« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

2007年11月30日 (金)

ガラガラ声で動く。

 怒濤のような今年の最終月が予想されて、息がつまりそうだ。今夜の練習は12/2のクリスマスコンサートの練習で、 会長の代わりにその練習をお休みして、ある県が主催のパーティに参加した。まあ居るわ居るわ、、知り合いばかり。 あっちにぺこぺここっちにぺこり。旧交を暖めた人も居て、行って良かったとも言えるが、疲れたわい。

 しかし、勿論ただでは帰らない私のこと、色んな人に名刺代わりにチラシを配る。中には、 うちに持ってきてくれれば皆さんに配りますよ、と親切に言ってくれる人も、、。又、マスコミのかたにも勇気を持って近付き、 しっかりチラシを見せて宣伝する。何らかの効果はある手応え。ある方は「このチラシはあるところで見ましたが、 その日は県外なんですよねえ~」と残念そうに言ってくれる。なんでもこのチラシはとてもインパクトがあり、みんなの記憶に残っているらしい。 気難しそうなお偉いさんでも、みんな相好を崩して寄ってきてくれる。しかし、矢張り私が表だと思っているらしく、ニヤニヤしているので、 一々訂正していたが、最後はもうめんどくさくなって否定するのも止めてしまった。いやはやいやはや、、、。

 正直言って、5000円の会費にしては、ちょいとムムムであった。私が食べたものは、生野菜少々とピザ一切れと、パスタ数本、 トマト煮の牛肉1片、マグロのなんたら親指ほど。柿一切れにパイン2きれ、オレンジ一切れであとは運転してるからウーロン茶ばかり。 メチャダイエット食だ。同じテーブルの人達だってそれと大差無い。それって高くない? まあアルコールを飲む人の分を出してあげた様なものかも~。、、てえことは、いつもあたしゃ飲む人だから、 飲まない人はこんな風なもの足りなさを感じているってことか!人は体験しないと分からないもんだ。

 しかし、ここでも健康の話しばかりだ。自分の話題を提供するのに事欠かないこの頃のおみっちゃんは、話題の中心に居たというわけだ。 やれやれ。

 そんななかでも偶然同じテーブルになった人が、話していく内に高校の先輩だと言うことなど分かり、急に親近感が湧いたため、 ナントか無理してでも行くわ、と言ってくれたのは収穫だった。そんなものだ。 知らないとなかなかわざわざ足を運ぼうという気にならないものだ。

 昼間は、KさんのFM人気番組にちぇちのメンバーと3人で生出演。あたしゃ、パーソナリティは慣れてきてるが、 ゲストというのは緊張する人なんだなあ、これが。どんなこと喋ったか言うべき事全部言えたのかどうか、記憶にないくらいだ。やれやれ。

 しかし、ミキサーの男性が以前のFM局で私の担当者だった人で、ちょっと懐かしく言葉を交わせたのも良かった。 みんなそれぞれの人生を歩んで居るなあ。

 

 その後、夕方のパーティまでの間は母親孝行で観劇だった。前進座は、如何にも日本の芝居だなあ。計算され尽くした動きは無駄がない。 それにしても舞台装置に随分お金をかけている。全く羨ましいことだ。だから、瞬時に舞台を転換するなんて事も軽々と出来てしまう。 芝居は適度の緊張感が漂っていないと面白くない。だらだらした空気が流れるとそれだけで観客はあくびをする。テンポテンポテンポだ。 素早い舞台転換と着替えの早変わりによって、流れが切れないのは見事だった。ほぼ満員の観客も一様に満足げだった。、、、しか~し、 携帯が鳴った!それもかなり長く!、、、私の行くところ、誰かがやるなあ~。アナウンスでも言ってたんだけどなあ~。

 

 最後の練習では、一応歌ったが、発声練習もせず、喉が痛いマンマでは、歌えるはずもなく、明日に持ち越し。、、、、ふ~っ。

 

2007年11月28日 (水)

雨ぱらり、のち曇り。

 昨日し残したマッサージを、今日は1時間半もやって貰ったが、どうも声の調子がイマイチだ。 夜の練習時に発声練習をみんなと一緒にしてみたが、油断すると声が割れてしまう。帰宅後に友人から電話があって、いきなり「何?その声!」 ときた。やっぱりねえ。マッサージ師の人も「一体何をしてこんなに肩を凝らしてるんですか?」と感心してくれる程だ。 声に出てもまあしゃあないなあ~。困ったときの薬頼みで、薬局に飛びこんで、「肩こりセット」なんぞというドリンク剤を買ってきた。 今飲んでみたが、即効性があるらしく身体が浮いてきたなあ~。

 

 練習は、細部に入ってきて、ようやく練習らしくなってきたか。しかし、 まだまだこれから穴ぼこを埋める作業をして行かなくてはならない。それにしても練習してきた効果が徐々に現れてきて、 みんなの身に付いてきた感じだ。

 さあ、良い夢をみるとしようか。

2007年11月27日 (火)

ケンビキ風邪って、方言だよなあ~。

 あたしゃ、どうやらケンビキ風邪だ。肩が異様に凝り、喉が痛いなあ~。で、接骨院で丁寧なマッサージを受けているときに、 I会長から確認のお電話が。「今日はTさんのレッスンだったよね?」は、はい~ん?そ、そうでしたっけえ~?「やっぱり!電話して良かった! 」と言われてしまい、急遽、マッサージを途中にして急ぎ帰宅。10分後には会長御とうちゃ~く!やれやれ。手帳に書いてないことは、 完全に抜けている。

 

 公演前は何かが起きる、が通説となった感のある我が市民オペラちぇちぃりぁで、毎度のことだが、 ここまで来たらもう矢でも鉄砲でも持ってこい!の気分になる時期だ。実際、余程のことがない限り、舞台というのは止めるわけにはいかない。 例えが悪いがお産と同じで、お腹に入った赤ちゃんを、もう生めないからと引き返す訳にはいかないのと似ている。もし強硬に止めるとなると、 それは罪悪なのだ。、、、どうぞちゃんと、今回も産み落とすことが出来ますように!と祈りたい気持ちだ。

 

 今日も元メンバーにバッタリお会いして、「必ず行きますから、頑張って下さい」と言って貰った。そして、 あたしゃまだしつこくポスターを持ち歩き、帰りに寄ったうどん屋さんに貼って貰った。こないだは接骨院にも貼って貰ったし、 気が付いたところは全部頼んでいる。中には、会社の上司に聞いてみないと、、、とやんわりお断りされることもあるが、 だめもとで兎に角頼み込んでいる。まだ少しあるんだけどなあ~。どっかに貼らせて貰えないかなあ?手元にこんなのがあると落ち着かない、 というか、気持ちが悪い。とっとと吐きたいのだが、、、。

 友人が又チケット貰いに行くよ、と優しい電話。いやあ、持つべきものは同窓生だ。しっかり、お正月の約束もさせられたが~。 行きますとも、何処へでも!てなもんだ。

 何もかもが、追い込みだ!

2007年11月25日 (日)

ぽっかぽか陽気の日中。

 夕食を一人で食べているとき、何気なくチャンネルを回すとケーブルテレビでクリスチャンの映画をやっていた。 ストーリーは単純で殆ど、キリスト教布教活動の為の物のようだったが、思わず最後まで見てしまった。 14歳の少年が植物人間になってしまった母親の蘇生を願い「奇跡」を起こすことを決心する。通っている神学校の教師が、つい使った「奇跡」 という言葉に少年が真剣に向かい始め、誰にもとめられなくなる。ボストンマラソンに優勝すればその奇跡は起こると信じた少年が、 血の滲むような努力をして誰もがバカバカしいと相手にしなかった、強豪ばかりが出場するレースに出る。そして、 人々の見守る中で遂に最後のランナーとして前年の優勝者と並んで走るが、タッチの差で破れてしまい、彼の奇跡への道はそこで切れてしまう。 落ち込む彼だったが、それまで冷たかった学友始め、神父、校長、母親の病院関係の人々などが、全員彼の「奇跡」を求めた真摯な姿に打たれ、 大きな拍手で彼を迎える。それはある奇跡でもあった。、、、その歓びの中で、彼の母親も目覚める、、、というハッピーエンド! 映画としてはイマイチだったが、「強さ」とは何かを教えて、好もしいものだった。「結果を恐れずに、何かに真剣に向かうこと」これこそ、 今の私たちに必要な名言だった。、、、これしかない。

 

 朝は、お仕事で多忙なKさんの為にドレスの直しを手伝い、そのままクリスマスの曲打ち合わせ。それが終わったら、 今度は小道具のチェックだ。衣装部屋に数人が集まり、懸命に作業をしている。なんとか形が整ったようだ。 明日の通し稽古に向けて一応の準備は完成か。本業の予約があって急ぎ帰宅してそれをやっつけ、幾つか原稿を打って、、、、、正直、 そこまでで疲れ切っていたが、約束していたので、母を買い物にと連れ出す。流石に不安そうな母であったが、 その内慣れてきて私の足については何もいわなくなった。送り届けて帰宅するも、しばらく歩くのが辛く、椅子に腰掛けてぼ~っと、 「スパイダゲーム」を打つ。しかし空腹の方が勝ち、ようやく夕食の準備だ。 本日は夫には手抜きで刺身盛り合わせと鯖の塩焼きとサラダとナメコ汁。私は昨日の余り物の里芋の煮物、鯖塩焼き、冷や奴など。 今日はバタバタしていて、結局はブランチを食べただけで9時の夕食は元気が出ないのだ。元気と言えば、 友人がユンケルやらにゅうめんやらを送ってくれて、ウッ、泣ける!身体が軽くなったような気がするのは気のせいか?有り難いなあ~。

 さっき娘と話していておもろかったのは、娘の芝居仲間で「かんじゅく座」 という60歳以上の役者を揃えてお芝居してる人が居るんだそうだ。まあ高松にも同じようなのがあるし、2,3日前は「親父バンド」 がNHKで特集を組まれていた。要するにおばさんとおじさんが元気だということだ。そういえばちぇちの平均年齢っていくつなんだろう、、、?

2007年11月24日 (土)

昨日から美しい満月。

 いったい何日日記を書いてないのかと思いきや、なんだ、たった二日じゃん!?まあ、この二日間、例によってチョーの付く多忙さで、 何日分にも感じてたから、あれからとても時間が経った様な気になっていただけなのだ。

 岡山からマリンで帰り、タクシーで我が家に帰り着いたら午前さま。幾つかのメールを片づけて、 この日はほろ酔い気分でとろ~りあの世へ。前日の睡眠不足を取り戻す。そして昨日は、短歌のメンバーと楽しい夕食会だ。

 岡山では大判振る舞いのボージョレヌーヴォーをしっかり堪能させて頂いて、昨日はもっぱら焼酎だ。 岡山でちょいと寒いところでの作業が続き、すっかり喉をやられて居た私に、プリマから「アルコールは控えめに」 との優しいアドバイスのメールが来ていたので~、アルコールの種類は1種類に「控えた」おみっちゃんであった。、、、喋る声は、 今持ってガラガラ。ちぇちの練習で発声をやったら、不思議とそれは声が出たので、まあ、クリスマスコンサートまでにはナントかなるだろう。 多分。

 今年の、O大学M医学部長のプロデューサーになる岡山の演奏会はちょいとマニアックな演奏会であった。オールロシアもので、 殆ど知らない曲ばかり。しかし、彼女が新国立歌劇場こけら落としで歌った「エフゲニー・オネーギン」などは懐かしかったし、知らない曲をも、 言葉の壁を感じさせない歌唱力は流石であった。1曲だけイタリア語で歌ったのだが、まるで声が変わったのには驚いた。 イタリア語そのものが音楽だという、I会長の言葉を実感した瞬間だった。このところピアニストの演奏を聴く機会が多く、 ピアノに関する耳年増になってきている自分に気付く。それ故か、この日の男性ピアニストの伴奏は、伴奏には聞こえず、 もの凄く主張していると感じられた。「競演」の妙だ。その為に生まれる心地よい緊張に酔いしれたものだ。 このコンビをM氏が企画したというのも素晴らしい。

 昨年に続き医学と音楽を同じ土俵に上げて観客に訴えたのは、発想も面白いし、その効果もかなりのものだ。全てが終わった後に、 帰る道々人々の脳裏に浮かぶであろうテーマは紛れもなく医学と音楽なのだ。我々高松組7名ほどは同じマリンで近い席だったが、 矢張りその両方が話題になったものだ。特に今回は「少子化」に医学がどう関わるかというお話で、これはみんな興味深く聞いていたなあ。 実際医学界では「生まれない」というカップルの救済がドンドン進んでいるようだ。内のお嬢に聞かせたかったわい。

 

 昨日ははるばる雪の秋田から暖かい国のミカンを、、、と、短歌の会のミカン狩りにお仲間が一人で来られたというので、 急遽都合の付く人や、付かないながら「食べなきゃ損」と思った人など7名が、某料亭に集まった。あたしゃ早速ここでも商売だ。 お陰様でオペラに来て下さる方が何人か。ありがたやありがたや、、、、。

 このお店は久しぶりだったが、オーナーの気遣いがあって充実した内容の、おもてなしに相応しい料理だった。 みっちゃん的にはかなり美味しかったと思ったが、他の人はどうだろう?又近いうちに行こうかなっ!

 特筆すべきは帰宅してから短歌12首を製作し、プリントアウトし、封筒に入れ、チャンと今朝初めての運転で、郵便局へ投函したのだ! 今回は出すのを止めようかと思ったら、その料亭でT様にそれは絶対ダメ!と一喝されて思い直しての事だ。またぞろ数合わせの駄作だが、 それでも出すのが良いと言われ、素直に行動。師よ、やっぱり貴女は強かった!

 

 今夜はソリスト達の特別練習日。しかし、肝心の主役が居なくて、穴ぼこだらけの練習となる。その上、 手違いで会場を早々に引き上げざるを得なくなり、まあ、お疲れのアチクシには有り難かったが~ムムム。

 ソリスト達はやればやっただけ上手くなるし、やるべきところが次々と発見されたりするから、どんな時間も無駄には出来ない。 こうした地道な練習の積み重ねが大切だ。カウントダウン、誰かしてるのか?まだ出すべき原稿が出来てないなあ~。 

 

2007年11月21日 (水)

明日は岡山だ。

 とうとう公演まで残すはあと1ヶ月になってしまった。今更、この期に及んで、「忘れた」とか、「出来ない」とか、 弱音を吐かないでやって欲しいものだ。繰り返し覚える、出来るまで詰めてやる、、、、これしか解決の方法はない。

 今日の練習は、それぞれに伸びているところがあるし、努力の跡も、思考の跡も見えるんだが、 上手く表現に繋がっている人とそうでない人に開きがある。ビスクローマは素晴らしい。今、時々チャンと入れないのは、 真剣にその役を演じようとしているからで、本番までには完璧にやるだろうと思わせる。こういう人には、ダメを出しても出し甲斐がある。

 今、考えるべき事は、後ろを振り返ることではない。「あの人との合わせが回数が少なかったから、、、、」とか、 「あとから楽譜の言葉を変えたから、、、」とか、出来ないことの言い訳は、言いたいだろうが言わないことだ。 そんな風に自分の気持ちを許すと、これから先も自分に甘くなってしまう。

 そして、あとは自信を持つことだ。必ず出来ると信じることだ。勿論自分の力が最大だが、 演出やヴォイトレ練習ピアノなど周辺の人の助けもあり、成功へ成功へと道は続くのだ。、、、と信じて欲しい。もしかしたら、この「自信」 が最大の武器かも知れない。しかし、この武器は、チョットしたことで泥の武器に早変わりする。丁寧に、用心深く扱わないと、 ぽきっと折れてしまうだろう。折れたらどうなるか、、、。声は出ないし、音程ははずれる、堅くなって動けなくなる、、、、これ全て、 おみっちゃんの経験だ。

 出来れば全員に、しっかりとこの自信を持って欲しい。ああ、それには練習しかないのだ!これからは少しでもやった人の勝ちだ。

 

 こないだのピアノリサイタルの日本人のTさんから丁寧なお礼の電話がある。ここまで出来たのは全て私のお陰だとまで言ってくれる。 有り難いが、それはそうじゃない。私がほんの少しアドバイスしたことを、ホントに完璧にやりおおした彼女の、 素直な心と実行力が生んだ結果だ。その証拠に、同じ事を私は当然ながら我がちぇちぃりぁに伝授しているが、果たして、 本番同じような集客が出来るかどうか、、、はなはだ怪しい。彼女はたった一人でそれをやってのけた。 その彼女の情熱に開演前から長蛇の列が続いたのだ。人は、その種類が様々あるにしろ情熱でのみ動かされるのである。

 

 明日は、岡山でプリマドンナのリサイタルの陰アナだ。「迷ったらGOよ!」という名言を吐いて、 ひたすらプリマの道を走り続けているKさんのものだ。さあ、少し元気を貰ってくるか。

2007年11月20日 (火)

会議は踊らない。

 あ~、疲れた!練習とは別の意味で疲れる。会議とは、疲れるものと相場が決まっていて、メンバーの内、 大学の先生という職業の方々が、連日会議で「疲れた~」を連発するのをみても分かろうというものだ。何故疲れるんだろうと考えてみると、 矢張り相手をおもんばかって、言いたいことの全部が言えないからだろう。これを言うと相手が傷つくとか、 そこまでは言わない方が良いだろうとかいう、計算が必要になってくる。で、計算が苦手なアチクシは言いたいことがあって、 ムズムズしちゃうんだよなあ~。でも言えない。これがワンマンで何もかも一人で決めて、出来るように持って行く、 というのならその方がきっと楽だろう。きっと、それは全員が同じなんだ。自分の思うように持って行けたら一番楽なんだ。しかし、 世の中民主主義だ。多数決だ。ていうか、測りながら最大公約数を出していくしかない。この作業は疲れる。

 オペラの製作というのは、一大事業みたいな物で、しかもその事業は一切の収益を生み出さない。恐ろしいエネルギーを注ぎ込んで、 一切の見返りもない。あるのは観客の反応だけだ。それも必ずしも良い反応ばかりではない。それは当然だろう。てこともよく分かっている。 にもかかわらず、日がな一日オペラオペラオペラだ!家族からは白い目で見られ、あっちこっちにぺこぺこし、身体の酷使に精神の酷使。 一円にもならないばかりか、持ち出しである。広告は取って来なきゃならないし、チケットも売ってこなきゃあならない。会う人毎に「オペラ」 の宣伝。人の顔を見たら、「すいません、ポスター貼らせてもらえませんか?」 「チケットは如何ですか?」「この日お忙しいですか?」 「どなたか行ける人知りませんか?」と本番までの毎日言わない日はない。 そして今回のようにどっぷりと演出なんぞという孤独な世界に入り込んでの参加は、いやが上にも疲労感が蓄積される。、、、だのに、 これでも一応仕事もしてるし、家事もしてるんだ。今日もようやく少し楽になってきた足をいたわりながら、レッスン室のお掃除に夕食の準備、 会議の準備にと、夕方からだけでも追われっぱなし。、、、私、一体何やってんの?って、吾と我が身に問いかけるも、 このおみっちゃんという呆れたいかれぽんち(そう言えば長いことフルーツポンチ作ってないなあ)は、「それが運命じゃん!?」とのたまう! 運命ねえ~。そうかも知れないなあ~。

 人生は全て出会いであろう。どのような神のいたずらか知らないが、私はオペラに出会ってしまった。それ以前から音楽は大好きで、 童謡唱歌は勿論、ポップや演歌も歌い、人前でも随分と歌ってはいた。しかし、オペラに出会ってから、それらは全て私の中では「音楽」 で無くなった。唯一、シャンソンだけは私の音楽の世界に残ったが。

 考えてみると、これってもしかして幸せなこと?きっとこれから先そんなに永く生きないだろうから、 その終焉の時までに大好きなものに巡り会えてるってことは、幸せなことなのか?、、、そして、幸せは、 苦労無しでは手に入らないってえことか。

 このオペラ団体は、発足してでも来年で20年になる。その前から歌ってるわけで、これはかなりしつこい趣味だ。 同じだけやっているものは他にはない。ということはやっぱり性に合ってるのか。確かに、身体を使って歌を歌うという快感は、 他の何とも比較が出来ないものだ。まあ、会長先生のような域までは行ってないのは分かっているが、 それでも思うように歌えたときの快感は少ないけれど確かにある。

 出会いと言えば、パリで偶然会った名古屋のお嬢さんが、私の「オペラの勧め」を素直に聞いてくれて、 ナントDVDオペラ全集全10巻を買い込んで、今第6巻のアイーダにはまっています、という葉書をくれたなあ~。 「パリでの出会いで新しい世界が広がりました。有り難うございました。」とある。そうなんだ。 こんな風にオペラは人を惹きつける何かを持っている。それは勿論声が一番だろうが、そのドラマ性にも理由があるだろう。 声とドラマが一致したとき、それを観ていた人は、その上に自分の人生を重ねているのかもしれない。多分それは、 人間の根本から出てくるものに共鳴し感動するんだろうなあ。

 人生はオペラ、オペラは人生。

2007年11月19日 (月)

今日は接骨院。

 演奏会が一つ終わった。といっても自分のではない。なので、余計疲れたとも言える。 終演後お役ご免になったので同じビルの7階でのちぇちの練習に参加するも、全然元気が出ない。幸い、会長のお出ましもあり、 クリスマスの準備もしいのと、みんな自立した練習をやっていてくれて、幾つか質問を受けたり、指示したりはあったものの、 私は殆ど椅子のお守りに徹することが出来た。

 5時前にこのビルに入り、終演までの4時間ちょいは、色んな事があってただ陰アナを読めば良いというものでもなかったのである。 すっかり、主催者側に立って気配りというか、実際お手伝いの方に気を付けなくてはいけないことをお教えしたり、 何かとお仕事をしていたというわけだ。ひとえにこの公演の成功を願うが故の行動であった。

 しかし、集客は予想通り、いや予想以上と言うべきか、満席の上に通路にも舞台上にも沢山の椅子を出しての公演となった。 終演後ロビーに出ると、観客の中には今回の女性ピアニストを応援する人達の顔も見え、お互いに我が事のように成功を喜び合ったものだ。全て、 彼女の情熱がもたらした結果だ。

 顔見知りの舞台さんが段々興奮状態になり、まあそれでも、客にストップを出さないで兎に角全員に椅子を出してくれたのを見ていて、 私は思わず言ったもんだ。「あの~Mさん、私たちの時も舞台に椅子を置かせて下さいね~。」と。「ええ~っ!?それはないでしょ!? オペラですよねえ?道具さんが困りますよねえ~。泣きますよ、きっと!」と言うのに、「だって、 キャッツだってちゃんと舞台に客席作ってたし、サントリーホールは最初からこんな形だし、、、」と反論。さあ、 そんな議論が我々の本番で交わされるほど、観客が動員できれば良いのだが、、、。は~っ。

 それはともかく、本日の演奏会は中身の濃い素晴らしいものになったようだ。ようだ、というのは、客席には遂に一度も顔を出せず、 ず~っと、寒い袖で待機していたので、チャンとした音が聴けてないのだ。勿論エッセンスは充分伝わったが、、、。そこまで届く芳醇な音色は、 想像力をかき立てたし、良い音楽のもたらす全てを包括する空気は厚いドアーを隔てていても私を包み込んだが、、、。 これを客席で聴きたかったなあ~。まあ、友人から報告を聞くのも楽しみだ。今回は、この演奏会を心から応援していたので、 私なりの目的は達した訳だ。

 79歳の男性ピアニストは、袖ではとても優しくて、私と短い挨拶を交わすときもにこやかな笑顔だった。そのお顔の裏には、 厳しさが隠されていたのだろうが。来年80歳を記念して又演奏会をするとの頼もしい締めの言葉だった。こういう人を見てると元気が出る、筈、 、、、側で調律のGさんが「まだまだあと7,8年は僕も行けますかねえ~」としみじみ述懐していたのがおかしかった。

 

 80歳ねえ。。。。接骨院なんか行ってる場合じゃなかった。ガンバロウ!!

2007年11月18日 (日)

瀬戸内海に小波が立っていた。

 相変わらず送り迎えして頂きながら、あくまで予定をこなすが、流石に今日は1個だけ。その1個とは、 グロッケン先生がティンパニーを担当している交響楽団の演奏会であった。夫に送って貰ったために、時間よりも2時間以上早く着き、 瀬戸内海が見えるレストランでコーヒーだ。ケッコウ人が入っていて、コーヒーだけが気が引けたが時間つぶしをさせてもらった。風が強く、 海は波が立ち、晴れてはいたが冬景色といった感じだった。

 「北欧の、、」と銘打ってシベリウスとグリークに絞っての演奏会は熱演と工夫の特盛りで楽しかった。 久しぶりにグロッケンせんせいの雄姿を拝見したが、真剣な表情はいつものにこやかなお顔とは全然違って、 当然ながらりりしくてもう根っからの演奏家であった。あの沢山の棒は何のためかまたお聞きしたいものだ。もしや汗をかくからか? それとも当たりがそれぞれ違うから?、、、偶然にも私が座った場所は、2階席の一番前で、先生のまっすぐ前だった。 多分舞台からは私は見えなかったと思うが、いやあ、なかなか堪能させて貰った(何を?)

 今日の一番お目当ては「グリークのピアノ協奏曲」であったが、最初からピアノにおっとっとの場面があったものの、 聞き慣れた音楽に浸り気持ちが良かった。気持ちが良すぎてちょいと一瞬眠った様な気がしないでもないが、、、。 ピアノというのは不思議な楽器だ。弾く人によって色も量も全部が違うんだ。

 指揮者はH氏で二期会のオペラに賛助出演したときに振ってくれた方だったが、相変わらずスマートで、 長身を豊かに巡らせながらダンディな振り方をしていたなあ。あのオペラの時に、楽団を指導してどんどん音楽を作っていく様子を見ていて、 指揮者の仕事というものを目の当たりに見せて貰ったが今回もきっとそうだったんだろう、と思わせた。それぞれの力の入り方が凄かった。 一部管楽器にムムム、、、というところもあったが、以前よりは良かったと思うし、 全体のパッションとメリハリが観客を音楽の世界に引っ張り込んだ。それに矢張り北欧の音楽の素晴らしさもあった。、、、 この交響楽団の演奏会が以前より観客が少ないのは、ご時世だろうか?座席が無いくらいの時もあるんだけどなあ~。 (何処へ行っても入りを見てしまうなあ~)

 

 ところで、今朝ワイドショーかな?のコメンテーターが、メディアで初めて私と同じ意見の人がいて次のように話していたのを聞いて、 その通り!と膝を打った。もっとも他にも同じ意見の人は居るのかも知れないが、私が余りテレビを見ないから知らないだけかも。 その女性は言う。「人間は人という動物の基本的な能力をどんどん無くしている。昔はこの食べものが食べられるかどうか?なんてこと、 目と鼻と舌でチャンと判断できていたのだ。それを、人様の作った画一的な数字でしか判断できないのはおかしいではないか?」と。 昨今のニュースをにぎわしている表示偽装の問題の本質を考えるとき、これを考えないといけないのではないか?ということだ。まあ、 ここまで来てしまった表示基準を全て無くしてしまう事には不安があるが、今でも私は自分の判断で処理していることが多々ある。 ところが娘がたまに帰省して冷蔵庫を見てはドンドン捨ててしまうので、そこでいざこざが起きることがある。昔昔、 戦後の物の無い時代を経験している私にとってみれば、少々大丈夫という自信があるから、そんな経験のない娘と衝突してしまうのだ。しかし、 奇妙なことに、我が母親も、娘と同調するんだなあ、これが。まあ、母の価値観は殆どの人と同じでバブル期に大部分捨ててしまったんだろうが、 、。私に言わせれば例えば牛乳は賞味期限が過ぎていても味が変わっていなければ熱を通して使えるし、 豆腐なんて物も賞味期限に関係なく使えるんだ。腐敗したら臭いや色、味が変化して分かるんだし、表示はかなりの安全圏だと知っている。まあ、 それでも出来るだけ新鮮な物を使用するようには心がけているが、やたら捨ててしまうという風潮には同感しかねる。

 それと同様に論じられていたのが、「便利になって、無くした物がたくさんある。」ということだ。例えば、 列車が速くなって窓が開けられない。汽車の窓から外の空気を吸うこともなく、 駅弁をドキドキしながら窓から身を乗り出して買うこともなくなった。まあ、この番組は他にも多々あるこの手のことを話し合っていたのだが、 こんなのそれが当たり前の若い人が聞いても何の感情も湧かないだろうなあ、と悲観的な思いで聞いていたものだ。

 時代は変わる。

 

 

2007年11月17日 (土)

ああ、あと1ヶ月!

 昼間のぽかぽか天気でようやく少し元気が出て、あっちこっちと掃除が出来た。勿論足を引きずりながらで、 充分ではないが少しでも片づくと気持ちが良いもんだ。

 そういえば、先日お掃除で年収億のおばちゃんがテレビに出ていたが、あの人ほどは好きではないから半日もやればひたすら疲れてる。 しかしあのおばちゃんは面白かったなあ。億のお金が入ってくる気持ちはどんなものですか?って、 例によってつまらない質問をする女子インタビュアーに「お金?そんなもん、通帳の上を行ったり来たりしてるだけの、ただの数字でしょ!? 私には関係ないわ」いやあ、すかっとしてたなあ~。そういえばもう一人スカッとしたおばさんが、いやちょっと高齢のお婆さんだったか、 88歳の米寿の記念に10億の寄付をしたというから桁が違う。これ又何故現金ですか?という質問に、「そりゃああ~た、 現金の方がありがたみがよく分かるでしょ!?」その通りだ。市役所だったかのお役人もこんな大金見たこと無いと、しきりに感動していた。 これが小切手では、そんな感慨も湧かないだろうし、ありがたみもないだろう。

 面白かったのは、そのお婆ちゃんがどうやってお金を貯めたかの一例に、水の無駄遣いをしないことなどひたすら倹約を挙げていたが、 最後に、それではこれからも節約して貯金されるんですか?との質問には流石に苦笑い。「いいえ、貯金はもうしません」ハハハ。 おつうの織物を何度も要求するよひょうみたいな記者の質問だった。

 

 昨日のFM収録の時に、流石に1時間半オペラの事に集中していると、色んな角度からオペラへの思いが鮮明になってきたのも事実。 なかなかに面白いオペラになったんじゃないかなあ?という自画自賛の想いも湧いてきたりして、、、。一方で、 今回は何もかもが実験的舞台であることにも想いが行く。

 作品が珍しいこともあるが、昼夜二回公演をダブルキャストでやるのは初めて。 初めて舞台でソロを歌う人が何人も居るというのもかなりの冒険だ。そのソリスト達を助ける為にコーラスはかなりの活躍を要求されている。 今までのコーラスとはかなり違う。男性の女装をここまで徹底的にやるのも初めてだ。そして彼らが、 いや彼女らが大まじめでダンスをやるというのも、最初で最後になるかもしれない。まあ、他にも色々な実験が盛り込まれている今回の舞台、、、 、♪コノオペ~ラコノオペ~ラ、ほ、ん、と、に、で、き、る、の!?♪

2007年11月16日 (金)

疲れた。

 FM3本録りを敢行。流石に疲れた。矢張り体調がおかしいと舌まで回らなくなる。 余程録りなおそうかと思ったくらいへどもどした場面もあったが、もうもう録りなおす元気が湧かなかった!ま、いっか。一瞬のことだ、 と吾と我が身を納得させて進めたが、後味の悪さは格別な物がある。「無理はするな」の教えを守らなかったせいだ。ふ~っ。

 一つには、この自分の性格から来るあとすざりする気持ちが原因だ。他人のことを宣伝するのは大得意。が、 自分のことととなると何となく気が引けている。で、しっかり喋らなくっちゃあと思っていると、余計おかしくなってしまう。 上手く歌おうとして失敗するのに似ているか。虚心坦懐、自然に進めると上手く行く。やれやれ。

 その前はホールの打ち合わせに出かけ、約2時間ああでもないこうでもないとやって、現場も見て、さあ、 これからFMという段になって音源が無いことに気付く。仕方なく付き合ってくれたHM姉妹は私を最後まで見捨てることなく面倒見てくれた。 お陰で問題なく収録にこぎ着けることも出来て、一つの大仕事が終わった感じだ。

 実はその前はシャンソン教室でそこへ行くにはベイビィを連れたSちゃんが迎えに来てくれたんだ。一緒にうどん棒でお昼を食べたが、 私がベイビィを抱っこしている間に彼女はさも美味しそうに食べている。そうなんだ、この時期、自分の食事が疎かになるもんだ。 落ち着いて食事したいと、私も思っていたなあ~。でも、若くて大変で必死だったけど良い時期だった。 我が娘にもあの味を味わって欲しいんだが、、、、。上手く行かないもんだ。

 

 さあ、ちょいとおみ足をいたわるためにお風呂に入って早めに休もう。短歌は明日だなあ。

2007年11月15日 (木)

終わったあ~!

 ようやくギブスが取れて、ホッとしたがどうもまだ頼りないなあ。サポートでフラフラ歩いていると、これはこれで気が抜けない。 最も苦手な言葉「慎重に」を念頭に毎日暮らさなくてはならないだろう。ふ~っ。

 しかしこうなってみると、結局はギブスのお陰で傷以上の痛みを抱えていたというのが分かる。空中遊泳も必要なくなった。「普通」 って、こんなにも有り難いのだ。

 この数週間の事を考えると人間の身体って、無駄なところは全然無い。小指の爪さえ無くなったら色んな物が持てないほどだ。 ということを考えると、五体不自由な人達に対する同情の気持ちを禁じ得ない。みんな必死で生きているのだ。

 

 さて、外見は「普通」でも、心のねじ曲がった人のナント多いことか。今テレビがやかましく報じているのは、 M氏の証人喚問で出てきた二人の政治家の名前だ。何故、参議院で出てくるのか?そして何故、 それがあっさりと国のトップによって否定されるのか?宣誓までして話す内容に対しての反応としては、すこぶる怪しいではないか? どこもかしこも腐っている。世の中に「詐称」「偽称」「詐欺」「欺瞞」が横行しているのも当たり前だ。

 先日の月からの「地球の出」の映像が泣くんじゃない?青い地球が美しい姿で昇ってくる様は、 その中に住む心貧しい人々までは映さないからなあ~。

 

 明日はいよいよ本番に向けて舞台の構造を調べたり、出来ること出来ないことのチェックだ。まだハッキリしないこの足の為もあって、 HM姉妹にも一緒に行って貰うことに。「慎重に」を忘れないよう、頑張るとしよう。

 

 

2007年11月14日 (水)

軽くドジふんじゃったあ!

 余り動くなと言われ半日パソコンで作業していると、事務職の人の苦労が忍ばれるなあ。知らず知らず肩に力が入り、目にも負担が、、、 。まあ、何事もそれだけやってると、弊害が出てくるってもんだ。お陰であたしゃ日々、余りにも異分野のことに携わっているので、 まあナントか持っているのだろう。

 朝、いきなりやってしまった!どうしても9時過ぎでないと病院に送れないという夫に落として貰って院内に入ったは良いが、 受付の前に大きく張り紙が!「受付終了」えっ?まだ9時過ぎだのに、これは一体?と怪しんでいると受付嬢が「スイマセン、 もう受付は終わりました」と言うではないか。「はいいい~?でもお、今日来るようにと聞いてたんですが~、、、。」 と尚もいぶかしげな私の様子に、名前を覚えていてくれた受付嬢がカルテを出し、婦長さんに訊いてくれる。 やおら向き直り彼女の口から出た言葉は、がび~~~ん!「あのお、水曜日を避けて来て下さいとお話ししたそうですが、、、。」そ、 そうだった!水曜日は他の先生が来る日だから避けて欲しいと言われていた!ぎょっ、はじゅかし~。と、 とっとと帰りかけると折角来たのだからと思ってくれたのかどうか、必要書類を出してくれて、記入して持ってきて下さいと言われる。 実はこれサポーターの返金制度の為の物で4千円ほどのお金が返って来るという物。まあ、そりゃあ持ってきますけどねえ。 そこにあんまり長居をしたくなかった訳で、、、ま、しゃあないから椅子にかけて夫に例しに電話して見るも案の定出ないばかりか、 実際返事がかえってきたのは夕方だ!何の役にも立たない電話。まあ義妹が迎えに来てくれて結局は助かったが。

 そもそも何で何が何でも今日かと言うに、夕べからどうも足が妙なのだ。半分になって楽にはなったが、それで歩きすぎているのか? お風呂に久々にたっぷり入ったのが良くなかったのか?、、、色々考えてもらちがあかないので、 私にしちゃあ珍しく急いで病院へ行ったという訳だ。たまにこういうことすると、こういうドジをやらかす。、、、しかし不思議な病院だ。 あんなに混んでたという事は、今日の医師は人気があるに違いない。てええことは、ムムム。、、、これも運命か。

 

 夕方からの練習はソリスト中心で、みんなようやく色んな事が身に付いてきた感じだ。しかし、何事もやればやるほど難しくなる。 上っ面を撫でている間はむしろ優しい。ちょっと中に入って、深く考えると際限の無い考察が生まれてくる。こないだまでこれで良かったはずが、 今日動いてみるとどうもぎくしゃくして感じる。こないだはナントも思わなかった相手の動きが妙に気になる。、、、ようやく、 始まったということだ。あと10回の練習で、全てを終わらせなくてはならない。今までのウオーミングアップが、 このスタートラインからダッシュして一気に本番まで持って行かなくてはいけない。さあ、みんなの気力体力がここから試される。 勿論この私もだ。最後の最後はぶっ倒れても、やるしかない。舞台とはそういうものだ。

2007年11月13日 (火)

昼ぽかぽか、夜ぶるぶる。

 本日来店客から何タラ言うタレントで食べても食べても太らない女の子が居ると言う話しを聞いた。その人の家族中、 内臓の出来具合が普通の人と違うらしい。そんな人もいるんだなあ~。てなこと思い出しながら、本日も送って頂いたジンギスカンに、 もの凄い量の野菜を入れて粉チーズをふりかけ、ものすご~く美味しいものをた~っぷり食べた、ってえことは、 この情報の及ぼす効果は被害甚大であった!私的に。ゲップ!

 

 情報とはこの様によろしくない結果をもたらす物もあるわけで、なんでもかでも情報があれば良いというものでもないだろう。 例えば殺人の連鎖反応なんかもその良い例だ。、、、しかしまあ、毎日毎日よくもこれだけ殺人事件が起きるもんだ。聞く方の頭も麻痺してきて、 あんまり驚かなくなってきた。 

 しかし、一方で、知らなくてはいけないこと、知らないままでは、いけないことも多々ある。例えそれが見るに堪えない暗黒の世界でも、 その現実を知ることで改善していこうという気運も生まれるだろう。

 例えば昨今の世の中のトップクラスと言われる人々の、腐敗と汚濁にまみれた生き方も、 この国に育つ若者に良い影響をもたらすとは考えにくい。しかしこれは情報により、事実の解明と、処理の仕方を見守る事が大切だ。

 

 今回のオペラ公演を、みんな一つの情報として周辺の人にお知らせしているだろうか? 過去の例では自分がこのオペラに関わっているということを内緒にしていると言う人が少人数ながら居たのには驚いたものだ。 知って貰わなくては来て貰えるはずもない。一度きりの人生を、他人様に内緒で何かやっているというのは寂しいではないか。どう思われようと、 胸を張って生きていきたいものだ。そうしていると、きっと周辺の中には良き理解者が現れ、応援者も出てくるというものだ。

 

 それにしても、あと10回ほどの練習で本番がやってくる。信じられないが、、、。

 

2007年11月12日 (月)

一難去って、、、、

 いや、別に去ったわけではないが、まあナントか公演も峠を越したかな?というこの時になって、 次回の公演のプランニングをどうしても検討する会議が必要になってきた。多分よその団体では当たり前の事なんだが、 我らがちぇちぃりぁは平行して二つの事を考えたことがない、というか、目の前の公演の事でいつもあっぷあっぷしていて、 次回を平行してはとても考えられないというのが現状だった。小さな事ならいざ知らず、オペラ公演ともなると、半端な事じゃあ出来ないからだ。 さあ、果たして今度の重役会議で、次回のことが何処まで話し合えるか、、、、。重役って、重い役って書くんだなあ、、、 そういえば重い人が多いかも~ハイ勿論アチクシ始め、あの人とこの人のことでやんす。って、 T先生はまるでご自分の方がスマートだと思いこまれているような節があるが、今回のオペラでは私のドレスをお召しになるんだし~、 どうやらそれがキチキチできゅう~くつそうだし~。一枚は明らかに合わないから幅を拡げたんだと言うことで、認識を新にしてくれたかなあ?

 

 今朝は早くから整形病院に連れてってもらい、念願のギブスを外す所まで行ったのだが、ナント後ろ側半分は未だ必要とのことで、 半ギブスとなって、あんまり変化無し。むしろ頼りなくなって、危険な気がするくらいだ。 それにしても看護婦さんからこっぴどく叱られてしまったなあ~。「なに?これ!? ギブスが壊れてるじゃない?ええ~っ!? こんなにヒビが入って!もう~動きすぎがバレバレ!!」と矢継ぎ早にまくし立てられる。エ?アノ。ハイ、スイマセン、、、、 と最後は蚊の鳴くような声になる。「何のための松葉杖ですか?」と言われ、「一応使ってたんですけど、、、、」 と弱々しく反論して見るも全く無視されて、彼女は黙々と新しい半ギブスの作成中である。 やがてドクターがやって来て今度はサポーターを合わせるという。ところが丁度良い具合の物が無く、かなり長い時間先生も迷って、 結局は本人の強い要望でゆるゆるのサポーターを履かせて貰って帰ったが、今宵の練習から帰宅後も心配したようなむくみがなく、 ゆるゆるはゆるゆるのままで、こりゃあ、やっぱりドクターの意見を聞いた方が良かったのか?と後悔が湧く。ああ、めんどくさ~。

 

 てなことで、不自由なまんまで練習に参加したが、何をやっても、みんな段々と様になってきているのを見ると、 気分が少しずつ楽になってくる。昨日は東京から写真家の方がボランティアで写真を撮りに来て下さるというお話を、 電話で直接ご本人から聞かせて頂いて申し訳ないやら有り難いやら、、、写真というのは撮る人によって随分と違うからなあ~。 どんな写真が出来上がるか今から楽しみではある。特に今日あたりやったところは一体どんな風になるんだろうか、、、、!期待に胸が膨らむ、、 、って膨らんでるのは私じゃなかった!フフフ。

 

 夏に剣山に登った人達がカウボーイハットと饅頭を手みやげに徳島からやって来てくれて、ランチをご一緒したが、 まあ気の良い人達ばかりだ。歌が好き、山が好き、人間が好き、というめっぽう明るい人達に、元気のタネを貰ったような気がする。

 

「音楽は、人と人をつなぐなあ」

2007年11月11日 (日)

炊き込みご飯が美味しくなった。

 もしかしたら明日はギブスから開放されるか?期待でわくわくするが、万一ダメな場合も心の底には準備している自分がいる。 患部よりも先っぽの境目の痛みに悩まされているが、これって変じゃないの?って、明日はチャンと医師にそう告げて、 ナントか逃れたいという下心もある。たかが右下肢が固定されたからって、贅沢なことを言ってると、我ながら思うが、今という時期が悪い。 早くしっかり動けるようにならないと、という気持ちのストレスが食欲を衰えさせて、少々、ほんの少々スリムになってきた。 一食抜いても何ともない。激しく動いてないからだが~。

 

 以前から思うことだが、演奏会のたんびにホールの使用に関してその不便さにイヤになる。 もっと使う人の立場になって物事を決めることは出来ないのか?市民のため、というキャッチフレーズが泣くんじゃないの?と言いたくなる。 まあそれでも少しずつ良い方向には行ってるのかもしれないが、、、。

 その犠牲の一つの例が練習会場を借りる、変更する場合の煩雑な作業を一手に引きうけてくれているHさん姉妹だ。 備品一つ借りるにも現場に行き、変更届をする必要があるし、一度借りると申し込んだ会場を変更するのはこれまた大変。何のためにIDを創り、 個人が識別できるようなシステムまで作っているのか分からない。今日も今日とてあの姉妹は出かけてくれて、 連日の変更や追加の作業を不平一つ言わずにやってくれる。なかなか出来ないことだ。

 一つの団体は、こういう風にみんなの力で動いている。

2007年11月10日 (土)

2歩前進、1歩後退、、、。

 今の時期だから良いといえば良いのかも知れないが、 指揮者が来ているときに体調不良で複数の人がお休みしているというのは悲しい物がある。今日来ていた人達も他人事ではない。 うがいと手洗いに励んで頂きたいもの。しかし、いろんなものを抱えてやっている事で、 それぞれにイッパイイッパイになっているのも充分理解できる。やれチケットだ広告だ、パンフ原稿に衣装小道具、広報だ演技指導だ暗譜だ、、、 etc。まあ、それにしては今夜も笑顔と笑いがあったのは救いといえばそうなんだが~。

 舞台には「魔物」が住んでいるとは、舞台人によく使われる言葉だ。120%練習して自分のなかでは「完璧」 と自信を持って舞台に臨んでも、思いもかけないところで失敗する。 普段絶対間違えないところをミスしてしまう。ましてや、 日頃の練習時に怪しいところは、顔がこわばり、身体が硬直し、たださえ出来ないところがますますおかしくなる、、、、 これ全て自分自身で経験してきている。

 そして歌うということは、これらの症状を増幅させる作用を持っている。ただの芝居とも違う、ただのダンスやステージングとも違う、 観客に向かっていくという行為は、余程しっかりと自分を持っていないと、観客の雰囲気に飲まれてしまう。

 今日のような外部からの指揮者が入っているだけで、その先生が日頃から見て貰っている人であっても、緊張から妙なことになっている。 それは、「ええかっこ」を見せたいと思い、「上手く歌いたい」と思うからであって、要するに自分の歌に集中できてないのだ。一に「集中」 二に「集中」三四が無くて五に「集中」だ。

 

 しかし、段々舞台での空間を自分たちの空間として楽しんでいる人達も出てきている。特に今日の「掃除の合唱」 のアルトさん達は良かったなあ。彼女たちは毎回このシーンを楽しんでいるのがレベルアップしてきている。余程掃除が好きなんだろうか? ハハハ。

 ソリスト達がもう少し情熱家になって欲しい物だ。今日一番萎縮していたのは彼らだろうか。ソロというのは過酷なものだ。 なんといっても観客は「ソリスト」として注目し、「ソリスト」に相応しいかどうかの判断をしながら聴いている。 全てが終わって帰るときに人々が口にするのは大概、「今日のあのソリストは凄かった!」とか、「あのソリストはひどかったねえ、 あれで良くソロが歌えてるねえ~」という批判なのだ。そうでなくては又オペラの値打ちがないとも言える。オペラは「団体で演じるもの」 であって、しかも「個人」の力量で価値が決まるものなのだ。

 

 今日は全体を通したのだが、矢張りこういう練習がこれからはどんどん必要になってくる。ということは、 細かいことが疎かになりがちで、これも見落とさないようにしなくてはならない。、、、さあ、時間が足りるか?

 

 今日も練習帰りにばったり舞台の担当者さんにお会いしたが、打ち合わせの日程の相談をする。 これからいよいよ私の演出家としての裏の仕事が大詰めを迎える。、、、この足が恨めしいが、入院してるよりはましと、諦めるほか無いなあ。 じれったいが仕方がない。

 

2007年11月 9日 (金)

昼間は外は暑かったらしい、、、。

 一日中閉じこもり状態。全く私らしくない生活が続いている。今日の夕食は6時頃に帰った夫のためにいつもより早めにして、 とあるところから頂いた「ジンギスカン鍋」をしたのだが、これが美味しくってかる~くビールも飲んで、すっかり眠くなっちまった! しかも夫の発案で、これにチーズを入れて焼くとバッチリ合うではないの!?何でもかんでも混ぜるのが好きなお方だが、 たま~にヒットするんだなあ~これが。今宵は羊が沢山現れてあっという間に眠れることだろう。

剪毛 (せんまう)されし羊らわれの淋しさの深みに一匹づつ降りてくる」

                            中条ふみ子 

こんな歌が詠めると良いのだが、、、。無理だろう。矢張り芸術はハングリーでなくては、、、! 乳ガンで31歳の若さで他界したこの女性の倍生きていることになるなあ~。

 

 本日の自己嫌悪。宅配便がA3ほどの書類か雑誌とおぼしき物を届けてくる。 手に取ればずしりと重い。印鑑を押しながら中身の見当が付かない。知らない会社から送ってきたものだ、と最初は思った。 しかし包みを破いていく中でハタと思い出した。そういえば数日前にどっかから電話がかかり、 「女性向けのワーク雑誌を送らせて貰っても良いですか?」という問い合わせが確かにあった。たまたまその時忙しい最中で、 適当に返事していたのだが、これがあの時の、、、、と徐々に会話を思いだしながら開けてみると、ぎょぎょっ!なんてこった! そりゃあ確かに女性向けではある。何処を開いてもピンクサロンのごあんな~い!!「全国」「四国」「香川」 と何処へ送ってもいいように分類されている。そこで働けばこんなに収入が良いぞと、これでもかあ!と並べてある。

 あれだけ「おれおれ詐欺」で懲りたはずなのに、電話に対して無防備だった! 即行電話して今後一切送らないで欲しいと連絡するも、内心腹立たしさが押さえきれない。私ってなんでこうなんだろう!?、、そしてこの5冊。 どうすんべえ。まあ捨てるんだが、もしや見たい人もいるんかいなあ~?ムムム、、、。

 

 このところクリスマスコンサートの準備に大わらわだが、 余りの時間の経過の速さにただただ置いてけぼり感覚だ。やっていながら実感がない。、、と独り言を言っていると、母が側で「わたしゃ、 もっともっと早く時間が経って欲しいわな。あんたのその足が一日でも早く治って欲しいとそればっかり思っているんだから」と言われてしまう。 そうだった。私のこの足で一番不自由してるのは他ならぬこの母だった!はいはい。なるだけ大人しくして早く治しますわいなあ~。 とふざけて見せながら心の中は真剣だ。しかし、時間が解決するだろう。それしかない。

 

 

 

2007年11月 8日 (木)

椅子に根が生えたみたい、、、。

 しかしまあ、次から次へとお仕事が振って湧いてくるもんだ。片っ端から右へ左へと振り分けているのに、 何故か手元に残っている物がある。えいやっとそれをやっつけたら、本日も午前様だ。誰か透明人間になって私の側に居てみてちょ! 余りのことに呆れてしまうと思うね。喉の渇きさえも忘れていて、食事からだと5時間も経って飲む水の美味しいこと!水、紛れもない水である。 アルコールにしようかどうしようか?と一瞬悩んだが、まあこのおみ足が治るまで我慢かなあ?ああ~あ、このところ、我慢ばっかりだ。

 

 しかし、夕べに続いて笑いのネタもやって来て、しばし癒されたか。2冊目の本を出版したM氏の奥様から大笑いのメールが届く。 それはイタリア語の読み方で途方もなく面白いものがあるという投書があったと、某テレビ局の有名番組担当者から取材を受けた彼が、 全く生真面目にそれに返答していて、側で聞いていた彼女は余りのおかしさに我慢できず私にメールしてきたらしい。 これが採用になった暁には是非ここにも登場させようと思っているが、いやあ、彼もいよいよイタリア語の権威になってきたか!素晴らしい。 おかしい!ハハハハハ。

 ラオスでも「カフィー」と発音すると全くコーヒーじゃなく怪しい物になるので絶対にそう言わないこと!とのお達しがあったが、 何処の国にもそりゃああるだろうねえ。「そう聞こえる」って言葉。うふふふ。月末頃のその番組を楽しみにしよう。

2007年11月 7日 (水)

笑いによる腹筋運動?

 本日、兼ねてから懸案の、今回のオペラで最もおかしいシーンの振り付けを断行した。 日頃スケジュールを合わせかねて練習に来ている男性陣が、皆さんこの日に照準を合わせたのか、早く集まってくるじゃあないの!? やる気満々と見た!

 衣装部の人達の苦心の作を着せられても、何の恥じらいもないばかりか、バストがどうの、ウエストがどうのと、真剣そのもの。 T先生に至っては、「あんた、その靴下が妙に似合ってるねえ。」なんぞと、 ぴらぴらのドレスの裾から毛ずねを見せているI君に声をかけている。言われる本人もまんざらでもない感じだ。、、、 要するにみんな変身願望が満たされて居るんだろう!アハ。

 本日の練習だけは、来なかった人は大損だ。振り付けの最初からもうおかしくておかしくて、ただで寄席か、 コメディのお芝居に行ってるようなもんだった。M君の生真面目な顔つきと、ロボットの様なダンスに、吹き出さないで見ているのが至難の業! いやいや彼だけではない。どっから見てもまじめ~を絵に描いたようなT先生が、 ぎごちないながら一応バレリーナのような動きと手つきをしているの図は、もうもう、笑い無くしてはまともに見られない。 妙に動きも顔も決まっているI君は、それはそれでおかしい。我慢に我慢を重ねて一連の動きを見ている自分を考えると、 これがメチャクチャ腹筋を使っていることに気付く!これって良いじゃん!?楽しい腹筋運動だ!

 こけ枝師匠は、元々お笑いの方だという思いがあり、それだけにかなりの事をして貰わないと、笑いには繋がらない心配があったが、 流石であった!私の想像を超えるコミカルアクションで、遂に私の頭も切れてしまった!大爆笑!

 私の演出家としての見せ場を、劇団の振り付け師M君が協力してくれて、ホントに有り難かった。 この場面を最初からおちゃらけにしてしまっては、全体が締まらないのだ。まじめに取り組み、 あくまでまじめにやっていることから来るおかしみこそが私の狙いだ。しかも、全幕を通して、 このシーンだけは観客に実際お腹を抱えて笑って欲しい場面なのだ。さあ、本番でホントに期待通りの展開になるかどうか? 笑ってばかりは居られない。この次は、周辺を固めなくてはならない。全員の足並みが揃わないと、笑いが笑いにならない。

 

 夕べからパソコンが使えなくなっていて、一切のメールもネット関係も全部アウトだったため、 深夜まであれこれやってみたが無駄だった。翌日この管理人にSOSを出すと、「一度電源を抜いたり入れたりしてみて下さい」という、 アホみたいな答え。でもってその通りやってみると、これが繋がってしまうから、まか不思議!これだから電気製品はやっかいだ。、、、しかし、 メールというのもいざこれに頼っていると不便なものだ。電話番号さえ分からない人もいることに気付く。便利は不便、 不便は便利と言えるかも~。

 

 

 

2007年11月 6日 (火)

しょぼ降る雨。

 夕べは夫が焼酎の湯割りを飲めと持ってきてくれて、まあ断るのも悪いかと飲んでみたが、 これがずっとお疲れ状態の我が肉体にメチャクチャ効いて、この日記を付ける間もなく睡魔に襲われた。しかもぐっすり眠れて、 8時間近く眠った勘定になる。感覚では眠りというよりは死んでたみたい。死んだように眠り、朝、蘇ったと言うわけだ。

 常連のお客様からの電話で起こされたのだから、我ながら呆れる。予約を午後にして貰い、 不自由な身体であれこれ整えてその方をお迎えしたが、どうも食欲がない。アトでと思い昼食せずに仕事をしたら、 FMの時間になっていて友人Tに急遽送って貰う。帰りはこれ又別の友人Yが迎えに来てくれて、 夫の帰りが遅いことを良いことに○○食堂で二人して夕飯だ。そこでようやくまともな食事が取れたが、足が悪いだけなのに、 何故か胃がおかしい。別にいつもと違う薬を飲んでいるわけでもない。不思議なことだ。全身的な疲労から来る物か、はたまた、 精神的なストレスからか。夫に言わせると「人間バランスが崩れると色んなところがおかしくなるもんだ」バランスは崩れっぱなしだ。 松葉杖無しで歩く時は、まるで空中遊泳の感じだからなあ~。

 Yさんは我が家まで送ってくれて溜まっていた洗い物までやってくれた。ありがたやありがたや。 人の親切という薬で治っていく感じだなあ。ホントに恵まれている。子供達は遠くても、助けてくれる友人が沢山いて、 これならホントの老人になっても孤独からは救われそうだ。一昨日だったかの深夜放送で、「一人暮らし」 について年配のドクターが講義をしていたが、なかなか面白かった。「人間は生まれる時も死ぬときも一人。生きているときも一人ですよ。 貴方は貴方、他の誰とも違う一人の人間です。一人っきりです。その事実を見なくっちゃあいけません。、、、、、家族が大勢居ても、 その中での孤独があります。むしろ一人暮らしでも大勢のお友達が居る人は孤独ではないでしょう。、、、、」 そんな話しを聞きながら眠った覚えがあるなあ。私にはいっぱい友人がいると、思いながら、、、。

 

 FMのお相手はたまたま娘の同級生でピアニストのSさんだった。兼ねてからその力量を娘から聞かされていたが、 彼女のライブ版を聴いて成る程、と感心した。単にピアノのテクニックが上手というだけでなく、 そのピアノをベースに絵とか文学にかなりの感性を持っている。それ故の豊かさが彼女の演奏には感じられる。 高松にもホントに良い人材が沢山居るもんだ。それにしても昨今珍しく控えめな人で、そこまで自分を過小評価しなくても、、、 と言いたくなるほどだった。海外で1年間ピアノの教師をやったという経歴の持ち主で、そのギャップが又面白い。今日も楽しい収録だった。

 それにしてもピアニストは努力家が多いなあ。というか、努力しなきゃあしょうがない世界なんだろう。 我らがオペラの常任ピアニストを見ても、そこまでやるかという努力家である。自分なりにその理由について考えてみたが、 今日のピアニストも言うように、ピアノを弾く上で一番難しいのは、「如何に歌うか」であろうし、楽器には「言葉がない」 のに言葉を感じなくてはならない訳だ。その点歌には最初から原語といえども「言葉」が付いている分、理解しやすいし表現もそうかも知れない。 、、、やっぱり歌で良かった。

 

 オペラの練習はいよいよ佳境に入ってきた。口惜しいのはこの身体が言うことを聞かないために、手取り足取り伝達できないことだ。 口だけであれこれ言ってもなかなか伝わらない。こうしてああして、と実際に動いてみないと理解が出来ないものなのに、 一切それが出来ないというこのストレス。「そうじゃない、こうなのよ」とやってるときに2度目の「ぶちぶちっ」が来て、この有様だったのだ。 迂闊には動けない。

 一つの動きをやるのにいくつもの方法があるが、全体の中でのその箇所は、作品の全体を観ている人にしか分からないものだ。 それを示したいが出来ないという情けなさ。この足が治るまでじっと我慢の子だ。大勢が動くときにはこちらにもそれ相応のエネルギーが要る。 この私自身がともすれば萎えそうになる気力を奮い立たせているのが現状では、みんなの方も持てる力の全ては出せないだろう。、、、 忍耐の時期か。

 

 

2007年11月 4日 (日)

赤い大根を買った。

 本日休業と出して夫の全くの思いつきで徳島の脇町まで手打ち蕎麦を食べにドライブだ。本来なら家で横になっていたいところだが、 我が母をどこにも連れて行けない私は、このチャンスを利用するしかない。しかし、行ってみて「うだつの町並み」もなかなか良くて、 母も感激している。「遠くまで行かなくてもこんなに良いところがある」と。おそばも大層美味しかったが、 その町並みの真ん中で頂いたおぜんざいも結構なお味だった。

 ただ、あたしゃこのおみ足で、長距離を歩くのがとてもじゃないが大変で、いつもの10倍くらいの速度で歩いても、 たかだか100メートルが大騒動だ。色んなお店を覗いてはひと休憩してどうにか真ん中当たりまでたどり着いた。不思議なことに、 いつもは足が痛いと歩くのを嫌がり私があれこれ助けてナントか歩いている母が、私の状態を心配していて、 全然痛がらないばかりか逆に私の面倒を見ようとする。恐るべし母の愛情だ。二人がぼちぼちやってくるのを車のそばで待ちながら夫曰く、 「まるで介護タクシーになった気分だ」!いずれそうなるかも~。

 

 カンカン照りでもなく、曇りでもない程良い散歩日和で人出も多かった。「うだつ」という防火用の壁もここまで間近に見ることが無く、 なるほど先人の知恵かと感心する。この足さえ普通ならもっと楽しめたのに、無念。丁度行き会わせた産直市で「赤い大根」 など母に持って貰えるだけの野菜を買い、ひたすら車まで歩く道すがら人々の好奇の目にさらされて、障害のある人の気分を味わう。 小さい子供は正直で残酷だ。私は良いが、治らない障害を持つ人にとってはこの「目」はきついだろう。別に非難でも何でもなく、 「どうしたんだろう?」程度の目でもこんなに気になる。

 夕べは良いテレビ番組を見た。「差別」を実際に体験することで、その意味を理解させるという、 カナダのある小学校3年生の担任教師の実験が映像化されていた。この映像がコンクールでグランプリを取ったのは、 まだ世界が健康な証拠だろう。

 まずクラスを背の高さで半分に分け、高い方に赤いベストを着用させる。そして教師は「背が高い人は、低い人よりも劣っている。」 と色んな例を挙げて全員に告げる。そして低い人には特典を幾つか与え、無理矢理差別してしまうのだ。すると奇妙なことが起こる。まずは、 今まで優秀だった背の高い生徒が、途端に萎縮して黒板に文字も上手く書けない程になる。中にはこの逆境に耐えられずに泣き出す生徒も、、、。 逆に今まで大人しかった背の低い子が途端に元気になって、発言が多くなり、生き生きし始める。一番興味深かったのは、 ある遊びをしてその最後に整列をさせると、 先生は何も指示していないのに子供達はチャンと赤いベストとそうでないグループに分かれて並んだことだ。 やがてその生徒達にとっては過酷な日が終わるとき、赤いベストの子達を集めて先生は告白する。これはみんなに「差別」 のお勉強をして貰うためだった、決してあなた達を本当に劣っている人と思っているわけではないのよ、と涙ながらに説明する。そして、 明日からはこのベストは背の低い人に配ります、と言う。すると、今までしょげかえっていた生徒達が俄然元気になって、その翌日、 逆の立場になって特典が与えられるとその恩恵を喜ぶばかりで、誰一人自分たちが受けた差別が辛いものだったから、 背の低い人達を差別するのは止めよう、とは言わないのだった。

 この映像は人間の本質を突いている。相手の立場になる、ということの難しさ。体験しても差別感は残る。これが人間。 どんな人にも差別意識はあるんだということを、恐ろしい位教えてくれる。

 しかし、少なくはあったが、最初に特典を与えられた背の低い子どの中に、「私の友達はみんな背が高いけど、私より賢いし、 スポーツも出来るし劣ってなんかいない。だからそんな差別はしないで欲しい!」と泣き出した子供が居たことは救いだった。 この子の心の中が引き裂かれているのがよく分かった。そうなんだ、この少数派かも知れない平等主義者が必ず居るのも人間社会だ。

 

 久しぶりに嫁りんからメールが入ったので返信したら息子からこのパソコンにチャットしてくる。 どうやら今しも布団に入って寝ようという時に我が返信が入り、母親の苦行を知り骨折でもしたかと慌てたらしい。事情を説明すると、あれこれ 「肉離れ」の知識を披露して、薬代わりに孫りんの映像を送ると言うのだ。まあホントに便利。 テレビ電話状態だから布団に潜り込んでいた孫りんが父親の声で跳ね起きて画面に向かって走って来るところまで全部見える。 画面に向かって歌も歌うし、この私の映像に「みったん」と呼びかけるまでに成長。確かに薬代わりだ。

 お陰で今夜もよく眠れそうだ。昼間の疲労と孫効果で、、、。

2007年11月 3日 (土)

秋晴れの一日。

 本日も5時間程休み無しの練習だった。足のお陰で10時間くらいやったように感じる。間で1回トイレに行ってびっくりした。 普段全然気が付かなかったこの会場のトイレには、しっかり手すりが付いているじゃあないの!?やっぱり人間、 自分に関係ないことは気にもとめてないんだと改めて思ったことだ。勿論今日の私にとっては各別有り難い設備だった。ん?

 

 今朝、東京のM君からメールがあり、予定通り帰省しているらしいことが分かり、再会を楽しみにしていると、 やがて生後1年6ヶ月の男の子を連れて奥さんとそのご両親の5人で来てくれた。なんでも琴平にお泊まりだったらしく、 これから屋島に行くという。でもまあまあと中にお入り頂き、5分の約束が1時間にもなったかも。彼は早くご両親と死別しているから、 このお二人が実の親御さんになってくれたらと前々から思っていたが、お話を伺うと正しくその様に愛されているのを感じる。ホントに良かった。 彼の寂しい人生にようやく平安と平和と安定が訪れたのだ。彼のDNAを受け継いだこの坊やは、クラシックをかけるといきなり指揮を始める。 音楽が終わると拍手だ。いやあ、成長が楽しみなことだ。

 

 このバタバタと過密スケジュールの中、例年通りクリスマスコンサートinしおのえを実施することが本決まりになって、 ようやく曲目など検討した。今年は桂 こけ枝師匠が半分落語で埋めてくれるのだが、それはそれで、その名に恥じないようにしなくては! と思う。

、、、又、あれやこれやが、、、、足下だけ見ていくとしよう!足下、ねええ~。

2007年11月 2日 (金)

贅沢。

 午前中は本業を休業して午後からはカルチャー。行きは友人に送って貰い、帰りはメンバーの産休中のSちゃんがお迎えに来てくれた。 まあ、なんて贅沢なこと!人を乗せてあげることはあっても乗せて貰うことは少ない生活の為、ちょいと妙な気分。

 友人Yはご主人がリタイアしてからこっち毎日毎日運転手して貰い、(彼女が運転できないためではあるが) 何処へ行くにも良いご身分なのを、いつも冷やかしていたが、やっぱり自分で運転できる方が数段良いな~。寄り道も出来るし~。

 

 今日の教室には新人がお一人増えて、これがめっぽう明るい人で、自分の事を「大丈夫です、若いですから!」な~んぞと言う。 こういう人は歌に向いている。月曜クラスはパンクしそうなのにそっちも又一人増えるらしい。合唱じゃないからな~。 殆ど個人レッスンみたいなもんだのに~、時間が足りないなあ。

 教室をやってて何が楽しいって、みんな歌うことが楽しくなってくる感じがあることだ。別に歌手になるつもりもないだろうに、 しげしげと通ってくるのは、それプラス人間関係もある。人はやっぱり居場所と仲間を求めているのだ。「歌」 という媒体を通して人と人が触れ合えているのを見るのは楽しいものだ。

 

 明日はオペラのソリスト達を特訓だ。彼らの出来不出来で、全体が随分違って見えることだろう。いや、 そう言う意味では例え合唱でも誰一人気を抜いても良い人は居ない。しかし、ソリストには格別の心構えが必要なのだ。 何と言ってもストーリーを引っ張っていく人達だ。、、、彼らにしろ、合唱にしろ、楽団にしろ、舞台装置、照明にしろ、そして演出にしろ、 はたまた裏方、小道具、衣装、受付の人々まで、それぞれがそれぞれの持ち分をしっかり認識し、その持ち場で120% の力を出し合う必要がある。それが総合芸術としての「オペラ」だ。「難しい」からこそ「やりがい」がある。こうしたオペラ第6回目の今回、 果たして上手く行くだろうか?

 いや、なんとしても成功させなくては!(足がどうのこうの言ってる場合か?)

2007年11月 1日 (木)

歳ざんす。

 体調イマイチにつき、今頃はみんな練習中だなあと思いつつ、もう休ませて頂こう。関係ない筈だのにむかむかする胃。 局部じゃないところが痛むし、ちょいと最悪の事態だ。まあ、寝れば治るか!?

有効なる休み。

 遂に明日の練習はお休みの宣言をした。 余りの疲労感にこれで明日も続けて行ったらそのアトが使い物にならない私の身体を思ってのこと。皆さんは適当にお休みがあり、 参加しているときでも3時間びっちり努めているわけではない。しかし私はず~っと集中して居てしかも休みが無い。この辺で少し息をしたい。

 メンバーが60歳過ぎてるんだからねと、もっと身体をいたわれとだめ押しのメールをしてくる。この文面を読んで、 何だか自分の事のような気がしなかったのもおかしな事だ。が、この足さえ無ければ、、、、無念。

 

 今日はフルートが参加だった。楽器が増えると音楽が深くなり面白くなってくる。その文歌い手は戸惑ったようだが、慣れるしかない。 段々オペラの周辺が豊かになってきている。衣装さんが次々と試作品を仕上げては次なる物を生み出してくれる。 アイデアマンの道具さんも鵜の目鷹の目でキャッチしたものを使い小道具を生み出している。、、、そうなんだ!無から有を生み出すのが芸術だ! 歌い手は♪をなぞっているだけではダメだ。そこに記されてない物を生み出さなくてはならない。

 

 充電したら、又土曜日は7時間練習が待っている。今宵も熟睡目指し眠ることとしよう。 いやその前にこのギブスに水をかけずにシャワーだ。これが又メチャ時間がかかる。ふ~っ。

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »