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2007年3月14日 (水)

出来心で映画。

 本来ならこんな事やってる場合ではない。って、分かってるんだが、どうしてだか、いつも本番前が来ると、 全く関係ないことに没頭したくなる。まあ、今日は母のせいにしておこう。明日が母の誕生日だから、FM収録が延期になったのもあるが、 今日はプレゼントを買いに出かけたのだ。膝から下のマッサージ機は以前本人も試したことがあって、 それ以来それを越えるものに出あったことがないという優れものだ。東京の娘と私で熟慮の上だ。 膝が痛いとこのところ病院がよいが多くなってきた母に、多少なりとも楽になって欲しいのだが、 こうして手術を一日延ばしにしていてホントに良いのだろうか?と想いつつであった。今日は病院に行った後なので、 長時間の映画鑑賞も大丈夫だろうと、買い物ついでに寄ってみたら、以前から見たかった「それでも私はやってない」 という映画が20分後に始まるとあった。なんといっても邦画は見易いから母も即決。指定席を買って入ったがガラガラ。なのに、 私が取った席の並びだけ満席。空席だらけの中で隣が若い男の子で何となく窮屈。しかしねえ、なんで、こんなに一杯空いてるのに、 と思ったらこの光景がおかしくておかしくて、、、だって変でしょ!?

 そのおかしさも画面を見ている内にすっかり忘れていたなあ。どんどん引き込まれていったし、でも、完全にのめり込んだわけでもない。 そういえば不思議な映画だったか、、。

 あるフリーターの若い男性が満員電車で痴漢と間違えられて逮捕される。 自分はやってないからすぐに釈放されると高をくくっていたらどんどん犯人に仕立て上げられて、抜き差しならない状況に追い込まれる。刑事、 犯罪者、弁護士、検事、裁判官といった、彼の人生の中で会ったこともない人達との接触が始まり、対応できなかったり、逆に切れてみたり、 兎に角冷静沈着とはいかないのだった。これは全く普通の若者の姿だろうと思った。彼が相手にしているのが巨大な「国家権力」 だと彼自身が気づいた時、平凡な人間の無力さが露呈される。「この有罪の判決に不満がある場合14日以内に控訴の申し立てが出来ます」 という裁判長の言葉に「控訴しまーす!」と絶叫する声が不気味なほど空しく響いてこの映画は終わった。

 不思議な映画だったと思ったのは、ストーリーは全て予測できて、まるで、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥るほどだ。 おそらくは非常に丁寧に創られてあって、その為に説得力が生まれているのだろう。だから、観客は見ながら常に何かを考えさせられる。 そしてどのような理不尽なことも、全て意外だとは思えない。例えば、目撃者が現れても、その人が真実を告げたからとて、 それが決定的な証拠にならないことや、裁判長が被害者とされる15歳の少女の不確かな言葉にやたら肯定的であることや、 刑事の乱暴な取り調べとずさんな調書にも、意外性はない。全てが「あり得ること」として、見るものを納得させてしまう。それは、だから、 ある恐怖を見る人にもたらす。これは、特別な人の特別な経験ではない。誰の身の上にも起こりうる事だ。一度この法治国家の「法」 に触れるような事が起きると、その蜘蛛の巣からは容易なことでは逃れられないのだ。、、、これらのことが全て分かった上で、「陪審員制度」 を考えているのですか?あなたは?と、周防監督から問われているような、、、そんな映画だったのだ。

 帰り道母が言う。あんな風に取り調べられて、チャンと答えられる人はなかなかいない。今日のあの若者は良い方だ。しっかりしている。 あんな雑居房であんな色んな人と寝起きを共にするなんか考えられない。独居房ならまだしも、、、「ええ?一人なら良いのお?」 と突っ込む意地悪な私。いやいや、もし私だったら牢屋に入れられただけで、、、、ああ、多分ぼけてしまうわなあ~。 だったらその方が幸せかも~アハハハ。「そうかもねえ~ハハハ」と、二人とも映画を見た後の不安を笑い飛ばしながら帰ったものだ。

 隣の若者達も身じろぎもせずに見入っていたなあ。他人事とは思えなかったのだろうか。えん罪にありがちな、 普段の生活態度が評価されてしまうということなんかも、身につまされる若者が居たことだろう。

 邦画が、このところ面白い。

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