« 今日は接骨院。 | トップページ | 明日は岡山だ。 »

2007年11月20日 (火)

会議は踊らない。

 あ~、疲れた!練習とは別の意味で疲れる。会議とは、疲れるものと相場が決まっていて、メンバーの内、 大学の先生という職業の方々が、連日会議で「疲れた~」を連発するのをみても分かろうというものだ。何故疲れるんだろうと考えてみると、 矢張り相手をおもんばかって、言いたいことの全部が言えないからだろう。これを言うと相手が傷つくとか、 そこまでは言わない方が良いだろうとかいう、計算が必要になってくる。で、計算が苦手なアチクシは言いたいことがあって、 ムズムズしちゃうんだよなあ~。でも言えない。これがワンマンで何もかも一人で決めて、出来るように持って行く、 というのならその方がきっと楽だろう。きっと、それは全員が同じなんだ。自分の思うように持って行けたら一番楽なんだ。しかし、 世の中民主主義だ。多数決だ。ていうか、測りながら最大公約数を出していくしかない。この作業は疲れる。

 オペラの製作というのは、一大事業みたいな物で、しかもその事業は一切の収益を生み出さない。恐ろしいエネルギーを注ぎ込んで、 一切の見返りもない。あるのは観客の反応だけだ。それも必ずしも良い反応ばかりではない。それは当然だろう。てこともよく分かっている。 にもかかわらず、日がな一日オペラオペラオペラだ!家族からは白い目で見られ、あっちこっちにぺこぺこし、身体の酷使に精神の酷使。 一円にもならないばかりか、持ち出しである。広告は取って来なきゃならないし、チケットも売ってこなきゃあならない。会う人毎に「オペラ」 の宣伝。人の顔を見たら、「すいません、ポスター貼らせてもらえませんか?」 「チケットは如何ですか?」「この日お忙しいですか?」 「どなたか行ける人知りませんか?」と本番までの毎日言わない日はない。 そして今回のようにどっぷりと演出なんぞという孤独な世界に入り込んでの参加は、いやが上にも疲労感が蓄積される。、、、だのに、 これでも一応仕事もしてるし、家事もしてるんだ。今日もようやく少し楽になってきた足をいたわりながら、レッスン室のお掃除に夕食の準備、 会議の準備にと、夕方からだけでも追われっぱなし。、、、私、一体何やってんの?って、吾と我が身に問いかけるも、 このおみっちゃんという呆れたいかれぽんち(そう言えば長いことフルーツポンチ作ってないなあ)は、「それが運命じゃん!?」とのたまう! 運命ねえ~。そうかも知れないなあ~。

 人生は全て出会いであろう。どのような神のいたずらか知らないが、私はオペラに出会ってしまった。それ以前から音楽は大好きで、 童謡唱歌は勿論、ポップや演歌も歌い、人前でも随分と歌ってはいた。しかし、オペラに出会ってから、それらは全て私の中では「音楽」 で無くなった。唯一、シャンソンだけは私の音楽の世界に残ったが。

 考えてみると、これってもしかして幸せなこと?きっとこれから先そんなに永く生きないだろうから、 その終焉の時までに大好きなものに巡り会えてるってことは、幸せなことなのか?、、、そして、幸せは、 苦労無しでは手に入らないってえことか。

 このオペラ団体は、発足してでも来年で20年になる。その前から歌ってるわけで、これはかなりしつこい趣味だ。 同じだけやっているものは他にはない。ということはやっぱり性に合ってるのか。確かに、身体を使って歌を歌うという快感は、 他の何とも比較が出来ないものだ。まあ、会長先生のような域までは行ってないのは分かっているが、 それでも思うように歌えたときの快感は少ないけれど確かにある。

 出会いと言えば、パリで偶然会った名古屋のお嬢さんが、私の「オペラの勧め」を素直に聞いてくれて、 ナントDVDオペラ全集全10巻を買い込んで、今第6巻のアイーダにはまっています、という葉書をくれたなあ~。 「パリでの出会いで新しい世界が広がりました。有り難うございました。」とある。そうなんだ。 こんな風にオペラは人を惹きつける何かを持っている。それは勿論声が一番だろうが、そのドラマ性にも理由があるだろう。 声とドラマが一致したとき、それを観ていた人は、その上に自分の人生を重ねているのかもしれない。多分それは、 人間の根本から出てくるものに共鳴し感動するんだろうなあ。

 人生はオペラ、オペラは人生。

« 今日は接骨院。 | トップページ | 明日は岡山だ。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 会議は踊らない。:

« 今日は接骨院。 | トップページ | 明日は岡山だ。 »