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2007年6月

2007年6月29日 (金)

大丈夫だあ~。

 ただいま23時51分。今交わされた夫婦の麗しい会話。「明日はお母さんの成功をお祈りしてますよ。」「大丈夫。段々、 力がみなぎってきて、絶対に行けると確信が出てきた!」「ゲラゲラゲラ。だけど普通の女じゃないんだから、失敗は許されませんで~。」 「だから、行って見せようじゃないの!フンっ!」、、、ここまで言わなきゃ平和なのにねえ~。

 明日の天気予報はどうやら晴れだ。

2007年6月28日 (木)

東京さの話その5。)

 今宵は臨時の練習日で、1時間だけだがしかも通常の半分の人数だが、会長ピアニストの参加でいつものように練習できた。しかしまあ、 やればやるほど次々とやるべき事が見えてくるもんだなあ。本番直前でも、おそらくは同じ感想を持つ事だろう。

 

 さて、東京のラッシュアワーというものを、久しぶりに体験して、やっぱりここには住めないなあ、と思ったもんだ。 その時間がナント朝ではなく、終電にあと一つという電車だったのだからおろろく!娘とシャンソニエに行き、その後遅い食事を食べての帰りだ。 そういえば、この時入った有名な居酒屋では、間もなくオーダーストップですが、と言われて、 飲めるかどうかも分からない日本酒を追加したのだが、案の定殆ど残した。これも一つの商法か?人間の心理として、もう頼めないとなると、 あれもこれも今の内に、、、と思ってしまうのだ。そういえばこの店で頼んだ、「タコの○○漬け」とかいう一品が、 一口食べてその味の悪さにギョエッとなって、これは絶対古いと確信して店員を呼び説明する。「そんなはずはない」「決して古いモノではない」 を繰り返したが、結局は新しいモノを出してくれた。この新しい方は、まるっきりさっきのとは違う。見てくれからして新鮮なのだ。なんでも、 言って見るもんだなあ~。

2007年6月27日 (水)

東京さのこと、その4.)

 スポーツジムからたった今帰宅。23時35分。いつもなら速攻ビールだが、本日は禁酒4日目だ。傍らに水を置いてパソコンだが、 それもこれも週末の登山を睨んでの、間際族の私流準備の一環だ。何もしないよりは良いだろう、という安易で安直な行動は、 ジムの駐車場に着いて、ドアに一番近いところに止めることからも窺い知れるというもんだ。 流石に本日自転車で150㎞カロリー消費の50分という運動のあと、ち~っとも歩かずに車にたどり着いた時には、吾と我が身を苦笑いだ。 クセとは恐ろしいもんだ!

 ご親切な方から、色も形もステキなリュックをお借りしていて、昨日寝る段になって荷をほどき、複雑な構造の謎解きをしていたが、 さっぱり分からない。そもそも背中のどの辺にこのリュックを位置づければ良いのかも、も一つ分からない。まあ、 麓に山男や山女が居るだろうから修正して貰うこととしよう。持ち主から雨対策などメールして貰って、なんだか段々楽しくなってきた。 もうすっかり頭の中には、バッチリ決めた登山姿の自分の象が、いや像が巡っている。少々細めだが!きっと、うまく行くだろう!く~っ! この楽天家め!

 FM収録から帰宅し、新しくなったデジタル放送用の機械をいじっていたら、日本映画の特集チャンネルが映り、 なんと登山シーンが繰り広げられているじゃあないの!まるで私の為に、、、じゃあ無かった。本格的登山者のお話で、頂いたのは、 首に巻くタオルが重要らしいということだけ。この作品は大昔に見た記憶があった「ある遭難」とかいうタイトルだったと思うが、 面白くて懐かしくて、途中からだったが夕食の準備をしながら見てしまった。香川京子という女優さんが目力のある良い演技をしていた。

 実はその前に、急ぎ母を乗せて父の墓参に出かけた。殆ど暮れきる直前だったが、母はいたく喜んだ。私は、こないだ父の夢を見て、 なんとなく登山の前に行くべきのような気になって、こちらの勝手で連れて行ったが、お墓の前で「お父さん、お久しぶり、、」 と声に出して言う母に胸がチクリ。枯れた花を束ねて持ち帰りながら、もう少し度々連れてこようと思ったことだ。

 

 東京では、高校時代の友人達にも会い、つもる話に花を咲かせた。内一人は今年の初めに夫を亡くし、 その後どうしているかと気がかりだったが、以前よりも美しくなって、元気になっていた。「人一人死ぬと言うことは大変な事よ。」 と先輩としてのアドバイスまで、、。なんでも、全ての手続きを全部自分でやったそうで、するとかなり大きな額が浮くんだそうだ。 参考になるのかどうか、、、!

 ただし、今現在の状況は余り楽しいモノではないらしい。出かけるとなると隣近所の人達に鵜の目鷹の目状態で監視されているとか。 なるほどねえ。現代でも世間体って怪物が横行して居るんだ。ま、彼女なら頑張るだろう。残された自分の人生をしっかり楽しみなさいよ! とアドバイスしたものの、勿論そのつもりらしかったのは、ケッコウケッコウ!

 

 今日は本業がかなり忙しかったのだが、来客の中のお一人がことごとく私の東京での話を聞いて呆れていた。その方曰く、「私なんて、 居酒屋どころか、およそ呑む場所には行った事がない。」「そんな汚らわしいところへ行く気もない。」「9時より以降に外に出ないし。」 と如何に品行方正な主婦をやっているかを、蕩々と述べておられた。それでも、帰る頃には、「この頃、一人でスーパーとかに行って、 わざとお昼過ぎて帰るのよ。私の帰りが遅かったら自分で食べておいてね、と夫に言ってから家を出てね。」と、 さも重大な裏切り行為をしているかという風に告白して居られた。、、、そうでしょうとも奥様。それで良いんです。世の中、「濡れ落ち葉」 って言葉があるでしょう!?旦那様にも自立して頂かなくては!ね!?と、一応言ってみたが、さあ、、。

 

 東京の女友達と3人で、話題のミッドタウンというビル街にも行ってみた。 東京ならではの広々とした屋内とおしゃれな空間をしばし散策。しかし、もうこの手のビルは見飽きていて、感動はない。 もっぱら美味しい食べものを捜すことに。今回は私がお肉をとリクエストしたので、ステーキを食べに入ってみる。 行けばこれがドンぴしゃのおいしさと一枚ガラスの向こうは青山の緑が広がるステキな場所。 サラダ食べ放題と目の前でシェフが料理をしてくれて、細かく注文を聞いてくれるグッドなサービスで、3500円くらい。 ここでは感激したなあ。

 もう一つ、この地下にあるお惣菜屋さんが、メチャ美味しかった!若いコックさん?が一々料理を説明してくれて、味見まで。 手が込んでいて素晴らしい味だった。ここでは、この日の婿殿の夕食をどっさり買って帰ったことだ。 彼は遅く帰宅して予想通りペロッと平らげていたなあ。

 

、、、とまあ、食べ物のお話がどうしても尽きない、私の旅日記だ。

2007年6月26日 (火)

省エネ、どこへ?

 今日の暑かったこと!クーラーをなるだけ使わないでおこうと思ったが、客商売の辛さ、汗をかきかきやってくる方のために、 どうしても涼しい風が必要だ。自分自身も汗まみれでは仕事がしにくい。結局は朝つけたクーラーはほぼ一日中唸ることとなる。

 夕方母を伴いスーパーに買い物に行くと、これ又もの凄い寒さだ。イヤホント、寒いという表現がぴったりなのだ。食品の為だろうが、 従業員は病気になるよ、あれでは!

 このところ、至る所で扇風機を安く売っている。どこの生産国か知らないが、今日も、ホームセンターに1980円、 なんてものが沢山並んでいた。国産のものでも数千円で良いのが買えそうだった。クーラーよりは良いんだろうが、、 冷気という心地よさに一度慣れてしまうと、これがもう我慢できないのだ。その為に廉価なのだろうか、、、?

 母は昔はこんなに暑くなかったと言うが、私は意識の変化がかなり大きいと思う。「夏は暑いモノ」「夏は汗をかくモノ」 と思っていたのが、今や、夏でも汗はかきたくないし、夏でも涼しいところで過ごしたい。時には、 クーラーをがんがんかけている部屋で鍋を食べたり、焼き肉したりはサイコウ!と公言してはばからないけしからん輩、 イコール私のような人間も居る。

 昨日の昼のシャンソン教室も、夜のちぇち練習も、ず~っとクーラーの中だ。動いたら汗が出るが、じっとして、 全体を眺めて考え事をしていると、寒いと感じるくらいだったが、我慢した。そうなんだ、夏が来ると、結構こうして、 寒いのを我慢してることも多いのだ。

 一昨日のシャンソン発表会は、緑の多い、ステキな場所だったが、打ち上げのランチタイムに暑いと言ってはクーラーを頼んでいる。 自然の中では、美味しい料理も美味しいと感じられなくなったのか!?夏にここで何かやるのは止めようという話になる。 それもこれも暑いからだ。

 昔、父がよく言っていた。「暑いときに汗をかきながら暑いモノを食べるのが身体に良いんだ。我慢することも大事だ、、、、。」 その当時は良くて扇風機。無ければ、団扇か扇子の時代だ。あの頃食べた美味しいスイカの味が忘れられない。 口の中を冷たい味が一杯に広がるあの感触。、、、今でもあたしゃスイカが一番の好物だもんなあ。でも、クーラーの部屋で食べてるもんなあ~。 まるで、あのときの味を取り戻したいかのように食べているが、考えてみると、これじゃあきっと無理だなあ。

 夕べは久しぶりに父の夢を見た。それが、随分と若い頃で、快活に白い歯を見せて楽しそうな表情だった。 何かしきりに私に話しかけては笑っている、、、目覚めて懐かしさに、涙がにじんだ。

 そうだ、今日は父の命日だったのだ。

2007年6月25日 (月)

東京さのこと、その3.

 東京からは、まだついこないだ帰ったばかりというのに、もう1年も前の事のような気がする。 それだけ日々バタバタしているということだ。記憶も段々加速度的に消えるのが早くなっている。まあ、 まだ昨日食べたものくらいは思い出せるから、いっか!?

 そういえば、難しい芝居を観たなあ。今思い返しても、なんだか意味が分からない。都会にはこの手の芝居が多いなあ。 役者はそれぞれかなり力がある人を起用している。だが、多分役者達には自分がどういう必然で、何をしているのかが、 イマイチ分かってないのではないか?と思えた。要するに駒の用に動いているだけ、動かされているだけ。しかし、そう動くことで、 芝居は成立していく、、、。オタマジャクシに忠実に歌っていると、その音楽が一応形をなすのと似ているか。まあ、 役者さん達に聞いたわけではないが、第六感とでも言うべきモノだ。それほど難しい芝居だったということだ。

 たまたま往年の歌手で、現在は占いの師匠みたいになっちゃったM氏の番組で、人間の潜在的な恐怖心が、何かの形になって、 見えることがある。っていうのをやっていたが、この芝居は、正しくそれがテーマだったのだ。私には苦手な芝居だった。 テーマもシチュエーションも全くダメ。

 

、、、今目覚めたら、午前1時。パソコンの前でいつのまにか眠っていたのだ。やはり疲れている、、、。;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;さ、本気で寝よう。

2007年6月24日 (日)

シャンソン発表会、終了。

  ようやく終わったシャンソン発表会だ。朝7時の顧客を仕上げてから8時過ぎに家を出て、会場に着くやいなや設営だ。 まさかピアノの移動まで手伝う羽目になるとは想像してなかった!信じられないほどの事前の仕事量に、始まる頃には疲労困憊。 リハに付き合うだけでも大仕事だのに!く~っ。なんでこうなるの?

 その後のメチャクチャ盛り上がったカラオケと、8時にバスに乗るという、 わざわざ博多から来られたTさんに付き合っての軽い夕食のあと、お二人ほどお送りして、 まだかまだかとメールしてくる夫の夕飯を気にしながら帰宅して、大急ぎで食卓を整え、ようやく一息ついた頃には吐き気がしている。 これはやばいなあ~。

 しかし、偶然集まった人達が妙に気が合い、新しい人達も皆さん和気藹々と集う事が出来ているのは、本当に幸せなことだ。 今日は出演者の8割が参加したカラオケ打ち上げで、みんな堂々と「演歌」を歌い興じた。歌う人、踊る人、かけ声の人、やじのひと、、、。 もうもう、今まで体験したことがない盛り上がりようだった。一切アルコール抜きで、こんなにも酔えるとは、、恐るべし女集団! 踊るといっても、その辺のタオルかなんか出してきて、姉さんかぶりやら、着物の袖やらに次々と変身させてイメージさせるという、あれだ。 マンボやらジルバまで飛び出して、所狭しと動き回る。、、、でもって、食べるのは「クリームあんみつ」とか「かき氷」とか「ナントかパフェ」 なのだ。ひとしきり暴れたあと、そろそろ時間ねと立ち上がり、2台の車に分乗して夢タウンまで。さすがにみんな注文したのは、 「四川風つけ麺」のみだった。

 このお店では、もっぱら人生の先輩達から、女性の生き方みたいなモノを話して貰ったり、お互いの友情を確認し合ったりと、 遊ぶだけではない、ためになる時間を過ごしたのだ。最近ご主人を亡くされた方も居て、これからの生活について、 みんなで知恵をだしあったことだ。、、、人間て、ステキだなあ~。

 

 それにしても今日の会場の素晴らしかったこと!雨上がりの美しい緑が一杯の中、歌う人々が蝶が舞うように、、とは行かなかったが、 まあ、蛾くらいには見えたかも~。

 

 

2007年6月23日 (土)

シャンソ~ン~。

 明日もシャンソン発表会だ。どうやら雨になりそうで、それはそれで緑が綺麗でステキだろうなあ、あのイングリッシュガーデンは。 場所に不足はないが、、、どうなることか!?何事も終わるまで気が抜けない。あたしゃ、まだ何を着るかも決めてないし、 明日は朝7時にどうしてもというお客様を施術予定だ。うろ覚えの歌詞をさらうべきなのだが、、、お風呂でやるしかなさそうだ。

 

 日記なんか書いてる場合じゃない!!天の声だ。

2007年6月22日 (金)

東京さの事その2)。

 このところゲストの都合で、FM録り溜め状態の日々だ。ホントに録り溜めしたいのはもっと先なんだが、、、。うまく行かないモノだ。

 しかしまあ、今日も面白く収録出来て良かった。その後のお茶タイムで、あずまやに行くというのが定番になってしまった感があるが、、 、!トホ。

 夫が私宛の手紙が入っていたと、自分の封筒の中から便せんを取りだして渡してくれて、 何だろうと思ったら以前からちょこちょこお会いしている女性Sさんからのモノだった。内容は、偶然私の放送を聴き、私だと確認したので、 これからは周波数を登録して必ず聴きます、と言うモノだった。これだから放送というのは怖いんだ。誰が聴いてるか分からない。 どうやらその方もオペラ好きらしく、放送でアリアなんかが聴けるのが嬉しいと書いて下さっていたのは嬉しかった。「オペラ普及協会」 を自認している私。少しでも貢献できていればこれ以上のことはない。

 収録中に友人HからBSで私がブログで触れた移動美術展の事を詳しく放映しているとの連絡が入った。 私の感動を彼女も感じてくれたようで、これも嬉しかった。

 

 ところで、東京さに突いた日の夜、連れられて行った居酒屋はまあ、なんともかんとも、映画の世界でしか知らなかったような、 本格的居酒屋、居酒屋中の居酒屋、本来の居酒屋、、、、って、どの表現もぴたっと来ないが、要するに赤提灯だ!まず狭い! カウンターに8人だ。側の座敷とおぼしき部屋は2畳ほどもあろうか?小さなテーブルを二つ並べると、それでも7,8名は座れるか。 一杯になるときは、立ったまま呑んでる人が居るそうな。びっくり!でもって、やかましいのなんの。女の姦しさとは又ひと味違うのだ。 隣り合わせになった人が、偶然この私と同じ高田馬場の美容学校の出身者で、同時に名のあるトライアスロンの選手だそうだ! 道理でひ弱な感じは全然無く、ごま塩頭ながらチェーンの太いネックレスが良く似合っている。御年、私より1歳年上。他にも、 たまたま大阪から息子の所へ遊びに来ているという帽子のおっちゃんは、しきりに私を美人だあ美人だあと叫ぶ。要するにかなり酔っているのだ。 大体こんなお店に女性が来ることが珍しい。後で聞くと、どうやらこの日私が行ったために、皆さん、少々大人しかったようだ。(あれでねえ!) まあ、男社会の別な一面を見た感じだ。聞けば、1、学歴の話、2,宗教の話、3,野球の話、4,政治の話は御法度だそうだ。、、、しかし、 段々色んな事が分かってくるもので、ボクサーやら新聞記者やら、有名なラーメン屋の親父やら、あっと驚くような人も色々来ているそうな。 都会の縮図だなあ~。

 娘婿がおもしろがって、「初日からえらいとこで洗礼を受けましたねえ!」とゲラゲラ笑っていたなあ。 そういう本人もこの居酒屋の大フアンだ。、、確かにもつ鍋とかホルモンのたれ漬けなんかメチャウマだったなあ~。 最高が500円の焼きそばだというから、毎日でも行きたくなるんだろう。は~っ!

2007年6月21日 (木)

お勉強あれこれ、、。

 久しぶりにスナックという所に行った。「呑むだけの為に」そういうところへ行くことがホントに無くなって、「食べながら呑む」 というのが普通な私。何だか調子が狂って、水割りのうす~いのを頼んだにもかかわらず、1杯目で既にとろり~ん。それというのも、 今宵はコンサートに出かけたため、食事抜きだったから余計回ったのだろう。ママの気遣いで、お寿司を頂きようやく人心地がついたものの、 既に酔っている私には、色んな事がどうでも良くなってきて、お喋りな(おっと、お話上手な) ママのくるくる変わる話のテンポに付いていけてない。このお店、初めてではない。だが、もう10年単位で来てないはずだ。だが、 あたかも日参している客のような扱いで、その内こちらもそのペースに乗ってしまっている。いやあ、流石だ。

 テクノを呼べば4,5分で行きますというのに、ママを始めみんなで驚く。混んでるときは40分くらい待つのが普通だからなあ。 でもって、運転手さんが若くて声のいい人で、お話も上手。あたしゃ、色々社会勉強させて貰ったもんだ。

 このお仕事は殆どの人が昼間別の職業を持ち、学生の放課後のサークル活動ののりでやって居るんだそうだ。その為、 拘束時間は2時間で、シフトもかなり自由だとか。、、彼が面白いことを言う。「職場って、普通、毎日見るのは同じ顔ですよね!?ところが、 ここは毎日違う人と一緒に仕事するんですよ。だから、色んな人と知り合えて、時には実際に自分の生活に役立つ事を教えて貰ったり、 助けて貰ったりすることがあるんです。それが楽しくて!いいっすよ!」「え?声ですか?もの凄い音痴ですよお!3歳までピアノ習ってたけど、 どう教えてもこりゃあだめだとさじ投げられたんですよ。」とカンラカンラと笑っている。いやあ、屈託のない明るい青年だったなあ。

 

 本日のコンサートは、知人が出演しているのもあり、興味を持って出かけたが、音響の悪さも手伝って、やっぱり最初は夢うつつ。まあ、 彼の演奏はバッチシ側で聴いたことがあるし、CDも持っている。今更、音響の悪いところで我慢して聴くモノでもないだろう、と、 休憩時に外に。というのも、実は持って出るはずのモノを忘れていたから、どうしてもそれを取りに帰る必要があったのだ。 行きは夫の車を借りて、帰りは修理から帰ってきていた我が愛車に乗り換えての再出発だ。疲れているときほど、注意力が散漫になって、 こんなことをやらかすのだ。、、って、私だけ?

 しかし、このコンサートの集客力にはいつもながら感心させられる。所謂音楽好きの人を集めることに成功しているのは、 全員ご招待だからというだけでもないだろう。影で働く人々の力だろうなあ。いつもの顔なじみの人々が頑張っていた。

 全く、公演一つ実現するのに、どれだけのエネルギーが必要なことか、、、、!

 

 

2007年6月20日 (水)

東京さの事、その1)。

 久しぶりの東京で、まず私を出迎えてくれたのは、お台場にある移動美術館。写真家グレゴリー・コルベール氏の作品を展示するため、 建築家の坂茂氏が設計したものだとか。屋根と支柱に紙管(巨大)を使うなど、建材のほとんどをリサイクル資材でまかなっている。 最初に眼にはいるのは、夥しい数のコンテナ。2005年に米・ニューヨークで建設後、同カリフォルニア州サンタモニカを経て、 東京で再建されたというものだが、このコンテナは各国の開催地で賄うという。

 およそ、こんなに凄いスケールの写真展を私は今まで見たことがなかった。それに、この写真の強烈なメッセージにも圧倒された。 全てがセピア色というのが、想像力を掻き立てる。海の中から撮影されたモノの内、象が身体の殆どを水中に沈め、足をばたつかせて浮いていて、 その下の方をどんどん沈んでいくように見える男性の上半身裸の垂直な姿。構図の美しさもさることながら、自然の中で生かされている生物の、 生命の原点とでも言うべきものが表現されているようだ。私の一番のお気に入りは、砂漠の丘に二匹の豹が背中を見せて寄り添い、 そのすぐ側に小さな子供を抱いた上半身裸の女性が これ又後ろ向きに座っている写真。彼ら4体の前方には果てしなく、美しい砂漠が続き、 それは永劫の時を感じさせる。彼らは一体何を見ているのだろうか、、、。

 ビデオの映写も3カ所で行われていて、全てがセピア色の画像だ。インドの象と他の動物たちと、人間達の戯れが主だが、 これは確かに癒されるなあ。

 

 お迎えに来て下さったS氏のステキなお車で楽させて頂いたなあ~。最初からラッキーな、おみっちゃんの旅はこうして始まったのだ。

 何がラッキーって、昨日の爆発の現場にもしかしたら行ってたかも知れないのだ。私が、 会員カードも持ってるからあそこに行こうよと誘ったのに、娘が何だか行きたくないというので、諦めたあの女性専用のスパだったわけだ。 前回上京の時には、屋上の露天風呂でゴジラごっこをして大いに盛り上がったものだが、ここんとこのニュースでは、 そこが何度も映るじゃないの!?なんだか、懐かしいような、怖いような、、、変な気分。いや、勿論こちらに帰った翌日の事故だから、 関係はないが、もしかして、私が行ってたら、その日に爆発したかもしんないもんねえ~、って、そこまでゴジラじゃあないけどねえ~。

 娘婿がすぐ側のビルに勤務していて、てっきり飛行機が落ちたんだと思った、というから、相当の衝撃だったに違いない。 くわばらくわばら、、、、。危険はそこいらに一杯あるんだなあ~。

2007年6月19日 (火)

もお~っ!知らん!!

 参った!今夜こそジムに行って汗を流し、体力を付けようと張り切っていて、かっきり食後1時間経って車を出した。 何となく乗るときにイヤな予感が、、、。椅子が前の方にあるっって事は夫がこの車を使ったらしい~と、 50メートルくらい走ったところで考えたとき、ハンドルに手応えがない。えっ?エンスト?と一瞬思ったが、それにしても変な感じがしたので、 そのまま惰力でハンドル操作を続けて道路の端で、しかも自動販売機の側という所で止まる。 何度もトライしてみるがやっぱりエンジンはかからない。観念してJAFに電話。15分~20分の待ち時間にヒマだったので電話したり、 明日締め切りの短歌を考えたり、、、してる内にやって来たその若者。やたら愛想の良い、健康そのものといった体で、 ちょこまか動いて検査の末、これは無理ですと簡単におしゃか宣言とあいなって、今日のことには全然ならなかったのだ。で、 結局は我が愛車を素手で彼と一緒に押す場面もあり、ジムに行ったくらい動いたかも~?って、うそぴぃよ~ん~。

 、、ダメだ。もう~眼が開かない! 頑張ってマッサージ機で眼をさます。

 

 今朝、練習会場にどうかというお知らせがあり、早速メンバー3人でその場所を見に出かける。するとそこに全然知らないお寺があった。 第83番札所一宮寺である。この前辺りにある一宮神社は有名で、我が息子もそこで挙式したが、このお寺は全然知らなかった。 せっかくだからと、みんなでお参り。おみくじを引くと「大吉」だった!でもって、そこで捜していた場所も分かり、今度は目的地にたどり着く。 しかし、少々不便で又別の会場へと移動したのだが、、、。

 それにしても、 大吉が聞いて呆れるこの不運!結局今宵はすごすごと引き上げてビールだ。 何故かジムには行けないおみっちゃんであ~った!ガックリ!

 

 

2007年6月18日 (月)

疲れたなんて、生やさしいモンじゃない。

 1週間前高松空港を発ち、本日茨城から電車を乗り継いで羽田、そいて、高松空港へと降り立ち、 そのままバスに乗って練習会場サンポートへ。びっちり3時間集中して後、友人に送ってもらい我が家に帰り着いたが、首から上が別人のようだ。 疲れすぎている、、、。

 都会での歩きも、年々やばい感じだ。さて、月末の登山はどうなることか?全く自信が無くなってきた。平地でこれだ!その上、 8月のラオス行きさえ、怪しくなってきた。今現在、疲れすぎて、お腹の表面がピリピリ痛いのだ。神経性か? 後進国でたっぷりどっぷり浸かるのは初めてで、殆どの人がお腹を壊すと聞いているから、どうも心配だ。何故か、わが夫だけは、 あちらでは元気で、帰国した途端下痢を始めるが、帰国して妻の顔を見ると下痢をすると、他人には吹聴しているらしい。フン!

 旅で楽しいことが無かったわけではない。それどころか、ここに少しずつ書き留めておきたい事も色々体験した。が、それにも増して、 消耗感がひどいのだ。今週末のシャンソン発表会も含めて、次から次へと入ってる予定を思い浮かべるだに恐ろしい~。 何とかこなせるのだろうか?

 

 1週間、オペラから離れていて、いきなりの様に今日の練習だったが、久しぶりにみんなの声を聞いていて、なかなか良いじゃん!? と感動した。ドニゼッティらしい曲調が段々姿を現してきたなあ。このまま、みんなが自分の役割を認識し、確実に膨らませていけば、 間違いなく素晴らしいオペラが出来るだろう!

 

、、てな、夢を見ながら今夜は熟睡と参ろうかい!

2007年6月11日 (月)

時の流れに身を任せ~♪

 もう~っ疲れた!どうしても本日中にやっとくべきものが、実はまだ手つかずだ。しかし、これじゃあ、時間が足りません~、、、。

 

 今夜は、ちぇち練の中で、全員で、ある事への意見交換をした。全員が何かしらの意見を述べてくれるのを聞きながら、 ちぇちぃりぁ号は決して泥船なんかじゃない、と意を強くしたモノだ。みんなの力を寄せ合って、如何に楽しい舞台を創り上げるか、、、。 本番まで、集中して行かなくてはならない。

 

 と言いつつ明日から1週間、高松から逃亡するおみっちゃんであ~る。

2007年6月10日 (日)

運のお話。

♪運が良いとか悪いとか~人は時々~言うけれど~♪、、、。

 ただいまの年金問題は、全然自分が引っかかってない事が分かってるが、これって、運が良いのか悪いのか?ず~っと前に、 我が家の前の道が、今の倍の幅になると言われ、何となく期待してたがこれも引っかかってないのは、良いことか悪いことか?とにかく、 詐欺以外は何にも引っかかった例しがない。まあ、詐欺にしても、確かに騙されたが、それも悪かっただけでもない。 私を騙したあのお婆ちゃんは、そのわずかのお金(当時としては私にとってそこそこの価値があった)で、しばらくしのげたに違いない。 でもって、私を騙そうとして果たせなかったおれおれのお兄ちゃんも、私のお陰で一つ罪を逃れたのだ。いや、きっと、 他で同じような事絶対やってるとは思うが、、、。

 何もかも運命だという考え方には賛成できないが、どっちに転んでもこの世の事には裏表があるし、 良いことの裏には必ず悪いこともある。勿論悪いことの裏には良いことがあるモンだ。

 この界隈の田んぼの持ち主は、みんな農業を廃業し、マンション作りを競っている。夫と夜中でも煌々と灯りの点いた田舎道を走りつつ、 今までとすっかり変わってしまったことに今更ながら驚いた。、、、しかし、これも良いことか、悪いことか、、、。 その莫大な財産を持っている人達は幸せなのかどうなのか?、、持たざる者のひがみと取られかねないが、あたしゃ、どうも、腑に落ちない。

 

 何故、本日深夜のドライブをしたかというに、NYから帰国された画家K氏のアトリエを訪問したからだ。帰って間がないというのに、 しかも我が夫より10歳以上年上だというに、元気はつらつ、ちっともお変わり無い画伯は、 おもちゃ箱をひっくり返したような部屋にどっからか座布団を探し出してきてもてなしてくれる。突然の訪問にもかかわらず、 ありったけの食べものを出しては食べろ食べろと勧めてくれて、、、断り切れなくて、食べたなあ、食後だったというのにい~。しかも、 甘いものばかり。、、、トホ。

 ところで、猪熊弦一朗画伯も、晩年には子供心一杯の作品を製作していたが、今日もホントに面白いものを見せて貰った。 球状の紙の土台に棒を挿し、その先には絵筆を拭った紙を花びらに仕立てたものを付け、作品にしている。又別のスペースでは、 何層にもくるんだ、おおっきな球に、絵や写真を貼り付け、それにザックリと切り目を入れて層が見えるようにしていて、これも作品。 恐るべし現代アートだ。

 本日のもう一つの収穫は、アトリエの外にあった。思いがけず、本物の蛍を見ることが出来たのだ。昨日、 ここ塩江が蛍祭りだったらしく、余韻の様に蛍が川縁を飛んでいる。光っては消えるその柔らかな光が、 次に何処を飛ぶかと目を凝らして見入ってしまう。「昔は何処にでも居たのにねえ~」と、その昔を知る3人が共に慨嘆する。しかし、 その素晴らしい昔を知っているというのは、やっぱり運が良いのだろう。

 

 、、、、!

 

 

2007年6月 9日 (土)

ややこしい天気。

 今日は会長レッスンに次々と人が来て、とりあえずオペラ公演に関係ある人は捕まえて、諸々の打ち合わせだ。 これは大層意味がある行為で、いつもの練習時には、とてもそんな時間が取れず、一人一人の疑問や、意見を吸収する事が出来ない。しかし、 どこかではそんな時間を取る必要があって、どうしても捻出しなくてはならないのだ。なので、 今日の様なちょいとした空き時間が大変有効になってくる。

 早速Kさんが、台本の疑問点を鋭く突いてくる。これはホントに有り難い。彼女の様にきっちり読むという作業を、 全員がやってくれなくては、みんな、ただの駒になってしまう。実際の自分の動きを、いつかはシミュレーションしてくれなくては、 生き生きとした演技は出来ない。

 

 先ほどテレビで「県庁の星」という映画をやっていたが、これは映画館で観たものだった。だが、 改めて観てみると随分と現代に於いてタイムリーな作品だったことが分かった。かなり皮肉が効いていて、もしお役所関係の人が観てたら、 落ち着かなかっただろうなあ。、、、映画に限らず、こうした社会批判的なものは、演劇でも音楽でもやるべきなんだ。 人々がちょっと立ち止まって考えるために、、、。

 

 土砂降りの雨に雷も光り、そうかと思うと一時はからりと晴れ渡ったりと、目まぐるしいお天気だ。以前雷でパソコンをやられて以来、 気を付けている。お陰で昨日もこの日記を途中で切ってしまった。続きを書くほどの大した話ではないが、まあ、一応続けてみるか。

 私がこのFMの番組をやり出した頃は、理由は知らないが、全部生放送だった。兎に角修正がきかない生放送は、 こちらもゲストも大いに緊張する。その為に事前打ち合わせをしておいて、まあ破綻がない番組にする、というのがこの業界の常識らしかった。 私も別の番組に何度もゲストとして出演して色んな話をしてきたが、必ず事前打ち合わせが綿密に行われて、 質問は本番もそのプログラム通りの事が繰り返される。、、しかし、私はどうもこれが好きでない。その為に、ある局では、 同じ質問に対して全く違う返事をしたため、相手のパーソナリティが咄嗟に大層困った、という前科もある。気の毒にも、 しどろもどろになっているのが、ラジオで声だけなのによく分かる。従って、それ以来事前打ち合わせの通りに喋ることとしているが、、、。

 しかし、今現在全部収録なので、たださえ臨場感が乏しい上に、 事前打ち合わせなんかやりすぎると本当に詰まらない会話になってしまう。聞いたことに相手がどう答えるか分からないから、会話は面白いんだ。 そこから又次の興味が湧き、話が展開していくのだ。、、、と、私は思うがどうだろう?随分迷惑してる人も案外沢山居るかも知れないなあ~。 すんまっそ~ん、だ。

 

 来週は久しぶりに東京だ。

2007年6月 8日 (金)

雷。

 いきなりの雷鳴に、パソコンの電源を切り、ローソクを出し、今宵は日記は書けないかなあ~と思っていたら、 あっという間に雷様はどっかにいっちっち!雨上がりの外は湿った空気がとても心地よいではないの!?一瞬はどきっとしたけど、 これなら時々来て欲しいくらいだ。

 

 本日はFM取り溜めのため、又してもスタジオだ。10年もやって来て、まだ続いているのは、一切準備しないで臨むという、 放送業界ではあり得ないスタイルを取っているためだ。永くやってきて、ますます、 その事の意味を感じている今日この頃のおみっちゃんであ~る。今日のゲスト達も初めてではないが、何を聞かれるか分からないぞ、 というある種の緊張を持ちつつ、生の声

 

 途中だが、一旦ここでストップ。又雷様のお出ましだ!

2007年6月 7日 (木)

FMゲスト。M女史の場合。

 本日FMの収録は、ちぇちのメンバーのM女史であった。彼女は関東の人で、香川に来て2年目の時にこの番組に出てくれ、 その時は未来に向かってキラキラと瞳を輝かせて喋ってくれたものだ。今日はその時から時間が経ったとは思えないが、 明らかに大地に根を張ってきたなあという感じだ。

 今日もしかし、お仕事の話になると熱が入ってくる。イヤ、大体に於いて何事にも情熱的な人だ!今度の剣山にも一緒に行くが、 楽しみなことだ。見てくれより逞しそうで、ひょっとしたら荷物の一つも、、、、無理かなあ?

 人生のパートナーという名に相応しい旦那様と、良い関係を継続中だ。、、相も変わらず、打ち合わせなしで、 本音を引き出そうというトーク番組だが、今日は、まんまとご馳走様!だった。結局はおのろけを聞かされてしまったか。ま、想定内だ。 彼のご実家とも上手くお付き合いが出来ていて、多分可愛いがられているんだろうと思えた。だって、私から見ても可愛い人だ。

 嬉しかったのは、ちぇちでの活動が、結構お仕事にも生かされるという実益を話してくれたことだ。今後のちぇちの中心的な役割を、 是非担って欲しいものだ。30代は、若過ぎず、古過ぎず、丁度良い頃合いだ。他にも頼もしい人物が大勢居るから、 彼らと手を繋いで楽しくやって行ってくれたらなあ~、と放送収録中に夢想してしまった。

 

 このところの習慣になっちゃった「あずまや」でのお茶タイム。今日はついつい「ホットドッグ」を食べちまったぜい!勿論 「クリームぜんざい」もお~!ムフフ。今夜こそジムに行き、汗を流してこようか。無駄な気もしないでもないが、、、、。

 

 M女史に「超人的ですねえ~」と言われてしまうが、超人でない証拠に、スタジオで妙な寒気が、、、、 帰宅して慌ただしく夕食を作る時も、1分ごとに生あくびだ。ちょーはちょーでも、ちょーださ!!

 

 

 

 

 

2007年6月 6日 (水)

昼間は暑かったなあ!

 岡山から帰宅して、電話だメールだと片づけて、ボンヤリ散らかった部屋を眺めている。ある人が持ってきてくれた、 どっかの社長さんがオーダーしたというダブルの背広が2着ほど壁にぶら下がり、誰かの所に引き取られるのを待っている。応接椅子の上には、 又しても楽譜が散乱している。その上、アチコチから持ち込まれたチラシだ。今度のシャンソンの発表会の物もあれこれテーブルを占領している。 凄いのは、1週間前に生けた元カーネーションが、全部すっかり首を垂れて、捨てられるのを待っている。

 自分の性格の中に、このカーネーションがある。書いた手紙類をいつまでもバッグに入れて持ち歩いたりするのと似ているか。要するに、 きちんとしてないのだ。O型のせいか?

 幾らなんでももうきちんとしよう。母にブツブツ言われないうちに、、、毎回来るたんびに「もう~まがるのに~」 と部屋にある物全てに文句を言う母。この「まがる」という言葉、おそらく県外の人には分からないだろうなあ。 ちょっと想像して貰うこととしようか。関係ないが、「まける」が「こぼれる」だからなあ~、、。ますます分からなくなったかも~。フフフ。

 

 帰りの船ではデッキでウオークマンを聴きながらシャンソンを覚えたが、流石に夜は未だ寒かったなあ。 歌というのは聞き覚えているつもりでも、人前で歌う段になると、ちゃんと覚えてないことに気付かされるものだ。 教室のみんなに負けないように、アチクシも頑張る!

 

 暗い海というのは、何故あんなに怖いんだろう?風の寒さだけでなく、身体のそこまで冷え切るような寒い気持ちにおびえて、 室内へと退避したのだ。室内のテレビが、又碌でもない猟奇事件を報じている。、、、ったく、世の中どうなってるの?

 

2007年6月 5日 (火)

スレスレの美学。

 な~んて表現すると、どっかから怒声を浴びるかも知れないなあ~。だって、 ものすこ~いフアンがいることで有名な宝塚公演のことだからだ。

 私の知る限りでは、シェイクスピア翻訳家で有名なO先生も大フアンの一人。 あのお方は年間300本の舞台を観るとおっしゃってたからなあ。色んな物が好きなんだろう。

 母を連れて行ったが、行く前からとても楽しみにしていたらしいことを娘から聞かされていた。なるほど、いつになく興奮状態の母。 しきりに父がフアンで大阪にいた頃月2回のペースで観に行ってたらしいとか、自分が以前、本舞台で観た時の事とかを、 車の中から劇場の座席に着いてからも喋り続けている。勿論同じ事を何度も聞かされるのだ。暗記するくらいだが、 時たま角度を変えて質問してあげると、又それなりに違う視点で話が出来る事を発見。以来、同じ話でも退屈しなくなった。、、これは余談。

 で、舞台はというと、華々しい舞台装置といい、めまぐるしく展開するダンスといい、美しい衣装といい、 予想を裏切られることなく大いに酔えた。所謂男装の麗人は、よく考えられていて、動き一つにも計算があり、「男らしさ」 を十分表現できていたと思う。、、、、しかし、それは、まあ、一部の人だ。バックコーラスの中には、「@女」が抜け切れてない人も何人か、、 、、。それ以外にも、高齢者の男役演技にはかなり無理がある。イヤ、勿論シェイクスピアの時代も女性役を少年でまかなってたらしいから、 このようなやり方は別に「あり」で良いのだろうが、、、、。男らしい男、でもなく、女らしい男、でもない、ステキ、と思わなくもないが、 きっと、本物の男が一人でもそこに混じると、途端に興ざめになるのではないかという、 スレスレの美学とでもいうべきものを感じて仕舞ったのだ。

 それはともかく、まずは最初に出てきたスター女役?の女性の顔の小さいのに驚いた。ぺっちゃんこのお腹と!母の言う 「ひばしみたいな足」に、私の腕くらいかと思うほどのウエスト(ベリーダンスの時)、顔の半分ほどもあろうかと思われる瞳、で、あのメーク。 一方の男装の麗人も、この世の人とは思えない、全くの異次元に住む人々のようだ。イヤ、全く。休憩時に前から歩いてくる観客の顔が、 全員ブスに見えてしまう。ていうか、まあ、夢の世界だ。しばしの時間、夢を見に来てるんだろうなあ、みんな。

 ダンスも歌も芝居も、とてもよく訓練されているのが分かる。テンポが良いし、隙がない。大道具も洗練されていたなあ。 あの様な大がかりなセットが組めたらどんなことでも出来るなあ~。メチャクチャお金がかかっている。しかし、 お金の無いちぇちでも出来ることをと、あたしゃある部分を、ちゃっかり今度のオペラに採用させてもらう事に決めたのだ。 転んでもただでは起きない、、、って、たとえが悪いなあ~~。

 隣で、陶酔していた87歳の女性は、一体ホントは何を思いながら観てたのかしら?ねえ~。若かりし頃の、胸のときめきだったのか、、 、はたまた、過ぎ来し方の時間の早さだったのか、、、聞かぬが花で、ひたすら「良かったねえ」と言いつつ帰路につく。途中「どうだった?」 と娘からの電話に、素直に興奮して報告している母の声を聞きつつ、ここんとこ一番の親孝行ホームラン!と、 内心晴れ晴れとしていた本日のおみっちゃんではあった!

2007年6月 4日 (月)

走れ~走れ~みちたろ~。

 もうもう、ここに書きたくないほどに、行ったり来たりとあっちゃらこっちゃら、移動に次ぐ移動。シャンソンの発表会のために、 その現場を2往復してランチを食べ、その後のレッスン。一度帰って、プリマのマスコミ対応。夕食の準備。でもって、 夕刻ちぇちの練習現場でもあるカルチャーセンターへと、再び戻って帰りは10時。待ちかまえていた夫と夕食を共にしながら、 お互いの聞き間違いを罵り合い、勘違いをあざ笑い合う時間を過ごし、テレビニュースを、ああでもないこうでもないとディスカッションだ。 もう、疲れていると何でも良くなる。惰性でべちゃ~っとした時間を過ごし、ようやく、頑張って、パソコンに向かい、幾つかのメールをして、 本日の日記と相成った。

 今日の練習会場が狭くて暑くて、、、そのせいもあるが、とっても疲れた。そんな中で、 特に困難な1曲が一応のメドをつけてくれたのは、成果だ。 新しい会員も2名増え、協力者が増えるのは有り難い。早速、その方が、 会員募集チラシを2000枚配布の朗報を持ってきてくれる。

 まだスタートしたばかりだ、、、。

 

 

 今夜帰宅途中にニューヨークの画家K氏から電話が入る。自宅から転送になったようだ。便利過ぎる世の中とはこのことだ! 運転中で気が気でないのに、切るわけにも行かず、何分か話してしまったが、やばかったなあ~。、、しかしまあ、この方もお元気な方だ。 確か私よりかなり高齢だと思うが、声に張りがあり、口調が元気だ。高松のメインストリートの装飾を手がけていらっして、 このところ時々帰国されているが、見るたびにお若くなっているようで、何とも不思議だ。芸術とは、人を元気にする物かも知れない。、、、 おっと、ちぇちにはその逆を行ってるお方がお一人、、、、そういえば今日の練習に亡霊の様に現れたなあ~。お土産のもみじ饅頭のお礼って、 みんな言ってくれたかなあ?、、、てえことを、心配させられるんだなあ、このお方のばやい。ふ~っ。

 

 

 

 

 

2007年6月 3日 (日)

登山。

 独身の頃、結構よく山に登ったが、長い間そういうことから離れてしまっていて、月末の登山は、たかが1時間、しかも、 80歳の友人で登山家Oさんが言うには「私なら30分よ」という程度の登りなのに、何だか不安な気がしている。きっと登ってしまえば、 生きかえったような気分になることは間違いないのだが、このところの転落事件や、運動不足や、はたまた、体重増加を考えると、ムムム、、、。

 しかも、そのOさんは言う。「剣山は標高は結構あるから、雨具の用意は絶対しといた方が良いわよ。 雨が上から降ると思ったら大間違いなんだからね。」と。そうか、、、とばかり、 バイクによく乗っている夫に防水のヤッケが無いかと聞いてみたら、1枚出してきた。L, と書いてあるのを確かめてから袖を通したにもかかわらず、胸とお腹がパンパン(!二日も続けてこの言葉か!)そりゃあ無理だから、 もっとゆとりがあるのを買ってくる方が良いと言われて、納得。まあ、靴は大丈夫だが、考えたらリュックも無いなあ~。 誰かに貸して貰おうかなあ~。だって、そうそう登る事はないかも知れないし~。 ふむ。結構普段しないことをやるとなると、色々あるなあ~。

 

 今日は、Cantiamoのスケジュールを組むのにメチャ時間を取られて、その上、 シャンソン発表会のチラシ製作にも半日を費やしたかも。というわけで、パソコンの前に座りすぎたと思うので、今日は早く止めようと思う。 夫に取られないうちにマッサージ機だ。結局ジムにも行けなかったし~。

2007年6月 2日 (土)

重い、、、、。

 別に自分の体重の事ではない。いや、勿論それもある。ただいま、パスタでお腹の中が満員状態。重い~。

 実は、心が重いお話だ。母と一緒に地元で活躍中のM劇団の従軍慰安婦問題を扱った芝居を見てきたのだ。 昼公演を一足先に見たという夫から、「難しいし、お婆ちゃんには無理かも~」と聞いていて、始まる前にその話をしたら、 母はとても心外だという顔をして、芝居を観た回数はあの人(我が夫)には負けてないから、と言う。そりゃそうだが、 殆どこの私がお連れしてるんだからに~。そんなに威張られてもねえ~。とその時は思ったが、いやはや、今回は母に完敗だ。

 20分も前に着いて、開演までぐっすり眠った私の横で、パンフレットなど読んでいたらしい母は、芝居が始まると、 身じろぎもせずに観ている気配。私は、まだ眠かったし、廊下を挟んで前の列には、ぐ~ぐ~イビキをかいて寝てる人も居たほど、簡単に言えば、 確かに夫が言うように難解な芝居であった。第一に、やたら慰安婦役の役者達一人のセリフが長く、しかもそれはセリフと言うよりは、 朗読に近い物で、余程耳をそばだててないと意味が分からない代物だ。そんな中で、一人Nさんというここの看板スターだけは、 流石に声がこの胸まで飛び込んできて、思わず涙していた。この人の声には説得力があり、動きにも無駄がない。というか、意味を感じる。 キャリアだろうが、天性の資質かも知れない。

 一方で、この慰安婦問題に逆説的な意見を述べる人々を登場させて、この問題の根の深さを表現していて、面白い構図だとは思ったが、 明らかに妙な間があり、ちょっとハラハラさせられたのは残念だ。芝居とは、全体のチームの一致した力が醸し出す空気だ大切で、 流れやテンポに逆らう人が一人でも出ると、一瞬に客は現実に引き戻されてしまう。

 言いたいことはよく分かったし、ポイントを突いているとは思ったが、ん~ん、芝居にするのはホントに難しい問題だ。 日本人が如何に残虐非道なことを韓国に強いて来たか。人間として恥ずべき行為を、軍の組織として如何に堂々と正当化してやっていたか。 これらが、政治の折々のカードとして利用され、肝心の当事者の気持ちや立場が置き忘れられているという現実。、、、一番心に残ったのは、 慰安婦の言葉の中の、「永い歴史の中で培ってきた人間としての尊厳や、誇り、よりよく生きてきた自分たちが、その土地が、 無惨にも破壊された事への絶望。これをあがなうのは、沈黙しかない。」という悲しみに満ちた内容。別の人の言葉で、 「日本だって戦後はお金の為に春をひさぐ人達は大勢居た。しかし今、私は昔パンパン(古い言葉だ!~)をやっていましたと、 告白する人は居ない。それと同じで、誰だって、うちの娘が慰安婦でしたと言いたくはない。」そうだろうなあ。だから、 真実は分かりにくいだろう。となると、「私は慰安婦でした!」と名乗り出た人は何と勇気のある人か!? 人々の容赦ない好奇の目にさらされながらも、マスコミに取り囲まれながらも叫んでいるテレビの中のあの姿が、 芝居を観ている私の脳裏に浮かんでは消えた。

 

 見終わって、開口一番母は得意げに言った。「私の方が、この芝居はよっぽどよく分かったと思うよ!。なんせ、経験者だからねえ~、、 」って、あわわわわ、、、、!よく聞くと、「戦争を知っている」と言うことで一安心。そりゃそうだ。 私たちに分からない事が分かるに違いない。エレベーターに乗る段になって、「戦争が悪い。異常が普通になってしまうんだからねえ。」 と意見が一致。

 そこから帰る道々、ず~っと昔話だ。汲めども尽きない水のように次から次へと話が展開される。 台湾から戦後引き揚げて帰ってきた当時の、日本の国の事。高松築港に降り立ったとき、一面の焼け野が原で、 ホントにな~んにも無くなっていて呆然としたこと。何故か電車は残っていて、それに乗って実家に帰ったら、近所の人達が見つけて駆け寄り、 取り囲んで無事を喜んでくれ、出てきた父親も,病気で伏せっていた母親も驚喜して迎えてくれたこと。しかし、当時物資が如何に無かったか、 それにも耐えて、如何に逞しく生きてきたかという、母の若かりし頃の物語だ。生半可な時代ではなかったということだ。母は言う。「だから、 ちょっとやそっとの事では、挫けんでえ!」そうでしょうとも!!この87歳の元気!!逆境こそが、人を育てるのかも知れない!

 そういえば、娘が以前言っていた。「お母さん、お婆ちゃんの話を何かの形で残そうよ。貴重な話なんだから、、、」ホントにそうだ。 性能の良い録音機の小さいのを購入しようか、、。知らない内が良いだろうからなあ。

 

 空腹を満たすために未だ行ったことのない、バイパス沿いのレストランへ。ここでも私は聞き役だ。 9時半という時間でも若者達はしっかり食べていて、まあ、我々も同じように取って食べたが、かなりの量で、なくなくちょっぴり残してしまう。 ああ~あ、これが現実だ。

誰に何と言われようと!

 絶対冬物と夏物の入れかえをやる!

 

 夕食時、夫から、剣山に登るんなら、ちゃんと事前のトレーニングをすべし、夜歩くべし、と言われてその気になっていたが、 結局は止めた!

 短歌の歌集が送られてきて、読後感を書いて送ろう、と一応本を開いたが、止めた!

 シャンソンの歌詞を覚えようと、楽譜を取り出したが、止めた。

 Cantiamoのスケジュール表を作ろうとしたが、止めた。

 

 そしてGO!、、、ヘロヘロになるまでやったが、まだ終わらない。途中で1リットルくらいは水を飲んだか?まあ、 要るような要らないようなものがわんさか出てきて、これどうする?「もったいない」と置いていたものが、 多分今年も手を通す事無く再び衣装ケースに逆戻りするだけだろうに。人にあげるほど良い物でもなく、このサイズだ、言うまでもない。

 収穫は、とりあえず私のサイズがなんとか入るというT先生のオペラの衣装に使えそうな物が、出てきたことだ。、、 結局午前2時までやって、日記もつけず寝ちまったわい。

 人間の営みとは、如何に無駄が多いか。、、これって、私だけ?

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