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2006年9月

2006年9月30日 (土)

会議は化ける。

 昨日の会議は具体的な事は決められないまでも、骨子というか大まかな全体像はほぼ決まったと思う。相変わらず腰の浮いている会長は早く早くとせかすことせかすこと。この日に限って自転車で来たと言うから参る。あとで聞けば帰宅したら12時だったというから、残って余談とお菓子を堪能していた女達が解散した頃だ。シュークリームがおいしかったなあ〜。
女達の会議は独特なのだ。あっちこっちへ飛び火して、かなり慎重に留め置こうとしても、元のテーマが思い出せないときもある。まあしかし、こうしてわいわい色んな事、中には余り重要でないこともアルにはあるが、こうした時間の共有の中で沸き立ってくる仲間意識というか、同じ目的に向かって居るんだという一体感というか、そういうものもあるんだ。、、、人はこれを井戸端会議と言うのだろうが〜。
しかし、あの羊羹をよくぞ我慢出来たもんだ。。あのつぶつぶ感が如何にも美味しそうだったのに、、である。ん?まだ残ってるかな?

 考えてみると18年前からこうしてステージを作り続けてきているわけで、初めはこんなに永く続けるとは思ってなかったので、まるで奇跡だ。その都度ああでもないこうでもないとみんなで試行錯誤する中で少しずつ形になっていったのだ。その時その時、一番良いと考えられるものを制作してきたのだ。これはチームワーク無しでは到底なし得なかったことだろう。

 これからも、私達の前に道は無く、私達の後ろに道は続くのだ。

 

 

2006年9月29日 (金)

あきませ〜ん〜

 もう〜っだめ。眠くて死にそう。今日は会議だったが、集中力が時々途絶えていたなあ。とにっかく眠いっ!

 

 

2006年9月28日 (木)

疲れた、、、。

 訳あって、ただいま丑三つ時までパソコンだ。短歌の本に私の詠んだ歌が幾つか載っていたが、まさしく今の心境がこれだ。

完全に分かり合へぬといふ思ひペンをまさぐりやり過ごしをり

 ペンではなく、今日はパソコンのキーだなあ。

いや全く、人間てどうしてこうすっきり行かないんだろう。単純な事がどうしてこう複雑になるんだろう。それぞれの性格から来る思考の違いから、糸が一旦もつれたらほぐすのがさあ大変。かぎ針やらピンやら色んなものを持って行くが、ますますこんがらがってくる。最後は鋏を持ち出すしかないのか、、、。
 
 人間には二種類のタイプがある。数学又は物理学系と文学系だ。どちらかというと、世の中を複雑にしていくのは後者だろう。
この二種類の人間が会談すると、言いたいことが表に出ず、憶測という味付けで、益々おかしな事になっていく。お互い紳士であればあるほど、、、だ。

 大切なことは、「真実」だし、当事者の心根だろう。他人を信じることが出来る人は幸せだ。逆は、悲惨だ。

 

 

2006年9月27日 (水)

人間の習性。

 半年ほどもジムに契約金だけ払って行けてなかった友人Kが、ちょっと前に無理矢理手帳に「予定」として書き込ませた結果、ナント、今日で3週目、一度も遅刻もせずにやってくる。いやあ、我ながらその効果に驚いた。多忙を理由に行けてなかったのだが、結局「時間は作るもの」なんだ。そして、「予定」となると、人間はこなそうと思い、多忙な人ほど、そのスケジュールに合わせることに必死になるのだ。時間が有り余っている人は「いつでも行ける」と言いながら行けないのだ。ご本人は多少、悔しそうではあるが、、、フフフ。

 今日は意を決して切れていたパスポートの更新に出かけた。母の病院やら、2,3片づけるべき用事もあって、どうしても時間のやりくりが出来ずに本日も臨時休業だ。NHKで「街の変なもの展」という展覧会のことを流していたが、その中におかしな看板や面白い表示があって、「よく休みます」というのが紹介されていたが、これ良いなあ、、とマジで考えたものだ。まあ以前に「気が向けばやります」とか「命のために休みます」とか「ときどき営業します」なんてのもあったが、実際私の場合も一人で営業していて、主婦で娘で親で、その上団体の事務局だ。身体が足りない。「よく休みます」が一番似合ってるかも。

 習性と言えば、昼間出たついでに別の友人Nに無理矢理カラオケに20分だけと付き合わされたりしてる内に時間が経ち、帰宅してから日暮れになって洗濯物を干したりしたなあ。この、夕方になると家事をしたくなる、というのも私の長い間の共働きの習性だろう。
 
 それにしても、夜は涼しくなったなあ〜。

 

 

2006年9月26日 (火)

訂正、又はやり直し。

 「やり直しの利く人生」というキャッチフレーズが政界にも登場したが、実際そうあって欲しいものだ。小さなやり直しは日々やっているが、、、例えば昨日の日記を読み返して、ロミオが女性になっているのに気付きたった今訂正だ。
まあ、この日記は大概シンデレラタイムにぽそぽそ打っているから、誤字脱字は当たり前。全くおかしな変換でも平気でやり過ごしている。その場で気付くことも多々ある。今日も珍しく夫が「養命酒」なんぞ飲めと言うので、喉にしみるのを我慢して飲んだから、さっきから100回くらい欠伸している。きっと又間違うんだろうなあ。

 今日は久々にケーブルテレビの映画を最初から最後まで2本観てしまった。殆どいつも、偶然途中から見ることになるのだが、今日はその偶然が良いタイミングでやってきたのだ。歌の個人レッスンをして差し上げた友人とスポーツジムから帰宅の夫も交え食事も一緒に食べ、デザートは昔の写真を見てのゲラゲラ大笑い。「アンタ、昔も痩せてなかったのね!?」とは友人の弁。フンそんなことどっちでも良いじゃん!?とか言いながら、彼女を送り出し、しっかり映画にのめり込んでしまった。最初の映画は離婚した男Aが、元妻と子供の住む家に何度も途中で電話しては断られながら押しかけていくまでの、一日の事と、その日が退職と決まっている警察官Bの心理状態とを平行させながら巧みに描いていた。全く面白い展開で、普通の几帳面なAが職を失い、世の中の理不尽をのろい、それ故のイライラ感を募らせ、まずは車の渋滞に苛つき、渋滞の中に車を放置したまま徒歩で歩き始めるところから始まる。後続の車の人たちが怒声を浴びせても振り返り「家に帰るんだ」と怒鳴り返すだけ。そこからAが出くわす人間や、店舗等が一々苛つく元になる。次々と事件を起こして最後には娘を腕に抱きしめ「大きくなった!」と泣くのだが、その時の元妻の表情がとても良い。病的な彼の思考回路を危ぶみながらも、彼自身には愛情があるという複雑な心理を上手く演じていた。老警官が話術巧みに近寄るが、Aの「三つ数えてから撃つんだ」という決闘に乗り発砲してしまうが、Aがポケットに持っていたのはオモチャの水鉄砲だった。あえて自分を撃たせようとした事がその時初めて分かり、一瞬警官の顔に苦渋の表情が浮かぶ、、、。事件を描きながら、もの凄く人間の心理状態を鋭く表現した面白い映画だった。
 二本目を見てゲラゲラ一人で笑っていると娘から電話で発声の事など聞いてくる。今面白い映画「セブン ナイツ」を観てるというと、それは観たよ、と言って長電話は諦めたようだ。こちらは完全な娯楽映画で、これはこれで娘が言うように面白かった。映画はホントに面白いなあ〜。
 

 

 

2006年9月25日 (月)

いくつかの不思議。

 今日はシェイクスピアの講座で「ロミオとジュリエット」のビデオを見て、鳴いてしまった。いや、泣いてしまった!ハハハ。
 後の昼食会で、「私年のせいで、全然泣けなくなった自分が寂しいです」って言う人が居て、自分が泣いたとは言えなかったが、オリビア・ハッセーが好演していて、見るのも2回目だのに、つい、ほろっとしたのだ。もともと泣き虫なので、何を見てもすぐ泣くんだが、、、、。
 昼食会で話題になったのは、というか私が問題にしたのは、「名前」についてだった。「ロミオロミオどうして貴男はロミオなの?」という台詞から、「バラはバラという名前でなくても、美しさに変わりはない」という説があるのだが、そう簡単に割り切れないのが名前というものの不思議だと思ったのだ。
 それで想い出すのが、ある友人がその母親から改名を勧められたと私に打ち明けた時、単に感覚的なことから私は「そんなの嫌だわ。私ならしない。」と返事をし、私の意見のせいではないだろうが、彼は改名しなかった。ところが、その後の彼の人生は目も当てられない程で、娘は10代で自殺。奥さんも3年後には死亡。本人も会社を退職する羽目に。転職したものの、ことごとくうまく行かず、、、、まあ、今は再婚もして何とか落ち着いているように見えるが、何となく、スムーズでない人生だ。彼の動向を知るたびにどっか胸の一部が痛むのだ。あれは、母親のカンというものだったのか、、、、って、今もその類のことはどうも信じられないのだが、、、。これも不思議な話。
 私は今短歌でペンネームを使っているが、この頃ようやくその名前で呼ばれても違和感が無くなってきた。実在した人物のお名前を一部拝借して、若くして亡くなったその人の人生をバトンタッチするように使わせて貰っているのだ。しかしケッコウその名前が気に入っている。その人の事が好きだったからかも知れない。その方とは1年ほどの付き合いだったし、遠い人だったから、もしこの名前を使わなければ、私の人生で最も遠い人として記憶されるに過ぎなかったと思うが、こうして年中書く、打つ、聞く、口にすることで、最も近い人となってきた。不思議な感覚だ。

 ところで、今日の講義では、この作品が「運命悲劇」か「性格悲劇か」ということが 中心的なテーマの一つだったのだが、若者にありがちな性急さを描ききっている為、性格悲劇的な要素が強いと思われがち。しかし、悪人が一人もいないこの作品は、運命そのものを「悪人」として一貫させている点、矢張り「運命悲劇」だろう。「名前」というものも運命だろうし、、、。でも、運命なんて、ホントにあるのかなあ?そういえば、身近に運命論者が居たなあ〜。しょっちゅう占いどころに通っているらしい。そうやって、ゆだねるというのも、あるいは良いかも知れないなあ。

 ちぇちの練習で、今夜はS嬢が空振りし、Mさんが代打し、そもそも私が交通整理をしているというのも、全て運命か。

 今日はある方で、先日の魔笛に出演された方が、感想を聞いてこられて、小一時間ばかり、かなり根掘り葉掘りほじくり出されたので、本音も喋ってしまったが、流石この方は歌に向かう姿勢が違う、と感心した。何とかして、おべっかでなく、ホントの事が知りたいという熱い思いに、頭が下がると同時に、こうやって、伸びていく人とそうでない人の差が出るんだろうと納得した。声というのは、自分では計れないし、観客として自分を見ることはあり得ないわけで、客観的な感想を聞かない限り、自分のホントの姿はわかり得ないのだ。しかし、キャリアを積むに従い、そういうことから遠ざかっていくのも人間だ。ある有名な歌手も「私もこの頃では誰にもホントのことを言って貰えなくなった。何がつらいって、そこなんだ」と言う。そうでしょうとも。プロと言われる殆どの人が、いつ足を踏み外すか分からないという不安の中で孤独な道を茨の道に変えて歩いていくしかないのだ。それは神に選ばれた人として、当然の道なんだろう。だから、今日聞いてこられた方はホントに凄いと思ったのだ。真の意味で、自分の成長を願っている人なのだ。この方からはホントに多くのことを学ばせてもらうなあ。

 

 

2006年9月24日 (日)

今日は面白い一日だった。

 本日2回目の「魔笛」公演に県外から来られると言う知人とそのお連れ4人、クレメントでランチ。これがバイキングで、用心したにもかかわらず「食べ過ぎ!」何せお相手は若き声楽家、ピアニストといった人たちで、独りで4人を相手にしたのだから無理もない、って、ゆうじゃな〜い!?別に相手をするこたあないんだよねえ、アンタ!ざんね〜ん!てなもんだ。だって、若い子が折角取ってきてくれたスイーツもコーヒーもやっぱ初対面だし、世の中お付き合い、ってこともあるわけさ!フフフ。それに、こと音楽談義の中で、食事が進まないわけがない。全員過剰満足したというわけだ。
 でもって、オペラに行くという彼女たちと別れて、サンポートの国際会議場へと場所移動。本日は宮本亜門氏の講演があり、入手困難なチケットを親切な方が取ってくれて、行けばこれまた友人達が席まで取ってくれている。有り難やと座ったが、当然のことながら満腹のため一瞬睡魔が、、、しか〜し、彼の話しは面白くて、知らぬ間に引き込まれていた。本人も最初に断ったように、別にたいしたことを喋るわけではない。殆ど自分の生い立ちから半生を話し、現在の沖縄の住まいについてあれこれ話しただけだったが、話術が巧みで、彼自体が演出家と言うよりまるで芸人だ。400人以上は居たらしい殆ど中年の方々が、彼の思うがママ右へ左へと揺れてしまう。私も一筋涙が流れる場面もあったし、あとでお茶した友人も泣けたねえ、と述懐していたことだ。偶然にもちょっと前、彼の演出の「イントゥーザウッド」というミュージカルを神戸に見に行った折、楽屋に行こうとして、予期せず初日打ち上げの場面に行きあわしてしまい、彼とか小堺○○とか高畑敦子とかのスピーチを聞いてしまったが、その時のウイットに富んだ話しぶりが想い出された。今年は亜門さんに縁があるなあ。前から画廊の経営者Tさんの麻雀仲間だとは聞いていたが、まだプライベートでは会えていない。その内会えるかも知れないから、今日の話しも覚えておかなくちゃ、、、と言うのも以前池田満寿夫さんに初めてお会いした時、彼がいきなり芥川賞を取った「エーゲ海に捧ぐ」を「私読みました!」と得意げに言ったところ、「あ、そうですか!?奥さん何処が良かったですか?」と突然質問されて、心の準備が無く、しどろもどろになったことがあるからだ。実際読んでいたんだけど、そんなに急に想い出せと言われても、、、と胸の中でぶつぶつ、、。今想い出してもかっこわる〜。だった。そんなことがないよう、今日の「彼が生まれたのは新橋演舞場の前の喫茶店をしていた両親から、産院は先頃話題の愛○○病院だ。小さい頃から芸者衆に囲まれていて、幼稚園の頃にはある芸者さんの白いうなじに実際惚れていた、というから早熟だ。母親を亡くしたときは父親と二人肩寄せ合って暮らし、永く母親の着物を巻いた枕の取り合いをして偲んでいたということ」等々、覚えてられるかなあ〜、、。

 彼の話で面白いと思ったのが、「良いモノは何処へ行っても良いというのは、嘘だ!」という話し。彼がNYブロードウエーで自分の作品を披露しようとした時のことを例に挙げ、その国の独特の文化や歴史の中で、受け入れられるものやそうでないものがあるのは当然だと言う。ま、彼も世界で認められるには苦労があったと言うことだろう。
 彼の話が面白かった理由は、全て彼の体験から出たことだったからだろう。面白いことを言って笑わせるが、確かに話術は巧みだが、全てが、ホントにあったこと、体験したことだからこその迫力なのだ。会場から質問を受けたが、ある年配の女性が不意に「ふおっふおっふおっ」と笑ったのを、「良いですねえ、その笑い方。僕、次にそれ芝居で使わせて頂きます」と言って会場を沸かせていた。それもきっと本音ではないか!?

 なにしろ、魅力的な人だった。

 帰りに又今日のことを反芻すべく、絵を描く人たちとお茶タイム。クレメントのティールームは日が刺してやや暑い位だったが、おいしいグレープフルーツジュースを時間をかけて飲みながらたっぷりとお喋り。最近ヌードを描いてるという彼女達から際どい話しも出たり、音楽の事、文学の事、演劇の事、旅行のこと、その内の一人の生い立ちが全然知らなかったが、旅館のお嬢さんで、もしかしたら女将になってたかも知れないなんぞと聞かされてビックリしたり、、、。兎に角話題には事欠かないのだ。しかし、流石にみんな主婦だ。もう帰ろう!と腰を上げたら5時前だ。私も急いで買い物をして帰ったが、お昼のランチが未だ残っていて、全然食欲が湧かない。夫だけにステーキで、私はぼそぼそ豆乳シチューだ。これ実は今朝テレビでやってたんだが、お腹が一杯でもかなり美味しかったなあ〜、ゲップ。

 

 

 

2006年9月23日 (土)

本日はオペラ。

 「魔笛」というちぇちぃりぁにとっても懐かしいオペラが上演された。地元の先生方によるいつものように豪華な舞台だった。われらがW先生は一際伸びやかなお声で、まあ、カルメンからはほど遠い清らかな声で歌われた。整然とした美しい舞台はセンスが良く、色彩も証明もセットも申し分ない。あの演出家のお顔が浮かぶというものだ。オーケストラも難しい曲をこなし楽しませてくれた。台詞が日本語で大変分かりやすいというのは、成功の一因だろうと思う。なんたって、ここは日本だ!帰り際に前を行っていた中年のおじさんが「今までで一番良かったなあ」と隣の人に話しかけて居たが、そうかも知れないと思った。
 考えてみると私もこの団体のオペラはホントに沢山見て来ている。私のような者が言うのもおこがましいが、確実に全体のレベルが上がってきていて、舞台装置も昔とは格段の進歩が感じられる。これはきっと日本全体のレベルアップに通じるものなのではないか?そして何より観客を置いてけぼりにしまいという姿勢がとみに顕著になってきている点が嬉しい。
 海外から日本を世界でも有数のオペラ市場として狙いを付け、沢山の引っ越し公演が行われる昨今、聞く耳、見る目を持った観客が増え、その事がひいては、業界を育てているのかも知れない。しかし、矢張り最後は声だなあ、、。声が充分活用できてない人も居て、演技は出来るのだが、おしいなあ、と言う人もいる。だからオペラは難しいのだ。突っ立って歌に集中して歌うのとは訳が違う。片手を上げただけで意識が声から離れる事もあるくらいだ。そこに感情移入を加えるとなるとかなりの訓練が必要だ。だからこその面白さでもある。いやあ、オペラはやっぱり面白い!

 ところが、このオペラにあたしゃしっかり遅れていく羽目になった。そもそも手元にチラシではなくチケットのみがあり、字が小さく、16時というのを読んで、それが開場と勘違い。その上、それでも早く出たにもかかわらずホール近辺の駐車場は全て満杯。仕方なく、遥か遠くの片原町向こうのパーキングに止めてタクシーで駆けつける。で、ぎりぎり間に合った!と思いきや、なんのこたあない、充分遅刻していたのだ。しかも5曲まで入場出来ないという。やれやれ、こんなことならタクシーなんか使わなきゃ良かった。

 このところ、かなり友人に怪しまれているからなあ〜。同じ事を2度続けて言ったとか、その人から聞いた話をその人に言ったとか、今日もチケットの袋を4回くらいぽとりと落としたしなあ〜。いよいよ認知症の始まりか、、、。トホ。
 

 

 

2006年9月22日 (金)

あれやこれや、、、。

お店の来客の中には、文学に長けている人もケッコウ居て、今日も兼ねてから私が短歌をしていることに興味を持ってくれているKさんが来られて、1時間ほど私の歌を評論してくれたり、ご自分の川柳の話しや、偉い人の作品評やなんかをあれこれ話してくれた。声楽と同じだなあ、と思ったのが、「貴女、上手くなってきたわねえ」と言われてもさっぱり実感がない事だ。自分で自分の歌が分かればもっと上達も早いだろうが、、、。

 短歌と言えば、どこぞの総理がお辞めになるにあたり、国民に向けて「短歌」を読んだと話題になっているが、あれも短歌なんだなあ、、、。何処までも口語体の人だなあ、、。
 
 昨日はお嬢が「ミルバとジョン・ケン・ヌッツォ」のコンサートに行ってきたと報告してきた。なんでも、ケンの方は有名なアリアの大曲ばかりを歌い、これでもかと、テノールのすごさをアピールしたらしい。盗み録りをしてきたテープを電話口で聴かせてくれたが、マイクがバッグの中にもかかわらず、かなり鮮明に聞こえている。ミルバの方は?と訊くと、即「歳だわ」と来た。往年の大歌手だというのは良く分かるし、今でも歌のセンスは最高だと思うけど、声が無くなってきている、という。それはもしかしたら息が無くなってきているのかも知れないとも。多分それだけではなくて、身体全体で支える力もなくなってきているのだろう。以前私は2度ほど彼女のリサイタルを聴いたが、真っ赤なロングのヘアーの素晴らしさと、小柄だがダイナマイトのような身体を駆使した歌唱力にパンチを受けた。、、しかし、誰でも例外なく歳をとる。今朝も雪村いずみがNHKに出ていて思わず見てしまったが、最近良い映画の主役を務めたらしい。段々ぼけて来て二人暮らしの夫が献身的に看病するも、その夫もガンで闘病生活に入る、、、という物だが、断片的な紹介だけで見てもいずみは驚くほど好演している。しかし、その後のスタジオでの歌は、昔を知っているだけに胸が痛んだ。「ブルーブルーカナーリィ〜、、、、」と聴きながら、寂しさが増すばかり。歳をとるというのは残酷なものだなあ〜。いや、この人なんかは良い方だろう。きれいに歳をとっているし、前向きだ。世の中には悲惨な人も居るからなあ〜。

 てなことで、験直しに友人と温泉に行ってきた。おっきなお風呂はほ〜んとに気持ち良いなあ〜。何よりのご馳走だ。今夜はぐっすり眠れそうだ。

 

 

2006年9月21日 (木)

一番好きな時間。

 ただ今午後11時か。この時間は良いなあ。外を通る車の音も、その日によってはくぐもって聞こえ、今日はしめった感じだ。時折派手な、ミュージックがガオ〜ンと唸って通り過ぎる。若者もこの時間が好きなんだろう。台所では食器洗い機が規則正しい音を立てて動いている。それ以外は、このパソコンを打つ音のみだ。とても子供達には叶わないが、友人が褒めてくれる程には速くなった。まあ、その友人たるや、ゲームピコピコ以外は携帯のメールさえ、滅多に打たない人だ。褒められてもなあ、、、ハハ。
 先ほどやいのやいののご催促で、つまらん短歌を1首出したところだ。まあしかし、少々遊んでは見たが。どっか、山の中にでもおこもりして自然とふれあっていれば少しは良い歌も出来るかも知れないが、私のように、日々けたたましい暮らしをしていては、歌を詠むなんて優雅な楽しみを楽しむにはほど遠い。加藤登紀子の歌に「いく時代かがありまして〜」というのがあるが、そうなんだなあ。今が私の、ある時代なんだ。

 オペラネットワークからある団体の「フィガロの結婚」公演の感想を送ってこられた。

 「これでもオペラが出来るのか、という驚きが先に立ってしまいました。オーケストラはピアノと弦楽5重奏、合唱15人、歌手12人。指揮者と会わせて出演者は計34人セットも手作り風ながら、それらしく4場面を飾り、かなり立派な衣装も着て、照明もつけて、出演者、スタッフの並々ならぬ熱意、工夫の程がひしひしと伝わる舞台で、これこそ、地に足のついたオペラ運動と思いました。
 勿論、歌手の音楽的、演技的レベルの差、舞台経験有無の差は隠しようもありませんでしたが、
それでも、ここまでやれるのか、という感心、感動が先に立ち、これを起点にして、これをベースにして、音楽的演技的レベルを向上させて行って欲しいな、と思いました。、、、」

 このメールは全会員に送られたものだが、読んだときになんとちぇちに似た団体があるもんだ、と感心した。我々も、大きなグランドオペラは本職に任せて、我々は我々にしか出来ない舞台を目指すしかない、とやってきたが、ここに来て、その方針が間違いでないことを知らされた思いだ。多分全国には他にもこういう団体があるに違いない。だって、オペラは面白いし、曲はホントに楽しいし、これをプロと呼ばれる人たちだけに任せて置くてはないのだ。確かに難しいが、だからこそやりがいがあるというものだ。

、、、こうして、余所からも力をもらって、又、がんばれる!

 

 

2006年9月20日 (水)

眠い。

大体いつも舞台や映画を観た後は、必ず見た人と感想を話し合ったり、見てない人にどうだったかを話したり、、、そう、反芻しているのだ。今日もそのカモがやってきて、昨日の芝居の話しを聞かされる羽目になったのだ。そこに母もいたもんで、彼女は二人から聞かされたというわけだ。母の感想を聞いていると、当然の事ながら母なりの作品評があり、先日の「うどん」の映画は「まあまあ」という評価だったが、昨日の芝居はどうやら満点だったらしい。大正ロマン時代に生まれた人は多少感性が違うのかも知れないなあ。

 その友人と夕食を食べて、彼女を送り出してから別な友人と久々にスポーツだ。忘れてるかと思いきや、真面目にやってきたKさん。仕事の後でよれよれ状態。ホントに行くの?と訊くと、きっぱり「行く!」とのおこたえ!そりゃそうだ。入会からこっち、会費のみ払って、半年の間に2,3回しか行ってないのだ。勿論行きましょうとも!、、、で、到着したは良いけど、早速私は「あん、カードが無い!」彼女も「あん、靴がない」カードは帰りに車内で見つけたし、靴は私が予備を持っていたから、ま、つじつまは合ったわなあ。2時間ちょっとジムとプールとお風呂で、外に出た途端、「わ〜、気持ちいいねえ〜!」とソプラノで合唱。目出度く約束が果たせたという次第。
 我が家の前で「気を付けてねえ〜!」と何度か言ったには訳がある。本日、この前の通りの老人保健医療センターV前あたりで、もの凄い事故があったのだ。偶然通りかかったら、大勢のお巡りさんが出て、パトカーは勿論マスコミも何人か、、。何だろうと覗いてみると橋の欄干に車の頭部が逆さまに当たっている。黒くて長い車だと思って近寄ってみると車体が半分に折れて広がり長くなっているのだ。相手の車は軽自動車あったが後部のガラスが粉々になってる他は余りキズは見えなかった。どういう状況だったか知れないが、恐らくはスピードの出し過ぎが原因だろうなあ。、、これは大変な事故だ。私もしばらくは慎重運転になるだろうなあ。くわばらくわばら、、、。

 今日は心地よい疲れだ。

 

 

2006年9月19日 (火)

やっぱり芝居は面白い。

 劇団民芸の「明石原人、ある夫婦の物語」は「良い芝居」だった。アンコールで側の母が思いっきり強く手を叩いていたのが連れてった私としても嬉しかった。民芸独特のしっとりとして、揺るぎない芝居、全然歳をとってない日色ともゑの軽やかで説得力のある声。役者達の素晴らしく響く声とハッキリと聞き取れる台詞。これぞ芝居のお手本みたいな芝居だと感心した。出色はお婆さん役の南風洋子だ。まあ、よくぞあれだけ化けられるという老け方で、初めからだと30年の時間差を演じたのだが、手と手をすりあわせたり、声の出し方、首のかしげ方はホントウによく研究されていた。少しアルコールに酔ったという足の動きにはその後ろ姿に観客から拍手が湧いた程の「芸」だった。こういうオーソドックスな芝居が日本で永く根付いていることに感動を覚えずにはいられない。良いモノは良いのだ。今日の拍手の多さが物語っている。

 しかし、実は今日がこの芝居を見る日だという事をすっかり忘れていて、たまたま来ていた母にこっちのスカートをはかせちょいと身なりを整えて、もの凄いスピードで家を飛び出したのだった。その母がどうしても合点がいかないのか、このスカートをホントにアンタがはいてるのか?としつこく訊く。こんなにきついスカートがはけるはずがないと言うのだ。失礼しちゃうわん、と言いつつ、実は最近はいてないからなあ、、、多分今は合わないのかも、、、、と思ったが、口には出さず、勿論私のだからねっ!と威張ってみせる。外から見るより細い(!)のよ、とも、、、!あはっ!

 

 

2006年9月18日 (月)

エネルギー不足だ。

 朝10時半に家を出て、高速を往復ぶっ飛ばしとあるところで6名ほどでの優雅な昼食の後、FM収録へと出かける。終わって一旦帰宅して、夕食の後ちぇち練だ。メンバーを送って屋島まで行き、思いついて、というより、ひと休憩したくて近くで仕事をしているはずの友人に電話すると、今まさしく帰ろうかな?と車に乗ったとこだと言う。私がよれっとした声を出しているのでお茶でもしようと優しいお言葉。二人で一皿のパスタをつつき苦めのコーヒーを飲んだら、少々身体がしゃきっとしてきた。来月は真面目にスポーツジムに通うことを約束してそれぞれ手帳に書き込んでから別れたが、そのうそホント?ってところだ。お互いいつキャンセルしなくてはならないか分からない身分であることを承知の上でのことだ。しかし、今日は疲れたなあ。どうもエネルギーが不足しているのを感じる。でも、食べるのは食べているから、大丈夫だろう。この私が食べなくなったらホントにヤバイ時だ。

 帰りにAさんと話しながら「オペラは取っつきは確かに難しくて、どちらかというと悪いが、やっていく内に面白くなってくる」という結論。確かにメロディーラインが面白いし、飽きが来ない。これで仕草でも付こうもんなら倍楽しいのがオペラというものだ。さて、、、。

 

 

2006年9月17日 (日)

光る汗に感動した!フフフ。

 予定通り和太鼓のグループの発表会に出かけた。客席はほぼ満席の良い状態。顔ぶれはコンサートで見かける人は見あたらず、知人にも2,3会った程度。本日の連れは同い年の男性Kさんで、兼ねてから和太鼓がお好きというのでお誘いした。
 和太鼓の「演奏」とはホントに不思議なものだ。音の上下があるわけでなく、単調と言えば単調な音の連鎖で成り立つ音楽。しかしそれだのに様々なバリエーションで打たれる太鼓の音色で、あるときは胸をど〜んとつかれたかの如く心と身体の緊張を覚え、あるときは全身が音に呼応して震え出すほどの興奮を覚える。やっぱり日本人ですかねえ、、とは同行のKさん。きっとそうなんだろう。演目に「HURUSATO]というのがあったが、確かに、日本人の心の故郷には、この太鼓の音が似合っている。
 彼らが凛とした姿で太鼓に向かい、ぴし〜っと音を合わせる時、思わず目頭が熱くなった。それは今日という日に向かい、心を一つに励んできた彼らの心意気がストレートにこの胸に飛び込んできたからだ。
 そして今日は思いがけず、主宰者の男性が今回限り表舞台から退くとの舞台挨拶を聞く。確か私より若いのではないか?いや、男性のお年は分からないが、似たようなものだろう。そのスピーチの途中感極まって声が詰まり、無言でうなだれる彼にたくさんの拍手が寄せられ、気を取り直して今後のことを話されたが、いやあ、これにもある種の感動を覚えた。形を変えてこの太鼓の世界で生きていくという彼の言葉に大いなる拍手を私も送った。こんなに素晴らしい若者達を育て、それは太鼓のテクニックだけではないだろう。心のあり方というものを伝えなければ、みんなあそこまでの演奏は出来なかったのではないか。この方のこのときのスピーチは、「青いハンカチ」で汗を拭うというユーモアから始まり客席に受けいていたが、こうした所もこの方の魅力の一つだろう。
 
 お昼はKさんのお供で隣のホテルの中華を食べたが、まあ、この頃はどこもランチをとってもリーズナブルにしているんだなあ。あれだけあって1000円とは、、満席になるのも当たり前だ。
明日もそういえば、ランチだったなあ、、、。こっちは1500円のフランス料理フルコース。

 時代が大きく曲がってお腹が軋む音がする、、、。なあ〜んてね。


 夜はパソコンのメンテナンス。若者3人を交えての夕食は楽しかった。、、、でも、何故か又喉が痛いなあ〜。

 

 

2006年9月16日 (土)

飲酒運転のこと。

 この所ピックアップされてるからとはいえ、相当な飲酒による事故が報道されている。あれだけ悲惨な事故が起きて、みんなの戒めになったかと思いきや、さっぱりその効果は見えない。死刑制度があるからといって、凶悪犯罪が無くならないのと似ている。かくいう私目も、この法律が出来るまでは普通に呑んで運転していた。外見からも呑んだようには見えないのを良いことに、さる警察のエライお方からの伝授で、ここまでは大丈夫という線までは呑んで運転していたものだ。しかし、昔とは車事情が違ってきたのもあり、法律も出来たりで、この所一滴たりとも呑んで運転したことはない。必ず代行運転か、友人を犠牲にするか、家族に来て貰うか、タクシーだ。たまには公的な交通機関を利用したりもする。これだけの手段がありながら、尚かつ飲酒運転する人の気が知れない。しかし、NHKの駐車場における取材には驚いた。平然と飲酒を認めて反省もなく、逆ギレして記者に食ってかかる人も居た。確かに飲屋街の人たちには同情もある。この一連の事によって、恐らくは売り上げも大幅に落ちるだろう。不景気に輪をかける事にもなろう。しかし、それとこれとは別という気がする。人間が生活を営む上で一番大切なところを抑えて、その上での利益や利潤でなくてはならないだろう。

 時代が大きく曲がり始めて軋む音がする。

 昨日アメリカに永く住んでいる人と話したが、アメリカなどでは飲酒は見つかれば即逮捕だそうだ。日本もいずれそうなるかも知れないなあ、、、。


 今夜も初めて個人レッスンを受ける人が居て、「ドキドキわくわく」しているという。そうだ、これが大切。いつの間にか忘れているなあ。初心に戻らねば。この方も、これからの人生が歌によって美しく楽しく彩られ、今より少しでも幸せになれると良いなあ。

 

 

 

2006年9月15日 (金)

深夜ドライブ。

 遂に迷子にならずに坂出インターにすんなり乗れた。ノンストップで高速を深夜走るというのはクセになりそうな爽快感だ。でも、なにやら妙な予感がしていて80〜90キロで走っていたら、あるところで、な〜んとパトカーにとっつかまってる車が見えるではないか!しめしめ今日は真面目に制限速度を守っているのよ〜と側を通り抜ける。守るという意識は実は無かったのだが、スピードを上げなくても充分ドライブが楽しめて、満たされていたからというだけだ。おいしい和のコース料理を3時間近くかけて堪能して、最後のご飯のお代わりがちょいと効き過ぎたなあ、、、と思いながらの帰り道、別に急いでいたわけでもなかった。そうか、人間余裕があるときは大丈夫なんだ。ふむふむ。

 

 

 

2006年9月14日 (木)

何事も予定通りには行かないもんだ。

 今日は絶対スポーツやるぞ、と決めていた。レッスンに来た先生共々ナント5時台に夕食。終わり次第飛び出すつもりだったのに、携帯がもの悲しく鳴るので(別れの曲をダウンロードしてる)なんだろうと見てみると、やや、短歌を早く作れというお達し!げげ。もうそんな日が来たのか。早すぎ〜。、、、でも、根が真面目(!)だから、作るには作った。しかしなあ、、、いつものように、自分で自分が許せない式の駄作ばかり。人の歌の評価は出来ても、自分が詠めない。ジレンマに陥って、、、、や〜めた。
 しかし、スポーツジムはお休みだ。やれやれ。明日はさるよんどころないお方を料亭にお連れするというお役目。明後日はレッスンだ何だと忙しい。明後日は和太鼓のあと、パソコンの調整だ。月曜日もちぇち練があるし、全然行けない。トホホホ。なんでこうなるの?

 気のせいか今夜の虫の声は元気がないなあ。まさか、まだしばらくは鳴いていてくれるよねえ〜?

 

 

2006年9月13日 (水)

♪オヒサシブ〜リ〜ネ〜、、ハイハイ。

 別に酔っぱらってるわけではないが、余りに疲れて妙にハイテンション。今日も雨で、従ってむち打ちが出て、その上本業が忙しくて、、、でも今日こそはスポーツだと心に決めていて、早くから残りご飯で食事を済ませ、夫には別に準備して、夫が帰るや否や飛び出したが、行くときから妙に疲れていたのだ。でも、何よりの薬だと夫が言うのを一応信じて出かけてみた。まあ確かに、身体は軽いような気がするが、何しろ疲れた!駐車場に出たらまだ降っている雨に濡れながら、走る元気もない。ヨーグルト用の牛乳を買おうとコンビニに行くと公衆電話辺りから全然聞いたことのない言語が聞こえてくる。買い物をして出てきても未だそのどこかの国の青年は電話中だった。口調から、家族か、恋人か、特別に親しい人にかけているのが分かる。ふっとこのコンビニ前広場が外国であるかの様な錯覚にとらわれる。、、今日は、ドイツ、スイス、パリを旅してきた友人が来て、さんざん土産話を聞かせて帰ったから、そのせいかも。そうだなあ、、、まだ行きたいと思う今の内に行っておかなくちゃあ。、、、この所の体力の低下を考えると、かなり妖しくなってきてるからなあ〜。

 

 

 

2006年9月12日 (火)

雨がパラパラ、ず^〜っとパラパラ。

 今テレビでパラパラダンスというのを初めて見た。なかなかに面白いダンス。20年若けりゃあ私も踊るんだけど!今踊ったら、身体がバラバラだ!
 関係ないが、今日は宇野港辺りでパラパラ雨に見舞われた。風もケッコウ吹いていて洋服のエリをかき寄せる。明日はもっと寒くなると連れが教えてくれる。ヒマを持て余しているという友人が岡山のシャンソン教室に付いていくという。別に断る理由も無いから同行したが、行きはメチャクチャ眠くて、眠気覚ましに彼女が持ってきてくれた手作りのお弁当を食べたり「濃い茶」を呑んだりしたが、フェリーに乗船するや否や我慢できずに20分ほど爆睡。すっかり喋る気満々で付いてきた彼女に悪かったが、こればっかりは仕方ない。まあ、目覚めて挽回だ。
 先月はダウンしていて行けなかった為にホントにしばらく振りの対面だ。見学者が来ていたが、みんなが余りに良い声で歌うので、かなりびびってお帰りに。あれではついて行けないと思っただろうなあ。みんな良い声になってるからなあ。同行の友人も頻りに感心。継続の結果だ。問題が全くないという訳ではないが、みんな、好きだという一番大切なものをしっかり持っているから大丈夫だろう。短い人生の楽しみなんだから、、、。

 外は虫が嬉しそうに鳴いている。でも、この秋の良い季節はすぐに終わるんだろう。。。。

 

 

 

2006年9月11日 (月)

本日はシェイクスピア講座遅刻。

 やっぱり予想通り二日酔いだ。ひどくはないが、いつもとは違う感じで、二度寝して講座に1時間遅刻してしまう。本日は「ロミオとジュリエット」だったが、従って、先生のお話は全部聞き逃す。しかしビデオでは久しぶりにオリビア・ハッセーの充実した若さにうっとりした。改めてじっくり見ると、一目惚れがこれ以上はないほどに美しく描かれている。「ロミオロミオ、貴男はどうしてロミオなの?」余りに有名なこの台詞も少しも不自然でなく、素晴らしく光を纏ってほとばしる。ベローナで実際にジュリエットのバルコニーに立ったことがあるが、この映画の方がず〜っと大きくて素敵だ。

 アトの昼食会ではいつものように色んな話しが出たが、例のハンカチ王子やら、皇室の男子出生やら、マスコミがヒステリックに取り上げすぎていて、人心を煽動している。もう少し冷静になれないのか、、、とかの意見があれこれ出て盛り上がった。新しい参加者がいるので自己紹介をすると驚いたことに、同席の人はみんな何らかの趣味なり、特技なりを持っている人ばかり。絵を描く人、俳句、川柳、短歌をたしなむ人、ピアニスト、聖書研究家、お茶の先生、旅行家、生き字引のような読書家、、、、etc。話しが面白いはずだ。シェイクスピアを通してこういう方々と親しくなれたのはホントにラッキーだった。

 大学に行く前にあるところで長い行列を見る。みんなに報告するとそこは有名なおうどん屋さんだそうだ。そういえば、あとで通ってみても未だ行列が、、、。「ちく、なんとか」このごろ名前覚えられないんだよなあ。

 そのあとはシャンソン教室を済ませてからみんなでTさんのお見舞いに行く。どうやら退屈仕切っているようで、つい長居してしまった。大勢で押しかけたから、アトが寂しいかもなあ〜。しかし、病院てとこは入るだけで気分が滅入るところだ。

 夕方からはいつものようにちぇち練だ。朝からず〜っと集中していたので、実際、この時間になると集中も切れることがある。でもみんなのエネルギーを貰ったら、少し元気になれた。遅い夕食をバタバタと作り、食べたら又ぞろ眠くなってきた。何となく疲れてるなあ〜。夏の疲れだなあ。

 

 

2006年9月10日 (日)

二人だけの飲み会。

 全く久しぶりに女二人で「呑もう!」ということで出だしは威勢が良かったが、4時間以上呑んだり食べたりした挙げ句、夜も更けてテクノを待つ間、つらつら呑んだ量を考えると、「な〜んだ、たった日本酒3合とビールジョッキの小1パイじゃ〜ん?」「可愛い可愛い」、、、と言いつつ、こんな筈じゃあ無かったなあ〜とも。そもそもあたしゃ日本酒に弱いんだ。おちょこ1パイで寝ちゃったという前科もあるし、例え1合半でも相当来てる。ろれつが回らないほどではないが、思考回路に乱れが少々。ただ今100回目かと思う大欠伸をする。眠い!
 最初に呑みやすいお酒を貰って、これが濃厚すぎたので、次はさっぱり系越の寒梅で行くことに。3本目はナント、「口説き上手」という名前のお酒。こりゃあ、一緒に呑む相手が違うなあ、、、ハハハ。

 この強烈な眠気には勝てそうにない。。  

 

 

2006年9月 9日 (土)

今日はお嬢の誕生日。

 娘が生まれた9月はよく台風が来て、退院した日には床上浸水になるかも知れないというので、4Fのお宅にお邪魔して親子で寝かせて貰った覚えがある。その部屋の窓から下を見下ろせば、水田(みずた)市営団地は一帯が水浸し。車はぷかぷか浮いていて、ボートでロープにつなぎ流れていくのを止めようと何人かの男性が出て立ち働いていたのを思い出す。空にはヘリコプターが旋回し、至る所からサイレンが聞こえてくる。まるでゴジラ映画のワンシーンのような光景だった。今にして思えば、このみずた、という地名はその昔、水が出たという土地柄だったのだろう。市営団地は考えられないほど1Fが高く作られていたもんな〜。
 こんなに世の中が騒がしいときに生まれてきただけあって、この子の人生もかなり騒々しい。いったい次は何を言い出す事やら、、、。何かと言えば「お母さん、大事件!」と電話してくるこの娘の声にどうしても慣れなくて、毎度どきっとしてしまう。
 だが考えてみるとよくぞここまで生きてくれたもんだ。いろ〜んな病気や(ケッコウ病院がよいもしたが)事故や(そう言えば事故にもあってる)誘拐(痴漢には何度か襲われた)その他もろもろをかいくぐって生きてきたわけだが、この所、子供を失った親の映像をテレビで見るにつけ、ああ、これが我が家でなくてホントに良かったと思ってしまう。あの3人の子供が溺れて死んだ事故など、もしあれが自分の子供達だったら、気が狂うかも知れないと、、、、。

 子供とは私にとって、「生まれてくれて、有り難う」との雅子様の言葉通りだ。願わくば、この娘にも私と同じ思いを味わって欲しいものだ。が、、、、。

 

 

2006年9月 8日 (金)

酷い話し。

 例の高専殺人事件が、ある程度予測されていたとはいえ、犯人自殺という最悪な形で解決したようだ。殺された側は勿論殺した側もナント痛々しい結果になったことか、、。こういう酷い事件が1億人もの人口のホンの数例にしか過ぎないと、頭では分かっていても、連日のテレビ報道で、不安や恐怖心といった負の気持ちが日々増幅されるのは致し方ない。

 一方で間もなく訪れる9/11について天声人語で語られたように、アメリカはあのテロで亡くなった人数を上回る殺人(!)をイラクなどで行っている。今、日本で事件による一人二人の命が大きく取り上げられるが、テロや戦争で一度に大勢の人が亡くなることと、人間一人の値打ちは同じではないのか?

 朝のNHK連続ドラマで、戦地から奇跡的に生還した一兵士の苦悩を扱っている。それは戦地という特殊な環境で人を殺め平和な日本でその行為を振り返るときの人間としての苦悩だろう。しかし、いつであれ、殺人は決して犯してはならない罪だ。「殺したい」という気持ちと「殺す」という行為の間には南極と北極ほどの距離がなくてはならない。その距離を歩く内に少しずつ気持ちに変化が訪れ、殺人までに至らない、、、、筈だ。しかし、もしや、現代の子供達にはその距離がないのか。仮想空間を生きている若者達には一切の距離がないのかも知れない。

 今夜のFM収録は近々公演を控えている和太鼓のグループのメンバー達だったが、みんな胸に熱い物を持ち、それを誇らしげに大切にして生きている。彼は言う、「太鼓は嘘をつきませんから、、、」彼女は言う、「少しでも先輩に近づきたい、自分の太鼓が打てるようになりたい、、、」、そしてリーダーは言う、「自分にリーダーとしての資質が無いことを知り苦悩の中で頑張ってきましたが、本番はみんなの力を貰って、最高のステージにします!」、、、正直、彼女たちの気持ちの良い言葉を聞きながら、うるうる状態の私。日本にはこんな若者達もいるんだぞ〜!って、叫びたいくらいだった。

 

 

2006年9月 7日 (木)

オペラはほ〜んと面白い。

 先ほどレッスンにやってきたSさんとご飯を食べながら借りていたオペラのビデオを見たが、中に「アイーダ」の抜粋があって、これは素晴らしい歌とオーケストラと指揮振りにビデオと言えども感動した。別に私の大好きなドミンゴちゃんが出てたからと言う訳でなく、、、、。
 ラダメスが自分の愛する人アイーダを敵国の王女だと知る場面、彼女の父親役と恋敵のアムネリスの重唱は激しく、時に甘く、時に切なく、聴く物の魂を揺さぶる。二人で「この感動は、やっぱりあのオペラハウスの中で歌われてこその感動だわねえ、と話したが、ホントに馬蹄形のこのホールが又素晴らしい。客席のなみいる紳士淑女が全てオペラ通のようだったが、これも音楽の歴史のなせる業だろう。

 昨日サンフランシスコ条約に触れたが、まさしくその条約締結の場所が、サンフランシスコのオペラハウスだったのだ。その当日は歌はないが、本物顔負けのドラマが展開されたというわけだ。

 

 

 

 

 

 

2006年9月 6日 (水)

ヨガ。

 偶然スポーツジムに行くとヨガの時間だったので、兼ねてからやりたいと思っていたため即申し込む。「初めてでも大丈夫ですか?」と聞くことを忘れない。「簡単ヨガですから、大丈夫ですよ」と若い男性。でもなあ、簡単エアロってえのは、簡単じゃなかったからなあ〜。と内心びくびくもの。ところがぎっちょん。簡単すぎて、へ?って感じ。なんだか手応えがない。、、、しか〜し、しばらく経って気が付いた。自己採点すると実は多分30%くらいしか言われたことが出来てないみたい。言われた通りの動きは出来ても、それに伴う呼吸ときちっとした姿勢が出来てないのだ。他の人を盗み見てると、ギョッとするくらい身体が柔らかい人が居る。きっと慣れているんだろうが、インストラクターより凄い。そ、か。ヨガとはそういうものなんだ、というお勉強をしただけに終わったなあ。願わくば、こんな私のような初心者には手取り足取りチェックを入れて欲しいなあ。やっぱりこういうところでは無理なのかも。
 でもって、折角来たんだからと自転車を30分。少し汗ばんで、お風呂に入って帰る。先日のややハードなスポーツで緊張した分をほぐした程度だ。、、だが、声が又おかしい。妙に裏返る。声変わりしている子供のようだ。きもちわる〜。
 
 本日は皇室に男子が誕生したと日本中のマスコミが大騒動だったが、昨日のNHKのニュースでは明らかに分かっているかのような言い方だった。今時当然分かっていただろう。しかしそれは秘密だったのだ。さっき自転車を漕ぎながらテレビを見ていたら、「その時歴史が動いた」という番組をやっていて、サンフランシスコ条約にいたる過程や、敗戦国のトップとしての吉田茂の苦悩を細かく放送していた。その条約の影で「安保条約」がセットで秘密裏に交わされていたというのだから、矢張り歴史の裏側では大いに秘密がまかり通っているに違いない。その時その時の選択で歴史が作られていくが、一つの国をホンの一握りの人間が動かすという事実をまざまざと見せつけられた。ということは、人物を選ばなければならないということだろう。一票が大切だ。
 話しが逸れたが、CNNのニュースで特番が組まれて、日本の皇室の異常さをまとめて放送したらしい。夕べそれを見るまで起きていられなかったので、かいつまんだ予告だけしか知らないが、どうやら外国の人から見て、日本の皇室は余りに偏見や因習に充ち満ちて外部から嫁がれた女性にとっては身体に変調を来すほどいびつである。雅子さましかり、美智子様しかりで、最近では雅子様はオランダでの静養中素晴らしい笑顔で過ごされていたが、皇室にあってその笑顔を見ることは出来ないのだ。心ない中傷で、まるで子供を産む機械の様な扱いを受けている、、、、etc.
、、いや全く。外国人でなくてもそれらしい事は感じている。雅子様ほどの女性を閉じこめるのではなく、その素晴らしい資質を生かした生活が送れるように出来ないものか?皇室こそ改革すべきでは?それにつけても一般ピープルって、良いよなあ〜〜。

 

 

 

2006年9月 5日 (火)

忘れてた。

 昨日はジムから帰って一眠りしたためすっかり忘れていたが、ジムでは大変愉快なことがあった。ある教室でインストラクターの若い先生Oがいきなりレッスンを始める前に口火を切ったのが、「皆さん、地球温暖化ってどう思います?」だった。これは若い女性が自分よりも年上の人たちを前に演説をぶつにはちょいと意外な内容だった。彼女の言いたいことはざっと次のようなことだった。この所の地球温暖化によってカナダのナイアガラの滝の水が現在ただ今全てストップしているという。「皆さん知ってましたか?」年間何百人という観光客を迎えるこの名所が全然意味のないものになっているという。その上、間もなく地球の温度は2度上がるんだそうだ。そうすると南極の氷が溶けてしまい、その水によって海の底に沈んでしまう島々がたくさんあるという。「皆さん知ってましたか?」これを世界中の人々が一致団結して阻止しなければイケナイのに、日本も二酸化炭素の量が世界ワースト4位であり、京都議定書も意味をなしてないのが現状だ、、、云々。この特集番組を見たOさんはそれから怖くなって全然眠れなくなった、と言うのだ。で、自分に何が出来るかを一生懸命考えたんだそうだ。車になるだけ乗らない、エンジンはこまめに切る、マイ箸を持ち歩く、、、、等々、そして、この事実を一人でも多くの人に伝えなくては!と考えたというのだ。このトレーニングジムの部屋は間もなく大拍手に満たされた。それには「分かったよ、私も頑張る」から「アンタは若いに似合わずエライ!」まで色んな意味があったと思うが、私も心から拍手を送った一人だ。この5分間の演説はその辺の政治家のずっと上を行っていた。それは若さだと言ってしまえばそれまでだが、自分が心を動かされた物を伝えたいという純粋な感情の吐露であり、これが誰の胸をも打ったのだろう。確かにスポーツ界系のストレートな性格だが好感を持った。その後のトレーニングに一層の親密度が増し、いつもとは明らかに違う晴れやかな笑顔で別れの挨拶をするOさんと参加者達であった。この施設には沢山のインストラクターがいるが、これで私達は彼女のことを忘れることはないだろう。

 

 

2006年9月 4日 (月)

2ヶ月ぶりのジム。

 朝から肩こりがひどく憂鬱な顔をして起きていくと、夫がそんなのスポーツしたらすぐ治るからとっととジムに行けと言う。まあ、それもそうだとまだ喉が痛いのを押して出かけてみた。義妹と一緒だったが、普段は別々に行ってるからお互いに情報交換をしながら楽しくやった。マシンを少し、「ストレッチ体操」も「腰痛体操」もこなし、自転車は150キロカロリー消費と決めて50分ほど踏んでみた。義妹はこんなにしたことない、と悲鳴を上げていたが、これくらいやらないとやった気がしないでしょ!と励まして次はプールだ。ここでも数十分いて、お風呂に入って出たら、まあ、おなかが空いたこと!2時過ぎに十穀米のランチを食べに近くの喫茶店に行く。これが又茶そば付きの天ぷら付きの茶碗蒸し付きの焼き魚つきランチだった!あの苦労はもしや水の泡?「でも、スポーツしないでも食べるんだから、全く無駄じゃないよね、、、」と言い訳をしながらの食事であった。やれやれ。
 自転車が長く出来るのも個人のマシンの前にテレビが付いているからだ。今日のワイドショーのテーマで「万引き」をやっていたが、万引きGメンなんて仕事の人がいるらしい。スーパーの店内に入ってきた人をモニターで見ながら「あの人絶対万引きするわよ」と当てていく。その理由の一つがバッグのチャックが開いていることだったが、考えてみると私もよくバッグのチャックを開けたままで買い物をしている。もしや疑われていたのか?これからは必ず閉めて歩かなくては、、、などと考えてる内に自転車漕ぐのも苦にならないのだ。しかしまあ、あんまりやりたい仕事ではないなあ。たまたまだろうが、今日あがっていた人は67歳の男性とやはり同じくらいの女性で、どちらも1000円そこそこの万引きだ。そりゃあ金額に大小はないだろうが、いとも哀れで、、、、。
 テレビでもう一つ、例の殺人して逃走中の男の子の母親が電話インタビューに答えさせられていたが、これも痛々しかった。勿論この母親は加害者側に立っていなくてはイケナイんだろうが、この取材そのものが聞いていて背筋が寒かった。そこまで取材する必要って、、、、。

 今日のちぇち練は時間が足りなくて困った。この所ずっとこういう調子だ。が、みんな真剣に取り組んでいて気持ちが良い時間ではある。新しいメンバー達も飲み込みが早く、即戦力って感じだ。秋になって、気持ちも新たにスタートだなあ。

 

 

2006年9月 3日 (日)

遂に行った!

 県下で撮影されたという映画をようやく見に行けた。出演者に大勢知人がいて、どんな風に映っているかが楽しみだったが、ストーリーにはまっていると、どうも沢山見過ごしてしまったようだ。K君、とかMさんは目立つからすぐ分かったが、あの人もこの人も全然分からない。もう一度見ないと無理だなあ。
 珍しく予定がない夫が言い出しっぺで母を伴い出かけたのだが、私の予想通りベストタイムに入ったようだ。レイトだと多いだろうし、普通だと夕食時は空くだろうと想像して行ったが、どんぴしゃり。通路から前はゼロという空き具合だった。3人とも老人割引で何だかおかしくて3人が顔見合わせて笑ってしまう。。入る前に買った飲み物がレギュラーサイズだのに室内が寒すぎるのもあって、全然減らない。な〜んてこと思ってる内に映画の中に引き込まれて結局は氷が溶けただけの水っぽい液体に変わっていた。それほど面白かったのか、と言われると、これが予想以上に面白かった。過去の話でなく、現在リアルタイムでうどんブームなので、どう扱われるかが楽しみだったが、上手い処理だと思った。待ってる間に友人の男性と会い、彼ら夫婦が「スーパーマン」を見に行くというのを、やっぱり年寄り組はうどんかあ、と内心不安だったが、これで大正解。母も満足、夫も時々眼鏡を外して泣いていた。私はといえば、挿入曲の一部がカルメンなのに驚いたし、この監督がこのオペラの内容と映画をダブらせて使っているとしたらこれは、、フム。だった。ただの娯楽映画とも言い難い、鋭い視点もあり私の中ではかなりの秀作。そうそう、その知人の話では、この映画の封切りと同時に東京の讃岐うどん屋が麺売り切れの悲鳴。花、、、も50%アップの売り上げだそうだ。恐るべし讃岐うどんという本があるが、恐るべしうどん映画!だ。香川県の思うつぼにはまっているではないの!、、しかしまあ、県人には県人ならではの楽しみがある映画だった。まあ、県外の人から見ると、これで香川県が凄い田舎だと思うだろうなあという撮られ方。こういう情報で知っている人たちが高松に来て大いに驚くというわけだ。でも、讃岐をきれいに撮ってくれて有り難う!って感じだったなあ。

 しかし、これから行く人には、是非一枚上着を余分に持参することをお勧めしよう。ショール1枚では寒かった!

 

 

2006年9月 2日 (土)

夜は秋だ。

 大阪あたりでは噛みつきたいくらいの日中の暑さだとあるブログに書いてあったが、高松だとて大して変わらない暑さだ。でも今夫と温泉から帰るのに車のエアコンを切り、窓を開け放って走ると気持ちの良いこと!夜はきっちり秋なんだ!

 今日は4人のお子さんの内半分が糖尿病だという人の話しを聞いたが、この頃若い人の成人病がとても多いそうだ。ペットなんかもそうらしいし、矢張り口から入る物に異変が起きているに違いない。もう何十年も前に「複合汚染」という本を読んだが、あの時の警告が今証明されているんだろうなあ。何時の世にも先見の明がある人がいるんだろうが、世の中がその人について行けないのだろう。でもその数少ない勇気ある人は、多分切歯扼腕だろうとは思うが、時間は掛かっても人間にも分かるときが来る。手遅れかも知れないが、誰も指摘しないよりは矢張り良いだろう。、、でも、ホントにどうなっていくんだろうか、地上の生物達。ま、間もなくあの世に行く我々には大した影響がないだろうが、近い血縁は間違いなくアブナイだろう。そう、我が家に舞い降りた天使もアブナイ一人だ。どうぞ無事成人して幸せになって欲しいものだ。とりあえず今夜の温泉に来ていた子供達のようにすくすくと大きくな〜れ!

 

 

2006年9月 1日 (金)

う、9月だ!

 カレンダーを何枚か破り捨てながら、もうあと4ヶ月で今年が終わると言うことがどうにもこうにも飲み込めない。1年の四分の三が終わったなんて、お正月からこっち一体何してたんだろう?まあ、半分はぐずぐず不定愁訴だ。実際に病院通いと薬の数が半端じゃあない。、、、なあぜ?(単なる歳のせいか)

 で、今月からはまたまた急流に乗って転覆しないようにと船を漕ぐのだ。しかし、この所、心のごく一部に重い鉛の様な存在を感じる。普段は気付かないのだが、ふとした瞬間に今していることを全部止めてしまいたいと強く思っている自分に気付く。外を眺めては、あの木のように風に吹かれて、ただ立っていたい、とか、あの石になりたい、とか、いっそ風なんかも良いなあ、、、、と夢想している。今年の異常な暑さに、何かが蒸発してしまったのかも知れないなあ。

、、、人生の秋かも。

 

 

 

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