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2007年7月

2007年7月31日 (火)

事の顛末。

 今度の騒動の立役者は実は私ではない。と、今思うのだが、まあ、原因を創ったのは間違いなく私なので、準主役くらいのもんだ。

 朝になって、2度も入っていた留守電のお礼をと、電話をかけてみると、あの店主とおぼしき人が、 もうすっかり親しそうに私の名前を呼んでくれる。その真っ直ぐな声を聞いていると、もうそれは不要ですとは言えなくて、 流石に送ってまで頂くのもどうかと思い、本日受け取りに行かせて頂きます、と相成った。

 丁度友人Sさんが電話してきたので行くつもりだと言うと、Sさんの話しではどうやらそのうどん屋さんとは偶然にも遠縁になるらしい。 これ幸いと同行して貰うことに。母と、その友人姉妹と4人で昼食をそこで食べることに。ちょいとした手みやげなど買って行ってみると、 ここは有名店で平日だのに一杯の人。玄関を開けると全ての従業員が「いらっしゃいませ~」に続いて、「あ~あ~、」 と懐かしそうに私にほほえみかけてくれる。そこでとびきりの笑顔で迎えてくれるのが店長さんだ。 早速丁寧にくるんでペーパーバッグに入れてくれた物を取り出し、手渡してくれる。丁寧にお礼を言って受け取り、手みやげを渡すと恐縮しきり。 ナント、自家製のアイスクリームをデザートでどうぞ食べてって下さい、と言われる。「まあ、そんな、、、」とやりとりしていると、Sさんが、 「あなた、あの方がいらっしゃるわよ」と言うのでその方を見ると、 先日シャンソン発表会で場所をお借りしたイングリッシュガーデンの社長さんだった。「まあ、その節はありがとうございました」 「いやいやこちらこそ、、」と、注文したざるうどんの大を持って隣のお席に。「どちらにお住まいでしたか?」と、 遠いうどん屋さんに来ていることをいぶかしげに聞かれたが、勿論、何故ここに居るかを言えるわけがない。2番目の理由の 「うどんが美味しいから」と告げて、話題を変える。この方とはもっぱら12月のオペラのこと、先日利用した場所のこと、 などが話題であったが、転んでもただでは起きないおみっちゃんの真髄を発揮して、FM出演交渉成立だ。 あの素晴らしい庭園で既に沢山の方々が演奏会を持っているが、まだまだこれから知名度を上げていきたいとの強いお気持ちが見て取れたから、 頑張ってオススメしたのだった。これで、ラオスに滞在中の収録が出来るなあ~。

 全て美味しく頂いて、皆さんの素晴らしい笑顔に送られて外に出る。一件落着。ふ~っ。矢張り繁盛店にはそれなりの理由がある。 一事が万事この調子で、お客様と接しておられるのだろう。

 しかし実は結論はまだ出してない。せっかくこうして手元に戻ったものを、むざむざ処分して良いものか?、、、しかし、、、。 チップとやらをショップに持って行くにしても、取り外し方が分からないし、手袋持って行ったら?な~んぞとSさんは言うが、 どうもその勇気もない。、、、てなことで、まだ顛末、とは言えないか。

怪我の功名、その2.

 夕べは「大掃除」が祟って、この日記どころではなかった。ちぇちの遅い練習が終わって帰宅して、この日記を書く元気も出ず、 即行ベッドの携帯電話をボッチャンしたお陰で、良いことが次々と、、、。

 パソコンに入っている方々にメールでお願いをして、新しい携帯にアドレスを入れて貰ったのだが、中には随分とお久しぶりの人も居て、 まるで時ならぬ年賀状のやりとりのような事が起きている。その方々からは、近況を知らせて貰ったり、こちらからも返信を、、。 今回の事件には、「大変ですね」から始まって、「ご愁傷様」も3件。「私もやりました」も結構ある。その方々からは、 その後の対応が丁寧に送られてきている。完全に乾燥すればかなりの率で戻るらしい~。さあ、どうすんべえ。むむむ、、。

 そしてその現場のうどん屋さんの奥様から、夕べの練習時間に2回も留守電が入っている。「拾って、よ~く水洗いしてあるから、 送りましょうか?」というものだ。これからお返事だが、まあ、そこまでして頂かなくても取りに行けばいいのだが、、、。 それにしてもご親切な、、。店主の鏡というべきか。

 そういえば、返信メールの中には、「経験者」からのモノも沢山。ある人は「自分の健康状態を確認中に、やっちゃいました」 というのがあり、思わずその方のその時の様子を想像して、一人でゲラゲラ笑ってしまう。舞台でまじめくさったお顔をして、 恋の歌なんぞ歌っているT先生が!ああ~おかし!あたしゃ、トイレに入っただけで、落としたんだから!、、、って、なんの意味もない自慢。

 

 今回の怪我の功名のおまけ。ある方から、「みっちゃん日記の事件頻発にわが生活の一時が潤う。甚だもってありがたきかな…」 な~んてのがあったこと。人の不幸は面白い、ってか?

2007年7月29日 (日)

ぱぺぴぷぺぽぱぽっぽ~。

 日常生活の中に起こる喜劇は予想を遙かに超えている。そしてそれは悲劇と裏腹でもあるのだ。本日、よれよれに疲れていたとはいえ、 あまりの不幸な出来事に我を忘れ、、、、ああ、自らの取った言動に、今更ながら恥じ入るばかり~。

 また何を大げさな、と言われるかも知れないが、これが決して大げさでないところに、この悲劇、いや喜劇の持つ特異性がある。

 今日は二日続きの衣装部屋の大掃除で、相当疲れた。しかも2トントラック初体験、しかもそれが朝8時という時間。 睡眠が足りてないまま今朝を迎えた。余りに不安げな私のために、実際に運転する前に従兄弟が助手席に乗ってくれて、 その辺を一回りして指導をしてくれる。お陰で、エンストもせず、よろよろながら現地に到着。生きた心地がしなかったのは、 隣に乗って頂いた我が義妹Mであり、後ろからサポーター風に付いてきた会長であろう。 バックミラーに映る先生のお車は信じられない車間距離をあけている。「そうでしょうとも。どうせ私の運転は信用できないでしょうよ!」 と内心ムッとしながら、しかし、一向にすんなりと動いてくれないトラックちゃんと格闘だ。

 M君の発案により、人手が一番多い今日にやろうと言うことになったのは、全く正解だった。恐ろしい量のゴミが出て、 トラックの荷台がみるみるうちに山になった。それを再び運転して、元の場所へと移動。ただし、 バックが自信が無くひたすら前へ前へと運転したが、もう着く頃には疲れがピークに達していて、恐らくは迎えてくれた従兄弟の目には、 これ以上やらせたらこのトラックの運命も怪しいと、、、多分思ったのかどうか、「みっちゃん、 もう明日僕がこれを集塵センターに持って行くから、、」とのお優しいお言葉。「わっ、ホント?」と一切遠慮をしない、 というか出来ないアチクシ。内心ウルウル状態だったのだ。正直、長時間これを運転するのは、かなりの緊張を強いられそうで、 どう考えても自信がなくなっていたのだ。いやあ、持つべきモノは役立つ親戚だ。

 トラックをゴミごとお返しして、義妹と共に乗り込んだ私の車では、私の「トラック野郎姿がとても似合っていた!」と冷やかす会長に、 「頼りになる男性が居ませんので~」と嫌みを一つ。でも「その通り」と返されて、カックン。

 それから私と義妹とその娘と友人は、かねてからの予定通りある場所へと出かけたのだが、その帰り。 労働に見合った以上の空腹を感じていて、Kといううどん屋へと入ったのだ。フト気が付けば午前中一度もトイレに行ってない。 まずは済ませてから美味しく頂くべえとばかり、トイレの在処をきいたら外にあるという。予想通り和式中の和式トイレのようだった。 ドアを閉めて手に持った携帯を何処に?と見回しても置く所なんかあるわけ無い。持ちにくいなあ~と思いながら一歩足を進めたとき、 その悲劇は起こった。あっと思う間もなく私の手から離れた携帯は、モノの見事に白い便器へと突撃! ハッと思って手で押さえようとしたが間に合わず、な~んと小さく開いていた穴の中にまっしぐらに走り落ちてしまった!しかも、 ストラップの先端が見えなくなると同時に、その穴が「パチッ」とばかり閉まってしまった!えっ?このトイレって?一体? と思いつつ脱兎の如く飛び出してお店の内部へ行き、小さな声で、「あのお、スイマセン、トイレに携帯を落としちゃったんですが、、、、」 と告げると、どんぶりを拭いていたおばさんが、「ええ?トイレって、あんた、便所の中に落としたんな?携帯を?」 と大きな声でオウム替えしに言い放ったあと、それを又同僚に向かって告げたモノだから、数人いた人達が全員顔をしかめて、そりゃあ無理、 と言う。客達もチラチラと私の顔を見始めて、流石に私もこっぱずかしい~くなってきた。その時の私の出で立ちは、大掃除のあとそのままに、 首からタオルだし、素っぴんのTシャツにつっかけというおっそろしい格好だ。まあ、相応しいと言えば、 この事件を語るに最も相応しい見てくれだったかも知れない。すると、店主らしきおばさんがそちらに回りますから、というので現場に行くと、 「お客さん、私がチャンと見ておきますから、食欲が無くなるとイケナイからここは先に食べるもの食べてきて下さい。」という。流石、 店主だけのことはある。お店の品物を美味しく食べて貰うことが何より優先するらしい。お言葉に甘えて、先に頂くが、イマイチお味が、、、。 ていうか、それどころではない。

 やがて食べ終わるのを見計らってその人はやって来て、今日は無理だったけど、明日くみ取りさんがくるので、捜して貰って、 きれ~いに洗って送りますから、住所とかお名前書いて下さい。携帯がなくっちゃあ困るでしょう!?と繰り返し言う。 友人ももう無理だから諦めたら?とか言ってくれるのでお断りしようとしたが、せっかく捜してくれたり、 ご親切に送ってくれるというのを無碍にお断りも悪いと思って、素直に書いてきた。、、、しかしなあ~。グスン。

 

 帰宅して、もう~限界とばかりシャワーを浴びて一休み。やおら起きあがって一番に行くのは携帯ショップ。事情を話して、 一つ前の機種も持参して新しいのに移して貰う。しかし、このデーターは2年ほど前のモノで、それ以後のモノが全然分からなくなった。 慌ててちぇちのメンバーには携帯電話番号とそのアドレスと、パソコンのアドレスを送ってくれるように頼んだ結果、 既に何人かは知らせてくれた。しかし、シャンソン関係だとか、短歌関係、同窓生関係、マスコミ関係、FM関係などは殆ど不明だ。 これから携帯の復活に相当なエネルギーを取られそうだなあ。

 悪いことばかりでもない、というのが、新しい携帯はテレビ付きで、スマートで、 しかもお風呂でもキッチンでも水に濡れるようなところでも平気で使えるということだ。、、、これって、もしや、怪我の功名?

2007年7月28日 (土)

私だって人間だあ~!

 朝から本業が忙しい上、レッスンに来たA君を捕まえての印刷関係打ち合わせに、衣装部屋の大掃除。これだけでも相当疲れた上、 それの集塵センターへの持ち込みに伴うトラックの借り出し。これが又、遠いいんだなあ。我が母の実家にたまたま居た従兄弟に頼んで、 一緒に長尾町の山まで取りに行く。帰りにそのトラックを運転する元気がない。従兄弟に頼んで、あたしゃ自分の車だ。 中年暴走族の名を返上しなくては、、と思うくらいスローな運転するのが精一杯。ナントか帰り着けば、夕食の準備だ。急に時間を取られたので、 予定のメニューは作れない。冷蔵庫を睨んで、バタバタと作り、まあ今日もナントかなったか?

 このところの我が家の整理整頓に相当エネルギーを割いていたが、今日は又衣装部屋と来た。 今度のオペラに必要かも知れないモノをチェックしながら、しかもなるべく沢山捨てるという作業は、集中力が要求される。 折からの猛暑のしかも最高温度の時間帯だ。窓を全部開けはなっても、流れる汗はTシャツの色を変え、タオルをじっとりと重くする。 差し入れの熱さまシートはお役立ち。家の中は女3人、姦しい筈の数だが、ケッコウ黙々と事は運ぶ。外は寡黙な男2人で、着々と仕事は進み、 あっという間に綺麗になった。そこに熱さまシートの主が現れて、最後の仕上げを手伝ってくれる。予定の時間が来たので、とりあえず、 1回目はこれで終了、と引き上げる。みんな疲れて帰ってきたが、後のお茶タイムは和気藹々。レッスンを中断した会長も交えて楽しく語らった。 しか~し、私の疲れた脳みそに、ややこしいことを次々と投げ込もうとする会長にプッツンして、「もうそのお話は、これまで!」と叫ぶと、 聞いていたNさんがゲラゲラと笑い出す。それでも未だ言いつのる会長に又Kさんが笑い転げる。「何がおかしいの?」というセリフが、 綾小路君麻呂の口調とそっくりで、あたしゃ又別な意味でゲラゲラゲラ。、、、てな具合であった。まあ、 酔っぱらった人とそうでない人の話の行き違いみたいなもんだ。

 明日も再挑戦だが、朝7時の来店客を仕上げてから、8時までに現地という忙しさ。もう~しらないっ!いやいや、そんなことより、 トラックの運転て!ミッションだって!ホンマニ出来るの?私に!?

2007年7月27日 (金)

ボランティアと健康診断。

  本日は、演奏会を控えたプリマの完全運転手のつもりが、FMではK師匠の軽妙なお誘いに乗ってしまって、 ついつい出演者に~。これがおかしな事で、自分の番組だと何ともないことが、人様の番組だと、気を遣いすぎて、十分な事がしゃべれない。 しかし、丁度生放送を聞いておられたというプリマの母上様は、電話で「あんな風に言ってくれて、ホントに嬉しかった」とウルウル声。 いくつになっても、どんなにビッグになっても、子供は子供。親って、有り難いよなあ~。

 結局はその後、マスコミを何カ所か周り今日の所はお別れしたが、いやはやビッグはビッグでも容積がビッグな3人が、 高松の町中を闊歩するの図は、きっと相当目立っていたに違いない。ニューヨーク辺りでは別段何ともないが、流石に日本では、サイズがねえ~。

 親切は人のためならず。今日のこうした私の動きは、他ならぬ、我がちぇちぃりぁのためでもあった。各マスコミに、 しっかり12月の公演のこともお願いすることを忘れないおみっちゃんではあった!反応は上々。チラシの完成を待って、再度動かねばならない。

 しかし、本日の生放送のために、プリマのプロフィールを送れと言われて、改めて彼女の半生をたどることになり、 その桁外れの生き方と、才能に、改めて唸ったことだ。並はずれた判断力と自立心が、今の彼女を創ったと言えるだろう。 人はいつもいつも何かをチョイスしながら生きている。その「選択」の判断力がその人の運命を決定づけていくのだ。 例えば、あの”あずまや” で、クリームぜんざいを食べるか、ローゼにするか、はたまたうどんか、ホットドッグかのような難しい(!)選択だ。 (本日は食べそこねた恨みがあるのだ。)

 冗談はさておき、ん十年の付き合いとなったK嬢のことを振り返ってみると、数々の人生の試練を乗り越え、その都度真剣に悩み傷つき、 切り捨てるべきは切り捨てて、歌の道を進んできたのだった。私にエネルギーがあれば、彼女の半生を小説に書きたいくらいにドラマチックだ。 確かに、火の玉のように突き進んでいく中で、その火の粉を浴びてやけどをした人も大勢居ただろう。 なんらかのコネを頼りに高見に昇るのが常識のその世界にあって、たった一人で切り開いていった訳だから、人一倍厳しい所も持ち合わせている。 、、、しかし、それもこれも歌を愛するが故のことだ。行く先々で聴く人の胸を打つ歌が歌えるというのは、そう誰にでも出来る芸当ではない。 彼女の師、シュワルツコップの言葉が蘇る。

「私の歌を聴いて、誰一人涙を流さないとしたら、私は一体何のために歌を歌うのでしょう!?」

 

 K姉妹を町中で下ろして、あたしゃ健康診断の結果を聞きに行く。不思議なことに、中性脂肪以外は全て、昨年より若干良くなっている。 こりゃあ、剣登山が良かったのかなあ~?ま、あと1年は安心か。 

  しかしなあ~、本日夕食の買い出しに母とスーパーに居るとき、メンバーのTさんから電話。 「明日の差し入れ持って行きまあ~す。」というのだ。何のための差し入れかさっぱり思い出さない私。よくよく聞いていて思い出した。 そうだった。明日は衣装部屋の大掃除に行く初日だった。どうやら炎天下、3連ちゃんで作業しなくてはならない。その私たちのために、 な~んてお優しい~、おでこに貼る熱冷まシートだった。う、う、これが必要になるんかいなあ~?そうかもねえ~。やれやれ~。がんばるべ。

 

 

2007年7月26日 (木)

家事というもの。

 やれどもやれども終わらない家事に、少々うんざりしてきた。日頃の無精が祟っているだけのことだが。 こちらを終えたと思ったらまたすぐ別のところが目につき始める。そりゃあ、やればやっただけのことはあるんだが、 どうせ元の木阿弥になるのは目に見えている。でも、やるっきゃないのが、生活だ。

 今日は又特別に暑くて、チョイと動いては水を飲み、またチョイと動いてはラムネ、ジュース、黒酢飲料、、、、と水っけばかり。 でもその殆どは汗となって外に排出されたなあ~。いやあ~、よく動いた。いつもは辛口の母が、流石私の子、と誉めてくれたもんだ。

 

 昨日のFMはソプラノのOさんが、ユニークな讃岐出身の音楽家がいます情報を下さって、初対面の方と収録した。結論から言うと、 「今時珍しい、熱い人」だと思った。音大を出たわけではないが、社会人になってからどうしてもフルートが吹きたいと思い、 演奏家養成のNPOに入り、相当しごかれたが無事終了し、サロンオーケストラの一員として既にあちこちで演奏活動をされている。

 何がユニークか?それは、ステージ音楽の楽しみ方についての考えかたにもあった。子供さんにも大人と一緒に、 鑑賞マナーを守ることを学びながらなるだけ自由に客席に居て欲しい、んだそうだ。楽しいときは楽しいと表現し、 踊りたいときは踊って頂いてもよし、だそうだ。まじめに静かに聞く方が良いモノは、そうして欲しい。と、彼は言う。、、、これって、 シャイな日本人、イヤ、讃岐人にはなかなか難しいだろうなあ~。「子供が居るから、、、、」 という理由で演奏会に行けてない若いお母さん方も沢山居るだろうし、、。確かにこういう音楽の聴き方があっても良いと思う。

 そして音楽そのものの楽しみ方、演奏する側の音楽の造り方ににも大いに共感したし、地域に根ざす音楽活動、というコンセプトにも。 今回は楽団員はみんな東京かららしいが、そのうち、こちらで活動されている人とも共演したい、と言う。

 

 もういけません。今日は働き過ぎ~。もう寝るしかない。

2007年7月25日 (水)

芋づる式掃除、私流。

 兎に角計画性がないというか、やり出したら止まらないというか、全くの出来心で、ちょいと部屋の扉を外してみた。 少しは広くなるかと思ってのことだったが、それを外したら汚れた別の扉がむき出してしまう。そういえば壁紙が未だ残っていたなあ~と、 捜してみると上手い具合にあるんだなあ~これが。で、それから延々3時間近く壁紙と格闘したり掃除をしたり。 あっと気が付けばFMのお約束の時間が迫っている。「ぎゃ~~~っ!」と叫んで、大急ぎでその辺のモノに着替えて、 事故を心配する母の声を聞きながら脱兎の如く飛び出す。母を送っていく時間もない。

 またもや車の中で壁塗りをして駆けつける羽目に。まずはソプラノのOさんとフルート奏者のHさんにお詫びをして早速収録だ。

 収録の内容を是非ともここに記録しておきたいが、疲れ過ぎていて、どうも仕上げる自信がない。又明日だ。とにもかくにも、 「楽しかった」と言って貰えたのが嬉しかった。

2007年7月24日 (火)

何でだろう?

 疲れてる。夕べの睡眠不足が原因か?はたまた思いつきの大掃除か?いやいや多分、我が家でのソリスト達の競演(狂演?) を聴いたせいかも~?なんちゃって。

 8人の若い衆(一名は昔若かった人)が我が家の二階、ピアノの間に上がり、重唱部分を練習した。床が抜けやしないかと心配だったが、 まあ一応持ったか。、、、思えば「メリーウイドー」以来、ここでの練習がちょこちょこあって、そのたびに床の心配だ。 ホントになんとか練習場の確保が出来ないものかと思う。勿論安価で、が絶対条件だ。

 私は下で夫と会長の夕飯のお相手をしながら二階の声を聴いている。「破れかぶれの声」や「笑いでごまかす声」 「ピアニストの叱咤激励のピアノ音」などが、イヤでも耳に届く。我が家の安普請のせいだ。まあしかし、最後の方は良くなってきた様な気が、、 、。しかし未だ音を取っている段階というのも、怖いモノがあるなあ。オペラの中の歌詞、「このオペラホントに出来~るの?」 というのが笑えないなんて事の無いよう、頑張って欲しいもの。

 さういつもその手は食はぬと思ひつつ箸止め見入るテレビショッピング 

 こんな歌を詠みつつ、テレビショッピングで思わず買ってしまったお掃除洗剤。予想外に優れもので、ちょこっと使ってみるつもりが、 あっちもこっちも、あらら、あちらもと、果てしなく続く結果に。「シュッシュ、キュッキュ。シュッシュ、キュッキュ。」と、 どんどん綺麗になっていくのはとっても嬉しい。汗をじっぷりかきながら、物も言わずやっている私の迫力に、夫は、「僕の昼ご飯、、、、、」 と言いかけて、流石に「どっかで食べていく」と言い換えて忙しそうに飛び出していった。そうそう、その調子~と内心にんまり。

 およそ3時間もやっただろうか?流石にお腹が空いてきて、、、ん?何食べたか、思い出せないなあ~。これって、 アルツハイマーかな~?あ、そうそう差し入れの大きな狐寿司を食べたんだった。ふ~っ、危ないなあ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007年7月23日 (月)

やけのやんぱち!

 朝9時の歯医者から始まった私の今日という一日を、他の言葉で言い表す事が出来ない。やけのやんぱちの一日。

 なんとか仕上げた短歌12首をいざ出そうとしたら封筒がない。いや、あるのだが、丁度良いサイズがない。 買い物というと喜んで付いてくる母をひらって、スーパーへ行き、ついでにお弁当を買って、我が家で食べていると友人がやって来て、 結局は冷蔵庫のものも出してあれやこれやと一緒に食べることに。私はその合間に封筒の宛名を書いて、夕食のご飯を仕掛け、 これからの予定の忘れ物がないかチェックして家を飛び出す。母を彼女に送ってもらい、時間を稼いで郵便局だ。今月も又速達。 もうす~っかり速達が定着した感じだ。家にいる間にかかった電話は5本。それぞれに大事な内容で、、、、っと、一つ忘れてるなあ~。 今思い出した。

 カルチャーの会場には既にみんな集まっていて、間もなく入院するというIさんを労っている。出来るだけ普通の対応を心がけるが、 触れないのも変で、、、、だが、こうしてみんなの前に出てきて、和気藹々と出来るのは、何よりの慰めだろう。 みんなの中に切っても切れない友情が生まれてきているのを感じる。、、、すると、カルチャーも意味があるなあ~。

 帰りは天満屋の和風甘党の店に行っての懇談会。「氷ぜんざい」を食べたが、疲れている時の甘いモノは、ホンニ美味しい~。でも、 お喋りに夢中になっていて、フト気が付くと、器の中にはかき氷だけがこんもり。他の人に指摘されて初めて分かったのだが、 かき混ぜて頂くモノだったようだ。トッピングばかり食べちゃった!説明してよね~お初なんだから、って、又人のせいにしている。ふふっ!

 夕方になってメンバーを乗せて送っているときに会長が用事があるからご飯しようと電話してくるので、 他の人を下ろしてTさんと駆けつける。でまあ、色々と調整することもあり、3人で雑談のような打ち合わせのような時間を持つ。 あたしゃ和風ハンバーグ定食なんか頼んだもんだから、ボリュームがあって、超特急でパクパクパクパク、まるで口の中がミキサーみたい。 「未だ大丈夫だよ」と言いつつ先に食べ終わってる会長は、「会場まで何分かかる?」って何度も聞いてくる。会長お得意の、 「やれ~やれ~と言いつつスカート引っ張ってる」状態。

 こうして特急で夕食を終えた私たちは急ぎ練習場へと駆けつける。、、、ここからの3時間は又疲れる時間だ。一番比重が重いことが、 一日の最後にやってくるという辛さ。集中力が最も必要とされる、このオペラの練習。我ながら、、、だ。

 まあしかし、練習とはおかしなモノで、結果が上手く行くとそれまでの苦労がウソのように霧散してしまう。何回やってもダメなとき、 どうやってこの場を切り抜けるか、試行錯誤の時間がどんどん過ぎていく。過去の指導者から得たモノをありったけ思い出し、 自分なりに体得したモノを加算して、その難問を解決していくしかないのだ。これが1対1なら未だやりやすいのだが、合唱隊の指導となると、 これは大変だ。しかし、今日の練習時に、ある時感動の時が訪れた。チョットした指導の後、 ソプラノの人達が今まで聴いたことのない声を出してくれたのだ。その理由はハッキリしている。一人一人が全員別に個人レッスンを受けていて、 身体で知っていることを、私が思い出させてあげたからに他ならない。おそらくは、 個人レッスンの経験が無い人には何倍ものエネルギーが必要だろう。いやあ~、じ~んと来たなあ。、、、て、 これがずっと続かないもんなんだなあ~、きっと。又元の黙阿弥状態になるんだろうなあ~。こうして、遅々として進んでいくモノなんだ。 だから、根気が最も必要な道具だ。

 

 10時にヴォランティアが終わるという夫と競争のように帰ってきて、夕食を整え、ようやくパソコンだ。 早速一緒に夕飯を食べたTさんから返信メールで「先生は怪物みたい」とお褒めを頂く。そりゃあねえ~、ゴジラごっこは時々やるけどねえ~。

2007年7月22日 (日)

うっかりに気をつける。

 今朝8時に目覚めたら夕べお泊まりのTさんはメモを残して消えていた。三木町のおうちまでお送りすると約束していたが、 電車で勝手にお帰りになったようだ。お陰ですかっかり忘れていた「ラオス事前お勉強会」に行くことが出来た。 講義によるとやはりこの国のことは、この国の戦争の歴史抜きでは語れないらしい。今なお不発弾の爆発による犠牲者が後を絶たないこの国は、 大国に振り回されたという点でイラクなんかと同じだ。

 今日は、お隣同士「他人紹介」をすることになり、私のお相手は高校2年の可愛い女の子だった。 生まれて初めての海外旅行がラオスだというのだが、彼女が帰国しての感想が是非聞きたいモノだ。あとは、若い中高の先生方や、 大学生なんかだったが、この高2の女の子も含めて、みんなとってもしっかりしていると思った。一様にキラキラとした目をして、 真剣に講師の話を聞いている。自分の目で後進国の様子を確かめたいと、語る口調は、日本の若者も、なかなか良いじゃん!?と思ったことだ。

 それに引き替え、我が愚息。何を心配してんだか、さっきもチャットメールで「ラオスでは、息子の教師としての尊厳を守るように!」 な~んぞというのが来て、「あちらでは大人しく!」だと!?ふんっ!そんなこたあ言われなくても分かってる。「事務局長の妻らしく」 と言う夫といい、あたしをなんだと思ってるのか?自信がない輩に限ってこんなこと言うんじゃないの~?ま、仰せの通りに致します、 と返事しておいたが、、、。グヤジ~。って、うっかり何か口走りそうな気がしないでもないなあ~。

 

 昨日立ち寄ったスナックのママさんは、音楽関係者のことに精通している。県下の主だった歌い手とも顔なじみらしい。 うっかりしたことが言えないお店だ。

 うっかりで思い出したが、いつも大体複数の来客が重ならないよう予約を入れている。 ところがこのところそうも言ってられないほど忙しく、たまたま隣同士に座った方が、同郷の人で、話が弾んだのだが、 途中でAさんの身内がある地方政治家だということをもう一人の人Bさんに紹介したら、これが大正解。後でBさん曰く、「危なかったわあ~。 私、老人福祉の事で役場に文句言おうと思うって、危うく喋るところだったわあ。」まあ、関係ないにしても、 気分の良いもんでは無いかもしれないなあ。その手の権限を持つ立場の方らしいから。だから、政治の話しと宗教の話しはタブーなんだ。 やれやれ。

 

2007年7月21日 (土)

本日も、、、、。

 タイトルに書くのが憚られる「宴会」であった。ちょっと多いなあ~このところ。まだ忘年会にはほど遠いというのに、、、! その都度それなりの理由があって、結局はその全てに自分が関わっていることから来るものだ。

 今日はK画伯の美術展覧会オープニングパーティに美女軍団4人組で出かける。(しっかり自分が入ってるっちゅうのがおかしい~) 旧知の方々とお目にかかることになり、しばらくは絵を見るどころではない。お顔は思い出すが、、、という方もあり、 失礼の無いように内心は冷や汗ものだ。かなりの数の方とお話ししている内に他の3人はとっくに絵の鑑賞を済ませて私を待っている。で、 大急ぎで私も見て回り、4人で食事に行くことになる。いつも会ってるようで、このメンバーでの食事会は久しぶりだった。で、 ちょっと前に私が開拓した居酒屋にうち揃って行き、さんざん食べて飲んだ。そこを出てから二組に分かれるというのが女性らしい。 即帰る組と次行く組みだ。当然私は行く組みだ。というのも同行のTさんが9月のシャンソン発表会の主役なので、 カラオケで個人レッスンをしてくれと言う。まあ、ことある毎に思い出すのは良いことだ、と引き受ける。というのも、 今夜は夫が居ないため大変気が楽なのだ。

 

 猛烈に眠い。

 一緒にタクシーで我が家まで来てくれた友人Tはそのまま我が家にお泊まりとなって、今頃は高いびき。さ、とりあえず寝ましょ!?

2007年7月19日 (木)

破調ということ。

  占いを信じるわけでもないが、射手座は自由を司ると言われて、自分の性格にぴったりだと納得している。従って、 何やらキュークツと感じたら、即やる気がなくなってしまうきらいがある。その昔、ある流派の生け花を習っていて、 どうにもこうにも我慢できなくなって、我流でどんどん生け始めた事がある。中心の花は長さを花器の直径の何倍に切るとか、角度が何度とか、 決め事が多くてすぐさまうんざりした訳だ。そりゃあ、生け花の宗家は長い歴史の中で、大多数の人から受け入れられる「美」を編み出し、 継承してきたのに違いない。しかし、そも初めの最初は、試行錯誤から生まれたわけだろうし、その人の感性こそがその「美」 を生み出していったのだろう。

 何が不満て、私の先生は押しつけの美のみを教えようとしたのだった。このように感性を磨くということをせず、 型だけを教えるやり方が、日本の生け花の主流ではないか。歌舞伎やお能の「型」に通じるモノがあるのかも知れない。となると、 これは日本独特の美学なのかも知れない。勿論そこから学ぶことも無いとは言えない。「伝統」の重み、「継続の力」を信じてないわけではない。 、、、まあ、これは好みの問題か。

 今日、ある方が「芸術はある流れがあれば、それを破る流れもあり、その摩擦やせめぎ合いから真の芸術が生まれる。 どちらかではダメだ。」とニーチェが言ったと教えてくれた。そうか、そうなんだ。と早速自分の性格を正統化している。しかし、 一方で守る人が居ることの大切さも分かるなあ。

 

 今宵はふるさとコンサートというネーミングで毎年行われる音楽会があって、今年も出かけた。 出演者が6人というシンプルなプログラムも良かったし、最後にはゲストの若手バリトン歌手 (彼は既にキャリアがあり年齢も10歳ほど上らしい。)が客席から登場、舞台を縦横無尽に使いチョットしたパフォーマンスもし、 観客を楽しませ湧かせた。彼が出てくるまでは、お行儀の良い、所謂クラシックコンサートであった。ところが、彼の登場で舞台も客席も一変。 「ああ、歌は面白いなあ~」と誰しも思ったに違いない。彼の「破調」はしかし、基本がしっかりあってのことだから、面白かったのだ。 一番感心したのは、「歌をすっかり自分のモノにして歌っていたこと。」要するに、歌を支配していたのだ。全体に彼の「こう歌いたい」 がハッキリあって、声を投げ縄のように操る所なんかは、観客が固唾を飲むのが分かったほどだ。堂に入ったステージマナーはスマートで、 よくよく勉強して経験も積んでいるのが分かった。惜しむらくは、県民大ホールの最後尾までは声が大きくは響かなかった点か。まあ、 あのホールを生声で隅々まで聴かせるのは大変だろうなあ。

本日も宴会。

 今日は10人ほどの女ばかりの会で、ということは無礼講で、ということは食べて飲んで大笑いして、一杯お喋りもして、 お店が揺れていただろう程の盛り上がり振りであった。一番大きな理由は、Kさんという、私より少々お若い女性の話術。 この人とはよくよく縁があり、偶然色んな所でご一緒するが、いつもいつもギャラを払いたくなるほどに面白い。 女性でこれほどの人には余りお目にかからないが、何故か私の周辺には居るんだなあ~これが。

 このKさんの話題一つで全員がわ~っと笑うのは、綾小路君麻呂みたいにその場に居る人をターゲットにするから、 具体性があって面白いのだ。私も散々彼女の餌食にされたが、感心なことに、幾ら言われても腹が立たない、というか、 彼女の気配りのあるトークに感心するばかりだ。ある音楽関係の方が来るやいなや、「あら、Kさんは今日来ないの?あ、来るのね。そう、 良かった。私あの人の弟子入りしようかと思ってるのよ。私は余りに本音でずばずば言うから、随分人が傷つくらしいから、 彼女のあのテクニックを学ぼうと思うのよ。」とのたまう。その言葉通り、やがてやって来たKさんの一言一句を注意深く聞いているらしい。 他の人が笑っているのに、その人はフムフムと頷いているのがおかしい。いや~、人は色んな所で色んな勉強をするもんだ!ただし、 それはやる気のある人だけだろうが。

 

 勉強と言えば、短歌で案の定苦戦している。例によって多産駄作を師匠に送ってみたらけちょんけちょんのボロッかす!「不勉強丸出し! 」ときたもんだ!打たれ強いアチクシならではの踏ん張りで、ナントか形にして出そうとしたが、ふと、結社の偉い先生の歌集が目にとまった。 このところ歌集ばかり溜まって、全然読めない日が続き、つんどくしていた中にその本はあった。 かなり煮詰まっていた私だったが、その歌集の中の歌は清涼飲料水のように身体に流れ込んできて、少しばかり中和してくれた感じだ。 だからといって、満足できる歌が、即詠めた訳ではないが、心が軽くなったことは確かだ。この方は短歌会の大御所であるにもかかわらず、 といういい方は良いかどうか分からないが、作風が若い、口語体が結構ある、してはイケナイようなこともしている、俗な言葉も多く使っている、 しかも、老人である。いつも自分を客観的に観察し、世間も社会も政治もばっさばっさと切り捨てる。そうだ、 清々しいと言ったら良いかも知れない。「ああ、時にはこんな歌が詠みたい。」と思ったもんだ。、、明日も締め切りのがあるなあ~。

 

 今日も思ったことだが、めっきりアルコールに弱くなってる。=胃がやられているんだろう。明後日も、パーティなんだなあ、これが。 やれやれ、、、ああ、やれやれ。

 

2007年7月18日 (水)

いい話と悪い話し。?

 昨日の健康診断では、日頃の不定愁訴は、体重を落とせば殆ど解消するでしょう!と有り難い診断が下されたが、昨日の二人宴会の席で、 バッサリ、「フン、そんなもん、医者で無くったって言えるわよ!」と切られてしまった。でもって、本日ご来店のKさんにその話をしたら、 「だから、そうなんですよねえ。どうしたら落とせるかを言って欲しいんですよねえ~」と、しっかり共感。

 だからというわけでもないが、本日はジムに行ってしっかり汗を流して来た。ところが岩盤浴を個室に申し込み、 この30分間でしっかり明日の提出予定の短歌を推敲するつもりが、ボールペンを忘れてきてる。室内は水とタオル以外は持ち込み禁止だから、 借りるわけにも行かない。仕方なく脳のノートに書いた、、つもり。だが、と~ぜんのごとく、 そんなモノはあの熱い蒸気の中に霧散してしまった。

 でもって、先ほど(あ~あ、また丑三つ時だあ~)数首詠んでみたが、なんだかねえ~、、。剣山の体験をと想ったが、 思い出ばかりが鮮明に蘇って、どうも歌に成らない。

(リンダ、困っちゃう!)

 

 いつも新鮮な野菜やお漬け物を届けて下さる親切なお客様が居て、本日も帰宅したらどっさり届いていて大感激。 創っているとどうしても出来過ぎるんだそうだが、この方は元学校の先生だったそうで、全くの素人だったとか。しかしまあ、 殆ど農業の専門家みたいだ。これからは、こういう人達が増えてくるんだろうなあ。我が娘婿殿の父上も、リタイア後はしっかり農業されている。 人間最後はこれなのかも知れない。、、、そして、これが人間不信からそうなる危険性がある。他人の創ったモノが信用できない時が来るのか、、 、。中国の段ボール入りハンバーグにはおっどろいた!が、ここまでではなくても、あるんだろうなあ~、きっと。人を欺く商売が、 闇を横行しているに違いない。

 ところで、今日友人宅へ行っていたら、そこへ民生委員の方から、彼女が介護している母親のお弁当が配られてきたのをみて、 これが200円というのに驚いた。お赤飯に煮物魚をはじめ、様々なものが詰まって入るではないか!?如何にも美味しそうだったし、 そこには何より安心があった。週3回届くそうで、矢張り相当有り難いようだ。一口に介護と言っても、毎日365日では、 息抜きがしたくなるだろう。、、、こういう話題にはホントにホッとする。人間まだまだ捨てたもんじゃないってね。

 

 

2007年7月17日 (火)

二人だけの飲み会。

 参りました!ある程度飲めるつもりで居た私も、師匠の凄腕(凄喉?)には完敗。2軒目の帰りはタクシーに乗る私に、 平然と歩いて帰るとのたまう。それだけではない。10歳若い筈の私を気遣ってくれる余裕が、、、。いやあ~、流石、年季が入ってる。

 長い間行こう行こうと言いながら、お互いの多忙さから全然実現しなかった「飲み会」だが、口内炎を消毒せよ、との、 有り難いご指摘もあって、思い切って決行。知人から紹介された瓦町の居酒屋は、知る人ぞ知るなかなかに良いお店。(猫嫌いはダメだが!) お料理は手が込んでいて本格的。味もステキに美味しい、女性にはうってつけの小さなお店。ユニークな女将さんが一人で切り盛りしている。 この日はメチャクチャ空いていて、それも良かった。イヤ、お店にとってはお気の毒だが~。我々は充分、飲んだり食べたり愉快に過ごした。 しかもお値段はあっと驚くほどリーズナブル。これは、きっと、又来るなあ~と思いながら帰路につく。

 いやいや、帰路ではなかった。ふらっと外へ出れば何やら涼しい風が繁華街へと招いてくれて、ちょっと散歩のつもりが、 ついついハシゴと相成った。2軒目は、歌仲間Fさんのスナックだ。先客のどこやらの社長さんが、ママさん相手にしきりにお説教している。 それをまあ見事に右へ左にかわす辺り、流石キャリアを感じる。このお方の主張は要するに「もっと商売熱心になって、たくさん儲けなさい!」 だった。自分の価値観を臆面もなく押しつけて、大満足のこのお方。なんだかんだ言ってもこのお店に来るというのが面白い。 我々の後から入ってきたやや若めの男性はこれ又どこぞの会社支店長だそうだ。まあ、このご時世、 スナックと名が付くところへ行けるのは長が付く人が殆どだろう。若者達は、食べて飲めるところで済ます時代だ。ここでは、我々二人は、まあ、 社会勉強のお時間だったか。

 

 しかし、飲む相手が相手だ。案の定しっかり宿題を頂いてしまった。さあ、これが実際出来るかどうか、、、?しらふの頭でただいま、 ムムムム、、、、。

 

2007年7月16日 (月)

おかしなこと幾つか、、、、!

 筆頭にあげるべきは、昨日の日記に、健康診断に出かけると、堂々と書いたことだ。本日が休日だという事が、全く頭になかった為だが、 今日薬をもらいに行くよと、母親に電話して、「あんた、今日はお休みでしょうが?」と言われるまで、 ぜ~んぜん気が付かなかったというおとぼけ振り。寝過ぎたのかもしれないなあ~。

 

 で、続いては、ちぇちの練習から帰りにメンバーのTさんを送っていてのこと。彼女が私の日記で大いに受けたことがあると言う。 それは写真を見るまで自分がこんなに大きいとは思ってなかったというくだり。そこを読んで、彼女も同感だったというのだ。が、 彼女の場合は私と真反対の、「私ってこんなに小さかったの!?」というオドロキだったそうだ。お互い自覚が無い事に改めて大笑い。しかし、 この真実は人間観察上大切な事を示唆していると言えないか?例えば障害者という身体の中に居る人は、 他人が観ているほどそれを自分からは意識してないと言うことだ。それは外部からの比較上の「目」で知らされるのだ。

 このSさんとの話しの中で、男と女の違いについて論じ合ったが、まだまだ彼女は若いなあ、と思った。勿論それで良いんだが、、、。 永く人間やっていてつくづく思うのが、「男と女は違う生き物。」だということ。「違う」ということを受け入れて生きることしか、 共生していく道は無い。私は力説した。「結婚なんかしてご覧よ!四六時中一緒にいると不思議だらけ。全く分からないわよ~。何故こうなのか? なんで、こうしたいのか?何が気に入らないのか????だらけが、結婚生活ってもんよ。」「多分あちらもそう思ってるんだろうけどねっ!」 「う~んん、むむむ、、、ぐぐぐ、、、そうですかあ~」と分かったような分からないような声を出している。ま、 何事も体験するしかないわよね。

 

 家に帰り着くと、その分からない亭主が、何処に行ってたのか?と訊いてくる。あたしゃ「も~っ、何年も前から、 月曜日はちぇちの練習に行ってるでしょ!?もういい加減覚えたら!?」と叫ぶ。我ながら可愛くない返事だとは思うが、月に1, 2回これをやられると、ついこんな答え方になってしまう。敵もさるもの、その私の叫びにはお構いなしで、高知特産の「にろぎ」 を美味しいから食べろと言う。あたしゃ口内炎でそんな堅いモノ食べられないのだと言っても、しつっこく勧める。 結局最初の問答はうやむやのままどっかに消えてしまったという次第。ま、これの繰り返しなんだなあ~。

 

 今日も泥縄式の日中を過ごす。その意味は、要するに計画性が無く、行き当たりバッタリの時間を過ごしたというわけだ。 友人のお兄さんの一応の病気回復のお祝いに出かけ、帰ってから今日こそはスポーツジムに行きましょうとばかり、準備にかかる。 岩盤浴をする気になったら、水着のパンツが必要で、あ、まだ乾いてない。 ならば乾燥機にかけてる間にちぇちのチケットを置いてくれるところを物色しようと、しばらく電話をかけまくる。 中にはこの団体をさもうさんくさい感じで引き受けたくない様子の高ピーな所も。が、なんとか、 県の書類に書き込めるだけのものはゲットできた。そうしてパソコンであれこれしている内に、メールが次々とやってきて、 いちいちそれに返事を書く羽目に。、、、時間はどんどん経っていく。夕食の準備もしなくては、、、 自分はジムから直接練習に行くつもりを頭に描いていたが、実際は予定通りには行かず、ジムは帰りにちょこっと行ければ良いか、 と練習前に行くのは諦めた。でも結局はそのジムも、メンバーの一人を送る事になって気分が乗らなくなってパス。一日中何かに流されたなあ~。

 

 今夜の練習で、少し動いて貰ったが、不思議と動いた方が声がよく出ている。コーラスはともすれば隣の声と合わせようとして、結果、 小さな声で消極的にしか歌えなくなる。ところが、動きながら声を出すとなると、隣の声に合わせる余裕が無い。 従って自分自身で立つしかなくなるのだ。そうすると意外に良い声が前に向いて出ている。これは早めにステージングした方が良いのかも~。

 

 

2007年7月15日 (日)

何故かお疲れ。

 台風一過。残り風が黒雲をぐんぐん蹴散らして、下から青い空が顔を出す。あれだけ頻繁に警戒ニュースが流れたが、 今回結局高松は無事だった。やれやれと一安心。その上、高知の早明浦には100%とくれば、これ以上の事はない。 これで今夏はナントか快適に過ごせるのか!?

 

 母を連れて、ホントはミュージカルに行く予定だったが、何故かメチャクチャ睡魔が襲ってきて、これは行っても寝るだけだと諦め、 二人でサティに行き、あたしゃマッサージルームへと飛び込んだ。以前ここで素晴らしい技術者にやって貰ってサイコウの気分を味わったから、 と指名をかけると、その人は今日は非番。仕方なく別の人にやって貰ったが、やっぱり違うんだなあ~これが。、、、と言っても、 実は大半眠ってたんだけど~。

 どうもここんとこ天候に左右されて辛いなあ。きっと、今日もそのせいだろう。、、、で、店内をウロウロして待っててくれた母と、 次なる目的地「映画館」の階にエレベーターを降りてびっくり!今まで見たこともないほどの長蛇の列。一体これは!?、、、後で分かったのは、 どうやら「ハリーポッター」「ポケモン」辺りがその原因らしい。凄いねえ~これは、と言い合いながら、 勿論並ぶ気の無い二人はそこで小さなミニ団扇を貰って店内をウロウロ。時間間際に行って、「西遊記」のチケットをゲットする、 とても賢いオバタリアンであった。

 孫悟空は好演していたが、猪八戒のイメージが合わない感じ。西田敏行のそれと比べてしまうからだろうが。 物語の運びが雑というか浅いというか、ちょっと物足りなかった。テーマであるらしい「仲間」というものが如何に大切か。 弱くてお馬鹿な人間だけど、仲間を創れば怖いモノ無し。」という点を、悟空がぺらぺら喋っちゃって、それはそれなりに説得力もあるが、 映画なんだから、講演じゃないんだから、もっと見せて説得して欲しかったなあ~。

 それでも母は満足げだったので、今日は○。

 我々の帰宅に合わせたかの如く夫が帰宅。鰹のたたきがお土産だというので、3人で食事。 台風の後の高知は経験がないほどに暑かったそうで、そんな話しがメインのおかずだ。しかし、私は飲めないんだなあ~。 母を送らなくてはイケナイ。 

 

 

 で、ここまで食事の合間合間に書いて母を送り、帰ってからお風呂に入り、続きを書く前にちょいとマッサージ機に、、、 と思ったのが大間違い。もう眠くて日記どころじゃなくなった。パソコンもつけたまんまベッドに直行。な~んと起きてみれば午前10時。 鳴く鳥の声を夢うつつに聞きながら、鳥の鳴き声を字に書くにはチュンチュン意外に何が良いのかなあ~等と考えていた。 ホントはまだ寝ていたいくらいだったが、今日は病院で検診だ。調べりゃボロが出るかもねえ~。

2007年7月14日 (土)

台風はいつまで、、、?

 このところの低気圧であたしゃむち打ち症状のオンパレード。肩はバリバリ、歯は浮くし、目は充血し、口内炎が勢いを盛り返す。 お陰で最悪の気分での一日だったが、次々と仕事だ家事だ、声楽レッスン生とのお話だと、忘れられるときも多くあり、 ナントか最後まで持ったなあ~。

 自分自身30分だけ声も出してチェックして貰ったり、まあ、やることは全部やった、、、と、今考えつつメールを見ると、 子規顕彰全国短歌大会に詠草2首、とご丁寧なお知らせが来ている。ぐぐぐぐ、、。そうか。そんな伏兵が居たとは、、、、!って、 とっくに読んでるはずの内容だった。ハイ、今更でありんした。

 

 まあ、台風は律儀に香川も通って行かれるらしいなあ。お陰で水不足の心配は無くなったようだが、水余りの心配がやってくる。 なんだかねえ~、人間て、偉そうに言っても太古の昔と大きな所では、なにも変わってないじゃん!?と思いたくなる。

 

 四国の中でも矢張り高知の台風は凄いようだが、夫は講義をするためにその高知に行っている。よっぽどお暇だったのかメールがきて、 「講義は台風で休講になり、何も出来ずホテルで寝ているだけ、、、。」と哀れな内容だ。私の返事。「わざわざ高知まで行って休まなくても!」 我ながらな~んて優しいお返事~。ふふふ。

 しかし、留守中に限って私の体調が思わしくないというのが、ここ2年くらい続いていて、あちらはすっかり勘違い。 やっぱり自分が居ないと身体に来るんだと、思ってくれているらしい~。ふひょ~っ。そこまでの疲れがそういう形で出てきてるってこと、 分かんないんだろうなあ~。しかし残念なことではある。留守中にあれもこれもやりたいと思っていたことが、いつも殆ど出来ないのだ。 例えば物置の整理だとか、夏向きに部屋を模様替えするだとか、あのお方が居ると、干渉するが手は出さない。邪魔になるわ、 手がかかるわなので、結局一人で静かにゆっくりやる方が良いのだ。お陰でなんでも一人でやるクセがついてしまっている。、、、 いつまで出来るか。私も間違いなく老いて来ている、、、、。

 

 

 

2007年7月13日 (金)

台風接近中。

 雨の中はるばる徳島から、先日の剣山登山コーラス隊の方々が、あのときの写真を持って来てくれた。 一昨日から分かっていて連絡が付いたメンバー3人も加わり、6人で楽しい昼食会となった。 来なかった内のお一人は私からのメールを本日夕方開いたらしく、これには間に合わず、でも、写真は欲しいと電話してきて早速お届けする。、、 、、こうして、余韻はまだまだ続いている。面白い写真が1枚。私一人と他の5人が妙にバランスの取れた構図で、 実は後ろは結構な崖っぷちのため、みんなの顔は半分緊張。どうもアチクシ一人が張り切っているの図。A氏は言う。 「やっぱりどうみても蓮井さんが一番お元気そうですよねえ。」プププのプ。あたしゃ高所大好き病なんだわあ~。

 

 今夜はデジタル放送のチャンネルをいじくっていたら、井上光晴の生涯をドキュメンタリーとして構成した映画が放送されていて、 思わず最後まで見てしまった。午前2時という時間までだ。

 流石に面白い言葉を多く語っている。「小説を書くのは自分の足で立っているということだ。しかも、その自分とは別の自分を知ること、 又第三者の存在としての自分を創ることだ。そしてそれらを戦わせる。常に変化させないと小説は書けないから、変化しないなら、 変化しないモノをねじりちぎってでも変化させなくてはイケナイ。」

 癌との壮絶な闘いのあげく、66歳で亡くなっているが、興味を引かれたのは、「自分は癌だし、それと戦わなくてはイケナイ。 そして少しでも永く生きたいが、日々の暮らしを書きつづることだけは絶対しない。今日は点滴を何本打ったとか、スープが2皿取れたとか、 そんな事書くくらいなら、小説を書いているだろう。」確かに、小説家であれば、そうあるのが望ましいだろう。この点「生活即短歌」 と言われる短歌の世界とは全く違うのではないか?   

 又、この言葉は、彼の幼い頃からの虚言癖~小説家というフィクションの世界に生きた彼らしい言葉だと思った。「自己年譜」 なんぞというモノを残しているが、出生の部分も含めてかなりの部分が「ウソ」らしい。中学の受験に落ちたのを、 受かっていたが父親が入学金を送ってこなかったせいで入学出来なかった、なんて大嘘も堂々と講演会で述べている。 取材の中でそれらが殆ど全て「虚構」だと言うことが分かり、見ていると妙な気分になってくる。しかし、 彼の言葉は全く正直者の言葉としてこちらに伝わってくるから不思議だ。

 何人もの彼を取り巻く女性達が現れては、彼について、はたまた、彼との気持ちの交流について語ったが、みんなが口を揃えて彼の 「女たらし振り」を語るのだ。「殺し文句が上手である。」とか、「じっと目を見て話されるから、引き込まれてしまうのです。」とか、 「私の心の中のダイヤモンドです。この部分にはどうか触れないで!」と言った人もいる。その中に一人、自らも小説を書くという女性が、 「私は目の前で他の女性といちゃいちゃする先生を見て、心がかき立てられました。この思いを小説に書きたい、と思わせ、 私を小説に向かわせる原動力に成りました。」と語ったのが面白かった。彼が、その女性をして、本物の小説家にならしめるために、 わざとそうしたかどうかは分からないそうだが、苦しかったと、涙目で語る。ある人は、あのステキな奥さんが居たから、自由に出来たんだろう、 と言う。確かに美人だし、明るくて気だてが良さそうな人だった。最後の最後まで、しっかり支えていた姿が、痛々しかった。

 眠い。

2007年7月12日 (木)

未開の地。

 このところ、言われた事にぼ~っと返事して、後からああ~そういうことだったのかあ~と、じわ~っと分かってくることがあるなあ。 例えば今度のラオス行きもその一つだ。

 何年も夫がボランティアで出かけていたが、そのたんびに、敵も誘わない代わりに、こちらもスケジュールが立て込んでいる時ばかりで、 行きたいという意思表示もしたことが無かった。後進国には後進国にしかない楽しさがあるだろう事はよく分かっていたが、 その内行けるだろう位にしか考えて居なかった。

 今回は、うっかり「行くわよ」と返事したら、あちらさんがびっくりした、という「冗談から駒」みたいな事になっている。しかし、 行くとなれば自ずと興味も関心も湧いてきて、時たまテレビでその国の現状を伝えるものなんか、必死で見ることになる。 今日も中国が随分進出してきて、金銭的にも日本に次ぐ援助国と成っているとか、中国製品があふれかえり出したなどと、 寂しい状況が放映されていた。確かに、今が行き時かも知れない。これ以上遅くなると、 すっかり変わってしまったラオスを見るだけのことになるのだろう。、、、さあ、しかし、自分の目で見るのは又違うだろうなあ。 何処に行っても、自分の目で見ることが大切だ。先入観を出来るだけ持たずに行きたいと思うが、今回は「スタディツアー」ということで、 事前のお勉強会に何度か参加する必要があるらしい。

 気になるお手洗いのことは、どうやらかなりムムムらしい。移動中にお腹を下してトイレってことになったら、どうしたらいいの? と訊けば、「そりゃあ林の中に入るだけ」と、夫は事も無げに言う。ぎょへ~っ!じゃあ、よっぽど注意して、下痢しないようにしなくっちゃあ! まさかおしめは要らないよなあ~、、、グスン。

 

 先日アフリカはエチオピアのとある部落に、取材に行った矢張りアフリカ人のジャーナリストが、 「実際にそこの住民と同じ生活をしてみる」と出かけて行っての奮闘記録をテレビで見た。その記者は、100㎏以上あった巨体だったが、 ドクターストップがかかる手前には、70㎏ほどに成っていた。わずか2、3週間程だったと記憶するが、とにかく貧しい村で、 政府からの配給は、政府が発表しているものを大きく下回り、飢え死にしていく人が後を絶たない状況だ。その配給が無くなると、 「自然のキャベツ」なるモノを摘んできては小さく刻んで食べていたが、その不味さは、吐き気がするほどだそうだ。しかし、 空腹には代えられず、嫌々みんな、食べている。

 印象的だったのは、配給が手にはいると、まず小さな子供から分け与えられていることだ。目の大きい、可愛い子ばっかりだが、 それでも完全に栄養失調のようだ。日本では、豊かでモノが有り余っていても、子供の虐待や、殺人が後を絶たないのと比較して、 ナント人間らしい事だろう。アフリカでは、大人が子供を守るのは、この極貧の地にあっても当たり前なのだ。

 体力が弱ってくると、蠅が寄ってきて、顔といわず身体といわず傷口といわずたかっている。それを振り払う元気もない人々。 彼ジャーナリストは言う。「ほんのわずかな費用と労力で、この問題は解決するのです。」どうして、地球上にこんなに差があるのか? この文明の発達した現代に於いてさえ、、、。

 以前聞いた話では、日本人が残して捨てる食料だけで、地球上の全ての飢餓に苦しむ人々を救える、らしい。恐ろしいことだ。日本人は、 もの凄く大きな罪を犯し続けているのかも知れない。

 この視点で考えると、北海道のあのニセコロッケの件も、???が並ぶなあ。いや、勿論あの社長は悪いんだが、 豚でも牛でも何でも良いから欲しいのが、アフリカの難民だろう。レベルが違うのだ。悪事の限りを尽くしているあのミート会社社長の顔は、 見たくもないが、飽食の日本ならではの事件だ。国民を騙しているアフリカ政府と、あの社長の顔がだぶるなあ~。 追放された社長は裁きを受けるとして、政府という大きな悪はそう簡単には糾弾出来ないのだろう。あの痩せちゃった記者は、 これからどうするのか?何かしらの成果があればいいなあ~。

 正義はまだ死んでないと、信じたいのだ。

2007年7月11日 (水)

二人の先達。

 本日、短歌の世界の偉い先生から、書き慣れた美しい文字のお葉書を頂く。 その方の出された御本の感想文を送らせて頂いた事への礼状であった。私の母と同じほどの御年であるが、その文章は生き生きとして若々しく、 きちんと整理整頓されてもいて、う~む、と唸ってしまう。流石文学界に永く生きてこられた方だけのことはある。こうした、 チョットした文章も光っている。

 この葉書の最後のお言葉、「お身体大切にお過ごし下さい。体力も大切な要素です。」とあったには、思わず「確かに!」 と口に出して言ってしまった。体力が落ちているときは、作品もいい加減になるし、そもそも生きること自体が面倒になる。そうなると、 良い作品が出来るわけもない、、、、という事だろう。いやあ、心して暮らさなくてはイケナイ。何しろ人生の大先輩の助言だ。

 

 今夜はNYから帰国していらっしゃるK画伯のアトリエにお邪魔して、昔話など、とりとめもないお話をして帰った。 勧められるままに深夜11時というのに、ヨウカンなんぞ頂いてしまった!

 その前に山際にある「行基の湯」に入ったが、行く時にこの町の若者達が、河に架かる橋に灯りを施し、 幻想的な空間を作り上げた直後にその橋を渡る。湯に入っては、露天風呂を楽しみ、河のせせらぎと共に聞こえてくるカジカの声に耳を澄ます。 ホントに鳥のような声だ。外に出てからは涼しい風を満喫したが、先ほどの若者達が、未だ町の事について話し合っているようだ。 夫が彼らに声をかけ、町の活性化の為に色々やっている事を労っている。そう言えば、前回ここに来たときは蛍だったもんなあ~。それもこれも、 この町の若者達が中心になって、知恵と体力を出し合っているのだ。

 K画伯は今回高松市の中心部の広場や建物にアートを施し、おしゃれな楽しい空間を演出した。 思えばこの方とのお付き合いも永くなったが、初めの頃と全くその容貌に変化が感じられず、 常にクリエイティブな事をやっている方は老けないのかなあ、と改めて感心した。今年は大殺界の筈が、 半年で5回も展覧会をやる羽目になっていて、これで、つぶれたらホントの大殺界だ、とゲラゲラ笑って居られる。

 日頃から「画家の言葉」というのはいつも含蓄があって好きなんだが、この方も例外ではない。いつもお話ししていて、 ハッとさせられる。視点が普通の人と違う様だ。NYに於ける9,11の事も、その時そこにいて、しかも他人事だった、 と微妙な立場に懊悩した事を告白される。以前お聞きしたのでは、その時から全然絵筆が持てない日々が続いたのだった。

 しかし、殆どの場合屈託が無く、いつも笑顔で、そこにいる人を気遣っておられる。今宵も呑むほどに饒舌になり、明るくなり、 良いお酒だ。我々はお付き合いも出来ず失礼したが、さわやかな気持ちで車に乗り込んだものだ。

 

 

2007年7月10日 (火)

地震と初体験。

 昨日は大量の血液を放出したせいか、ドッと疲れて早くに寝たが、どうやらシャワー中に地震があったみたいだ。 本日の来店客から教わったのだが、ち~っとも気付かなかった。それがホントの大地震だったらあたしゃ裸でどうしたんだろうか? こないだ貰ってきた小冊子「まさかは突然やってくる!」が頭の中を回っている。まじで、どうなんだろう?身体を隠すなんてことが、 命を守ることより優先するかなあ?実際となると、想像を超えるかも知れないが、、、。

 

 人間いつどうなるか分からないから、という訳でもないが、「まつげパーマ」なるものを本日やってもらった。 歌仲間Fさんがが近々お店をオープンするので、そのモデルになって欲しいと言われたのだ。実は先日もエステをやってもらっていて、 なかなかに気持ちよく、翌日はお肌つるんつるんだったので、今日もそれをやって貰うつもりだった。 しかもその時一緒に行った義妹との会話では、「あのまつげパーマって、若い子のもんよねえ。 あんなのしてびっくりしたような目になるようなメークはしないもんねえ。そりゃあ、若い子は自分でも色々あの手この手でやってるけどねえ~。 」とさんざん不必要を強調し合っていたものだ。が、Fさんはこのまつげパーマこそが、モデルになって欲しい科目だったみたいだ。でもって、 ぼや~っとした返事の中で、いつの間にかやって貰っていたというわけ。Fさんが薬液を浸したコットンで私のまぶたを拭いながら、 「昨日は娘をやって上手く行きました。」という辺り、てえことはあたしゃ二人目か、と堅くつぶった眼をもっと堅くつぶる。まあ、 1時間という時間が経ち、知らないうちに眠ったりして、気が付けば終わっていた。再びFさんは言う。「わあ~、凄い、上手く行きましたああ! 私がやって貰いたいくらい!」恐る恐る鏡を見ると、わっ!確かにまつげがカールしてる。お陰で目が正面から見ると大きくなったような感じだ。 こりゃあ、娘に報告だ。やりたいと言ってたからなあ~。ふっふっふ、目だけ若返ったか!?だからって、別にど~~~って事無いんだけど~!

 

 

 

 

2007年7月 9日 (月)

吸血鬼。

 変身するには未だ早い時間だが、あたしゃすっかり吸血鬼気分。朝奥歯を抜いて、そこからダックダックと血が出てくる。 うがいを再々するのは良くないのだそうで、気持ち悪いマンマ、時間を過ごした今日一日。あ~気分悪~。痛みよりも出血だ。

 

 今日のシャンソンには、男性ピアニストが来てくれた。今後の為の見学と言いつつ、しっかり全員伴奏をお願いしたが、何が驚くって、 その音楽性と、初見でどんどん弾き、変調も造作もなくやってのけることだ。シャンソンをよくご存じで、 今後何らかの形で関わってくれるかも知れない。

 

だめだ、まぶたが開かない。ちょいと早すぎるけどたまには早寝しようか。

 

観劇。

 今日はちぇちが出演依頼をしているK落語家の出演する芝居と映像の一緒になったユニークな舞台を見にいった。奇をてらうではなく、 チャンとした舞台制作上の理念が感じられて、私には好ましいものだったが、帰り道、「映画はいらんわなあ~。」 「なんかややこしいだけやしなあ~。」という高齢の方々の声が聞こえて、フムフム、いろんな人が来るからねえ、こういうものは、 と面白く納得しながら帰った。ところが同じ車で行ってたちぇちの仲間達が、さっぱり分からん芝居だったとか、 さっきのお婆ちゃん達とおんなじ声を上げたのにはムムムのム。そうなんだ、これだから舞台は難しい。せっかくの「創意工夫」 もその真意が分からない人が観る可能性がある。ま、オペラの場合なんか特にそうだろうなあ。 観客のイマジネーションに頼るほか無い部分が多いのがオペラだ。所謂説明というのが無いんだから、 多少矛盾して感じられるところも想像力を働かせてつないで貰うしかない。

 今日の芝居は、会話のテンポが良くて、それぞれの出演者が、それぞれに平均点以上の演技をしていたと思った。 かなり練習したのだろう。一人一人が舞台上で自分の演技をキープ出来ていたことが、芝居に変な「スキ」を作らなかった理由だろう。 大体に於いて、アマチュアの芝居には、この「キープ力」が欠ける場合が多く、自分のセリフが終わったら、舞台上であるにもかかわらず、「素」 に戻ってしまう人が多い。セリフのある人だけが演技している舞台というのは、見るに堪えない。観客の頭の中には白け鳥が飛んで仕舞う。

 ロビーで客だしをしていたK氏が、「これが終わりましたら、次はそちらさんにまいりますんで。どうぞ、よろしゅうお願い致します。」 と握手をしてくれたが、さて、今日の芝居に勝たないまでも、そこそこ納得の演技が我々に出来るかどうか、、、!

 「喜劇」というのは、大変に難しい。今日のは、その喜劇に「悲劇」の映像を組ませることによって、芝居に深みをもたせた。 過去や未来や現在が渾然となって居るかのようで、「輪廻転生」を思わせるキーワードを使い、そこに必然性も描いてみせた。 しかもセリフはやさしいもので、「うち、死んでも又ともさんと会えるかなあ?」というようなものだ。

 映像も、美男美女を使わず、身近な人物で日常的に「あり得ること」として描いていたのは、好感が持てた。

 唯一欠点を上げるとしたら、「笑い」が滑ることが結構あったところか。もったいない。が、これとても、ことほど左様に「喜劇」 は難しいということの証に他ならないのだ。あ~あ、12月が心配だあ!

2007年7月 7日 (土)

永い一日てんやわんや。

 飛んで火にいる私の性格、ってなもんで、自分で自分を忙しい環境に追いやっている。朝、来店客を仕上げてから飛び出し、 とある事情で友人とスポーツジムへ。こんな時間に行ったのは初めてのこと。短時間にやることをやって、お先に帰宅した途端再びお仕事。で、 大急ぎで、留守番に来ていた母と自分の昼食に卵焼きやらサラダを作ってご飯を掻き込み、再び飛び出す。 この食事の取り方が最も悪いと分かっているのに、こうなってしまう。あ~あ。

 次なる目的はその次の次の目的のピアノ講座に、その講師の先生に出て貰ったFMオンエアのCD版を受け取りに行くこと。 5分遅れで到着して、無事頂き、今度は夕べ仕上げた原稿をとあるところに納めに行った。でもって最終目的の会場へと到着したが、 既に講義は始まっていて、友人達が場所を空けて招いてくれる。

 あたしゃ朝のジムが祟って、O先生のお話がつい遠くへ行ってしまう。資料に目を通しながらも、ついこっくり。隣を見れば、 我慢を諦めた友人Kさんがすっかり傾いている。かなりの人がお休みになっていた感じだ。ところが、ピアニストTさんがバトンタッチした途端、 みんなが目ぱちくりの熱心さ。そして、実際の演奏はホントに素晴らしい。一々楽譜を見ながらピアノ演奏を聴くというのも、 この講座以外に経験が無く、かなり面白い。あまりの速さに何処を弾いているのか分からなくなってしまうこともあったりしたが、 楽譜を見ないと分からないこともあってこれがホントに面白いのだ。まあ、しかし、このステキな演奏を生で、ただ、楽しみたいとも思い、 先生のご苦労をよそに目を閉じて聴いたりもした。本日はショパンだったが、あくまでもピアノを愛し、 エチュードといえどもそこに詩人の魂を入れて作曲したらしいショパンの人となりが、よく分かった。T先生のお話によって、ただの名前だった 「ショパン」が、生き生きと息づき始めた。そして、今までとはすっかり鑑賞の姿勢も変わった様な気がする。、、、 来月もこの講座は開かれるのに、残念無念。あたしゃ居ないんだなあ~これが。

 Kさんと帰りにお向かいの喫茶店でコーヒータイムが習慣になっていて、入ろうとすると中から見覚えのある人々が手を振っている。 テノールのY君とその母上軍団だった。たった今、街頭演奏を終えて今打ち上げです、という。ほ~、が、がんばってるわに~。 とにかくパワーが凄い、この方々は。圧倒されつつ、カウンターで美味しいコーヒーだ。内緒で、彼女が持っていたおまんじゅうも頂く。あ~、 この一口が、、、。

 

 我が家では、会長によるレッスンたけなわであった。良い声が上から落ちてくる中を、急ぎ夕食の準備だ。おっと、 その前に母を送っていったが、なんとな~く元気が無い感じがして気になるなあ。ま、明日はこけ枝さんのお芝居に連れて行って、 元気出して貰おうか。何卒、元気が出る内容でありますように!ってとこだ。

 

 順調にレッスンは進み、最後のAご夫妻も終わりみんなでお茶して、本日のなが~い一日は終わった。、、、しかし、 明日のチケットが後2枚残ってるんだけどなあ~。誰か行く人居ないかなあ~。、、、こういうことで、胸を痛めてばかりの事務局。 それで胸が成長するのかなあ~。なんちって!

 

 

 で、

2007年7月 6日 (金)

嬉しいような、悲しいような、、。

 昨日から結構な量の雨が降っていて、まるで梅雨みたいだ!高松の梅雨は空梅雨と、大体相場が決まっているが、今年はもしや、 恵みの雨が降り続くのか?と半信半疑ながらぼたぼたという重たい雨音を聴いている。しかしねえ、洗濯物がねえ~、、。いやいや、 そんなのはどうでも良い。九州地方では降りすぎによる被害も出ているらしいからなあ。自然の前に人間の力の無さを思い知らされるなあ、 いつものことだが。

 この湿った空気というのも、ホント、悪くない。ちょっと涼しいし、色んな物音が寂しげで好きだなあ。 若い頃には感じなかったことだな、これは。てえことは、年取るのも悪く無いってか?そうそう、嬉しいとまでは言わないが、 決して悲しいことばかりでもない。この頃よくそう思うようになってきた。考えてみれば、死だって、悲しいばかりでもない。 現世の苦しみから逃れられるではないか。。。やば!もしや近いのか?しかし、今日の夕食の食べっぷりからは近いとも思えないしなあ。 神のみぞ知る、だ。むむむ。

 

 今日は何故か電球が次から次へと切れてしまい、原稿の締め切りがあるにもかかわらず、夕方以降パソコンも打てなかったので、 渋る夫をおだて上げ、幾つか付け替えて貰った。明るいということは有り難いもんだ。無くなってみて初めて分かるんだ、何もかも。

 しかしねえ、、言いたかないが我が夫、最後に電気の傘を取り付ける段になって、どうしても出来ないと、放り投げる。 仕方なくあたしゃ頑張ってやりましたがな。ま、しゃあないか。その代わり夫はお裁縫が得意だからねえ。男はこんな事するもんだなんて、 既成概念にとらわれてはイケナイ。得意な人が得意な方をやればいいのだ。ん。

 

あら、ら、、もう午前様だ。明日は色々動かなくてはイケナイ。こないだ、 シャンソンの発表会で飛び入りで弾いてくれた素晴らしいピアニストTさんの講座もある。あのときはホントに驚いたなあ。調律もしていない、 アップライトのピアノで、あそこまでの柔らかい音色が出せるなんて!そもそも、弾き方自体が違っていた。 心底ピアノを愛している人の後ろ姿だったなあ。演奏家そのものだった。明日が楽しみなことだ。

2007年7月 5日 (木)

ビデオメール。

 先日嫁りんからビデオメールが送られてきて、勿論それは孫りんの成長記録で「歌が歌えるようになりました」メールだったが、 な~んと本日は、「うんち」メールだ。要するに、初めて自分で便座に座り自分の意志でうんちをしたという、ナントもめでたいメールなのだ。 しっかりペーパーに手を伸ばし、引っ張っているのがニャンとも可愛いでないの!?

 このメール、よくぞシャンソンの講義中に見なかったものだ。笑って歌どころではなくなっていただろう。親ばかというか、 婆ばかというか、あ~あ、平和で結構。

 

 で、ニヤニヤしながらフェリーに乗り込むと、久しぶりに演奏家のM氏にバッタリ出会う。先日高松でコンサートを終えたばかりなので、 「お疲れさまでした!」と声をかけると、「どれでしたっけ?」と言われる。その様に彼は多忙なのだ。

 聞けば私が山に登っていた頃、彼は高松で某演奏会の指揮をしていたらしい。ところが、 彼の教え子でその団体のメンバーの方が身体を壊していて、相当良くない病状だったらしく、ショックを受けたという話を聞かされる。

 実は、行きのフェリーの中で友人から受け取ったメールが偶然にも同じ人の事に触れていたのだ。世間てホントに狭なあ。

 フェリーを下りて、彼の事務所まで歩きますか?送りますよ。と言われて歩き始めた最初は涼しい風に吹かれて楽しかったが、 流石に高商辺りまで来ると呼吸が乱れてきた。思いがけず歩いたが、後は彼のでっかい車で快適に送ってもらったから、ま、いっか。 今日は休肝日とばかり、水で我慢しているただいま午前1時15分。

 さあ、もうおねんねの時間だなあ。

 

2007年7月 4日 (水)

写真、あれこれ。

 先日の剣山の写真が出来たと、同行のメンバー二人からメールが来る。色々今日の仕事を終えてたった今見たが、 雄大なな山々が良く撮れている。雄大な人物も。これアチクシのこと。

 まあ、私ってこんなにでっかいのかあ、というのが、正直な感想だ。今更何を、と言われるだろうが、車と同じで、運転している人は、 その車がどんなに大きかろうとどんなに美しかろうと、外から見えてるんじゃないから、案外分からないもんだ。性能の良い車は軽く走るから、 大きさの判断にはならない。人も元気な人は軽く動けるからねえ~。へへへ。

 

 トドメのように、先日娘婿のご実家を訪問したときの写真が届く。こっちは目が悪いから、集合写真を見て、 一緒に行った友人をてっきり自分だと思っていた。その横にえらい大きな人が映ってるなあ、と思ってメガネをかけると、なんのこたあない、 それがあたしだ!ちょっと考えればすぐ分かるはずが、ねえ~。自分の事って、ひいき目に見るもんだ!(私だけ?)

 

 今日も一緒に剣に登った人が、私に足腰が痛くないかと聞いてくれるが、これが全く不思議なことに、一切なんともないのだ。 そのほっそい女性は、アチコチ痛いらしく、ジム通いも当てにならないとぼやいていたなあ。なんでかなあ~、七不思議の一つに加えなくては!

 

 そういえば、ぼちぼち、練習風景も撮って貰わなくては、、、、。時間はあるようでないからなあ。

 

 

2007年7月 3日 (火)

未だどこも痛くないぞ~。

 年取ると、痛みは後から来るとよく言われるが、今のところ登山による身体的痛みは全然無い。夫も拍子抜けしたような感じだ。 要するに、皆さんの期待を完全に裏切っているということだ。自分でさえ不思議なのだから、なあんともかんとも、、。

 

 今朝の来店客が、いきなり「先生、人間、年はとりたくないもんですねえ~」といきなり言われて、相づちを打つにも真意が分からず、 「何かあったんですか?」と聞いてみる。憤懣やるかたないという口調で、長々と私に訴えたその内容は、まあ、 私にとっても他人事ではないだろう。

 その人Aさんは実家に90歳の母親が一人いて、弟さんの家族と同居しているという。その方は未だ呆けても居ず、 自分の事は自分で出来るそうな。デイサービスには週3日通っているが、いつも喜んで出かけていて、家人にグチを言うこともない。 Aさんによれば、世間で言う年寄りよりはずっと手がかからないし、迷惑をかけているというわけでもない。それだのに、 昨日弟から電話があって、「新しくできる老人ホームへ入所させようと思うが、ついては、どう母親を納得させたらいいか?」 という相談だったとか。母親が創った財産を貰う立場にありながら、よくもそんな勝手なことが言える門だと、 怒りで頭がおかしくなりそうだったが、弟の言い分を良く聞いて行く中で、仮に自分の家に引き取るにしても余りに家が狭いので、 多分無理だろうとか、第一母親が自分の住み慣れた家を出て、娘の嫁ぎ先へやっかいになるなんて事、 あの昔気質の母が納得するわけがないとか考えていて、思いの丈をぶちまけることは出来なかったそうな。が、電話を切った後に、 何とも言えない寂寥感が漂い、ご主人にそう言ったら、「お前が面倒見る気があるんなら、弟さんに何でも言えばいいが、 その気がないなら何も言う資格はないぞ。」という返事だったとか。全くの正論だ。結論としては、 矢張り弟さんの家族の選択に任せると言うことになったらしい。Aさんは言う。「母親のことを考えながら、自分の将来を思ってみると、 何とも言えず老いることが悲しいことだと思えてきた。どんなに長生きしても、その時は来るんだから、、、。」

 いや全くその通り。人間は寂しいなあ~。

2007年7月 2日 (月)

期待を裏切れたか?

 本日はさわやかな目覚めで、身体のどこにも痛みはない。むしろ身が軽くなったような気さえするくらいだった。で、 半日荷をほどいたり家事をしたりとゆったり過ごし、今夜のちぇちの練習のことを考えていたが、フト、そうだ、 もしかしてみんなが私の無事を疑っているかも知れないなあと思い、ちょいと元気を演出してみた。まずヘアーをくるくる巻いて、お化粧をし、 元気そうに見える服を着て、颯爽と出かけたのだ。実際、元気だった。帰るまでは。

 ところが、練習とはきついもんなのだ。どんどん消耗していき、なんのこたあない、山登りよりしんどくなっている自分に気付く。 それなのに、同じく疲れ切って居るみたいだった会長をお乗せしてお送りする間、 あたしゃ自分が疲れていると言うタイミングがどうしても取れず、敵の「疲れた」「疲れ切った」「今日は授業が二つもあったし、、、」 なんぞという繰り言に相づちを打つのがやっと。結局会長から見れば私なんぞは疲れを知らない人間と思われて居るんだろう。ふ~っ。

 

 山は確かにきついところもあったが、覚悟していたほどでもなく、景色を見て感嘆の声を上げたり、 背景を選んで写真を撮って貰う余裕もあった。下山に至っては、道行く先に可憐に咲いている美しい花々を愛で、 道をふさぐかのように倒れている大木で、「恐竜ごっこ」をして遊ぶ場面もあったほどだ。何より、新緑に癒され、鳥の声に癒され、 涼やかな湿った空気を吸い、額の汗を風がなでてくれるのを楽しみ、とにもかくにも自力で上がって降りたのが、私にとっては収穫だったか。

 私の命令により(!)いつ私がバテても速攻救助できる位置にぴたっと付いてきてくれたM君は、 正しくボディガードにうってつけの人物だった!今回この計画に「若さを振り絞って来て下さい」 と私を呼んでくれたO氏も気遣って登山用の杖を貸してくれた。確かにこれは優れものだったなあ。頂上でも貸してくれたが、流石に不要で、 不要なモノはすぐ忘れ、又してもM君の出番だ。「これどうしましょうかあ?」と叫ぶM君に「使っても良いぞ」と言葉を返して、 一人飛びんこ飛びんこして遊ぶ。

 あとから遅れてきたF女史はチワワを連れていて、こんなところでこんな浮き世の犬を見る珍しさからみんなに大人気。 お犬様は私同様はしゃいでいたなあ。

 この山頂にはしめ縄が飾ってあって、毎年これを新しいのと取り替えるんだそうだ。 そしてそのしめ縄の中に願い事を書いて入れておくと、かなりの効率で願いが叶うという。子供のない人に子供が授かったという話は多いそうだ。 あたしゃ勿論「オペラの成功祈願」と書いたが、M嬢に「さあ~すが蓮井さんですねえ」と言われて、そうか、 もう又いつ来られるかどうか分からないのに、自分の事書いた方が良かったか、という思いがチラリとかすめたが、いやいや、そうじゃない。 今年は何が何でも、神頼みだろうとなんだろうと、祈るほか無いオペラの前なんだ。

 

、、、今日の練習で、初めて少し動いて貰ったが、みんな楽しそうで良かった。これからが、大変だが、希望が見えてきた。 勿論良くない点も。浮き彫りになったのが、ソリスト達の別練習の必要性だ。その点、副会長のH氏はよく創ってきていた。 あの勢いでみんなを引っ張っていって欲しいなあ~。

 

 続きは明日だなあ。

2007年7月 1日 (日)

下山。

 今回の剣山登山は、全てにおいて100点満点に近いモノだった。山は快晴、しかし暑くもない程良い涼風の中、 登下山共に快適であった。変わりやすい筈の山のお天気も全く変わらず、素晴らしい景観を、これでもかと見せつけてくれた。登頂で1回、 リフトの上と下で各1回計3回も歌って、最後には、主催者側のリーダーから、「皆さん凄い良いお声で、私たちの団に引っ張りたいほどです。」 などと誉めて頂く。いやあ~、確かに。3回目はかなり張り切って出してたもんなあ~。山の澄んだ空気の中で、 鳥のさえずりと競演するのは一興でもあった。歌が好き山が好きという人達とにわか友達となり、終始笑顔で歌ったり語ったり、、、。

 ヒュッテでの夕食は気が付いたら深い霧の中にすっぽり閉ざされている、、。実は、この時チョイとした事件が、、。ま、これは明日だ。

 ヒュッテの品行方正な時間の営みは、日常の喧噪から初めて逃れる事が出来たのを実感させてくれた。 持ってったものをあるだけ重ね着して、朝4時のご来光を、霧が谷に落ち行く様を見ながら、今か今かと待ち続ける。 自然の大きな腕が我々ちっぽけな生命体をその腕に向かえ入れようと伸びてくるのを感じる。 山間に向かい全てをゆだねた気持ちになってひたすら東の空を眺めるのだ。やがて、太陽がその全容を表した時、急に脱力感に襲われて、 再び部屋に帰ってみれば、先着のYさんが既に横たわっている。そうか、思いは同じなのだ。私も横になり、 夕べのアルコールが徐々に抜けていくのをシンとして待つ。いつの間にかとろりと眠ったようだ。

 心配している母と夫に連絡して、帰りは温泉、そして打ち上げ会と、1泊2日の小旅行はS嬢をして、「ああ、今日という日が、 終わって欲しくない~」と叫ばせた程に楽しかったのだ。

 未だ、行けたなあ、と、内心ほくそ笑んでいる私にA夫人は言う。「もしかして、蓮井さんが一番元気なんじゃないですか!?」 へっへっへ。まあ、そうでもあるようなないような、、、事の顛末は又明日だ。とにかく本日は早寝だ。山の生活に習って!

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