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2006年5月

2006年5月31日 (水)

あれやこれや!いっぱい。

 プリマが持ち帰ったビデオを、とあるところでダビングするために朝の9時には高松駅だ。そこからえんやとっとと、出かけた先でえらいこと手間取り、途中でこれ又とあるところに機材を借用に往復1時間かけて行って帰るも、なんとその機材の正しい使用方法を誰も知らず、従って、録れてるかどうかの確認も出来ないまま、延々と操作していた。ご本人は結局途中で次なるお約束の場所へと移動。残る私ととあるお方はアトで考えると間抜けも良いとこで、全然ダビング出来てない機械を前に四方山話。あと1曲入れてから終わろうなどと腰を上げて、別な機械で試してみると、なんてこった!これが全然録れてない。ええ〜っ!?と叫んでもどうなるもんでもない。いやあ〜二人とも機械音痴だったんだ、と今更のように確認し合ってジ・エンド。ふ〜っ。本日のこの時間とエネルギーの浪費はナントモカントモ、、、泣きたいくらいだ。こんあこたあ、もちはもちやに頼むべきだったんだ。機械があるからって、あ〜た、出来るとは限らないんだから〜。結局は知人に頭を下げてお願いしてきたが、実は、この一連のことをプロに頼むとすぐに、ん十万円だ。それを思うと何とかしてあげたいと考えてしまったのだが、、、。

 で、予定より早くお帰りの夫の為に一番の手抜き料理ステーキをあちらには1,5倍の量を。ものの10分で本日のお夕食も完成。あたしゃお昼のショウガ焼きとこのステーキを消費すべくすぐさまスポーツジムへ。1時間ちょいで、機械と自転車とお風呂とサウナをこなして外に出れば、うわ〜、最高に心地よい風。1リットルのアルカリイオン水を持参したが、殆ど全部飲んだなあ。しかも私の主治医が言ってた通り、不思議とアルコールが欲しくない。段々からだが良い方向へ行ってるのかな?
 しかし、せっかく水を持参して、150〜300円倹約したつもりが、靴を忘れていって210円で借用。何をやってるんだか!?そもそも私の上等のおニューの靴をKMが持ち帰って返してくれないのがイケナイ。なんで、私がお古のよろしくない靴で我慢してるんだか!?ったく〜。明日は返して貰うぞお。


 今ニューヨークの光景を想い出すと、女性達がホントに自由な感じで街を闊歩していたなあ。私なんか足下にも及ばない程の巨体や、ボインボインの女性。あるいは妊娠中でど〜んとお腹が出ている人達。みんな、見るなら見て、と言う感じで全然平気。私は今こうなのよ!と主張して居るみたいだった。日本だとこうはいかない。まず隠そうとするなあ自分の体型を。これももしかして日本の「恥の文化」の故か。アメリカの「あるがまま」これはでも、そんなに単純ではないかも知れない。どこぞの誰ぞが研究してるだろう。もうめんどくさいから考えるのは止めるが、その点は少なくとも「私もNYに住みたい」と私が思った理由の一つだ。

 

 

2006年5月30日 (火)

観察。

 本日久しぶりにコトデン長尾線の最終便に乗った。岡山に行きは友人の車で行き、帰りはとにかく歩こうというスポーツウーマンの心意気だ。昔は当然良く電車に乗ったが、最近は乗らないので何だかおしりがむずむずする。段々落ち着いてきてヒマなので前の人を観察する。20代前半の会社員風の男性が足を思いっきり前に投げ出して腰掛けているが、眠ってるような眠ってないような、、、。唇に浮かんだ笑みが段々ハッキリした笑い顔になり、白い歯が見える。この若者は終電だが別に酔ってる風ではない。多分デートのアトかな?朝の連ドラに出てる男性とよく似てる。如何にも嬉しそうで、胸の内で「良かったね!」と声をかける。すると聞こえたかのようにパッチリと目を開けるので慌てて目をそらす。彼の自然な思考を妨げたくなかったのだ。再び目を瞑った彼は矢張り幸せそうな顔つきだ。やっぱり余程良いことがあったのだろう、、、。

 その前に乗ったフェリーでは、着岸直前の窓に映った光景が面白かった。私が見ているのはすぐ側のガラス窓。そこに映っているのが反対側の窓から見える光景で、県の駐車場ビルだ。その天井の明かりがどんどん流れていく様がこちら側の窓に映っているのだ。そして室内の様子がそれにかぶさり、もう一つ当然の窓の向こう側の光景、毒々しいネオン達も映っている。この3カ所の光景が一つの窓に流れて映る様は、複雑で、もしこれを何かで表現するとして、例えば「短歌」はどうだろう?無理なような気がする。様々ある表現の中で最もこの状態を正確に表すことが出来るのは矢張り映像だろう。と思った途端、そんなもの意味がない。という声が聞こえる。絵画はその光景から何かを感じさせる描写をするだろうし、作家は読者の想像力をかき立てる様な表現をするだろう。短歌や俳句はそぎ落とした言葉の奥に実像以上の実像を人々の脳裏に映し出すことだろう、、、etc。そうなんだ。それらは見たもの以上のものを表現するのだ。ふと思ったことはナンセンスなことだった。

 週末のシャンソン発表会に向けて最後の練習だったが、あれほど嫌がっていたみんなが、乗ってきてるのに驚いた。やっぱり、人前で歌うことは大切だ。みんな歌詞を覚えてきてるし、練習もしてきている。どんな会になるにせよ、ここまで来る道程に意味がある。、、、、、。

 

 

2006年5月29日 (月)

行ったぜ、ベイビー!

 ついにスポーツジムに行った、というか行けた。ちぇちの練習が終わり、メンバーをお送りするのをご辞退して、今日こそ「行ってきまあ〜す」だった。いつものことで行き当たりバッタリ。今日は何しよっかなあ?と二階に上がるとうまい具合に10分後に「初めてエアロ」が始まるという。久しぶりにこれだ、と決心して、その10分も無駄にしない。腹筋、背筋それぞれの機械を使い汗を掻く。事前のストレッチ体操みたいなものだ。やがて時間が来て部屋に入れられドアが閉められる。「初めてエアロが初めての人〜?」とインストラクターが聞かなくても良いことを聞く。よっぽど手を挙げようかと思ったが、誰も上げないし〜ちょいときまり悪くてそのままに。そりゃあ、厳密には初めてじゃあないが、初めてのようなもんだ。そもそもタイトルが「初めてエアロ」なんだから聞くこたあ無いじゃん!?って、心の中でいちゃもん付けながらまあやることはやった!しっかし予想以上にきつ〜!汗が滝のように流れる。少しここに来てないとこんなに身体が鈍ってるんだと再認識。やっぱり続けなくては!
お風呂に入って先ほど帰宅して、ビールをぐ〜っと飲む快感。ダイエットビールは美味しくないが、それでも無いよりはまし。いやあ〜、やっぱり運動は良いなあ。
私より明らかに10歳は上かな?と思われる人が大声で喋っていた。「私なんかこうして好きなこと出来て嬉しいと思ってるのに、近所の人なんかが凄い凄い、エライエライというのよねえ。別にエライとは思わないけどねえ。好きなことやって褒められるのも何だかねえ〜」ハハハ。いやはや、元気印のお年寄りが増えてきてるとNHKで特集していたが、その例だろうか。良いことだ。

 今日は顧客から教えて頂いた地図を頼りにちょっと変わったお店に母を連れて行きランチタイム。簡単に説明できない辺鄙な場所だったが、立派な旧家を改装して和風建築の良いところをそのままになかなかおしゃれなお店だった。若い人がやっているのにも驚いたが、出てきたお料理が全ておいしくて、軽いフルコースだったのにもびっくり。だって、前菜とスープとメインとデザートとコーヒーでしめて1500円。これは安い!この景観でこの接客でこのセンスでこの味なら、次から次へと人が来るはずだ。9割方は女性だったが、今日は平日の昼だもんねえ。、無理もない。結構お腹一杯になってご機嫌で帰る道中母が告白。「実は、今朝からお腹が痛くてお昼の食事は出来ないかもと思っていた」と言うのだ。呆れた。流石我が母。全て美味しい美味しいと残さず食べて、結局治ったんだそうだ!ハハハ。いやあ、目出度い。
 事ほど左様に「食」というのは大切な文化で命の源なのだ。中国の「医食同源」というのもそういうことだろう。

 そう言えば関空でお昼を食べた時、そのどんぶり屋さんが美味しかったのでそこで売っていた「焼き鯖寿司」を買って機内に持ち込んだがあれが大正解だったもんなあ。美味しくないカップヌードルやワケワカメのクッキーなんか出てきて、段々元気がなくなってきた私達だったが、ふと思い出してそれをみんなに配ったら、まあ、それからみんなが元気になったことなったこと!!やっぱり日本人だった。

 日本人と言えば先日お店の顧客で学校の先生が来店されて「子供達に愛国心の評価をするなんて、、、どうしたら良いんだか、さっぱり分からん」とぼやいていたが、ほ〜んと。まさか踏み絵の時代が来るんじゃないだろうねえ。そんな教育受けなくっても、私達ちゃ〜んと外国ではしっかり日本人してるからねえ。「愛国心を育てる事より、愛されるニッポンになるよう努力する方が先なんじゃないかい!?」というのが、私達二人の結論だった。ち〜ん。

 

 

2006年5月28日 (日)

思い出。

 余りに時の流れが速くて、ついて行けないでいる。一日の予定を立てても一つ二つは出来ずに終わる。勿論、多分時間はそれでもあるんだろう。例えばパソコンに向かってぼ〜っとしていることもある。てきぱきと片づけが出来ないこともある。無駄な動き方をしていることも多い。手順が悪かったりもする。、、、そう言えば昔、従業員に「自分を自分の先生にして仕事をしてごらん」などと言ったモノだが、全く、今の私に言いたい言葉だ。それもただの先生ではダメだ。厳しくてチェック癖のある人でないと、この私の膨大な量の「仕事」を片付けさせることは出来ないだろう。
隙さえあれば逃げ出そうとする怠け心のある、何かと言えば「老人」の家に逃げ込もうとする擬似老人だ。
今日は、夫が貰ってきたタケノコを処理させるのには成功したが、確かゴボウも買ってあるなあ、、、。買うときのテンションと料理するときのテンションが違うのが良くない。空腹は神からの指令だから、夕食時に「腹が減っては戦が出来ぬ」と思うのもまあ仕方ない面もあるが。好きなことにはどどど〜っとエネルギーが割けるという癖は持って生まれたもので、これまたどうしようもない。しかもこの年ではなおさらだ。
以上、このところのみっちゃんの反省文だ。

 時間が経てば思い出が生まれる。ほんの先日のことでも遠い昔の様に感じる。ニューヨークがもう遠くへ行ってしまった。この日記にあれこれ書いたが、実はその何倍もの事柄が私の「思い出」となったことを感じている。些細なこと、例えば帰りのシカゴ空港で同じく待ち時間を過ごしているとき、気が付けば小銭がジャラジャラ余っている。これは帰国しても両替しては貰えないから、どうせならここで全部使っちゃえ!とばかり、土産物売り場に行くと、ぶっとくて目と歯が真っ白な黒人のおばちゃんが「アンタは日本人か?」と尋ねる。そうだと答えて持ち金を見せてこれを全部使いたいと言うと「全部この手のひらに出しな」と言う。言われたとおり渡すとわざとらしく平らなところに並べて「ここにある物を1個持ってきな!」とあごをしゃくる。えっ?ただの1個?とおうむ返しに聞くと途端に厳しい目つきになって「オンリーワン!」ときっぱり言う。小さなお菓子1個だと言うのだ。そんなわけはない。その手のお菓子ならどう見ても10個は貰える額だ。クッショ〜と思ったけど、そのおばちゃんの有無を言わさぬ眼力に負けた。仕方なく1個選んで持ち帰りながら、まあ、彼女の生活の足しになっただろうとか、実際私はこのお菓子がどうしてもたくさん要るわけでもない。例え小銭で持ち帰ったとしてもどうするわけでもないんだから、、、などと思いながらだったのだ。いやあ、なんというか、民族的な敗北を感じたなあ。あの迫力。ぎょろっと目をむいたあの顔は今でも想い出す。彼女と接しただろう多くの日本人が、大なり小なり私と同じ目にあったことだろう。そう言う意味の自信に溢れた顔つきだった。いやあ〜、参った。
 帰りの飛行機も同じく十数時間乗ってたのだが行きに感じた苦痛は少ない。MKの高所恐怖症も余り激しくは訪れなかった。機体が少し揺れたときは私の手をぎゅっと握りしめて青ざめてはいたが、これなら又ぞろ行きたいなんて言い出すかも〜。しかし、個人的にはこのここの機内食はごめんだなあ。イタリアへ行ったときの方が美味しかった。何度も食べるものだから、やっぱり口に合う物の方が良いに決まっている。これって、行く前にどうやって調べられるのかしら?口コミかなあ?

 まあ、何はともあれ帰国した!そしてもう20日が過ぎてしまったのだ!
 

 

 

2006年5月27日 (土)

今夜こそはジムに行こう!

 このところお休み続きのジムに、今日こそ行こうと張り切っているが、お誘いしたKMさんはまだ来ない。相も変わらず一人では決心できない人だから、夕飯付きでお誘いしたのだが、、、。まあ、まだ上ではレッスンが佳境に入っているし、終わればお茶の一つもお出しするつもりだから、急ぐことはない。だからこうして、早くも本日の日記を付けているというわけだ。

 マンハッタン最後の夜、4人は軽くアルコールも入って良い気分でレストランの外へ。ところが、心地よい風ならぬ凍り付くような冷風に、思わず首をすくめる。ええ〜っ?この寒さってなあ〜にい?のんびり歩く気分になんかならない私なのに、他の3人は寒いねえと言いつつもお喋りしながらの〜んびりと歩いてくる。待ってはいられないから放っといてとっととホテルに帰る。どうやら薄着だったのは私一人か。
「じゃあ、明朝6時にロビーでね。」と挨拶を交わしそれぞれの部屋へ引き上げる。さあ、それからが大変だ。こういうとき機動力を発揮するMKはびゃ〜っと動いてあという間に準備完了。「先に入るよ〜」とお風呂も入り気が付けばテレビを見ながら、というか聞きながらベッドに大の字でお休みに。しっかしよく寝る人だ。まあ私の1,5倍は寝てるかも〜。
こっちは買いものをしたものは出来るだけ包装紙をはぎ取り、トランク検査があっても大丈夫なように小細工したり、なんだかんだやっているとあっという間に時間が経って午前3時だ。うへ〜っ!時間がない。でもまあなんとかかんとか完了。何時に出発しても良いように出来て安心して最後の夜をぐっすり。でも、まばたいたら朝だった!てな感じだった。


 ヒドイ!KMがやってきたのは午後9時半。急ぎ食べるものを食べて貰い、一方でレッスンが終わった師弟にお茶とぜんざいなんかお出しして、機嫌良く「行ってきまあす!」と二人で飛び出して着いてみれば「今日はエライ車がが少ないね〜」の彼女の一言で想い出した私は「ぎゃ〜っ!今日はもしかして土曜日?」と叫ぶ。「ほいな、今日は間違いなく土曜日よん」と彼女。「そしたらもしかしたら10時までえ???」「あら、ホント、みんな出てくるねえ〜。ちょっと訊いてきてよ」むむむ。。。ホントは訊くまでもない、悪あがき。結局二人してすごすごと帰宅。「ずいぶんと、短いお散歩でしたねえ〜」と彼女。私の持って行き場のないこの失望は、、、、、ああ。


さっき昨日のページを見ていたら、「フラフラ」のつもりが「婦等婦等」になっていた。ハハハ。まあ、婦等には違いないけどねえ、、。

 

 

2006年5月26日 (金)

完了!

 ダヴィンチ・コード、上下とも読んだ。二日で。正確には1日半で完了だ。こんな風に読書したのは何年ぶり?ってなもんだ。もうもう目が見えなくて、ただそれだけで読めない、読みたくないのだ。何でも無くなってからその重要性が分かる。視力の喪失感は日増しにつのってくるばかり。このパソコンだって、いつまで打てるか。
で、どうだったかというと、一言で言えば「大した作品じゃない」これなら映画も観られるなあ、、、、。娘はやたら「読んだら?」を連発して興奮していたが、、、。キリストがホントは妻帯者で、子供まであったというお話しが盛り込まれた謎解きのストーリーだ。いつだったか、ペルゴレージのスタバートマーテルという演奏にマリアとマグダラのマリアの二人が出てきて、疑問を持ったことがあったが、こういう事かなあ?「魔笛」のモーツアルトもフリーメイスンという秘密結社のメンバーだったらしいが、キリスト教と呼ばれる物に対する「異教文化」は歴然と合ったのだろう。しかし、やっぱり年取ったのか、読んでても娘が言うほどの歓びは無かった。多分映画と両方見て感想が生まれる。

 さて、ニューヨークの最後の日を「オペラ座の怪人」で占めたあと、我々は今宵こそ、ましなところで食事しましょうと、シャワーのあと集合して出かける。最後の夜くらいもう一人のお方、ご主人とのランデブーも良いけど、私達と合流して楽しく遊びませんか?と言おうと電話してもお出にならず、仕方なく例によって4人組(いつの間にか組なのだ!)は夜のとばりの降り始めたニューヨークのペンシルバニア駅近辺をぶらり外に出る。まあ、過ぎてみればナント短い滞在だったことか!せめてアト1日あったらなあ、、、とKさんが言えば、Eさんが、でもその1日があったらあったで、もう1日欲しくなるんだと思いますよ、と優しく諭す。そうかしら、そうかもねえ、、、とあとの3人。婦等婦等と歩く内、あら?あそこに馬のイルミネーションがあるわね!?あれ何かしら?食べるとこ?と急ぎ足に。入ってみればピッタシカンカン、食べるところだった!しかし、なんとなく普通のレストランじゃあない。カウンターにはいくつものテレビがぶら下がり、どうぞどうぞと案内されるお店の奥はびっしりとテーブルが並び、日本で言うところのビアガーデン。最後の晩餐はちと小ましなところで、、、と言ってたのだが、空腹には勝てず即、決断。「良いよね、ここで!」
 キュートな美人ウエイトレスを早速Kさんが冷やかす。あなた可愛いわね、新しいの?ところで、ここのお店のおすすめはなあに?とやっている。みんなてんでにお喋りしながら、彼女に任せる。これが大正解。パスタとかサラダだったがことのほかおいしい。少しお腹が起きて見回すと、どうやらここはいわゆるスポーツ観戦が出来るレストランみたい。時々テレビでサッカーとか野球の観戦をみんなで盛り上がりながらの映像はきっとこんなところなんだと、初めて納得。という訳でまあ、結局は大したお店に行かず仕舞いだったが、それなりに美味しい食事だったし、良く遊びよく歩き、冒険や失敗もありいのという、と〜っても楽しい旅だったねえ、、と全員で総括。Kさんと私は又すぐにでも来たいよねえ、、、と、意見が一致。ヒョッとしたら実現するかも〜。今度はもう少しましな旅が出来るかも〜。、、、、こうして、ミッドタウンの夜は更けて、翌日は朝6時ホテル出発というのに、まだ荷物の整理も完全に出来てないというのに、わんわん混んできたお店で、大いに盛り上がった4人組だった。。。。

 

 

2006年5月25日 (木)

今日もおちゅかれ〜。

 本日はASPACという高松では考えられない規模のイベントのオープニングがあり、そこで我らがプリマが国歌斉唱という大役を果たすので、私は「ステージママ」!」でついて行った。あたしゃ、まだこのお方のママと呼ばれるにゃあ早いだろうと文句を言い、そのネーミングをしたイベントやさんからいつもながらの失笑を買い、でもいっちょまえに、彼女をどう立派に美しく見せるかと気を遣う。リハも本番もしっかり見届けたが、いやあ〜、流石。真っ赤な絨毯の上を真っ白なドレスで胸を張って、スポットのなかを堂々と歩く。客席はし〜んと静まりかえり、「待っている」、、、こんな状況だとすっかり舞い上がるかと思いきや、袖に下がってきた彼女は「一番前に外人が沢山にてキョーツケの姿勢で迎えてくれたのは何だか嬉しかったわあ〜!」だって。なるほど。やっぱり違うなあ。これが身びいきでなかった証拠に、後のレセプションでは大もて。次から次へとどこぞの偉い人が寄ってきてはご挨拶。お陰で手持ちの名詞が全部無くなるほどだった。ただの1曲で勝負することの難しさ。しかもアカペラだ。通常より2度ほど高いキーでの詠唱は聴く人の心に滲みたらしい。
 今回のセレモニーの企画担当者は昔からの知人だが、彼の手腕は又磨きが掛かってきたようだ。ただ、多少の裏話しから、なかなか大勢の人生の先輩達を相手に大変だったらしい。彼のような人に「自由」を与える度量のある人がいたら、もっともっと素晴らしい物になっただろうに、、、。世の中、そう簡単ではないってことだ。
 しかし、今日は長い一日だった!全くおちゅかれ〜だ。


 ブロードウエーの「オペラ座の怪人」は満杯の大盛況。殆どが外人(向こうから言うとこちらが外人だが)で、日本人の姿は珍しく少ししか見えない。休憩が終わってもKさんがトイレから帰ってこない。後ろを見ると急に暗くなってどうやら目つぶしに合っている。こうなれば呼ぶしかないと、外人であるのを良いことに大声で「Kさん」を連呼する。でも声はすれども姿は見えぬらしくキョロキョロしていてもどかしい。遂に役者が下手端に出てきて前座の様なことをやり始めたが、なりふり構わず最後の一声「Kさん!」と呼ぶと隣の外人さん達から「し〜っ!」と口々に注意されるが、ようやく彼女も分かって戻ってきた。日本では絶対出来ない事だった。そして、外人もこんな時「し〜っ」て言うんだと知ったのだ。


 実は「ダヴィンチコード」という本にはまりそう。娘が映画見る前に見ないと絶対後悔するというので、ネットオークションで落としたのだ。昨日届いて少し読んだが、落ち着いて読む時間がホントにない。今日だって持って行ってた、と言っただけで娘に呆れられたが、ちょっとのヒマも見つけたいのだ。さあ、何時までに読める事やら。

 

 

 

2006年5月24日 (水)

芸術の旅も大変だあ〜。

 朝木太町駅までお迎えに行き、屋島から来るお二人をお乗せして中央インターステーションから高速バスへ。神戸までの2時間ちょいが、結局眠るヒマ無いまま到着。タクシーで博物館に出かけると、午前10時半頃、チケット売り場に長蛇の列。実を言うと私はここに来るまで一体何の美術展か知らなかった。お二人が兎に角行きたいところがあるというので付いてきただけ。私のお目当てはその後の友人の展覧会だったのだ。
友人達が行きたいというそれは、いわゆる浮世絵のもので、ボストンから運ばれてきている物。今週末で終わるとあってか、チケットを買う人の行列がかなり出来ていた。実際は、帰りの方が凄くて、12時頃には建物の中で入場制限が行われて、ロープで仕切られていた程だった。浮世絵ねええ〜。と余り気乗りがしなかったが見ていくと、それなりに面白かった。私がこの手の絵が好きになれないのは顔がみんなおんなじだという点。如何にも日本人的というか、枠が出来たらそれを打ち破ろうという気概のある人が出てきても良さそうなもんだが、まあ、みんな右へならい!一様に真っ白な顔で表情が無く、身体をくねらせている。まあ遊女を描いてる物が殆どだから、それも仕方がないところかも知れないが、どうも私は、、、、、。
 そのあと友人の、正確には友人の夫の作品展を見に行きホッとした。相変わらずの色彩感覚とセンスの良さで同行のお二人も喜んでくれる。慌ただしくそこも後にして次は岡山だ。のぞみに乗って劇場となった大学まで行くと本番1分前というギリギリ。まあ、時間に無駄がない!と言い合いながら席に着く。寝るかと思ったが、難解な英語のしかもシェイクスピアだったにも関わらず、寝るどころか大変面白かった。I先生の論文も持参して英語の部分をなぞりながらの観劇だ。全く芸達者な男女6人が13人分の役をこなす。タイトルは「じゃじゃ馬馴らし」、、、、これも明日だ!ふ〜っ!

 

 

2006年5月23日 (火)

まだ行ける、、、。

 今朝起きるときはもうこれでダウンかと思ったが、諦めて午後まで眠ったら何とか体力が戻ってきた。神戸行きは断念したが、と言うより明日仁回してちょっと強行軍かも知れないが岡山に来るロンドンシェイクスピアシアターの公演も合わせて見に行くことに。親友のご主人が展覧会をするのと、岡山へ行こう組のお二人が神戸の展覧会に行きたいのが偶然に一致。それなら全行程一緒に行動しましょうと話がまとまる。明日は早起きして高速バスだ。バスの中で寝る算段だ。

 夕べのちぇちは主にイタリア語学の勉強となった。こういう事は孤独にやっていてもなかなか進歩しないから、定期的にやりたいものだ。みんなで少しづつ読み進めていく内にこの本が如何に力作か分かってきた。いやはやいやはや、M君、、、もう君とは言えないなあ。彼はホントに努力したんだ!ベイビーにも恵まれて、これから良い人生を送れることだろう。がんばれ!だ。


 テロの跡地に祈りを捧げて、近くでお買い物も済ませ(私はなんとロングドレスを買ったのだ。アメリカでもこの手は一番大きいサイズだったが!)一路ブロードウエーだ。頑張って予定通りにチケット売り場まで行ったのだが、M氏がくれたプリントを差し出してもこれだけではダメだと言われて突っ返された。えええ〜っ?どうしよう!だってええええ〜と3人が雁首を揃えてもう一度その用紙を見ていると黒人のおばさんが愛想良く出てきて、何かお手伝いしようか?と声をかけてくる。勿論私は過去の経験から黒人が日本人に大体優しいことを知っているから、即刻訴えた。すると彼女は私に任せろと言い、お前はその影に居ろとジェスチャーで追いやる。こちらから見ていると、その用紙を裏表に半分にたたんで窓口に突っ込み肘をついて後は向こうがナント喚こうと知らんぷり。やがて根負けした受付嬢が自分で確認の電話をしている。そしてやおら置いてあった予約済みのチケットを人数分出してくれた。サンキュっ!と簡単に礼を言って私に渡してくれる。いやあ、感激!、、、と、待てよ?とその時私は思い出してしまった。M氏はくれぐれもチケット売り場じゃないからね、丁目が違うからね、と、そう言えば最初に行くべき所を教えてくれてたなあ、、、、。なんだ、私が悪いんじゃん!?
って、今更遅いのだが、でもって、解決しちゃったんだけど、、、まあ、あんなに念を押してくれたM氏のご努力は水の泡。誠に申し訳ない気持ちで一杯に、、、、(ホントウ?というつっこみの声が聞こえる)
 チケットがこうして手元に届いたら今度はお腹が空いてきた。その辺をチョロチョロしていたはずのMKにレストランの在処を聞くと、ええ〜っ?そんなの無かったよお〜!というからそうかと思いきや、目の前もその隣もその又隣もレストラン。劇場近くにレストランが無いわけ無いじゃん。彼女はホント、食べることには無頓着だから、目にも入らないらしい。で、どうせぎりぎりに来るだろうKさんのために、外が見える位置で食べようとカウンターに座る。中の若い女の子は感じの良い子で、何かと世話を焼いてくれる。トイレを訊くのにも優しく笑顔で答えてくれて、ああ、良い感じ。単品でオムレツを頼んだがなかなか美味しい。ボリュームは言わずもがなで満腹。
結局は彼女が来ないまま劇場に並ぶことに。そして私が犠牲になって外で彼女を待つ。きっとタクシーだろうと思ったら案の定目の前にタクシーが止まる。彼女が一杯言い訳するのを訊きながら急ぎ指定席へ。もうもう、場内は満杯だ。M氏のご配慮のお陰でお席はとっても良い感じ。座ると程なく始まった「オペラ座の怪人」。この緻密に計算された、究極の舞台芸術に、4人とも完全に酔っぱらった!私なんぞはファントムのあまりの悲しい声に泣かずにはいられなかった。あの凄い地の底からのようなうめき声。この思いを諦めなくてはならないと言うことを自らに言い聞かせ苦しみもがき血を吐くようにうめくあの声。彼の演技は素晴らしかった!声だけを聴いて感動した。勿論相手役のえ〜っと、名前は忘れたが女の子の役をやっていたのも、歌は上手いわ、声は良いわ、演技は達者だわ、その上にバレーも踊る。流石ブロードウエーだ。、、、これはオペラのいい加減なのよりず〜っと面白い。まあ、難を言えば端役の人がどうやらオペラの勉強をしているらしいのが、ソプラノも声がギリギリして上手くないし、まあ、演技は出来てても私は大いに不満。だから如何に歌いながら演技するのが難しいかだ。でも主演クラスはみんな流石の出来映え。そして舞台装置もこれまたこんなの見たこと無い位の緻密さで、コンピューターを駆使しての演出だろうと想像できる。

 明日のお出かけの為にいくら何でももう寝よう。続きは明日だ。

 

 

 

2006年5月22日 (月)

矢でも鉄砲でも持ってこい!

 てなもんだ!朝、母といつもの病院に行き、帰りにお昼を一緒にしてから怒濤の時間が始まった!シャンソンとオペラの両方にかかわっているTさんと結果的に午後からず〜っと一緒だったが、いたく呆れられる。私のこの動きは矢張り尋常じゃあないみたいだ。しかし、実はそんな目に見えることはたいしたことじゃあない。目に見えないことが次から次へと襲ってくるのだ。帰宅後のメールの処理にあっという間に時間が吸い取られる。この普通の人々には深夜の時間帯に電話さえ幾つか掛かってくる。まだ一番うるさい娘からは無いなあ、、、。

 さて、とうとう旅の最後の日がやってきた。残念。という気持ちから、3人組はいつもになく計画通り早起き。とっとと地下鉄に乗り込んで、目的地へと出かけた、、、、のだが、なんで〜?すぐ側に居るはずだのに、前回乗った番号と違う路線に乗ったため違う場所に出てきて、あたしゃし〜らないっと!地図と首っ引きで見てるのにまるで謎みたいに解明できない。朝からこの調子では先が思いやられる。ここで落ち着いて考えようと、すぐそこにあったスタバックスコーヒー店に立ち寄り朝の行事共々済ませることに。どうも、日本のこの店とはコーヒーのサイズが違うと思う。小さいのを頼んだつもりだが予想以上にでかい!でっかいカップで飲むコーヒーはイマイチ。ここでもやたら沢山のペーパーをくれる。まあしかし、自由な雰囲気のお店でリラックスして地図を眺めたり、やることをやって「いざ出陣!」見当を付けていくと案の定すぐに目的地に到着。(なんで、一人だとスムーズに着けるのに3人だと手間取るのかなあ?)
ここワールド貿易センター跡地は今日も大勢の人だかりがしている。3人とも幾分緊張の面持ちでカメラを構えたり、それぞれがそれぞれの思いに沈む。近くにあるトリニティ教会に行こうと歩き始めると人の流れが出来ていて、自然にそこにたどり着いた。古いお墓がたくさんあるその小さな教会は内部が一面あのテロの証言で覆われていた。日本からの折り鶴も沢山飾られていた。多くの消防士の遺影や、家族友人のものらしい写真や手紙が所狭しと飾られている。人々は一様に静かに歩き、小声で話しているのも聞こえはするが、泣くのもはばかられるさめざめとした空間だ。簡単に泣くなんて、それも違ってるよ、という感じだ。この教会にイエスキリストの像が無いのはどうしてかしら?と素朴な疑問が湧いたが、解決できてない。有名なステンドグラスがあるはずだったが、確認しない間に出てしまった。しばらくその辺りを散策しながら、もう一つの目的地「センチュリー21」についた。ここで家族へのお土産だ。買い物をしながら、さっきまでの敬虔な気持ちが段々薄れていくのを感じない訳にはいかなかった。人間とはそうしたものだ。ある意味残酷かも知れないなあ。そこに働くくら〜い黒人達の表情に、何となく余所とは違う感じはあったが、色とりどりの世界のブランド商品の詰まったこのビルは跡地の真ん前道路一つ隔てた場所にありながら隔絶の感がある。私とEさんは次第にショッピングに夢中になっていった。その辺を散歩してくると消えたMKと携帯で連絡を取り合いながら、一番に買ったのがく〜っ!情けなや、孫のお洋服だった!しかし、金髪ばかりが目の前にちらついて、どうも色柄が思いつかない。ま、いっか!と思い切って買う。ブランドに興味が全然無い私でも知っているメーカーのものばかりで、もっと時間があったらあれこれ購入したかったなあ。とにかく時間が全く足りない。別に誰に頼まれたわけでもないからいっか!と自分に言い聞かせてさっさと時間通りにその店を出る。3人三様の過ごし方をして、地下鉄で一路ブロードウエーへ、ミュージカルへ!

 

 

2006年5月21日 (日)

 今日は会議だった。

  市民オペラちぇちぃりぁの運営会議が我が家で行われた。一番お懸案事項は8月のガーラコンサート。まあ、なんとか2時間以内のスケジュールが決まる。歌いたい人が多くなってやりくりがなかなか大変という嬉しい悲鳴だ。
 もう一つ重要な議題は昨日で解散の憂き目を見たCantiamoのことだった。私にとっても寝耳に水のこの解散劇は、I先生のお気持ちなので受け入れるしかないが、この会でこれまでに培われたものをゼロに戻すのは余りに惜しい、ということは、今日参加のみんなの一致した意見だった。しかし、これがうまくつながっていくかどうか、、、、はなはだ心許ない。
、、、なんにしても時に会議は必要だ。

 深夜までの会議で、旅日記を書き続ける気力がない。昨日夜中に目覚めてちょっと吐いたし、そのあと睡眠薬で寝たらにゃ〜んと12時間眠った!とちゅう電話が3回も掛かったにもかかわらず又ぐ〜っと寝ちゃったんだ。我ながらあっぱれ!?今夜も寝損なうとヤバイからもう寝ようと思う。そして、うまく行けば明日は早起きだ。明日はシャンソンのピアノあわせもあるし、勿論ちぇちの練習日だ。あと諸々、、、、あ〜あ、短歌が出来ない!あ〜あ。

 

 

 

2006年5月20日 (土)

眠い。

 夜中というか朝というか、午前3時に目がパッチリと開いてそこから全然眠れなかった。今日は発表会だというのに、記憶が朦朧としていて歌えるかどうか全く自信がなかった。が、まあ、とにかく終わってI先生から「あなたは3時間しかねてないときには上手く歌えるんですね!」と嫌みを言われてしまう。しかし、寝不足が歌に最も良くないことだという立証が出来たと思う。本番前の睡眠は絶対大事だ。

 と言うわけで、本日はおしまい。

 

 

2006年5月19日 (金)

秘密。

 今日は同窓会の打ち合わせもありで、同窓生で呉服屋をやっているO氏のお店を訪ねた。かねてからバーゲンの案内も貰っていて、まあ、ちらっと目の保養もするつもりではあった。しかし入店してから10分後には(私にとっては)もの凄いお買い物を決意していた。これはある種の出会いだと思う。私はその反物に出会ってしまったのだ。ヤバイとその着物から逃げようとしたがどうにもこうにも逃げられない。外見は勿論そんなことはおくびにも出さず、「買えない」「興味ない」「「お金がない」「体型が体型だから着物は似合わないのよ」を言い続けていたが、そこに社長を呼んで値段の交渉の結果、清水の舞台から飛び降りた!先日旅行から帰ったばかりでこの贅沢!と反省しても見るが、一方で「自分の着物なんて買うの何年ぶりよ?」「今年は還暦の祝いなんだから良いじゃん!?」「一生懸命働いて来て、こんなの一つも買えない人生なんて!」と段々大義名分が浮かんでくる。私にしては不思議な事だ。ち〜っとも罪悪感がない。まるで私のためにそこに在ったみたいな好みの着物。これを来て同窓会に出かける決心をする。O氏がしきりに赤いチャンチャンコを貸すと言うのをお断りして、ちょっとアイデアのある着方をすることに。だから、本当は着物は好きなのよねえ。今時に合った着方を来客にはお勧めして喜ばれて居るんだから、自分もやってみよう、、、〜と夢が膨らむ。いやはやいやはや、、、外国から帰って急に日本人になったみたい。勿論同窓会の相談も明るい方向で彼が請け合ってくれたので、来た甲斐があった。
しか〜し、やっぱり夫には秘密にしとこう。彼の平和な頭脳をこんな事で悩ますのは悪いから。だって、買ってしまったんだし、「くそ〜っ」と思うだけでも気分が悪いでしょうから、ここはそれ親心で。いや、妻心で。平和が一番。せめて本日の夕飯は京風の手の込んだ物に。すると何も知らず気分良さそう。「おかずが多いからご飯はいい」とご機嫌なのだ。これで良い。

 メトロポリタン歌劇場で「トスカ」を見て一番感心したのは第3幕のトスカ自殺の場。舞台の上の城のてっぺんの感じをグレー一色で美しく表現。この音楽にはこの色しか考えられないが、実はこれは県民ホールでも施された美術だった。多分メトが大元だろうが、寒い朝の感じをよく表していた。思うに舞台関連の技術という物は日進月歩。とにかく進歩している。そりゃあ世の中今やパソコン時代。昔のように時間も労力も要らない時代だ。不可能が可能になったこともたくさんあるだろう。しかし、人間の「声」という物は同じように発展は出来ない宿命にある。いやむしろ後退しているのではないか?一人の人間がその身体で出来ることには限界があるのでは?そのまんま取り出してその人の死後も観察が出来れば少しは役に立ち、後進たちに何かを寄与し続けることが出来るかも知れないが、残念ながらそれは無理。しかし、だからこそ、失うものだからこその価値というものが「声」にはあるのではないか。、、、人間、この愛しい者。無駄かも知れない作業(例えば声を磨くということ)に連綿とエネルギーを注ぎ続ける、、、。

 さて、興奮醒めやらずオバタリアン4人組は兎に角一度ホテルに帰り、シャワーでも浴びて一休みしよう、という意見も出たが、いやいや一度寝たら起きられないから帰りに何か買って帰って、一部屋で明日の事を相談しよういうことに。するとそれに一番に賛成したのが、なんとあのスヤスヤお休みだったMKではないか!どっか身体でも悪いんじゃないの?と言いたくなったが、ぐっとこらえて、ヒソヒソKさんと内緒話。「どう考えてもあのふとっちょのおっさんは彼女の寝息がうるさかったのよねえ〜。」「でもそんなこと言うと彼女が傷つくから言えないよねえ〜」って、確か言わないはずだったのに、この後Kさんはお酒が入ってポロッと言っちゃった!しかし、MKは全然動じないばかりか、「あら?何言うトン!?あのおッチャンは腰が痛かったんよ!私のせいちゃうで〜!何考えトン?始まる前から腰が痛い言うてはったんよ〜。アホクサ。」だと!まあ、未だにその真偽のほどは分からない。ぷ。

 次の日がこの度の最終日とあって、し残したことがないようにと、それぞれがプランを言い合う。私はどうしてももう一度あのテロの跡地に行きたかったし、その前にあるアウトレットのお店で娘や孫達にお土産を買いたかったので、そう言うと、Eさんが一緒に行きたいと言ってくれる。MKは一人で行動したいとほざいていたが、彼女を見ているとかなりアブナイ。全て日本語で通し(それはそれで格好良いとも言えなくもないが)地図も見方もイマイチのような様子が見える。大体コインの価値を私が教えてあげてるのに、信じて無くて、頼れるEさんが部屋に入ってくるやいなや訊いている。ったく、失礼じゃん!?て、どうやら私の行き当たりバッタリのやり方が不安だったらしい。ふぉっふぉっふぉ!一人にするのはこっちも心配だよ。で、どうしてももう一カ所美術館に行きたいKさんとは行動を別にして、3人で早起きしてお目当ての場所に出かけることに。最後のイベントは「オペラ座の怪人」だが、そのチケットをまだ受け取っていない。ということは遅くとも1時にはブロードウエーの劇場前に行ってなくてはならない。そこでKさんと落ち合うことを約束して解散。この日は私はぐっすり眠った。、、、最後の最後まで、トンデモハップンの旅が続く。

 

 

2006年5月18日 (木)

嬉しい便り。

 娘の嫁ぎ先からメロンがどっさり送られてきて、これが死ぬほど美味しい!今まで食べたことがないくらいの天然の甘さで、みずみずしさも半端じゃあない。聞けばこの一定時期に限定して取り入れられる珍味らしい。夫はことのほかメロンが好物で、ほっとくと一人で全部食べそうな勢いだ。鬼の居ぬ間にこっそり頂こうと思っているが、そんなことしたら多分罰が当たるだろうなあ、お腹の脂肪になって。

 「さあかす」を堪能した我々には次なる予定に又しても時間がない。気は焦るが、広場のようなところでやっているから、バス停までは結構歩く。停留所じゃないところで手を挙げたが乗せてくれない。でも先では待っていてくれて息せき切って乗り込む。こういうとき外国は便利だ。日本語でさんざん運転手の悪口を言う。「見えてるんなら乗せてくれても良いじゃないの!?ねえ?ケチだよねえ」「大体こんなオバタリアンが乗るんだからちょっと位ねえ〜」何がちょっと位なのか、、、ハ。しかし、お陰で無事間に合って、劇場に着いたら10分前。またまたトイレタイムもあったんだ。この日は前回のローエングリンよりもかなり混んでいる。やっぱりタイトルに寄るんだろうと、見回せば日本人も大勢来ている。今日もドレスアップした女性が目立つが、日本人の若い人も頑張っている。でも矢張り歴史が違うのだろう、身に付いてないというか、どことなく着ものに着られていると言った感じはぬぐえない。見た感じ新婚らしかったが、、、、。一人面白い白人女性が居た。ワンピースの上に日本人から見るとあまり良い着物でなさそうな一重のものを羽織りしかも引きずっている。ウエストには細いベルトをしていて、それが余計貧弱さを感じさせる。これじゃあ、着物の良さが半減だあ!と友人達と嘆く。やっぱり外国に来ると急に日本人になっちゃうなあ。日本の良さをアピールしたくなるのだ。それはともかく、いよいよ演奏が始まったが、程なく右の方からすーすー寝息が聞こえる。こりゃあやばい、と、MKにそっとはっか入りのドロップを回す。瞬間静かになったが、又ぞろス〜カス〜カ気持ちよさそうな寝息が、、、、。そこまでの道中の疲れがみんなも出ている様子。私とて眠気と闘うのに必死という場面もあった。しかし、遂にMKのお隣のデブッチョの白人が立ち上がってしまった。ええ〜っ?もしかして彼女がうるさいのかなあ?と今度はそっちが気が気でない。しかしその内私はオペラの中に入ってしまい彼女とそのお隣のおっさんとの事は脳裏から消え去っていた。だってこの作品は県民ホールで合唱だったが参加した事のある懐かしい作品だったし、聞き所の音楽もたくさんある。MKが寝ていたのは本人の勝手とはいえ(本人がそう言う)如何にももったいない!やがて幕間になるとパチッとお目覚めのMKに「あんさんもったいないじゃん!?」と言うが「別に〜、気持ち良いよ〜」とのお返事。もうこりゃあしゃあないわ、とKさんと首を振る。しかし、二幕が始まってもあのデブッチョのおっさんは帰ってこない!ふひょ〜っ!もしかして彼女の寝息のせい?と一瞬ショック。しかし、相変わらず彼女は至福の状態で眠っている。音楽聞いたら頭痛くなるという友人が居るが、それよりはましかも知れないが、、、ふ〜っ。舞台はどんどん進行して、悪党警視総監スカルピオがトスカをものにしようと迫り、ついには彼女にナイフで刺されるという展開に、、、。しかし何故だろう?集中できない。これなら日本で見た方が余程感動できたなあ〜とぼんやり考えている。まあ、こんな大きな劇場で舞台が遠すぎるということもあり、声は聞こえるんだが感動できるところまで届かない。しかも主役がこれなら、日本人の早い話が先日のプリマKさんでも充分やれるじゃないの、というキャスト。地元フアンは大喝采だったが、、、。しかし舞台美術は完璧だ。、、、今日は限界!ねむ!

 

 

2006年5月17日 (水)

さあ、書けるかなあ?続きが、、、。

 昨日は岡山シャンソン教室の日。フェリーの行き帰りに寝るかと思ったら全然眠くない。そこでテーブル席に座り6月の発表会のプログラム案を練ったり、泥縄の歌曲の歌詞を書き出したり、、間でいくつかメールが入ってくるのを処理したり。まるで事務所と化した船上で、行きはチャンと(あんまり進まないが)おうどんで空腹を満たすことも忘れない。しかし、このうどんは余りにつゆが少ない。いつも全部飲まないが何故かたっぷり欲しいうどんのかけつゆなのだ。

 さて、ニューヨークであれほど楽しみにしていたオペラ「トスカ」の前に「さあかす」を見に行った私達オバタリアン4人は、まずはトイレに並ぶところから始まるのだった。NYに来て一番不思議だったのが、何処に行っても紙をメチャクチャ無駄遣いしていることだ。トイレから出て手をふく紙は何処に行ってもふんだんに用意されている。ここ「さあかす」の野外のトイレでもセンサー付きの手をかざせば出てくるという機械で紙に困ることがない。セルフのお店で例えばベーグル一つ買うと10枚以上の紙ナプキンに包んでくれる。これは日本人にとってはかなり不満。京都議定書にサインしないアメリカというものを再認識だ。お箸とどっちが、、、と言われそうだが。

 場内はテントの中ではあるが、椅子がとても具合良く整備されていて驚いた。これなら劇場と変わらない。満杯の観客に開演前から大サービスが繰り広げられ、どういう仕掛けなのか耳から絶え間なく水を吹き出すピエロが駆け回る。やがて始まった「芸」はただの「芸」ではなかった!それに術が付くほどの美しさ、演技、舞台美術、、etcそして歌い手も上手いポップスシンガーだった。ある時小さな女の子と男の子が出てきて、それぞれが大人顔負けの演技をするので観客はやんやの喝采。そんな中でその女の子の身体に大きな風船が括り付けられたかと思うと、それがぽ〜んと客席に飛んでくる。それを受けた客が又ぽ〜んとその女の子の足の裏を付いて、別なところへと飛ばすのだ。通路側に座っていた私の真上にも飛んできて、私が力一杯ぽ〜んとついた途端、隣にいた観察眼の鋭いEさんが、「あっ、子供じゃない!」と叫んだ。「しわがある」というのだ。なるほど、どうりであの指先の伸びた足、くねくねと色っぽく曲がる腕と流し目、子供だと思って笑っていたが、そうなんだ〜、、。でも別にがっかりした訳ではない。それにしても彼女たちの演技は素晴らしかったのだから。
大体さあかすと言えば「綱渡り」だろうが、これが今まで見たものとは趣を異にした。天使の衣装やら、美しい輝く衣装で観客をハラハラだけでなく夢の世界へ誘うのだ。シャンデリアが効果的に使われ、その中を出たり入ったりと、、、全て何気なくやっているように見えるが、ホントに一歩間違えば転落という危険と隣り合わせだ。しかも下には何の安全策も施している様子はない。「間違いは絶対あってはならないこと」なんだろうか!そして大きなフラフープの輪の中に人が入って車輪の様にくるくると回る。何故あんな事が可能なのか、私にはさっぱり分からない。バランス感覚の最高の表現だろう。いくつものフラフープがくるくるくる、、、妖しい照明と共に大胆に繊細に繰り広げられる。そして輪投げのこれまた素晴らしさ!光るループを使いおよそ信じられないスピードと回転で次々と相手に送っては受け取る。ん〜ん、これを説明してると日が暮れる、、、いや明ける。
とにかく今まで観たこともないような芸術性の高いさあかすを、我々は堪能した。もう一生さあかすは観なくても良いかな?アハハハ。多分孫は連れて行くだろうけどなあ、、。やれやれ。

 ところで、今夜は同窓会の打ち合わせの最後だった。委員全員が集まるのは最後だが、担当者個々に動くのはこれからだ。さあ、又忙しくなるなあ。誰かさあかすのように曲芸の一つもやってくれると良いんだけどなあ〜。居ないんだろうなあ〜そんな人。予想外の大勢の参加にみんな万歳だ!あとは本番を盛り上げるだけ!って、これが大変だあ!

 

 

2006年5月16日 (火)

ああ忙しい!

 昨日も寝不足のままあれやこれやをこなし、最後はちぇち練の帰りにスポーツジムまでこなしたお陰で、帰国後初めて6時間半ぐっすり眠れた。睡眠の重要さを改めて感じる。今日は身体が軽いもんねえ。午後からはピアノの調律が来るし、6時前はフェリーに乗ってないといけない。てえことは今の内に病院にも行く必要があるなあ。でも確か本業に予約が、、、。でも今しかこれを書く時間が取れそうにない、この弥次喜多道中記。

 さて、次の日はプリマのお誘いで昼食をまたまた和食のお店だ。「鬼ヶ島」というそのお店はヒルトンホテルの近くらしかったので、そのホテルの案内で訊いてみると驚いたことに即答してくれる。これは相当有名なお店なんだろう、と急ぎ4人で歩き着くと既にMご夫妻はご到着。聞いてみれば何のことはない、私達より早くに同じホテルでこのお店を訊いていたらしい。即答の筈だ。何事にもキチンとしておられるご夫妻、早くに着いて当然だ。何しろ我々と来たら店の名前さえもいい加減。MKなんかは「え〜っと、桃太郎の反対!」とか叫んでそれで我々の間では意味が通じるから怖い。何が反対なんだか!
ここではおいしいそばにありつき、(私と来たらメニューは日本語だったにもかかわらず読み違え、出てきた物がおそばだけだと文句を言う。Kさんがアンタそれは両方じゃなくて、どっちかと言う意味よ!とのご指摘に初めて納得。あんら、私としたことが、、、、って、私らしいよねえ)まさかこんなに日本食が食べられるとは思いもせず、MKのように感動はしなかったが、まあ身体には優しい食事が出来たなあってとこ。私はいつも海外で日本食なんて食べない人だから、今回は異例だ。一夜にしてプリマはど〜んとお疲れモード。そりゃあ無理もない。どうやら夕べは寝てないようだし、タフで私よりはお若いとはいえ、お気を付け遊ばせ!と言い残して、私達好奇心旺盛なオバタリアン4人は「さあかす」へ!この日の夜8時からはオペラ「トスカ」だというに、その前にさあかすなんか観る?普通!、、、と一抹の不安を抱えながらではあった。又しても迷子になりながらも、タクシーに乗るのは最後の手段にしようと、とりあえずフェリー乗り場を探す。マンハッタン島ではない別な島でテントを張っているらしく、橋を渡るか船かどちらかで行くことになるのだ。過去の経験から路を尋ねるのはお巡りさんに限るということで、パトカーをノックしたら女性の黒人お巡りさんだった。これが訛りが強く、丁寧にゆっくり聞いてもなかなか分かりづらい。さすがのKさんも疲れて来て、タクシーで行った方が四人なら安いと言われたと、あっという間に最後の手段に!むろん我々だって賛成だ。タクシーは危険だとさんざん言われてきたが、この女達四人なら大概のことには大丈夫。30分も乗っただろうか、やがて向こう岸に黄色に黒のストライプという派手なテントが見えてきた。まるで少女達のようにワアワアはしゃぎながらあれがそうだと身を乗り出す。いやあ、誰しもさあかすには郷愁を感じるのだろう。段々わくわくしてくるのが自分でもおかしかった。一体何年ぶりだろう、さあかすなんて!、、、でも、実は私達の想像とはまるで違う今回のさあかすだったのだ!
Corteo、それが一座の名前だった!

 

 

2006年5月15日 (月)

大したミスは無かった、、、、

 と思っているのは私だけ?余所のホームページに絶対何かしでかしたに相違ない、という意味のカキコがあった。ムムム、、、。

 残念ながら大ありのコンコンチキだったかも〜。それは人の価値観に夜。いや寄る。
例えば、昨日睡魔に襲われて書くのを断念したある失態は、如何にも私らしいかもしれない。

 ごちゃごちゃに賑わうカーネギーホールでもみくちゃ状態で行くべき所を教えて貰い、二人に伝えたが、まだKさん一人が階段の上で丁寧に英語を使い場所を訊いている。私のブロークンイングリッシュでとっとと用事が済んだことを告げて下に降りると、連れの二人が行方不明。取りあえず行ってみよう、そこで待ってるかも知れない、と目的の受付に行くが開演時間ぎりぎりなので係員以外誰もいない。「あの二人は絶対(!)先に入るような人たちじゃないから、悪いけど貴方見てきてくれる?」と言われ従順な私は即、半券持ったまま引き返す。しかしどんなに探しても二人は居ない。子供じゃあるまいに、絶対(!)チケット持ってるんだから入ってるに違いないとばかり、またまた引き返しロビーに行くと、私に命令したKさんは落ち着いてモニターを見ながら外人と話しつつ、(勉強してると使いたいんだなあこれが!)な〜んとコーヒーなど飲んでるじゃあないの!?あきらめが早いというか、次への展開が早いというか、、、、で、私も演奏途中で入れないのを納得するしかない。で、悔しいからアルコールを注文することに。イタリアのお酒チンザノによく似たのがあったから、値段を聞きもせず注文。自分では「強すぎないか?」と訊き、「大丈夫」と答えて貰ったつもり。しか〜し!出てきた赤いお酒はメチャクチャきつい!舌が拒否反応!こんなの飲んで会場に入ったら爆睡に違いないと、ロビーをウロウロ。上手い具合に水飲み機があったのでそ〜っとそこに流して仕舞う。で、何喰わぬ顔をしてグラスを戻すと、注いでくれた女性はまるで私をアル中であるかのように見て作り笑い。言い訳するような英語力もなく、笑いで誤魔化し(日本人だ!)丁度入場できたのだが、なんとそのお値段=35ドル。4000円以上の代物だ。そんなところであんなことする人も、あんまし居ないだろうなあ〜?!流石のおみっちゃんも、この日の不運にげんなり。(不運と言わず何と言おう!)

 ところでようやく演奏会だ。席に着くやいなや、同行女性二人が平謝りしてくれるが、そんなことより驚いたのは、休憩中に楽屋に来てヘアーをいじって欲しいとの伝言。ふひょ〜っ!まあ、あのキツイアルコールを飲んでなくて正解だったが流石にぞっとした。危なかった!
 プリマは堂々としていて、何年もここニューヨークで歌い続けてきている歌手といった佇まいだ。一体何処で息をしているのかと訝る位の歌唱で、オペラを聞き慣れている流石のニューヨークっ子も感嘆している様子。しかし、私は彼女の一番良い時を知っているから、今日は流石に疲れているかな?と心配した。慣れないピアニストとの駆け引きもあったっだろうし、何かと心労もあったに違いない。日本での演奏会とはかなり勝手が違ったのではないか?まあ、最後はスタンディングオーべーションに持って行けるのが凄いところだ。NYは実力主義の社会だから、実力があれば異国の人も尊敬されるが、反対の場合は大変厳しいという。これを皮切りに何処へ飛躍しようと言うのか!円熟期に入った故郷のプリマ。楽しみなことだ。

 で、お仕事は何と言うこともなくプリマのご希望通りに済み、居合わせたピアニストとも写真に収まったが、流石外国の男性だ。しっかり私の腰に手を回しグイッと引き寄せて、、なのだ。やっぱこれは役得?フフフ。ちょいと若すぎたけどなあ!私にはM氏程のお方がお似合い!って、勝手に決めるな!という声がおきゃあま方面からとNY方面から聞こえるなあ、、、ハハハ。

 打ち上げは少し離れた和食のレストランだと聞いていたが、これが和食と思って欲しくない、という、まあ、こちらの若者向けの居酒屋だった。何が美味しかったって、巻きずし。巻いてある物はアボガドとかウインナーとか日本ではあまり見慣れない物だが、それでもシャリが意外においしいし、外に振りかけたゴマも良かった。同室のMKは感動して(というか、機内から和食和食と喚いていたからなあ)しっかりパックを貰って持ち帰ったが、結局ホテルのゴミを増やしただけで、これが我々の胃袋に収まることはなかった。つい、日本でのもったいない精神が出るんだよなあ。

 この日何がつらかったって、演奏会後に大きな花束を幾つも抱え持って、術後の足の裏の痛いのを引きずりながらシコシコとその居酒屋まで持って行ったことだ。、、、やっぱりこの日は厄日だったんだろう!そもそも海外旅行の前になんで手術か?簡単に魚の目を取って貰って、NYをしっかり歩こうという算段だったが、これは魚の目じゃなく「いぼ」だと言われ、奥深くまでえぐられたのが、いつまでもじくじくと痛かったのだ。帰国してもまだ痛いので、夫がしきりに病院に行けと言う。放っておくつもりだったが行った方が良いのかも〜。やだなあ〜。

 でも今夜のちぇちの練習で何人かから「痩せたわねえ」と言われたということは、、、って、書き慣れない文言を書いた途端うたた寝!うわっ!いつの間にか午前1時だ。寝よっ!!

 

 

2006年5月14日 (日)

だめだ、、、、。

 どうやら時差ボケ修復に失敗している。今日の日中の眠たかったこと!午後には母を芝居に連れて行ったが、殆ど記憶に無いくらい眠った。今も夕食後に我慢できなくてマッサージ機で爆睡。数時間の睡眠時間ではやっぱ無理。わあ〜気分悪〜。

 母の日ということで娘やよその青年から花束が届く。花は美しい。心が和む。しかし眠気を飛ばす力はない。あ〜、どうすんべえ!

 仕事中に同窓会関係の電話が相次ぎ、しばしば中断。でも、ここに来て600人中100人以上も参加するでっかい同窓会となることが判明。お世話役の努力の結果だ。3日後にはその打合会があるが、きっと盛り上がることだろう。今度は来てくれる人たちをどうもてなすかが、我々の課題となる。うっ、6月なんてあっという間にやってくる。なんでこう次々と、、!

 
 さて、NYで私が一番行きたかった所。それは貿易センタービル跡地だったかも知れない。今もツインタワーに激突する飛行機の映像が目を閉じると簡単に浮かぶ。それほど繰り返し目にしたあの映像だ。今回ユナイテッド航空機から外を見ながら、あの飛行士はどんな気持ちでこの雲海を見ていたのだろうと思った。そこに自分の死への思いはあったのだろうか?あるいは夥しい人々の命への思いは、、、?「シリアナ」という映画では、全く無表情な青年が身の丈ほどの爆弾と共に海底油田に船を進めていくのが描かれていたが、、、、日本の特攻隊の青年達の思いとは又違ったのではないか?などなど、、、空港に降り立つまでに強い疲労感と共に段々無口にならざるを得ない私だった。
そして今ようやくその場所に立って張り巡らされた鉄条網のこちら側から陥没したままの空間を見ている。周辺の高層ビルが殆ど無傷で残っているため、まるで地球の中心へとストンと落ち込んでしまったのかと思えるほどだ。立ち入り禁止のその場所を大勢の人々が取り囲みそれぞれの思いをかみしめているかのようだ。そこから歩いて数分の所にニューヨークで一番古い教会があると知り側を通ってみるが、とにかく時間がない。あと30分でホテルまで帰らなければリサイタルに間に合わない。何もかも別な時間にもう一度だと自分に言い聞かせてその場を離れ急ぎ地下鉄へ。行きに研究していたのでエクスプレスに飛び乗り二駅で到着。偶然にも地上に出ればホテルにくっついた入り口だった。お陰で部屋に帰ると友人達よりも早かったくらいだ。やがてがやがやと戻ってきた彼女たちの話を聞けばエンパイヤステートビルからどうやら私が居た辺りを観ていたらしい。面白い偶然だ。そんな話をしながら身支度をしてタクシーでカーネギーだ。まあ、時間に無駄がない。この日のホールは3つも出し物があり、大勢の人で溢れている。一体何処へ行けばいいのかウロウロしてしまった。歌劇場といいここといい、蝶ネクタイの案内人が大勢居て尋ねるのには事欠かない。ちょいとしたハプニング(ウオッホン)があり、頭の3曲を聞き逃してしまったが、何とか席に着き見回せば結構人が入っている。これが一番気掛かりだったがこれなら大丈夫と故郷からの応援団として胸をなで下ろす。スタンディングオーべーションに終わった演奏会のことは明日だ。眠い!

 

 

2006年5月13日 (土)

こちらが良ければあちらが、、、、。

 夕べは午前零時過ぎに就寝に成功。朝は早くから目覚めたが、まあ主治医のご忠告に従い散歩やジョギングまでは行かないまでも、汗を掻くほどに主婦業を。今日は本業も予約が入っていたし、我が家でのレッスンも、溜まったお洗濯も、あれやこれやがモグラたたきの如く頭を出す。しっかりやっつけようと張り切りすぎたのかどうか、肝心の夜になっての自分のレッスン時には咳が止まらず、結局途中で断念。おいおいどうするの?発表会まで1週間だ。

 さてNYの3日目は前日の幸せな宴の余韻のままに打ち揃って唯一の日本人経営のホテルへ。何故かと言うに、地下のナント讃岐うどんのレストラン?へ行ったのだ。同じ飛行機だった方が坂出でお手打ちの麺をNYで食べたいということで、私達もお相伴にあずかったわけだ。これが大層おいしい。讃岐なら「大」を頼むところだが、ご遠慮申し上げて皆さんと同じサイズで我慢。その方の知人でNYで活躍中の若者二人から早速見もの聞き物の情報を集めると、全員が興味を持ったのが「さあかす」!ここまで来て何もさあかすを見ることも無かろうにという気もちょびっと脳裏を横切ったが、流れに逆らわないのがアチクシ。早速ホテルに頼んでチケットを購入。これがオペラ並みのお値段。で、明日行くというその日は午後8時から「トスカ」観賞の予定。さあかすは4時〜ということは多分ギリギリ。だいぶ悩んだが結局購入。ここでぐずぐずしているヒマはない。この日は大事な予定があったのだ。前日教えて貰った、フィリッツだか、フィリッポだか、フィリップだか忘れたが(多分明日には想い出す)例の美術館にナントしても行きたい。本人の意向とは裏腹に同行と言うより案内人と化したM氏も太鼓判の品揃えなのだ。便利なバスで着いたところは外見からは美術館とは見えず、大きくもない。それもその筈そこを建てた主は建築士に「出来るだけ小さく、出来るだけ華美な装飾を施さず」という注文を付けて建造させたものだそうだ。小さな品の良い中庭や、濃い茶の床や壁は訪れる人をゆったりと落ち着いた気分にさせてくれる。いくつかの小部屋にはハッと驚く程の著名な作品が居並び、その解説を日本語でしかもただ(!)で聞くことが出来る。ターナーの絵の前では時が止まり周辺の人々が消えた様な瞬間を味わう。日本のある場所で見たことがある同じ作家のよく似た構図の海の絵は、荒々しく波に逆らう船の舳先が生き生きと浮かび、人々の叫びや波の音までが聞こえてくる。またある部屋では追放されて逃れていく貴族の夫婦と幼い少女が一際大きく描かれ、その少女の見張った目は内側に涙を秘め、しばし私を離さない。親たちの諦念や恐怖の表情とは別の何かしら大きな物の前に立ちつくすといった体のその姿は今もハッキリと想い出される。、、、、ここの収蔵作品の数々!収集した主のセンスの良さと鑑識眼の鋭さはここに書ききれる物ではない。一人の人物が全てを選び残したことは、彼の本業を上回る歴史的事業だろう。〜いやあ、ホントに良かった!

 ここでたっぷり時間を取っていよいよ夕方から今回の旅の目的プリマKのリサイタルだ。しかし、私はどうしてもその前に行きたいところがあった。うかうかしている内に行けずに終わりたくなかった場所。たった1時間半しかないが、とにかく行くだけ行きたい。ホテルで寝るというMKを残して一人地下鉄に。ローカルで行きながら地図と首っ引き。ところが私の地図は夫が貸してくれた古い物で目的地の駅は現在封鎖中とある。いまだに封鎖されてるのだろうか?といぶかりながら、少し遠くまで行き、ついでに今朝早くM氏が訪れたというその名も傑作な「バッテリー公園」に寄ってみる。するとご褒美に自由の女神が見えるではないか!海沿いの少し良い空気を吸ってバッテリーの充電もし(!)いよいよ目的地だ。

 

 

2006年5月12日 (金)

日常に戻れず、、、。

 頑張って時差を解消しようと、夕方からスポーツジムに行くも、いざ寝ようとするとどんどん目がさえて来て眠れない。睡眠薬代わりに「アリア集」やら「短歌の本」など出してきても一向に眠くならないばかりかもっと頭がさえてくる感じだ。やむなく3時半に入眠剤を飲み、何とか眠る。寝起きは悪くないが、これを続けていると体調がどうにかなりそうだなあ。不思議と風邪は古い薬が効いたのかましになってきたが、、、。

 さて、NY二日目の朝はゆっくり起きてみんなでホテルの側のセルフのイタリアンへ。食欲がない、、とか言いつつ、まあ、朝から食べるわ食べるわ!食材が珍しいと言っては取り、日本の野菜をどう調理してるのか?と言っては取り、フルーツからヨーグルトコーヒーミルクとトレーに乗りきらないほど盛り上げて、それでも大体1200〜1500円くらいだ。ブランチと思えば安いと、妙な言い訳をしながらむしゃむしゃむしゃ。殆ど残さず食べきった。噂通りベーグルサンドに鶏肉やら野菜を挟んだ物は美味しかったなあ。意外だったのはどれもこれも薄味なのだ。そこで、4人で本日の行動作戦会議。今日は一日乗り放題の地下鉄バスカードがあるので、出来るだけこれを使って移動しようと意見がまとまり、早速出発だ。とりあえずメトロポリタンミュージアムでしょうと、地下鉄に乗ったは良いが、どうもイマイチ路線が把握できない。ま、違うところに出ればこうしてこの公園を横切ればいいじゃん!?と出した結論が良かったのか悪かったのか、、、、とにかくでっかい公園で、横切るったってあ〜た、道はくにゃくにゃ、方向音痴の私だけでなく、しっかりしてそうなお方まであやしくなってきた。途中リスがちょろちょろお出迎え。名前も知らない大きな鳥が飛んできたり、美しい花や木々に感嘆の声を上げていたのも歩き始めて1時間くらい。段々真剣に出口を探そうと言う気になってくる。色んな人に訊いても勿論英語のため、聞き取り方がそれぞれで、まあ大体こっちだろうと(よくもまあ、これだけ似たような人が集まったもんだ)多少の無駄を覚悟に歩いていくとようやくどんぴしゃりとお目当ての建物の裏に出た。そこまでで疲労困憊状態の私。さて、どれだけ絵が鑑賞できるか心許ない。最近絵を描き始めたK女史は観る気満々で、それにつきあえない人は自由行動を取ることに。しかし、最初は一緒に行動しているとあれ?どこかでお会いした人が、、、?と私とK。あちらは知ってるような知らないような曖昧なお顔でどちらからともなく会釈を交わす。すれ違いざま私が思い出した「あ!失礼しました。一方的な知り合いでした。テレビで良く拝見する方ですね!?」というと、「まあ、そうですか?こちらこそこれからもご贔屓に!」とにっこり。銀髪のショートヘアーの中年の女性。未だにお名前が思い出せないのだが、ニュース番組なんかで有名なお方だ。いやあ、さすがニューヨークだわねえ、色んな人が来てますねえ、と言いつつ歩みを進めると「フルメール」の有名な絵の前に。繊細で美しい光と線にはホントにうっとりした。他にも沢山の教科書に出ているような絵があって、もう感動につぐ感動だ。イタリアで宗教画ばかり見たのと違って、溢れんばかりの才能がこれでもかと飾られている。たっぷり観賞した後、地下のゴーギャンやゴッホ、セザンヌなどを見ていると小腹が空いて、「ねえ、お茶でもしない?」と私がMKを誘う。「ええよ」と付き合いの良い彼女はコーヒーだけ。ところが私はやっぱり少しでも固形物が食べたい。おあつらえ向きのセルフの店はこれが又何もかもおいしい。多めの野菜とフルーツにグレープフルーツジュースをたっぷり飲んだら又元気に!で、夜のオペラ「ローエングリン」に備えてホテルでシャワーすることに。バス停でバスを待つ間に先ほどの銀髪女性と又バッタリ。「よくお会いしますね」と声を交わし、ついでにインタビューさせて貰った。何でも、毎年地球上を満遍なく旅して自分の目で見たことを話すようにしている、とか。なるほど、こんな仕事も大変だ。その方の説によると、メト美術館よりもっと良い美術館があるという。今通るから居る間に是非いらっしゃいと言う。今回のニューヨークは知り合いのピアニストがオーケストラと競演するので聴きに来ているんですという。まあ、私達も実は、、、としっかり宣伝も忘れない。情報のお礼を言って別れホテルで一風呂浴びてからさあ今度はメトロポリタン歌劇場だ。しっかしなあ、ローエングリンだからなあ、、、寝るだろうなあ、、、と予想したとおり、長い前奏曲の真ん中あたりで早くもコックリ。あわわ、折角来てるのになんちゅうことや、と思ったが、右も左も同じく睡魔と闘ってる模様。ま、しゃあない。良い音楽は眠いもんだから。
でも、ソプラノは期待していたほどでなく、地元の人には人気があるという歌手だなあ、これは。私がひかれたのは素晴らしい美術。舞台の作り方には歴史を感じた。きっと主要な大道具は倉庫にそのまま仕舞まっておけるという恵まれた環境なんだろう。
 実はこの日の最高の時間はこの後に訪れた。Mご夫妻と今回の同行者一同がメトの近くのレストランで夕食をとろうということになり、計6人で繰り出した時のこと。テーブル付きのちょいと歯が出た「トムクルーズ」似のボーイさんとじゃれ合いながらものすご〜く楽しい夕食をとれたのだ。心を許しあった友人が美味しい物を食べながら、観賞した舞台についてああでも無いこうでも無いと口角泡を飛ばす勢いで好き勝手に喋るのはほ〜んとに楽しかった。何を言っても無礼講。最初は多すぎるかと心配したワインのボトルがいつの間にか増えている。たっぷり喋りたっぷり飲んで食べて笑って、外に出れば丁度心地よい夜風のサービス。生きてて良かった!と思える瞬間だった。な〜んて楽しい旅だろう!みんなに感謝!ニューヨーク万歳!

 

 

2006年5月11日 (木)

旅日記1ー2)

 シカゴでまさかのハプニング。入国の際税関で私が止められてしまったのだ。出発の時、関空では「パスポートの期限が少ないですが大丈夫ですか?気を付けていってらっしゃい」とは言われたが、別にこのパスポートがダメだとは旅行会社からも言われていなかった。だから普通に入国できるものと思っていたが、案に反してシカゴではあと10日余裕がないといけないというルールがあるという。えっ?と思いながらも担当の人が一番若いお兄ちゃんで、融通が利かない人だからだろうと高をくくっていた。だって、隣の人はハンコをガシャガシャと打つ真似をして「とっとと通してやれ」というジェスチャーなのだ。しかし、このおぼっちゃまはどうしてもルールがお好きみたいで、ついには空港警察を呼んできた。お巡りさんに連れて行かれた小部屋には数人妖しげな人が入れられている。こっちは何も悪くないという思いがあるから落ち着いていたが、そう言う人たちにじろっと見られるのはあまり気持ちの良い物ではなかった。しかし、そこに背の高いメチャハンサムな制服の警官が颯爽と現れ、事情を聞き「ノープロブレム」とすぐにハンコを押してくれる。おまけに「アディオス!」と手を挙げて送り出してくれる!みんなが心配してくれていたのに、そのお巡りさんに会えて良かったとうそぶいて叱られた!あはっ!
 これが私のニューヨークの旅の始まりに相応しいエピソード1だった!

 シカゴで約2時間半待つ間、早速ベーグルだトイレだフルーツだトイレだと、、、、要は入れては出しってえこと。てへ、美しい話しではないが、まあ身体が正常に機能しているという証しだ。長旅に少々みんなお疲れモードではあるが、知らない土地に降り立った興奮もやや感じられる。ここで食べたフルーツの味は、いつかのナポリで私の命を救ったフルーツの味と似ていた。ホントに外国の人はフルーツ好きだ。
 シカゴからニューヨークまでも時差があり、もうわけわからん!お出迎えの旅行会社の人が余りに無口でどう見ても日本人なのに外の風景を説明してくれるでもなく、なんだかあまり慣れてない人みたいだった。坂出のうどんやさんだというお年寄りご夫妻が先に降りて、このホテルはカーネギーの真横で豪華そうだった。我々はグレード(D)のコースだから一体どんなホテルなのかここに来て少々心配になる。着いてみればえらい大きなホテルで繁華街の真ん中でもある。一足先にご到着のM氏がにこやかに出迎えてくれてホッと緊張がほぐれたが、あまりの部屋の悪さに変更して貰ったという。ありゃりゃ、こりゃあ相当な物かも〜と今回唯一二人部屋のMK嬢と私が部屋に入ればダブルベッドが二つのゆったりとした空間。確かに古いが、まあ問題ない。5日間ここに寝泊まりするには最低限の事は大丈夫そうだった。夜はとにかく寝て、明日は朝から活動しましょうと皆と別れ、たっぷりお風呂にも入り(ああ〜バスタブがあって良かったあ!)あとは前後不覚に熟睡。ニューヨークの幕開けは不思議なことにかくのごとく静かだったのである。

 

 

2006年5月10日 (水)

旅日記1)

 今朝は6時起きだったが、後はぼんやりしていてどう過ごしたかさっぱり覚えがない位だ。同じようにNYから帰国した翌日夫は300人の人を前に講演したんだから凄い!これじゃあ、やっぱり私の方がお先にあの世へ行きそうだ。ムムムム、、。

 同行した友人の一人、観劇中でも機内でも眠るだけ眠り、ホテルでは勿論私の1.5倍は眠り、よれよれで帰国した私と違って元気はつらつ。電話の向こうでまるで水を得た魚のような声。「へ?時差ボケ?あんさん、そんなもんはよ直しいやあ〜!」だって!おいおい、飛行機が上昇中真っ青な顔してしっかり手を握って貰ってたお人はどなた?あんさんのマイペースには付いて行かれませ〜ん。

 第一日目。
Kさんのご子息がバス停まで送ってくれて、余裕で出発。前日までのあれやこれやのお疲れと酔い止め効果で早くも熟睡。関空に着けばゴールデンウイークの谷の日らしく意外と空いている。両替を済ませ時差があるけどやっぱり食べておこうとばかりおそば屋さんへ。これが又美味しくて、つい表に飾ってあった「焼き鯖鮨」なるものを買い込んだが、これが大正解。12時間の飛行の後シカゴでの乗り継ぎのあと、機内では飲み物ばかり。小腹が空いて(何故か動かないでもお腹は空く)このお寿司が大活躍。こうして段々食べ物への「カン」がとぎすまされていく、、、なんちゃって。イヤホント、この食べ物屋さんのカンは結構大事。入る前にじろじろとお店をチェックして入ろう!と結論を出すのはKさんだ。

 機内はホントに狭い!まるでピーナッツの皮のようにシートに蹲り、ひたすら時の経つのを待つのみだ。

 

 

2006年5月 9日 (火)

完全なる時差ボケ。

 ただ今御前6時。こんな時間に起きて格別な用事もないなんて事今まで絶対無かった。これを時差ボケと言うのだろう。この時間現地ではしっかり行動していたわけだから、どうも身体に癖が付いちゃったようだ。

 今回の旅は、予想通りサバイバル。案内人無し、地理に詳しい人ゼロ、英語に堪能な人もまボチボチ、訛りまで理解できる人は皆無。ああでもないこうでもないと知恵を出し合っての行動だ。まあそれでも何とかなったし、楽しい旅が満喫出来たのだから100点満点の旅だっただろう、、、、と、思ってるのは私だけかも〜。フフフ。

 女5人と男一人がそれぞれの個性でニューヨークって土地を探索、みんながそれぞれの感想を持って帰っただろう。又一度会って写真を見る会などしたいねえと帰りのバスの中。ひょんな事からご一緒することになったにしては、良く馴染み、お互いの良識で心地よく過ごせたのは何よりだった。みんな大人だったと言うことだ。ツアーで上辺だけ舐めるような旅行と違い、内容は濃いものだった。ミステークも多かったが、それも又楽しい思い出だ。

 プリマ・小濱のカーネギーリサイタルは予想以上に盛況で、アメリカ人からスタンディングオーべーションが始まり、最後は全員が立って盛り上がった。まあ、はるばる行った甲斐があったという物だ。なんにしても彼女は凄い!改めてそのバイタリティに感服した。これをステップにどんどん上り詰めて欲しい物だ。

 記憶とは日々失われるものだから、ここに旅行記を書きとどめておこうと思うが、今回の旅行の中味の濃さは、小濱さんのカーネギー以外に、オペラ「ローエングリン」「トスカ」ミュージカル「オペラ座の怪人」「さあかす」等舞台芸術を堪能したこと。そして「美術館二つ以上(人によっては4つ以上の人も居る)」「テロの跡地とその側のトリニティ教会」そしてお買い物。これをたった5日間の滞在で全部こなしたのだから相当な物だ。従ってチャンとしたレストランには入らずじまい。まあ、これは私の旅は殆どそうだから良いんだが、他の人には珍しい旅だったろう。食べることにお金をかけるくらいなら、美術館の一つも余計に行きたいという私なのだ。食いしん坊だけど、その土地の美味しい物はレストランでなくても手に入る。至る所にバイキングのような形のセルフのお店があるから、欲しい物を欲しいだけ食べられるのだ。その美術館にさえその手のセルフのお店が入っていて、これが又美味しいのだ。前回行った時とは、ニューヨークも食べるものが進化していた。結構美味しかったのだ。

 今日あたりからスポーツジムでも行って体調を整えようかなあ〜!

 

 

2006年5月 1日 (月)

予定通り、、、。

 今朝は無事嫁りんと孫っぺが帰省するのを母とお迎えに。大きな荷物のせいでずり落ちそうな赤ん坊を取り上げるとしっかり目と目を合わせて「I love you!」だった。思いっきりにっこりにこにこの大サービスに、このおばばは他愛もなく降参!ちょいと空腹らしかったので早速ミルクを、昔取った杵柄で飲ませてみる。もう30年以上も前のことだのに感触を想い出してしまった。お互い相思相愛の眼差しで見つめ合いながら、、、殆ど全部飲んで嫁りんも感心の体。
ゆっくりおうどん屋さんで4代の女が集うことに。なかなか良い時間が持てたと思う。それから赤ちゃん本舗でお買い物の間おおおばあちゃんが抱っこ。ずっと大人しく眠ってくれて、そのまま無事目的地に。やや後ろ髪引かれながらとっとと帰る。今夜は一人だという母と夫の為に料理に腕をふるい、わいわい食べて荷造りも完了。土壇場にならないと思い浮かばないものもあったりで、ま、明日の朝もなんか出てきそうだなあ。
 同行する友人からメールで何してる?と聞いてきたが、あたしゃネットでニューヨークをお勉強中、と答えたら返事がない。私以上にのんびり屋の彼女のことだ、すっかりおねむなんだろう!さあ、珍道中の始まりだ!

 

 

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