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2007年8月

2007年8月31日 (金)

孫って良いなあ~。

 念願の孫べえを抱っこする感触を久しぶりに味わった。さすがに全然しけなくなった。(しけるって方言だろうか?) この子に受ける遊びを会得したおみっちゃんではあるが、これが、なんともまあ疲れるんだなあ~。我が家の隣の小川に水が豊富に流れていて、 そこに被さるように生えている草木の葉っぱをちぎっては流すという遊びだ。それを追っかけては競争したり、 ちぎっては投げちぎっては投げを繰り返し、飽きると言うことがない。川に落ちないように服の一部をしっかり握り、 腰をかがめての作業は大いに疲れた!しか~し、そのせいかどうか、遂に我が名をしっかりと口にするようになった!帰りを送っていくとき、 後ろの席から運転席に近付いて、「みったん?、みったん?」と繰り返す。いやん、可愛いではないの!?

 この年頃の子供って、もの凄い記憶力だ。ラオスに行く前だから2週間以上前に、その小川に流れているものを、「水」と教えたら、 「みず、いく、みず、いく」とそこへ連れて行けと言うのだ。今のところ単語が多く、外人と話しているようではあるが、 その内繋がっていくんだろう。もっと一緒にいて、成長を見守りたいという欲求が湧くなあ~。

 

 カルチャーに遅れるので、孫べえとその母親を途中まで送って行き、急ぎ教室に駆けつける。そこが終わればFMだ。 今日はイングリッシュガーデンのオーナーと2本分の収録をしたが、なかなかに深いお話が聞けて、さすがと思った。 ガーデニングプランナーになるために一番必要なことは、「人間的幅」なんだそうだ。色んな経験をして思いやりを持った人物にならなければ、 「良い庭」は出来ない、と言われる。確かにそうだろうと思う。この方のオーラというか、何者をも恐れない堂々とした雰囲気は、 生半可な人生経験ではないだろうと思わせる。50歳を過ぎてから始められたというこの事業に、 お子様達が協力者として参画してくれることになったそうだ。ということは、それだけ母としてこの方が素晴らしいと言うことだ。、、、いや~、 身近にもこんなにもステキな女性がいるんだなあ~。

 

 関係ないが、我が夫は、ラオスから帰国して数日後に北海道に飛び、イサムノグチ公園を見て帰り、その足で今度は松山だ! こちらも県出身のK画伯の半生を網羅した美術展だ。なんともかんとも、あまりのお元気に圧倒されている。こりゃあ、 間違いなくあちらさんに死に水を取って貰う羽目になりそうだ!

 こちらも負けじとばかり、月曜日は大阪の美術展プラス小濱妙美嬢のリサイタルだ。休館日だが、その演奏を聴く人のみ見られるらしい。 ついでにあれもこれもと行きたいところだが、、、、、さてどうなることか。友人Kと一緒だから、きっとこれだけでは終わらないだろうなあ~。

2007年8月30日 (木)

無理はしないが、、、。

 娘から聞いてようやく思い出した美味しいフルーツの名前はマンゴスチンだった。外見は茶色でちっとも美味しそうじゃないのに、 指で簡単に皮が取れて、中には真っ白な透明感のある果肉が幾つかのフサになって入っている。味は、ライチに似ているかも。 台湾ではドラゴンフルーツが美味しかったが、それぞれの国に美味しい物があるもんだ。

 今日はなんだか身体がだるく、仕事もチンタラチンタラやっていたが、ある年配の来店客を暑いからとお家までお送りした時のこと。 その方は我が母親より2歳上の方で、高齢にもかかわらず、ご主人が亡くなられてからの趣味で畑を耕し、ケッコウ色んな野菜を育てていて、 時々我が家にもお持ち下さる。今日も、是非その畑に行って野菜を持って帰れと言われ、ほんの2,3分の所を有り難く出かけたのだ。しかし、 カンカン照りの畑に立ったときクラクラして、こりゃあ長居は出来ないと思ったものの、 熱心にあれもこれもと言って下さるのを無碍にお断りも出来ず、言われるままにどっさり頂いて車に積み込んだ。すると、すぐお隣に、 こちらは根っからの農家の人だが、矢張り80歳は越えている方が、身体を丸め、地べたを這うようにして作業している。 その方もうちのお客さんだが、耳が遠いし、余りに夢中で何かされているので声もかけずに立ち去ったが、いや~~参った。この炎天下。 どちらも80歳を越えた老人が畑仕事だ。それに引き替え、この私の軟弱なこと!情けない。

 午後から生協で義妹がやって来たので、母のことを尋ねると、自転車でカラオケに行ったと言う。ぎょへ~っ!我が母にしてこれだ。 なんで、こんなに生きた世代で差があるの?結局、文明は人間を弱らしめ、怠惰に変え、抵抗力を奪うのか?

 

 いかんいかん。頑張らねば!明日は孫りんが久しぶりにやってくる。あの子の成長を見守るためにも、、、、、!

2007年8月29日 (水)

無理しない。

 夕べは急に睡魔に襲われて、この書き込みページを開いたまま眠ってしまった。 ここんところ何回かこの様に 翌日回しになっているが、気にしないことにした。精神的ストレス軽減作戦の一つだ。自分の体型を、 ちょっとの食べ過ぎと大いなるストレス太りだと思っているが、ならばそこをなんとかするべえ~だ。、、、って、 これがどっちもそう簡単ではない。

 例えば夕べは恩師であり友人のT女史と二人だけの飲み会だった。先日に続いて2回目の楽しいデートと相成った。 最初のお目当ての場所は予約が一杯でとれず、行き当たりばったりで二人とも知っている和食のお店に入ったが、 こちらはコース料理だと言われたにもかかわらず、あんまり捜す気のない我々はそのまま靴を脱いだのだった。 すると案の定次から次へと出てきて、流石の私も満腹線を通り越した。 しかも生ビールに発泡純米酒に冷酒をお代わりして酔い加減も意外なほど回ってきた。これ以上は飲めないと腰を上げたのが午後9時半。 6時過ぎからだから結構な時間居たことになる。

 話題はもっぱら私のラオス体験談と短歌に始まる文学のお話。、、、というか、殆ど覚えてないなあ~。何をくっちゃべっていたのか? 夢の世界だ。とりあえず無事?帰国できた私の生還を祝ってくれたのは間違いない。ありがたや~ありがたや~。

 いつもは私よりもお強いTさんが眠たそうにしているので、コーヒーでも飲んで帰ろうかと誘い歩き始めたが、 これまた思いつきで以前行った事があるスナックへ入ってみた。女性同士で入れるお店なので気楽だと思ったが、この日はカウンターが一杯。 なんとか席を空けて貰って座ったが、カラオケを怒鳴っている男性の声でうんざり。即帰ろうかと思ったが、 ママが次々と話しを持ちかけてくるし、しばらく我慢することにした。

 このお店では、我々二人、前回同様またまた社会勉強することとなった。多分ママの趣味で客層はみんなお堅い。 殆どの来店客が官公庁の人だ。バイト生は開店以来、某大学の学生を使っているという徹底振り。この日も、カウンターには市、 県関連の仕事の人ばかり。そこへ新に入れ替わって入ってきたのが国だそうで、多分大学か?県下の主だった音楽家も随分来ているようで、 ○○ちゃんとか気安く呼ばれている。

 男性ばかりの飲み会だと、ここまでみんな暴れるのか?という程のエキサイトぶりにも段々慣れてきたが、 一人が電車の都合で中座するということになると、代金の支払いを巡っての大立ち回りが始まる。やれやれ、、、。男社会の「メンツ」 の切符争いか。

 こうして深夜まで飲んだあげく、翌日は又勤務だからねえ。ニッポンの男性サラリーマンは凄いと思う。私たちはその男性達を尻目に、 とっとと引き上げた。いつものようにTさんは歩いてお帰りに~。あたしゃテクノで帰ったら、危うくシンデレラタイム。 本日は夫が北海道で誰に気兼ねもないはずが、ニャンと無くホッとしている自分に気付く。習慣とは恐ろしいもんだ。

 

 今、台所のテレビから中村富十郎の言葉が聞こえてくる。「長生きも芸の内」。ただ生きながらえるのではなく、 真の意味で生きることで様々な勉強が出来るということらしい。Tさん、せえぜえ長生きしましょうねえ~!

  

 

2007年8月28日 (火)

とに角前へ。

 今日は朝から衣装係さんと舞台衣装の布を購入に出かけた。なにせ人数が半端じゃないから、出来るだけお安いので、 しかもイメージにあった物を捜さなくてはならないとなると大変だ。まあ、なんとか譲れるところは譲って、一応全員分揃えることが出来た。 泥棒の荷物のような大きな風呂敷包みを抱えて、カンカン照りの中を車に乗り込んだら口をついて出る4人の合い言葉は「あっつい~、 疲れたあ~」だったが、まあ実りがあったから良しとしよう。

 ただでは帰らないオバタリアン達。帰りは何処のランチにしょうか?と相談が始まる。もう全く全然家で食べる気がない。 それぞれにチョビットだけ、後ろめたい事情を抱えながら入ったお店はトンカツやさん。これが又美味しいんだよなあ~。 「夜を軽くすればいいのよ」と誰も信じてないセリフを吐く人もいる。「どうしてだか、夕方になると入る様になるのよねえ~」 との正直なお言葉も~。いずれにしても帰りは全員♪上をむ~いて♪あ~るこおおお♪と楽しく(?)歌いながらの帰路であった。

 

 そして夕方。今回のオペラにどうしても必要な重要人物にご足労願って、無理難題を押しつけた!その被害者はY女史。 演出助手をやって貰うことを、ナント事後承諾だ!イヤ勿論事前にナントな~く依頼はしてあったが、詳しい内容は「お目にかかって、、、」 であった。少々付き合いが長くなってきて、私のやり方に慣れてきているY女史は十二分に覚悟してお越しになった。 お陰で話しはとんとんと進み、1幕の半分は演出内容を細かく伝達出来た。彼女とのディスカッションで新発見もあり、有意義な時間が持てた。 これからの彼女の活躍に大いに期待が持てそうだ。私が留守の時だけでなく、全体を見る上で、もう二つの目があるというのはホントに有り難い。 これでほぼ隙間無く演出していけることだろう。

 

 彼女を送り出してから猛烈に眠くなったが、今日買い出しのついでに衝動買いしたテーブルの小さいのを組み立てなくては! と睡魔と戦った。ところが、いざかかろうとすると説明書がない。きっと今朝運転させて貰ったMさんの車の中なんだ。 こんな遅い時間に貰いに行くのも大儀だったから、例によって山勘でやり始めた。案の定、 ほぼ完成したところで床に置いてみると左右がガタガタするじゃあないの!?よく見るとほんの1ミリずれているところがある。きっと、 おそらく、どっか間違えてるんだ、、、と思ったが、強引にねじ穴にねじ込んでナントか誤魔化した。別に売りに出すわけじゃなし、、、 てなもんだ。やれやれ、どうもこういうのは母親に似ず不器用なんだなあ~。ていうか、おおざっぱでいい加減なのだ。これが、 母と一緒にやっているとこうはならない。一事が万事きちんとしてないと気が済まない我が母は、このところ手出しはしないで口出しばかりする。 しかし、そのお陰でケッコウ上手く行くことが多い。さあ、明日あたりこれを見せたら何というか?、、、 いつまで経ってもこの性格が治らないことを指摘されそうだなあ~。いつまで経っても母は母だ。

 

 

 さて、ラオスから帰って明日で1週間だ。病み上がりで帰国し未だ1週間しか経ってないのに、 もう通常の生活が出来ているのは不思議な感じだ。もしや母の言う「食べ力」だろうか?そうかも知れない。 段々食欲も味覚も行く前に戻って来た。時々あの辛い料理が懐かしいが、、、。

 懐かしいと言えば、あのラオスの料理「ラップ」と何とか言うフルーツそしてビアラオというラオスのビール。 これらはホントに美味しかった。特にフルーツは美味しくて、熱が出たときも「スイートメロンシェイク」 をルームサービスして貰ったりホテルのレストランでも毎日沢山飲んだが、これはサイコウだった!

 そしてラオス人。なんだか小柄な人も大柄な人も、みんなデンとしているというか落ち着いた温厚な感じの人が多い。静かに話し、 時々ユーモアを身振り手振りで話す。まあ、ヨーロッパ、特にイタリア人なんかとは格段の相違があるなあ~。

 、、、こうして考えてみると、今度は乾期にもう一度行ってみたいなあ~と思わなくもない。いささかあの国の事も飲み込めて、 今度は充分楽しめそうだから。小学校訪問も出来てないから、リベンジの旅も良いかもな~。

 

 のど元過ぎれば熱さを忘れる、、、、。

2007年8月27日 (月)

伝言ゲームの恐ろしさ。

 一昨日、会長先生が「落ちた」という話しをここに書いたら、読んだ人から色々と間違いを指摘された。落ちたのは夜ではなく、 真っ昼間だったこと。(こっちの方が格好悪いと思うが?)頭からではなく、足から落ちて反転したので結果、頭からになった、とか。 (それがどうしたの?って感じ)おまけの報告もあって、「そこは危ないから引き返しましょう!」 というS嬢の声にも耳を貸さずどんどん行った結果、S嬢の前からいきなり見えなくなった、というのだ。極めつけは、 「恥ずかしいからちぇちのみんなには黙っていてよ!特にあの人の前では(みっちゃんのことらしい)絶対言わないでよ!」とのたもうた、 らしい。ま、その不安は間違いなく的中して、私に知れてしまったお陰でA氏が言うように、「世界に向けて発信した!」事になるかも知れない。 ハハハハ。

 で、も、ご本人を知らない人が読んだら、どんな人か是非会いたいと思うのではないか?12月のオペラに来れば、 きっと会えるでしょう!ってところだ。

 この、伝言ゲームみたいな事の顛末を見ても分かるように、人から人への伝達は、間違うことが多い。ここからが重要!

 本日のオペラの練習時に、みんな、思い思いに記録を取っていたようだが、それを人に伝えるときには、 必ず間違いが起きると思ってた方が良い。出来るだけ正確に、繰り返し微に入り細に渡り、告げることが必要だ。 そして自分だけでなく他の人の記録もチェックする方が良いだろう。勘違いしていることもあるからだ。特にコーラスの人は、「自分の足で立つ」 練習が必要だ。「いつも誰かと一緒」感覚では、オペラは動けない。一人一人がどこまで理解しているかで、その場の空気が完全に変わっていく。

 ま、以前動きを付けたはずのところを、殆どの人が動けなかった今日の最初を考えてみれば、 今後の練習で動きの練習をすることが如何に大切かが分かって貰えたことだろう。こっから先は、お歌はお家で練習だ!練習会場は、 みんなで動く場所なんだということを、しっかり認識して貰いたい。

 

 いよいよ本格的始動だ!

2007年8月26日 (日)

今日は今日の風が吹いた、なあ~。

 Cantiamo第18回目がようやく終わった。私の司会なので、どんどん進めて時間短縮させて貰い、 予定よりも30分早く終えることが出来た。解散後16名ほどでお食事会へと繰り出す。まあ、笑って喋って楽しいひとときだったが、 この多国籍料理店は安くて美味しくて量もたっぷりという、事前の私からのメール内容を裏切らないものとなった。 みんなも満足してくれたことだろう。まだ早く帰りたくない人が、お隣のパスタやさんでお茶することとなったが、 なんと10人も居るではないか。もっぱらの話題は、昨日のワタクシ目のこの日記であった。本人を前に、 みんながああでもないこうでもないと好きなことを言い合っては、ゲラゲラ笑ったのだ。最初はしらばっくれていた先生も、 段々形勢が悪くなってきて、自ら告白タイムとなり、その日のアクシデントを細かく喋る羽目となった。ま、簡単に言えば、 会長先生はお茶のつまみになっただけのことである。

あなかしこ~あなかしこ~

 

 で、肝心の発表会はどうだったのよ!?という突っ込みの声が聞こえるが、まあ、出来の良かった人もそうでなかった人も、 先生の気遣いのあるコメントで救われたのではないか?(私以外)中には、ハッとするくらい良い声になっている人も居て、 流石勉強の成果が出てきたなあ~と感心した。特に、今回のオペラにソロで出演する人達は、一様に良くなっている。「人間は、 器に合ったようになってくる」という言葉を聞いたことがあるが、正しくその通り。オペラでソリストになるということは、 その人をもの凄く成長させるのだ。あのサンポートホールでマイク無しでこの声で大丈夫か?という観点で聴いていたが、 もう一息でみんなオーケーだろう。このまま気を抜かず、一直線に本番を迎えて欲しい。どん欲に、 自分を鍛える機会を見つけては少しでも上に登って欲しいものだ。

 で、肝心のあんたはどうだったのよ~という突っ込みは、聞き逃したいところだが潔いアチクシは告白せずには居られない。ホントの所、 出かける前にネットで曲が聴けることを発見。それに合わせて数回歌ってみた。何しろピアノ合わせが出来ないんだからしょうがない。 1回は完全意暗譜で歌えたから大丈夫と思ったが、本番は急遽ピアニストと歌い方の変更を決めたので、なんだかこんがらがってしまった。 歌い直しまでしたのに上手く行かない。あ~あ、あの飛行機の中での努力は何だったのか!?熱でフンフン言ってるときでさえ、 歌詞カードを枕元に置いていたのに~って、勿論置いてただけではない。時々は眺めても居たのだ!師曰く、「大脳で覚えてもダメ。 身体で覚えるべし」、、だよなあ。やっぱり声出して歌わないと覚えられないよなあ~。、、、私の中に又一つ不発弾が、、、。ええい、ままよ。 明日は明日の風邪が吹くってね。(これがイケナイ)

 

 しかし、打ち上げ二次会では、ちゃんと為になる話も出来たのだ。今回のオペラの進め方の構想やら、 皆さんの役割の理解度を高めることやら、そうそうラオスの報告も、、、etc。

 

 まあ、ラオス行き前からの尋常でない私の生活、帰ったら即短歌12首の締め切りだ、溜まった仕事だなんだかだと、、 兎に角熱があろうが動ける間は動いている状態の現在。何かが完璧に出来るわけがない。「芸術とは、歌とは、贅沢な物なんだ」 

 まる。

 

2007年8月25日 (土)

会長ってば!

 疲れがどんどん出てくる感じ。しかし、仕事も家事もこなさなくてはならない。今日は突然空いたレッスン時間を使わせて貰って、 久しぶりのレッスンだ。しかし、指導者の会長も未だ風邪が治ってないとのことで、しんどそう。生徒の私もどっと出た疲れに、 気持ちが後退気味。で、てれんてれんやっていたが、あたしゃその後の夕食準備で全精力を使い果たした。みんなが帰った後、 もう~眠くて眠くて、、、、。私、ホントに明日歌うの?

 しかし、最後にレッスンに来たSさんが目覚ましのお土産をくれた。 先日私が不参加だった会長先生の別荘でのたこ焼きパーティあ~んどスイミングでのハプニングがそれ。 なんでも参加者全員で暗い夜道を一列になって進んでいたときのこと、先生が突然見えなくなって、Sさんの旦那がフト見ると、 先生が崖を落下中~で、急遽みんなで助け上げたんだそうだ。不思議なことに頭から落下したらしい~?どうしたらそんなことになるのか、、、! おっかしいことに、私と先生の間で、朝から晩まで今日何度もその日のことが話題になったにもかかわらず、 一言もそんな事を話さなかった会長先生!そこを追求すると、恥ずかしいでしょ!?とのたまう。へ?てなもんだ。 ちぇちのみんなには言わないでくれと口止めまでしてたというから念が入ってる。まだあちこち打ち身が残っていて痛いんだそうだ。ははあ~、 そのショックで体調を崩したなあ?と私が勘ぐると、あくまで風邪だと言い張る。男ってホ~ントわかんない動物だわ!

 

 今回のラオス行きは、一応国際ボランティアをやっている夫のグループ企画のスタディツアーに紛れ混ませてもらたのだが、 全行程同じように動くことになり、色々と初体験をさせて貰った。その中の一つが、ある職業訓練所の見学だったのだが、 そこに美容師養成らしきコーナーがあった。見ればメーキャップの練習中。どさ回りの役者でも今時それはないでしょうという、 真っ青な瞼に真っ赤な頬紅。みんな可愛い女の子だったが、そのメークで台無し、のように私には思えた。そこで私が美容師だということで、 一つパフォーマンスを見せろと言われ、少々抵抗したが時間もなく、慌てて一人の若い女性の腰まであるロングヘアーをセットして見せた。 ある物はコームと輪ゴムとヘアーピンのみ。髪の毛は一切痛んでなくストレートでつるんつるんの黒髪。昔は日本にもこういう髪の人居たなあ~、 、と懐古しながら編み込みを使って日本での現代風アップスタイルを完成させた。そこにいた人々から拍手で歓迎されて、まあ、 嬉しくなかったと言えばウソになるが、そこにいた明らかに先生と呼ばれている人の表情が気になった。 いきなりの乱入者に抗う術もなくあれよあれよという間にその場を占領されたのではないか?あれじゃあ、その人の立場が無かったのでは? と心配なのだ。

 この先進国の技術を後進国に伝えるに当たっての、土地の人々のデリケートな感情を無視しても良いのだろうか?これは、 この私の場合に限らず、全ての技術に言えると思うのだがどうだろう?思いやりのある伝え方、というのが大切なような気がしたのだ。 その土地の文化を全部否定するやり方でなく、良いところを残しながらの「改善」でなくてはならないだろう。

 世界遺産となったラオスのルアン・パバンの町並みは確かに残すべきだろうとは思うが、このレッテルが貼られたことが、 この町の人々を幸福にしたかどうか、はなはだ怪しい。大挙して押し寄せる観光の人々をセーブするため、 バスの大型は乗り入れ禁止にするなどささやかな抵抗が続いているそうな。

 あの、大きな目を見張って篭に入れた雀を売っていたあの少女の顔が、今も目に浮かぶなあ、、、。

 

 

2007年8月24日 (金)

日本ってば!

 なんでこう暑っいの?これじゃあ、ラオスより暑いじゃん!?多分日本で、あの日と同じスケジュールで動いていたら、 きっと同じ事が起きたに違いない。程良く冷やした涼しい場所でのんびり動いているからナントか助かってるんだ。今日のネットのニュースでは、 刑務所の独房で71歳の囚人が熱中症で死亡したという。牢屋が牢獄になっちまった!くわばらくわばら、お天とさまには近付くまい。

 さっきのニュースでは、こないだ老夫婦が火事で焼け死んだ理由が、扇風機の加熱による火事だったそうで、あたしゃぞっとした。 帰国した日に夫がマッサージ室の扇風機をつけっぱなしにして、自分は2階に上がって寝ちゃったんだ。私もそれに翌日の昼頃まで気付かず、 も~~~ってなもんで、いつ言おうかと思ってた時に運良くこのニュースだ。「ほれほれほれ、あんなこと言ってるわよ! うちだってこないだ付けっぱなしだったんだからねっ!」と言うと夫はひるまず答えて、「あっ!そうだった!危うく木太町の老夫婦焼死、 と出るところだった!ゲラゲラゲラ!」だとお~!ったく、こっちのミスは過大吹聴するくせに!この扇風機だって、 壁掛けのを買ってきて取り付けたのはこの私なんだ!火事は古いのだそうだから大丈夫ってのを、敵も承知の対応だ。ぐやじ~。

 昨日のことだ。孫りんを連れて息子夫婦が嫁りんの実家から一時帰宅。お昼をあり合わせで食べた時のこと。 メロンを食べている息子に夫が近付いて、「そのバナナ美味しいか?」と訊いたのを、みんなで大笑いしたもんだ。だって、 全くマジだったんだから!ところが事もあろうにその時こっちの口の中にはビーフンが入っていて、 笑って息をした瞬間にその一部が気管に入っちまった!突然息が出来なくなって、ゲボゲボ言い始め一向に止まる気配がない。 心配した息子が背中をさすってくれたが、ものの3分位が10分以上に感じられた。余りに私が苦しむので、孫りんが食欲を無くしてしまった程。 夫はその様子を見ていて、「年を取るとねえ、段々こうなってくるからねえ~」と孫に向かって笑っている。「もう~っ、 お父さんが変なこと言うからでしょ!?」と怒ると、「ほら又そうやって何でも他人のせいにする!」とすましてるからなあ~。 息子はそのままフィリピンに飛び立ったが、出がけに「もう僕は気が休まらん。お互い年を自覚した暮らし方をしてくれ!」だ~って! ふひょ~っ!完璧老人扱いだ。

 

 老人と言えば、ラオスの平均寿命は60歳を越えてないらしい。町でも余り老人に出くわさなかった。病院の産科を見たが、 生まれたその日に全員退院するという。何故?と訊くと、通訳の人が言うには、家の中の働き手だから、 子供を産んでもすぐに家に帰す必要があるというのだ。ここにも保育器らしき物が少しあるらしいが、人手不足でその管理が出来ない。 病院と言っても、ホントに器具が無い。一番の死亡原因は「肺炎」もしくは「肺結核」だとか。徐々に改善されつつあるらしいが、 医療は日本の赤ひげ先生時代より悪いかも知れない。通訳の人の話では、ラオスには「自然淘汰」的な考えが根強く残っているそうな。 宗教から来るものだろう。よくぞ、入院騒動にならなかったもんだ、とは帰りの機内での我々親子の会話。危うく自然淘汰されるところだった!

 そうなんだ。この国ラオスは子供から大人まで、スチュワーデスから運転手、ホテルの従業員から総裁まで、 全員が会った途端そして別れ際に必ず手を合わせ、「サバイデー」と言う、祈りの文化を持った国なんだ。 初めは律儀にラオス流を真似ていた私も、買い物の度とか、食事の度に実行するのが大変になってきた。 何しろ必ず両手を合わせなくてはならないのだ。気が付けば、時々再々、片手でやっている自分に気付く。付け焼き刃は無理なんだ。

 そして、裸足。思ったより大勢の人が靴などを履いているが、それでもかなり裸足が目立つ。特に田舎に行けば行くほどで、 これは貧困から来るものだろうと思っていたが、実は違っていた。通訳のラオス人Kさんによると、これも宗教上の理由からだそうだ。 「大地は神と同じで、履き物などで踏みつけるのは失礼だ」ということらしい。そうか、、、と、大いに納得した。その割に、 神経質にホテルの中でさえスリッパに拘っていたが、、。

 午前6時。朝の托鉢が始まる時間だ。頑張って早起きしてホテルの近くの路上に繰り出すと、 既に大勢の住民が思い思いの容器に入れた食事などを並べて待っている。やがて足早に近付いてくる黄色の衣を着た僧侶の列。どちらかというと、 差し上げている住民の方がへりくだって、我先にと鉢に自分の持参した物を入れていく。 そのあと額を大地にすりつけんばかりにして僧侶を拝んでいる。僧侶は大人から子供まで様々だ。訊けば、この国には兵役は無いが、 僧役はあるんだそうだ。必ず一度は仏門をくぐらなくてはならない。だからこそ、あの祈りの文化が根付いているのだろう。

 

 まだよく分かってないところがあるが、ラオスの人々は、私の見るところ、世界中の人々から「後進国」呼ばわりされようとも、 別に多くを望んでいるようには見えない。その日食べることさえ叶えば、それで良いというような感じだ。勿論ビエンチャンのような都会は、 先進国の文化に毒されつつあり、物もお金も有り余るほどの欲求でギラギラしている。恐ろしい勢いで物価も上昇しているらしい。 上野のアメ横よりも何倍も複雑な市場にも行ったが、どう見てもこの町には似つかわしくない欧米人の劣悪な趣味の履き物やバッグ、 いかがわしい時計貴金属類が軒を並べていた。いやむしろそれらは中国からの物かも知れない。 このところの中国によるラオス経済侵攻振りは先日NHKでも放送されていた。

、、、こうして、又美しく良き国が一つ、消えようとしているのか。

2007年8月23日 (木)

ラオスってば!

 帰ったぜい!と威張りたい所ながら、本当はぜいぜいぜいと喘ぎながらのご帰還であった。中二日、 同行の娘と仲良く二人して40度近くの高熱でぶっ倒れ、さあ抗生物質だ、熱冷ましだ、氷だ、水だ、冷やピタだと大騒動させる。 一時は夢うつつに、もうこのまま日本の土は踏めないのか?と本気で覚悟したもんだ。今でもあの時の夢は鮮明に覚えているが、 屋根しかない囚人の護送車みたいな、ツクツクという乗り物の大型の車に、同行の人がみんな乗っていて、私も!と叫んで乗ろうとするが、 掴まるところがことごとく壊れてどうしても乗れないという、あのイヤな夢。意識がもうろうとしている中で、ひたすら帰りたいと思っていた。

 原因は、病院に行ってはないが周辺の結論では「熱中症」。炎天下、不発弾が埋まっているところ、勿論山中だが、 そこに長時間立ちつくし、説明を聞き、山を登り、田んぼの長いあぜ道を避難し、実際に爆破させるという時間を体験したのが、その原因だろう。 その日はその前後にも予定が入っていて、かなりのハードスケジュールだったのだ。高校生や大学生は流石に若さで乗り切ったが、 前日ホテルのベッドでアレルギーを起こした娘と、そこまで若くない私はてきめんやられてしまったのだ。

 最初の予想ではお腹を壊して猛烈に下痢をし、きっとものすんごくお痩せになって帰るだろうと思っていた。ところが、 高熱ではあったが、一切下痢無し腹痛無しで、食欲もその二日以外は全然衰えず~で、結局全くさっぱり、体重も体型も変わらず~であった。 なんてこった。これじゃあ何のために病気になったんだか!、、、ん?

 

 まあ、考えてみるとラオスの食事というのは、食欲がない暑いときに美味しく感じるものばかりで、病後だろうと何だろうと、 間違いなく美味しいのだった。お陰で、その後動くことも出来たし、 最後の総裁を交えてのお別れパーティでは一応歌の披露も出来たというわけだ。恐るべしラオスの健康食材!

2007年8月14日 (火)

だまし討ち。

 今日のお祝い会は、当の本人の母以外が、全員結託して全くの秘密裏に事を進めた。何処で誰とやるかを一切話さず、 いきなりみんなで夕食会をすることになったからと、母を連れ出した。お迎えのバスが予想以上に大きくて、私もびっくりしたが、 母はもっとびっくりしている。一体何処に連れて行かれるのかと心配そうだった。一番の役者は、母の妹二人で、 昨日もお盆のお参りで母と長く会って話しをし、今日も電話で長々と話したにもかかわらず、頑張って黙っていてくれたのだ。 私たちのもくろみに一役買って出てくれたという次第。、、、こうして、私たちと不審そうな母を乗せた会館の送迎バスは、 雨上がりの道をスタートした。全くの偶然だが大きな虹の半円の中をゆっくりと進んだ。娘が「まるで神様がお祝いしてくれてるみたい」、 と感嘆の声を挙げる。私も全く久しぶりにこんなにもハッキリした虹を見た。

 会場では、乾杯の段になって初めて今日の集まりの趣旨を母に話した。全く予期せぬ出来事で、自分の年齢さえ忘れていた母は、 チョーびっくり。プレゼントを受け取るたびに、お祝いの言葉を聞く度に、「夢みたい」を何十回も繰り返していた。何か一言、と言われて、 「有り難う。みんなが幸せだったらそれで良い」と涙ぐみつつ、言葉がない様子。それでもカラオケを歌い、みんなの歌に手拍子を打ち、 冗談に笑って、さも楽しげであった。

 「今日お婆ちゃんがこうして恙なく米寿を迎えられたのは、義妹Mさんのフォローがあったればこそ。」という私の言葉に対し、 Mさんは「お婆ちゃん、兎に角元気で長生きして下さい。それが一番!」と笑顔で返してくれたのには、 母を始めその場の全員がウルウルと喜んだが、私は特に感謝だった。、、、こうして会は気持ちよく進行し、 最後は記念写真を撮って散会となった。車から降りるときに叔母が、「こんな事だったらいつでも協力するからね。又声をかけてね。」 と言ってくれたのも嬉しかった。

 

 私も、これで、心おきなく明日はラオスだ。、、、って、最後のお仕事が未だあったけど、何とかなるか!?

2007年8月13日 (月)

♪お菓子の好きなおみっちゃんん~♪

 ある和菓子やさんにここ4日間連続で行って買い物をしている。移転して大きく営業を始めてから、 人気沸騰のお店で知人がそこで働いているのに聞くと、お客が一杯でお店に入れない事があるという。 たまたま私が行くときはそこそこに空いていて、買い物がしにくいということもなかったが、、、。実際猛暑の続くこの季節、 贈り物を選ぶのも骨が折れる。この手のモノで美味しければ一番手軽で良いのだ。

 しかしまあ、和菓子というのも色々あって面白い。昔ながらのものがケッコウ人気らしかったが、 お店の工夫も受け入れられているようだ。洋菓子に近付いているものもある。洋菓子にも、小豆を使ったモノが出回っているし、まるで、 洋画と日本画みたいに歩み寄ってきている。一つロール菓子が気になったが、持ち帰るには大きすぎて、多分食べ過ぎるし、 贈るのも味がイマイチ予想できなくて諦めたモノがあった。次はあれ狙いだ。、、こうして肥満街道ひた走る~夏太りのおみっちゃんであった。

 

 今日こそは早寝をと思いつつ夕食を待っていた息子と10時過ぎに帰ってきた夫との3人で、喋りながら食べていると、 結局遅寝になってしまう。又今日はNHKテレビがスペシャルで終戦前後をやっていて、自ずと話題は戦争と平和だ。 ということは話しが尽きることがない。さすがに零時になったときは自然にお開きになったが~。

 

 旅行の準備を一応済ませたが、何かしら忘れ物があるような気がしている。いつものように、、、!

2007年8月12日 (日)

何故かこうなる。

 いつか一緒に食事をと、口約束をしながらなかなかそのチャンスがなかった親戚のT君夫婦を招き、初めての夕食会。 飛び入りのM女史との和やかな食事タイムは、順調に過ぎ、終わってみれば11時を回っていた。 500人分のテストの採点を持ち帰っている筈の息子も、ラオス行きの準備に追われているはずの夫も、まだ何一つ準備が出来ていない私も、 全てをなげうって!楽しい夕食会と相成った。ビールは勿論おいしいワインも空け、冷酒もしたたか飲んで、私としてはやっつけの料理だったが、 とりあえず第一ラウンド終了だ。今後、仲良く付き合っていきたい夫婦だ。

 何故今日なのかと言うに、T君とは、息子が幼いとき大変世話になった若者だが、なかなか息子と話すチャンスが訪れず、 今回多少の無理をしてでも会っておこうとなったわけだ。飛び入りで友人が手伝ってくれたから良いようなものの、 一人だったらヒステリーが起きていたに違いない。だって、その前に嫁りんのご実家に夏のご挨拶に行き、孫りんに散々泣かれ、 別れ際は子供心に気の毒になったものかどうか、しっかり私に抱かれてはくれたが、それまでの小一時間がと~っても永く感じられた。本日は 「みっちゃんと呼ばせるのを断念。早々に退散。今に見ておれ!ちび助め!

 

 ちぇちの連中は今日は会長の海辺の別宅で、泳いだり「たこ焼きパーティ?」して盛り上がっているはず。 団体行動をスムーズに進めるためには、個々の親密さが大切で、その為にはこの様な「遊び」も必要だ。あたしゃ事情が許さず不参加だったが、 大勢集まって何かやる機会はもっと持つべきだろうなああ~。、、、ラオスから帰ったらそんなこんなを踏まえながら、いよいよオペラだ!!!

2007年8月11日 (土)

短い一日。

 ふ~っ!今日も一日終わった。午前10時15分に迎えに来てくれた友人の車で、一件用事を済ませてから、会場へと行ってみれば、 珍しいことにまだ誰も来ていない。しかし程なく次々と県内外から短歌のメンバーが集まってくる。懐かしい顔ぶれに混じって、 おやと思うほど若い新人も居て、全体がフレッシュな感じだ。

 昨年はお弁当だったのが、今回はコース料理的に出てくるとあって、一番に歓声を挙げたのがちぇちのメンバーでもあるS女史だ。 どうも我が友人達は食べることに執着があるなあ~、類は類をもって集まるか。

 「行き当たりバッタリで良いから」と師匠に言われ、全くその通りに司会進行したが、お陰で最終的には時間が無くなって、 自分の歌の論評を皆様にお聞きすることなく終わることになって残念だった。ま、二次会でお褒め頂いたから良しとしよう。フフフ。

      雲海をわづかに染めて昇り来るご来光を見る息つめて見る

 という歌だったが、剣山に一緒に登った連中にはこの感じ分かって貰えるだろうか。

 

 特筆すべきは、矢張り大学院生だという若者二人の参加だろう。特に女性は「感性」もあるが、それのみに頼らず、 きちんと短歌というモノの本質をとらえようとしている姿勢が見て取れて好ましかった。「年寄りの手慰み」的な趣味の一環から、 このまま行けば一気に文学の高みにまで登りつめる事が出来るのではないか?と期待感が湧く。こういう人を今後どう育てるか、、、師匠、 頑張って!だ。男子学生も豊かな感性を持っているし、新しい作風を個性として持ち続けるかも知れないなあ~。それもありかも、、、。 考えてみれば、短歌は、声楽よりも自由だなあ~。「生み出すもの」と「なぞるもの」の違いか?

 

 帰宅してみれば、夫は息子としたたかに飲んで上機嫌。店屋物で二人して私の悪口でも言い合って気炎を上げていたに違いない。 流しにおかずの残骸が、、、。今日ばかりは「二人でテキトーに食事しといて!」ときっぱりと言い切って出た私だったからなあ。でも、 終わりよければ全てよし。午前0時を回った今、二人ともとっくに夢の中にお入りだ。

 さあ、私も植木に水やりを済ませてぼちぼち寝るとしよう。次から次へと襲いかかる亡者を上手くかわしながら、、、。

2007年8月10日 (金)

短歌のことなど。

 旅行のための買い物リストを作る暇さえない。出来るだけあるモノで、しかもあわよくば捨て帰れるものを持って行こうとは思うが、 それらを集めることすら出来てない。娘はなんだかんだと準備してるようなことを言ってくるが、あたしゃそれ以前の問題だ。 子供達の受け入れ準備だけでも大変なんだから。

 ああ、その上、帰国した日に短歌を出す必要がある。って、勿論発つ前にでも出せればそれはそれで良いのだろうが、 全く全然さっぱり出来てないから、到底無理。

 感動がないと良い歌は生まれない。心が動かないでは、よしんば詠めたとしてもそれを読む人の心を動かすことは出来ないだろう。 そんな駄作ばかり排出して、良いのだろうかという疑心暗鬼はいつものことだ。その都度、師のねばり強い指導でなんとか続いてきてはいるが、 この先どこまで歩いていけるモノやら、、、。

 まっいっか。人間いつまで生きられるかなんて事ばかり考えてたら生きられなくなっちまう!足下足下。S先生も仰るように、「焦らず、 ゆっくり、ゆっくり、、、」だなあ。

 

 明日はいよいよ「短歌の記念歌会」だ。司会をせよとのお達しに、かなりびびっているアチクシなのだ!昼食会からだが、 食事が喉を通るかしら?な~んちゃって!

2007年8月 9日 (木)

やっぱり歌が好き。

 朝から洗濯やら仕事やら、COOPやらと人の出入りも多い中で、気が付けば母がカラオケを終える時間だ。 そう思った途端電話がかかり、お迎えついでに夕食の買い出しだ。今朝の来店客は老人施設にお勤めで、 矢張り人間外部と接触が無くなると途端にぼけるという話しを聞かされる。今日は早速そのお言葉通り母を少しでもと外部に連れ出したのだ。 確かに本能的に本人もそれを感じているらしく、声をかけるとすぐに付いてくる。今日だってただウロウロしただけで、 何を買うというわけでもないが、どこか楽しそうだった。

 母を送り届けた後、夕方からの演奏会に行こうか行くまいかと、悩みながら夕食の準備だ。なんだか疲れているから、 行ったら眠りそうだったのだ。、、、が、これが不思議なもので、「えいっ」と出かけてみると、某音楽大学卒の方々の演奏会だったが、「歌」 の会だったためかちっとも眠気が来ないばかりか、面白くて身を乗り出して聴いたものだ。

 殆どの曲が自分が歌った経験があるもの、あるいはいつか歌いたいものだったということもある。 マツイ55さんのオススメの席は二階の一番前で、ここからはソリストとして舞台に立つ、その緊張が手に取るように伝わってくる。 この大学は歌の人が優秀だと聞くが、確かに良い声の人が多かった。知ってる人も何人か居て、流石に興味深く聴くことになる。、、、、しかし、 歌は難しい。以前聴いたときはとても良かったのに~と思う人も居たし、今日は元気がないなあ~とか、 ちょっと声に迷いが出てるなあ~という人も。これが生モノのさだめだ。妙に身体が揺れて、声がちっとも定まらない人も居る。 ここぞと言うところで、声が上ずったりかすれたり、、、、他人の事はよく分かるんだ。

 テノールのY君は、相変わらずの美声をたっぷり聴かせて拍手喝采を貰っていたが、ちょっと私は苦いことを言わせて貰おう。 今日の彼は舞台慣れしすぎて、pppに持って行くところを声を抜きすぎていると思った。その結果、歌が弱々しくなり、 本来の歌の魂とでも言うべきモノが感じられなかったように思う。天性の良い資質を持っているのだから、小手先に溺れず、 真っ当な歌の道を進んで欲しい。そうすればきっと、世界に通用するテノール歌手にもなれるでしょうに、、、、と、まあ、 このテノール不足の中で、もったいないと思うおみっちゃんの繰り言である。

 最後にイタリアで活躍中のメゾソプラノの方が歌ったが、キャリアを見せつけてくれたし、オペラを長年「正しく」 歌ってきている人の声だった。くしくも先日K女史がリサイタルで歌われた「セギデーリア」を今日はメゾの声で聴いた訳だが、 二人の全く違う声がそれぞれに説得力を持っていることに思い至り、益々歌は面白いと思ったことだ。、、、しかし、このベテランでさえ、 あの席からは、水鳥の水面下のあがきのようなものが見えた様な気がした。実際、今日のような客席は歌いにくいことだったろう。 半分から前はガラガラ。その後ろもパラパラの入り。それだのに私のように二階席に陣取っている人も何人か居て、これじゃあ、 歌う気にならないんじゃないの?と思ってしまう。矢張り客席と舞台は一体感がないと、盛り上がらない。お気の毒な演奏会だった。

 

 帰ってから、今度の母の米寿の祝いの席と、ラオスでの「一芸」のつもりの、マジックの練習。覚え立ての二つを夫にやってみると、 何故か上手く行かない。なんでも簡単そうで、なかなかに難しいモノだ。何度かやっている内に少しはましになってきたので、明日当たり、 レッスンに来る人にもカモになって貰おう。、、何をやってんだか!?

 

 途中から、吉永小百合の朗読行脚のテレビを涙ながらに見る。原爆をテーマに20年以上も続けているとか。 彼女も私も1945年生まれ。即ち、終戦の時にお腹にいたか、生まれたてのどちらかなのだ。実体験としては知らないが、「戦争」について、 ことある毎に考える世代ではある。私の学年はいつも一番人数が少なかった。ということは、母子ともに死んだ人も居ただろうし、 死産だったという人も居ただろう。中には生まれても生きられなかったケースもあるだろう。しかも、この原爆は、 これ以上は無い殺戮兵器だったのだ。自分と同じ年の人々が、どんな目にあったかを考える時他人事ではない。たまたま、両親が台湾に居て、 諸々の好条件の元私は助かったが、生まれてくる場所を自分で選んだわけではない。同様に、広島長崎に生まれた人達も、 自分で選んでそうなったわけではない。、、、そう考えるとき、自分が如何に恵まれているかを改めて感じさせられる。「精一杯生きること」 それが幸福な生を受けた私に出来ることの一つだ。吉永小百合の様に、具体的に直截的に行動するのも大切だし、広く「反戦」 を掲げ後進の人々にそれを伝えて行く彼女はホントに立派だと思う。私も自分流だが「反戦」を歌い続けたい。 それで何かが変わるとは思えないが、そうせずには居られないという思いからだ。

 今日の演奏会でも、Pace(パーチェ)=平和、という私の大好きな歌が歌われ、帰る道々、車の中で歌っていた私だった。 Pace Pace Pace、、、、。

2007年8月 8日 (水)

スケジュールなど。

 おっそろしく時間が経つのが早いと感じる。もう明々後日には孫りんが帰省するが、その頃あたしゃ短歌でギュウギュウ言ってるだろう。 翌日はラオスのステディツアー参加者全員の顔合わせがある。いくらなんでもこの日は孫りんと会いたいし、となると又走り回ることになる。 しかもその日、親戚が初めて夕食に来ることになっている。13日中に旅行準備だ。14日は娘が帰り、我が弟の家族共々母の米寿のお祝い会だ。 でもっていよいよ15日がラオスだが、上記の内半分の予定は完全に頭から消えていた。掘り起こす作業をここでやっといて正解だ。

 本日ようやくCantiamoの曲を決めたので、飛行機の中で暗譜の予定。H先生のまねだが、果たして成功するだろうか?

 このレッスンに一つ前のコマを受けたNさんが見学だと入ってくる。 あまりの不勉強さに呆れている会長の顔と私の顔を見比べてはゲラゲラ笑っている。彼女にも言ったが、あたしゃホントに忙しいのだ! この日記に書いてない諸々の事件や電話や事務的なことや創造的なこと、家事に仕事(一番最後だ!)がこの細腕にしっかり巻き付いているのだ。 本当は朝から晩まで歌っていたい。、、、、しかし、殆どの女性が同じ思いで歌を勉強し続けているのだろう。 そんなに恵まれた環境の人ばかりではないはずだ。早い話が今度岡山フィルハーモニーと共演することになっているYさんもその一人だ。 長時間かけて職場までの往復。それに加え、厳しい商戦の渦中にあってプレッシャーも大きいようだ。そんな中、 狭き門のオーディションに連続して合格。常に高みを目指す根性は全く見上げたもんだ。みんな爪のあか貰って来るべきだ!

 そういえば、そのYさんのご亭主ととある席でご一緒したら、 この頃のみっちゃん日記が以前と違ってボリュームアップしているのは何か訳があるのか?と訊かれてしまった。 単純にこの書き込みのページが大変書きやすいからに他ならない。まあ、読んでくれている人も居るもんだなあ~。

2007年8月 7日 (火)

今日こそ早寝だ。

 このところポカが多いなあ~。って、前からか。でもやっぱり頓にって感じだ。考え事をしながら別なことをやろうとすると、 どっちかが疎かになっている。永いこと「ながら族」を自認していたが、どうも怪しくなってきた。

 お陰で仕事がはかどらない。今夜もジムは諦めて、次から次へと電話とメールだ。その上、あれもこれもと浮かんでは来ているが、、、 どうしようか?またまた深夜族もなあ~。12時以降にあれこれやるのは、静かで効率も良いのだが健康的でないことも確かだ。 夜更かしすると日中がだるいしなあ~。、、、って、考えてる内に出来るだろう!ったく。

 

 今夜レッスンに来たSさんが、なんとご親切に「ラオス語」の会話集小冊子(ここが大事)を持ってきてくれた。ちょろっと見た(!) がなんだか勝手が違うなあ~。どうやら旅の終わりまで持ち歩き、めくり続けることになるだろう。以前ラオス人の女性に「ぽかぽか温泉」 というのを発音して貰ったら、さっぱり訳が分からなかった。ホーがホーーだったりフホーだったりしても聞き取れないのだ。むちゅかし~。 息子は一応少しは喋れるらしいが、、、、となると、又バカにされるんだろうなあ~。あれだけ勉強するように言っただろうとかなんとか。 だって、あたしゃ忙しいんだ。食べる暇はあっても寝る暇はないんだ。ん?

 友人が手頃な旅行用コロコロを持て来てくれたが、 夫の話しだと全員あちらの子供にプレゼントするお土産を手分けして持つ必要があるらしい。となるとあれではねえ~。、、てなことで、 さっぱり準備が出来てない状態。ホントに行くのかなあ?

 娘も電話で「今度の旅行は旅行に行くって感じじゃないよねえ。」と言うから、「じゃあドンナ感じ?」と聞くと、「登山みたい」 だって。まあ、確かにそうとも言える。靴は運動靴。雨具の準備にボロTシャツ。サングラスに日よけ帽子だからなあ~。 そして宗教上の理由からノースリやタンクトップがダメらしい。、、、しかし、なんだかんだ言っても少しずつ楽しくなってきているのも事実だ。 このまま良い旅になるだろうか、、、?

2007年8月 6日 (月)

二日酔い?

 今日はどうしたことか、テンポが悪い。朝のシェイクスピア「リア王」も、思考が纏まらず、 コーデーリアにこだわって頭の中がぐるぐるぐる。「Nothing」の一言が招いた悲劇、 コーデーリアの頑固さと融通の利かなさが招いた悲劇、と講義の後の昼食会で人は言うがそうだろうか?その一言を発するまでには、 相当胸に溜まったものがあったはずだ。

 リア王はシェイクスピアの言う「受容」からはほど遠いところに居て、何もかも自分の思い通りにならないことに常に苛立つようになる。 そこから転落の人生が始まっていき、最後は3人の娘の中でただ一人コーデーリアだけが真実自分への愛を持っていたことを知るが、 その時その娘は彼の腕から神の手に召されてしまう。「取り返しがつかない」という完全な絶望。これは、 あのイタリア映画「道」のラストを思い出させる。その時初めて、この二人の男は、人生の現実を受容せざるを得ないのだ。、、、 無宗教の私が言うのもおこがましいが、こうして大いなる神は人々に最も残酷なやり方で人生の真実を教えるらしい。

 

 ちぇちの練習はやればやっただけのことはあるが、私から見ると遅々として進まない。 ナントかみんなが覚え易い様に工夫をしなくてはならないなあ。だいたい練習会場だけでやろうとしているのが問題だ。今日したところを、 次回完全に覚えてきてくれなくては、一歩前進二歩後退だ。「理解」しないところからは良い演技は生まれない。自分が今、何故ここにいるのか? どんな気持ちなのか?周辺の人との関係は?etc

 同じように演技指導してても、確実に自分のものにしている人と、そうでない人が居る。「笑い」一つも、「素」 の自分のままの人も居るが、チャンと役になりきっての「笑い」を演じている人も居る。ソリストの中にも、すっかり予備練習をしてきていて、 完全に役所を把握している人もいる。、、、このばらつきをならして行かなくてはならない。私の役目は、交通整理と農婦だ。

 主役のT氏は本日素晴らしい発声で、これなら主役に相応しいと、思わせてくれた。女性陣にムラがあるが、 きっと本番までには何とかなるだろう。(く~っこの楽天家め!)

 

 寝る。

 

 

2007年8月 5日 (日)

睡眠不足もなんのその!

 いやあ~、本日も濃い一日ではあった!朝も朝、午前3時起床、4時来店客のお着付け。でもって、昨日やり残したお仕事の一つ、 本日のプリマ小濱の演奏会のチケットをお届け~。帰宅して、仮眠を取って再び来店客を仕上げ、12時前に迎えに来る車に乗って、 ちぇちの連中と待ち合わせ兼配車と昼食をうどん屋で。夕べからきちんとした食事をしてないので、「ざる天の大」を注文。 流石に食べても減らない、、とか言いつつきれいに平らげ、車の中では寝る宣言をして、気が付けばサティの駐車場側。 まだ夢の中をさまよっている感じ。数分蒸し暑いアスファルトを踏みしめながらホールへと急ぐ。近付けば、懐かしいお顔がチラホラ。 早速旧交を暖める。先日の剣山登山隊の人達も来ている。

 やがて始まった演奏会は、いつもの小濱嬢とは雰囲気の違う曲ばかり。それもその筈、全て恩師の愛唱歌だった。 1部の最後にカルメンのセギデーリアを歌うに当たり、会場からドン・ホセ役を募ると、勇気ある男性が一人手を挙げる。 この場面を知っているのか居ないのか?その男性はただ突っ立っているだけ。まるで闘牛士の牛が、 角を突き立てて電柱に向かっているようなもので、もうおかしくて仕方がない。私のお隣で、会長は珍しく大受け。涙を拭きながら 「おかしいおかしい」を連発。会場も湧きに湧いた。この方は最後には花束を手渡されてご満悦の様子だったが、相変わらずのサービス振りだ。

 2部に入っては、オペラの名場面集で本格的歌唱力を見せつけた。音響の大変よろしくないホールで、 あそこまで声を通す事が出来る人はなかなか居ないのだ。実際過去にも他の歌手のコンサートに来たことがあったが、もうもうさっぱりであった。 今日のプリマはピッチが高く、まとまった美しい響きを出していた。特にカッチーニのアヴェマリア、PPPは素晴らしいキープ力で、 その前の落葉松と共に、観客の涙を誘った。

 アンコールのおまけは姉上のタップダンス。まあ以前少しはやったことのある私なので、 あの作業がどれくらいしんどいものか分かるというものだ。又、プリマがピアノを弾き語りをしたり、姉上のオブリガードを聴かせたりと、 盛りだくさんのサービスも愉快だった。お二人を小さい頃からご存じのお客様へのプレゼントみたいなものだ。

 打ち上げに参加させて貰ったが、こちらも大いに盛り上がった。気の置けないM先生を隣にはべらせて! 今宵は奥方が遅れて来るというそれまでの間、笑っては飲み、飲んでは喋り、喋っては笑うの繰り返しで、いやはや、 こんなに楽しくって良いのかしら?てなもんだ。右隣には、ニューヨークにご一緒したM女史が居て、 次から次へと食べものをゲットしてきてくれる気の使いよう。ホントにこの方は良く気が付く方なんだ。お陰で、最初から最後まで、 美味しいものをすべ~て、賞味させて頂いた。最後のフルーツの中でもマスカットはサイコウだった!

 プリマのご両親が県外でお見受けするのと違い、ここ地元坂出でのコンサートはすっかり肩の力が抜けて、 楽しげだったのが印象的だった。彼女はホントに親孝行だ。父上が、私にまでビールを注ぎに来てくれて、 今までで一番嬉しかった事というのを話して下さった。それはシュワルツコップの内弟子としてスイスに駐在中の妙美さんのレッスンを、 見学に来ても良いと言われて、先生のご自宅まで行ったときのことだ。この体育会系のお父上は表現が面白い。二人のレッスン風景はまるで 「格闘技」の様だった、というのだ。お互い分からないところは徹底的にやり合い、納得するまでぶつけていたらしい。しかし、 この真剣なレッスンに立ち会わせて貰ったことが、今までの妙美関連で一番嬉しかった、と言われる。さすが、 普通の親御さんとは視点が違うなあ、と感心させられた。

 

、、こうしていつの間にか夜は更けて、一緒に帰りませんか?と電話してきてくれたメンバーのTさんにも、 送って下さるというOご夫妻にも丁寧にお断りし、遅れてやって来たM氏の奥様の新幹線並のスピード食事のあと駅までご一緒する。 折しも駅前広場では太鼓ちょうさが勢揃い。ドンドンワッショイのかけ声と太鼓でクライマックスを迎えたところ。 携帯に写真をと構えたらMご夫妻が丁度良いJRに乗るからと手を振っている。しばらく太鼓連を珍しく見物した後JRに乗って、木太町駅まで。 そこから我が家までは1000円以内で帰れるし、高松駅構内もホームの乗り換えだけでとってもラクチン。でも、 久しぶりに乗ってみたら何が驚いたって、ドアーが自動でない。いつの間にか手動になっていて、自分一人で降りるときはドキドキだった。 は~っ!?

 

 今日は嬉しいこともあった。演奏会場でシェイクスピアの講座に来ていた方が昨年脳溢血で倒れられて、 入院リハビリ中とうかがっていたのが、もうすっかり良くなられて、玄関で私たちと会えるかと待っていて下さったことだ。といっても、 まだ杖をついては居られたが、、。やがて先生や他の受講生達も寄ってこられて、お互いの健康を気遣い合って別れたものだ。ホントに、 人はいつどうなるか分からない。この方は、美しくて知的で、教養があって明るくて、確かお子さんは数人育てた方だ。 謙虚でしかもユニークな発言にいつも注目させられていた。ご主人の大病を乗り越えているという事をお聞きしたばかりだったのに、 今年の年賀状でリハビリ中といきなり来てびっくりしたものだ。しかし、そんな中で、ちょっと前にオーストリアに行って来たんですよ、 と又一つ山を越えられたことを報告して下さったのは、私を始めみんな我が事のように嬉しかったのだ。

 以前、I会長が言われたこと、「音楽は人間関係を創る」を、正しく実感した一日だった。

画伯再び。

 今宵はひょんな事からK画伯のアトリエにお邪魔することになった。友人Yと二人連れで大歓迎され、 帰りの運転をYに頼めたので私は結果的にしこたま飲むことになった。名前を忘れたが、「辛口」 と書いてあるのにもの凄く飲みやすいあの日本酒。どんどんお代わりしても酔いが回ってこないばかりか、段々頭の回転も良くなってくる。 心地よいほろ酔い気分で帰りの車は言いたい放題、酔ってない筈のお方までゲラゲラゲラと、際限のないお喋りだ。

 その昔、池田満寿夫ご夫妻とこのアトリエでしょっちゅう議論を戦わせたり、このご夫婦の手料理をご馳走になったりしたことが、 まるで昨日のように思い出される。あれからなら、随分と様変わりしたなあ~ここも。今は、うんと若い男女が画伯を支えている。

 明日は午前4時からお仕事だ。さあ、もういくらなんでもね~。

2007年8月 3日 (金)

昨日と今日。

 夕べはこの日記を半分眠りながら打ったので、傑作なタイトルになっていた。キーを押したまま眠ったのだろう。いやはや、 まったくもって漫画的な我が生活だ。

 そもそも昨日の文面は、タイトル「芸術は厳しい~」自体が、さっぱり意味を成していない。 昨日の酔っぱらった頭では兎に角そう思ったんだろう。今日はそれに補足説明をしておく必要があるかも知れない。

 K画伯は純粋な方で、ひたすら作品に全力投球して、今回の故郷のお仕事もどのような仕打ち (仕打ちとしか言いようがない進行だったようだ。)を受けようとも、譲るだけ譲り、折れるだけ折れて、 現場に居ない分人任せになるため心を砕いておられたようだ。しかし、「著作権」 というものが現代社会に於いてはもの凄く幅をきかせている筈だが、その権利を作者が主張しない限り、 芸術家は経済やシステムや政治などに翻弄されてしまい、本来の力が発揮できないらしい。これは、県下のホールに偉大な音楽家が訪れても、 その公演が黒字になることは殆ど無いというここ香川県の現実を思い出させる。

 議会制民主主義。このシステムで殆ど全てのものが決定されて動いているが、それを司る人々に、 芸術を理解する人が居なければその地方は不幸だ。そのトップは別段手を下さなくても、その思想は末端の隅々まで影響する。 「芸術は余計なもの」的な発想が不景気になってくると顕著に見えるようになってくる。私から見ると、 とんでもない無駄遣いをしていると思うのに、地方の芸術文化を向上させるための僅かな経費も、官公庁は削減削減と叫んでいる。 これで潤いのある、「美しい日本」が作れるのだろうか。「無駄」と見えるものの中にこそ、人間の本来あるべき姿が描けるのではないか。

 てなことを書きたかったのだろうが、昨日のとろけた頭脳ではさっぱり思考が纏まらなかったというわけだ。

 

 さて今日も漫画的な一日ではあった。

 朝から来店客に対応したり、携帯のデーターを入れ直したり、メールの処理をしたりしていると、 シャンソンの別クラスに編入したHさんから電話が、、、。「あの~先生、今日は1時半までに行けば良いですか?」 と言われて初めてハッと思い出した。新しいシャンソンのクラスが今日から始まったのだ。忘れていたとはおくびにも出さず、「そうですよ~。 よろしくねえ~。」と返事しながら、内心「あ~良かった!」と安堵しているお馬鹿な私。毎朝手帳を見ようと思いつつ、 携帯が鳴ってはついそれに熱中し、チャイムが鳴ったら反射的にお仕事し、メールのチェックをしては、その処理に没頭し、、、 と計画性が全くない。

 その上、今日は夕方から会長レッスンにお部屋をお貸ししてあり、某演奏会の時間とダブっていて、 こりゃ又忙しいなあ~と内心思っていた。でも、カルチャーから帰宅してお一人お客様を仕上げるとモ~レツに眠気が来た。 こりゃダメだとマッサージ機で暫し仮眠。ほんの15分だったが、宅急便の人が来た声で目が覚めた位に熟睡した。 これで今日も遅くまで持てるんだ。

 やがて会長のお出まし。にもかかわらずレッスン生が来ない。じゃあ、先にお食事でも、と時計を気にしながら食べて頂くが、 一向に現れる気配がないので、M君に電話してみると、す~っかり失念していたらしい。しっかり者の彼にしては珍しいポカだった。 みんな暑さでやられて居るなあ~。で、本日のレッスンは1時間ずれとあいなり、そうこうしていると古くからの友人Y氏ご夫妻から、 今からお邪魔しても良いかとの電話。ありゃりゃ~、本日は演奏会が、、、、と思ったが、このだらだらした空気で急に行きたくなくなって、 「う~ん、良いわもう。行くの止めたから。」とあっさり予定変更し、彼らを迎える。 結局彼らとレッスン生のTさんも一緒にわいわい言いながらの夕食だ。次にやってきたのはオペラの主役マンマアガタだ。 デザートにのみ関心がある彼は、ゼリーと水ようかんとのダブルを食べ、やがてレッスンにと二階へ。 結局彼は帰りをY氏に送ってもらいラッキーだったのだ。

 よく考えてみると、私の一日のスケジュールは、余程テンションを上げてないと次から次へとこなせないのだ。 緊張の糸が一瞬緩むともうダメ。そこから動けなくなってしまう。今日やり残したことが3件。明日に付けが回ってしまったのだ。あ~あ。

 だけど、今日Y氏が持ってきてくれたお中元はステキなものだった。ホタテと鮭のハム、という珍しいものだった。 早速頂くとこれがとっても美味。明日からのビールが楽しみだなあ~。

 

 今夜はちょいと面白い議論が展開された。韓国の整形ブームについてだったが、まあ、良いんじゃないの?っていう人も居たのだが、 私はあんまり好きじゃないなあ~。S嬢も「外見にだけ拘るっていうのも、、、、?」と疑問を投げかけていたが、、。

 綾小路君麻呂はこういう。「奥さん、何がおかしいんですか?残念です。そんなきたない顔に笑われて。人は姿形じゃないんです。 良いですか!?人間は、見た目なんです。」このくだりを聞いて、何回も大笑いしている夫を側であざ笑っていたが、まあ、 こういう外見をテーマにすると確かに面白いんだなあ、これが。彼は真実を言ってる時もある。「皆さん、 ひとはみんな自分を美人だと思って暮らして居るんです。だから生きていけるんです。だからこうした公の場所にも出てこれるんです」 と展開していく話術には、ホントに抱腹絶倒、何回聴いても笑ってしまう。でも、日本のこうした笑いは、 韓国の整形に走る風潮よりは遙かに健康だと思うがどうだろう?

 美人を創るというブームは、そうでない人の存在価値を否定するものだ。これの根っこには「人種差別」があるように思うがどうだろう? 五体不満足でも、メガネをかけていても太っていても、(コホン)顔に痣があろうが手足が不自由だろうが、人間に変わりはない。 そういう人達の存在をも認めて、世の中色んな人が居るのが当たり前と考えて、それで初めて成熟した国と言えるのではないか?

 

 人が集まると、いろんな話題がでるもんだ。

 

 

 

 

2007年8月 2日 (木)

芸術は厳しいっっっっっっっっっっ!

 今宵、ある和食のお店で会食であった。メンバーは老舗大店の主ご夫妻とK画伯ご夫妻と我ら夫婦の6人。 長年の知人同士ではあるがこのメンバーでの会食は、多分10年振りくらいか。溜まりに溜まった話しのタネは尽きることがないという勢いだ。 美味しい料理と楽しい語らいは、夜の更けるのも忘れさせて、およそ4時間という時間があっという間に流れた。何が楽しいって、 話題は芸術論から家族の在り方まで、ホントに幅広いこと。そして6人がそれぞれ万遍なく話し、お互いに譲り合う中で会話を整えるという、 配慮のある気持ちの良い進行だ。誰かが独演するというのでもなく、かといって、喋り足りない人も居ないという、 これは高度な技術が必要な話術だろうが、思いの外スムーズに行ったのは、そこにいた人々の見識と人格と教養のなせる技か。 (ずうずうしくも自分が入っている)

 若い頃は、この手の席は大層苦手だった。周辺にばかり気を遣い、何を食べたか記憶がないくらい緊張したもんだ。場数を踏んで、 幾分慣れてきたせいで、食べ物の味だけはよく分かるようになった。今日の和食コースは、色々と凝ってあって、ボリュームもあり、 満足をやや超過かも~。飲み物も、ビールを皮切りにワイン、冷酒とミックスだ。しかし、自分でも限界は分かるようになっていて、 飲み過ぎは無し。これくらいなら可愛い部類だろう。

 

 行く前に、会計さんと書類製作に没頭。しかし、完成まではまだまだ、、。ナントしてもラオスに行く前に仕上げなくっちゃあ。

 

2007年8月 1日 (水)

騒動に紛れて、、、。

 本来ここに書くべき事をそっちのけの、携帯フン失騒動であったが、今日は月曜日の練習風景を書き留めておかねば。

 初めて、オペラの最初のシーンから動いて貰った。案の定、さっぱり訳が分かってない、といった体のみんな。 突っ立って歌うのとは大いに勝手が違うということだけは分かっただろう。そこにいた二人のA氏は、 いきなりセリフで登場させられたにもかかわらず、堂々とやってくれて頼もしい限りだ。 男性陣はきっと力以上のことをやってのけるだろうと信じている。なかなかテンポ通り行かないお方も、本番はいつも大受けするからなあ~。ま、 他の人もこれからだ。

 W先生もI先生も口を揃えて、今回のオペラは掛け合いが多く、きっちりと覚えておかないとやばい、と言われる作品だ。その為に、 今まで動きをつけるのを我慢してきたが、いよいよ時間が無くなってきた。お盆明けには本格的に芝居をつけて行かなくては間に合わないだろう。 救いはみんなが思いの外柔軟なことだ。頭が柔らかい、拘らない、固執しない、素直。 この芝居を創っていく上で必要な条件をみんな備え持っている。きっとこれからスムーズに進んでいくことだろう。

 今日は岩盤浴でも舞台の構成を考えていた。こうしてこれから本番まで、毎日がとらわれの身だ。みんなも、 異次元を行ったり来たりしながら暮らさなくてはならないのだ。その合間には、事務的な事もたくさん入ってくる。さあ、 いよいよふんどしを締めてかからなくては!、、、て、どうしてもシモネタになっちまうなあ~。

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