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2006年11月

2006年11月30日 (木)

録りだめ。

 年末の放送分をただいま必死で録りだめている。しかし、帰りになって局のお方が釘を刺す。「年末だってことばっかし考えてると、すぐお正月がきますからねえ〜。今からお正月分も考えといてくださいよ〜。」だって。やっぱ、つきあいが長くなってくるとこの私の性格も読めてくるんだなあ、きっと。「わかってます!」と言いながら、頭の中でうなっている私。だって、帰国したらすぐに暮れに突入だ。お正月第1弾は、そりゃあ、年末に録る必要があるわなあ〜。でもなあ、無事帰国できるかどうか、、、。今夜もイギリスの航空機の中から放射性物質が発見されたというし、ヨーロッパが今やばいよなあ〜。
、、、っていうことは、やっぱり年内に録りだめしておかなくてはねえ〜^。ふ〜っ。


 ところで、今日のゲストは若いソプラノ歌手で、本人は口べたで、、なんて謙遜するが、なかなかにお話上手な人。頭の回転も良く、どこへ飛ぶか分からない私の質問にもしっかり答えてくれる。思考回路もユニークで、オペラの女性主人公の考え方にはついて行けません。ときっぱり。自分が作るんだったら、自分が最後まで残る役をやると思います、てえのは、大変おもしろかった。ハハハ。

 

 

2006年11月29日 (水)

本日もみっちゃんはお疲れ〜なのら。

 FMのあと、ゲストと飲みにというか食べにというか喋りに行った。なんと、7時前から11時過ぎまで、およそ4時間くっちゃべったことになる。ワタクシの本日のアルコール摂取量内訳は、日本酒熱燗で2合、生中1杯、ライム酎ハイ2杯とうう、結構なもの。でも、全然酔えなかったのは、会話の内容があまりにシビアなもので、軽く受け流す類のものではなかったことにその理由がある。「本音で話すことの重要さ」歳とともにだんだん聞けなくなる本音。さて、幾らかでもお役に立ったかなあ〜。

 

 

2006年11月28日 (火)

あ〜疲れた!

 パソコンの入れ替えがようやく終わった。それに付随してガタガタあちこち調整が必要で、完成まで、ほんとに一日中かかった。おまけに夫のパソコンに連動してるもんだから、そっちまでおかしくなった。おまけに、夫が先日からダビングしているDVDのファイナラィズが何らかの原因でストップ。これらをすべて、本日レッスンを受けるために現れたM君が修理や調整をしてくれたものだ。いやあ〜、ほんとに彼の顔がお釈迦様に見えたなあ〜、、、って、これって、どっかで聞いた様な見た様なせりふ、、、?
 なにはともあれ、すべて完了。やれやれ。機械音痴の我らが夫婦にとっては、ほんに疲れる時間だったわいなあ〜。
 、、、しかし、実をいうと、その半分はコンセントを抜きさししただけ!困ったときはリセットだ。人間関係もそうかもしれない。なあ〜。

 

 

2006年11月27日 (月)

過密スケジュール。

 朝シェイクスピア、昼食会、シャンソン、パソコン修理、夜ちぇち練、、、で、へとへと。日記も書けず、お風呂さえ入らずにバタンキュウー。、、、いつものことだが、寝すぎると、余計眠いという不思議。ただいま午前中の来客予約前にあくびしながらぽそぽそこうして打っているのだ。

 外はまったく久しぶりの快晴。パリ行きの日もこうだと良いが、、、。昨日のシェイクスピアでは誕生日に死ぬ運命にある自分のことについてキャッシォーは言う。「俺が一生を始めた日に一生を終わろうとしている。」
これって、来月12月12日わが旅立ちの日がわが誕生日というのになんとなく符合していてブッキー〜。まあ、すべては運命だ。

 

 

2006年11月26日 (日)

男という人種。

 来店されたお客様Sさんの娘さんが初めての出産を無事終えられたそうだ。そのお家にとっても初めての孫。退院してきた親子は二間続きの8畳間にお休みに。するとその家の主、すなわちSさんの夫は、遠くから眺めて、側へも寄らないので、Sさんが「お父さん、もっと近くで見たらどう?」と言うと、「いやいや、ばい菌や埃が付くかもしれん。」と決して側に近寄らないという。2,3日経ってお風呂上がりに娘さんが用事で側を離れた時、Sさんが赤ちゃんの身体を拭いていると我慢しきれなくなったのか、さささっと近寄ってきて、「おお〜!大きい立派なのが付いとる!」とだけ言って又してもさささっと引き上げたんだそうな。もうSさんはおかしくておかしくて、、、男の人は分かりません、と言う。それだけではなくて、3時間おきに起こされてはおっぱいを飲ませてる娘さんを見て、大層身体を気遣い、「気を付けろ、身体を大切に、美味しいものをお母さんに作ってもらえ、、、、」等と言った挙げ句Sさんに向かって、「お前も寝ずに面倒みたんか?」と訊いたそうな。3人も子供を育てたSさん。あまりの言いぐさにあっけにとられ、怒るよりも先に笑いが出たんだそうだ。その後で「いい加減にしてよ!当たり前でしょ!」と絶叫したんだそうだが、、、。ハハハ。今までゴミを出すのをたまに頼むのも気後れがし、無愛想な返事に「次からはもう頼むもんか」とまで思うこともあったのが、「おい、ゴミがあるんなら持ってくぞ」と夫から声をかけられたときは我が耳を疑ったそうな。相当亭主関白なお家らしい。いやあ、家の中に子供が生まれるというのは、家族にとってホントに事件なのだ。あかちゃんはみんなを幸せな気持ちにしてくれる、小さなダイヤモンドだ。、、、、こうした気持ちがず〜っと続く事を祈りたいなあ。

 今日もテレビでは、子供の虐待、殺人が話題になっていたなあ、、、。

 

 

2006年11月25日 (土)

いじめ。

 このところ、随分マスコミやなんかでいじめが話題になっている。おそらく1ヶ月も経たない内に又ぞろ別な話題にアリのように集るやからだろうに、取りあえず今のところはこの話題で持ちきりだ。その影響たるや、日々の当店の来客の話題にも顕著に表れている。今日も今日とて、小学校の先生が来られたのもあり、その話題が一番比重が重かったなあ。一番心配になったのは、以前はもの凄く教職を愛して、楽しげな先生だったのが、この所、ストレスが多くて、スポーツジムさえ行きたくない、行けないという状態らしいこと。所謂お上からの「指令」によてって、学校のトップが動かされ、一戦の兵士達が、自分の考えとは違う方向へと強制されていくというストレスに加え、子供の親たちからの圧力。これは、相当先生方を苦しめているようだ。

 昨日の爆笑問題の番組で、「いじめを無くすスローガンを無くそう」というマニフェストが可決(?)されたが、この結論が出るまでの過程は、なかなかに面白かった。
 そのスローガンの為に、全てのいじめが地下に潜ってしまい、その結果、対処出来ない所まで行ってしまい、対策が遅れる、という点。それと、いじめは人間らしさの表れであり、いじめられる人は、他の人より個性が強く、その個性を無くそうとするようなスローガンはそれ自体ナンセンスなのだ、という意見。弱い子に強くなれと言っても、それは無理だし、弱い子を弱いまま認め、「弱くても良いんだよ」という世の中を作るべき。ということなど、それぞれ説得力があった。
 確かに、人間には「差別感」はあるし、その結果「いじめの感情」も生まれる。その、いじめる側の人間にも、「いじめ」は色んな事を教える。

 昔、中学生の頃、私のクラスに、とても性格のひねくれた女の子がいた。誰彼かまわず、クラスメイトの悪口を、在ること無いこと言いふらす。今思えば、家庭に問題があった子だった。ある日、私と友人がたまたまテストの時にその子のカンニングペーパーを拾った。これは良いチャンスとばかり、それを息せき切って担任のK先生に持って行き、先生に罰して欲しいと頼んだものだ。そうすることで、きっと彼女も反省して、人に優しくなるだろう、という正義感からだった。
 ところが、それから何日経っても、K先生は一向に彼女を呼び出す風でもなく、授業に来ても何事もなかったかのように振る舞う。私とその友人とは、我慢しきれずK先生に抗議に出かけた。「先生、なんであの事をみんなの前で言うとか、あの人を呼び出して注意するとかしてくれないんですか!?」と詰め寄ったのだ。ところがその先生は「そんなことはどっちでも良い。先生に任せたんだろう!?それよりお前達は自分達の勉強のことを考えろ!」と一喝されてちょん。納得は出来なかったものの、二人ともどこかで、ホッとしていたのも事実。それ以来、その事はいつの間にか消えてしまったが、今想い出すと、あのK先生は良い先生だった。もしあの時、我々の言う通りに先生が動いていたら、瞬間は溜飲が下りただろうが、きっと後で苦々しい思いがしたことだろう。もしかしたら、一生その事が自分の汚点として記憶されたかも知れない。、、、だから、思うのだ。いじめてる子達だって、それなりに学習しているんだと。
 わが子がいじめにあっていた事も想い出すが、それだって、子供達の性格の形成上必要だったのではないかと思える。いじめは大人社会にも必ずあるのだから、、、。
 では、一体何が大切なのか。それは一番は家庭ではないか、と私は思う。豊かな愛情の中で、子供達を守り抜くのは家庭だと思う。「生きる」ことの大変さも素晴らしさも、家庭で教えるべきではないか。確かに学校も無関係ではないだろうが、先生には限界がある。我が家でたった二人の子供達を見守るのも大変だったのに、40人もいる子供達に目を配り、同じようにやれというのは酷な気がする。
 たまたま、あとから店にやって来た友人とその話をしたが、彼女の意見も、「家庭だと思う。」の一言だった。だからこそ、結婚は大切で、作った家庭は責任を持って子育てをすべきなのだ、と意見が一致した。親の子殺しや虐待なんてことが頻繁に起きる世の中は完全に狂ってるとしか言いようがない。、、、ああ、憂えるなあ〜。

 

 

2006年11月24日 (金)

秋の収穫。

 我が家の猫の額の裏庭に、今年もたわわに柿の実がなった。先週くらいから気になっていて、早く収穫しなくっちゃあ〜と思っていたら雨だったりして、とうとう今日になってしまった。ところが今年は矢張り未だ本格的な秋ではないのか。実は大きくて、数も多いが、カラスの餌食になってるのは数個くらいで、あとはもう一息の熟れ具合。でも折角高いところに頑張って登ったんだから、といけそうなのは収穫した。で、下から司令官婆さんがあの木も切れ、あっちも、こっちもとうるさいので、えいっとばかり、のこぎりで、お隣の物置の屋根にに被さっていた枝を切ったが、直径5,6センチもあり、小さなのこぎりではホントに息が切れた。明日は間違いなく筋肉痛だろう。しかし、ケッコウ甘くて美味しい柿なのだ。年齢と共に美味しい実をならせるのは良いことだ。何事も若けりゃ良いってもんじゃあない。年を取ればそれだけ味があるものが生まれてくるんだ。

 今現在、娘とお姑さんご夫婦は海外だ。娘から、「持ってこい」メールの長いのが届く。中華スープの素とか、うどんとか、食に関するものばかり。ユーロが高くて、外食は極力控えているんんだそうだ。しかし、毎日充実してるらしいのは文面から分かる。

 さあ、寝ましょ。

 

 

2006年11月23日 (木)

「オセロー」

 本日は平幹二郎親子によるオセローの観劇だった。息子の方がイヤーゴをやるというので、興味津々だったが、なかなかに悪役を好演していた。しかし、父親と比べると、気の毒だがまだまだ青二才という感じは否めない。台詞回しや芝居の間に余裕がない。その点父親は貫禄だし、集中力が違った。二人とも良い声をしている。しかし、見終わった後オペラ「オテッロ」の方が勝っているなあ、と感じたし、もっと言えば、「映画」の方が良かったなあ。、、、これは大変珍しいことだ。大体生の芝居の方に軍配が上がることが多いのだが、この作品に限っては、映像でオセローの苦悩の表情を見せてくれた方が迫力があった。又、オペラは、デズデモーナの「柳の歌」のように、音楽の力による悲しみの表現が、芝居よりもうんと強いと思った。まあ、シェイクスピアの作品がこうして色んなものに形を変えて歴史の中に残っていくのは、作品に力があるからだろう。

 しかし、人の心とは自分がコントロールしているようで、実は、周辺からの影響を受けていることが多い。特に、人を見る目、というのが良く言われるが、これほど当てにならないものもない。「内面と外面」が違うというのが人間の本質ならば、一体人は何に頼ってその人を判断するんだろう。「思いこみ」や「憶測」で「勝手な決めつけ」をしているのが通常かも知れない。

 生きてる限り、人間は間違うのだ。

 

 

2006年11月22日 (水)

今日のことは今日の内に、、、。

 全く、明日は出来るだろうなんて事考えてると、あっという間にその明日も過ぎてしまって、時間が私を侵略していく。この日記も、一昨日は、母を深夜にお風呂に連れ出したため眠くて眠くて、ま、明日があるさとばかりさぼったら、その明日が、又、ムチャクチャ多忙で、日記どころの騒ぎじゃない。結局帰宅も午前様。又ぞろ日記手つかず状態。確かに、先人が言う通り、今日のことは今日やっとくべきなんだ。反省。

 昨日は海を渡り、あるイヴェントに参加した。ちょいとした影アナやら照明やらをお手伝いさせて貰ったのだが、もう一つ、高校生の女の子に影アナの指導をするというお仕事も頂き、自分も高校時代に放送部であれこれやっていたことを想い出し、懐かしかったものだ。しかし、若いというのはそれだけで価値がある。最初は校長先生の前で舞い上がっていた少女Aも、その先生の「アンタは声も良いし、ルックスも言いし、頭も良いからなあ。自信を持ってやるんだよ」という暖かいジョークに励まされて「ハイ、頑張ります!」との返事の後はやる気満々。確かに飲み込みも早く、声にも若い張りがあるし、繰り返しやっている内に段々調子が出てきた。そうだ、今時の子は、こうした乗せ方が必要なんだろうと、校長先生の言葉にも納得。やがて現場での声出しには主宰者側のMさんから早速「そんなに早口では何も聞こえない!もっとゆっくり!」などと檄を飛ばされたが、乗ってきている彼女にとってそれは最早辛い言葉でも何でもない。終始笑顔で「頑張ります」を連発するのはホントに可愛かった。わずか1時間弱で、最初からなら別人になった少女Aは本番でも堂々とやってくれた。若いって良いなあ。

 「最新医学と音楽の夕べ」という前半が医学界の講演、後半がソプラノリサイタルという面白い企画だった。医術というのもARTの分野に入るらしいのは面白かったし、講演された医学博士がヒポクラテスの誓詞というのを話されたのは大変興味深かった。古代ギリシアの医師の言葉が今に通用するという驚き!「人間て、進歩しないんだなあ〜」
 しかし、吾等がM氏のお仕事が、あのひょうひょうとしたお顔からは想像出来ない、日本の(いや、世界のと言うべきか)ガン治療の最先端を担っておられるという事実には、正直おろろいた!いやあ、能ある鷹は爪隠すというが、ほんに、すんごいお方だったのだ!先生、どうぞワタクシ目がそうなった折りは愛の手を!とあとの打ち上げで囁いたのだが、さて、したたかワインを飲んでおられたからなあ〜。次なるチャンスには念を押さずばなるまいて!フフフ。
 
 この日のメインイヴェント「ソプラノリサイタル」勿論ご本人の力量さることながら、M氏の、観客を右へ左へと誘導する話術によって大いに盛り上がった。そしてその結果、ソプラノもやる気が充実、観客と舞台が渾然一体となって、素晴らしいコンサートとなった。
 矢張り、ステージと観客が両方で作り上げるのが歌の世界だ。半分くらいの人はオペラに縁がなかった人達のようにお見受けしたが、皆一様に興奮の面持ちで解散されていた。大成功だった!

 しかし、イヴェントの主宰者というのは、ホントウに疲れるものだ。又Mご夫婦のように、細部まで気配りをされていたら尚更だ。きっと良くお休みになれたことだろう、、、、。拍手。
 

 

 

2006年11月20日 (月)

ダバダバダ、、、、、。

 モーツアルトトルコ行進曲。年末に相応しい曲で、バタバタと大層忙しい曲だ。歌ってるとあごがだるくなってくるなあ。
 うかうかしている内にクリスマスコンサートまで後20日。ということは私の渡仏まで、22日。チケットは全部取れたが、完全な一人旅は初めてで、思うと少し不安かも〜。ま、何とかなるさ!

 息子がインターネットを使って、中国から声を送ってきて会話が楽しめた。なんだか、毎日北京ダックかなんか美味しい物食べてるらしいなあ。さんざんそんな話しをした後、「ところで、アンタ、何しに行ってるの?」と訊いたもんだ。彼の平たい説明によると、今後どんどん地球が危険になってくるが、環境を改善し、地球を救うために何とか世界中の人が手をつなぐ為にはどうすれば良いか模索する会議、という事らしかった。なかなか為になることしてるじゃあん!それはホントに必要なことだ。折角良い対策があっても、それを使わなくては何にもならない。机上の空論に終わらせないためにも大いに議論を深めて欲しいものだ。

 出たきりトンボのお嬢はさっぱり音信不通だ。生きてるだろうなあ、、、。確か行く前はネットでメイルは出来るよと言ってたのに、なあんにも言ってこない。フランスねえ〜、、。

 昨日は海外のいじめ対策について各国の学校が紹介されていたが、中でもイギリスのある小学校の例は、如何に日本が遅れているかを思い知らされた。いじめは無くならないし、これからも必ず起こるとした上で、しっかり正面から向き合うことが大切と言う。、、、何もいじめは子供だけの問題ではない。恐らくは人間の持つ負の部分で、それは誰にでもあると認めたところからでないと解決しないのだ。大人はその上で、慎重に人間関係を築いて行くしかない。それが教養と言うモノだろう。
 たまたま、昨日30分ほど、黒人男性と白人女性が結婚するという事態に右往左往する周辺の人間模様が描かれた映画を観たが、この差別意識というものがいじめの大半だろう。この映画のラストの様に、自分の中の差別意識も認めた上で、尚かつ人類の正常な進化のために努力しようとする白人の老人、この存在が必要なのだ。
 そして又、別な映画では、性同一障害の女性と男性が同じく差別され、人生を誤っていくという切ない物も2本放映されていた。いずれも、社会における弱者なのだ。

 「自分よりも弱い人間には優しくしろ」と亡くなった父がよく言っていたが、それこそが基本の様な気がするなあ。

 

 

 

2006年11月19日 (日)

良い湯っだな、ハハっ!

 本日はしばらく振りの親孝行。この所足が痛い膝が痛い、と言っては遠出をしたがらない母の為、せめてもと塩江温泉へと出かけてみた。まあ親子でドライブは母が喋り手で私は聞き手。この時間がどうやら母にとっては癒しの時間のようで、大昔の事をあれこれ喋ってくれる。これは主役クラスに自分が入っていたりして、私にとってもなかなかに面白い物語。今日は内孫の小さい頃のクセをやたら想い出しては笑っていた。いつものことだが、亡くなった父が車椅子時代の事を、あそこにもここにも連れて行ったねえ、と懐かしむ。この所こうした過去の話が多いが、今日は特別に自分の結婚当時のエピソードを細かく教えてくれて、これが大変面白かった。一つ事柄を話すたびに、「時代だったんだねえ」というのが頭に付く。二人がお見合いの日、母は父と一言も言葉を交わさなかったんだそうだ。お見合いのあと、妹と一緒に3人で映画に行ったのに、席はバラバラで見たんだそうだ。ライオン館のニュース館というのがあったそうで、そこに入ったという事まで覚えていた。当時は男女席を同じゆうせず、式な風潮が色濃く残っていたから、別にそれで不思議でも何でもなかったらしい。それですぐに結婚を決めたというのだから、今から思うと嘘みたいな話しだ。確かに「時代」だったんだろう。
 面白かったのは、今おフランスに行ってるお嬢の話になって、一体あの行動力は誰に似たか、という時に、絶対私じゃないと言っていた母が、こうした昔の話しを想い出していく内に、ヒョッとしたら自分かも知れないと言い出したことだ。あの時代だのに、台湾とはいえ外国にお嫁に行くことに何の抵抗もなく、行ってからも一度も帰りたいとは思わなかったと言うのだ。何もかもが新しく、最初に着いたホテルでパパイヤの種を食べて「それは棄てるんです」と父に言われたことや、碌にテーブルマナーも知らずフルコースを食べたら最後のコーヒーの時に、でっかいスプーンが残って恥ずかしかった事やなんかが、ちっともイヤじゃなかったというのだ。二人でいつも手をつないでは映画に行き、ケンカも一度しただけだったとか。お見合いだったにもかかわらず、結婚してから二人は恋愛関係になったらしい。ほほえましい話しだ。まあ、そういう父との巡り会いが二十歳の母の外国暮らしを、嫌な物に感じさせなかったのだろうが、根っこには我が娘に通じるものがありそうだ。おばばのDNAはこうして受け継がれるのだ。

 今日の温泉はその名も「さぬき温泉」で、ひらがなに相応しい山深いところにあった。弟夫婦が教えてくれたので、きっと風光明媚なところだろうとは思ったが、ここまで鄙びたところとは思わなかった。お湯はさらっとしているが、とっても良くあったまる。一応鉄筋の建物で、湯治目的のお客さんも来ているみたいだ。露天風呂と書いてあったので、階段を途中まで下りると、ん?男性の声が!「おばあちゃん、ここ、混浴みたい!」「あらら、そりゃあかんわ」と引き返し、それでも念のためにお客さんに聞いてみると、男女のお風呂には仕切があるという。やれやれ、折角来たからやっぱり行こう、と又しても階段を下りていく。竹藪の中のこの露天風呂は確かに結構なものだった。ここまで来て、これに入らないというのはもったいない。次々と入れ替わり立ち替わり人が出入りするのを見送りながら、なが〜いことお湯に浸かっていた我々。流石に喉が渇いてどちらからともなく上がったが、汗が噴き出して、全然服が着られない程。一時間ほども休んだだろうか、今度は母が珍しく空腹を訴えたのでようやく車だ。ホントにたっぷりお風呂を楽しんだ。しかし、この温泉、知らなかったなあ〜。

 「戦争を語り継ぐ」という会があると聞くが、母の話の中にも、必ず戦争の頃の話しが混じる。こうした話しを、私も子供達に伝えなくてはならない。「アンタがお腹にいるときに、近所の人が絶対見るなと言うんだけど、見るなと言われても、空襲警報で表に出たら、トラックが目の前を走って、その荷台には死体やけが人が山積みで、どう見ても死んでいる母親の胸で血で真っ赤になった子供が泣いている姿やなんかを、目に焼き付けてしもうた。」「だからアンタは肝が据わってるんや」と来る。、、、まったく、もの凄い体験だ。いつも死が身近にあったということだから。

 母に長生きして貰いたい。もっと、話しを聞かせて欲しい。温泉ぐらい、いつでも連れてくから。

 

 

2006年11月18日 (土)

歌うこと。

 この感じをナント言おう。歌(声に出す方)とは不思議なものだ。離れていると、とっても近寄りがたいし、もう自分には歌えないのではないかとすら思えてくる。あ、とも声が出ないのではないかという、恐怖に似た気持ちさえ湧いてくる。ところが、練習して、段々カンが戻ってくると、さっきまでのあの感じはいったい何だったの?って言いたいくらいだ。歌こそが自分のライフワークであり、声が続く限り歌っていこうと自然に思える。今夜のレッスンもそうだった。始める前は憂鬱で、もう止めたいなあと気持ちがバックしている。しかし、発声練習の段階で、既に身体全体が「歌」になってくる。指先まで鳴り始めるとこれはもう快感だ。勿論出来ないこともあり、思うように声が操れないジレンマに陥ることもあるが、次第にそこもクリアになってくると、無上の歓びに満たされる。こんな時、「ああ、歌をやっていて良かった!」と心底思えるのだ。

 さて、短歌のお歌だが、その域まで行くのに時間が掛かりそうだ。まあ止めないことが、何かを我が身に残していくし、少しは成長もするんじゃないか?、、、希望的観測。
 

 

 

2006年11月17日 (金)

なんでこう次々と、、、。

 本日は歌の演奏会。その前に交通事故で入院のFさんををお見舞いに行き、ちょいと買い物をして、夫の夕飯を支度に帰宅したら、「今夜は飲み会」と連絡が入る。急遽、マグロ丼などかき込んで、バタバタして汗かいたから、お隣に座るかも知れない人のためにと、制汗剤を脇にしゅっしゅっとしたが、なんだか変。よくよく見ると、ありゃりゃあ、これは眼鏡の曇り止めじゃん!?もう〜っ!この忙しいのに〜と吾と我が身を呪いつつお湯で拭いたり着替えたりと大騒動。まあ、何とか間に合ったし、満杯でもなかったので、端っこに座れたし、やれやれだ。しっかしこのところやけにドジが多い。家の鍵は未だ出てこないしなあ〜。やっぱり鍵を変えようかなあ〜。

 今宵の演奏家はこれまでにも何度か聴かせて頂いたバリトンの歌手で、地元の大学で教鞭も執っておられる方。考えたら、もう随分昔からこの方の声を聴いてきたなあ。変わらないのはもの凄く真面目な勉強家らしいこと。プログラムからしてご自身が訳された詩が全部載ってるし、内容もハイネやらゲーテやらケルナーの「詩」に曲が付いたものだから、ドラマチックとは言い難い。舞台でのお姿は所謂ハッタリというものが全然無い人だ。歌手らしく振る舞おうとか、かっこつけようとか、一切無い感じだった。昔と変わったのは御髪が少しばかり後退されたか、、、。どうも、個人的にはこのドイツ語というのが苦手で、促音がまず気になるし、独断と偏見だが、あんまし魅力がある言葉と思えないのだ。グロッケン先生はドイツ語の権威だからきっと大いに異論があるだろうが、どうもドイツ語=ヒットラーの演説をイメージしてしまうのだ。あの言語で恋を語るとどんな感じになるんだろうか?世界中で一番美しいとされるフランス語も、アランドロン以外あんまり美しいと感じた事がないからなあ。単におみっちゃんの言語感覚が劣っているだけなんだろう、、、なあ。

 ところで、今日のお見舞いは自損事故の人だったが、どうも居眠り運転だったらしい。ちょっと間違えばあの世だっただろう。電柱に持って行って、車は大破。本人も腹部と顔面を派手に打撲したらしい。美人がすっかり台無しになっていたなあ。でもまあ、命があって良かった良かった。余程嬉しかったのか涙ぐんで喜んでくれたが、それだけショックだったんだろう。他人事ではない。気を付けよう!

 

 

2006年11月16日 (木)

人間は救われないなあ、、、。

 夕方友人の経営するパスタやさんに久しぶりに母を連れて行こうと車に荷物を積んでいて、思いっきりゴッツンとおでこの上をやってしまった。目から火が出てウ、ウ、ウ。「ここって人間の記憶を司るとこなんだって!」と言いつつ出発したら、母がアンタ、あそこへ寄るんじゃないかいと言うので想い出した。そうだ、回覧板だ。続いてもう一件すっかり頭にないことを指摘されて、その上「そんなに忽ち効くもんかいな?」と呆れられる。だって、未だ痛いんだもの〜。痛いのに気を取られていただけよ〜ゲラゲラゲラ。と笑いつつも内心ケッコウ来てたなあ〜。たださえ物覚えが悪くなってるというのに、やれやれ。

 息子と娘が成田から飛び立ったようだ。とびきり寒いという噂のパリに行った娘はぜんそくが心配だ。救急車騒動を起こさなければ良いが、、、。息子は中国だし、学会に拘束されている分むしろ安心だ。ま、どちらも無事を祈るしかない。

 昨日、岡山から生徒さんのお庭の五葉松が突風で倒れたので、と見事な松の枝を頂いて帰った。ああ、ついに又お正月だ。今日の来客のお一人から間もなく女性の平均寿命が90歳になるという情報をもらったが、そうなのか、、、。でも、自分は違うかもしれないと心の中で思っている。

 今朝のテレビの情報で、あの津波警報で実際に逃げた人は最も警戒が必要とされた地域でも4千人弱の内、たった5人だったというから、一体何のための警報か、テレビでの情報かさっぱり分からないなあ。「自分の判断で決めました」「ここには来ないと判断したからね」と平然と言う人達。今回はそれで良かったけど、次、ホントに大丈夫かなあ?

 情報は、もたらされても受ける人が信じなければ意味をなさないって事だ。結果、人間は救われないってことだ。

 

 

 

2006年11月15日 (水)

爆笑問題。

 といっても、別に今流行りのお笑い芸人の事じゃあない。何を隠そうこのアチクシのおはなし。

 今日も今日とて「予定」欄に忠実に友人Kがスポーツジムに行こうとやってくる。先週彼女が来たときは我々夫婦は揃って泣きの涙で「千の風になって」のビデオを見ながらご飯中。Kは「え〜〜?何泣いてるの?」と言いつつ入ってきたのだ。本日は「大腸ガンの早期発見」について為になるテレビを見ながらナイフで肉を切っていた所、突然ブチッとばかり画面が切り替わり、北海道付近で津波警報と派手に地図が点滅を始める。「ええ〜っ!?」とばかり画面に張り付いた途端、「おこんばんわ〜」とのんびり入ってきたK。忽ちワアワア言う二人の声とテレビの音に囲まれて、「一体何がどうしたん?」と躓きながら入ってくる。しばらくは3人ともテレビから目が離せない。ようやくショックから解放されてやっぱり行こうといつもより遅めに我々は出かけたのだ。

 少しストレッチなどやってプールへと移動。いつものように怪獣の如く波を切って豪快に円形プールを歩いていたものだ。するとあちらのお湯ジャグジーから可愛い女の子が合図を送ってくるので寄ってみたら、ちぇちのピアニストS嬢ではないか。少しお喋りして「私こういう単純なの苦手なのよねえ。退屈しちゃうのよ。」「私も」という会話の後又歩き出したのだが、Kはどこかと見渡すと丁度真ん中の水中指圧コーナーの外を歩いてくるのが半透明の壁から見えている。ふと思いついて彼女を驚かせようと境目の所に身を隠して待っていた。段々近付いて来て姿が見えるか見えないくらいで「わっ!」と思い切り飛び出したら、ナ〜ント、相手は似てもにつかない若い女の子で「ぎゃっ!」という悲鳴!思わずこちらも「ぎゃっ!ごめんなさい!」Kは何処に?と見るとさっきのS嬢を見つけてふら〜っとそちらへ移動して悠々とおしゃべりしてたのだ!思わずみんなで(?)ごめんなさい!を連呼。Kはそれみたことかと爆笑するし、S嬢は涙をふきながら「めっちゃおもろかった!」と笑いながら引き上げていく。やられた女性はきっとただただ腹が立ってるだろうなあ〜。と思いつつ、想い出してはゲラゲラ笑っているおみっちゃんであった。だってえ、水着がおんなじ色だったんだもの〜。アハハハ。

 これって、爆笑、ではあるが、問題、でもある。ってことで、このタイトル。いやあ〜、本日はにゃんともかんとも、、、。

 しかしなあ。実は昨日から家の鍵がない。ありとあらゆる所を掃除もしないで探し回っているのに出てこない。ゲストブックに「殺人と自殺」は問題解決の良い夢だと書いてくれたが、まさか、この鍵の一件ではないよなあ。出てこなきゃあ困るけど、違う事の方が重要だからなあ。ムムム。

 

 

2006年11月14日 (火)

いいのかなあ〜

 こんなにのんびりしてて〜。今日も一切クリスマスの準備が出来てない。朝から本業及び雑用及び家事及び岡山シャンソン教室だ。夕食出来てなかったので、岡山から帰り、同行のY女史の提案で全く何ヶ月ぶりかのラーメンを食べる。「味噌ラーメン」はネギとコーンをトッピングしておいし〜く頂いた。運転手付きで飲ませても頂いたお陰で、外の寒さも余り感じなかったが、彼女は寒い寒いを連発していた。ぼちぼち冬ですなあ〜。
 今夜の教室でも「千の風になって」を歌ったら、お一人完全に泣き出した人が居た。これは矢張り「琴線に触れた」ってことだろう。

 実は今日は寝不足で、朝から休む間もなく動いていたため、我慢しきれずフェリーでは一瞬爆睡。Y女史をほったらかしていたが、彼女も分かってくれた。寝不足の一因は「悪夢」のせいだ。あまりの気持ち悪さに朝夫に告げるのもためらわれたほどだ。ナントこの私が人を殺め、それがばれそうになったといって自殺しちゃうという夢だったのだ。うなされて何度も目が覚めるのに又続きを見てしまうと言う生々しさだ。夕べはちぇち練のあと遅くに食事を取ったから、そのせいかもしれないが、まあ、珍しい夢を見たもんだ。だれか夢占いって出来る人いないかなあ〜。ぞくっ。

 

 

2006年11月13日 (月)

やけのやんぱち。

 朝は予定通り(ああ)蜜柑狩り。母は採りたいけど以前のようにはいかず、従ってこの私目が頑張るという羽目に。2本も樹をくれて、全部買ってくれと言う。ふひょ〜っ!そりゃあ無理。友人Yに夕べぽろっと口を滑らしたらやってきて、そもそも場所が分からず麓までお迎えに行ってお連れして、続きをやって貰おうと思いきや、針より重い物は持ったことがないとほざきつつ、ほんの10分ばかりでもう飽きてる。こっちがどんどんちぎっては彼女に渡して、兎に角少しは仕事らしき物をやって貰ったが、どれだけ「大変」「疲れた」を連発したか!そうでしょうとも。我が母曰く、「Yさんみたいに蜜柑畑の視察しただけであんなに疲れていてはこんなの無理。何にもできませんわ〜年寄りの私よりヒドイ。」だって。こんな時だけ「あんたより年上なんだから」と威張ってる。は〜っ。あたしゃ、間違いなく明日は筋肉痛だ。

 今月来月はけったいな月になるなあ。娘と息子がそれぞれ成田で別な国に行くのに偶然会うことになったらしい。で、我々夫婦も私が関空に帰国した日に夫が関空から飛び立つことが判明。矢張りどうやら同じ時間頃に空港で会いそうだ。全くそれぞれが別に予定を立てたにもかかわらず、偶然にこうなった。おかしな家族の年の瀬に相応しい〜。か。

 

 

 

2006年11月12日 (日)

どうしたことか、、

 書いたはずが、、、余りにくだらないことではあったが、、、それでも消えたら、、、もったいないじゃないの、、、。


 ここまでで「更新」としたら入ってる!じゃあ、さっきのはなんだったの?って、半分寝ぼけてたからなあ〜。何が何だか分かんない状態〜。側にとうとうスタンド式の電気ストーブを付けてパソコンしてたら、やたら眠くて眠くて、、、。そか。首にもあったか襟巻きあんかみたいなもん着けてるし〜全身これ暖房状態だから眠いのか。

 夕方、息子からテレビ電話のようにまごっちを抱っこして書けてきたので、しばし遊んだが、1週間前ともう違う顔になってる。ぐずっても私の歌で機嫌が直り、じっと聞き耳をたててるのは感心感心。(バババカ)しかし、確かに3回歌ったら3回とも泣きやみ、つぶらな瞳をこっちに向けてじっと聞いていたぞ〜。ふむふむ、、、これは脈がありそうだ。「舞台になんか立つような女にはせんぞ〜!」とつまらん親父は絶叫してたが、、、フフフ。分かるもんか。

 明日は蜜柑狩りに行こうと母が言ってくる。又疲れるなあ〜。

 

 

2006年11月11日 (土)

やばっ!

 さっきここにカキコしたらいきなり止まっちゃった!いよいよアブナイなあ〜。あしたはメンテに来てくれるけど、それまで持つかなあ〜?

 とにもかくにも本日も終わった。おわったというだけだが、、、!シュン。案の定咳と痰に悩まされた演奏だったが、最低ラインで留まったか。会長はいつもの如く本番直前までぐずぐず不調を訴えていたが、本番の声は全く問題なし。指揮をしながら歌うという前代未聞のお役目、ご苦労様!だ。

 チューバやクラリネットの演奏もあり、なかなか楽しかった。こういう企画は是非続けて欲しいなあ。

 さあ、これからはクリスマスだ。幾ら難でもプログラムをハッキリさせなくっちゃあ〜。

 

 

 

2006年11月10日 (金)

明日は本番。

 でも、なんだか、あんまし、そんな気がしない。これはいつもの事かも〜。ただ、咳が取れないし、痰も出てるしなあ。ちょいとゆう〜つかも〜。泥縄式に本日オープンのZA,,という薬の量販店?コンビニの大きいのみたいなお店でトローチを買ってきた。我が家からすぐ近いが、母と一緒だったので、車で。。。。一人でも多分車か!しっかし、予想通り満杯の駐車場。大して珍しい物があるでもないのに、みんな何かを求めてやってくる。見回してもそうそう沢山のモノを買ってるようでもない。私もトイレットペーパーやらドリンク剤やらを買い、お土産にホッカイロを貰って帰っただけだ。こんなの普段のマーケットでも買えるジャン。ただ好奇心が満たされれば良いのだろう。

 今日は2回目となった、ピアノ生演奏付きのお勉強会に出かけた。本日はモーツアルトに関するもので、いろいろ面白いエピソードが紹介されて楽しめた。しっかし、天才ってホントにいるんだなあ〜。5歳で作曲したという数種類の曲を実際に弾いてくれたが、結構なものだし、7歳の時の曲は、ナント、魔笛のパパゲーノのアリアにそのフレーズが使われているではないか!一緒に行ったKさんは毎晩モーツアルトをかけながら眠るんだそうで、本日も眠たかった!とのたまう!ハハハ。まあ、それくらい癒しだったりするわけだが、今日は驚きの新事実が!頭が良くなる、免疫力が高まる、お酒が美味しくなる!んだそうでこれにはおろろいた!これから実験してみなくては!

 あとで、二人でお茶をしながら、美術の話しなんかに花が咲いたものだ。確かに良い音楽は脳のどっかの細胞を活発にしてくれるみたいだった。

 

 

2006年11月 9日 (木)

こわ〜〜

 このところ我がパソコンさまが、大変妖しい動きをしている。しょっちゅうフリーズするしなあ、、、。突然パキュンと止まったりしないよなあ〜、、。シンパイ。
 メンバーの中にも何人もパソコンを変えたとか、壊れたとかいう話しを聞くからな〜。

 本日は音楽ファミリーの長とFM2本録り。音楽が如何に人生と深く関わっているかという話しに花が咲く。歌は歌う人と聴く人が一体となって醸し出すものだ。というその人の主張に大いに同感した。
 この方は大手の会社に就職して以来、順風満帆の人生だったが、その会社が倒産。マスコミの前に頭を下げる格好で、自分自身も身の振り方に悩まされるという一時期があったようだ。その父親の姿を見て深く傷ついた息子さん二人は、おのおの自分の人生にその事件を投影させたようだ。ご長男は外語大学で勉学していたが、突然どうしても音楽の道に行きたいと言い出し、その情熱に押されて許さざるを得なかったそうである。大きな人生の波はこれだけでは留まらず、次男の大事故というアクシデントにも見舞われたとのこと。次男の方も、声楽家の道に進んでいたため、奇跡的な生還の後、やがてはピアニストのお婆ちゃまも交えての音楽活動が始まったそうだ。国語の先生をされている奥様の朗読を交えた、心温まるコンサートのライブ版が今日の音源だったが、奥様もオカリナで音楽に参加され、全くの音楽一家による珍しい会だった。

 ホント、高松にも色んな音楽家達がいるもんだ。

 

 

2006年11月 8日 (水)

「お光」その3。

 3度目の正直で、本日はようやくスポーツらしいスポーツに取り組んだ。身体を調整しておかないと、なんだか、ずるずる何も出来なくなりそうな嫌な感じがあるからだ。しかもこれから先びっちり予定が詰まっていて、行けそうにないから今の内という思いもある。友人が「行こうよ〜」と誘いに来たとき、あたしゃ、Sさんが届けてくれた「千の風になって」の特集番組ビデオを見ながらしっかり泣きはらした顔をしていたのだ。ある女優が父親の死を乗り越えられずにいて、この歌に関わる色んな人に会うために世界を旅するという番組だった。その中で、日本人の作曲した物を英語で歌ってるアメリカ人女性に会い感動的な時間を持つのだが、その時その歌手は「悲しみは天からのプレゼントなのよ」と告げたのが私の心にズシンと来た。この中嶋啓江みたいな体格の人は全く芸術家らしい感性を持ち、素晴らしく豊かな感情線を持っている人だった。日本から貰ってきたという桜が、母親を亡くして生きる元気がすっかりなくなっていたとき、10月から次の年の春まで雪の中にも花を咲かせ続けたというのだ。しっかりその証拠写真まである不思議なお話。「悲しくなければ、私はこの花の存在に気付かなかったでしょう。」

 「お光」の作品の脚本家であり今回の演出家ゆい・きょうじという人が、当日のパンフに次のような文章を載せている。以下概略を残しておこう。
、、、、「殺す気は無かった」と弁明するそばから人間が死んで行く。、、、、情報の中で死は、どんどん免疫になっていく。あの戦争の時でも、今ほどの人命軽視はなかったのではないか。、、、、否、小さな子供程バーチャルの世界で死を見慣れていて、殺すことに罪悪感が無いと言われる。この恐ろしき深淵の邪悪は、さらに繁殖し、現代を席巻するだろう。抑止など出来ようかと、不安に茫漠とした朝、白い鶴が舞い降りる夢を見た。


 この白い鶴こそ、お光だったのだ。

 死というものに対峙する姿勢が、色々あるなあ。

 

 

2006年11月 7日 (火)

「お光」その2.

 今夜もスポーツジムへと出かける。昨日と違いチャンと運動したが、何だかあんましやる気が起きない。テレビを見たりしながら自転車100キロ消費など、頑張ってみたが、どうも腰に力が入らない。しばらくさぼっていたからなあ。ま、明日は友人と行く約束だから、又頑張ろう。


 さて、「お光」という芝居の中でのうちのお嬢の役どころは、大奥様付きの女中お春。大奥様を敬愛しているが、さりとて、若奥様にも忠義の心を持っていて、二人のはざまで苦しむ。手代のもく助とは恋仲である。しかし、在るとき彼が落とした手紙を見てしまい、それが彼の母親からの物であることを知る。慌てて彼が取りに戻る時、書かれた内容を彼に問いただす。「貴男、お母さんいないって言ってたんじゃあ、、、、?」「ああ、そうさ。俺には母親なんかいないんだ。」「だって、それ、、」「こんなの母親じゃない。あっちが勝手にそう思ってるだけなんだ!」と吐き捨てるように言うとその手紙を破いてしまう。その何度も読み返したと思われるシワシワの手紙を大事に拾い上げシワを伸ばしながらお春は言う。「だって、お母さん、こんなに会いたがってる、、。」「そんなこたあ知るもんか。どうせ来年は俺が番頭になるってえのを、どっかで聞きつけて名乗り出て来やがったんだ。そうに違いねえ」、、、などという会話があり、次の場面では、別な手紙をお光から貰ったと、お春がもく助に告げる。それには母親というものが如何に子供を自分の命よりも大切に思っているかが綿々とつづられていて、あたかも自分がもく助の母であるかのようにその手紙をもく助に読んで聞かせる。やがてお春は、突然2通の筆跡が同じであることに気付く。「そう言えば、もく助さんのお母さん字が書けるの?」「いや。、、、そうか、これはお光の仕業か。」という彼の言葉をお春が遮って、母親に会いに行ってと彼をかき口説く。しかしどこまでも頑ななもく助に愛想を尽かし「意気地なし。貴男を、、、見損なっていました。」と叫んで、走り去る。そこへお光がやって来て、お母さんが危篤ですよ、と彼に告げる。最後に一目だけでも会ってあげて!お願い!と言われて、彼も一目散にお春の後を追いかける、、、。

 まあ、娘は未だ子供を産んだ経験がないわけで、かなり難しい演技だったようだ。しかし、実はもっともっと難しかったのは、一歩下がって男に対する昔の女性像だったらしいが〜。いやはや、いやはや。

 

 

2006年11月 6日 (月)

「お光」という芝居。

  今朝は本業の講習会。午後は嫁りんのご実家へと土産物や孫の写真を届ける。とって返して母を買い物に連れ出す。急ぎ夕食の準備をしてちぇ練へと飛び出す。久しぶりに歌ったら、まあ忘れてること!これが週末の演奏会用とは、とW先生も唖然としただろうなあ〜〜。何とか集中力で乗りきるしかないなあ。てへてへ。
 帰りは全く久しぶりにスポーツでもと寄ってみたが、Tシャツがバッグに入ってない。ええい、ままよとばかり、本日はお風呂のみに。ゆっくり入り、マッサージ機にかかり、ようやく心が軽くなって帰宅。しかし、処理せねばならないメールが幾つか、、、。やれやれ。


 今回の娘の芝居は面白かった。お光という、存在のあいまいな少女のお陰で人々が救われていく、というものだが、10名ほどの役者がみんな力がある人ばかりで、引きつけられた。老舗呉服屋の嫁と姑があわや刃傷沙汰か、と思われるギリギリの所までいがみ合い、そのお光のすすめで嫁が流れ者の高野聖に会うことになる。そのお聖さんは事も在ろうに「毒薬」を渡して、「この薬は、少しずつでも一気にでも間違いなく人を殺せる劇薬じゃ。しかし、今すぐにこれを使用したら、例え姑が風邪で死んでもアンタのせいになるだろう。ならば今しばらく表面だけ取り繕って、仲の良い嫁姑を演じるのじゃ。世間様がすっかり信じた頃にそれを使えば、誰もアンタが殺したとは思わんじゃろう。」と言う。言われたとおり、嫁いびりにあった時は余所を向いて「バカ」と小声で言い、笑顔を貼り付けてしおらしく振る舞い続ける。しかし、段々それが普通になり、すっかり板に付いてきて、姑と心底うち解けるようになる。それと平行して何故か姑の体調が狂い初め、床につくようになってしまう。そうしたある日、悪い男がやって来て「アンタのもくろみは全部知ってるぜ」と若女将を脅す。しかし若女将は言う。「私は一切そんなもの使っていません。最初は使うつもりだったけど、そんな必要が無くなってきたのよ。」しかしその男は「へん、そんなもん誰が信じるか!その赤い薬が動かぬ証拠よ!」と詰め寄る。そこへお光がやって来て、「おじさん、それは毒薬なんかじゃないよ。」と言う。「そんなに言うならお前飲んでみな」と言われて、一瞬ひるむお光だが、結局は一気に全部飲んでしまう。証拠の品が無くなったし、お光の迫力に気圧された男はほうほうの体で逃げ帰る。若奥様はお光を抱いて「お前って子は!」と叫ぶが、お光は「若奥様、これはただのうどん粉でした。」と言いながら笑ってみせる。そこへ大奥様危篤の声で若奥様は急ぎ奥へ引っ込む。舞台に一人残ったお光が客席に向き直ったとき、その口元は真っ赤に染まっていた。「お聖さまあ。これで良かったんですよねえ?」と言いながらよろめきつつ退場するお光。奥から「お光、お光、、、」「奥様、お光がいません。」「奥様、お光の荷物が在りません」という声が駆けめぐり、やがてカンカンカンという半鐘が鳴り渡る、、、。暗転の中若女将夫婦が登場して、「ほんに、あのお光という子は不思議な子でしたねえ。」「あの火事の焼け跡から小さな骨が一体見つかったというが、、、、」「あの子がいなかったら、今頃私達はどうなっていたか、、、」「私にはあの子が生きているとしか思えません」と二人の回想の中、幕。この芝居ではホントウに多くの人がすすり泣いた。色んな所に、人間の心の中にある「善」と「悪」について考えさせる言葉がちりばめられていたせいだろう。自分ではどうすることも出来ない暗い思いが、一羽の白鳥が舞い降りたように、お光によって明るい物へと変化していく。しかし、その汚れ無きお光は天に召されてしまう。、、、、我が娘の役どころは明日にしよう。

 

 

2006年11月 5日 (日)

第九。

 今日は知人が出るというので、第九に駆けつけた。20年近くも前に参加したことがあるこの合唱は懐かしいものだったが、その頃と違って、ソリストの歌も充分楽しめた。オーケストラはマエストロの素晴らしい指揮振りに圧倒された。2階席から見ると余り指揮の格好のいい人ではないが、(個人的嗜好でどうも指揮者は格好を見てしまうのだ)全身全霊で引っ張っていく姿には感動を覚えた。特に、第4楽章のフィナーレあたりは弦をこれでもかと激情的に弾かせたのには、思わず身を乗り出して聴き惚れたものだ。

 この第九の合唱はN女史がそれこそ身を挺して進めてきた運動だ。何度も大病したりケガをしたりしながらその都度不死鳥の如く蘇り、今日の20回記念コンサートを迎えられたのだ。楽屋までご挨拶に伺ったが、晴れやかなその笑顔には強い力が漲っていた。これだけ沢山の人たちと接してきて、その一人一人と丁寧に関わっている。「音楽の力」も確かに在るだろうが、でも矢張り、この人がいなくてはここまで続いたかどうか、、、。新任館長のM氏の音頭で「フロイデ!」と全員が叫んだのも息が合って参加者の感激が伝わってきたものだ。

 今日は一部客席に灯りが入り、知ってる人は起立しての大合唱となった。多分そうなるだろうと楽譜の書かれたパンフのページに携帯を挟んでいたのをトンと忘れ、立ち上がった途端に前の座席下にガッシャ〜ンとばかり落としてしまった。ところが、通路の反対側から若き男性が機敏にもそれを拾い上げてくれて、、、、又その人が良い声で耳元で歌ってくれたのだ。経験者のようで、暗譜で歌っていたのも良かった。しかしこんな時にも歳を感じてしまうなあ。トホ。

 さて、今回の旅の初めは「スキップサービス」初体験であった。これがとっても便利なのだ。ネットでチケットを予約して、クレジット決済しておけば、手持ちのマイルカードをかざすだけで、チケットも取らず、す〜いすいと簡単に通過出来るのだ。帰りなんかは、たくさんあるゲートのそれ専用というところからこれ又す〜いすいだ。これからは絶対これに限るなあ。時間ギリギリでも行けるみたいだ。
 いろいろ進化しているなあ。都内ではJR以外の自動改札が全て使えるスイカも買って、大いに活用。その内、JRも統合されるだろうとのこと。そうなると行き先の金額をいちいち見る必要もなくなり、ホントに便利になる。

世の中の便利に一体いつまでついて行けるのやら、今還暦のワタシ!ふ〜っ。

 

 

2006年11月 4日 (土)

良い気分〜、

 そうれす〜。少々酔っぱらってまする〜。久しぶりに会ったボーイフレンドと、音楽の話しに花が咲いて、、、、と言えば聞こえが良いが、実際は、子供の話だったりするんだなあこれが。あたしゃ、孫の話しだからなあ〜。色気もへったくれもない、あちらさんは遠慮もなく、「あんた、随分広がったなあ〜」だって!へん!そうですとも〜。「ドクターストップが掛かったから、これからスポーツして痩せるのよ〜」と言うと敵もさるもの。「そりゃあ、今更無理ってもんだ!」ですって!ったく、失礼しちゃうワン!又、そこのお店のママさんが何故か急に痩せてて病気をしたんだという。やっぱりねえ〜。病気でもしなきゃあ痩せられないんだよねえ。ま、いっか。この店の美味しい野菜の煮物や、日本酒、新鮮なお刺身の味がしっかり楽しめたんだから。先日からちょいと美食三昧の日々で、後ろめたいのではあるが、、、。


ところで帰りのテクノのお兄ちゃんがしっかりおしゃべりで、色んな事話したが、この業界も大変らしい。水商売の人はもっと大変だというが、きっとそうだろう。駐車場払って、例えテクノでもその料金はらってまで、飲みたいと思う人がどれだけ居るか、、、?そんなことなら家でのんびりした方が良いか、、と思っても不思議はない。テクノに関して言えば、女性は700円引きで、町中から我が家まで千円台というのは有り難い。でも、割引金額と同額の駐車料金だからな〜

 

 

2006年11月 3日 (金)

空間。

 ようやく慌ただしい旅から帰ってきた。全くのハードスケジュールに、東京を走り回ってきたのだが、まあ、まだ走れるというのが分かっただけ良いとしようか。やれ人との待ち合わせの時間がない、やれ特急に乗るには走るしかないと娘にせかされ、日帰りで下北沢から水戸、大洗と出かけた時は、これ又朝少々早起きしたにもかかわらず、余りにぎりぎりの予定を立てたためスーパー日立に乗ろうと上野に着いたら発車まであと4分。みどりの窓口で往復チケットを並んで購入したらジリジリジリと発車の音。駆け込むしかないのだった。挙げ句の果ては、娘の婿殿のご両親の暖かいおもてなしに、後ろ髪引かれながら失礼して、息子の車で送って貰って飛び乗った電車では、もう二人とも息が切れて思わず苦しい息の中でゲラゲラゲラと大笑い。しばらく笑ったり息をしたりの大忙し。もしや乗れてないかと息子が電話してくるのにも、笑いながらである。いやあ、参った。ホントにこんなに走り回ったのは久しぶりだ。如何にも我々親子らしい行き当たりバッタリの無計画さが招いたことだ。やれやれ。

 しかし、帰宅して何が嬉しいって、どこもかしこも広いことだ。いやそもそも、空港からして違う。視界に入る人の数が違う。いつもいつも目の中に人がうごめいている都会。息も出来ないラッシュアワーの電車に乗ったときは、止めてくれ〜と叫びたいくらい気持ちが悪かった。娘が言う。「お母さん、こんな生活って、変でしょ!?家のローンかなんかで、仕方ないのかも知れないけど、人間らしい暮らしとは言えないよね。」イヤホント、我々田舎暮らしの人間には耐え難い生活だ。しかし、そういう娘のアパートも、かなりのもんだ。ホントに空間というものがない。月10万円も出してたった2部屋の暮らし。異常に狭い台所とお風呂には正直、よくこんな所に住んでいられるなあ、、、と感心するばかりだ。まあこれが若さという物だろう。目的があれば我慢出来るんだろう。しかし、あたしゃほうほうの体で逃げ帰った感じだ。帰宅して、ボロでもなんでも兎に角広いだけの我が家が妙に有り難かった。娘の所ではシャワーだけにしたが、我が家のお風呂で足を伸ばしたときは心底やれやれとくつろいだ。「空間」は人間にとって、かなり大切だと今回つくずく思ったことだった。

 

 

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