らずの荒運転だあ!

 

 

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2008年1月19日 (土)

さびっ!

 夕べはやって来た会計さんと最後の書類作成をやり、なんとか一応の完成をみた。3人寄れば文殊の知恵じゃないが、 3人でそれぞれを補ってのことだ。めでたしめでたし。

 めでたくないこともあった。(又だ)現在産休中のEさんがカラリングをして欲しいと昨日電話してきたから、 良いわよ~土曜日はレッスン日だから誰かしら居るから~とちびチャンを連れてくることを想定して快諾しておいた。、、、ところが今日、 幾ら待っても現れない。他の来店客で忙しかったから、それはそれで有り難かったが、どうしたんだろう?と思いながら時間を過ごした。、、、 で、今日が終わろうかという今になって彼女からのメールを開いてみたら、な~んてこと!26日の土曜日と書いてあるじゃあないの!? ということは、昨日の電話は、彼女は最初のメール通り26日のことと思ってかけてきてるのだが、聞いてる私は、てっきり明日、 即ち今日の土曜日のことと思いこんでいたというわけだ。、、、ずれてるなあ~、、、モチ私のこと。

 で、今日はレッスンが15時からあり、先生がお帰りになったのは23時。なんでもお腹を壊しているとかで、欠食中らしく、 誰か食べものを恵んでくれないかなあ~なんぞとつぶやいていたとの情報に、小さなおにぎりをレッスンの合間に差し入れ。 でもって夕食は普通にお召し上がりになり、レッスン後のおぜんざいまでしっかり召し上がった! どう考えてもこれがお腹壊してる人の食事とは思えない。なんだ、食べられるんじゃないの!? 車で来られてない分飲めるとばかり日本酒まで聞こし召して、そこからのレッスンは下で聴いていても興が乗りハッスルしている。 「日本酒を頂いたから声は出ないよ」と宣言してたのがウソのよう。、、全て終わって、みんなと歓談中も上機嫌。、、、ずれてるなあ~。。。 モチ先生のこと。

 

 そんなこんなで今日も日が暮れた。

 

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2008年1月18日 (金)

ドジ夫婦が行く。

 今朝母を病院に連れて行って帰ってくると、家の前に夫が車のエンジンをかけたまま何やら慌ただしそうに出たり入ったりやっている。  どうしたのかと訊くと、自分でゲラゲラ笑いながら事の次第を説明するに、まずは一度家を出たが何か忘れ物をして舞い戻った。 次にそれを持って外に出て家に鍵をかけて上着を着ようとするとどうもキュークツ。よく見てみると、 ナント既に着ているブレザーの上から又もう一枚重ねて着ようとしていたらしい。そりゃあ袖が通るわけ無い。で、 笑いながらその上着を置いて出ると今度は鞄を間違えて関係ないところの物を持って出たところだ、と言うのだ。もう信じられない! と母とさんざん笑って、あの人絶対変!と送り出してからも過去の失敗談に花を咲かせていたもんだ。

 1時半に来店客の予約を受けていたため、急ぎ母と二人で食事を取り、やがてやって来たお客様の施術に入る。シャンプーカット、 パーマのワインディングで半分ほど済んだ頃、2回ほど携帯電話が鳴る。しかし、薬品で手が濡れているため放置。 すると今度は店の方にかかってくる。多分ちぇちの会計さんが書類の作成に来るんだろうと、彼女の声を頭に置いて電話に出た。すると、 「蓮井先生のお宅でしょうか?」と重い声が聞こえる。「ハイ」と答えながら一気に脳内警告灯がチカチカし始めたのを感じる。 「今日はレッスンの日ではないでしょうか?」というその声は、紛れもなくカルチャーセンターの店長さんのお声!「え?あ、ハイ、わっ! きゃっ!どうしましょう!?、、、、」「確か前回のお忘れになった分を今日一緒におやりになるんでしたよねえ」、、、そうなんだ。 こないだも実は忘れていて1回飛ばしてしまって、折角来た生徒さんに帰って貰った経緯があったのだ。そのリベンジに今日2回分をやります、 と宣言してたのを何故かすっかり忘れていて、1時半からというレッスンの時間に予約を入れてしまっていたのだ。電話口で平謝りに謝って、 待って頂くようにお願いして、電話を切ったときは汗びっしょり。続きをやりながらも頭の中で時間のやりくりを必死で巡らせていた。 約束していたもう一つの作業も夜に回してもらう。

 一方頭をいじくられているお客様は私の電話の様子から心配してくれて、「私ならいいですから、 このままで良ければ先に行って下さいよ。」とまで言ってくれるが、まさかそんなわけにはいかない。頭半分ロッドを巻いた状態では、 幾らなんでも酷いだろう。いつもの倍速でドンドン仕上げて、お客様の送り出しもそこそこに家を飛び出し、カルチャーセンターに着いたら、 なんと1時間半遅れ。なんてみんな、優しいのだろう。イヤな顔一つせず、明るく迎えてくれた!モチロン、 そこからはいつもにも増して誠心誠意お尽くし申し上げたのは言うまでもない。ふ~っ!

 何故こんな事が起きたのかと、手帳を見てみるとこの教室のことが一切未記入だった。手帳に書いていても忘れるのに、 書いてないことなんか覚えているはずがない。暮れからのバタバタで手帳のカキコさえも疎かになっているからこんな事になる。やれやれ。

 

 やれやれ、、、、。

 

2008年1月17日 (木)

冬だ冬だ。

 なんか気分が悪いなあ~。別に寒いからではない。原因は色々ある。鼻風邪が完治しないってえのもかなりそのシェアを占めているが、 日々のニュースもケッコウ気分が滅入るものが多い。例えば私が大好きなイタリアはナポリの美しい町が、 今やゴミの山に埋まっているらしいこと。まったく近代的なこの都市型の悩みが、あの町には似つかわしくないのだが、 現実にそうらしいことにはショックを受けた。「ナポリを見て死ね」のあの有名な言葉も今や死語だなあ~。、、って、 これって以前のこの日記に書いたっけ?全然思い出せない。ついさっき、 大阪の友人が確かに電話をくれていたという形跡が携帯に残っていたから電話したのに、「へ?私、してへんで?」と来たもんだ。 いくらなんでも、機械は正直だわ。てなことで、彼女は敢えなくノックアウト。「そう言えば意味もなく電話したわ~」って、それって、 ほんの数時間前の事だよ。記録に寄れば。やばいんと違う?と言うと、「かまへんかまへん。そんなもん可愛いもんや。この頃なあ、、、」 とまあ次から次へともっとやばいお話を、、、、。やれやれ、年は取りたくないもんだあ。

 気分の悪さを助長している物にスケジュールの過密さがある。真っ白で綺麗だった我が手帳が、またまた真っ黒になってきている。 これ全て、自分が遣りたくてしている物ではないという点が、まずい。いや、そうでもないか。自分から発信したものではないが、まあ、 自分も納得してやろうとしているものだから、嫌々という訳でもない。この曖昧な思考の結果生み出されたスケジュールが、 私の喉元を締めつけてくるのだ。、、、生まれついての性格か。

 そして毎日欠かさず報じられる殺人のニュース。人の命を奪うことはその人の人生を奪うことだ。これ以上の悪はないだろう。 その究極の悪が、毎日毎日日常茶飯事の如く報じられるのはに耐え難いものがある。しかも、その理由が全くくだらないものばかりだ。 マクベスほどの野心もなく、理由があったとしてオセロ化した嫉妬の鬼が妻を、恋人を、殺すのだ。とくだんの訳もなく誰でも良いから殺す、 とわめく輩も居る。日本人のココロが荒廃している証ではないか。

 

 こんな最中に、我が悪友達は、「ぐずぐずしとったら又行けんよになるで~。今の内に決めよお!」と私の背中をつっついて、 結局は2月の私の空いてる時間に「カニ」をたらふく食べよう会のツアーに参加することに決定。早速インターネットで検索するのは私だ。まあ、 天橋立は言ったことがないし、雪の積もった風景にも久しくお目にかかってないから、良いかも~。願わくば、雪を見ながら温泉、 そして雪見の酒、な~んてことにならないかなあ~。しかし、 気の置けない友人達と美味しい物を食べにゆっくりと旅をするなんて事は思うだけでわくわくするなあ~。今のところ私以外はKさんと、 Yさんと、Tさんと、大阪からMさん、都合で高知のOさん、内チョーが付く多忙人間は私とKさんだ。 後の人は我々に会わせてくれるというわけだ。以前もこの連中と何回か旅をしたが、ほ~んとに面白い。今まではKさんが運転手の旅だったが、 いつも車内は笑い声で一杯で、多分外から見たら車が揺れてるんじゃないかってえくらい。な、楽しみなことだ。

 

 今日になって届いた賀状には、次のようなことが書かれてあった。昨年の落語ぺら、一段と楽しく拝見致しました。 (私以外の人からチケットを購入してくれたらしい)演奏も素晴らしく、又何よりも皆さんが楽しんでおられるのが伝わってまいりました。、、、 まあ、ここまでは有り難いお言葉に感謝。続いて、蓮井家の年賀状ホントに楽しい見事なことばあそびに、毎年感銘致しております。 この先何年拝見できるでしょうか。私はその為にも生きて行かなくては!、、、むむむ。これには正直驚いた。もしかして体調がお悪いのかしら? とうがった見方もしてしまう。そうでなくても、こんなにも私の賀状を楽しんで下さっている方があるなら、 まだまだ続けなくてはならないだろう。私がこんな賀状を作り出したのも、元はといえばシェイクスピア大先生のお陰だ。 あのだじゃれのオンパレードは日本語の訳詞者も苦心しているところだが、彼の作品にとって無くてはならないものだ。 おそれおおくもこの賀状を、あのシェイクスピア学者で有名なO先生にもお出ししているのだから、厚顔無恥も甚だしい。又、今年の暮れも、 夫にせかされてせっせと考える事だろう。ふ~っ。

 

 

2008年1月16日 (水)

冬が来た。

 昨日は昼夜ともに外食で、昼は女ばかり4人の新年会。夜は11人の男女による新年会。どちらも手の込んだお料理を頂き、 「余は満足じゃあ~!」の気分。でつい調子に乗って生チュー1杯と日本酒3合と仕上げはすだちサワーなるもので〆。朝が心配だったが、 頭痛も無く、天井が揺れることもなく、快適な目覚め。、、、が、未だ鼻風邪は完治せず、グスングスンは続いている。

 誰ぞのようにしつっこい今回の風邪。やっつけてやるぞと、全く久しぶりにジムへと出かけた。しかし、何となく勢いが削がれて、 結局はお風呂と岩盤浴で2時間近く過ごしてジ・エンド。いそいそと帰宅。夫にバカにされながらもビール片手にいくつか用事も済ませる。

 しかし、今年は何かを減らしてゆったりと、、、と思う端から色んな物が次から次へと湧いてきている。もしかしたら、 ここ数年の内で最も多忙な年になるかも知れない予感。ええい、ままよ。人間死ぬときゃ死ぬんだ!、、、と言いつつ、 グチグチの日々が始まる~。あ~あ、年は取りたくないもんだ。若いときには無かったこのグチというイヤな奴。 結局全ては体力が無くなってきているからだ。

 

 今日はまたぞろ捜しもの。もう我ながら呆れて、口惜しいとも思わない。どっかから出てくるだろうと、落ち着いたもんだ。で、 捜し物ついでに整理もする。そのついでにテレビを付ける。すると日本映画専門チャンネルで、「悪い奴ほどよく眠る」ってのをやっていた。 残念。最初から見たかったのに、殆ど終わりかけだった。三船敏郎、香川京子なんて俳優陣だから相当古い。 でもこのフレーズを公開当時日本中が使って、未だに人々の記憶にあるというのは凄いことだ。流石黒澤 明監督作品だけのことはある。 今見ても、充分現代の政界に通じる内容だ。結局人間も、悪も変わらないのだ。

 

 年賀状の整理もようやくほぼ片づいたが、未だに賀状が届く我が家だが、こうなると遅い方が印象に残って良いかな? それにしても今回私宛に来た賀状の内同じ人からの物が数通あったのはおかしかった。多分このおみっちゃんもやってるんだ。笑って許して~。

2008年1月14日 (月)

冬は冬。

 なんで我が家は二階建てなんだ!?って、32年目にぼやく今日。その心は?失せ物が2階から出てきたからだ! メンバーのI君から結婚式で使う写真を探しているからちょっと見せて貰いに寄りたい、というメールが。 丁度その時居合わせたA夫妻は不運だった。ありそうな所をせっせと探すお手伝いをしてくれたのだ。 モチロン1階の我がパソコン辺りの雑多なものがいっぱいある場所だ。が、あるわけ無かった。ただいまシンデレラタイムの今頃になって、 もしやと2階に上がってみてドンピシャリそこにあったという次第。Aご夫妻にスンマッソ~ン!しかも、開けてみれば、 彼に関係した写真はほとんど無く、例えそれを見せたとしても意味がなかった!再びAご夫妻にヒラアヤマリ~!のココロ。

 いや~、昨日だったかのメガネと言い、正月早々ろくな事がない。やっぱ、あのおみくじの「末吉」は当たり~のようだ。グスン。

 

 我が家をレッスン場に提供して、あたしゃシャンソン教室だ。2月の発表会を前にみんな張り切っている。 ちぇちのメンバーでもあるTさんは、肩の力が抜けてリラックスした良い声で歌ってくれた。一つ舞台を経験したから、 その効果もあるかも知れない。なんにしても今年も歌を歌う仲間と時間が共有出来るというのは有り難いことだ。

 

 明日は早朝から免許証の書き換えに出かけなくてはならない。でもって友人達と庵治の方の和食のお店にランチ新年会だ。 夜は夜で短歌の会で新年会。ご馳走責めとはこのことだ。う、夢見るかも~。

 

 外は随分寒くなった。冷たいってかんじだなあ。。。。

 

2008年1月13日 (日)

雨上がり。

 眠い眠いと言ってるうちに一日が終わってしまった今日、その最後の居眠りはとある小劇場の前から2列目という席でのこと。 どうしても目が開かない。隣の母がケッコウ楽しんでる風なのを感じながらついコックリ。しかし、その席は非常に舞台に接近していて、 しかも照明が漏れ当たる場所。正しく至近距離で演じている役者さん達には大いに失礼な観劇態度ではあった。申し訳ないと思いつつ、 どうにもこうにも目が開けられない。たった1時間のお芝居が我慢できなかったというわけだ。

 60歳以上の高齢者集団というこの劇団、前回見たときよりかなりこなれてきている。それぞれのキャラも生かされていて、 無理をしてないのが良い。何がおかしかったって、最前列中央に居た多分5,6歳くらいの女の子が、 最初から最後までコロコロカラカラ時にはアッハッハと大笑いしながら見ていたことだ。余りに大受けで、 役者さんが現実と非現実を行ったり来たりし始めて、その子につられたりしていたのがおかしかった。でもまあ、 こんな年齢の子供にとっておかしいことは、ホントはおかしいんだろう。大人は色んな事を斜めから見るため、 この子のような感動が出てこないのだろう。芝居はこうしてこの子のように純粋に楽しめば良いのだ。

 この日高松の3団体の方々から、こないだの公演行けなくてごめんなさい、と言われたが、 所謂演劇畑の人達から見てもオペラと名が付けば敷居が高いのだろう。ほんとは見て貰って、厳しいご意見を伺いたいものだが、、、。

 家を出たのが少々早すぎたので、芝居の前にサティに寄って買い物を済ませ、そこで私だけマッサージだ。 45分の内目が開いていたのは5分くらい。あとは全然記憶にないのだ。お陰で肩の凝りは劇的に無くなった。、、、にもかかわらず、 未だ眠かったのだ。なんで?

 

 こびりついた疲れからは、そう簡単に解放されないようだ、、、。

 

 

 

2008年1月12日 (土)

雨は必ず止む。

 ワインをふんだんに飲む会にお誘いを受けてちょいと遠くまで出かけて、地元大学の生産の物から始まり、 世界のワインをたっぷり頂いた。なのにあまり酔わなかったのは何故かしら?帰宅してから缶ビールを1本空けたもんなあ~。ま、 それはおご馳走に喉が渇いていただけなんだが、、、。

 

 そこで先日のオペラのDVDをところどころ見ながら、舞台の思い出話に花が咲いた。 全部知ってるつもりが矢張り知らなかったこともあるなあ。袖から見るのと、正面から見るのとではおおいに違う。しかし、 楽しめる記録になっていることだけは確認できた。良かった良かった。

 

 今日は良いことがあった。ここ2,3日探していたメガネが出てきた。こんなとこに置くときっと忘れるんじゃないか? と思ってた通りになったことも思い出した。なんと毎日側を通るウオールポケットの中だったのだ!矢張り自分を過信して、 普段と違うところには置かないことだなあ。絶対忘れる!

 

 今日になってまだ年賀状を出している私。来ている物をゆっくりと読んでいくと、オペラの感想を寄せてくれている人もケッコウ居て、 改めて公演のまあまあの成功を知らされた。となると欲が出て、この人にもあの人にも来て貰えば良かったと、 今更ながらお知らせが行き届いてないことが残念なのだった。次回からは、この辺りをチャンとしなくては、、、。

 チャンとと言えば、本日Yさんから流石の書類を渡されて、なるほど~、と感心。ま、書面通り行けばの話しではあるが、、、。 要するにもっともっと計画的に事を進めよ、という話しだ。それは大変よく分かるが、アバウトな計画表でさえ守れない。 出来て無くても表を埋めていくというのであれば可能だろうが、必ずそうはならないのが現状だ。ましかし、遣ってみる価値は在るだろう。 みんなの意識が高まるという点では効果が期待できる。、、、そんなこんなも含めて、誰か本気で事務局をバトンタッチしてくれないものか、、、 、!?あたしゃサブに回りたいのだ。

 

 さあ、明日は久しぶりに陶芸だ。昨年の処女作は一応全部使っているが、一番良かったのは玄関の部屋に活けてある花器である。 これは十人が十人良いと誉めてくれる。(そんなに大勢に見せてる)少々どうあれ、自分が作ったもので食べる活けるというのは嬉しいものだ。 さあ、今度はドンナ物が出来るかな?

2008年1月11日 (金)

あ~めが、、、ふ~るふ~る~~~。

 どうも風邪が復活し始めているようだ。今まで無かった咳まで出始めた。不思議な物で、収録中は全然そういうことはなく、 2本分がスムーズに?録れたのは一安心だ。

 そもそも今頃になってようやく年賀状のチェックを初めて居るんだから、ずぼらもここまで来ると大したもんだ。しかし、 それだけでもう肩がビンビンに凝ってきた。、、、以前は時間さえあれば何でも出来るのに、と思っていたが今は違う。時間よりも体力だ。 ふ~っ。

 なんか外は大雨になってきた。世の中と、あるいはおみっちゃんの体調と同じで不安定な天候が続く。いや私の場合、 天候の不順が体調を悪くしているのかも知れない。とりあえずだるい。

 

 情けないが眠るとしよう。。。。

2008年1月10日 (木)

じわっと忙しさが、、、、。

 こないだのオペラ公演の後始末にまだ追われている我々一部の人間のことを、他の人は知らないだろう。 打ち上げが終わった後に来る色んな後始末こそが大変だ。僅かでも公的資金を頂くのだからそれも仕方がない作業だ。 私にとってはまだまだ終わらない公演だ。

 今日もドレスを返しに来てくれたAさんが誘った友人達がみんな良かった素晴らしかったと喜んでくれたのがとても嬉しいし、 自分自身も楽しかった、と言ってくれてこちらも気分が少し晴れたなあ。ある大学の先生も今回が一番良かったね、と会長に言ってくれたようだ。 それもこれもみんなが一致協力してやった結果だ。

 面白いのは、私に具体的に舞台の事を話してくれる人が、衣装の色とかで特定してくることだ。「あの赤い服の人ね、 ホントに良い声してたわねえ。艶があって、、、」「青い服の、、、」と言われて迷ったが、どうやらルイジアか。「マンマねえ、、、」 というのがアガタの事だったりゲストの事だったりするのも面白い。この衣装選びからが本当に大変だった。が、 上手く私のイメージにあった物が見つかったのはラッキーだった。

 、、、振り返ると外部からの人達もホントに良くやってくれた。私と関わったばっかりにエライ目にあったと思ってるだろうか? 「新しい事やらせて貰えて楽しかったです。勉強になりました!」と言ってくれる劇団の人達。 こけ枝さんやゲストマンマからも賀状でお礼を言われる。いやいやこちらこそだ。、、、実はまだあんまり振り返りたくない。なので、 DVDも見てない。これは自分が出演してたときと同じ現象だ。まあ、質は違うけどなあ。今回のホントは、観客にしか分からないのだ。 あの日あの場所にいた人にしか、ホントの事は分からない。それが生の舞台の良いところだ。それだからもう少し想像力で遊んでいたいのだ。

 

 それにしても舞台の関係者から「毎回洗練されていくMichikoワールドに、 何とかついていけるようがんばりますのでこれからもよろしくお願いします。」な~んていう傑作なコメントが寄せられて一人大笑いした。 何を言い出すか分からないこのおみっちゃんに、あきれかえって居るんだろうに、、、!こちらこそ色々教えて欲しいところだし、 又セカチューの小道具みたいなおもろいものを提供して欲しいものだ。舞台は奥が深い。、、、って、 今回ほど舞台を深く使った舞台もあんまり無いんじゃないか?ハハハ。やっぱり思い出してしまった。

 

 Piyoさんじゃないが、どっかぼ~っとしていて、浮遊している感じが抜けないのは、疲労もあるが、異次元に行っていたせいだろう。 今朝母を検査の為病院に連れて行ったものの、車を修理に出していて、夫の車で行ったもので時間切れでになり、 会計は今日中に来ますと言い捨てて病院を後にした。かろうじて夫の出かけたい時間に間に合ったが、そこから余りに色んな事があり、 す~っかり忘れていたアチクシ。夜の10時に母からの確認のお電話~。その声を聞くまです~っかりお忘れだった。しか~し、 いくら検査が何でもなかったからとて、そのあとカラオケに行き、帰りに妹の家に寄り大いにだべり、この時間に自転車を押して帰宅、 フト心配になってこの私に電話した!と言う母も母だ。でもって尚も言いつのるのは、「食い逃げなら聞いたことあるけど、 診察逃げなんか聞いたことがない。風が悪い。(体裁が悪いこと)」ということだ。いやあ、わり~わり~とあたしゃゲラゲラゲラ。 明日一番に行くからとようやく電話を切ってからもクスクスおかしい。やっぱ変。

 

 明日は収録だ。鼻声だけどなあ。

 

2008年1月 9日 (水)

晴れ晴れ晴れ

 今朝孫達が帰っていったので、又淋しい老人二人の生活になった。しかし、これはこれで落ち着いていて悪くない。 台風のあとの静けさで落ち着いて食事も出来た。ちびっこの占める面積の大きかったことを思い知らされながら、鍋の豆腐をあっちっちだ。

 娘からお怒りの電話があり、何事かと思うと、賀状が夫と私から2枚届いたというのだ!ありゃりゃ~。でもさあ、 もしかしたら年賀お年玉が当たるかも知れないのに、何も怒るこたあないだろうに。呆け具合が連れ合いに恥ずかしいということらしいが、 そんなことで驚いてたらあんたの親は実際はもっと大変なことになってるんだから、、、と言おうとして止めた。まあ、 まだ夢を持たせておくべえ~。昨日になっても未だ夫が息子に向かって、例の私の子機違い騒動を告げ口し始めて、 流石に息子はあきれかえっていたもんなあ~。これで3回目だ!何が怖いって、毎度初めて告げるかのように言い始めることだ!

 昼間、古くからの若い友人Kさんが尋ねてきて、なんだかだとお喋りしながらお茶をして3時間近く居たなあ。 彼女は離婚後二人の子供をしっかり育てて、今年上の子がとうとう大学生だそうだ。ほ~んとによく頑張ってる。 今現在は老人ホームでお仕事をしているが、聞いてみれば不規則な仕事で結構な重労働だ。中にはベッドで、 出てきた大便を手に取りベッドといわず手刷りといわず辺り構わずなでつける人もいるとか。 よくぞその後始末なんかが出来てるなあと改めて感心した。彼女は手話も達者で、 流れるような手の動きは彼女のオリジナリティの感じられる美しいもので、以前大舞台で見せて貰ったが、素晴らしい技術だ。 一貫して誰かの為になることに関わってきている清々しい人だ。どうしてこういう人が男運が悪いのか、、、、理解不能だ。 たまたま一緒にお茶を飲んだ母もしきりに首をかしげて、あんなに綺麗な優しそうな人だのに、 どうして彼氏が出来ないのかねえ~と独り言を言うほどの女性だ。世の中見る目がない男ばっかり!

 

2008年1月 8日 (火)

洗濯物が良く乾いた日。

 孫べえのお誕生日にかこつけて大人達の会食。それが証拠におめでとうの乾杯も忘れて食事に箸を付けて慌てて乾杯するという一幕が、、 、。まあ、それにしてもすくすくと成長したもんだ。ホントに嫁りんに感謝だ。 あまりになんでもスグ覚えるので難しい言い回しをわざと言ってみたりして全くオモチャだ。ケッサクなのは、父親にくすぐられて 「もっとする~?」と言ったり、宙ぶらりんされて「たのしい?」「もっかいする~?」とされてる側のくせにする側の語尾になることだ。 この文法がいつ正されるんだろう?それはそれで楽しみなことだ。

 この子にとってまだ時間は始まったばかりだ。ここから先は彼女は上り坂であたしゃ下り坂。どの辺で色んなことが一致するんだろう。 案外早くに友達になれそうな気がしている。今朝も家を出て車の中に居る孫べえに近付くと早くも私を見つけておおはしゃぎしている。短い逢瀬 (?)だったが、こんなにも慕わしくなった二人だ。明日の別れが辛くなりそうだ。なあ~。

 

 今年は考えてみると禄でもない年になりそうだ。正月1日からついてないことばかり。例年通り夫の運転する車中でぐっすり眠って、 「着いたよ」の声に半眠り状態で車から降りて、男ども二人の後ろを帽子を押さえながらうつむいて着いていく。ケッコウ風が強い日だったのだ。 どんどん早足になる二人の後を必死で着いていくとナンか変。小学校の運動場だったはずが、コンクリートに変わっている、、、、 と顔を上げると、な~んてこった!ここは便所!しかも男便所!「ぎゃっ!」 と声を挙げる私に何も考えてない男二人が同じ姿勢でこっちを振り向く。「な、なんで言ってくれないのよ~」とわめくと何を勘違いしたのか、 女便所は隣だとあごをしゃくる。「そんなことが分かるくらいならこんなとこに来ないわよ!違う!そんなことは分かってるわよ!」 と訳ワカメの事を大声でわめいている私の横を怪訝そうな顔をしながらよその男どもが次々と入ってくる。ハッと気を取り直して外へ逃げ出すも、 おかしいやら、苦しいやらで、一人でゲラゲラ。フト見ると又ぞろ二人の男はどんどん歩き始めるではないか!ったく。 思いやりが無いったらありゃしない。こっちは4時まで仕事してたんだ。まだ身体が目覚めてないんだ。 起きたら起きたでスグお雑煮だなんだと休まる間がないんだ。少しはいたわるって気が無いもんか!、、、 という呪詛の言葉ももの凄い混雑をかき分けかき分けする中で徐々に薄れていき、たどり着いた社に参拝を済ませ、これ又恒例のおみくじを引く。 が、にゃあ~んと、あたしゃ「末吉」だ。やっぱり。なんかイヤな予感がしたんだよなあ。「凶」でないだけましか~とおまけを見ると「達磨」 だった。何事があっても達磨のように七転び八起きの人生です、とある。やって来た息子は「中吉」夫は「小吉」だというので、「まあ、 みんな大した年じゃないわねえ、だけどねえ私は七転び八起きの達磨だったのよ!何があっても大丈夫!」 と自慢げに小さな金の達磨を見せると待ってましたとばかり夫は「その通り。お母さんの身体が達磨だってこと、 そうそう七転び八起きの達磨~大当たり~」と辺りを憚らない大声でからかうではないか!?ぐやじ~。

 元旦がこれ。、、、、どうなることやら、、、。

 

2008年1月 7日 (月)

雨のち晴れ。

 ようやく人並みに家事が出来るようになってみれば、山のような洗濯物やら炊事やら。。。又病気になって逃避したいわい。

 この病気が治りかけっていうのが好き。だんだん気力が漲ってきて、もう何でも出来ちゃう! 的なエネルギーが身体に漲ってくるこの感じ。、、、しかし、ここで頑張ると又長引くんだということを経験から知っている。

 もう早く寝ようと思いつい溜まった物を片づけるとつい時間がたっちまう。今日は止めようかと思っていたこの日記もつい書いてしまう。

 病院ではアレルギーの薬はもう飲まなくて良いとお墨付きを頂いたし、(当然よ)点滴を打って貰ってようやく出た元気、、、! なんだか暗いトンネルから抜け出たような気分だ。が、前の方にまだトンネルの幻が見えなくもない。現実の物とならないように、寝る!

 明日は孫べえの2歳のお誕生日。とあるところでお祝いだ。間もなく遠くへ行ってしまうからなあ~。

2008年1月 6日 (日)

ぽかぽか陽気の昼間爆睡。

 一体いつからこの日記を書いてないのかと見てみると、3日までは書いていたなあ。 その翌日しゃんそん教室事始めに続きFM収録とあり、孫べえをかこんでの我が家での食事の準備を終えた辺りから急に気分が悪くなってきて、 計ってみると熱も39度近くある。近くの薬局の駐車場まで走って行ったが、もしインフルエンザだったらやばいと、 急遽行き先を病院に切り替える。診て貰った医師から案の定予防接種をしていても半分くらいの人はかかると言われ、 症状からどうやらそれっぽいとも言われ、ともかく点滴だ。ベッドから夫や嫁りんにメールを打ち、急ぎ隔離するように伝えるが、 こんな時しっかりアルコールが入っている男どもは役に立たず、結局は彼女の実家にお迎えに来て頂く羽目に。やれやれ。正月早々これだ。 せっかくの孫達との時間がこれで台無しになってしまった。、、、ともかく疲れている。

 具合が悪くてフンフン言ってる時は気が付かなかったが、ナント飲んでる薬は薬アレルギーの経験があるものだった。 だのに一切その反応が出なかったのは何故か?と思いながらも2回は飲まなかったが明日までが待てず夕食後に又飲んでみた。 明日は改めて診察を受けて別な薬を貰いたいものだ。ショック死に至らないことを願って。

 そう言えば、点滴を受けて夜中に帰宅途中、信号待ちで我が車の前に止まった車のナンバーが、よりによって、44- 44だったのにはおろろいた!しかも、そのあとも・・-44の後ろを走り続けるなど、4に縁がある日で、日頃4=死だなんて、 とバカにしていた割に妙に気になって、もしこれであの世に行ったら悔いは残るか?な~んてことも考えたりしたもんだ。 結論はNothingだ。有り難いことに悔いは無い。

 、、、そうそう、ケッサクだったのは、病院で待っているとき看護士さんが当直の医師に電話をしている声が耳に入り、 「62歳の女性が来ました」と言ってるのを聞いて、すぐにはそれが自分の事だとは思わず、辺りを見回してから、あ、 そうかそれって私のことなんだと理解。いかに日頃自分の年齢を忘れて生きているかがよく分かったし、62歳って、相当な年じゃん!? と今更ながら驚いたもんだ。まあおめでたい話しではある。

 

  面白い年賀状も色々届いているが、まだゆっくり見る暇がない。暇があるときは寝ているし、 返事の形で出すべき人にも出せない状況だ。まあ、起きられるようになっただけ未だましだが。こういう時代になってエコに関するのも多い。

 今宵も又眠るとしよう。

2008年1月 3日 (木)

晴れのち時々パラリ雨。

 オペラが終わって、みんなどんな生活に戻ってるんだろうか。年末年始という慌ただしい時間の中を、 舞台でのことなど時々思い出しながら浮遊して居るんだろう。

 今日は私は短歌の事始めであったが、短歌の入り口当たりをウロウロしているおみっちゃんにとっては、大変有意義な時間でもある。 まずは詠まれた「歌」そのものが身近な人の作品だけに色んな思いを届けてくれる。ちょっと恥ずかしかったが、次の歌を評する時に、 思わず涙が溢れ声が出なくなってしまった。

 水槽の魚よ海の記憶はまだあるか母ありし頃に戻りたき吾    稲本 和子

 

 こういう歌を解説したり、評したりしたくないが、友人に「貴女まだお母さんがいるじゃないの?」と不思議がられたので、 ここに記しておくと、まずは、この作者が水槽の魚を見ている姿がじんと来る。自らをその無力な小さな魚に置き換えているかのようで、 得も言われぬ孤独感が読む私を襲う。いずれその魚のように全ての懐かしいものから断絶され淋しく生きて淋しく死ぬのが、 おそらくは人間の定めなんだろう。作者もそれは充分分かっているが、時に弱い心に満たされるときもあるだろう。あるけれど、 この魚のようにただ大人しく黙って水の中をゆらゆら泳ぐことしか出来ないのが現実だ。「孤独」 という名のこの恐ろしい水槽の中に沈んでいく作者を想うとき、私の琴線が震えたのだ。たしかに、 この感銘は作者が最近まで母上との二人暮らしだったという背景を知っていたからでもある。しかし、「よ」と「か」 は使いたいが使うと陳腐になり、感情的になりすぎて上手く行かないのを、さらりと使っていて、その点でも感心したのだ。、、、 というような勉強も出来る会なのだ。

 でまあ、昼食後から5時間近く頭と心の体操をして、急ぎ帰宅、孫べえも一緒の食事会をしようと20件ほど電話するも全部アウト! どこもかしこも満杯の大盛況で、こりゃあ待つのが嫌いな我が亭主の為に一足早く並ぶしかないと、目的のお店に駆けつける。 案の定1時間待ちだと言われるが、他で待つのも同じなので、そこで辛抱。上手い具合にカウンターが空いていたので、 早いのが一番とやって来た家族でそこを占領。約1時間の食事は無事終了。孫べえは良くなつき、私からお茶碗1杯のご飯を食べ、 ケッコウあれこれ食べる。驚いたのは「枝豆」をまあ上手に食べること!指でぷちっと押しては豆を出し、 およそ20個ほどを一つも落とさず全部食べたのには全く呆れた!これがつい最近まで、ミルクがメインで、 離乳食をスプーンでちびちびだったのかと思うと信じられない成長だ。何が嬉しいって、何かと言えば「みっちゃんと、、、、する。 みっちゃんと、、、、へ行く。」とくっついてくることだ。まあ、テレビ電話の効果絶大な物があるなあ。殆ど離れていて会えないのだが、 こんなに親近感を持ってくれているとは!

 自分自身は母方の祖母に一度しか抱いて貰ってないそうだから、 まあ私は長生きしていてひょっとしたら孫の記憶にも留まるかも知れない。有り難いことだ。

 

 つばを飲み込むと喉が痛い状態が続いているし、何か食べると口中の至る所をカミカミしてしまうが、これ全て疲労が原因だろう。 じわっと、去年からの疲れが出てきているなあ~。

2008年1月 2日 (水)

眠いの極地。

 もしかしたら腱鞘炎か?と疑うほどの指の付けの痛みだが、たかが賀状書いたくらいではそこまではならないだろう。 それも昔ならいざ知らず相当部分パソコンだ。、、とはいえ、250枚一言入れるのもケッコウ大変だ。これで不足分は又買うことになる。 いやあ、賀状地獄だなあ。「贈り物だと思う」というキャッチフレーズが利いたのか売り上げが相当伸びたそうだ。しかしなあ、 短期間でやっちゃわないとイケナイのがどうもねえ~、って、別に早くから遣っておけば短期間で遣る必要もないわけだ。が、 今回は特に出来なかった。本日ようやく在る程度カタがついたのはめでたい。

 夕べお泊まりだった孫べえは朝から上機嫌で、ちっとも困らない子だ。驚いたのは、半年前にまだ言葉がおぼつかない時だったが、 我が家の近くの塀の上にいる黒猫の存在を教えたのをしっかり覚えていて、「猫タンとこ行く」を繰り返すのだ。生憎そこには居なかったが、 その塀を越えたところが今は綺麗に整地されちゃったが、その時は少しばかりの野菜とチョウチョが居て、この子が生まれて初めて「チョウチョ」 と接触した訳だが、それを覚えているのだ。

 最初が肝心だなあ。今が大事な所だ。

 

 明日は短歌の歌会。しばし脳を活動させてくれる有り難い時間となる、、、ハズ。

2008年1月 1日 (火)

みぞれ雪。

 夕べ大晦日の大掃除最後に気付いた最悪の難物、台所のエアコンをひっぺがしてやりかけたときに、 友人Yが尋ねてきておめでとうと言うので、ああ、もう年が明けたのかと初めて分かったほどに熱中していた。で、 その友人はお喋りして帰りかけたが、私の様子を見て「今年最後のご奉仕するか!」と言いながら一緒にやってくれた。 孤独に黙々とやっていたが、Yさんの出現でにわかに元気が出て完了まで楽しく出来たのは有り難かった。 持つべき物は一人暮らしの気の良い友人だ。

 それでも最後に表のガラスに筆で「年賀」を書いて張り出したら午前4時。既に新聞も配達されている。 シンとした家の中をぱちぱちと灯りを消すと、遂に今年が終わったの思いが強く迫ってきた。

 

 で、翌日の今日、元旦は流石に起きられなくて朝昼兼用のお雑煮は10時だ。そのあと与田寺へ行き、帰りに実家へ寄り、 正月をお祝いして帰宅したが、そのまま我が家にお泊まりのちびっ子としばらく遊ぶ。何をやっても可愛くて、これはかなりやばい状況。  

 

 年賀状も沢山届いているが、全部に目を通す時間がない。自分だってまだ書けてさえいないんだから。、、、しかももう眠い。 ちっとやあそっとで書けるような量でない。あしたこそ!

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