« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月

2007年2月28日 (水)

なんだかなあ~、、。

 本業が暇なのを良いことに、朝から殆どパソコンだ。まずは3/18のお別れシャンソン発表会のチラシ製作。続いて、 20人以上にもなる会長レッスンのスケジュール調整だ。合間で、オペラの台本の方も、、、余りに時間がない上に、 基本的な操作をテキトーにカンでもってあれこれやっているもんだから、スピードがのろいのろい。そこへ持ってきて、 会長がただいまお持ち帰りの楽譜に「意訳」を付ける作業にどうやら辟易し始めていて、会話の中に「あんたやってよ!」とか 「僕は想像力がないから、出来んよ」とか、ごちゃごちゃ言って来るが、ぐっと我慢して引き受けるとは言ってない。これもホントに忍耐が居る。 しかし、絶対時間が足りない中で、又しても私がゴミ箱のごとくなり、何もかも持ってこられるのはご勘弁~なのだ。安請け合いして、 何もかもほったらかしにはなれないよ。そりゃあ、やらなきゃいけないことはやるんだけど、今のところ台本製作で手一杯だ。その上、 今夜もお風呂の中で21日の演奏会用を暗譜してたが、ホントに覚えが悪くなっている。なんで、こんなのが出来ないのかと腹立たしいが、 どうしようもない。還暦前はまだましだった。あれもこれも今よりは出来ていた。あ~あ、ホントにやんなるなあ。

 夫に電話があって、その方が「ご主人様、先日ずいぶん具合が悪くなられたようですが、その後いかがですか?」 とご親切に訊いてくれる。そうなんだ。私が広島に行く前の晩。パーティから帰ってみるといきなり胸を押さえてのたうち回る夫。 背中を押せとか叩けとか言うので、テクノで帰ったにもかかわらず今度はタクシーを呼び急ぎ病院だ。気が気でない運転手さんが「大丈夫ですか? 」と再々訊いてくれるのに、自分でしっかり答えている。病院でもまあ、随分おしゃべり遊ばして、先生が 「検査の結果は何処も以上が認められませんし、それだけお話が出来ているようなら、大丈夫と思われます!」と仰る程。いやはや、 付き添った私は殆ど何もしゃべらず、ただそこに居たというだけ。まあしかし、帰宅してからは気がかりで眠れない。 もしかしたら明日の広島行きはキャンセルか、と思っていたが、、、、それ以来すっかりご無事の生活なのだ。 このお方も結局はやりたいこととやれることにギャップが大きくなってきているわけで、時々こうしてお灸を据えられるというわけだ。 その発作の日は3日間の講演のあと高知から長距離を運転して帰宅したあげくの出来事。お泊まりと聞いていたからびっくりしたことだったが、 まあ、そういう無理が一切出来なくなってきているのだ。

 なんだかなあ~、、、。

2007年2月27日 (火)

昨日、今日、、。

 昨日の疲れかと思いきや、どうもこの雨でむち打ちが出ているらしい。だるいだるい、、、。しかし、 予定は待ってくれなくて、今夜も濃密な時間だった。オペラの中の二重唱の振り付けをやった。4月のイベントの為だ。 イタリア語で以前やったところが、その時は何も感じなかったことが日本語になると途端に気がかりになる。簡単に言うと 「曲の中に妙な間を感じてしまう」のだ。日本語であるというだけで、言葉が重要な意味を持ち端々まで気になってくる。 イタリア語だったときは、イタリア人なら当然感じたであろう、たとえば語尾やイントネーション、 アクセント的な要素があんまり気にならなかったのだ。それら全てが音楽の中に融和して、全体が音楽と感じられた。ところが、 日本語にした途端、つながらない。何かしら音楽が切れてしまう。言葉の意味を考えることで一層切れる。、、、これを何とか、 出来るだけ音楽にしなくてはイケナイ。動きをつけながら、こりゃあ~大変だあ~~と、改めて、、、、グググ。

 

 今朝は昨日のシャンソン発表会に来て下さった方々から色々お電話を頂く。ケッコウ楽しんでくれたみたいだ。 音楽が親しみやすいというのもあるだろう。うんと若い人は居ないから、昔懐かしいと思う方も多いらしい。出演者もそれぞれに楽しんだようだ。

 我々が若い頃は、歌声喫茶ってものがそこかしこにあり、気が向けばみんなで歌いに出かけたものだ。 今のカラオケみたいにグループだけで楽しむのではなく、そこに来ている知らない人の歌も聴くことになる。 全員で新しい歌を歌ったりが一世を風靡した時代があった。今度はそれに近い物をやってみようと思う。ま、皆さん一緒に遊びましょ! ってことだ。今度はカルチャーセンターが移転の予定で、映画館の上になるらしい。こりゃあ~、良かったのか悪かったのか? 一度始めたら止めない私のこの性格。シャンソンも長くなったなあ。

 

 その前に生涯学習で「シェイクスピア」の講座を受講。その後の昼食会では恒例の私の司会なので、ホントはいつも控えめにしているが、 この日ばかりは疑問が渦を巻いてどうしても黙っていられなくなって、講師先生と丁々発止やってしまった。「ハムレット」 の中のクローディアスが祈ろうとして跪いた時にハムレットがドアの陰からそれを見て、 祈りを捧げている者を殺しては魂が天国に行ってしまうから、という理由で殺すのを断念する、という場面。 クローディアスはそれより前に自分は悪いことをしているがそのために心が晴れることがない、と独白し、神に謝罪すれば許されるかも、、 と跪くのだが、直ぐに「心が伴っていない言葉は天に届かない」と立ち上がる。彼はその時はハムレットから偶然にも殺されずに済むが、 その後も次々と悪行を重ねていく。

 講師は言う。「クローディアスは野心と情欲の犠牲者であり、救いようのない哀れな人間である。」「 「如何に彼が深い罪の意識を持っていようと、同情を買うだけのことである。」、、、この、「同情を買う」 という点に私はどうにも納得できなかったのだ。

 私は、クローディアスのような悪人が、例え自分の犯した罪の重さにうめいても、それに同情は出来ない。 松本清張の書く主人公達のように、悪事の前にそうせざるを得ない理由があるというのでもなく、ただの欲望を満たすためだけの悪事である。 その人物が、神に縋ろうとするなんて全く陳腐でさえある。いやむしろ神を引き合いに出したこと自体が、特に許せないと思うのだ。 そりゃあ直ぐにそれが自分の悪事に値しないことだと悟ったとしても、それがどうしたの?ってことだ。一瞬にしても神を、 自分の重い心を少しでも軽くして貰える道具のごとく扱ったのだ。しかも改心するでなく、暗い心のままに再び悪の道を邁進するのだから、 同情の余地があるとは思えない。だからむしろ、この場面を見ている観客がクローディアスに憎しみの感情を持つという意味で、 この場面はかなり重いものがあるのではないか。ますますハムレットに同情していくのが健全な観客の見方というものではないのか?

 昔から日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が在るのを知っているが、講師はそういうことを言いたいのか?まあ、 確かにハムレットの死を前に言う最後の言葉「あとは沈黙。」という言葉はその様にも解釈できるだろう。でもなあ~~~。まあ、確かに難しい、 ハムレットは。

2007年2月26日 (月)

眠い、、。

 本日ここに列挙するには余りにめまぐるしい一日で、その元気がない。朝のシェイクスピアから始まってその後の昼食会、 その後のシャンソン発表会、その後の次回会場偵察兼ねたちょこっと夕食、その後のちぇちの練習。 トドメはメンバーのA君が今度の楽譜を美しく訳を清書してくれるために、今までに訳が出来たものを取りに来てくれたり、、、。 その一つ一つに想いがあり、書きたいのは山々だが、ただいま午前零時。気力が無い。

 全体を通して言えることは、全てが前向きに動いているということだ。確実に1歩前進だ。

2007年2月25日 (日)

行ってきましたコンサート。

 本日はメンバーのI君が出演ということもあり、兼ねてから活躍に注目しているKさんの主催コンサートに出かけてきた。 彼はエンターティナーよろしくナビ役をこなしていた。歌も口ぱくですと言ってたわりにはちゃんと歌っていた。ケッコウ責任感が強い人なんだ。

 ところで、このグループはホントにダンスが好きなんだ。最初に見たときは一体全体どうなるのか!? と人ごとながらチョイと心配したものだが、今日はかなりの努力の成果が出ていて、ダンスも板に付いてきたなあ、という感じ。 むしろゲストで出ていた人がダンスの専門で出ていた割にはイマイチ揃ってなかったなあ~。 確かに舞台は視覚と聴覚両方に訴える方が良いだろう。突っ立って歌うのだけを延々2時間聴かされたら殆どの人がうんざりするだろう。 そりゃあ、世界的な歌手なら別だが、、、。そこんところをKさんは良く心得ている。若いんだけど、、、、だからこそ、 思ったことを直ぐに実行に移せるのかも~。テノールがなかなか良かったし、何人かか聴かせる人も居たので、 幅広い聴衆を満足させたのではないか。いつもながら殆ど満席だし、、、、、。きっと今頃は皆さん良い気分で打ち上げだろうなあ~。

 

 で、今日は不定期のお休みにしてしまったから、事のついでに完全休業にして、スポーツジムにと走り込んだ。7時で閉まるため、 ホントに時間がないのだ。で、結局1時間自転車をこぎ、あとはお風呂とサウナでご機嫌になって早めの夕食。明日は兎に角忙しいから、 今日は早めにお休みだ。声の為に日本酒も止めたんだが、、、、。さて。明日はちゃんと歌えるのかしら?

2007年2月24日 (土)

ほろ酔い~。

 今日夕方からは、昔の勤め先のOB会があり、年末のオペラを睨んで出かけていった。 強力な助っ人になってくれる人たちが集まるわけで、こりゃあ行かざあなるまいってところだ。収穫は色々あったし、 それ抜きでも全く久しぶりの人々との再会はとても楽しくて、グラスを運ぶペースもつい速くなる。驚いたことに沢山の人が亡くなっている。 ここにいない人はみんな死んだのよ、という冗談が冗談で終わらないで、いや、それはもしかしたらホントかも、、、、 という不気味な予測も出たりする。そりゃあそうだ。私が20代の前半で知り合った人達だから、皆さん相当な御歳だ。 不思議でも何でもないのだろう。でも、そう言えば年賀状が在るときから来てないなあ~と思い当たる人も居て、、、寂しい。 このTという料亭は以前よりも庶民的になっていて、雰囲気も良く、なかなか良いなあ。瓦町という至便な場所にあり、これからは使いたいなあ。

 したたか飲んで食べて、お開き後はちぇちのオペラの会議第2弾へと移動。

 どういう形のオペラにするかで議論沸騰。役のネーミングでは辺りを憚るほど笑っちまったぜい。ハハハ、今思い出してもおかしい~! 却下された物の中にはパバロッティならぬパパラッチや、天童よしてなんかが、、、あったけ?ちょいと酔ったか?それより奇遇だったのは、 殆ど話が済んだときに「あの~」と私の腕につかまる人がいる。よく見ると先日「シャンソン」と「オペラ」を間違えて見学し、 その場で入会された、あのお方。再びご自分の勘違いを説明されるも、私がしっかりオペラの面白さを説明するので、 明後日のシャンソン発表会を見てから考えるとのこと。いやあ~、奇遇だ。残ってくれるかなあ??  それにしても懸命にイタリア語にルビを打っていたなあ~、あの練習日。

 

                                                                                         

 

 

 

2007年2月23日 (金)

又晴れ。

  イヤ~、笑っちゃうねえ~。ドニゼッティさま~。ちょいと調べていたら、「人気絶頂の時 料理に没頭し、 高級レストランを開き、豚を飼育するために作曲家を引退した。」な~んてことが書かれていて、 おかしなオペラを作る人だけあるなあと妙に感心。

 今日は遂にオペラの事に片足を突っ込んだという思いを新にした。 これがノルマンディーのモンサンミッシェルのあの流砂みたいな所に突っ込んだという感じで、 間もなく全身がこの砂の中に飲み込まれてしまうのだ。あがけばあがくほどに~~~。

 

 昼間母を病院に連れて行くためについでに従姉妹が教えてくれた新しい小料理屋さんにランチを食べに行く。 Kという有名な料理人の弟子と言うことだった。老舗の「○○バタフライ」のような小鉢物が沢山出てくるお店だと聞いていたので、 そのつもりで行ったから驚かなかったが、確かに家でこんな風な出し方をしたら夫は怒るかも~というようなおままごと風。 それでも美味しく頂いて、炊き込みご飯はお代わりした。母も私と同じだけ食べたのだ! コーヒーが自由だったが私好みでないことを除けば良いお店だった。あの田舎界隈である種の人たちに待たれていたようなこぢんまりしたお店だ。 私もどちらかというと夜来てみたいなあ~。例によって女性ばかりのお客さん。 私は帰りにバッタリあった友人S達に早速お勧めしたから又しても女性客が増えたというわけ。 このところの口コミによるランチブームは留まるところを知らない。母が言う。「時代やなあ~。」

 

2007年2月22日 (木)

あめあめふれふれ~~

  ようやく本日夕刻になって雨だ。全く久しぶりに”雨音”を聴いた。音からして相当降って居るなあ、、、。 急に寒くなって外に出る気がしないのだ。こうなるとストーブはありがたい。ホントは今夜はジムに行く予定だったのだ。 友人を抜け駆けして一人行こうと、さっきまで思っていたが、 やたら遅い夫が帰るのをDVDを見ながら待っているともう面倒くさくなってしまった。、、、これがイケナイ。しかし、 家にいたらいたでやることは山ほどあるのだ。その間をかいくぐって行こうとしてるから、ちょっとしたことで直ぐに断念してしまう。実際、 今度のオペラのプロットがまだ完成してないのだから、今夜会長に一部お持ち帰り頂いたものを、手直しやらなんやらやるべきなのだ。ふ~っ。

 

 今日は、来週のシャンソン発表会のプログラムを作成。なかなか良いのが出来てご満悦。来る人来る人に見せたり貰って貰ったりと、 しっかり宣伝。内容じゃなくて、この作成技術を!以前は必ず印刷やさんにお願いしていたことが、全く必要なくなってきた。 パリで撮った写真を使い、ちょいとレイアウトを施すとまるでプロの作品だ。てへへへ。自画自賛。全く!

 

 今日はキャリアウーマンのお客様Mさんのカラリングを施術しながら色んな有意義なお話が出来た。この方の見識は相当な物で、 いつも何かとお教え頂く。今日のいくつかのテーマの中でも、嫁姑の問題とか親子間の問題には考えさせられた。 ある方が自分の将来を考えてご子息に全財産を譲ると発表した結果、その息子さんが殆ど働かなくなったというのだ。 財産が在りすぎるとこういう事が起きるんだ。

 そして私から出したテーマ、舞台を評論家に批判された時の反応について、ある方が非常に立腹されて激しく反論した事を話すと、 Mさん曰く「その手前みそ的な思い入れが、そういうことをやっている人の情熱を支えているんだから、それは当然かもね。 その熱いものがその人の原動力だからねえ。」「要するに馬鹿が居ないと団体は成立しないのよ。」ムムムム、、、。ごもっとも。 団体の運営なんて、損得を考えていたのではやっていけないしなあ。馬鹿にならないとイヤになる。

 

 

2007年2月21日 (水)

時は過ぎていく、、、。

 本日のFMはお体が不自由な方でご自宅までお迎えに行く。 偶然にも同じマンションに今度の発表会に出るシャンソンの生徒さん宅があり、衣装のチェックも兼ねて出かけることが出来た。 通常生徒さんのご自宅まで伺うことは無いが、こうしてお訪ねするといつものお顔の裏側の、 今日のTさんで言えば多彩なご趣味が見えたりして又感慨深いものだ。 なんでも所狭しと飾られた絵画や人形は全てご主人のコレクションだそうで、マイセンの人形やらヒロヤマガタ、 マリーローランサンなどの夥しい絵をたっぷり見せて頂き楽しんだ。絵画コレクションは内の夫だけではなかったのだ!

 時間が来たので下に降りて約束の方をお乗せする。この方もお体が多少ご不自由でもピアノの先生をされている上に、 映画や音楽にはことのほかお詳しいのだ。FMでは何度もご出演頂きプレスリーについて情熱的に語って頂くのが常だ。まあ、 私の番組は一応はオペラ番組だが、みっちゃんが自由にゲストをお迎え出来、内容も私任せなのが特徴だ。今日のHさんは、 この番組に出演することをある種の生き甲斐にしているとまで言って下さるありがたいゲストではある。 私は役得で面白いお話をライブで聞けるので生の興奮が伝わってくるのだ。、、、今日も、興味深いお話だったなあ。 プレスリーに直接会って握手をして貰いお話も出来たことがあるそうで、その時に寂しい(ご本人が言う) 人生を送っていた自分の心がギシギシと音を立てて開かれるのを感じた、と仰る。以来30年。ず~っと変わらずフアンで在り続けて、 本人亡き後もその思いが変わってないと言うから驚くほかない。こういうはまり方をしたことがない私は、やっぱり少々羨ましかったなあ。 信じられる宗教に会えたような感じかなあ~。

 

 今夜こそジムに行くぞと決めていたので、やってきたKと久しぶりに出かけた。しかし、私の小袋の中には「携帯、眼鏡、小銭、水、 オペラの重唱部分の歌詞カードとそのテープ、来週のシャンソンの発表会に歌おうと今日決めた歌詞カードとカラオケテープ、ウオークマン」 が入っているという次第。ながら族の典型だね、とKに言うと、「あら、お得意中のお得意じゃん!だって、子育てしながら仕事もしいの、 夫の面倒も見いの、趣味もやりいの、だったんだから。」と言われてしまう。そうなんだなあ~、我ながらよくやった。少し古いけど 「自分で自分を誉めてやりたい」くらいだ。

 それは兎も角、自転車を踏みながら暗譜をし、140キロカロリーの消費が出来たのはケッコウでごじや~した! これで声が出せたら言うこと無いんだけどなあ~。流石にそれは出来なかったわい。

 

 ま、こうして時は過ぎていく、、、、。

2007年2月20日 (火)

本日も快晴。

 本日は何だかぼけぼけしてるなあ~。いつものことか。

 岡山から帰って駐車場に行くとな~んと私の車は室内灯が煌々と点いているではないか!?隣の車のお方が、 急ぎ足の私をじっと見ていたような、、、いや絶対見ていたなああれは。エンジンがかかったから良かったものの、 あんな所で手間取ったらたださえ遅い時間だのに、今夜中に短歌1首が送れないじゃん。ぎりぎりセーフか。

 歌を歌うというのはホントに難しいなあ。音程がはずれても、リズムが狂っても、声が出て無くても、どれが欠けても面白くない。 全部揃ったとしても、パッションが無くては楽しくない。パッションだけでもダメで、情感が無くてはイケナイ。 その全てが揃っていても心が感じられなくては良い歌とは言えない。あ~あ、な~んてことかしら。その昔、 何も知らずに歌が好きで歌っていた頃が懐かしい。、、、とはいえ、昔も良い歌を本能的にかぎ取って、好きな歌手に憧れていたわけだから、ま、 いっしょかな?理論立てて考えるかどうかの違いだけなんだろう。今夜のシャンソン教室では、 この様なことを考えながらみんなの歌を聴かせて頂いた。結局は、「知る」ことによって、 最後は自分も歌って楽しいと思えるように歌うことが出来るなら、その道程は少々辛くても意味があると言うことだ。それにしても、 みんな熱心だなあ~。

 帰りのフェリーの中は「地上デジタル放送中」と看板が上がっていて物珍しさから側で少し見ていた。 確かに以前のジロジロは無くなっていてクリアな映像ではあったが、電波状態が悪い船の上では時々途切れるのは仕方ないのだ。 「ただいまデーター取得中です」という珍しいテロップを読みながらちょろちょろとテレビを眺め、合間でイタリア語の歌を覚え、 バッグの中を整理して、一方では短歌の事が頭を過ぎり、、、、で、ただいま友人Sからの電話。あたしゃ今出したわよ、と言うので今回は「水」 がテーマよね、と言うと、「へっ?」というお返事。「自由じゃない?確か。」と言われて予告を見てみると確かに「自由」だ。そうか、 今思い出したわ。師匠から「水(曜)が締め切りだわよ」との意味のメールを貰って、「水」がお題だと思いこんでしまっていた。ぎょへ~っ。 自由だから別に良いようなもんだが、プププのプだ。「あなた、作り置きしてある50首の中から選べば簡単じゃん!」と言われるまでもなく、 即決。あ~、こうしてお馬鹿な一日が今日も終わる。

2007年2月19日 (月)

おちゅかれ~。

 全く気持ちが悪いほどの快晴続き。お陰でいつもミカン狩りをさせて貰うおばさんのところから、 ハッサクを取りに来ないかとの誘いにも簡単に行くと返事したもんだ。喜ぶ母を乗せて峰山の曲がりくねった道をとっととっとと走ったが、 窓を開けて走っても寒くない。降りながらは、高松の町並みを見て母が感慨深げに言う。「高松が都会になってしもうた。」 「それもこれもあの戦争で町が全部焼けたから、、、」なるほど、この世代の人は直ぐそこに想いが行くんだなあ~と、感心したものだ。

 午後からはシャンソン教室。来週の発表会に向けてみんな緊張している。先日広島まで行った人の中には、 早速影響を受けている人も居るが、自分の事に反映させるにはまだ時間が浅い。さあ、どんな発表会になるのか。

 一度帰宅してから夕餉の準備を整えて、7時からはちぇちぃりぁの練習会場だ。今夜はその後、楽譜の打ち合わせがありいで、 さあすがに疲れた。しかし、こうして具体的に動いていくと段々実感も湧くというものだ。それにつれて心配事も湧いて出てくるのが当然で、 いつまでも話題が尽きない。しかし、流石に遅くなったので、と重い腰を上げたのだが、、、。これから12月の本番まで、 こうした日々の連続だろう。体力が持つか、、、。体重は持ちそうだが、、、。フ。

 

 

2007年2月18日 (日)

落語。

 日本の伝統芸能「落語」を今日は鑑賞してきた。今度我らと一緒にオペラをやって下さるK師匠とその兄弟子さんの落語は、 それぞれに面白かった。しかし、落語とはよく言った物だ。ホントに落ちるんだよねえ~。急転直下型の落ち方もあれば、 じわ~っと近付いてドンと落ちるのもあり、それぞれに面白い。ホントに伝統話芸なんだ。思いがけない展開に笑うこともあれば、 分かり切った展開でも笑えるのは、これが話術というもんだろう。

 今日はマラソンやら他の演劇などイベントが重なったせいか、観客が少なく気の毒だった。同行の会長とT氏は3人分くらい、 私で10人分くらい笑ったが、、、。帰る道々つくづく観客は多くないと盛り上がらないなあ~と話したのも、 みんな自分たちの公演の事を考えてのことだ。まったく、人集めが大変で大切だ。

 そのままN嬢を駅でピックアップして我が家でのレッスンになだれ込む。 夕飯の支度をしながらT氏と今回のオペラのプロットについて相談する。またしても今夜自分が何を食べたのかが分からない。 神経があっちこっちに行っていて、無意識に食べているのだった。これって、一番悪い食べ方なんだよねえ~。満腹感が全然無い。やれやれ。

 お三人さんを駅近辺までお送りして帰宅したら間もなくシンデレラタイム。宿題を置いて行かれたが、これっていつやるの? あたしゃ他にもやることが山のようにあるんだけど~。

 

2007年2月17日 (土)

広島小旅行。

 今朝は朝も早くから高速バスで広島だった。昨夜訳ありで完全な睡眠不足となっていたが、バスの中ではずいぶんと挽回出来た。 酔い止めを飲んでいたのでバスの振動は心地良いばかり。気が付けばトイレ休憩、又気が付けば目的地~ってな具合だった。 バスターミナルにあるデパートで時間をつぶし、広島に来たからにはと広島焼きを食べ、 本日の一番の目的のA女史のシャンソンリサイタルへとタクシーだ。雨の中、かなりの行列が出来ている。予想よりは結構若人が多いかな? 会場はほの暗くバーなんかが充実している、本格的シャンソニエスタイルの会場。ジャズやポップスなんかもよくライブが行われるらしい。 やがて始まった彼女のステージは素晴らしくパワフルで、トークもとっても面白く才能に溢れている。900曲ものレパートリーがあるというが、 どの曲も全部覚えていていつでも歌えると言うから凄い。一緒に行った友人Yに「あんた、1曲を半年もかけて覚える人、どうなの?」 と囁いたもんだ。「反省してます~!」と言いながら、あれは反省してないなきっと。ま、人ごとではない。

 歌ったのは全部で21曲。中でも私の目尻から熱いものが流れたのは、「帰りこぬ青春」という曲の時だった。歌詞もさることながら、 彼女の歌声に得も言われぬ情感がこもり、 過ぎ去った青春の時をさも愛しげに柔らかな大きな布でくるむように歌うのには自然に涙が溢れたものだ。誰にでもあった青春時代、 二度と取り返せない輝く日々を、時に激しく、時に静かな諦観をもって、彼女は声で描き切った。全くお見事!

 この人のお得意は歌の中でお芝居をすることだ。コミカルなものは特に上手い。これにはかなり天性の気性が働いているようだ。 そしてミュージカル畑で長い間活躍しているというキャリアもそれに磨きをかけただろう。観客を笑わせたり泣かせたり、 深刻にしたりゆったりさせたり、、、、自由自在に操っている。観客は操られる快感に酔う。 日本にいてなかなかこういう舞台にお目にかかることは少ない。

 では、欠点がないかというと、まるっきり無いわけではない。ある人が以前指摘したようにビブラートが多すぎるきらいはある。 それが気になり始めるととことん気になり、歌が楽しめない、とその人は言う。ま、確かにそれは在るかも知れないと、私も思う。 これは想像だが、年齢が高くなってくると支えが弱くなってきて、フレーズを伸ばすのに圧が足りなくなることから来ているのではないか? しかし、おそらくあれだけの大物になると、そういうことを指摘する人が居なくなるのだろう、とは思う。 他にも確かにいくつかの発声的な弱点を感じなくもない。しかし、これはテクニックの部分だが、「歌」というのはそう簡単なものではない。

 今日の彼女のリサイタルは、彼女の情熱とパワーと訴える力で、それらの全ての欠点を明らかにカバーしていた。明瞭な言葉、 しっかりした音程、自在に操る声の魅力が、聴く人の胸に大きな何かを注ぎ込んだ。、、、歌は、テクニックだけでは歌ではない。 再びこの人の歌を聴きたいと、多くの人が思っただろう今日のステージが、その歌の本質を物語っている。、、、歌って、 ホントに面白く難しいなあ~。

 同行のシャンソン教室のメンバー達4人共々口々に感想を述べ合いながらちょっと早めの夕食。それぞれに得る物があったようで、 わざわざ出かけた甲斐があったというものだ。一番の収穫は、全員が「感動した」という点だ。 この時ある人が言ったように年取ると段々感動しなくなるのは事実。 歌を歌うからには、心が動かなくてはいけない。で、 歳と共に心を動かすのにはそれなりの努力も必要になってくる。本を読む、絵を見る、歌を聴く、旅をする、映画や舞台、等々、、、。 今日はその意味でとても収穫があったということだ。

 岡山へ帰る人Mと高松組はバスの時刻が違うからじゃ又ね!と分かれてからよくよく時刻を見てみると、 誰かがすっかり勘違いしていて出発まで未だ大分間がある。待合室でバスを待っているとMと再会。「乗り遅れちゃった!」 と言うとっさの私のウソに驚くMを囲んでの大笑いに、狭くて満室の待合室が揺れたもんだ。ったく、群れをなすとみんな傍若無人になるもんだ。 明らかにやかましいなぁと迷惑顔のおじさんの前、今日もおばたりあん達は元気だったのだ!フフフ。

 帰りのバスでも爆睡。バスの旅ってラクチンで良かったなあ~。

2007年2月16日 (金)

なんでこうなるの?

 昨日は余りに疲れていたせいか、朝起きたら体中がイタイイタイ病になったみたいにきしんでいる。ピンポ~ンとチャイムが鳴るので、 起きて返事をしようとするがよろよろ状態で這っていると、誰だか知らないがぶ~っとばかり車で行ってしまった。

 そもそもなんでこんなに疲れたかと言うに、 まずは会議の為の部屋を使える用にするために出ていたお布団からベッドから片づけて掃いたり拭いたり大忙し。 なんで今日までやらなかったのか!と吾と我が身を責めながら汗びっしょりでやっちまった。朝からお天気が良くて家事日よりではあったが、、。 で、合間で仕事して(合間だ)お食事組のために料理もして、会議の事も考えて、、、、、さあ時間が来たら次々と人が現れて(当然だ) 自分はご飯がどこに入ったか分からない状態。ま、これさえあればとビール片手に我が家の会議室へ。「そんなの飲みながら出来るの?」 と友人からの暖かいご指摘に、「何の問題もないわ」とうそぶいて、実際飲みながらなんて初めてだったが、 朝からの労働に免じて許して貰うことに。

 会議には人数が多すぎるという感想も聞いたが、オペラを作っていく上で、みんなが気持ちを一つに持って行くのが大切で、 それには出来るだけ多くの人が立ち上げから関わっていることが必要なのではないか、と私は思う。 お仕着せや受け身オンリーでは自分の舞台から遠くなるばかりだ。 確かに決定事項に持って行くには意見があれこれ出てまとまりにくい点はあるが、それはあとからのフォローで何とかなるというものだ。 普段聞けない話もこういうところで聞けたりするものだ。

 

 で、今日だ。昨日の会議の残骸をすこしずつ片づけながら全員に流すメールの作成だ。 そうこうしている内にも母親を迎えに行き昼食を一緒に食べる。ところがその最中に事務機屋さんから電話が、、、、。 「壊れたコピー機の引き取りに伺います。」というものだった。さあ大変。いつの間にやら増えている荷物の山を片付けなくてはならない。 ご飯もそこそこにまたぞろ大掃除まがいのことをやる羽目に。で、またまた間が悪いことにその山のような荷物の中に「壁紙」 な~んてのがあって、ついそれを貼ってみようと思ってしまった。しかし、今夜は業界のパーティがあり、 7時にはOホテルに居なくてはならない。ま2時だから時間は十分ある、とふんで始めたが、母と親子漫才しながらの作業はとても楽しくて、 どんどんやる気になってしまい、、、というところで、「あん、紙が足りない!」ということに。さて、どうするか? 先日の駐車違反の罰金を払えというのが来ているので、それを入金に行くついでに「買おう!」と決める。で結局買ってきて、 殆ど貼ってしまった。とても気分が良くなってふと気が付くとぎょへっ!あと30分しかないじゃ~ん?、、5分でヘアーメークを整え、 着替えも済ませて母を送っていく。遅れ気味ではあったがまだ乾杯の前でホット胸をなでおろす。 こんな私でも同業の人たちみんなが声をかけてくれる。今度温泉一緒に行こうねえ~~と言われたのには曖昧なお返事を、、、、。

 実はこう見えてもあたしゃと~っても人見知りなんだ。特にこの手のパーティは苦手。でも、なんたって今年はオペラ年だ。 顔を売っておく必要がある。もうしっかり始まっているのだから。オペラは。

2007年2月15日 (木)

もうろう

 本日は完全に疲れ切った。こうなったら寝るしかない。会議というのは疲れるもんだ。

和太鼓。

 本日はFM,お初の人。和太鼓の主催者だが、尺八も吹くしダンスもやるらしい。りりしい青年と言った感じで、 奥様とも大学の和太鼓クラブでつきあいが始まったそうだ。日本国中を新婚旅行から始まり、 お子様連れの家族旅行までかなりの放浪を遊ばしているお方だ。 しかもそれだけに飽き足りず昨年はニュージーランドまで行き原住民の音楽と踊りを体験してきたらしい。 要するに土着のものにとても興味があり、あちこちに眠っているものを掘り起こすことに生き甲斐を感じている人だった。 ご夫婦揃ってワイルドな感じだ。なんとなく、我がちぇちぃりぁの新人ご夫婦を思い浮かべた。 この二家族はもしかしたら大変気が合うかも知れないなあ~。

 それにしても和太鼓のCDというのはご本人も言うように味気ないものだ。 ミキシングのO君が言うのにはマイクで拾える音には限界があり、体に感じるような波動は絶対CDには録れないのだそうだ。だから、 生に勝るものはない、と彼らお二人は意気投合。まあ、太鼓はよく分かるわなあ~。でも、私に言わせれば、声だってそうなんだ。 みんなCD聴いてあれが本物の声だと思ってる節があるが、実は相当違う。だからこそ、 口を酸っぱくして生の舞台を聴いて下さいと連呼しているのだ。

 しかし、尺八の音色はミキシング効果によってかなり面白くダイナミックに表現できていて、これはこれで楽しめた。だから、 初めから別物として鑑賞するとそれはそれで良いのだ。ふむふむ。

2007年2月13日 (火)

始まった!

  夕べ午前3時という時間までかかりようやく次回のオペラの中の1曲、おかしな二重唱に訳詞を付けたが、 最後の1ページとなったところで精力が尽き果てた。長い長いこのおもろい曲を、どう料理すれば観客に飽きさせずに聴いてもらえるか、 に焦点を絞り、普段決して使わない乱暴な言葉や、激しいやりとりを盛り込んだが、いちいち自分で歌いながらの作業は、ほ~んとに疲れた。 アリアと違って、重唱はかなりやっかいだ。対話方式をとらなくてはイケナイし、かといって音楽的にマッチしないのも困る。 ホントに最後は気が狂いそうだった。今日になって、ようやく全部完成したが、これがほんの一部なんだなあ~。 これから集中して台本を作りにかからなくてはイケナイ。なんか、出来るような気がしないなあ~。

 その台本制作の中で、演奏会が二つあり、暗譜もしなきゃあイケナイし、あれもこれもと数えだしたらぞ~っと寒気がするので、 いつもそこに蓋をして、適度な息抜きをしているのだが、その息抜きが逆にストレスになったりもする。そりゃあまあ、 やること忘れてったって完全には忘れられないわなあ~。 ということは息抜きなんかせずにやることやるのが一番精神衛生上は良いのかも知れない。、、、なんだかなあ~。

 

 今日は夫が島根にカニを食べに行き、何故かエビとサザエを買ってきたので、早速食べたがなかなか美味しかったなあ。 レッスン生もちょいとラッキーだったかも。全く海の幸とはよく言ったものだ。新鮮でぷりぷりしてて、大きな車エビは食べ応えがあったなあ。 大きいことは良いことだ!それおみっちゃんのこと~。

 食卓の話題は今回のオペラの内容のことがメイン。今のうちにみんなの頭の中にあるものを引っ張り出しておいて、 どっかに使いたいので、積極的にそちらの方に話を引っ張る。明後日の会議ではもっと沸騰するだろうが、、、。ああ、 その会議の準備もしなくては!!ちらいっ。ねむいっ。

2007年2月12日 (月)

「おかしみ」について。

 今日は母を連れて、好評に付き4日間のみのリバイバルだとのことでマキノ雅彦監督(津川雅彦)第1作めの映画を見てきた。 確かにおかしいが、頭もおかしくなりそ、、、、。

 芸達者ばかりの俳優のリアリティには感心したが、内容がねえ~。ハッキリ言って品がない。 祭日とあって結構な人が映画館に足を運んでいる。この作品はちょいとマニアックなものが好きそうな人が来てる感じだったが、 この手の笑いにはイマイチついて行けないおみっちゃんであった。そりゃあ一応笑ったけどねえ~。

 おかしいというのは、そりゃあ好きだわ。笑いの無い生活は全く味気ないし、時々笑わない人とかに出くわすと、 無性に笑わせたくなるんだねえ~。しかし、笑いにも種類がある。下ネタは特に扱われ方に好みがある。 この映画のように前編これ下ネタというのはねえ~。、、、と想いつつ、、、今思い出すのは妙におかしい主役の死に顔だったりするから、 確かに力作だったんだろう。発想は確かに面白い。副題に「罰が当たるほど面白い」と書いてあったのも確かに。だけどイヤなものはイヤなんだ。 、、変な映画。母はどう思ったのか、、、?そういえば、感想を聞いてなかったなあ。ハハハ。

2007年2月11日 (日)

野菜って良いなあ。

  今日はたっぷりの野菜が届き、体に優しい夕食を時間をかけて沢山作った。野菜ってなかなか面倒なんだよねえ。 下ごしらえも大変だし、注意を怠ると直ぐ焦げたり煮すぎたりと、気が抜けない。そして食べてしまえばあっという間。 男二人と私でお腹いっぱい食べ、それでもまだ余るほど頂いたので、本日レッスンに来た人たちに少しお裾分け。 関東の人もまん葉を食べるらしい。

 青々とした野菜を眺めながら食事を作るというのは目の保養にもなる。予防をしていない無農薬野菜だが、きれいに作ってある。 きっと手入れも大変なんだろうに~ありがたいなあ。

 すると夜になって再び野菜を頂いた。別物ではあったが今日は全く野菜デーだ。これまたきれいな大根とカブ。さあ、 明日はこれをどう料理しようかなあ~。友人Yがカブ料理の美味しい作り方を知ってると言ってたから、早速明日は聞いてみよう。 毎日こんなのばかり食べてたら健康で居られるんだろうになあ~。

 明日は夫はカニ三昧の旅に行くそうだ。このところアレルギーだったはずのカニが食べられるようになって、 今までの何十年かを取り戻すんだそうだ。カニは別にっていう私はふ~ん、てな感じで聞いてるが世の中にはカニ好きが多いんだよなあ。 そう言えばYも妹さん家族共々三陸かどっかまで一人3バイ半食べさせるという旅に行くんだそうだ。ま、人それぞれだ。、、 あたしゃ一体何があれば良いんだろう?と考えてみると、美味しければ何でも良いんだなあこれが!どうしてもあれが食べたいっていう、 食材に対する執着がない。これって、ファン(夢中になると言う意味の)と呼べるほどの映画スターや役者、音楽家が居ないのとおんなじか? 好きになると写真やなんかを集めたり追っかけしたりするんだそうだが、どうもその気持ちがいまいち分からない。若い頃、 ジュリーが大好きだったが、のめり込むほどでもなかったしなあ~。、、、どっちが幸せなのか?

 

 レッスンを受けている人の声が階下にいるとよく聞こえてくるのだが、声というのはホントに面白いものだ。共通しているのは、 過去に経験がある人は苦戦していて、そうでない人は伸び伸びと声を出しているらしいことだ。

 結局人は経験によって知り得たことを良い状態でそのままキープ出来ないのではないか? もっともそれが安直に出来たらこの世の中は天才だらけになっていただろう。大海原で突然船頭が居なくなった船上の人のように、「こっちだ」 と思って進んでいても違う方向に行ってみたり、時にはバックしていても本人は気づかないのだろう。

 レッスンを受ける中では、いつも平らな心で居ることは難しい。自分の中の「傲慢」や「プライド」や「ジェラシー」 などと戦わなくてはならない。しかし、そこを乗り越えて完全な「受容」の気持ちになれたとき、その時こそが伸びる時だ。「歌うこと」は 「人生」そのものだ。

2007年2月10日 (土)

卓球。

 今朝は寝坊して、その後ろめたさから洗濯はじめ家事万端をせっせせっせとやっつけて、仕事もして、お歌のレッスンも受け、 夕方まで全く休む暇無く頑張った。でもってトドメは卓球だ。 ちぇちのメンバーに一応声をかけたがそれぞれに連休に予定のある人や転んで怪我してる人や、初めから興味のない人などで、 残ったのは会長とアチクシただ二人。およよ~ん、どうすんべえ、と言いつつしっかり運動靴でそれようの準備をしてきている会長は、 体調がいまいちで吐き気がすると宣われた昼間とはうって変わって、行く気満々。しゃあないなあ、 一丁揉んで差し上げましょうと出かけたもんだ。、、が、正直力は互角。途中から球拾いが大変でない方と代わって差し上げたが、 それでも1時間が限度だった。二人とも汗びっしょり。卓球大会が卓球小会になり二人でしょうかいとなった、記念すべき本日であった。しかし、 これは絶対みんなでやったら面白いよなあ~。第一球拾いが少なくて済む。な~んてね。

 まあしかし、眠いの何のって、、、。早々とお風呂に入って、今日ばかりは何が何でも今日中に眠りたいおみっちゃんであった。

2007年2月 9日 (金)

ピアノの世界。

 生涯学習ということで、ピアノのお勉強をしてきた。ピアニストの演奏を織り交ぜながらのとても良い講義で、 頑張って行く気になっているので、ついにあと1回というところまで通い詰めた。今日はロマン派の作曲家の中でもシューマンやリスト、 メンデルスゾーン、ブラームスのことが中心だったが、それぞれの人生もなかなかに面白いもんだ。全員が天才と呼ばれる人だけあって、 やることが破天荒というか、普通ではない。シューマンなんかはついに精神病院でその生涯を終えたというから半端ではない。「積極的で明るい」 という意味の名前と、「消極的で思慮深い」という意味の名前二つの名前で作曲したというが、それは自分の中の二面性でもあろうか。

 又、メンデルスゾーンの父親の言葉というのが資料に載っていてとても印象深かった。「神は存在するのだろうか。 神とは何なのだろうか。我々の自己の一部は永遠であり、他の部分が消滅した後も生き続けられるのだろうか。それならどこに?どのようにして? すべて私には分からない。だから、それについて私はお前に何も教えなかった。しかし私が知っているのは、私やお前や、全ての人間の中に、善、 真理、正義、および良心を永遠に求める傾向があり、われわれが道を踏み外したとき、われわれに警告し、導いてくれるということだ。 私はそれを信じ、その信念の中で生きている。そしてそれが私の宗教なのだ。」、、、今の私の宗教観にあまりにもぴったりだったので、 ここに記録しておこうと思う。このメンデルスゾーンにしてからが、あの真夏の夜の夢を作曲したのが16才だったというから恐れ入る。しかし、 このファミリーがユダヤ人だったということから来る過小評価が今頃になってようやく解かれ始めたという話は、 昨日の映画に続き連日の私の思考のテーマになった。本当に人間は愚かだなあ。しかしその愚かさを知るのも人間だ。

 後で友人とお茶をしたが、彼女は最近絵を描くのに夢中で、色々と楽しい話をしてくれる。毎週絵画教室に通っちゃあ、 無口な先生にあれこれ言っては困らせているとか、いくら先生が筆を入れてくれても元々が自分のものだから直ぐに飽きるんだそうだ。 これは短歌の世界と同じだとつくづく思ったことだ。

 彼女が言うには、何も知らないから先生の言うことは毛穴を広げて聞いているし、吸い取っていると言う。ところが、 少し経験のある人は、そうも行かないらしく、何かと反抗的だったり、先生も扱いかねているようだと、、、 そこでの人間模様を描写してくれてそれも面白かった。二人で今日の講座の感想を話したが、ピアニストが達者で、トークも楽しく、 贅沢な講座だなあ。次も行きたいなあ~であった。確かにあたしゃ今日の演奏の中で「愛の夢」という曲に泣いたもんなあ~。 受講生が少なくて気の毒だしもったいないと思ったなあ。

2007年2月 8日 (木)

勘違い。

 今日は一人で昨日の続きのつもりのスポーツジムだ。丁度「ポールストレッチ」という教室が始まるところで、 全くの初心でもオーケーと言われて入ってみた。30分のストレッチは、思ったよりきつくなく、むしろ肩こりやら、背骨の違和感が消え、 途中では眠くなって、隣の人のいびきでギョッとしたり、、、ホントに眠っちゃう人居るんだ~。

 続いて、昨日はやりたかったが友人に遠慮して出来なかった自転車をやることに。テレビをつけると偶然イタリア映画をやっていて、 戦争の中での親子の情愛を描いたものだった。以前観たことがあるのに途中からだし、タイトルは全く思い出せない。 小さな男の子共々ナチに連行されたユダヤの男性が、これはゲームだと子供に言い聞かせ、一等賞を取ると戦車がもらえるというウソをつく。 いろんな事を我慢しないと点数をもらえないと、おやつもなにもかも我慢させる。 段々点数を上げてあと一息で戦車だという最後のウソをついてブリキのボックスの中に子供を隠す。外に誰もいなくなるまでここを出るなと、 これが最後の我慢だと言い、信じ切った子供が小さな窓から見ている方にわざとおどけながらウインクをして兵士に連行されていく。 それが父と子の最後だった。直後に銃殺された父親の姿をその子が見ることはなかった。 約束を守った子供が外に出たところにアメリカ軍の戦車がやってきて、驚喜する子供を乗せて捕虜の群れの中を進んでいく。 そこに母親を見つけてようやくその子は母の胸に抱かれる、、、というお話。全くの荒唐無稽の話のようで、不思議と最後はたっぷり泣かせる。 制限時間ぎりぎりまで見て、涙をタオルで拭きながらそこを出ようとすると、先ほどのストレッチの先生が「お疲れ様でした」と声をかけてくる。 「今日は初めてなさったのに、とってもお上手でしたねえ。きれいに決まっていましたよお~」とのぞき込まれて「そうですかあ?」 と答えながらも涙を拭いている。その先生どうやら何か勘違いされたようで、なおも後から後から「お上手」を言ってくれる。 ほうほうの体でその場から逃げ出して、お風呂。いやはやいやはや。お陰で今日はたっぷりのジムだった。 高松駅と我が家を自転車で往復したほどの時間だったなあ!

2007年2月 7日 (水)

晴れ

 ほぼ2ヶ月ぶりに友人Kとスポーツジムに行く。出かけたのが9時を過ぎていたので、付いたら直ぐ15分のこの日最後の教室 「下半身引き締め運動」なるものに入ることが出来た。簡単なストレッチのようで、たった15分ながら汗も出れば、膝も痛い。 その後プールでゴジラのごとく水中を歩いて回る。久しぶりだから早めにやめようというKに素直に従って、あとはお風呂だ。 たかだか1時間半しかこの建物に居なかったが、薄着で外に出るとホントに気持ちが良い。全然寒くないのだ。 ぽっかぽっかしている体が急に軽くなったような気がする。別な友人がせっせせっせとほぼ毎日通い、 かなりおやせになっているのを見て奮起したのだが~?Kと二人で話す内容は病気の事ばかり。身近に亡くなる人が増えてきて、 どうやら半径が小さくなってきている感じ。「いずれ我が身」が、「間もなく我が身」に変わりつつあるのか? 今日も遠縁の人が62才で逝かれたそうだ。 

 それにしても、暖かいな~。

 

2007年2月 6日 (火)

評論

 オペラネットワークにある書き込みがあり、その内容は、あるオペラ団体(A)の公演後に(B)という評論家が「評論」 をある著名な雑誌に載せたのが、内容がけしからんという意味のものであった。それは「評論」ではなく、「ただ自分の価値観を押しつけたもの」 に過ぎないという。

 その書き込みに対して、いくつかの反応がネット上で交わされたが、大きく広がることは無かった。これは私のように 「うっかり首をつっこむと碌なことにはならないぞ」と傍観者を決め込んでいた人など、 こういう場所での発言には慎重な人が多かったということだろうか。

 相手が見えないというこのネットの媒体による討論は、私自身かなりやばい気がしている。書き手の表現力や、読み手の判断力など、 食い違うことも多いだろうし、事務的な事以外に感情的なことを載せるのは、かなり勇気が要ることだ。今回も結局はある人からの指摘で 「舞台表現者は筆で語らず舞台で語るべき」という落ちで提言者(告発者)は矛を収めたようだ。

 確かに舞台というものは、小説や絵画と同じで、いったん社会に出てしまえば、その評価は他人のものになってしまう。 どう解釈されようと、どう批評されようと、それは致し方がないのだ。その舞台に好意的な人もいればそうでない人もいて、 それが社会というものだ。そして、そのどちらの人も、舞台の人たちには「必要な人」なのだ。まあ、彼が怒りをあらわにしたのは、「公平」 を旨とすべき「評論家」の偏った意見に対するものではあったが、、、。しかし、こういう人の「意見」もある意味必要なのではないか?いや、 世の中には「??」という評論がお仕事の人も居るけどねえ~。、、てなことで、同情したり、同調したり、 どうどうめぐりのおみっちゃんであった~。まる。

 

 今日も、きもちわる~いあったかさだったなあ~。そういえば地震もあったらしい!(>_<)

 

2007年2月 5日 (月)

「詩」というもの。

冴ゆる空三日月の先は尖りゐて女に手頃な刃のやうだ take

 上記の短歌を読んだ人はどう思うのだろうか?多くの人は何を感じるのだろうか?私はこれを最初に読んだとき、 身内をぞくぞくっとしたものが走ったのを思い出す。まず来るのが「美しさ」だ。そしてそこに「女の香り」を感じる。届かぬ「月」 をどう描こうと、それは所詮イマジネーションの世界の事だ。うつしみの事を生々しく描くよりも、現実味は無いが、 だからこそ秘められた心模様が、ある魅力を持って読む人に迫ってくる。こんな事考える女性と付き合ってみたいと、、、 そう思う男性は多いのか少ないのか?私が男なら、その女らしさと可愛らしさにとろけるけどなあ~。ご本人の承諾を得て、ここに記載したのは、 このところ、「詩」というものをつくづく考えているからだ。

 昼間のシャンソン教室で、それぞれの歌を聴きながら、「上手い歌」とはどういう歌だろう?「良い歌」とは? と考えながら指導していて、「詩」が如何に「生活」から遊離して独特の世界を持っているか、ということに想いが至った。たとえば、 「あ~なた~の燃える手で、あたし~を抱きしめて~、、、」という「愛の賛歌」。日常語としてなら全ての「~」は取ってしゃべるだろう。 そこにリズムが付くということは、それが「詩」であるということだ。「雪が降る、、、、、、、。あなたは来ない、、、、、、。」という曲も、 この「間」というものに「詩」が感じられなくては、音楽の魂が消えてしまう。要するに、語られない部分にこそ、大切なものがあるのが「詩」 なのだ。聴く人のイマジネーションを掻き立てるのが上手い歌で、良い歌なのではないか? 歌い手が描く世界に聴く人も入って行けなければそれはただの「歌」だ。もう一度あの短歌を見てみよう。

 

 冴ゆる空三日月の先は尖りゐて女に手頃な刃のやうだ take

 

 リズムといい、表現といい、短歌の基本を踏襲しつつ新鮮で、、、そう、思わせぶりでもある。ついニヤリとしてしまう。4. 5句の表現は実に「お見事!」

 いつになったらこんなのが作れるようになるのか、、、。ほとんどの芸術と同じで、先天性の「感性」の量が問題だ。

 

 声楽の個人レッスンの中で、I先生がよく言われる事。「S・Hさん。僕はあなたにリズムだ音程だ発声だということは教えられるが、 どうしても教えられないものがある。それは歌心、と呼べるものかも知れない。あなたにはそれが最初から備わっている。」そうなのだ。 彼女にはホントに歌心がある。聴く人を惹きつける力がある。しかし、それもレッスンの中でこそ磨かれてきたと思う。、、、てえことは、 短歌だって、作り続けて居るうちに何とかなるかも知れない。、、、かな?

2007年2月 4日 (日)

ミュージカル公演、本番。

 本日は劇団の裏方聡取り締まり。といえば聞こえは良いが、お手伝いの親分ってとこだ。若い衆が10人ほど手伝いに回り、 実際良く言うことを聞いてくれて、良く動いてくれた。素直ないいこばかりで、我が身を惜しまずやってくれた。お陰で私は受付に専念できたが、 それでも午前8時半入りの夕方5時半はけはちかれたび~。S嬢の運転する車の中で知らない間に居眠っていたなあ。 彼らの打ち上げはな~んと午後8時からだという。全くエネルギーが有り余っているのか!?きっとそれに参加したら、」 この日記をつける気力は無くなっているだろうから、今のうちだ。

 今日の公演はキャパ640席のホールが満杯で、補助椅子を相当出した程の立ち見状態。団員がよく頑張って売ったんだろう。 帰る観客のお顔というものが気になるところだが、みんな良いお顔をしてらした所をみると今日は成功したのだろう。中には「楽しかったですよ」 と声をかけてお帰りになる方もあり、協力隊としても嬉しい限りだ。外回りをしていると本番が見られないというデメリットがある。 想像するしかないのだ。

 いつも思うことだが、この「裏」の仕事。出演しか経験の無い人には是非体験して貰いたい。神経を使い、体力を使い、 出演者との一体感でもって責務を果たすというこの大仕事。この人達の支え無くしては公演の成功は無いということを、 しっかり理解してほしいものだ。その心配りが舞台をさらに輝かせるのだ。、、、もちろんオペラの公演もしかり。

 今日は、以前からの顔見知りのお客様や、関係者などと笑顔を交わせたのは一つの収穫。私のタップを見てくれたはずの人も来ているし、 ある意味私にとって古巣のようなこの劇団だから、単なる受付ではないのだ。そして、これからも私を応援してくれるはずの人も、、、。 ありがたいことだ。

 さて、これから打ち上げにとお迎えが来るなあ。この疲れたお体を引きずって行くとするか。ムムム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007年2月 3日 (土)

おひさ~。

 いやあ、新しくなった日記。書き込む字もでっかくて、画面もちょいと違ってて、ふむふむ、、、。 聞いたはずの説明がどっかに消えちまって、今日も悪戦苦闘の上、ようやくここにたどり着いたという次第。字を打ちながら、 旨く行くかどうかドキドキ。気分も新に、みっちゃんは行く~、ってね。

 ほとんど1年中書いている日記が途絶えたには、もう一つ訳がある。とある遊園地がメンテナンス中で、 付属のホテルが格安~だったのだ。ネットとはこの様に便利なものである。でもって即決で1泊の小旅行。これが又、 まるで我々を優しく迎えてくれるかのように雪のそぞろ降る珍しい天候。山々は既に銀色。車道もうっすらと白く彩られ、 タイヤの後がつくほどに。部屋も申し分無い清潔な広さ。テラスからは映画「うどん」のあの山が美しい姿に佇み、 讃岐平野にその裾野を広げているのが正面に見える。期待の温泉も思ったほど大きくはないが、ほとんど貸し切り状態のこの日は結構な広さで、 お湯の質も上々。フルコースの和食もこの私が食べきれないほどで、まあ8割は美味しいと感じた。 翌朝11時チェックアウトもゆっくりで良かったし~。「こんなにすいててもったいないな~」とは母の弁。それを聴きながら、 次は友人達と来ようと決意していた友人想いのおみっちゃんであった。

 でもって、この小旅行から帰ってFM2本録り。その予定を聞いた母があきれ顔。「まあ、ホントに忙しいねえ~」いやはや、 全くその通り。だが、これも私の宿命だ。、、、しかし、この日の収録はなかなかに楽しかった。 演奏会を控えているピアニストSさんをお迎えしたが、彼女のバイタリティには驚かされた。 その小さな体のどこにそんな力が潜んでいるんだろうと、つくずく眺めながらお話を伺った。大体ピアノの世界のことは知らないので、 何もかもが珍しく面白いと言うこともある。1曲が40分もある曲を完全に暗譜して、自分の思いで弾いていくというのは、全く凄いことだ。 たかだか3,4分の歌曲を暗譜するのにひいひい言ってるどこかの誰かとは大違いだ。いや~、反省。「舞台」にあがるのは、 たとえば大きな海に飛び込むような、たとえば高い崖から飛び降りるような、あるいは冷たい滝壺に入るような、ある種の覚悟と踏ん切りが要る。 歳を取っていくと、段々そういうものから逃げ出したくなるのが普通だ。しかし、彼女は違う。 その柔和なお顔に不似合いなほどの凛々しさが唇に、その瞳に宿る。人生の苦悩の時に音楽が救ってくれた、と、 残りの人生全てをピアノにかけると、その人はきっぱりと言った。

 明日は劇団の裏方だ。早起きなんだなあ、これが。く~っ。

 

 

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »