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2006年11月 8日 (水)

「お光」その3。

 3度目の正直で、本日はようやくスポーツらしいスポーツに取り組んだ。身体を調整しておかないと、なんだか、ずるずる何も出来なくなりそうな嫌な感じがあるからだ。しかもこれから先びっちり予定が詰まっていて、行けそうにないから今の内という思いもある。友人が「行こうよ〜」と誘いに来たとき、あたしゃ、Sさんが届けてくれた「千の風になって」の特集番組ビデオを見ながらしっかり泣きはらした顔をしていたのだ。ある女優が父親の死を乗り越えられずにいて、この歌に関わる色んな人に会うために世界を旅するという番組だった。その中で、日本人の作曲した物を英語で歌ってるアメリカ人女性に会い感動的な時間を持つのだが、その時その歌手は「悲しみは天からのプレゼントなのよ」と告げたのが私の心にズシンと来た。この中嶋啓江みたいな体格の人は全く芸術家らしい感性を持ち、素晴らしく豊かな感情線を持っている人だった。日本から貰ってきたという桜が、母親を亡くして生きる元気がすっかりなくなっていたとき、10月から次の年の春まで雪の中にも花を咲かせ続けたというのだ。しっかりその証拠写真まである不思議なお話。「悲しくなければ、私はこの花の存在に気付かなかったでしょう。」

 「お光」の作品の脚本家であり今回の演出家ゆい・きょうじという人が、当日のパンフに次のような文章を載せている。以下概略を残しておこう。
、、、、「殺す気は無かった」と弁明するそばから人間が死んで行く。、、、、情報の中で死は、どんどん免疫になっていく。あの戦争の時でも、今ほどの人命軽視はなかったのではないか。、、、、否、小さな子供程バーチャルの世界で死を見慣れていて、殺すことに罪悪感が無いと言われる。この恐ろしき深淵の邪悪は、さらに繁殖し、現代を席巻するだろう。抑止など出来ようかと、不安に茫漠とした朝、白い鶴が舞い降りる夢を見た。


 この白い鶴こそ、お光だったのだ。

 死というものに対峙する姿勢が、色々あるなあ。

 

 

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