自分の蠅。
流石に疲れたあ~!朝からフル回転だ。夕べなんだか眠れなくて、変な夢に何度も起きたから、疲れも取れてないまま、 シェイクスピアからシャンソンそしてちぇち練だ。今夜もジムは行く元気がない。
講義は「オセロー」だったが、幾つかの疑問がムクムクと顔をもたげてきて、恒例の昼食会では質問をぶつけてみた。控えめに「あの~、 ちょっと質問があるんですが、、、」と口を切ると、先生答えて「怖いなあ~」だって!それにもめげずに質問、、、。 デズデモーナは夫に首を絞められて死の間際、女中が「誰がこんな事を!誰ですか?!」と叫ぶのに、「誰でもないの。この私のせいなの。 さようなら。私の優しい主人によろしく。ああ、さようなら。」と返すシーン。この言葉が彼女の優しさから来る「ウソ」の言葉だと、 先生は論文に書いておられるが、私は、大層難しい事ではあるが、デズデモーナはシェイクスピアの作品の中に良く出てくる「受容」 の完全版なのではないかと思うのだ。「あるがままを受け入れる」「自分の運命も、周辺の事柄も何もかも、、、、。」 その受容の感覚の恍惚とした中で、静かに死んでいく彼女は、その意味で、必ずしも不幸ではないのではないか。この台詞を読むことによって、 この作品の様々な問題が全て氷解していくような気がするのだ。、、いや、もちろん、論文には「受容」について触れてあるし、 大意に差は無いのかも知れないが、この台詞、20年以上シェイクスピアを考えていて、ようやくたどり着いた一つの結論のように、 私には思えるのだ。従って、「ウソ」という言葉で飾って欲しくない、大切な言葉だったのだ。、、、なあ~んて、 シェイクスピアの大家に向かって議論をふっかけるのは、この上ない快感でもある!へへへ。
シャンソンはお一人見学者が参加しただけで、みんな声が上ずって、すらすらと歌えていた人が歌詞を間違える、忘れるが相次いで、 いやはや、発表会を前に良い体験になった。毎回主役を決めてあるが、この作戦は功を奏してみんな主役の時はもの凄く歌い込んでくるのだ。 「自分を追い込む」ことが大事だ。
最後のちぇち練は、今度のステージの動きなど付けたが、流石に若い人達は飲み込みが早い。短いオペラの1シーンをやるのだが、 動きが付くと俄然舞台が生き生きしてきて、特に男性達がやる気満々なのは有り難い。そんなことより、あたしゃ自分の蠅だ!
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