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2006年8月

2006年8月31日 (木)

雨の色が違うなあ、、、。

 久しぶりにゆっくりと雨が降る。車が雨の音を立てながら走っていく。、、、しかし、この雨のお陰でわちきは朝から調子が悪い。首が凝って目から上がどんよりしている。まあ、昨日のはるけき迷走のせいもある。。しかしなあ、、、思い返すだに腹が立つ。いや、自分に。でも何処でどう間違えたんだろう。未だに謎だ。もしやタヌキか、、?

 本日届いた短歌の会からの新聞に、耳の痛いことが書かれてあった。主宰者のS氏の言葉として、「趣味で終わるか文学になるかは、その人の努力・資質次第、、、」って、この言葉は歌会にご本人が口にしたはずの言葉なので、耳が痛いではなく、耳が悪いが正しい表現か。いやいや、思い返せばその時も今と同じ気持ちを持ったはずなのに、忘却の彼方だっただけだ。文学、ねええ、、。やっぱりそれは目指さなければ得られないなあ。資質にしても、ほったらかしでは枯渇していくだけだろう。まあ、今のあれこれが出来なくなった時、短歌の花が開くかどうかは、今の時間の過ごし方によるだろう。S氏に引っ張って貰ってようやく何とかつないで行けてる哀れな状態を、どこかで変えなくてはいけないだろうなあ。でもなあ、、、この引っ張って貰ってる感じも良いんだよなあ。な〜〜んて、ごめんちゃいちゃい。
 しかし、実はこのS氏の情熱こそが、ちぇちに最も欲しいものだ。いや、ちぇちのみならず、世の全ての団体にはこの磁石の吸引力、接着剤の吸着力が重要だ。分かっているけど出来ないのだ。多分自分が可愛い人が多いから。S氏の様に自分より団体の方を大切にする人がなかなか居ないのだ。吸引力を持って集めてくればそれだけストレスが増えるだろう。引き留めようとすればもっと激しく自分を傷つけることにもなろう。それを怖がっていては出来ないという事だ。

 近い人が交通事故。悪い側だが双方ケガ人がないのが幸い。いやあ、ホントに気を付けねば。明日は我が身だ。

 

 

2006年8月30日 (水)

急がば回れ、、、。

 この件について長々と書いたのに、いつの間にか消えちゃった!再度打つ気がしないので、本日はこれまで。

 FMプリマ2本録り、和のフルコース、坂出までお送りしての帰り完全な迷子に!およそ30分ウロウロウロ。参った!

 

 

 

2006年8月29日 (火)

雨、一雨。

 FMを終えて外に出ると車にぱらりと雨の粒。軋むワイパーの音におびえつつ空を見るがどうもこれでジ・エンドらしいとオフにする。まあしかし、少しは秋らしくなってきた。忍び寄るというのがピッタリな表現だろう。秋に相応しく本日の私のとった行動は「健康診断」!殆どゆで豚状態の我が肉体を点検して貰わないと、どうも今年を無事終えられそうにないと気付いたからだ。しかし、今日は新メニューに驚いた。「腹廻り」のサイズを計る、な〜んてのがあって、たださえ若い頃より背が2センチも縮んでいることにショックを受けているのに、この上何たる所業!「お楽にして下さい」と看護士さんが、まるで私が無理にお腹を引っ込めてるみたいな言い方をして計ったが、今更そんなことしたいけどしませんって!(言いはしない。思っただけ)きっと来週結果を聞きに行くとろくな事を言われないんだろうなあ。、、、グスン。

 本日のゲストはソプラノ。数年前からコロに転向して、今は歌うことが楽しくて仕方がないと言う。まあ、我が娘より若いくらいだから、希望に燃えていて当然なんだが、羨ましい溌剌さだった。彼女は何度かちょろっと話したくらいでよく知らなかったが、なかなかチャンとした考え方が出来る人だ。将来の夢は、小さくても良いから沢山コンサートをして、人前で歌うことで自分をもっともっと磨いていきたい、という。この強い上昇志向はちぇちとしても見習うべきものがある。我々の今日の一致した意見は、音楽をやっている人同士が、もっともっと協力し合わないといつまで経っても高松で良い演奏会は出来ないだろうということ。観客あっての舞台だということもしっかり掴んでいる。今日はあこがれのコロの歌手ナタリー・デッセーという人のCDを聴かせて貰ったが、ホントに素晴らしかった。ミキサーの局の方も頻りに感心していて、段々オペラが好きになってきたという。まあ、10年近くやってきて、すこ〜し、手応えが出てきたなあ。我ながらよく続いている。勿論、ヘルプあってのことだが、さあ、いつまで現役でいられることか。まあ、歌えなくなっても出来るわなあ〜、このお仕事は。。。

 

 

2006年8月28日 (月)

やりすぎ、、、か。でもねえ。

 Kさんに送り迎えして貰って午前中はシェイクスピア講座を受講。昼食会の司会をしてアトはシャンソン教室、息子と買い物、夕食準備、ちぇちの練習。一日の終わりに近づくに連れ段々声が出なくなってくる。ちぇち練習は目が霞みやばい感じになってきて、ほうほうの体で帰宅。が、明日水戸に帰る息子が待ち受けていて、急に髪を切ってくれという。いや別に良いけどね。ちょっとビールの一杯も飲ませてよ、、、、これじゃあ、息もつけない。

 明朝はこの息子とその家族が帰るのを空港まで見送る予定だ。長い夏が、我が家の夏が、ようやく終わろうとしている。まずはそれからが私の時間だ。は〜っ。

 

 

2006年8月27日 (日)

今日も今日とて、、、。

 連ちゃんの演奏会で、今日は又オペラだった。地元出身の若手が中心にオペラ活動を続けている意欲的な団体だ。ここも満員御礼、立ち見だった。なが〜いオペラを立ちっぱなしで見るというのは全くお気の毒なこと。ちょいと早めに出かけていた私とTさんはゆったりと観賞できた。しかし、彼女も私も連ちゃんの音楽鑑賞に集中力が要求されて、終わった途端「つかれた!」とため息。音楽鑑賞連ちゃんというと如何にも贅沢に聞こえるが、舞台に立っている我々としては安穏として見ているわけにはいかないのだ。ただの観賞とは違う要素がある。他人のことは良く分かる式の観察もあれば、実際の発声の勉強をしたりもする。疲れて当然だ。あるマスコミの人と出くわして、彼が「こういう裾野を広げるっていう意味の公演があっても良いよね」というのを聞いて、そうなんだ、この人のような著名なプロの舞台を見慣れている人もそうでない人も来ているのがこういう公演なのだ、と改めて実感。やる側の趣旨がハッキリしていれば、説得力があるということだ。個人的には今日のカルメンは声が正当派で他の人たちと一線を画していたと思う。近県で色々聴いたが、この女性は成熟した大人の女を歌っていた。コーラスがやたらと多い舞台で雑然としていたせいか、ソリストが全体に地味だった。ピアノ2台という伴奏形式は矢張りコーラスの多さにバランスを欠いていた。そんな中だが私の好きなAさんは相変わらずの切れの良い弾きっぷりで、丁度2階席からバッチリ拝聴、ほれぼれした。見ても楽しいピアニストというのも滅多にいない。ず〜っと出ずっぱりのピアニストさん、ご苦労さん!だ。もう一人のピアニストが汗を拭き拭き退場しているのを見て、つくづくそう思ったが、ちぇちもなあ、、、ピアニストをこき使ってるからねええ〜。もう一つ、主催側の人間は、歌だけ歌っていれば良いと言うモノでなく、採算のことから始まり、集客やら、宣伝やら、メンバー集めやら、練習形態やら、ゲストへの気配りやら、会場、音響、照明、舞台装置、衣装、スタッフ、受付にまで気配りが要る。それをこなしながらやったのであろう事が、歌い手の声に出てしまうのは、こういう手作り舞台のやむを得ない事情なのだろう。誠に残念、ときっと私もそう思われてきたのだろうなあ、、、。その辺の事情が私には分かるが、、、、。
ところで、今日は出演者の半分が知ってる人だったかも。フラメンコダンサーもFMで楽しくお話しさせて貰った人だったが、これは予想以上に素晴らしかった。個人的にフラメンコが好きというのもあるが、いや〜、興奮させてくれた。

 なんだかんだと感想を言い合いながら帰宅途中夫から電話が。「夫がお腹を空かして待ってるよ〜」だと!こっちだって同じなんだから我慢して〜と叫び返して急ぎ帰宅。Tさんに手伝って貰って一緒に夕飯だ。ふ〜っ、やれやれ。

 

 

2006年8月26日 (土)

濃い一日。

 午前中に予約客をやっつけて、11時半頃空港着のラオス組を迎えに行く。着いてみると孫りんを抱えた嫁りんが汗を拭き拭きやってくる。泣かれるかと思ったが、ホンの少しび〜っとなってアトはオーケーだった。しかも段々慣れてくると抱かれたまま私の顔を黒目がちのつぶらな瞳でじ〜っと見つめる。まるでこの顔をインプットしようとしているみたい。流石に昨日今日と続いたからか、どうも自分の縁者らしいと思ってきたようだ。いや〜、、、なんともかんとも、可愛いではないの!

 そうこうしていると心配していた学生達も元気で帰国してきた。流石若さだ。「皆さんが気を遣ってくれたので、大丈夫でした」と礼儀もなかなか。一番疲れていたのは我が息子、すなわちこの学生達のゼミ教官というわけだ。
彼らをひとまず我が家に送り届けて、こちらはHさんの車を運転させて貰い坂出の演奏会だ。日中の暑さは半端じゃあない!さしものホールの冷房も効きが悪く、みんなあおぐあおぐ!その上満杯の大盛況で立ち見が出る始末。時節柄全員にイスをという配慮もあって、だいぶ遅れての開演となったが、誰も帰らない。
この方の演奏会は東京上野文化会館、紀尾井ホール、琵琶湖ホール、香川県民ホール、徳島、高知愛媛、広島とかなり色んな場所で色んな大きさの演奏会を聴いてきた。最近ではニューヨークカーネギーホールだが、彼女の素晴らしさはどんなビッグな演奏会も、小さな町の演奏会も、決して手を抜かない。プログラミングしかり、愛嬌を振りまくこともしかり。むしろ観客へのサービスは小さい演奏会の方がしっかりあるようだということ。これは舞台に立つ者にとって肝に銘じるべきことだ。観客が少ないと安心して楽に歌えるということを言う人が居るが、それは間違っているということが、彼女の姿勢を見ていて思うことだ。

 打ち上げに参加してKさんと二人JRで高松駅に。坂出のホームの向こう側に後発の電車をまつMご夫妻の笑顔が。楽しげなデザインの帽子を振って投げキッスまで!辺りをはばからないサービスにニューヨークの夜を想い出しこれまた辺りをはばからずゲラゲラゲラ。いやあ〜、良い音楽会のアトはハイになるなあ〜。フフフ。

 Kさんに家まで送ってもらったが鍵が開かない。ちょうど高速バスに学生達を送っている頃だと気づき廻って貰うと案の定ぞろぞろ居たので、Kさんに感謝して別れ、しばし時刻まで彼らと歓談。かなりのカルチャーショックを受けて帰ったようだったが、短いこの歓談の中で彼らが一番重たく言い出したことは、不発弾の犠牲になった13歳の女の子の事だった。彼女のお腹の傷を見せてもらって、それを参加した連中が殆ど全員写真に納めたという事実。彼らはどうしてもそれが許せなかったらしい。まるで見せ物のようだったと、日本人達の行為を非難する。全部聞いて私が「じゃあ、君たちはその時何をしてたの?」と訊くと、胸を張って「僕はバスの方へ逃げてました。」というのが居たり「僕は退いてました」とか「自分は彼女のことが可哀想で仕方がなかった。彼女の顔が見られなかった。」などと言う。「結局何もしなかったのね。」と私が言うと、ハッとして口々に素直な反省をする。「その写真を撮ってる人たちもあなた達も大差はないわね。」とだめ押しのように言うと、やりきれない表情を浮かべて、一様に口をへの字だ。、、、彼らは良い体験をしたみたいだ。その13歳の女の子の悲しみが、恐らくは一生脳裏から離れることはないだろう。その事が何かの形で世の中を平和に導く事に結実してくれると良いなあ。頭も心も柔らかいこの時期にこうした体験をすることが実際大切なんだろう。
どうやら昼間もうどんを食べに行ったり、全然寝てないようで、さすがによれよれっとしてきた彼らを見送って、私達も帰宅した。いの一番で布団に突進した夫もゆっくりシャワーを浴びていた息子も寝た。
こうしてパソコンを打っていてもじりじりと暑い。夫の話だとラオスは涼しいを通り越して寒かったんだそうだ。全く異常だなあ。

 

 

2006年8月25日 (金)

久しぶりにお仕事、、、

 FMの収録を何とかこなす。時々声が裏返るが仕方がない。本日のゲストのうちお一人はもう30年も前からの知り合いだということが、お会いして初めて分かった。この方は多趣味なかたで、本業以外にマジックやら楽器の演奏やらをこなす。夫とはスイミングで一緒なのだ。やれやれ世間は狭い。ていうか高松はホントに狭い。

 明日はいよいよラオス組が全員帰ってくる。が、あたしゃ空港まで行ってから坂出まで演奏会に出かける。とことんすれ違う家族だ。しかし、初めての海外がラオスという若者達。無事帰ってくるんだろうか?日本とは衛生観念が余りに違うからなあ〜。心配だなあ。うちの家族は慣れてるから良いのだが、、、。

 昼間久しぶりに孫りんと面会。また少し顔が変わって居るなあ。仕草もどこか成長している。まあ、来年あたりが一番面白いんだろうなあ。

鬼が笑うか。

 

 

2006年8月24日 (木)

又しても音楽会。

 この所ホントに音楽会に恵まれている。大小様々な音楽会に観客として行ってみると、矢張り一番分かるのが、自分たちの演奏会の長短だ。長〜と思える部分もあるにはあるが、殆ど欠点が想い出されるなあ。人の振り見て我が振り直せだなあ。今日の場合は、司会者が長すぎた。これってケッコウ多いなあ。フルコースを食べていて、料理のうんちくを長々と聞かされているようなもんで、いらいらするなあ。そもそも司会者が表に出てくるというのも如何なもんだろう?お話に集中できず、喋っている人のことが気になって仕方がない。衣装はほどよく華美で楽器の人々も美しくバランスが取れていた。演奏自体は好みがあると思うが、私はバリトンの声に圧倒されて久しぶりに声に酔うという幸せを味わった。なんでも彼はオーチャードで宮本亜門の演出の「フィガロの結婚」のタイトルロールを歌うそうな。そか、そうだろうなあ〜と納得。舞台慣れしているし、聴かせどころを心得ている。目の前に演技をしている彼の姿が浮かぶほどだった。香川出身で、こんなに活躍している人たちが大勢居るんだなあ。

 明日は嫁りんが孫を連れてきてくれるらしい。ぼちぼち寝ておこうかな〜。

 

 

2006年8月23日 (水)

ああ〜しんど

 日本全国この言葉が溢れているのだろうが、みっちゃんはこの所連発状態。今日もFMの収録に出かけたが、ガラガラ声で、やっぱり助っ人に入って貰う。ゲストは私の興味をそそる方だったにもかかわらず、殆ど例の根掘り葉掘りが聴けなかった。Y女史がうまく合いの手を入れて勧めてくれたが、不完全燃焼のワチキ。スッカタナカンベサ〜。ナント帰りにはYさんからおいしい「芋きん」なるお菓子を頂く。嬉しくて涙がチョチョ切れながら今頂いている。というのも、彼女を駅までお送りしてから某所へ同窓生が過半数を占める集まりに出かけたのだ。余程パスしようかと思ったが、まあ、あの大変だった同窓会を労うのも必要かと、、、。して、到着したときは宴もたけなわを過ぎた頃。食べるものもあるような無いような、、、。30分程でお開きとなる。で、帰って頂くお芋のおいしいこと!ああ、これで元気になれるだろう!?

 

 

2006年8月21日 (月)

ぶ〜っ!

 遂に耳鼻科と内科をダブル受診。どちらもたいしたこと無いらしい医師の反応だが、一応点滴はしてくれた。不思議なことに病院のベッドだと眠れて、半時間ほど意識がない。待たしてあった母と新しくできたランチカフェなるところにお昼を食べに行ったが、母はパスタ半分だ。仕方なく私が残りを手伝うことに。だって、目の前で料理してるから、何だか悪いじゃん〜。病院では「食欲は?」と必ず訊かれるが、あれって、やっぱり判断材料になってるんだろうか?「食べられなくはないんですが、、、」と曖昧な返事で済ませているが、実際「欲」は無くても食べられるのだ。私の場合。でも、今気がつけば夕食がまだだった。全然お腹が空かないってえのも、どうなのか?
 けだるい午後を洗濯物やら何やらやっつけて時計を見ると、もう某演奏会に出かける時間だ。休日の時間はホントにあっという間に過ぎる。マシンで足のマッサージを繰り返ししていた母を促して送っていく。日差しはキツイが空はいつの間にか秋模様だ。雲の白さより空の青さが際だって見える。思わず深呼吸したくなった。

 コンビニでのど飴を買って駆けつけると丁度始まるところだったが、会場に入って驚いた。ほぼ満席で空席を探すのが大変。座った途端始まり、3部構成の1部は殆ど眠ったなあ。全部童謡だったというのもあるが、、、。2部はオペラを取り上げていて、少々演技もし、目と耳で楽しませた。中に一人秀でたソプラノが居て、そうなると演奏会そのものが面白くなってくる。期待のテノールはいつもの調子が出ず、数少ないテノールに順調に育って欲しいと願っているおみっちゃんにとっては、大ショックだった。お前もかブルータス状態。お願いだからみんなで彼を育ててよ!と叫びたいくらい悲しかった。この団体が考えていることには全面的に賛成だが、彼をつぶすという方向では、何のために立ち上げたのか、、、全く理解不能。色々事情があるんだろうが、貴重な声を磨く事以外に大切なことがあるとは思えない。、、、まあしかし、何事も難しい。こちらを立てればあちらが立たず式のことは幾らでもある。われらがちぇちもご同様。
 遅れてちぇちの練習に顔を出したら、新人が3名、頑張って練習に参加してくれていて嬉しかった。こうして若い人たちがどんどん増えてくれると面白いなあ。早くこの体調を戻して、復帰しなくては!、、、明日のおきゃあまシャンソンはお断りした。ちょいと熱が出てきてるしナぁ。全く、なんで、夫不在の時に限ってこうなのよ!信じられない!ぶ〜っ!

 

 

2006年8月20日 (日)

まだ、、、。

 今回は重症だ。日記を打つ元気がない。あと2,3日の辛抱だ。多分。

 

 

2006年8月19日 (土)

今日こそは、、、、

 とりあえず肩の凝るモノは生活の全てから取り去ろうと努力中だが、ブラの紐はずしやパソコン時間の軽減、家事の手抜き、仕事のキャンセルなんかはまあ簡単だが、予定してあった来客の接待はカット出来ず、いつものようには行かないにしても何とかかんとかつじつまを合わせることが出来た。と思う。
 昨日余りにヒドイ声を聴かせていたためか、嫁りんが空港から我が家まで来てくれた。丁度二階の男子用の部屋が全然片づいてないので、そこを手伝って貰う。若いだけあって、階段の上がり折りの軽いこと軽いこと!まあ、ずいぶんと助かった。やっぱり年寄りの居る家で育った子はどっか違うかも〜。手みやげにあのチャンピオンお菓子屋Rのとろけるプリンを持って来てくれて一緒に食べたり、、、まあ、孫りんとの対面はこの喉の調子が治ってからだなあ〜〜。

 だめだ、、、本日もここでおしまい。イタリア人との傑作なエピソードは又明日だ。 

 

 

2006年8月16日 (水)

粛々と時は流れる、、、。

 喪主の意向で密葬となるため、極々内輪の親戚縁者が集まっての通夜。長い一日が今ようやく終わった。最終便で帰省する息子を空港まで迎えに行ったが、折しも外は雷を伴う雨模様。濡れたアスファルトをジャズを聴きながらゆっくりと走り、亡き義兄のことを想い出す。、、、、こうして又一人、遠くへ行ってしまった。
 秒刻みで仕事を終えて帰ったという息子もよれよれ状態。母もしゃがれ声で良いコンビだ。うち揃って通夜の席へと帰っていくと久しぶりの対面で大歓迎される息子。他にも何年もあってない子達が良い大人になって現れたり、まあ、こういう席も悪くない。

 明日は本葬だ。今日は流石に病院へ行ったが、明日までもつかなあ〜〜?

 

 

2006年8月15日 (火)

持つべきモノは友!

 全く予期しなかった訳ではないが、義兄が亡くなった。唐突にその時が訪れて、慌てて病院に駆けつけた。今正に人工呼吸器を外そうとする時だったらしく、待っていたかのように医師がその作業を行った。「残念ですがお亡くなりになりました」という言葉を、居合わせた10名ほどの身内が現実感の無い間の抜けた空気の中で聞き、小さく頷きながら医師の口元から故人の口元へと一様に視線を移す。その時初めて、そうか、我々夫婦が行くのを医師を初めみんなが待ってくれていたんだと、突然理解した。恐らくは、もっと早くに「その時」は訪れていたんだろう。

 そこからは一気に現実が押し寄せてくる。結局は最終原因が不明とのことで、解剖ということになった。本人もそう願っていたということで、長男も即決の結論だった。そして葬儀のことやなんかが次々と話し合われるのだが、ここにジェネレーションギャップが大いに顔をを出す。やれ僧侶を何人にするか、通夜がどうの、初七日がどうの、控え室は花輪は、知らせるところは、、、、などなど。出された結論は残された息子に一任するという事だった。そうだ、それで良い。それが一番良い、と私も素直に思った。亡くなった義兄の事を一番理解して居るのは、他ならぬこの長男だけだ。自由奔放に生き、必ずしも子供孝行とは言えなかった父親だが、、、、。

 こうしたハプニングで、私のスケジュールは大幅に変更せざるを得ない。FMははるばる岡山から助っ人に入って貰うことになり、別口はキャンセル。葬儀の日に我が息子の生徒4人が来県し我が家に2泊という予定は今更変更できないので、なんとか乗りきるしかない。早速友人に彼らの夕食をお願いした。自分自身のレッスンは勿論キャンセル。っていうか、時間と共に喉が狭くなってきてるのを感じる。肩はびんびん、声はガラガラ、歌どころではないのだ。

 

 

 

2006年8月14日 (月)

あかん。

 どうも段々風邪が本格化してきた。孫りんがやって来て、またまた可愛さ倍増だったが、一緒に買い物と「あずまや」(あのあずまやが復活していた!)に行っただけでよれよれ〜。孫ってこんなにも疲れるモノなんだ。今更ながら我が母に感謝。
 兎に角明後日から又過密スケジュールなんだ。治さなくては!ゴホンゴホン。

 

 

2006年8月13日 (日)

歌会終了。

 いきなり司会を言い渡されて、それくらいやりなさいと四の五の言わさぬ命令に、素直なおみっちゃん、従いましたとも〜。色んな場面で司会はしても、この手のはちょいと勝手が違って、進行の仕方がイマイチピンと来なかったが、まあ、皆さんのご協力で何とか果たした。ケッコー和気藹々と進行したように思うが、どうだろう?居眠り中の人に名指しで意見を求めたとか、あとで聞かされたが、全然気がついてなかった。それ程、気を遣っていたのだ、これでも!風邪気味でイマイチ声も出ず、今日ばかりは黙りを決め込もうと思って参加したのにこの仕打ち!ったく同情して欲しいな〜。グスン。、、とここまで書いたところ、携帯の着メロが鳴る。誰かと思いきや、ご機嫌なマツイ55夫妻ではないか。代わる代わる電話口に出て、今高校の同窓会だという。あ、そうか。このお二人は同窓生だったのか、と改めて納得。で、用件はFMの面白いゲストが見つかった、というもの。ある町のお役所のエライさんで、なかなかユニークな思考回路を持ち、実行している人らしい。フフフ。ご夫妻揃って私の代わりにFMの営業をしてくれてるという訳だ。アリガタヤアリガタヤ!
 今月もこんな風に次々とゲストが決まり、少なくとも人捜しのエネルギーはカット出来ている。このまま続いてくれればラクチンなんだけどなあ〜。実は先日のちぇちの公演を何回かに分けて流そうかと考えていたが、、、まだ、本番の録音を聴いて無いからそんなこと考えるのかも〜。本番の録音なんか聴いたことないし、ホントに聴きたくない。あれは消えるから良いのだ。消えてその時のエッセンス、又は印象が人々の脳裏に残ればそれで良いのだ。録音という技術が恨めしい位のもんだ。
 その意味で、文学とは完全に違っている。音楽は完成したときが消滅するときだ。絵や文学はほぼ永遠に残る。、、、という定説をしかし、最近の機械技術の成長が覆そうとしている。それでも、生(ナマ)とは違うんだ。あくまでも違うんだ。これはなかなか分かって貰えないだろうなあ。

 ちかれた、、、、。び〜〜〜〜。

 

 

2006年8月12日 (土)

風邪っかな?

 ちょいと熱っぽいし喉も痛い。クーラーの中に居るとゾクッとすることもある。ぼちぼちこの所の疲れが出てくる頃だ。大体、ちぇちの本番で普通に声が出た自体不思議なことだった。
 この所毎日マッサージ器のお世話になっているが、このマシンの側に先日還暦祝いで子供達に貰ったCDMDラジカセを置いて、初めは音楽を聴いているのだが、いつの間にかあの世だ。
 この身体のだるさはきっと異常な暑さがその殆どの原因だろう。、、、て愚痴っても仕方がない。何事も精神力だ!明日の短歌の会の為に体力を蓄えておかねば!

 今、NHKでリバイバル歌謡みたいな番組をやっていて、昔の歌手が続々と出てるが、人によってもの凄く声の出方に差があるなあ。これは何が原因なんだろう?修練?生活環境?人生行路?資質?、、、、きっとその全てかも知れないなあ。
しかし、歌は良いよなあ。聴く人に何かを残す。

 

 

2006年8月11日 (金)

そうかいそうかい、、、!

 たった今悪友から電話。駅のプラットホームから電話してきたが、ほろ酔い通り越してろれつが回ってない。電車の待ち時間がヒマだったそうな。明日からの連休を控えてご機嫌な飲み会だったらしい。良いなあ〜。あたしゃ音楽会から帰宅したが、山盛りの洗濯物を片づけねば〜とうんざり状態だっちゅうの。
 今夜のは某音大の学生及び出身者のコンサート。声楽がすごいと定評のある大学だが、今日の出演者は、、、、。まあしかし、声というのは面白い。色んなカラーがあるし、一口に歌といっても音楽になってる人とそうでない人も居て、いやあ〜なかなかに難しい。よく見ると知っている人が多い。そうなると観賞にも力が入る。中でも、やけに上手いピアニストだなあ、と思って名前を見ると上手いはずだ!マツイ55さんご夫妻ご推奨のあのピアニストDさんだった。他のピアニストとは一線を画していた。堪えられないpppの美しさ。静かに鍵盤に指を降ろすタイミングの妙。単に暴力的なだけのfffでなく、魅力的な情熱的な音。流れるような指使いに思わず歌そっちのけで見ほれてしまった。このピアノが聴けたのはホントにラッキーだった。真っ白な素敵なドレスも美しく、最初は知らないから歌い手がピアノも弾くのか?と錯覚したほどの堂々たる居ずまい。なるほど彼女だったのか!と分かってからは充分楽しめた。悪いけどピアニストに拍手を送りたかった。

 先日のちぇちの演奏会を想い出したが、矢張り暑さ故か、お客さんの入りが悪い。途中ピアノ独奏や連弾が入ったにせよ、アリアが中心の演奏会は矢張り好きな人がそう多くはないということか。

 
 明後日は短歌の会の特別歌会だ。県外からも帰省する人が居ていつも賑やかなんだが、久しぶりの人々に会えるのが楽しみだ。
、、、最初は顔も知らない同士がいつの間にか短歌を通じて仲間になっているのを感じる。、、って、一向に歌が詠めないんだなあ〜これが。は〜っ!

 

 

2006年8月10日 (木)

予定は未定にして、、、、

 予定では、長い間お休みしていたスポーツジムに今夜こそ行くつもりだった。が、明日の早朝来客があるということが分かり、ちょいとお掃除なんかもやらなくちゃあ〜ということになって、結局今夜もおじゃん。まあ、疲れがまだ取れてないし、ゆっくり行った方が良いか!と簡単に諦める私。
 今朝7時に飛行機とJRでそれぞれ東京にお帰り遊ばした娘夫婦(といってもケンカしてるわけではない。仕事の都合だ)を我々夫婦がそれぞれ送っていき、昨日の内に嫁りんの実家にとんずらした愚息も今日の夕方には、忘れ物を急いで送ってくれ〜と喚きながら水戸へと帰っていった。一気に子供達が居なくなって、以前の生活が戻ってきた。、、、いつの間にかこの家が夫婦二人に丁度良い広さとなっていて、彼らが入ると急に手狭になり、通行しにくくなるくらいだったのだ。今日はパソコンのメンテなどに来てくれたSちゃんとゆっくりお茶する時間も出来、なんだかホッとしている自分に気付く。これで孫りんが成長してやってきたら、又別なテンポで時間が流れるんだろうなあ。面白いもんだ。
 それにしてもあっつい!なあ〜。岐阜県は39度以上だって〜!?これって日本の話しだよねえ〜。信じられない。全国ニュースで高松も紹介されていたなあ。やっぱり。寝るときにクーラーなんか使かったことのない母が、今年はしっかりつけて寝ているらしい。これは余程の事だ。こうしてまたぞろ熱帯夜が加速される、、、。
 

 

 

2006年8月 9日 (水)

還暦。

 私の還暦を子供達夫婦と母と夫が料理屋さんで祝ってくれた。孫りんに予想通り泣かれて宴会が盛り上がるどころではなかったが、まあ何はともあれ、うち揃っての祝う会だったのだ。有り難い。
 とりあえず本日も眠い。

 

 

2006年8月 8日 (火)

心地よい疲れ、その2。

 演奏会の翌日だというに、1泊とはいえ家族旅行、それもドライブ旅行だった。20数年前に子供と夫が訪れたこの地は愛媛県の果てとも言える孤島で、現在も鹿が出て、猿が出るのだ。あいにく今日は鹿にはお目にかかれなかったが、子供連れの猿とクジャクが歓迎してくれた。ところが、台風のお陰で、我々を乗せてきてくれた船は、2時間後に再度我々を乗せて帰るのを最後に今日は欠航だという。船を待たしているというのも落ち着かないもんだ。亜熱帯の魚がうじゃうじゃ居る海の底をもっともっとたっぷり見ていたかったが、仕方なく帰った。それにしても海の底はホ〜ントに美しかった!今夜はあのブルーフィッシュの夢を見そうだなあ。

 、、とりあえず眠くて眠くて、、今日はこれ以上無理みたい。

 

 

2006年8月 6日 (日)

あくび百回。

 いやあ〜眠いっ!なんとかかんとか終わる事が出来た。これから帰省している息子と娘のお付き合いで温泉に行く。帰宅してからは絶対無理なので、今こうしてパソコンの前だが、、、側で久しぶりに息子とあれこれ喋りながらなので進まない。
 今日の打ち上げは、指揮者のお人柄もあって、なかなか良いムードで終始した。何はともあれ共通の目的を持つ「仲間」というのはホントに良いもんだ。おいしいビールだった!
 明日は家族旅行で伊予三島の「鹿島」というところへ行く。ず〜っと以前、子供と夫が行ったところで、なんでももの凄くきれいな海で、熱帯魚の大群が見られるという。、、でも、今日の情報では、今は??だそうだ。海が汚れてるかも、というのだ。はてさて。どんなことになるか、、、。ま、全部終わったことだし、いっか!
 て、ホントは明日はI先生のシェイクスピア講座「タイタス・アンドロニカス」なのだ。おどろおどろろしい内容なので、行けなくて良かったようなもんだが、、、。シェイクスピアの受講生も来てくれていたなあ、、、。

 

 

2006年8月 5日 (土)

ちとお疲れなので、、、

 本日はお休み〜〜〜。

 

 

2006年8月 4日 (金)

心地よい疲れ。

 今日が最後の練習日だった。みんな少しずついつもと違う。会長も、昨日間近でイタリア人の声を聴いたためか、かなりの伸びでベルカントかくありきという声だった。指揮の先生もいつもと違いご機嫌な感じ。、、、しかし、本番何をやらかすか分からないのがちぇち、、っていうか、アチクシなんだけどなあ〜。ご存じない内が花。急性胃潰瘍にならないことをお祈りしよう!
まあ、ばんばん歌って帰宅して、ようやく明日明後日の衣装を母と娘に品定めして貰い、シャワーを浴びたら何だか気持ちいい。娘に「あ〜あ、これが本番の日なら尚良いのになあ〜」と言って笑われた。明日、明後日と怒濤の時間が過ぎていくなあ〜。さあ、眠るとしよう。

 

 

2006年8月 3日 (木)

友達の友達、、、

 世の中どっかで繋がっている。今日のFMのミキシングをしてくれた人は、ゲストとお互い知り合いだった。お陰で和気藹々と進行し、無事収録は終了。夕方からはとある演奏会に。アマチュアの合唱団を率いてイタリアから帰国したのは、昔私もフィレンツェでお世話になったことがあるGさんというソプラノ。相変わらずの美貌で笑顔を振りまいていたが、多分あれで○○歳なんだよなあ〜。全然変わってない。終演後に挨拶に行くと「イタリアではこんな風なやり方が普通なんですよ」とおっしゃる。そのやり方とは、コーラスの指揮をしながら自分はアリアを歌い、又あるときは共演者のテノールからピアニストまでも指揮している。後ろを向いたり前を向いたり、、、まあ、私はこんなの初めてだったが、よくぞあんな事が出来ると感心した。合唱は年配の人が多くて、人生の楽しみでやっているという感じだったが、テノールは素晴らしかった。宝石の様な歌声にわくわくした。二部になって高松一高の合唱部が大勢出てきて、O先生の指揮で「枕草子組曲」「瀬戸内寂聴作詞の曲」を歌ったが、あまりの立派さに思わずため息が出た。流石に毎年全国区大会に出るだけのことはあり、ホントウにしっかりしていた。ピアニッシモも上手くフレーズの長さもお見事!若い歌声で心が洗われた。
 舞台一面に飾られた向日葵の花を一杯貰って帰ったが、これが重いのなんの!ちと頂きすぎたか!ただ今家中がヒマワリだらけ!フフフ。ロビーでこのヒマワリを包むために新聞を貰ったら、くれた人が県の人で、「今まさしく奥さんのご主人からの留守電を聞いてかけるところ」だという。まあ奇遇だ。

 帰りに送ってもらった友人と我が家でお茶。娘が中国茶でもてなす。彼ら家族とロビーで出会った人は昔々私とその家族を引き合わせてくれた人だったりして、今日は全く人間関係の不思議をあれこれ思った一日だった。

 う、今日もお歌の練習が出来なかった!明日こそ!

 

 

 

2006年8月 2日 (水)

これでもかと追っかけてくる!

 今日は一声も自分の歌が歌えなかった。午前0時のこの時間まで。あんた、ほんまに週末が演奏会?って訊きたいわあ!
 半日は孫りんがやってきての大騒動に巻き込まれ、あとは公演のためのラジオ生出演やら、やれ印刷がどうした、受付の芳名録がどうした、ポスターも立て看板もメンバーのご家族が製作してくれたとの報告も。ヘルプの人が参加出来なくなったり、さてその穴埋めをどうするか?つらいところだ。公演の心臓部、会計も気になるところだ。うっ!影アナ原稿がまだ半分だ。まあ、慣れてる人間がやるから全部作らなくて良い分助かるが、それでもオペラの解説は観客に理解して貰えるように心を砕いての作業だから、手間暇掛かる。なんだかねえ〜〜。

 しっかし、孫とは可愛いモノだ。全く食べたいくらいに可愛いではないの!これは、この感情は種の保存の本能から来るのか?「これは演歌の発声よ」と嫌みを言いながらも、泣き声さえも可愛い。お母さんの話しだと、いつも夜泣きするし、まとまって寝ない子だそうだが、我が家では2時間半もぐっすり寝た。ちゃ〜んと私の膝の上でお利口にミルクも飲んだし、よしよし、良い子だ。問題はこれからだ。喋るようになってからどんな人間に成長していくかで、私と孫りんの関係が生まれるだろう。
 この子は神様からのプレゼントだろう!って、素直に思えた幸せな今日だった。

 

 

2006年8月 1日 (火)

暑いなあ〜。

 この暑い中、動きすぎてケガばかりしている。大ケガの前の警告かもと思っているが、昨日イーゼルが落ちてきた足の甲は目出度く打撲だった!てっきりヒビが入ったかと思うほどの激痛と腫れだったが、やわな骨ではなかったらしい。
 そこで今日はしっかりこの病院と帰りに娘と寄ったうどん屋さんにチラシを置いてきた。まあこの暑さだ。どれだけの人が来てくれるか、、、明日のラジオのインタビューの事前打ち合わせで「出来れば涼みに来て頂ければ、、、お昼寝など、、、、」と言ってしまって笑われた。その担当者が女性のせいか、何が楽しみって、皆さんの衣装ですねえ〜。と言われたが、やっぱりそうなんだと改めて再認識だ。そりゃあそうだろう。殆ど意味不明の外国語で、しかも聞いたことがなきゃあ、余程のクラシックフアンでない限り眠くもなろうというもんだ。せめて衣装の品定めくらいの楽しみが欲しいだろう。
 昨日はいつもにも増して面白いW先生のレッスンで、新しく入りそうな男性が好印象を持ってくれたかも〜。しかし、この公演前の練習の見学というのは考え物だ。みんなある程度完成されたモノを見て、あんなには歌えませんと言う。みんな最初から歌えているわけではないのだが、、、、。
 
 なんだかうかうかしているうちに時間が経って、あれもこれも予定をすっかり忘れている。明日からまたぞろスケジュール調整だ。

 

 

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