ブルーな気持ち。
ストレスって何だろう?多分心の平安を乱されると起きるものか?人は多分、 誰でも瀬戸内海の凪のように静かで波のない心を持っていたいと願っている。風のない琵琶湖のような心、それは至福の時かも知れない。しかし、 だからこそその水面に荒々しく石が投げられたり嵐によって大波が立つと、不安と焦燥にかられ何とかせねば、元の平穏に戻さねば!と心が動く。 少々の波ならば、それは覚悟の上の人生だが、思いがけない大きさだったりすると、心という器は壊れそうになり、それ即ちストレスとなる。 てことか。
加齢とともに、心の平和を望む気持ちが強くなり、些細なこともストレスと感じるようになってきた、と感じる。 自分の力でなんとか解決できれば良いが、それが難しいときはかなり落ち込む。アルコールなんかではなんともならないのだ。
一つの団体を維持し続けることの大変さ。20年になるこの団体の初めから関わり、多くの人の出入りを眺めてきた。 それぞれ出て行くには理由があった。モチロン。転勤が一番多いだろう。進学もある。 それ以外の理由は人間が人間であるが故の哀しさかもしれない。
「音楽好き」「歌好き」この指た~かれ!と始めて、ず~っとこのかた、それを唱え続けてきた訳だ。 集まってきた人達は多いときも少ないときもあったが、ず~っとファミリーだと思ってきた。これからもその思いに変わりはないだろう。 私は自分に余り母性があるとは思ってなかったが、ことちぇちぃりぁに関してはかなりあるんじゃないかと思っている。「音楽が、歌が好き」 という以外の共通項が無い面々が、一カ所に集まり、懸命に精進している様を、私はいとおしく思うのだ。もし、 この会に関わらなければ一生会うこともなかっただろう人々が、お互いに自分の力を出し合い協力し、より良い団体へと作っていく姿は、人間の 「えにし」というものを感じずには居られない。
だからこそ、誰かが出て行くという寂しさを人一倍感じるのだろう。そして、その理由が納得出来ない場合、尚更に身体に応えるのだ。
家族の中でも、分かり合えないことは多々ある訳で、当然の事かも知れないが、例えば栄養価が高く、 本人のためだとばかり思って一生懸命に料理して出してた食事が、実は本人の好きな物ではなくて、かなり我慢して食べていた、 というようなことが起きる。思ったことを何でも口に出せる性格の人でない場合、それは逆効果だったのだろう。 そこに気が付かなかった親が悪い、てことか。
あ~あ、ブルーだなあ。