夕べはこの日記を半分眠りながら打ったので、傑作なタイトルになっていた。キーを押したまま眠ったのだろう。いやはや、
まったくもって漫画的な我が生活だ。
そもそも昨日の文面は、タイトル「芸術は厳しい~」自体が、さっぱり意味を成していない。
昨日の酔っぱらった頭では兎に角そう思ったんだろう。今日はそれに補足説明をしておく必要があるかも知れない。
K画伯は純粋な方で、ひたすら作品に全力投球して、今回の故郷のお仕事もどのような仕打ち
(仕打ちとしか言いようがない進行だったようだ。)を受けようとも、譲るだけ譲り、折れるだけ折れて、
現場に居ない分人任せになるため心を砕いておられたようだ。しかし、「著作権」
というものが現代社会に於いてはもの凄く幅をきかせている筈だが、その権利を作者が主張しない限り、
芸術家は経済やシステムや政治などに翻弄されてしまい、本来の力が発揮できないらしい。これは、県下のホールに偉大な音楽家が訪れても、
その公演が黒字になることは殆ど無いというここ香川県の現実を思い出させる。
議会制民主主義。このシステムで殆ど全てのものが決定されて動いているが、それを司る人々に、
芸術を理解する人が居なければその地方は不幸だ。そのトップは別段手を下さなくても、その思想は末端の隅々まで影響する。
「芸術は余計なもの」的な発想が不景気になってくると顕著に見えるようになってくる。私から見ると、
とんでもない無駄遣いをしていると思うのに、地方の芸術文化を向上させるための僅かな経費も、官公庁は削減削減と叫んでいる。
これで潤いのある、「美しい日本」が作れるのだろうか。「無駄」と見えるものの中にこそ、人間の本来あるべき姿が描けるのではないか。
てなことを書きたかったのだろうが、昨日のとろけた頭脳ではさっぱり思考が纏まらなかったというわけだ。
さて今日も漫画的な一日ではあった。
朝から来店客に対応したり、携帯のデーターを入れ直したり、メールの処理をしたりしていると、
シャンソンの別クラスに編入したHさんから電話が、、、。「あの~先生、今日は1時半までに行けば良いですか?」
と言われて初めてハッと思い出した。新しいシャンソンのクラスが今日から始まったのだ。忘れていたとはおくびにも出さず、「そうですよ~。
よろしくねえ~。」と返事しながら、内心「あ~良かった!」と安堵しているお馬鹿な私。毎朝手帳を見ようと思いつつ、
携帯が鳴ってはついそれに熱中し、チャイムが鳴ったら反射的にお仕事し、メールのチェックをしては、その処理に没頭し、、、
と計画性が全くない。
その上、今日は夕方から会長レッスンにお部屋をお貸ししてあり、某演奏会の時間とダブっていて、
こりゃ又忙しいなあ~と内心思っていた。でも、カルチャーから帰宅してお一人お客様を仕上げるとモ~レツに眠気が来た。
こりゃダメだとマッサージ機で暫し仮眠。ほんの15分だったが、宅急便の人が来た声で目が覚めた位に熟睡した。
これで今日も遅くまで持てるんだ。
やがて会長のお出まし。にもかかわらずレッスン生が来ない。じゃあ、先にお食事でも、と時計を気にしながら食べて頂くが、
一向に現れる気配がないので、M君に電話してみると、す~っかり失念していたらしい。しっかり者の彼にしては珍しいポカだった。
みんな暑さでやられて居るなあ~。で、本日のレッスンは1時間ずれとあいなり、そうこうしていると古くからの友人Y氏ご夫妻から、
今からお邪魔しても良いかとの電話。ありゃりゃ~、本日は演奏会が、、、、と思ったが、このだらだらした空気で急に行きたくなくなって、
「う~ん、良いわもう。行くの止めたから。」とあっさり予定変更し、彼らを迎える。
結局彼らとレッスン生のTさんも一緒にわいわい言いながらの夕食だ。次にやってきたのはオペラの主役マンマアガタだ。
デザートにのみ関心がある彼は、ゼリーと水ようかんとのダブルを食べ、やがてレッスンにと二階へ。
結局彼は帰りをY氏に送ってもらいラッキーだったのだ。
よく考えてみると、私の一日のスケジュールは、余程テンションを上げてないと次から次へとこなせないのだ。
緊張の糸が一瞬緩むともうダメ。そこから動けなくなってしまう。今日やり残したことが3件。明日に付けが回ってしまったのだ。あ~あ。
だけど、今日Y氏が持ってきてくれたお中元はステキなものだった。ホタテと鮭のハム、という珍しいものだった。
早速頂くとこれがとっても美味。明日からのビールが楽しみだなあ~。
今夜はちょいと面白い議論が展開された。韓国の整形ブームについてだったが、まあ、良いんじゃないの?っていう人も居たのだが、
私はあんまり好きじゃないなあ~。S嬢も「外見にだけ拘るっていうのも、、、、?」と疑問を投げかけていたが、、。
綾小路君麻呂はこういう。「奥さん、何がおかしいんですか?残念です。そんなきたない顔に笑われて。人は姿形じゃないんです。
良いですか!?人間は、見た目なんです。」このくだりを聞いて、何回も大笑いしている夫を側であざ笑っていたが、まあ、
こういう外見をテーマにすると確かに面白いんだなあ、これが。彼は真実を言ってる時もある。「皆さん、
ひとはみんな自分を美人だと思って暮らして居るんです。だから生きていけるんです。だからこうした公の場所にも出てこれるんです」
と展開していく話術には、ホントに抱腹絶倒、何回聴いても笑ってしまう。でも、日本のこうした笑いは、
韓国の整形に走る風潮よりは遙かに健康だと思うがどうだろう?
美人を創るというブームは、そうでない人の存在価値を否定するものだ。これの根っこには「人種差別」があるように思うがどうだろう?
五体不満足でも、メガネをかけていても太っていても、(コホン)顔に痣があろうが手足が不自由だろうが、人間に変わりはない。
そういう人達の存在をも認めて、世の中色んな人が居るのが当たり前と考えて、それで初めて成熟した国と言えるのではないか?
人が集まると、いろんな話題がでるもんだ。