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2007年5月

2007年5月31日 (木)

静かな夜だ、、、。

 我が家の周辺は、ここ最近住宅やマンションが急増していて、人口がかなり増えている筈だのに、以前と変わらずに静かなのはどうして? むしろ時折聞こえる車の疾走する音が、静けさを際だたせ、前よりも静かになったような気さえする。、、これって、考えたら結構不気味~。、、 って、まあ、もうすぐ午前0時だから、それも無理はないのかも。世の中眠る時間だよねえ。

 

 夕べは本日の会議のレジュメ作製に午前3時までかかってしまい、、、にしては、穴だらけの内容になっていて、がっくり。どうも、 緻密でない性格は、こういうときダメだなあ。誰か、こういうのやってくれないかなあ~。、、、て言うと、すぐに「は~い」と手が上がる、 最近のちぇちだが、、、果たして?

 反省点としては、矢張り、あらかじめメールを利用して、下ごしらえを済ませてから、会議に臨むべきだったのだ。 間際になってのじたばたでは全く余裕もヘッタクレも無く、ああ~無惨。「顔合わせ」に始まり「顔合わせ」に終わった感のある今日の会議。 ヤタラメッタラ疲れた。会長の地底から聞こえるような、大きなため息の連発を聞くまでもなく、あたしだって、ニャンとかしたかったのだ! 私の予想していた方向からかなり逸脱してしまい、気配りをするべき人への気配りが出来ず、最後まで居る必要のない人まで、 居て貰って大変気の毒なことをしてしまった。ホントに申し訳なかったのだ!結局午後はFMの収録で留守にしてたので、 仮にメールを使おうとしても、それは無理だったことになる。、、、いよいよ、ポータブルのパソコンが必要か?それだけはすまい、 と心に決めていたが、必要かも知れないなあ。

 

 収録は、生涯学習センターで、ユニークな解説付きのピアノ講座を実践されている、ピアニストTさんと講座主催の教授O氏。 Tさんご本人の演奏された曲を聴きながら楽しいトークを繰り広げられて、充実した内容になったと思う。 お風邪だとかいうO氏はそんな気振も見えず、しっかりとお話下さるし、Tさんも、いつものキャラで明るい話題だった。 O氏は自分のことを先生と呼ばないで欲しいと最初に言われたにもかかわらず、ついいつも講座でお顔を見ているせいか、「先生」が、 口をついて出てしまう。一度出たら、急に変えるのもよくないので、結局はそのままだ。私自身先生呼ばわりされるのが大嫌いで、 いつも言われるたんびに違和感を持っている人間だから、先生の(!)そのお気持ちはよく分かる。 今の私のこの稼業も開店と同時に先生と呼ばれ、大変奇妙な感じがしたものだ。そりゃあ一応弟子は持っていたが、、、ねえ。 最初はいちいち訂正していたが、もうめんどくさくなって、言われるままになってしまっているのだ。まあ、言う人の立場に立つと、 この方が簡単で良いのは間違いない。いやいや、私が先生と申し上げたのは、そのお人柄と、博学に敬意を込めてのものだったのだ。 決して簡単だからではない!ふ~っ!

 それは兎も角、収録の中で印象に残ったのは、このピアニストTさんの師、イエルク・デームスという方の指導の中に、 「あなた方日本人は、メトロノームをトイレに流してしまいなさい!」というのがあり、刻んでばかりで、 ハートの無い演奏を極端に嫌っておられるとか。ああ、歌と同じだなあ、と思ったなあ。それと、小さな空間で、 閉じこもって弾いている限り上手くならない、とも言われたというのは、そのあとのお茶の時間でだった。

 収録が終わり、どちらからともなくお茶しましょうということになり、近くのあずまやへ行ったのだ。あたしゃ、 勿論クリームぜんざいを食べ、長引く会談?のなかではコーヒーも。7年ほどウイーンに留学していたというTさんは、日本に帰ってから、 そんなに思うほど頻繁にお仕事があるわけではないらしい。日本では、しかもこの高松では、 力量はともかくピアニストと名の付く方は大勢居るから、不足している訳でもない。たくさん演奏会を開くにしても、集客が大変だ。 力があっても、なかなかピアノで食べていくのは大変なようだ。その上、ご実家で練習されていて、この甘い境遇から逃げ出したいと思っても、 ピアノを抱えて出て行けない。家でピアノの練習が出来る為には、まずは環境からして大変だ、という話から、 楽器屋さんの部屋を借りるしかないのですか?という私の質問に、前述のデームス先生の言葉だそうだ。狭い部屋では良い音楽は作れない、 ってことだ。まあ、確かに歌よりも練習は大変かも知れないなあ。

 彼女は実は大変話術が巧みであり、いつの間にかあたしゃ身の上話までさせられていた。こういいうのを聞き上手というのだ。しかし、 初めてにしては突っ込んだお話も出来て、楽しい時間となった。彼女のフアンが以前講座の後で、「このピアニストはホントに良いでしょう!? 是非何とか売り出して欲しいのですよ!」と話しておられて、その方はある有名人だが、彼女の事を真剣に心配されている様だった。 ホントに何とかなって欲しいものだ。

2007年5月30日 (水)

夏の夜の夢。

 岡山のS大学で昨年に引き続きインターナショナル・シアターカンパニー・イン・ロンドンによるシェイクスピア劇があり、 はるばる出かけていった。Mさんという、ちゃんと駅まで出迎えてくれる方があり、特に帰りは雷雨だったため大助かり。

 俳優は昨年と同じ人も出ていて、6名がみんな力のある人ばかり。一人が何役もこなし、その変身の妙が一つの見せ場になっていた。 相変わらず道具と言えば、黒いタタミ1畳ほどの布がセンター奥に一枚垂らしてあり、その前に小さなボックス一つ置き、 それを別な草というか枯葉というか、そんな感じに見せている。唯一それにはお金がかかっていそうだったが、あとは、全くシンプル。まるで、 私が以前K大でやっていた英語劇の演出と変わらない。ていうか、学生の方がもっと沢山工夫していたくらいだ。

 つらつら考えるに、道具の助けが要らない程の、芝居の巧さがそこにはあったということだ。 アンケートにどの役者が一番光っていましたか?というのがあったが、迷わずKという小柄な女優の名前を書いた。 Mさんもあとで聞くと同じだったとか。確か3,4人の演技をやってのけたが、それぞれが、ちゃんと独立していて、 それぞれの個性で演じていたのだ。

 しかし、一番気になったのは、今年は字幕が準備されてて、ついそちらを見るのだが、これがまたどういう訳だか、全然合ってない。 劇に見とれているのか?まさかセリフが聞き取れない人がやっている、、、?そんなことに気を取られて、途中からイヤになり、 なるだけ見ないようにしたもんだ。ストーリーは以前ミュージカルに取り上げ、演出も出演もしたから、熟知しているし、ほ~んと、 見る必要はなかったんだが、つい頼ろうとしてしまうなあ。Mさんに私の役どころを尋ねられて、タイターニアですと言って、納得されたもんだ。 フフフ。あのときはロバに恋して楽しかったなあ。この手のお話も良いもんだ。

 今日の舞台も色々参考になった。特に笑いの要素が、、、まあ、外人独特といえば、そうなんだが、なんとか頑張るべえ。

 

 帰りはレインボー循環バスなるものに乗ってみたが、なかなか快適。駅のすぐ側にバス停があるし、、、 降りるところは着いて迎えに来て貰える(歩くには遠い)距離だった。、、、って、ホンマニこんなので、剣山に登れるんかいなあ~。 とは夫に嫌みを言われるまでもなく自分で不安。何とか、明日の会議が終わったら訓練しようじゃないの!?

 

 明日は昼はFM,夜は会議だ。だだだ、、、、。

2007年5月29日 (火)

今日は3回も泣いた。

 まず1回目は、朝のワイドショーで、パプア・ニューギニアのエイズ患者を取材した女性アナウンサーの映像で泣いてしまった。 11歳の男の子が、エイズで死んだ両親の介護をしていて伝染してしまう。その子達兄弟を引き取った親戚は、 将来お金になりそうな子供は大切にするが、病気のその子は隔離し、完全な孤独を強いて食事も満足に与えない。それでも、 必死で生きているその男の子は、誰にも心を開かなかったが、日本から来た優しいお姉さんが、 怖がらずに手や身体に触れてくるのに初めて心を開いたようだ。時折笑顔で彼女に語り、少年らしい愛くるしい表情を取り戻すこともあった。

 その女性アナは、こんな形で一瞬しか手を差し伸べられないにもかかわらず、余りに深く心を通わせるのは返って残酷だと感じたと、 涙ながらに話す。何かしてあげたいが何も出来ないもどかしさが、テレビを見ている私にもそのまま移り、思わず涙が溢れたのだ。 その男の子には未来はなく、漫然と死を待つだけなのだ。、、、そして、そんな子は、数え切れないほど沢山いるというのだ。

 

 2回目の涙は、今度は昼食中にNHKの毎回ゲストを呼んでのトーク番組。今日は宮城マリ子だったが、 私はもうホントに永いこと彼女を見たことがなく、その割にはお婆ちゃんでもなく、しゃべり方は前からああだし、ただただ懐かしかった。 そして最も興味があった、吉行淳之介との恋物語も予想通りで、はにかみつつ語る独特の語り口に、 この人の素晴らしい一生というものに思いを馳せたものだ。79歳と13ヶ月だというまん丸なお顔の笑顔の天使は、体中から「慈愛」 のオーラが流れ出ていた。「合歓の木学園」の子供達とのことや、彼らの絵のことや、日本中の傷ついた子供達のことについて語る、 そのとぎれとぎれの言葉に、私は番組の進行と共にどんどん感動して行き、 この番組を見たという視聴者からのFAXを女性アナが読む段になって、ピークとなった。幼い頃に宮城マリ子の活動を知り、 自分も同じように身障者のケアをする仕事に就いたという人から、「どんなに辛くてもいつもマリ子さんの言葉を思い出して頑張っていきます。」 と届いたり、宮城マリ子さんのサイン会に行き列に並んだけれども、女優さんなのにその手の余りに荒れているのに気付き、 せめて私だけでもサインは断念しようと、列から離れました。その時のご本は、今も大切に持っています」など、 本当に彼女を敬愛しているらしい人からのものを読みつつ、その女性アナはとうとう泣き出してしまい、 最後まで読めないのではないかと思うほどであった。これは、この番組を私はよく見ているがとても珍しいこと。 この時間は決して悲しいことを語る番組ではなかった。むしろ、未来に希望を持ちましょう、どんな子供も障害を乗り越えきっと幸せになれる、、 、という前向きな番組になっていた。にも関わらず、会場に来ている人達も涙を拭う姿が見えるし、私にも止めどなく涙が流れた。 人は悲しい時でなくても泣くのだ、と思いながら、、。

 印象に残った宮城マリ子の言葉の中に、「私は愛されて育ちました。だから、愛を知らない子供達を愛します。」というのがあり、 「幼い頃高熱から冷めて意識が戻り母親の顔が間近にあるのを見て安心して再び眠ったという記憶。こういうことが、 親子間で最も大切なことだと思います。」と言い、今の子育てで悩み、自信喪失している母親へのメッセージとしていたのは、 具体的で分かりやすく、大きな意味を感じた人も多かったのではないか。

 吉行淳之介が、「私はMMに惚れちまったのだ。その気持ちが自分の文章に大きな影響を与えているのを認めないわけにはいかない」 と語っているとか。本当に、女として、人間として、愛される要素をいっぱい持った人だ。泣きながら、嬉しくなった今日の昼下がり。まさか、 このあと、もう一度泣く羽目になろうとは、、、。

 

 夕方、母を伴い青年劇場の「菜の花らぷそでぃ」というお芝居に行った。なんの予備知識もなく出かけたが、 内容はどちらかというとコメディで、しかし、日本の農業に色んな角度からスポットを当て、決して軽くなく、大いに社会派的な内容だった。 これの何に涙が出たかと言うに、、、、これが不思議なのだが、思い出せない。残っているのは、現代日本の農業事情と、 青い目のお嫁さんを長男の嫁に迎えるかどうかと言う農家の家庭の事情と、現代日本の食文化の異常さで、 チョコレートが主食の若者の話だったり、朝昼晩とコンビニ弁当やおにぎりで済ませている若者の話。、、これらが、 農家の家の中で様々な形で議論され、諭され、時にはケンカでの解決もある。その日常の営みの中の自然なやりとりの中に、 なんともいえないペーソスがあったのだ。確かに問題を抱えてはいるが、だからといって決して暗くはないのだ。、、、だからこれも、 悲しくて泣いたのではない。人間の愛しさみたいなものに、心が反応したのだ。

 この作品は九州弁で語られていて、それも楽しさが倍増した理由の一つだ。「せからしかあ」という意味が、 これを見てようやう分かったなあ。

 

 「良かったねえ」と言いながら帰路についた途端に娘からの電話で、お姑さんが骨折して松葉杖だという。ええ~? 私よりかなりお若いはずだけど~、、、、ぼちぼち私に近付いてきているようだ。まあ私はラッキーだっただけだから、これからは気をつけよう。

 イヤハヤイヤハヤ、、、。

2007年5月28日 (月)

今日は冷や天ぶっかけ。

 午後のシャンソン教室は伴奏をお願いしたピアニストと、初めての合わせのため早々に出かけた。お陰で昼食を取る時間もなく、 空きっ腹を抱えてのレッスンは正直チラカッタ!が、夢中になっているときは案外忘れているもの。全部終わった途端にぐ~っ!ときた。で、 新メンバーが付き合ってくれて、すぐ裏のうどん棒に「冷や天ぶっかけ」を食べに行く。ここのこれ、知らない人は是非行って欲しい。 メチャウマ!なんだから。

 ピアノ合わせで何が大変て、原調だとかなりキーが高いので、殆ど移調しなくてはならないことだ。きっと嫌がられるだろうなあ、 と思っていたが、そうでもなく、気軽に応じてくれたのにはホントに助かった!20曲ほどもある曲を、面倒見て下さるというのだから有り難い。 実はこの方は元々は声楽の方。なので、同じカルチャーでヴォイトレもやっておられるのだ。流石に良い声をされていた=ということは、 当然ちぇちにお誘いした!ま、興味はとても持ってくれているらしいが、今のところスケジュールが合わないそうだ。いつか必ずお仲間に! と説得しておいたが、こういう人が入ってくれると良いなあ。

 しかし、こうしてまとめて曲を復習っていると、なんてシャンソンてステキな曲が多いんだろうと思う。メロディーも綺麗だが、 内容が深い。言葉もおしゃれで、歌ってて楽しいのだ。是非とも皆さんに知らせたいなあ、と思う曲ばかりだ。

 

 帰ってから表のお花たちがしょんぼりしているのに気付き、急いで水やりをしたが、どうも取水制限に入ったらしく、 あんまり出ないなあ。これからは、普段の炊事の時の水を有効利用しなくては、、、、。

 

 練習帰りにメンバーを送ったが、めちゃ細い道に入り込んでしまい、ぎょぎょぎょ。だったが、なんとか切り抜けた。これ、 一人だったら絶対無理な道。勿論帰りはそこを通らずに帰ったが、、。みんな色んな所から通ってきて居るなあ。 ちなみに今夜のMさんのご実家は、私的にはとても理想的な所に位置している。なんでこんな所に?という位置にその家があるのだ。小さな山で、 小さいけれど山は山で、お庭からは高松の夜景がとても綺麗に見渡せる。町に近くて、環境がこんなに良いなんて!羨ましい。

 

2007年5月27日 (日)

ゲップ!

 なんのゲップかと言うに、疲労回復剤の赤ワインをしたたか飲んだ結果の麗しいゲップ+本日一日中の音楽漬け?にゲップ! な~んちゃって。アチクシにとっての音楽は、この赤ワインに匹敵するくらいのものだと、、、こじつけ。

 

 ともかく全く同時刻に始まる音楽会、しかもどちらも高松からはかなり距離のある西讃での上演だ。この両方ともにはせ参じたのだから、 ったく、物好きというか、義理堅いというか、気が多いというか、バカというか、、、。しかし、結果は両方に行って分かったこともあり、ま、 良かったんじゃない?初めの会場でははソリストの競演が繰り広げられる。最初は友人共々長旅(!)の疲れから居眠ってしまったが、 お目当ての人の演奏には、何故かぱっちりと目が開く。休憩で次なる場所へと移動したので、そこまで全体の半分を聞いたわけだが、 矢張りソリストというのは、色んな要素が要求されるなあ、、、というのが正直な感想だ。声が良いだけでも、歌が上手いだけでも、 表現力があるというだけでも、ましてや容姿端麗なだけでもダメなようだ。ああ、むちゅかし~。、、、と思いながら丸亀城に別れを告げ、 友人に送ってもらって宇多津のホールへと移動。こちらは休憩後のプログラムさえもう始まっているという時間帯であったが、まあ、 ほぼ満員の集客率に驚いた。コーラスらしく衣装を揃え、コーラスとしては珍しく少々振りが付き、曲目もシャンソンに変わったところだったが、 観客はのりのり。耳慣れた曲だけに、口ずさんでいる人も、、、。

 帰る道々、一体「歌」って、どういうのが良いんだろうか?と、考え込んでしまった。

 新しいショッピングセンターに誰も行ったことがないというので、私の運転でお連れし、ウロウロして、 結局はハーゲンダッツのアイスクリームの列に並び、おいしく頂く。あの、小豆が入ったのはほ~んとに美味しかったなあ。あ、そうだった。 その前に、おか泉に一度も行ったことがないというTさんのに(ホント?)お連れして一緒に食べたのだ。 「おろし天ぶっかけ」美味しかったなあ~。、、、なんのこたあない。食べてばっかり。

 

 遅い夕飯の支度をしていると、テレビニュースでどこぞの音楽堂で、日本歌曲のコンクールがあったらしく、 数名の歌い手が映ってたなあ。又しても歌だ。ああ~、濃い一日だったなあ。

2007年5月26日 (土)

日常生活とショパン。

 この間、夏物と冬物を入れ替えようと、どっさり服をハンガーから下ろし、別室へ、といってもピアノの部屋だが、一時避難させていた。 その作業がまさに佳境に入ったその時、短歌の師匠から原稿をお書きとの電話があり、あたしゃ延び延びになっていたこの作業を、 とにかくやっつけたかったにもかかわらず、「あんたなんかまだマシよ!私の忙しさに比べたら、 私なんかそんなことする間もなく忙しいんだから!」と妙な責められ方をして、つい仰せに従う羽目になった。それを思い出しつつ、 昨日になって続きをやり始めたが、どうにも一時ストップした「やろう!」という気持ちが失せてしまっていて、ええい、明日だ! と今朝まで延期。しかし、今日は3時からレッスン生がやって来るのでピアノの部屋を何が何でも片づけなくてはならない。しかも、 午後からは人気沸騰と聞く生涯学習センターのピアノ講座。、、、で、どうしたか。結局又元通りの場所へごっそり移動。ということは、 明日は丸亀で演奏会があり、その後宇多津まで行かなくてはならず、きっと疲れて夜も使い物にならないだろうこの身体。明後日は、 シャンソンがいつもの倍の時間で発表会の練習予定。夜は7~10時まで、会長もW先生もお休みのちぇち練だ。てえことは、 目一杯やることがあり、きっと無理。次の日は母を芝居に連れて行くし、その次は岡山だし、 その次はFM2本録りのあとちぇちのオペラをスタートする会だし、、、、てえことで、全くやる日がない。当分、袖を捲し上げて頑張るか! 師匠は言った。「あたしなんか、着た切り雀でがんばってんだから!」恐れ入谷の鬼子母神、てね。ハハハ。

 

 今日はそのピアノの講座に行ったのだが、昨年の3倍に膨れあがった観客数に驚いた。口コミの力は恐ろしい。今年はショパン特集で、 大学の先生があらましショパンについてお話をして下さって、そのあとの、 演奏とその曲に纏わるエピソードなど多彩に盛り込んでのピアニストのお話がとても面白く、言葉の無いピアノ音楽の鑑賞の仕方が変わってきた。 特にこのショパンという人は、「ピアノの詩人」と言われていたらしく、その意味では多弁な人だと思った。 このTさんにFMに出演交渉をして気持ちよく引き受けて頂いたが、率直にお訊きすると、 矢張りお喋りして直後の演奏はかなりきつい物があるという。そりゃそうだろう。しかし、立派にこなされている。 これは全て熟練のたまものだろう。

 それにしてもショパンはよく絵画の中でも女性に囲まれてサロンでピアノを弾いているのを観るが、かなり持てたらしいなあ。 「別れのワルツ」が日本名で、実は最も愛する女性に捧げた曲で、それを創ってプレゼントしたときは、別れとは無関係だったらしい。 天才らしく39歳という若さで亡くなっているが、充実した人生だったろう。現代ならもっと長生きできただろうに、結核で亡くなったらしい。 今にして思えば、あのパリの広大な墓地で偶然ショパンのお墓に巡り逢ったのも何かの縁だろう。、、てなことを考えながら、 赤ワイン2杯目を空けた。さ、お風呂だ。

2007年5月25日 (金)

顔。

 今日は来店された若いお母さんが、中学生と小学生の二人の女の子のヘアーカットをして欲しいと言う。注文通りさせて頂き、 いざ会計となって、実は、、、と告白されたので初めて分かったが、このお母さんは、30年前、独身の頃に当店に来られていた方だった。 その節は着物を着せて頂いたり、、、と言われても全然思い出せない。普通は少しくらいお顔の印象が残ってるはずだが、 どう見ても初対面という感じがぬぐえない。は、はあ、そうでしたか、それはそれは、覚えて下さってて有り難うございます。 と私が戸惑いつつ言うのに、「随分と永く営業されていらっしゃいますねえ~」と感嘆されてしまう。そうか、もう開業して32年になるんだ。 これにも、もう一つピンと来ない返事だ。

 まあ、初期の頃のお客様の顔がイマイチ分からないのには理由がある。最初は4人体制でやっていたので、顧客も多いし、 どうしても全部自分が施術するわけにも行かず、となると、ひどいときは来店時とお帰りになるときしかゆっくりお顔を見ない事もあるわけだ。

 あの頃は、大晦日と言えば、深夜2時までびっちり営業して、翌日は着付けなどで午前6時から店を開ける。 勿論紅白なんか見たことも聞いたこともなかった。隣の部屋も満杯で、当時の人はよく待ったもんだと思う。しかし、そんなに忙しいのに、 その頃はおせち料理もチャンと作っていたのだから驚く。お客様から「良い臭いがしてますねえ」「今何を作ってるんですか?」 とよく聞かれたモンだ。そして情報の交換も行われ、色々教わったなあ。

 それから10年経つか経たない頃から、世相が変わってきた。車で移動する人が増え、となると、おしゃれもあんまり必要ないし、 そもそも着物を着る人が極端に減ってきた。みるみるうちに着物はタンスの肥やしと言われるようになり、 それに比例して着付けも必要なくなってきたのだ。その頃だなあ、「当店は着付け及びアップスタイルは致しません」 という看板を堂々と出して営業する男性美容室が増え始めたのは。

 何でも出来るのが美容師というのが私の年代で終わろうとしていた。、、、どんな世界でもそれぞれ変化しているだろうが、 この業界ほど変化し続けたのもあまり無いだろう。お陰であたしゃ、すっかり趣味の世界にどっぷり浸かってしまえて、今思うと、まあ、 これで良かったかと、、、。その時やりたいと思ったことをやって来た私なのだ。悔いは無い。

 

 顔の話題でもう一つ。一昨日、ジムで岩盤浴に行くために側のプールで時間待ちしていたときのこと。「、、さん!」 と数メートル離れた暗いところから大声で呼ばれるが、何と呼ばれたのか分からない。「ええ?」と手をかざしてみてもどうも見覚えがない人だ。 「私が見えんの?」と言うので、確かにあんまり見えなかったから、「全然。誰?」と言うと尚も名乗らずに 「あんたが目が悪いちゅうことが分かったわ。ガハハハ」と来たもんだ。しかし、どう見てもその人に見覚えがない。 それから帰るまで気になって仕方がないのだが、どの角度から見ても知らない人。あれは絶対人違いだなあ。「確信をもって間違える人」 私以外にもいたんだ。

2007年5月24日 (木)

降って湧いたような災難。

 先日の落下もその一つだが、それに関係あるような無いようなお仕事(?)が降って湧いてきて、800字の短文を、 ようやく仕上げたら午前様だ。文章というものは、膨らませるのは容易だが、縮めるのは殊の外難しい。 締め切りを少々過ぎたのはお許し願うとして、プラス1首が「自然詠」ということで、これ又四苦八苦。大体、 自然が詠める人というのはロマンチックな人に限られると思うのだ。どうも苦手だ。ロマンチック=さぶっ!とまず思っちゃうからねえ。 どうしても、おもろ系に走っちゃうんだなあ~これが。短歌なんか詠めるか!って啖呵切れたらどんなにスカッとするかしら~って、ハイ、 ごめんなさい。

 

 実は思考中に気分転換を図りにジムへ行ってきた。昨日行った後がとても調子が良いみたいで、これは少し続けようと思ったのだ。 一人で行くと、つい人の話を聞いてしまう。今日も「出光」を「しゅっこう」と言ってる人が居て、ムムム。笑うに笑えない。これが友人なら、 ゲラゲラ笑って済ますのだが~。

 大概、友人がいたり、親子だったり、兄弟だったりと、連れが居る人が多いが、中には、私みたいに一人で来ている人もいる。しかし、 何故かみんな楽しそうでないなあ。今日なんか、隣でドライヤー使ってるおばさんが居て、こちらの並べた化粧品をじろじろ見たり、 さっき盗難にでも遭ったかのように不機嫌な顔だ。目の前に鏡ってものがあるんだから、ちょっとくらい、表情に気を使えないのかなあ?ま、 連れがある人はある人で、完全に自分たちの世界を作っちゃってて、周りを全く気にしてないってのもあるからねえ。 それはそれで迷惑なこともあるから一概には言えないが。

 てな詰まらない事を考えてから、作文に取りかかったのだが、これ、私流。要するに壺の中にはまって仕舞わないということだ。 気分転換、と人は言う。転換の時間の方が、作業時間より長いのが、これ又私流。

 、、、。

 

 そう言えば一つ大事なメールを思い出したなあ。返事を書いてから寝るとしようか。うっ、1時か。

 

 

2007年5月23日 (水)

今夜はおぼろ月。

 単純に転ぶだけでも、過去の経験からショックを受けるが、今度は落下であるからして、 どうも精神的後遺症が身体のアチコチにくすぶっているようだ。首も変だし、背中もおかしい。腰や膝もちょびっと違和感が、、、。「痛い」 と言うほどでもなく、矢張りこれは気のせいだろう。、と思う。

 それを自分に証明するために、今夜はKとジムに行き、プールを怪獣のように歩き、お風呂で綺麗になって、岩盤欲で、イヤ浴で、 内側から毒素を大いに出して、お肌はつるっつる!しかし、ちょいと疲れたなあ~。今度からはうまくプランを立ててから行くとしよう。

 今夜は休肝日にして、スイカを食べる。身震いするほど美味しかった!あ~しあわせ。

 

 今朝は何とか昨夜やっつけで詠んだ短歌12首の、簡単な推敲をして相変わらずの速達で提出だ。短歌というのは、 勿論言葉について熟考する訓練になるのだが、日常でもお陰で日本語について考えることが多くなった。このところ、 メールでのやりとりが当たり前になってきていて、永いこと手紙その他を書かなくなっている。メールは、 事務的に事を運ぶにはこれ以上ないくらい便利な物だ。しかし、読み手に対する心遣いが不可欠でもある。その点、 完璧に近く行き届いている人が私の周辺に居て、いつも見習わなくては、と思っているがなかなかまねが出来ない。その方のよく使われる言葉に、 「まずはお知らせまで。」とか、「まずはお返事まで。」とか、「取り急ぎ、、、まで。」というのがあり、 これはなかなかに感じの良い言葉だと思う。以前、演奏会のあとで出会った方が、「大変楽しゅうございました。」と言って下さったのは、 最近余り聞かない言葉で、美しいなあと感動した。東京に住んでいた頃、「それを、、、して下さい。」と言うところを、「それを、、、 して下さる?」と疑問文にして言うのに、あ、良いなあと思ったこともある。

 一方で、こないだの宴会で私が「舟歌」を歌い、もの凄いトークの面白い女性に向けて、「女は無口な人が良い、、、」 と指さして歌ったところ、即座にその人から、「やかましい!」と返されたが、これなんかも、だ~い好き!なんだなあ、これが。へへへ。ま、 奥行きも幅もあった方が、人間らしくて良いじゃん!?別に体型のことではない。

 

 

 

2007年5月22日 (火)

事の顛末。

 そもそも吟行で私が落ちた!のが悪夢の始まり。ちょいと短歌仲間のブログを覗いたら、吟行に、みんなもう出発したかなあ~? な~んぞという記事を発見。ついつい、そこに吟行にはチャンと行った事と、そのついでに私の寺での落下事件をちょこっと書いたら、まあ、 捜していた逃げたポチを発見した飼い主の如く、このブログを見た師匠から、その日のことを短歌新聞の記事にせよ、との強~いお達しがあった。 それ以来、急に首が凝ってきて、肩が痛いんだけど、これって、後遺症?しかも、今は短歌12首を一気に詠んでもう眠気がピーク! もう一体何を書いてんだか、さっぱり行方不明、、、思考が。

 しかし、昨日も同じパターンでストップした手前、書かずには居られない、の気持ち。

 

 ある重職に就いていた方が退任されて、そのお別れ会=ご苦労様会を某温泉旅館で実施。終始和やかに順調に会は進み、 それに平行しておみっちゃんの酒量今年一番を更新。なんと、カラオケまで歌い、デュエットまで。娘に題名を言うと、 「フルっ!」と一笑に付されたが、その昔を思い出して結構楽しかったものだ。 ホントにあの頃は良く飲みにいってたもんなあ~。呑んで歌ってダンスして、、、、この頃全然そういうことがないなあ。誰か私を飲みに誘って! ってね。

 翌朝二日酔いにもならず、順調に朝ご飯も平らげ、このまま帰るのももったいないと、有志だけで満濃公園まで足を伸ばす。 誰もが嫌だというので、仕方なく一人で自転車を借りて、颯爽と(ウソ)ポピー畑の中や森林の中を走る。こんなに気持ちいいのに、、、 未だにみんなの気持ちが分からない。もしかしてスカートのせいか?ん?

 おうどんでも、、、という意見が出たが、それも脳がないなあ、ということになり、結局私が知っていた「○月庵」 というソバ屋さんに入った。これがホントに美味しくて、ざるをお代わりしてその上にそばがきのぜんざいまで頂く。 お腹が一杯だと美味しくないのが相場のぜんざいが、ことのほか美味しい。といことは余程美味しいんだ。

 おお、遂にここまで書いたぞお~。寝る。

 

2007年5月21日 (月)

空中遊泳からメチャうまソバ屋さんまで。

 まずは日曜日。ステキな風吹く新緑の寺に、国宝の仏像があるのを見に行くという吟行に参加した。 着いてみれば阿讃山脈を見渡す所に立つ、さっぱりとしたお寺。まずは陽を浴びながらゆっくりと古そうな石段を上がる。 私が右端を上がり切った時、左から聞こえてくる「これはミツマタよねえ~」という声に、ゆっくりと振り返ろうとした。確かそれは、 誰かに何かを伝えたくてそうしたのだろうが、右足を軸に右回りをしようとしたところ、左足を着地するべき石段は無く、 そのまま下ろすと完全に3,4メートル下に落下することが判明。咄嗟に思い切って右に身体をグイとひねる。かろうじて、落下は免れたが、 今度は身体のバランスを見事に失って、「うぎゃ~っ」という声とともに、3段づつ右に左にと階段の上を遊泳だ!でもって、 最後の着地は妙にゆ~っくりで、まるでスローモーション映画を見ているようだったとは、同行の友人の言。左手を前に優雅に倒れてしまった。 私の絶叫に参加者全員が側に集まってきて、「大丈夫ですか?!」を繰り返す。「た、多分。だ・い・じょう・ぶ・と思う」 と弱々しく答えながら、「なんか、蛇でも居たのかと思った!」と言う友人の声を聞いている。結構すぐに立ち上がれて、どこも痛くもない。 まるで奇跡だった。友人から言われるまでもなく、2,3日しないとほんとの所は分からないが、、、。今日二日目で何ともないのだから、ま、 大丈夫かな?

 吟行の皆さんには一足お先に失礼して、よんどころなきお方の送別の1泊旅行に出かける。だめだ。やっぱり疲れている。 どうしても寝なさいとの身体からのお達しだ。素直に従うこととしようか。続きは明日だ。

2007年5月19日 (土)

な~んてこった。

 又一つ、散乱した楽譜の中から出てきた物。それは、K大学の生涯学習センターの募集案内小冊子。そうだ、 これを手帳に書き写さなくちゃあ~~と、お目当てを開いたら、な、な~んと、 あんなに楽しみにしていたブリテンのオペラ講座初日が昨日終わっちゃってるじゃあないの!?そんなバカな!って、 地団駄踏んでも遅かれし~ゆらのすけ~、ならぬ、みちのすけ~、、、。あ~あ、やんなっちゃうなあ~。すぐ手帳に付けないとこれだ。

 今日は、会長の名代で、テルサへ弦のコンサートに行ってきたが、 矢張りここでもブリテンの作曲によるものがプログラミングされていた。ドラマ性のある良い音楽だったなあ。まあ、 来月分からはちゃんと記録したから大丈夫だろう!だろう、というところが怪しいが、、、。

 

 今夜の演奏会は指揮をN氏がしていて、昔は彼の指揮をよく見たもので、変わらず元気にタクトが振れているのに安心した。 たまに会うと、お互いの健康の話しが共通の話題という情けなさだったので、、。観客もかなり入っていたし、良い演奏会だった。 この頃年のせいか、弦がとても好きになっていて、特に今日のような大勢の演奏は弦独特のうねりが身体に感じられて幸せになる。 偶然マンドリン奏者M氏と出会い、今度の彼のドコモコンサートは今の内にネットで申し込んだ方が良いと聞かされて、 帰宅するやいなや早速申し込む。一番後ろから見ると、客席にはあの人もこの人も来ていて、この演奏会への期待が感じられた。テルサは、 永いこと使ってないが会場として悪くない。交通の便だけなんだけどなあ。改善されないなあ。

 

 出来上がった楽譜と台本を、海外出張のH先生と関西出張のM君、などが持ち帰ったが、こうしたきちっとした印刷は、 我々としては初めてのことで、会長共々嬉しそうだ。いよいよ、来週からせ~の!だ。楽しく頑張る事としよう!

2007年5月18日 (金)

母子で映画。

 このところ母親サービスを最低限にしてきたので、夕食時に夫が見たい映画の話をしたのをきっかけに誘ってみると、二つ返事で「行く」 だ。言い出しっぺの夫は勿論寝る方が良い、に変更。シルバー二人がいそいそと映画館へと出かけたのだった。演目は「眉山」。邦画の上に、 お隣の県のお話であるというだけで、すっかり行く気になった母は、ちゃんと映画館グッズを持って路上で待っていて、 館内では若者のようにソーダを手に持ち、お行儀良く最後まで見たモンだ。あたしゃ制作者の思うつぼにしっかりどっぷり首まで浸かり、 ハンカチが大活躍。しかし、母を盗み見るも、あんまり泣いてる気配はない。、、、しかし、帰路、車に乗り込むやいなや、「良かった」を連発。 話は阿波踊りに父と出かけたときの思い出話に終始したが、ま、それも連れてって良かった内の一つだ。トイレでは、若い子達が 「ちょっと泣きすぎたかなあ!」とか、「あんた泣き過ぎよ~」という会話が行き交っていたが、若い子達も大いに感動したのだろう。

 まあしかし、深夜12時過ぎて映画館から帰るこの年寄りカップルも相当なモンだ。実際若い子ばっかりで、 シルバーとおぼしき人は見あたらない。

 内容はともかく、一番気になったのが、松嶋菜々子の着物の時のヘアースタイルだ。自分で着たらしさを出したつもりかも知れないが、 もうちょっとどうにかならなかったのか!?これを、職業病と言う。マル。

 

 夕べは9時間も寝たから、流石に今日は元気だった。今日も寝えましょ!!

2007年5月17日 (木)

ああ~、時間が欲しい。

  今夜もスポーツジムに行く気満々だったのに、夫が「続けて行っても効果がない」という一言で、 あっという間にビールに走ったなあ~。ていうか、もう眠くて眠くて仕方がない。昨日のジムが祟ったのか、 あるいはこのところの疲れが噴出しているのか、、、?目が開かない、がぴったりの表現だ。ただいま午後11時。寝た方が良いのかも~。

 印刷に出しても色々と問題点や見落としが出て来て、その処理に追われている。が、明日はピアノの調律に来ると言うから、 部屋のお掃除もしとかなくちゃ~。

 手つかずのあの部屋もこの部屋もお掃除しなきゃぁ~、、、って思うんだけど、これが出来ないんだなあ~。

 

 そんなことより、今日はびっくり。短歌の詠草1首を出すという締め切りが、完全に1ヶ月勘違いしていて過ぎてしまっていた。 極端な多忙の中にいて、聞いてはいたのに、聞きっぱなしになっていたのだ。7月の行事の為だから、6月だろうなんて、 どっかで思いながら聞いていたのだろう。勘違いも甚だしい!師匠も呆れて居ることだろう。もうすわけない!

 何故今分かったかと言うに、パソコンの身辺を整理し始めたら、申し込みの概要が見つかって、あ、っそうか!となったわけ。やれやれ、 全く!段々一つしかできなくなる。

2007年5月16日 (水)

ばんざ~い!

 ようやく全ての原稿類を揃えて印刷に出せた!もう~知らん!ってかんじだが、実は、ホントの闘いはこれからだ。みんなに台本が渡り、 楽譜が渡り、それぞれが自分の役割を認識し、暗譜し、動けるようになる過程に於いて、相当な難問が噴出することだろう。、、、しかし、 私の流儀は、「最後は勝つ!」だ。絶対出来ると信じなくては、何事も出来やしない。

 十分泳げないのに、沖合のテトラポットまで泳いで行った、あの昔の記憶が蘇る。あの道中の孤独と不安。立てば海底に沈み、 浮けば流される。犬かきだろうと、猫かきだろうと、とにかく何が何でも手足を動かすしかなかった、あの早朝の出来事は、 自分の生き方を象徴していると共に、あの時の感覚は、いつも私を救ってくれる。誰も助けてくれる人が居ない海の中。焦って心が波立つと、 無駄な動きをして疲れ、ちっとも進まない。心を静め、ゆったりと波に乗って、波に助けられながら目的点に到達したのだ。そして、 行けば帰らなくてはならなかった。自分のとった行動の後始末は自分でやるしかない。しかし、経験は速攻で私を救った。 一度は泡と消えた平常心をかき集め、出来るだけ静かに波を越えた。とにもかくにも、浜辺に我が身を届けることが出来たのは、 奇跡に近いものだった。遠くで、心配そうに眺めてくれていた漁師さんの影が目の端に映ったのを覚えている、、、。

 しか~し、なんで、そういうことするかなあ?ったく、死ななきゃ治らない類の性格かも~。

 

 今朝はトドメの多忙さで、自分でも信じられないほどの事をこなした。合間にシェイクスピアの本場から「夏の夜の夢」 がやってくるからという、お誘いが岡山の方お二人からあったり、吟行の問い合わせのお返事があったり、 マスコミにどうしても今日行かなくてはならない用事が出来、それの打ち合わせに電話電話電話、、、!昼食も食べられ無い状態。来店客が 「先生もの凄くお忙しそうですねえ。ごめんなさいね~。」と言われるほどだった。いやいや、本業は、お客様ですから~と言いつつ、ため息だ。

 こなした用事の中の一つが、昨日から懸案の作表だったが、Sさんと私は、もう電話では絶対話が出来ないのだ。何故かと言うに、 お互いこんがらがってしまい、話すたんびにミスを発見。そのバカさ加減がおかしいと言っては笑い、なんでこれに気付かなかったのかと、 言い合っては笑うといった具合で、喋るより笑う時間の方が永くなるのだ。仕方なく、このチョー忙しい時に、あたしゃメールも打ってたり~。 彼女と私は、どうやら「笑い」の壺が同じ形らしく、もうもうおかしくておかしくて仕方がないのだ。

 この原因は疲れ切っているのもあるのわけで、プリマKを車にお乗せして移動中にも、同じ現象が起きて、もうもう二人とも大笑い。 新聞社で私が自信を持って違うところへ入ろうとしたり、違う方向へ歩いたりするのを、彼女がゲラゲラ笑い、「どうしよう!? ほお骨が上がったマンマ、降りてこないわ!」だって!ハハハ。彼女も大層お疲れの様子だった。ま、笑い上戸、類は類を持って集まるのら~。

 

 で、全て終わったご褒美に、本日の夕食は「おかずや」さんで調達。存在を忘れがちだが、ここのはホントに美味しいのだ。、、 それともう一つ、なが~いあいだお休みしていたジムに出かけてみたのだ。自転車をこぎ、プールを歩き、岩盤浴に座り、お風呂に入って帰宅。 ああ、ビールが美味しいなあ。これで、が~っと寝る!

2007年5月15日 (火)

今日もジムはお休みだ。

 今日こそはジムに行けるか!?と頑張ってみたが、本業とオペラ~のお仕事で、結局はパーだ。そういえば、午後4時頃になって、 あんまり疲れているので、マッサージ機にかかったらいつの間にかぐっすり。小一時間も寝たような感じだ。そのお陰で少し復活。 夕餉の支度も出来たというわけだ。

 まあしかし、ここに来て助っ人が沢山現れてきて、大いに助かっている。ただいま11時も過ぎてFAXや電話での書類作成も、 Sさんが、一生懸命やってくれている。8時頃にはA君が全部の楽譜の清書を仕上げたと持ってきてくれる。その上、 レッスンのためにやって来たKさんは、しきりに申し訳ないと可愛いお言葉。何のことかと思いきや、この日記を密かに見ていて、 歌が歌いたくても歌えない環境のおみっちゃんに、痛く同情してくれていたというわけだ。彼女の優しい言葉に一層励まされて、 今日やるべき事は一応完了。良いんですよ~、次世代を担ってくれるお方の為に、あたしゃ身を削ってでもやるんです。って、本当は、 本当のこの身を削りたい心境だわさ。このところのジムおさぼりで、ちょいと膨らんできたボディ。ぼちぼち、真剣に運動を始めよう。 お月謝ばっかり納めてないで、、、、!

 

 今朝からの来客が口をそろえてニュースの異常さを伝えてくれる。あたしゃ全然知らなかったが、世の中恐ろしいことになっている。 母親殺しにバラバラ殺人、外国ではあるが、誘拐事件に億の懸賞金がかかっている話。東大の教授が痴漢で現行犯逮捕、な~んてのは、 むしろ笑える話でホッとした。気象の異常さに比例しておかしな事が起きて居るなあ。

 

 関係ないが、今夜二人目のレッスン生は、研究者で、私は研究者というだけで大変興味を持ってしまう癖があり、 彼の仕事の内容について、根掘り葉掘り聞いてしまった。いやあ、面白い研究をして居るなあ。彼自身も言ってるように、研究者という人種は、 夢想家が多いのだろう。中学高校と描いていた物を捨てきれずそのまま大人になった人、だそうだ。私はそういうの、だ~いすき! 友人でロボットの打ち上げに関わる仕事をしていて、NASAまで行った人が居るが、 彼も矢張り小さい時からの夢を形にしたらしいことを話してくれたことがある。となると、矢張り、小さいときの過ごし方が如何に大切か! ってことだ。母親の首を切り落とし、通学鞄に入れて持ち歩くなんぞという、おぞましい人種は、何がどう関わって出来るんだろう? ぞっとする事件だ。あ~あ、やだやだ。

2007年5月14日 (月)

久しぶりの迷子!?

 今夜から練習時間が延長になり、10時まで粘ったが、まだ気になるところがあり、明日の午前中までかかりそうな書類作成だ。しかし、 多分明日には全てが完成するはずだ!お願い、早く完成して!ってどっかに叫びたい。ホントに今回は手こずっている。 今日の練習曲の歌詞じゃないが、「これでホントにオペラが出来るの?」って不安になるほどだった。それもこれも、明日でおしまい。の筈。 ふ~っ!

 最後まで付き合ってくれたMとS、それにTさんも車に乗っけてお送りする。Mさんのすんごい、寂しい山道を送ってから、 Sさんの迷路のような入り組んだお住まいまでお送りしたが、その後が大失敗。完全に真反対に曲がってしまい、 ガソリンボタンは赤く点滅しているわ、辺りは段々暗くなる一方。どこを走っているのかさっぱり分からないから、 このまま山の中に行ってしまったら、ガソリンの給油が出来ないことに少々不安を感じ始め時、ようやく、193号線と表示が出て、やれやれ。 24時間営業のスタンドも見つけ、給油も出来て、帰り道に目星のついた深夜ドライブと相成った。 帰りにスポーツジムでお風呂だけでも入って帰ろうと思っていたが、それどころではない。 帰宅したら11時を回っていた。やれやれ。

 しかし、道中、Sさんと如何に私がよく迷子になる人か、それを少しも反省するどころか、 むしろ楽しんでいるのだという話をしたばかりだった!あまりに言った通りになっちゃって、我ながらおかしい。

 おかしいと言えば、練習後の作業中、Sさんとやっていて、もうおかしくておかしくて仕方がない。涙ながらにやっていたのだが、、、、 これって、私の疲れたときの特徴。余りに疲れると、神経が伸びてしまうのか、笑い筋が勝手に動き出して、 チョットしたことがおかしくて仕方なくなるのだ。又、このSさんがおかしいことばっかり言ってくれるんだ。例えば、 「うちの旦那はI会長を見ていて、あんなに女性達に囲まれていたぶられているのが羨ましいって、言うんですよお~、おかしいでしょう!?」 とか、Mさんの家に着くやいなや、「あ、あれって、お宅のものなんですかあ?」と好奇心満々の声で訊くので何かと思ったら、 大型ユンボなんだなあ、これが!こんなものに興味を持つかなあ?ふつう!

 てなことで、道中が面白くて、ちっとも苦じゃなく、行きは良かった。そっから、我が家までが、問題だったのだ!やれやれ。

 

 午前中にシャンソンのカラオケテープを作成したり、歌詞カードを準備したり、一方ではオペラ関係をあれこれやっていたので、 ぎりぎりでシャンソン教室へとたどり着く。今日は久しぶりの人も新しい人も全員集合で、密度の濃い練習となった。6月の発表会の練習で、 みんな熱気に溢れている。しかし、シャンソンの曲はホントに良いなあ、、、。やっぱりずっと続けていきたいなあ~。

 

 出かける前に夕食の準備をしていたので、一度帰宅の必要もなくと~っても開放された気分。 ちぇち練までの2時間半をどう過ごそうかとルンルン気分。紀伊国屋に寄ってみたが、お目当ての本はなく、調べて貰っても無駄。やっぱ、 M書店でなきゃ無い物だったんだ。、、、とその下のレストランで、軽くパスタ料理を食べる。なかなか美味。そこでも表を完成させるべく、 お店のテラスで食事だったが、すぐ側で左官さん?が、チラチラこちらを見ながら作業中。落ち着く筈も無し。 それでもお仕事は一応格好が付いたかな。いやあ、完成したら又来たいなあ。

2007年5月13日 (日)

オ~ッモウレツ~♪

 っていう歌が昔流行ったが、本日の私の動きは、本人も信じられない程だった。天上から見下ろす人が居たら、 さぞかしおかしかったに違いない。夕べ午前3時に寝付いた私だったが、朝一番で、結婚式に参列する方を美しくして差し上げ、 すぐさま塩江までとっととっとと、車を走らせ夫の実家での法事だ。約2時間の正座での足のしびれを、これも試練と、 自分に言い聞かせつつお経を聞き、遅れてやってくる夫と交代して、又してもとっととっとと逆走し、今度は近所の方のお葬式だ。 お見送りを済ませてから一度自宅に帰り、喪服から演奏会用の洋服に着替える。あまりの疲労で、一瞬欠場を考えたが、何とか力を振り絞って、 次なる目的地牟礼町のCantiamoの会場へとひた走る。時は真昼で、真夏日で、クーラーかけなきゃいられない。喉に悪いかと思っても、 内蔵が飛び出してきそうなほど疲れていて、この暑さにゃ耐えられない。コンビニで水を買い、会場へ飛び込んだが、大分遅れてしまった。 プログラムが四分の一ほど終わっていたのだ。

 打ち上げで食事をし、このまま別れるのは、な~んとなく物足りないというH村の人達とお茶をする。、、、つもりが、 行ったところが悪かった!パスタやさんだったから、一皿を分け分けしたとはいえ、結局余分に食べてしまったのであ~る。しかもあたしゃ、 グレープフルーツ入りのカンパリなんぞ頂いて、本日の疲れを一気に解消したつもり。「百薬の長」なんです~。アルコールは!

私が飲酒運転にならないように、H女史が私の車を代行運転。いつもの事ながら感謝!持つべきものは、運転できる飲めない友人だ! ヘヘヘ。

 

 今回のCantiamoの会は、全体としてとても充実した発表会になったと思う。みんなの歌に、 ホントに努力の跡がハッキリ見えるようになった。、、反面、矢張り歌は難しいとも思ったことだ。音程が悪い人も何人か居て、 発声に慎重さが要求されることを感じた。やっかいなのは、自分が下がっているということを、ホントに分かっている人がどれだけいるか、 はなはだ疑問だという点。いや~、歌はむちゅかし~>。。。ねむっ

 

2007年5月12日 (土)

強烈なる一日。

 あ~疲れた~。ただいま午前零時まえ。ようやく、今日一日の仕事が殆ど全部終わったか。未だ、散乱しているオペラの楽譜を、 横目で睨みながらのパソコンだ。疲れているときに、このパソコンの手触りというか、打つ音というか、手先だけの動きが妙に心地よく、 こうして日記を付けるのも苦にならないのだ。ただし、打ち間違って、マウスに手を伸ばすのは苦痛なので、 なるだけ間違わないように慎重に打ってはいる。しかし、携帯のメールだけは苦手だ。両手が使えないと逆に余計疲れるのだ。

 本日の疲労の一番の理由は、本業の多忙さだった。連休時に孫騒動で先送りしていた予約が、まあ、来るわ来るわ! 朝空港まで見送って帰ってから、目白押し。手も口も(舌も)足も腰も、午後5時頃にはヘロヘロ状態。久しぶりに本気で仕事をした感じだ。で、 合間にはオペラの出演者表と、台本の編集だ。この私の仕事、こうして「合間」というものがあるのが特徴だが、流石に今日は、 たっぷりというわけには行かず、寝る前にもう一度、これらをチェックだ。こんな私を見かねて、母親が洗濯やら、 タオルタタミやらをやってくれている。ホントに、女って、いくつになっても使い勝手がいいもんだ!

 仕事が終わればCantiamoのお歌の練習だ。ピアニストさんと合わせる最初はたださえ疲れるのに、お初~の方と、 お初~に合わせることになり~の、見学者までお二人いらっしゃり~の、先生は私の練習時間が無かったということに、全く関知せず~の、 最悪の環境が整い、順調に間違いながら時間が過ぎた。ま、こんなもんでしょ!とりあえず、今日は声を出せたことが嬉しかった、てなもんだ。 ふ~っ!

 

 しかし、孫って、こんなに可愛いものなのか!昨日一日会わずにいたが、空港で会うと手を突き出し、にかっとして、近寄ってくる。 すぐ側まで来て抱こうとするとくるっと踵を返して外へ出ようとする。こっちが追っかけてくるのをお見通しだ。 キャラキャラ言いながら逃げて逃げて、最後のおっかけっこ完了。あちらのご両親と我ら総勢5人が全員でバイバイしても、 今日の所は不思議そうな顔をして、母親に抱かれ、タラップへ。今度帰ったときは泣くかもですねえ~、と婆同士で話したのだが、、、さて。

 

 ああ~、もういくら何でもお風呂だ。明日は8時過ぎから来客で、その仕事のあと、塩江の夫の実家まで走らなくてはならない。 そこでの法事を済ませたら、多分お葬式だ。でもって、Cantiamoの会場がう~んと離れていて、、、、まともに行けるかどうか?

2007年5月11日 (金)

今日は晴れ。

 毎日がめまぐるしく過ぎていく今日この頃。一体あれはいつのことだったのかと、、、反芻してみるも、 しばしばこんがらがる程の入り組み方だ。夕焼け一つを思い出しても、フェリーから見たものや、海縁のレストランから見たものや、 孫を抱いて歩いて見たものが渾然一体となってしまう。このままぼ~んやりと、世界の何もかもがぼやけて行って、気が付けば、 三途の河原の澄んだ水底の石がハッキリと見えている、てなことになるんだろうなあ~。

 

 とにもかくにも時間が無くて、さっぱりお歌の練習にならないため、今日はピアニストさんに合わせて貰おうとメールをするも、 連絡が付かず、諦めてビールを飲んだ途端に通じたのは皮肉だった。で、悪あがきで恐る恐るビールを飲みましたが、、、と出してみると、 流石歌が専門のNさん。それなら、明日にしましょう!とあっさりお断りされてしまう。時間的には今日が良かったんだが、、、あ~あ、 すっかたなかんべさ~!呪わしきビールよ!

 

 遂に孫りんが我が家から立ち去った。お迎えに来た嫁りんの実家の母上が手を出すと、懐かしそうに両手を出しつつも、 後ろを振り返り振り返り寄って行くのが、これまた可愛いではないの!?う・う・泣けちゃうねえ~。早く次の子を産んで貰わないと、 奪い合いになるかも~。だからと言うわけではないが、どうも次を考えているらしい嫁りんの発言。いやあ、良い子だ! 昨日留守で作ってくれていたおかずを、やって来た友人と一緒にお昼に頂いたが、まあこれが美味しくて! 若いのになかなか大したもんねえと言いながら姑1,2が誉めながら全部食べたものだ。そう、我が家には姑が沢山居るからねえ。昨日なんぞは、 我が同窓生が4人もがやって来て、わいわい取り巻いたもんで、ちび助よりも嫁りんの方がおろろいていたからねえ。ふっふっふ。

2007年5月10日 (木)

パーティ

  今夜はとある、よんどころないパーティに出かける。予想通り8時に帰ると言いつつ実際は9時過ぎのご帰還だ。 嫁りんは健気にも、私に言いつけられた料理を作り、自分のアイデアもプラスして、お婆ちゃんと舅の夕食を整えたようだ。帰宅したら、 お婆ちゃんと一緒に食卓を挟んでのお喋りタイム中。勿論孫りんはとっくにおやすみだ。夫は、孫を抱いてその辺を少し歩いたというのを、 さも大仕事をしたとばかり、大いばり。

 パーティ会場では、この私が気が気でなくて、運転手を促してばかり居たのだが、あれこれあって、結局は遅くなってしまったのだ。 さあ、今夜のことを息子が知れば何と言ってくるか!?僕の嫁をこき使うな?だろうか?僕の嫁は良くできてるだろう!?か。いずれにしても、 この屋の主婦がこうしてしょっちゅう家を留守にしているという現状を、実地に教えたようなものだ。ま、いっか。鉄は熱いうちに打て! ってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

2007年5月 9日 (水)

ちょっとほろ酔い。

 本業が忙しく、疲れたままFM収録へと飛んでいく。今日は香川の生んだプリマドンナK女史がそのお相手だった。 彼女とのつきあいも考えてみると20年以上になるなあ。お互い皺が増えるのも当たり前か、、、。

 しか~し、話の内容は以前にも増して若々しく前向きだ。彼女の未来に向けて出来るお手伝いはするという約束をして別れたが、さて、 どれほどのことが、この私に出来るのか?

 FMでは、彼女のメゾ時代の歌を聴きながら話を進めたが、完璧な歌唱だった。正直、 今後この声が聴けないのはもったいないと思ったほどだ。才能が有り余っている人なんだなあ~。

 

 収録の後、意見が一致して海縁のMというカフェでのディナー。黄昏時の外が良さそうで、最初はそこに席をとるも、 寒くて寒くてちょいとお引っ越し~。ていうか飲み直し。久しぶりに美味しいお酒が飲めたなあ。

 でもってテクノを御用達~。てなことで、今日も一日が終わった。

2007年5月 8日 (火)

は~っ!

 先ほどフェリーが遅れたために11時半という時間に帰宅した私。何はともあれビールだ。今日は、 お客様から頂いた赤い空豆をご飯に炊き込んで出かけたのだが、流石にこの時間に食べる気はしない。、、こうして、いつも美味しいところは、 夫に持って行かれる。な~んてね。ま、毒味をして貰ってると思えばいっか。フフフ。

 

 オペラの出演者表作成で、難航しているため、Sさんとフェリーの中でもやりとりだ。携帯は有り難い。彼女のお陰で、 台本が立派に機能する物になりそうだ。しかし彼女に「蓮井さんほどお忙しい方もなかなかいらっしゃらないと思いますよ!」 というメールを頂いてしまった。全く、どうしてこうなるの?やっぱり、ノーと言えないのが悪いんだろう。 明後日は嫁りんが孫を連れてやってくるというのに、あたしゃ夕方からお出かけの予定。仕方なくお婆ちゃんと夫でお相手をして貰うのだ。 しかもこの日はI先生のレッスンも入ってるため、私の留守にあれこれと人が出入りするわけで、嫁りんは、ますますおろろくだろうなあ~。 大晦日に他人(私の友人)と温泉に行ってたというのに、いたく、驚いていたというからして、普通の家庭しか知らない彼女にとって、我が家は、 全く異常に映ることだろう。ま、ちょいと慣れて貰うしかない。

 

 フェリーで月1回往復2時間の小旅行は、なかなかに楽しいのだ。今日は特に夕日が素晴らしく、 グレー一色に染まった瀬戸内海の島の上に、ホオズキの実としか例えようがない、まん丸のオレンジ色のお日様が段々沈んでいく様は、 全く見飽きると言うことがない。沈んだ後も余韻のように雲を赤く染めて、日暮れる前に最後の色気を添えている。

でもって、空腹を満たすためにおうどんを食べたら、これがいけたのだ。慣れたのかも知れないが、、。 つるつるとうどんをすすりながらニュースを見ていると、ろくな事を言ってない。事故だ、殺人だ、○○隠しだ、、、。やれやれ。

 そんなこんなで、持ち込んだ楽譜やら、表やら、台本やらはなかなか開けない。しかし、眠ろうとしても眠れないのは、ただただ、 疲れているのだろう。友人が携帯にメールしてくるのに、あれこれおもしろおかしく対応していると、あっという間に着いてしまう。 着けばその気になっている自分に、改めて驚いた。責任感?いや、そうではない。結局は好きなんだろう。みんなの情熱にも惹かれてるのだ、 きっと。

 いつまで続く事やら。ふ~っ。

 

 

2007年5月 7日 (月)

ゴールデンウイークも終わった。

 朝早く飛行機で帰っていく息子を玄関先で見送って、再び寝ようと思ったが、矢張りそうもいかず、台本を数部印刷して、 ゲスト出演者の了解を取り付けるために配ったり、舞台照明の相談にサンポートまで出向いたりで、時間がどんどん無くなった。 一度帰宅して夕飯の準備をしたら、夜はちぇち練だ。W先生のレッスンだったが、みんなの声がとても良く響いて、気持ちの良い練習時間だった。 中には口パクに近い人も居るようだが、まあ、その内出してくれると信じよう。「自分が出さなくても、、、」と思っていると、 オペラの合唱はダメだ。本気で声を出しているかどうかは、もの凄くよく分かるものだ。

 しかし、今日は良いことが一つあった。打ち合わせに行き、舞台関係者に今度のオペラのあらましを話したところ、いたく喜んでくれて、 こりゃぁ、面白い、と言ってくれたこと。舞台の専門家から、どうやらアドバイスが貰えそうで、もっともっと面白い物になりそうだ。これで、 あの人やこの人が参加してくれたら完璧だ。

 

 こうして、オペラがどうにかこうにか軌道に乗りかけた時、Cantiamoの会が日曜日にあるということを思い出した。ぎょへ~っ! 無理。絶対歌えない!午前中は、はずせない法事に行かなくてはならないし~、(そんな付け焼き刃では、どっちみちあかんわなあ) おみっちゃんは、ホントは歌が大好きで、いつも歌を歌っていたいのよ!それが、なぜか気が付いたら、歌えない環境に居る。 ホントは貯金したいのにさっぱり出来ないのに似てるなあ~。結局、どうすりゃ良いのか、、、。

 

 今夜も夫はマッサージ機に鎮座して、綾小路君麻呂のCDをかけながら、時々拍手に高笑い。その内これが高いびき。、、、先日は、 終わりの方から聴いたそうだが、最後ってこんな風に終わってたのか~ちっとも知らなかった!だと。ったく、脳天気なお方。いや、 別に良いけどね。女性だって、これを聴いたら爆笑してしまうし、ある人が、「これは真実だから面白いのよ」と言うからねえ~。 「夫婦関係というのは、電話が鳴っているのに止められない小便をしてるようなもの。止めるに止められない。」って、今聞こえてきたからねえ。 やっぱり真実だ。

 

 

2007年5月 6日 (日)

台本完成。

 とうとう台本を仕上げた。というか、一応のピリオドだ。ほんというと、この手の作業はきりがない。演出なんてものは、これしかない、 なんてものは無いのだ。動かす駒の個性もあり、今回みたいに昼夜2回公演、しかも別キャストとなると、方法はそれこそ百万通りもある。 勿論メンバーを見て、可能性を探るわけだが、、、むちゅかし~。

 意外と狭い舞台なので、コーラスもAチームとBチームに分けなくてはならない。まあその他にもあれこれ問題点が、、、。しかし、 100%満足なんてあるわけ無い。えいっ!これで一応やってみよう!と心に決めて、完成だ。

 

 で、いつのまにか椅子に腰かけてパソコンに座るやいなや爆睡。あまりにへんな姿勢だっので、息子が起こしてくれる。さあ、 ホントのお布団で寝るとしようか?

2007年5月 5日 (土)

明日は雨だそうだ。

 育児?の合間にあれこれやって、一応オペラ全曲の整理が出来た。後は、合唱の部分を確定するだけか? 今は疲れて頭がもうろうとしているから、もう寝ようと思う。

 

 「孫は居て良し、帰って良し」とは、よく言ったモンだ。抱っこにも、慣れるかと思いきや、帰省してから重くなってるらしく、 ホントに重い。

 

 あ、そうか、明日は雨だって言ってたから、そのせいで、この肩こり始め全身倦怠感なんだ。ふ~っ。

 

2007年5月 4日 (金)

今日の夕日はホオズキの実のようだった。

 さて、昨日の「バベル」だが、正直な感想は、何故こんなに難解に難解にと映画を作るのか?が分からなかった。 レイトショーを見に行ったが、たださえ脳みその活躍出来る部分が減少している時間に、こんなもの見るべきではなかったのだ。

 それでもこの健気な観客は、ひたすら「分かろう」と努力し続けて、終わってみれば疲労困憊。その上、 ディスコの場面では気分が悪くなったし、残酷な場面も、つい目を背けるのが間に合わず、全部見ちゃったし、、、。

 多分、コミュニケーションがテーマかな?とは思うし、人間と人間は、例え親子、兄弟間、夫婦間でも分かり合えない事が多い。 ましてや、国が違い、人種が違えばもっと分からないのが現実だ、と言いたいのかな?とも思った。そして、健常者と聾唖者の関係もしかり。、、 でも、もう少し分かりやすく、テーマを伝えてよ、と切実に思った。題名が示す通り、「言葉」がテーマだろうとずっと思い続けて見たが、 あたしゃ途中で、「バブル」の間違いかと思って、友人に訊いたくらいだ。「ば・べ・る」と彼女は丁寧に教えてくれたのだが、、。

 そりゃあ、バベルの塔の神話では解決できない不思議が、世界中の言葉の違いだが、あの神話では、 人間の奢りがそれを生むという点が不可欠だ。この映画にそれはどこまで描かれていたかなあ?よく分からない。ブラッド・ピットねえ~。 年取ったなあ~。

 

 今日はややこしい一日だった。朝からレッスン生は来るわ、夕方からはちび助が舞い戻ってくるわ、レッスンの最後は、 自分の練習を犠牲にして、今度のオペラの楽譜のチェックを、会長とT先生とで一部やって貰った。 12時間労働だとぼやく会長をなだめすかして、働いて貰う。しかし、ピアノの部屋はただいま楽譜が散乱したまま。これって、 片づけるのはだ~れ?ってことだ。ふ~っ。今日の作業を楽譜に反映させるというお仕事が宿題として残ったわけだが、 何が何でも今度の練習には完成してA君に渡す必要がある。 珍しくシンデレラタイムまで起きて雑談に興じていた若夫婦を寝室に追いやりこの日記だ。明日は彼らが揃う最後とあって、 何かやりたいようだが、如何せんちび助が一緒だから、行くところが限定される。ま、でもどっかに行くんだろうなあ~。

 孫りんが、あと一息で「みっちゃん」と言いそうなんだが、、、、明らかにこの私がみっちゃんであるという認識は出来たようだ。 辛抱強く待つとしよう!フ。

2007年5月 3日 (木)

なんともかんとも、、、。

 今日は「新人演奏会」なるものに行ってきた。悪いが、友人からの忠告もあり、余り期待していったコンサートではない。しかし、 予想に反してこれが大変楽しい演奏会だった。

 まず、歌と、楽器演奏との両方が楽しめたこと。そしてそれぞれが、未知なる宝を内包している、未完の演奏家達だったので、 皆さんの将来をも想像しながら鑑賞できたこと。これは、演奏経験の豊富な演奏家達とはひと味違った面白さがあった。その上、中には、 もう既に完成されたに等しい人も居て、特にピアノは、これが同じピアノか?と思うほどに音色の違う人が居て、表現と言い、テクニックと言い、 十分に楽しめた。

 トランペットは娘が勉強していたので、その難しさは承知していたが、今日の演奏者はなかなかのもの。 ピアノ伴奏もレベルの高い中年の男性で、歯切れが良く、トランペッターをとても上手く引っ張っていた。フルートも、身体をくねくねするのは、 余り良くないのだということが分かったし、これらはみんな歌と同じように身体を使う物だと改めて実感。

 ちぇちのメンバーも何人か来ていて、あとでお茶しながら、それぞれが感想を述べあった。まあ、 大体みんなが良かったと言う人は同じだったが、注目点はそれぞれ違って、これも面白かった。ビジュアル面も、 相当気になったみたいだったなあ。みんな。

 S嬢が、矢張り、上手い人の体型というものがあると思いました。というのには、確かに今日は頷けた。しかし、プラス、 顔の骨格ではないかとも思った。私は個人的に、出身大学のカラーというものに興味を持った。某大学卒の方々は、悪いけど、 持ち声だけで勝負している。歌い方に道が見えない。多分、指導者のせいではないか?

 まあ、こうして、他の人の演奏を聴いて色々考えるというのは、個人レッスンをやると同じくらい勉強になるということだ。 必ずしも上手い人ばかりではないが、その人の、何処がまずいかを理解出来るということが、自分の為になるのだ。聴く耳がない人には、 良い歌は歌えないのではないか?

 

 今日大阪から帰省した友人の、今抱えている心配事を少しでも遠ざけるため、温泉と映画に連れて行く。映画は「バベル」、、、、 この難解な映画を分析する気力が今の私にはない。明日に残すとしよう。

2007年5月 2日 (水)

今日も晴れ。

 おかしいったら無い。この私が、膝下ほどの背の孫べえに振り回されて、疲労困憊。嫁りんの実家へと送り届けた今日は、 すぐ側にオープンした巨大スーパーに飛び込んで、マッサージ。「随分お疲れのようですねえ。お仕事ですか?」と聞かれて、「いえ、孫が、 ちょっと、、、」と答えるといたく同情してくれた。きっと、この手の客が多いのだろう。

 短い期間でもの凄くなついたこの孫べえは、私が合間にパソコンを打っているとやって来て、抱っこをせがむ。抱っこしたら、 所構わずペンで書きまくり、あ~あ、パソコンにまで書いてくれちゃって~。

 うっかりしてると何をしでかすか分からない、全くの小悪魔。今日はその悪魔振りをしかと見届けたものだ。

 あんまり歩くので、靴がダメになったからと新しいのを購入に、4人で出かけたとき、若夫婦に選択を任せて、 あたしゃ子供向けの遊び場で遊ばしていたのだ。ところが、そこへ5歳と2歳くらいの姉妹がやって来た。運転仕様のおもちゃが2個あって、 うちのちび助はその内の1個で熱心に遊んでいた。後からきたお姉ちゃんに「どうぞ、これが空いてるからね」と、 社会常識のあるみっちゃんは当然別な方を指さした。すると、驚いたことに、その言われたお姉ちゃんが足を1歩踏み出すか出さない内に、 耳をつんざくような大声で「ぎゃ~っ!」と、なんとも言えない声で、「威嚇」するではないの!?じゃあ、そっちは良いのかと、 今まで触っていた方を指さすと、これまた、さっきよりもひどい声で、「うぎゃ~っ!」ときたもんだ。その姉妹は完全におびえていて、 殆ど言葉も話せないちびっ子に、威圧されてしまっている。このおみっちゃんだって、余りにびっくりして、 たしなめるのさえ忘れていたくらいだ。だって、そのものに、触れても居ないのに、次なる展開を予想してハッキリ拒絶反応を示している、 1歳と3ヶ月のこの小悪魔に、にゃんともかんとも、あたしとしたことが、圧倒されていたという次第。 殆どぽか~ん状態のみっちゃんばあちゃんは、その声に気付いてやってきた父親に、今の事の顛末を話して聞かせるのが精一杯。あ・や・や・や、 一体全体、これから先、どげなことになるんざんしょ!?誰も抵抗しないばかりか、寄っても来ないのに溜飲が降りたのか、「さ、帰ろ!?」 と手を差し出すと、「だっこ?」と素直に抱かれてくる。、、、そうか、やっぱり人間は「性悪説」が正しいのか。だからこそ、 しつけが大切なんだろう。、、、疲れた。

 

 今日はようやくA君が全ての楽譜の清書を終えて持ってきてくれた。私も頑張らねばと、パソコンに首っ引きで、 又しても本日丑三つ時だ。しかし、その甲斐あって、先日からの難問が一つ解決。兎に角集中しかない。

 Cantiamoの会の為の暗譜なんて、到底出来そうにない。そもそも楽譜を見ることさえしてないのだ。先生は 「捨てるような時間を使え」と簡単に仰るけど、あたしゃ、そんな時間の持ち合わせがない。その私の時間を食べている張本人が、 先生なんだから、なんともかんとも、、、。

 

 明日は演奏会だ。

 

2007年5月 1日 (火)

可愛さ余って可愛さ百倍?

 ちび助を楽しませようと、今日は水族館に出向いたが、結論から言って、結局は大人が楽しんだかも~。わが孫べえはといえば、 信じられないスピードで、ころげるように、たったかたったか歩き回り、追っかけるのが大変。魚を見るどころではない。 まじでひもが欲しかった。実際転んだりもするが、これが又全然泣かないと来てる。ある水槽の前で、同じか、 チョイとお兄さんが抱っこされてるのと隣り合わせに。初めはお互い見つめ合って、気がある風だったのが、 うちのちび助さんはすぐ飽きてそっぽ。しかし、何故かその男の子はいつまでもじ~っと見つめっぱなし。あんまり見るので、 そばのお婆ちゃんとおぼしき人が、「まあ、この子、一目惚れかしら?」と言い始める程。ところが、我が孫りんは目の前の魚に夢中で、 彼のことは眼中に無し。つい20年後を想像してしまった。ハハハ。

 しかしねえ、こないだまでただ寝ていたちびっ子が、たった3ヶ月でここまで成長するのか!友人から 「うちの子供は天才かと思っていたら、段々普通の子供になってきた」と言ってたが、いやホント。ぐいぐい成長していく過程を見ていると、 もしや天才かと疑いたくなるってモンだ。今夜はピアノに触らせたら、ばんばん鍵盤を叩きながら歌い始めたには驚いた。こりゃあ、 音楽をやるようになるかも~と思っていると、息子が「そんな世界には入れんよ」と言いに来る。「そんなこと分かるもんか」と内心思いつつ、 「ハイハイ~分かってますよ~。でもねえ、、子供の才能の目を潰すのだけは止めて欲しいわねえ~」と訳わかめの孫に囁く。、、、 われながらの大婆バカであった。

 この子を観察していて、子供というのは「誉めて育てる」のが、大切なんだと言うこと。誉められたら嬉しいという感情が、 このちび助にしっかり備わっているということは、結局人間てそんなものナンだろう。これは、子育てだけでなく、夫育て? にも言えることなのだ。きっと。

 

 しかし、日々、オペラのことが頭から離れず、息子から深夜までパソコンを打つのは止めろと、釘を刺される。しかし、 深く考えれば考えるほど、迷走してしまう今度のオペラ。考えないわけにはいかないのだ。でもって、夕べ又しても問題点発覚。 この処理は相当骨が折れそうだ。昨日から歯が痛く、今日はますます酷くなってきている。完全に肩こりが原因だ。いつもより家族が増え、 やる事も増えている。ちょっと参ったなあ~。明日は急遽、FMに出演申し込みがあり出かけることに。 そのあとは我が家でのレッスン受け入れだ。ゴールデンウイークなんて、関係ないなあ~。

 

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