さあ始まったぞ~。月曜日に演出助手をお願いしてあったY女史は、私の予想通り立派にその役をこなしてくれたらしい。
何が素晴らしいって、ちゃんとその日の報告を事細かくメールで知らせてくれていることだ。この指示→実施→報告という流れこそが大切だ。
流石様々な場面を踏んできているつわ者だけのことはある。あたしゃすっかり安心した。
で、早速今日は小道具係との打ち合わせだ。ファミレスGで夕食を済ませて、11時過ぎまで、中身の濃い会議が続いた。Sさんの
「これだけだったら案外大したこと無いですよね?」という彼女の一種のクセのような緊張をほぐす発言で、
そこにいた全員がホッとしたかも知れない。頭の片隅には?が残った人も、とりあえずやれば出来ると思って帰れたのではないか?
いずれにしてもやる気は全員しっかりあるようなので、きっと上手く行くだろう。話していると次々とアイデアも出るもんだ。
頭が柔軟な人達が集まったもんだ。
明日は大道具をやって貰う業者の方と打ち合わせをすることになった。その後の夕方からは我が家で衣装係と打ち合わせ、
というか実際に作製に取りかかるのだ。その次の日は小道具の材料を借りるというか頂くというか、探索に出かけなくてはならない。、、、
要するにお金をかけずに舞台を創らんが為に、持てるエネルギーは全て出し切るのだ。
一方では、チラシやチケットパンフなどを必死でやってくれている人もいる。広告など早くも依頼がまとまった人も居る。
マスコミ関係はこれからだ。、、、限りなく仕事があり、考えると呆然とするが、登山と同じで足下をのみ見ながら進むしかない。
今回の大阪は、プリマの演奏会にクレムリンの秘宝展というものがくっついていたので、期待して行ったが、
こちらは私の趣味に合う物ではなかった。宝石にはトンと興味がない。例えそれが新しかろうと古かろうと、価値があろうと無かろうと、
全く食指が動かないのだ。むしろその国際美術館に常設の現代アートが面白かった。
いや、実は同行した友人Kさんが、多分今、大丸百貨店で面白い美術展をやっているから、そこに行かない?と言うのだ。
勿論即座に賛成。大阪は梅田のバス停のすぐ側の大丸にと出向いた。これが最近では見たことがないほどの面白さ。
「モジリアーニと妻ジャンヌの物語展」というのがそのタイトルだった。
パリで、どこの美術館だったか1,2枚彼女の作品を見たと思うが、こんなにも沢山の作品を残し、
しかも大家と呼ぶに相応しい画家の才能を持った人だったとは、全く知らなかった。とても近代的な色彩感覚を持ち合わせた、
女性らしい作品達は、いやが上にも彼女の人生を考察させるものだった。
モジリアーニが35歳の時病気で早逝して二日後に、
お腹に第2子が居るにもかかわらず実家の建物の6階から飛び降り自殺したというジャンヌ。写真が残っているが、知的で思慮深げな美人だ。
18歳で32歳のモジリアーニと出会い、その才能を見初められ、即座に同棲生活に入ったらしい。
それ以前に既に詩集の挿絵などで才能を発揮していた彼女の作品も沢山展示されていたが、この作品展の特徴で、
二人の作品が交互に時代を追って並べられていた。お互いに惹かれ合い、学び合い、影響しあう二人の作品。それらを驚嘆の思いで見て回る内に、
一枚の絵の前に釘付けになった。
それはモジリアーニの作品で、ジャンヌの上半身の裸体を描いた物だが、その肌の色といい、安心して自らを委ねたまなざしといい、
少しかしげた顔の輪郭は彼が絵筆で彼女を愛撫しているかのような優しさに満ちている。その絵は、
たった3年間の二人の生活が如何に深い愛情で紡がれていたかを一瞬で理解させる。悲劇の結末を思うとき、尚更にこの絵は私に迫ってきた。
会場を何度か巡り巡っていつもその絵の前に戻ってはため息だ。
全体を眺めて、明らかにモジリアーニの方が作品としては素晴らしいものを残してはいる。しかし、14歳という年齢差を考えると、
この彼女の才能を惜しむ気持ちも湧く。もっと長生きしていたら、彼を越える画家になったかも知れないのだ。一方で、
短時間ではあったにしても、彼への愛情が死を越えるほどのものであったことは、何物にも代え難い幸福な時間を持てたのかも知れない、
とも思える。
しかし時は流れたのだ。1916年に出会った二人は、90年の時を経て尚、時代の人々の中で瑞々しい人生を生きているようだ。