午前中に予約客をやっつけて、11時半頃空港着のラオス組を迎えに行く。着いてみると孫りんを抱えた嫁りんが汗を拭き拭きやってくる。泣かれるかと思ったが、ホンの少しび〜っとなってアトはオーケーだった。しかも段々慣れてくると抱かれたまま私の顔を黒目がちのつぶらな瞳でじ〜っと見つめる。まるでこの顔をインプットしようとしているみたい。流石に昨日今日と続いたからか、どうも自分の縁者らしいと思ってきたようだ。いや〜、、、なんともかんとも、可愛いではないの!
そうこうしていると心配していた学生達も元気で帰国してきた。流石若さだ。「皆さんが気を遣ってくれたので、大丈夫でした」と礼儀もなかなか。一番疲れていたのは我が息子、すなわちこの学生達のゼミ教官というわけだ。
彼らをひとまず我が家に送り届けて、こちらはHさんの車を運転させて貰い坂出の演奏会だ。日中の暑さは半端じゃあない!さしものホールの冷房も効きが悪く、みんなあおぐあおぐ!その上満杯の大盛況で立ち見が出る始末。時節柄全員にイスをという配慮もあって、だいぶ遅れての開演となったが、誰も帰らない。
この方の演奏会は東京上野文化会館、紀尾井ホール、琵琶湖ホール、香川県民ホール、徳島、高知愛媛、広島とかなり色んな場所で色んな大きさの演奏会を聴いてきた。最近ではニューヨークカーネギーホールだが、彼女の素晴らしさはどんなビッグな演奏会も、小さな町の演奏会も、決して手を抜かない。プログラミングしかり、愛嬌を振りまくこともしかり。むしろ観客へのサービスは小さい演奏会の方がしっかりあるようだということ。これは舞台に立つ者にとって肝に銘じるべきことだ。観客が少ないと安心して楽に歌えるということを言う人が居るが、それは間違っているということが、彼女の姿勢を見ていて思うことだ。
打ち上げに参加してKさんと二人JRで高松駅に。坂出のホームの向こう側に後発の電車をまつMご夫妻の笑顔が。楽しげなデザインの帽子を振って投げキッスまで!辺りをはばからないサービスにニューヨークの夜を想い出しこれまた辺りをはばからずゲラゲラゲラ。いやあ〜、良い音楽会のアトはハイになるなあ〜。フフフ。
Kさんに家まで送ってもらったが鍵が開かない。ちょうど高速バスに学生達を送っている頃だと気づき廻って貰うと案の定ぞろぞろ居たので、Kさんに感謝して別れ、しばし時刻まで彼らと歓談。かなりのカルチャーショックを受けて帰ったようだったが、短いこの歓談の中で彼らが一番重たく言い出したことは、不発弾の犠牲になった13歳の女の子の事だった。彼女のお腹の傷を見せてもらって、それを参加した連中が殆ど全員写真に納めたという事実。彼らはどうしてもそれが許せなかったらしい。まるで見せ物のようだったと、日本人達の行為を非難する。全部聞いて私が「じゃあ、君たちはその時何をしてたの?」と訊くと、胸を張って「僕はバスの方へ逃げてました。」というのが居たり「僕は退いてました」とか「自分は彼女のことが可哀想で仕方がなかった。彼女の顔が見られなかった。」などと言う。「結局何もしなかったのね。」と私が言うと、ハッとして口々に素直な反省をする。「その写真を撮ってる人たちもあなた達も大差はないわね。」とだめ押しのように言うと、やりきれない表情を浮かべて、一様に口をへの字だ。、、、彼らは良い体験をしたみたいだ。その13歳の女の子の悲しみが、恐らくは一生脳裏から離れることはないだろう。その事が何かの形で世の中を平和に導く事に結実してくれると良いなあ。頭も心も柔らかいこの時期にこうした体験をすることが実際大切なんだろう。
どうやら昼間もうどんを食べに行ったり、全然寝てないようで、さすがによれよれっとしてきた彼らを見送って、私達も帰宅した。いの一番で布団に突進した夫もゆっくりシャワーを浴びていた息子も寝た。
こうしてパソコンを打っていてもじりじりと暑い。夫の話だとラオスは涼しいを通り越して寒かったんだそうだ。全く異常だなあ。