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2007年11月 6日 (火)

しょぼ降る雨。

 夕べは夫が焼酎の湯割りを飲めと持ってきてくれて、まあ断るのも悪いかと飲んでみたが、 これがずっとお疲れ状態の我が肉体にメチャクチャ効いて、この日記を付ける間もなく睡魔に襲われた。しかもぐっすり眠れて、 8時間近く眠った勘定になる。感覚では眠りというよりは死んでたみたい。死んだように眠り、朝、蘇ったと言うわけだ。

 常連のお客様からの電話で起こされたのだから、我ながら呆れる。予約を午後にして貰い、 不自由な身体であれこれ整えてその方をお迎えしたが、どうも食欲がない。アトでと思い昼食せずに仕事をしたら、 FMの時間になっていて友人Tに急遽送って貰う。帰りはこれ又別の友人Yが迎えに来てくれて、 夫の帰りが遅いことを良いことに○○食堂で二人して夕飯だ。そこでようやくまともな食事が取れたが、足が悪いだけなのに、 何故か胃がおかしい。別にいつもと違う薬を飲んでいるわけでもない。不思議なことだ。全身的な疲労から来る物か、はたまた、 精神的なストレスからか。夫に言わせると「人間バランスが崩れると色んなところがおかしくなるもんだ」バランスは崩れっぱなしだ。 松葉杖無しで歩く時は、まるで空中遊泳の感じだからなあ~。

 Yさんは我が家まで送ってくれて溜まっていた洗い物までやってくれた。ありがたやありがたや。 人の親切という薬で治っていく感じだなあ。ホントに恵まれている。子供達は遠くても、助けてくれる友人が沢山いて、 これならホントの老人になっても孤独からは救われそうだ。一昨日だったかの深夜放送で、「一人暮らし」 について年配のドクターが講義をしていたが、なかなか面白かった。「人間は生まれる時も死ぬときも一人。生きているときも一人ですよ。 貴方は貴方、他の誰とも違う一人の人間です。一人っきりです。その事実を見なくっちゃあいけません。、、、、、家族が大勢居ても、 その中での孤独があります。むしろ一人暮らしでも大勢のお友達が居る人は孤独ではないでしょう。、、、、」 そんな話しを聞きながら眠った覚えがあるなあ。私にはいっぱい友人がいると、思いながら、、、。

 

 FMのお相手はたまたま娘の同級生でピアニストのSさんだった。兼ねてからその力量を娘から聞かされていたが、 彼女のライブ版を聴いて成る程、と感心した。単にピアノのテクニックが上手というだけでなく、 そのピアノをベースに絵とか文学にかなりの感性を持っている。それ故の豊かさが彼女の演奏には感じられる。 高松にもホントに良い人材が沢山居るもんだ。それにしても昨今珍しく控えめな人で、そこまで自分を過小評価しなくても、、、 と言いたくなるほどだった。海外で1年間ピアノの教師をやったという経歴の持ち主で、そのギャップが又面白い。今日も楽しい収録だった。

 それにしてもピアニストは努力家が多いなあ。というか、努力しなきゃあしょうがない世界なんだろう。 我らがオペラの常任ピアニストを見ても、そこまでやるかという努力家である。自分なりにその理由について考えてみたが、 今日のピアニストも言うように、ピアノを弾く上で一番難しいのは、「如何に歌うか」であろうし、楽器には「言葉がない」 のに言葉を感じなくてはならない訳だ。その点歌には最初から原語といえども「言葉」が付いている分、理解しやすいし表現もそうかも知れない。 、、、やっぱり歌で良かった。

 

 オペラの練習はいよいよ佳境に入ってきた。口惜しいのはこの身体が言うことを聞かないために、手取り足取り伝達できないことだ。 口だけであれこれ言ってもなかなか伝わらない。こうしてああして、と実際に動いてみないと理解が出来ないものなのに、 一切それが出来ないというこのストレス。「そうじゃない、こうなのよ」とやってるときに2度目の「ぶちぶちっ」が来て、この有様だったのだ。 迂闊には動けない。

 一つの動きをやるのにいくつもの方法があるが、全体の中でのその箇所は、作品の全体を観ている人にしか分からないものだ。 それを示したいが出来ないという情けなさ。この足が治るまでじっと我慢の子だ。大勢が動くときにはこちらにもそれ相応のエネルギーが要る。 この私自身がともすれば萎えそうになる気力を奮い立たせているのが現状では、みんなの方も持てる力の全ては出せないだろう。、、、 忍耐の時期か。

 

 

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