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2006年6月

2006年6月30日 (金)

さあ、休養になるか?

 明日は母と高速バスで神戸行き。明後日は有馬温泉にでも行って、湯治としゃれこもうかと、、、。久しぶりに東京の娘も呼び寄せて親子3代水入らずの休暇だが、さて、、、。

 

 

2006年6月29日 (木)

又しても絵の世界。

 今日も今日とて友人の絵の展覧会に行く。今年はなんだかとっても絵を見る機会が多い。今日のは全部版画、エッチングの類だが、いわゆる「絵」と違って、何かしら肩が軽いというか、気軽に楽しめた。作り手も気軽に楽しんでいるようだ。しかし、私には絵とタイトルの関連性にとても興味があった。直裁的なタイトルもあるが、ちょいとひねったものは絵までもが面白く思えてくる。今日の中では、まるで宇宙人のような変てこな動物を描いていて、タイトルが「隣人」というのが大変面白く、如何にも彼女らしいセンスだと拍手。実際の隣人に別な友人が居て、きっとその人の事だろうと冷やかしたりして笑ったり、、、専門的な事を教えて貰ったりして、いや〜なかなか。
 絵といえば、こないだからあまたの古今東西の絵に接し、例えばターナーやコロー、ゼザンヌ、フェルメール、クレムト、レオナルド・ダヴィンチ、ラファエッロ、、、etc彼らの絵と、現代の絵の違いは一体なんだろう?と考えた。私なりの結論は、「品位」だ。テクニックに置いて現代作家が劣ってばかり居るわけではないだろう。勉強も研究も進んでいる現代、昔を上回る作品が群をなしても良いはずだ。ところがそうはならないのは、作品に品があるかどうか?ではないだろうか?オペラ歌手に置いても同じ事が言えるだろう。あのマリアカラスが何故素晴らしいか?矢張り私は彼女の中にある種の品位を感じることがその理由だと考える。訳の分からない「良さ」がすなわちそう言うことではないのか?

 頭痛は助っ人薬のお陰で日常生活を送れるようにはなっている。今日もピアノあわせが出来たし、展覧会も夕食の準備も、そして食事もいつも通り出来たのだ。この「いつもどおり」の有り難さ。夫が学生にアンケートを取り「あと2ヶ月の命です」と言われたら何をしたいかと聞くと、やれ海外旅行だ、どこそこのあれが食べたい、あれを見たいと、際限がなかったと言い、中年以降の人々に同じ質問をしたら、「別に特に何もない」「いつも通りに平凡に暮らしたい」「今のままを継続したい」というのが圧倒的に多かったそうだ。さて、私はどうか?そうだなあ、、、。どっか美しい場所に行き、静かに時を過ごしたいなあ。出来れば音楽は聴きたいなあ。もしかしたら字も書きたいかな?ああ、それに本も読みたいか。多分絵の道具も持って行くかな?最後まで生きられるくらいの食料も欲しいなあ。極上のワインなんてのも、コンガッソで。そこに無口なヘルパーさんとわんちゃんと猫1匹。家族は要らないなあ。そこに行く前に別れは済ませておきたいものだ。死ぬときは一人が良い。、、、て、むちゃ贅沢な願いだ。ハハハ。

 

 

2006年6月28日 (水)

忘れたくないモノ。

 自分という人間を枯渇させたくないという思いの中で、あれこれやってはいるが、ヒョッとしたら文学なんてのも、全くはぎ取られたら随分と情けない事になるだろうなあ、、と久しぶりに思わせて貰ったSさんの「小説」だった。短歌のメンバーで地方新聞紙上で紹介されていたのだが、「書く」ということはホントに面白いなあと思わせてくれた。その「書く」ということをそのままテーマに選び若々しい小説を書いているのも面白かった。「爽やか」な色のボールが飛んできて、又すぐさまどっかへ飛んでいった、、、というのが私の感想だ。まあ、読んだ人にはこの感想が少し分かって貰えるかも知れないなあ。読んだ後に、ずしんと胸やら胃やらに残ってしまうのもあって、それはそれで好みなんだが、たまにこういうのを読むと冷たいジェラートを食べた気分だ。
しかし、「書く」というのも、目が、頭脳が、手が、完全でなければ難しい。健康が無くなれば、何もかもが、ジ・エンド。、、てことで、本日は大人しく家にいるおみっちゃんでありんす〜。

 

 

2006年6月27日 (火)

しぶといなあ、、、。

 そうそう簡単に病気にならないのは、もっぱら母の遺伝子が強いせいか?脳のMRIは異常なし。激痛が何故起こっているかは判断不可能。恐らくは目と関係があるだろう、、、ということで、結局は何も分からず。まあ、さしあたって大事にはならなそうだ。心配して友人達が結果を訪ねてくれる。、、、まだ、S氏もお呼びでなかったのか。

 しかし、本日訪れた検査病院の素晴らしい施設(美的外観)には正直驚いた。まるで病院ではないみたいだ。白衣を着た人がそこにいるのが不思議なくらいだった。これ以上は出来ないだろうと言うくらいのシンプルさ。医師も全くシンプルな人(?)で建物にマッチしていたなあ。フフフ。
色んな意味で医学界も進化して居るんだろうが、、、。

 普段薬を飲まない人だからか、鎮痛剤がとても良く効く。1錠で半日は持っている。しばらくこの薬とお友達になるほかなさそうだ。あの痛さを思うと地獄で仏のお薬様だ!

 何軒か掛かってきた電話の殆どが、私の非人間的な動き方を指摘してくれる。セーブしろ、と。大変有り難いが、セーブすることが大変に困難なのだ。勿論その最たる原因は自分自身にあって、シンプルに生きられない性格なのだ。しんどい時に何も映画に行くこたあ無いだろう、というのにも私なりの理由があるのだ。母を伴い「バルトの楽園」に行ったのも、この状態の私を思って多分眠れない母のために、大丈夫なところを見せておくという必要があったのだ。そう言えば、この映画で最後のテロップが終わるまで誰も立ち上がらなかったのは矢張り音楽の力、「第九」の力だと思った。ていうか、日本人はこの曲がホントに好きなんだ。この映画でますますファンが増えたことだろう。私はこの映画はハッキリ反戦の映画だと思ったが、どこを見るかによっては違う取り方もあるだろう。ま、出来から言うと佳作だったかなあ。

 

 

2006年6月26日 (月)

薬って有り難い!

 夕べ、我慢できずにとうとう病院に駆け込んだ。夫はアルコールを飲んだからタクシーで行けと言うが、まあ運転は出来そうだったので、取りあえずゆっくり気を付けながらではあった。結論は「今すぐどうこうなるようではないので、鎮痛剤を飲んで様子を見ましょう。どうしても我慢できないようになれば深夜でも又来て下さい」だった。で、昨日友人から貰った薬が良く効いた、というと同じモノを出してくれる。それを飲んで、睡眠薬ものんで眠ったら朝の10時半まで寝てしまった。ブランチを済ませて、午後からのシャンソン教室の準備をし始めた頃から又ぞろずきずきし始めた。にもかかわらず、薬を忘れたまま教室へ。心配かけると悪いので、そうとは言わずにレッスンを続けたが、段々ひどくなってくる。かろうじて最後まで持たせて、そこで告白。しかし、ここが私らしいところだが、その後、最近瓦町にオープンしたあるイタリアンのお店にみんなを誘って現地で落ち合うことに。で、1件用事を済ませて急ぎ帰宅。薬を飲んで再度出かけた。普段薬を飲まないせいか、効きがとても早い。食事が終わる頃にはすっかり痛みが取れていた。このお店はちぇちにゆかりの人ので、宣伝してあげるために行ってみたのだ。あっさりしていてむしろ中年向きかもね〜、とか言いながら食べた。こうして少し元気になったので、おそるおそるちぇちの練習だ。シャンソンの人が見学に来るというが、果たして歌えるかどうか?と心配だったが、いと素晴らしきは薬の効果。声は何とか出せたのだった。
ま、全ては明日のMRIの結果だ。脳腫瘍であって欲しくないが、仮にそうだったとしても、覚悟するほかない。そう、全ては覚悟だ。

 

 

2006年6月25日 (日)

頭痛がまだ続く、、、。

 左頭頂部がキリでさし抜かれる痛みだ。友人に貰った痛み止めでしばらくは治っていたが、、、、んん〜。こりゃあ、なんだあ?偶然にも明後日は脳のMRIを撮る予定だが、、、それまで待てるかなあ?トホホ、、、。

 

 

2006年6月24日 (土)

まさか、、、

 S氏がおいでおいでしてるんじゃないだろうねえ〜?今日は朝から頭が痛い。目の次は頭だ。今までの短くない人生の中で、頭痛というモノを殆ど経験したことがない為、少々参ってる。遂に痛み止めを飲んだが、今日は早めにご就寝と行こう。

 朝仕事をしているとYさんから電話。「レッスン少し送れます〜」やがて彼女はやってきたが、肝心のI先生の姿はいつまで経っても現れない。こっちも仕事中だもんで、電話をするわけにも行かず、区切りがついたときは1時間後だったが、一応おそるおそる先生のお家に電話してみる。事故か?はたまた病気か?、、、ハイと出てきたお声はお元気そのもの。え、え、え〜っ?お家に居るんだあ!ってことで、ナントすっかりお忘れになっていたとのこと。しかも「もっと早くに電話くれれば良かったのに!」なんぞと勝手なことをのたまう。あたしゃ仕事だったんだ!ケッ!てなもんだ。あな恐ろしや。あっちもこっちもだいぶ妖しくなってきたぞ〜。

 とにかく寝よう!

 

 

2006年6月23日 (金)

なあ〜んてすがすがしい、、、

 短歌の締め切りに今月も本日速達投函で完了。これを出した後は、家事が全部終わった時のような清々しさを感じる。もっと言えばコンサート一つ終えた時のようだ。、、、これを、生理的現象に例える人が居るが、お上品を気取りたいワタクシ、そんなこと、とても、、、、、でもやっぱ、そんな感じかな!?ハハハ。
多分取り上げられないけど自分じゃ素直な歌は、

詠めぬ歌君のせいにしているよ六十一歳なんかで死ぬから

ってことだ。

まあ、こんな駄作を作るため、昨日は日記を書く間も無かったというわけだ。この歌、本音なんだよなあ、、。


 昨日はFMもやり、朗読劇だったもんでちょいと大変だった。それが終われば、ある話し合いだ。話して分かることもあれば、話すほどにこんがらがることもある。個人的なことなら、別に誤解があろうと無かろうと、まあ、それはそれで過ぎていくので良いだろうが、団体の運営に関しては譲れないこともある。微妙な違いがあっても
それは良いが、大きなズレは是正する必要があるだろう。、、幾つか前進したが、完全ではない。まあ、ゆっくりだ。
そのあと、スポーツセンターに行くも時間が無くて、お風呂とサウナだけ。それでも随分スッキリして、帰宅後に短歌製作に取りかかるも、亡くなったS氏のことが頭から離れず、どうしても集中できない。こりゃあ当分ダメだなあ、、、。
仕事もしてるし、プリマの御用達も、母上のお付き合いも、家事も、何もかもいつものようにやってはいるが、どうも腰に力が入らない。異次元を浮遊している感じだ。は〜っ!

 

 

2006年6月22日 (木)

いやん

 時間がない。本日これまで。

 

 

2006年6月21日 (水)

人は悩む。

 とことん落ち込んで悩み抜いている人が私の近くに居て、一応お話は聞いてあげたが、まあ、結局はそれだけだ。ほんの少し気持ちが楽になったような感じではあるが、根本的な解決は、矢張り当人同士だ。、、、話しの中で感じたのは、例え親子といえどもそれぞれ一人だということ。親の立場なら、子供に何か出来ると考えるところから、間違いが生じてくる。「子供の人格を認める」ということは言うほど簡単なことではない。「生んで、育てた」という思いがどうしても親の側にあるから、自然に子供の世界に「善なる介入」をしてしまう。しかし、それが善であるだけにやっかいだ。受ける子供からすれば、善なる親からの「好意」を拒否は出来ないし、甘えも出てくる。時間が経過するに従って「自立」が困難になってくる。自立出来てない子供が同じく自立できてないパートナーと暮らすことは、祖谷のかずら橋を渡るような危険がある。もし、2,3本のかずらが切れたら、そこで立ち往生。夫婦が立ち止まった重みで又ぞろ何本かのかずらが切れていく。一人は何とか二人で力を合わして向こう岸へ行こうと思う。もう一人は引き返して別な橋を探したいと思う。その選択が出来ない人が刃傷沙汰を起こすか、無理心中になってしまうんだろう。
げに難しきは男女の仲。そしてその親たち。要は人間とは、悩む動物なのだ。
、、、あの方は今夜も眠れない夜を過ごしているんだろうなあ、、、。せめてものアドバイスが役に立てば良いのだけど。

 ガラコンの指揮者がO氏に決定。あ〜あ、ようやくこれでチラシが刷れる!でもこれからだって、本番までに何が起きるか分ったもんじゃない。これまでも、あんな事やこんな事があったもんなあ〜。ふ〜っ!

 

 

 

2006年6月20日 (火)

今日は暑かった。

 私の友人S氏の死をこの日記で読んだ友人が「その人恋人だったの?」と訊いてきた。時間が経ったら「恋人未満、友人以上」と答えたかも知れないが、とっさには上手く説明できなかった。男女の仲で恋愛感情が一切無い友情はあり得ない、という説を何かで読んだことがある。そうかも知れないと思う。あの頃はそれでは沢山の恋人が居たということになるが、一緒に居て楽しいという以外の感情は記憶にない。明らかに女性の友人とは違うのだが、、、。S氏は私の大切な友人の中で2番目に亡くなった人となった。最初の彼は41歳の若さだった。その時はホントウに泣いた。怒った。身もだえしながら長いこと彼の死を受け入れられずに居た。「医療ミス」がその原因だった為、告発する文章をどっかに投稿したりもした。あれから20年。私も年を取り、色んな事を受容出来るようになったのか。自分だってそう遠くないという思いからか、、。意外と落ち着いている。日常の中で突然突き上げてくる感情に涙することはあるが、以前とは明らかに違う。こうして友人達と徐々に別れていくんだなあ。

 ガラコンは、指揮者交代劇でチラシの印刷が出来ないで居るが、どうなるんだろう?

 いつも何かが起こる。

 

 

 

2006年6月19日 (月)

長旅。

 たった1泊だったにもかかわらず、なが〜い旅をしたという疲労感で一杯だ。博多がカンカン照りだったせいもある。私が行く前日まで雨だったというのに、、、。
 新幹線とマリンライナーを乗り継いで高松駅からちぇちの練習に駆けつける。岡山に着いたときは半分くらい練習お休みの気分だったが、行って良かった。みんなの顔を見たら元気になれた。

 彼の死は、紛れもない事実としてしっかり受け止めて出かけた為に、彼の絵を前に愁嘆場を見せることもなく、奥様と娘さんの手厚いもてなしに、むしろ余裕を持って対応できた。彼女たちのけなげな姿に、全てが終わったときに寂しくなるだろうなあ、との感想を持ちながら、むしろ今は楽しく振る舞うことだと思って過ごす。
 彼の個展を引き受けてくれたのが、私も知らない彼の最後の知己Iさんだった。その人も大変ユニークな人で、ご自身は絵も描くし、陶芸もするし、ガーデニングからそば打ちまで、とにかく凝り性な人らしい。虫三匹を自分の銘にして、虫のように自由に遊んでいるのが自分の人生だと静かに笑う人だ。福岡在住の短歌仲間F氏と同行したが、彼共々Iさんのお庭に案内されて、「蚊や色んな虫が一杯いますからね。ここは新しい命がたくさん生まれる場所なんですよ。」と言われて思わず顔を見合わせる。これはただ者ではない、と目と目で話したものだ。そのお庭で小旅行を体験したアト、F氏が「僕は沢山噛まれましたよ」と腕を見せるとその人は「ああ、有り難うございます、沢山蚊に血を分けてくださって」との答え。まあ、そう思えば腹も立たない。
 そのお庭は陶芸用の作業場から釜から展示室から、特注の檜の露天風呂、最近まで鯉が200匹居たという池、病気で急に50匹死んだそうだが、、、。お茶花というお茶花、なんだか、大人向けのびっくり箱といった面持ちだ。
 実は着くやいなや、この屋のご主人I氏は、「おそば嫌いですか?」と訊いてくる。さっき昼食をたっぷり食べていた私達なのに、「いえ大好きです。頂きます」と妙に気が合う。I氏がここ10ヶ月ばかりそば打ちに興じ、大した指導も受けず自己流で打っているという。しかし、食べてみて驚いた!めちゃおいしい!だしなんか、そば湯で薄めて全部頂いたが、これはまじで美味しかった!いやあ、陶芸も自己流だと言うが、何もかも「センス」が良い。人生は遊びだとはっきり言ってのけるこの人は如何にも我が友人のS氏に似合いの人だった。「まだ素焼きですが、、、と出してきてくれたのは10個ほどの「骨壺」。S氏のために、分骨用に作って居るんだそうだ。思いのこもった良いものが出来ることだろう。
 この画廊では、7月には長峰ヤス子の展覧会をやるそうだ。彼女は絵を描くんだなあ、、、。
 
 長居をし過ぎたような、まだ居たいような気持ちで、我々はその瀟洒な建物をあとに、あっつい西日を浴びながらだらだら坂を歩いてバス停に向かった。今日は泣くまいと心に誓っていたが、最後に奥様とお嬢さんが玄関で見送ってくれたとき、「ご主人にお目にかかれず残念でした」という私の言葉に勘違いをした娘さんが「ホントウに突然の事だったモノで、、、」と答えるのに「あらあら違いますよ。貴女のご主人の事ですよ。一度もお会いしてないものね。お父さんのお顔はこれからずっと私の胸の中に生きてますからね、、、」と口にしたことで、何かが切れた。溢れる涙を納めながら早々にいとまごいをしてその場を去ったが、危なかった。

、、、しかし、もしこれが葬儀だったら行かなかっただろう。個展だと言うから、是非行こうと思ったのだ。私達の若い頃の写真も見せて貰ったが、あの頃はホントに良かったなあ。一緒によく山にも登り、サイクリングやキャンプ、バス旅行など、一杯遊んだ。今ほど自動車も通って無くて、中央通りをリンゴをかじりながらみんなで走ったこともある。私が会社の店頭で仕事中に背の高い彼が首だけ会社の玄関の衝立から顔を出し、茶目っ気たっぷりに笑っていたことや、大山に登山に行く道中、汽車の中で連れは寝ているのに、何時までも延々と何かを喋っている彼に、相づちを打つのも出来ないほど眠くなった時、「貴女、僕の話全然聞いてなかったでしょう!?」といきなり訊いてくるから、びっくり。へ?私が聞いてないことを知りながらあんなにお喋りしてたんだあ、この人!」と新鮮な驚きを感じたことだ。「もう良いから寝よう」と汽車の中でそれからは爆睡したのだが、妙にその時のことが今でも想い出される。変わった人だったなあ、ある意味。フフフ。

 時は流れた。

 彼のデスマスクの写真を見せられたが、矢張り正視出来なかったし、つくずく葬儀でなくて良かったなあ、と、、、、。そうだなあ。私の時も、友人達にデスマスクを見せたくないなあ。奥様や娘さんは頻りに「まるで眠っているようでした。」を繰り返すが、どう見ても「死は死」だ。しかし、それよりも印象に残った写真があった。死の前日に奥様と娘さんが代わる代わる彼の横にくっついて笑顔で映って居る3枚の写真。彼はベッドに座り一切笑わず、顔をまっすぐにこちらに向けじっと何かを見ている。あの目は、画家の目だろう。人生を、人生の真実を見続けてきた彼の心情があの目に宿っていた。そしてそれは、私には覚悟の眼差しに見えたことだ。

 今日も博多は暑かった。寝苦しい一夜をあかし、遅いチェックアウトをしてしばらく博多の街を散策した。何時又来ることがあるだろう?と見回せば有名なお菓子屋さんの本店の前。そうだ、今日はちぇち練だから、何か買っていこう。私の人生は多分もう少し続くんだから、、、とのれんをくぐったのだった。

 

 

2006年6月17日 (土)

不義理の連続だあ〜!

 地元の展覧会を二つも案内してくれていたのに行けず、ミニ音楽会も行けず、あの方にもこの方にも不義理の連続だ。明日もホントは行く予定だった吟行に行けず、だから短歌が詠めないというわけでもないが、何かしら栄養素にはなっただろうに、、、、まあ、これも「時の流れに身を任せ」ての結果だ。BSで美空ひばりの特集をやっていて早速このフレーズが頭の中に残ってさっきからここばっかり歌ってるんだなあこれが。
 3時間半もあるので所々見たんだが、彼女は歌いながらホントによく泣いてたなあというのが感想だ。あんな風に歌の中にストンと入って行けるというのがそもそも天才の天才たる所以だろう。寝床に入ってあっというまに夢の中、というのと似てないかなあ?寝よう寝ようとすると目が冴えてくるようなもので、努力して入っていくというのでは本物ではないだろうなあ。夢の中なら自信があるんだけど〜、、、でもないか、この頃。なんでじゃろ〜、訳解らない文章になってきたぞ〜。

 取りあえず明日は博多だ。向こうで出迎えてくれる友人が「切ない旅ですなあ」とメールを寄越してくれる。その言葉を見ただけで涙だ。いかんいかん、今回の旅は泣くために行くんじゃない。むしろ彼の人生に拍手を送りに行くつもりだ。良い家庭と心優しい娘さんを得て、画業に専念できてきっと幸せだったに違いない。一言良かったね、と言いたくて行くんだ。彼の人生の一部分の時間私と仲良く過ごした思い出を、彼の絵と話すために行くんだ。、、ほんのちょっぴり、愚痴も言うかも知れないなあ。どうせなら生きてる内に見せて欲しかったよお、その絵をって!
笑顔しか思い出せない彼の顔だが、いつものように笑って迎えてくれるかなあ〜、、

 明日は晴れるのかなあ〜、、、、。 

 

 

2006年6月16日 (金)

やれやれ、、、。

 今日は演奏会のはしご。これはやっぱりやるべきでないなあ。どちらも堪能できない。まあ、客観的に二つの演奏会を観察し、批評は出来るだろうが、そんなことは私の様な凡人がやるべき事ではない。評論家に任せておけば良いことだ。
、、しかし、凡人にも解ることがある。まずは司会者が饒舌なのは頂けない。観客はあくまで演奏を聴きに来ているのだ。曲が変わっても、観客は前の曲の余韻に浸っているのだから、言葉でうるさく断ち切らないで欲しい。そして、観客に何かを強要するのは止めて欲しい。いくらユーモアを交えているとはいえ、ああしろ、こうしろ、って、あ〜た、そりゃあ、誰に向かって言ってるの?と言いたくなる。感動すれば自然と拍手も強くなるし、声も出る。日本人の地味さが気に入らないのかも知れないが、そりゃああ〜た、ここは日本なんだから、しょうがないよ。その地味さを打ち破る迫力のある演奏をすれば良いんじゃないの?、、、て、観客の立場って良いよなあ〜。好きなことが言えるからねえ。まあしかし、従順な子羊のような観客ばかりで、ようござんした。

 叔母がスッポンが捕れたから要らない?と訊いてきたから、最近仲良くなった青年板さんに電話するとかなり喜んだ。持って行くと流石の手さばき、というか、まだ裁いた訳じゃあないが、ひっくり返してお腹を掴み首根っこを押さえる辺り、なかなかの経験者らしい。あんまし見ていたくなかったので、這々の体で逃げ出したのだが、あれは高級料理になるらしい。特に生き血が良いとか言われても、ぞぞぞ〜っとするだけで興味は一向に湧かない。ドナドナドーナの気分で友人とサンポートに着き、夕飯をトンカツ屋だ!ああ、人間は残酷だ!

 

 

2006年6月15日 (木)

今日は雨から始まる。

 朝、遮光カーテンのお陰で真っ暗な部屋にけたたましい電話のベル。朦朧としながらも何となく寝過ごしたような気がして、思いっきりハイテンションに出てみるが、敵は「どうしたの?風邪?」と早くも察知。しょうがないからまだ寝てたと正直に言うと彼はびっくり。それもその筈時計の針は9時をさしていた。だんだん目覚めてきて夕べの事を想い出すと、久しぶりでスポーツジムへ行き、ジムと、エアロと、自転車と、「空中遊泳」とかいうプールでのお遊び、そしてお風呂で、ギリギリ11時半まで粘ったためか、身体が興奮していて、なかなか寝付けなかったのだ。3時くらいには眠ったようだが、ええい、明日は予約もないし朝寝しよう!と目覚ましをかけなかったのだ。その電話の途中でいきなりの来客に慌てる。しばらく待って頂いて、大急ぎで仕事に取りかかるも、手元不如意で新しいレザーがグサリと指に!思ったより深くて鮮血が止めどなく流れる。やれやれ、何年ぶりかでこんなケガだ。どうも注意力が散漫だ。遅い朝食を取っていると夫が1時間後の昼ご飯を言ってくる。言われたとおり作ってもこっちは全然おなかが空いてない。そりゃそうだ。ま、こんな日もある。
 午後からはプリマのお付き合いで新聞社へ取材を受けに行き、2,3用事を済ませて今度は私の番組に出演して頂く。改めてカーネギーの収録を聴くとホントに素晴らしい歌唱力だ。何カ国語も駆使して20曲ほども歌うのはちょっと他には居ないのではないか?舞台で1曲歌うのも大変なのに、、、、!
 二人して繰り出したのは市内の美味しい和の料理屋さん。黙って座れば勝手に料理が出てくるという仕組み。どれも美味しかったが、彼女は残念ながら「牡蠣」を敬遠。3回食あたりを起こしてるらしい。週末に演奏会を二つ控えていて、流石に止めることに。身体が楽器だもんねえ。お陰で私は美味しく頂いた。殆ど魚料理だったが、肉派(肉体派ではない)の私でも今日のような料理なら心底美味しくて全部頂いた。ご実家までお送りして8月の再会を約して急ぎ高速で帰路につく。途中夫から帰ってるコールがあったのだ。冷蔵庫のモノでテキトーに食べて!と言ったのだが、あくまで「待つ」というのだ。待たれていると思うと焦ってしまう。ので、高速、な〜んて、実は高速に乗ってみたかったのだ。ここしばらく走ってないからなあ、高速を。あんまし車が走ってないし、快適なドライブとなる。目が時々でんぐり返るが、運転に支障はない。、、、あっという間に自宅だった。その点便利な場所に住んでるなあ。

 明日は二つの演奏会を掛け持ちだ!

 

 

2006年6月14日 (水)

なんだかねえ〜、、、。

 岩城滉一じゃなくて、岩城宏之だとご指摘があって、うひょ〜っ!こないだから、頭と口がつながって無くて、母親の虫さされにも「それはアブラムシよ」などと口走り、「、、、、それはアンタ、もしかしてアリのこと?」と、問い正される始末。それを娘に言ってガハハハと笑い飛ばしたら娘が「お母さん、アブラムシって、もしかしてゴキブリのこと?」と言う。そうか、アブラムシ自体、久しぶりに使った言葉だった。いよいよ認知症の始まりか?そう言えば、岩城宏之さん、ごめんちゃいちゃい。岩城滉一って、ところで誰?

 あかんあかん、これからスポーツでもして、ねじの巻き直しだ。我が家では夫の関係者が集まって何やら、作業をしている。これ幸いとたっぷりお出かけだ。、、実を言うと、今日はも一個ミステーク!の巻〜だったのだ。グスン。
 日曜日のお出かけを初めてJRのネットで注文。駅に行かないでもゲットできた!と良い気分で居たが、なにげに注意事項を見ていると、JR西日本のチケットは高松では貰えない、と言うことが判明。だって〜、高松から博多で取れたのに〜。なんで〜?、、、もう決済も済ませちゃったもんだから、私の頭にふと浮かんだのが、M女史の麗しいお顔。(T先生があの方30代ですか?とマジなお顔で聞いてきたお方!う、うそみたいに思われるかなあ〜。でもホントのお話。)早速お電話してみると、呆れられたが、快くお受け下さる。で、必要な物をお届けしてぺこり。いや〜、持つべきものは優しい友人。これで、心おきなく高松から出立出来そうだ。、、、なんだかねえ〜〜。

 

 

2006年6月13日 (火)

人は死ぬ。

 今日も岩城滉一の訃報がテレビにたびたび報道される。夕方のNHKBSでは越路吹雪の生涯が放映されていた。この人達のように華々しく「死」が世の中を駆けめぐることは普通の人間にはない。だが、真剣に人生を生きた人は、必ず何らかの影響を残された人々に与えずにはおかない。昔「一隅を照らす」という言葉をあるお坊様から聞いてその意味がイマイチ分からなかったことを想い出すが、今ならその意味が解るなあ。
 昨日届いた友人の「死」も一隅を照らし続けて生きた人の「価値ある死」だった。今日になって彼の娘さんから長い電話が掛かり、深い親交のあった方々にも大変失礼したことへのお詫びなど、しっかりとしたご挨拶を受ける。いつの間にかこんなに成長されていたのだ、と感無量だった。考えてみると我が娘と同じ年だから、勿論もう大人なんだが、、、。FAXで知らせていた私の訪問をお母さん共々歓迎してくれるらしい。あまりの電話の多さに、今更ながら父の偉大さを知りましたと、涙の中から気丈に笑うのが、如何にも父親に似て人柄の良さをにじませている。今思えば、彼女たちの選択、「葬儀はひっそりと内輪で。ホントウの彼との別れは展覧会で。」ということは全く賢明な選択だったと思う。
 聞けば、彼は最後に入院してから3日で他界したとか。痛みのない死は、早すぎるとはいえ救いがあったと、その娘さんは語る。膵臓ガン、がその病名。なるほどその通りだと、彼女の言葉に一々頷く。聞きながら、真実良い親子関係だったんだなあと、改めて彼の父親振りに思いを馳せた。、、、、なかなかこうは行かない。人は100%死ぬんだけれど、最後の時と死後の心配はしたくないものだ。その意味で、かれは幸せだったなあ。勿論彼の生き方が招いた結果だろうが、、。

 今日はセカンドオピニオンで眼科に行ってみたら、見たては前回の医師と全く同じ。「老化現象!だった」 ただ、今日の先生の方がとても詳しく説明して下さって、安心させて貰えたのは行った甲斐があった。
 保険証は忘れ夫に電話するわ、財布は忘れチケット代で賄うわ、、、、老化現象そのものじゃん!何を疑ってるんだか!?

 

 

2006年6月12日 (月)

訃報。

 私の大切な友人Sが亡くなったとの知らせが彼の画家仲間Y氏からの電話で届く。あまりのショックで、唸るしかない。昨年の彼からの手紙や展覧会の案内がいきなり頭の中をぐるぐる廻り始めた。このY氏も私が紹介したし、Sはその人物の良さから、私の色んな別の友人とも知り合って貰い輪が広がったという人だった。
 もともと良い絵を描く人だったが、昨年頃の画風は一足飛びに良くなっていたので、その感想を書いて送ったこともあった。、、、しかし、私の思いは午後からのシャンソン教室や、CD,DVDの製作に走り回ることで途切れ途切れになってしまう。

 「梅雨を思わせる空模様のつづいた5月、ふっと青空の訪れた24日早朝、Sは帰らぬ人となりました。61歳でした。」という短い彼の死の知らせが、ちぇちの練習から帰った私を待っていた。そのハガキは、彼の足跡を辿る展覧会の案内状でもあった。そこに映っている彼の壮絶な絵に、胸を突かれた。どんな思いでこの絵を描いたかが伺われて苦しくなった程だ。ホントに素晴らしい風景画のそのタイトルは「浜、軋む」だ。手前に描かれた漁船の舳先は寒々と遠い所へ向いている。傍らの柵の一部がまるで十字架のように佇んでいる。あるいはこの船は出ることなくそこに軋み続けているのか、、。向かわなければならない思いと行きたくない気持ちの狭間で船が軋んでいる。
 こんな写真では計り知れない彼の思いを知るために、いや、もしかしたら私へのメッセージも在るかも知れない、という思いから、来週は博多だ。

 

 

2006年6月11日 (日)

そっか、よさこい、、、か。

 なっちゃんがご家族で北海道のよさこいに行ってるはずだと思いながらNHKニュースを見た。なんで、高知のものが北海道なのか?いきさつを知らないからどうもぴんと来ないが、みんな楽しげではあったなあ〜。お祭りとは良いもんだ。
 同窓会、なんてのも一種のお祭りだ。

 それにしても昨日は色んな人と話しが出来て面白かった。毎回司会なんぞやってるから、事前も事後もバタバタしていて、参加者とゆっくり話すことなどついぞ無かったので、昨日はその意味で楽しかった。三次会では全く数年ぶりにカラオケなんぞ歌ってしまった。しかしプレ団塊世代に相応しく歌う曲がみんな古〜!私の極めつけは「赤いグラス」だった。20年以上前、古馬場にしばしば出没していた時代、よくこの歌をデュエットで楽しんだものだ。あ〜あ、あの頃は良かったなあ〜。毎週の様にジルバなんかをを踊り、カラオケも歌ったなあ。私にとってあれが第2の青春だったんだ。この巨体でもジルバには自信があったんだよね〜。遊びたい為に仕事を必死でやり、有り余ったエネルギーを発散させるべく、パ〜ンと出かけってったものだ。あの頃の悪友達も今はしょぼくれちゃった。みんな守りの姿勢に入っている。昨日の同窓生達はちょびっとましか、、、、、、。
 夕べは他の人よりはレパートリーが少ないが、それでも私、6,7曲歌ったような気がするなあ。体調を考えてうす〜い水割りをチビリチビリで大して酔ってなかったと思うが、何を歌ったのか定かでない。男性陣は「歌う人」「飲む人」「喋る人」「はしゃぐ人」「お接待する人」「興信所する人」「拍手する人」「たしなめる人」ってな具合で役割分担が出来ている。それでバランスを取りながらそれぞれが楽しむ術を身につけているようだ。その点女性陣は気を遣ってないなあ。「歌い喋り」「お接待を受け」「飲んで笑って」自由に楽しんでいる。スナックでの光景一つを取ってみても、男性が社会性のある動物だということがよく分かる。
 スナックのママさんという職業。これはなかなかに大変だ。全員に気配りをして、時々おもろい話しも入れて、みんなの気をそらさない。手はいつも動いているし、狭いカウンターの中でよくぞあんなに!と感心するくらい身体も動いている。口八丁手八丁の見本みたいな人だった。
 そのアトに訪れたお寿司屋さんは、ご夫婦でやっていたが、矢張りお喋りは奥さんの仕事みたい。私達より4つ年上だそうだが、なかなか明るくて感じが良い。長年の商売のこつがしっかり身に付いている人だ。ここで食べた「あなご」は今まで食べたことがないくらい美味しかった!ウナギにも負けないお味だ。寿司好きの子供達が帰省したらここへ連れて来よう、と心に決めたほどだ。ホントウにおいしいお寿司屋さんはなかなか無いものねえ。流石遊び人と呼ばれる彼らだけのことはある。ちゃんとこういう店を行きつけに持っている。おかしいのは、こういう手のサービス業では、「社長」と「先生」しか呼び名が無いようだったことだ。まあ、先生は学校の先生からお医者さんまで幅広く使えるだろうなあ。女性達の呼び名にはどっちのお店も困っていておかしかった。独身の女性に「奥さん」と言っては叱られていたなあ。

 同窓会には3人の先生方がご参加下さったが、皆さんあまりにもお若くてびっくりだ。我々と先生方とでは年を取る速度が違うのではないかと思われるほどだ。だって、会場間違えたんじゃないの?ってえくらい、年寄りっぽくなってた人も居たからねえ。そう言えばまだじっくり写真を見てなかったが、見ものだろうなあ。

 一夜明けて起きられないかと思ったが、定時に目が覚めて、仕事も出来たのだった。まだまだ大丈夫かなあ〜?てへへ。実は明日が怖いとも言える。
 午後にはどうしてもある方の歌を聞かせて貰いたいと、サンポートへ。丁度その方の独唱前に到着できた。夜の女王のアリア、という難曲を立派に歌ってらしたなあ。私も勉強しなくては、と思いを新たにしたことだ。ホントはもっと会場に居たかったのだが、夫に頼まれて茶会に行き、記念品を貰ってくる予定。後ろ髪引かれながらホールをアトに。、、、、しかあ〜し、やっちまったぜぃ!折角必死でたどり着いたら栗林公園では無かった。玉藻公園だと言われて招待状を見ると確かにそう書いてある。ウッグググ。「あなたで二人目です」と言われ、尚落ち込んだ。4時までというのにもう間に合わないか、と半分諦めながら飛雲閣へと走る。幕などをお仕舞いに掛かってはいたが、遅いお客人もぱらぱら居て、私もお薄のお接待に預かる。実はそのつもりが無く出かけたので懐紙の持ち合わせがない。ああ、今日はお菓子抜きやも、とガッカリしてるとお運びの方が出して下さる。、、、お茶事となると言葉遣いも改まるなあ〜。しかし、着物姿の若い方のお手前を拝見して、そこでお接待を受けている、おそらくはお茶の先生ではないかと思われる年配の方と招待側の会話を聞いていて、う・うう〜ん。やっぱり私はお茶の世界は苦手だなあ、とつくづく思った。茶器をすべ〜てどういうものか品定め。勿論いちいち大仰な褒め言葉が添えられてのことだ。いや、それは私が知らないだけで恐らくは相当実際に良いものなんでしょう。でも、それが逸品であることを聞く前に褒めるのなら、その人の感性を買うが、名のあるものだと聞いてから「まあ、流石でごじあますわねえ。さようでごじゃあますか。OOねえ。道理でここんところが面白うごじゃあますものねえ、、、」と果てしない言葉の応酬にはうんざり。なんか、違うと思ったなあ〜。
たしなみの無い私でも茶器や花器、掛け軸などを褒めるということは知ってはいる。しかし、褒め言葉や、質問もそこに自ずと品位というものが現れるべきなのではないか。、、、と、その場からとっとと食べ逃げしたおみっちゃんでごじゃった!ふ〜っ!

 

 

2006年6月10日 (土)

終わったあ!

 一大イヴェントがようやく終わった。何事も終わるものだ。今日の還暦同窓会は人数の多さからも成功だったが、次はいつ?とあちこちから声が上がるほど盛り上がったのだ。何しろ二次会70名、三次会30名、四次会15名。の中に私も居た!最後のお寿司屋さんのおいしかったこと!

 しかし、舌が割れてるし、喉も痛いし、やっぱり 年は年だ。

 まあ、寝るとしよう!!

 

 

2006年6月 9日 (金)

てんやわんや

 朝から同窓会の件で電話攻め。午後になってY先生はやっぱり行けなくなったとのお電話。ぎょっへ〜っ!急遽、あの人にこの人に連絡するも、間に合わない事も出てきて、う、う、う、。
日が迫ってくると流石ののんびり屋さんもてんぱってきた。ゲーム係からも電話が入るし、トドの詰まりは「高校3年生」の曲が見あたらない。探してくれ!だ。でも、ありそうにないなあ。

 午後はプリマのご依頼で全くのマネージャーというかアシスタントというか、小間使いというか運転手というか、、、、全て終えて帰宅したら11時!明日顔が腫れてないかと〜っても心配。目の状態もかんばしくないしなあ〜。トホホホ。なんで、こうなるの?
 せめてもの救いは、打ち合わせの途中で、友人がお招きしてくれたので二人でその方のおうちをご訪問。丁度ゴルフ仲間と宴会の真っ最中にお邪魔した。歓待してくれて、バーベキューやらなにやらあれこれご馳走になる。そこにいた数名の女性達はなんとちぇちの公演に来てくれていた!
内お一人は私の番組も聴いてくれてるそうな、、、。まあ、見が縮む思いだったなあ。しかし有り難いこと。一度ならず公演に来てくれている方がいるというのは、、、!

 疲れ切ったなあ〜。

 

 

2006年6月 8日 (木)

同窓会のお笑いを一席。

本日の電話。

Y先生「僕はねえ、あのクラスはねえ〜、ずいぶんと総スカンでねえ〜、嫌われとったんですよ。」
私「そうなんですよねえ。あのクラスは野球部とかハンドボール部とかで悪いのばっかりがいたから先生方皆さんから総スカンでしたよねえ〜」
Y先生「いやいや、そうじゃなくて、僕がクラスのみんなから総スカン、嫌われとったんです!」
私「え?えええ?あ、ああああ〜。そうなんです かあ?、、、。」
Y先生「それがねえ。前回お宅の同窓会に呼ばれていった時に、流石にもう覚えとらんじゃろうと思って行ってみたら、覚えとるんが寄ってきて、先生、あの頃はほんまに嫌な先生でしたなあ、と言うんがおってなあ〜」
私「はあ〜。そ、そうなんですかあ?、、、。」
Y先生「それが又、悪い方じゃなくて、真面目なええ方の生徒だったんじゃ〜」
私「、、、、。」
Y先生「ところで、あんたはそのクラスでは無かったんかいな〜?」
私「実は、、、私も、そのクラスでした、、。」
Y先生「、、、。」
私「でもでも先生。是非いらして下さい。あの先生もこの先生も入院だ病気だケガだって、どんどん少なくなっちゃったんです。是非!」
Y先生「考えときますわ!」
、、って、あの〜、同窓会は明後日なんですけど〜。って、とうとう言えず仕舞い。

 ところが救う神ありで、別な先生に助っ人を頼み電話して貰うと、Y先生の奥様が出て、もう行くことに決めてお風呂に入ってます、と言われたとか。ふ〜っ!


 前述の会話の前に聞いた話では、なんとこの先生は声楽をやっておられるとか!イタリア歌曲から最近はようやくオペラに入門。ドンジョヴァンニを歌い始めたとか。ま、お目に掛かってお話が出来れば,
会話の中で、私が先生の事を覚えて無かったことや、同窓会に参加して貰ったことも記憶になかったこと等々、私の失態が挽回できるかも〜。?

 

 

2006年6月 7日 (水)

恐怖体験。

 今日は午後から友人と同窓会のための買い物やら打ち合わせやらと走り回り、何とか全て完了。
途中で、多分直前にぶつかったらしい車の側を通る。随分のおじいさんが車から降りてきて、ぶつかっている赤い軽自動車のドアーをこじ開けて、中の人を起こそうとしているので、中に人が居るのが分かったのだが、そんなに起こしたりして良いのかなあ?と心配になった。渋滞の中、現場のすぐ側を通り過ぎたが、何度か起こそうとしているその様子を見て完全に意識がない若い女性であることが分かった。その血の気の失せた顔つきを見てゾッとした。以前の自分の恐怖体験が蘇ったのだ。側にいた友人も私の時を想い出したらしく、あんたも危なかったよねえ〜と述懐してくれる。全く。20センチの差が私の命を救った。
今日の彼女もどうぞ、助かって欲しいなあ。うんと若い人だったものねえ。

 

 

2006年6月 6日 (火)

まだ変。

 今だに目の前を光が走る。特に暗いところで顕著だ。今、同窓会の最終打ち合わせから帰宅。本番はいよいよ週末に迫った。流石に今日は運転したくない。友人の送り迎えだ。ホントに有り難いことだ。昼は別な友人二人が心配して、まあお見舞いまで持って慰安に来てくれた。この人たちはシャンソンにもわざわざ船に乗って来てくれたのだった。全く、持つべきものは心優しい友人達よ!様々な場面で私をサポートしてくれる。こんな友人達とはあの世に行ってもお付き合いしたいものだ!
、、、勘弁してよって言われるかも〜ハハハ。

 喉も真っ赤だし、やっぱおちゅかれなのねえ。

 寝るべ。

 

 

 

2006年6月 5日 (月)

目が変。

 ちぇちの練習が終わり、メンバーを送りがてら今夜はスポーツジムでも行こうかな、と車を走らせ始めたら何だか急に目の中にネオンが飛び込んできたみたい。目を左右に動かすとそのネオンが高速で左だけ上下に動く。え〜っ?これなあにい?気持ち悪〜い。隣のKさんは私も偏頭痛の前には光がチカチカすることがあるんです。っていうが、するとこれは「脳」と関係してるのか?と思ったら途端に気が滅入る。遂に両親の遺伝子が活動始めたか!ってなもんだ。父、脳梗塞、母、くも膜下、どちらに似てもやな病気だ。
 気持ち悪いまま彼女を降ろして大人しく帰宅。相変わらず目の中のネオンサインは消えそうにない。取りあえず友人の進める眼科に行こうと夕飯も食べずに寝る。2度ほどトイレに起きたが矢張りネオンは点滅している。
 朝、予約の電話を入れるも10時半でないとダメと言われる。そこはこの辺では人気の眼科だ。予想通りながら仕方がない。珍しく家にいる夫が付き合ってくれるが、どうも重病だと思っているらしい。結局医師の判断では「老化現象」だそうだ。しばらくしたら落ち着くでしょう。と、嬉しいような不安なようなお返事。あたしゃせめて「網膜剥離」とかなんとか言われるもんだと覚悟してたが、カクンと拍子抜け。いや、勿論その方が良いに決まっているが、この奇妙な現象が単なる老化現象だなんて、、、信じられない。だって母からも聞いたことないし、、、。
 案の定夫も拍子抜けした感じ。無理矢理、「やりすぎ、疲れすぎの結果」だとお説教だ。医師はそうだとは言わなかったが、この際大人しく聞いておいた。
 帰宅して寝てみるとこれがバカみたいに眠れる眠れる、、、。途中で何度か電話やら何やらで起きても又眠れるのだ。ちょいと安心したせいもあるかも知れないが、我ながら呆れるくらいだ。

 老化、ねえ〜。まあ、還暦だからなあと思う一方、87歳の母の元気を思うと、ムムムム、、、。

 まあ、一昨日のシャンソン発表会は結局は42曲を聴き、内半分はだめ出しをしたりまあ、精力は使ったわなあ。
 で、その翌日がちぇちで、これまた、エネルギーが要る時間だ。矢張り人の声を聴く、修正するというのは大変なことだ。I先生がとっとと逃げていったのも分かる気がする。矢張り若手に何事もバトンタッチだ。

 

 

2006年6月 4日 (日)

一つ終わった!

 シャンソン発表会がなんとか無事終わった。いや完全に無事とは言えないかも知れない。3回歌い直した人もいれば、途中でつまって「すいません」とピアニストに謝る人も居た。通常は絶対あってはならない事だが、おおらかなピアニストとそれ以上におおらかな司会者=ワタクシのせいで、決行されてしまった!いやいや、最もおおらかだったのは観客だ。予想以上にお集まり下さって、まあそれだからこそ舞い上がったと言うのもある。だが、全体としてとてもあったかい、気持ちの良い演奏会になったと思う。一番良かったのは教室のみんなが終わったアトにとにかく楽しかったと言ってたことだ。「歌」は矢張り他人に聞いて貰わなければ歌として完成しないものだと思う。そしてそれは人前で歌ってみるとよく分かるのだ。日頃理屈で覚えていることも、身に付いていないと本番にその力は発揮できないということも、みんなの身にしみたようだ。今、岡山の教室の人から電話があって、「とっても気持ちよかった!こんなチャンスを与えて貰ってホントに嬉しかった。これからももっともっと勉強します!」と言うのだ。ナント素直で可愛らしい感想か!「学ぶ」ということは幾つになってもその心を童心に返すみたいだ。彼女のお友達が私の歌を聴いて感動して涙が出たと電話をかけてきてくれたそうだ。まあ、リリーマルレーンは確かに悲しい歌だ。そしてこの歌は歌う時によって、私に色んな色のパッションを促す。今日は濃密な一組の男女の絶望の色だった。ある時は完全な反戦歌になることもあるし、ある時は人生を達観したものになる。、、、、歌はホントに面白い。

 しかしこの疲労感はどうだ!何故この手の発表会はこんなに疲れるのか?I先生がCantiamoのあと綿みたいに疲れ切った表情で居る理由が分かろうというもんだ。まだ、こちらの方はリハがない分ましかも知れない。今日はリハで21曲聞いて直して本番も聴いて司会して、、、、こりゃあ疲れて当たり前だ。

 さあ、次は同窓会だ。

 

 

2006年6月 3日 (土)

さあ、明日は早起きだ。

 シャンソンの発表会のために早起きしなくてはならない。まだ着る服をちゃんと準備できてないというのに、ちぇちのガラコンの事でガタガタ、勿論明日の件でも色々だ。9時より早くは帰れないはずの夫が8時前には帰ってくるし、なんだかバタバタバタ、、、。

 いや、流石にもう完全なる準備態勢に入ろう。睡眠不足は何かをゆがめる。

 

 

2006年6月 2日 (金)

偶然。

 先ほど電話料金の支払いにコンビニまで行く。目に付いた四国新聞をなんとなく買って帰ると、そこに我らがプリマの記事が出ていた。まあなんという偶然。この取材を彼女が受けるのを側で聞いていただけに、この偶然は面白い。まるで呼ばれたみたいだ。

 今日は少なくとも二つの心配事があり、その両方ともまあ、70点くらいの解決だが兎に角私のやるべき事は終わった。こうして問題が出来てくると、その前に立つ時は気分が落ち込み憂鬱なのだが、解決したときの安堵感はおいしいビールを飲んだ時ほどのリラックスをもたらす。解決できないことは無いと信じよう。そして落ち込み過ぎないようにしよう。自己防衛は大切な生きる知恵だ。

 パリ祭のチケットがゲットできた。シンフォニーホールだが、このところよく行くなあ。私の中のブームかも、今、おきゃあまが!行きつけるとそう遠くないから不思議だ。今度もあのお菓子買ってこよう。このところはまってるおいしい岡山名物だ。

 夕方見知らぬ人がやってきて、この家のすぐ前にどうやらでっかいマンションが建つらしく、建設業者が挨拶に来たのだった。このところこの辺りはマンション建設ラッシュだ。どんどん人口が増えている。近所の人の話題になっているのは、これまで見かけなかった変わった種類のわんちゃんを連れた人が多くなったということ。確かに色んな種類のわんちゃんを見かけるなあ。、、、しかし、こんなにこの辺が変わってくるとなんだか嫌だなあ。静かで、田んぼがあって、田舎らしい感じが好きだったこの辺りが、すっかり様変わりしてきた。これからどうなっていくのか、、、、どこまでも空が狭まっていく、、、。

 

 

 

2006年6月 1日 (木)

ジ・ジ・ジ、、、、。

 やることがいっぱいあるのに出来ないジレンマに、ジ・ジ・ジ、、、、だ。今ようやく親友のご主人のお悔やみ袋を書き、手紙を書いて同封、切手を貼って一件落着。もう少なくともあと3件、気掛かりな郵送物がある。手紙だけ書いてあるもの、箱には詰めてあるというもの、どちらもそこに出してある物、と三様の準備は出来ているのに、送れないでいる。明日は一気にやってしまおう、と考えて居るんだが、この状態でゆうに2週間がたってしまった。この筆無精というかなんというか、、、、全くどうしようもない。今週の日曜日にシャンソンの発表会で着る洋服さえまだ出してないというか決めてない。今夜はちょっと努力してみようかなあ〜。

 今度の同窓会の司会の相棒が電話で「アンタの夢を見た!」と言うので、一体どんな夢かと思いきや、同窓会が始まってるのに私が来ないんだそうだ!他の人はどんどん来るのにいつまで経っても来ないので、一人でやるのかと不安でたまらなくなったんだそうだ。ハハハ。いや、いっそ一人でやってくれたらいいのに!可愛いなあ〜フフフ。でも在りそうな事だもんなあ〜。彼がそんな夢見るのも無理はないか!テヘヘヘ。

 今日は雑用に追われてやっぱりスポーツジムはお休みだ。友人で毎日ご主人と行ってた人がヒドイ声だと思ったら二日間点滴の憂き目にあったそうだ。絶対あれはやりすぎだと思ってたんだよねえ。別に彼女ほど行けないから言うんじゃないが、我々はいくら若く見えても(!)年なんだから、やり過ぎは何事も良くない。こうして失敗してだんだん分かってくるんだろうなあ〜。

 本日打ち合わせということでプリマを先日母と行った変わったフランス料理のお店にお連れした。彼女も大層お気に入りで、帰りにカードを貰ったりしていた。イケメンシェフが出てきてお話ししたら凄い!31歳独身だった。東京のル・なんたらいうフランス料理の名店で修行したんだそうだが、私が一番気に入ったのは実は、彼がそこで開店したいと思った思考回路だ。そこは矢張り想像通り彼の実家でもあった。で、彼のおばあちゃんという人に相談したら「ここは昔庄屋だったからいつも人が沢山で入りしていた。アンタがここで同じように人がたくさん来てくれるような商売したいんならやりなさい」と言ってくれたというのだ。どうりで立派なお屋敷で、そのおそらくは納屋か米倉の部分を改装して作ってある。彼は長屋門を改装してそこに寝起きしてるそうだ。日本の良いところをそのままにそこでフレンチとは面白い発想ではないか。建築デザイナーは岡山の名のある人だそうだ。しかも店の名前が又面白い。「五風十雨」というのだ。あたしゃてっきり地理が分かりづらく、ちょいと辺鄙なので「ご不自由をおかけします」とこの名前かと思ったら、違うんだなあこれが。5日風が吹いて10日雨が降ったら穀物がよく育つ=何事も繁栄する、という意味なんだそうだ。ハハハ。若いからてっきり当て字かと思った私の偏見だった。
しかも働いてる人たちが全員気持ちが良い。これも田舎ならではの人情を感じさせる。
しかし昼間こういうお店に行くと全く女性ばっかり!なんでも今度のサラリーマン川柳で「女房セレブで夫はセルフ」な〜んてのがあったそうだが、全くご時世だなあ。他のこととなると500円千円でも高いと思うのに、自分が食べるランチにお金をかけるのは何ともないのが昨今の奥方達だ。いやあ、良い時代ではないか!フフフのフだ。


 

 

 

 

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