記憶。
ボケの話しではない。けど、人間の数ある能力の中でもこの記憶という部分が幼少の頃から老年となるまで大きくその人の評価になるような気がする。あの子は小さいのに良く大人の言うことを覚えているわねえ、きっと頭が良いのねえ。という会話を聞くし、小中学生の試験問題の大半がこの記憶のテストではないか。成人しても「記憶力」があるなしで、ずいぶんと職場での評価は変わるだろう。このところのITブームでは、機械がその力を担ってくれるかと思いきや、実はその機械を使いこなすためには、これまたかなりの記憶力が必要だ。記憶記憶記憶。段々薄れてきている我が能力を話題にしたいわけではない。
先日テレビで「忠犬ハチ公」のことが出ていて、ずいぶん昔の話しであるにもかかわらず、つい涙して見てしまったが、犬にも記憶力は確かにあるんだ。それにハチ公くんの記憶は死ぬまで衰えなかったらしいが、もしかしてこれって凄いこと?この話しが悲しいのは、人間には真似の出来ない行為であるというよりも、ハチ公にもうおまえの主人は帰ってこないんだと、分からせることが出来なかったことだろう。
もし人間ならそうと知らされたら何とかして忘れようと努力し、完全ではないにしてもいつか忘れるかも知れない。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」幼い頃ラジオから流れてくるこの名調子を聴きながら宿題をする傍ら、母が側でお縫い物をしていた記憶が蘇る。当時一世を風靡した「君の名は」の冒頭の言葉だ。
このごろ良く昔のことが思い出される。我が母も同じ事を言い、勿論私の昔話よりは大昔話だが、お茶しながらお互いの記憶をやりとりするのだ。
娘も同じ作業をしているらしく、「このごろ良くおばあちゃんに昔の話しをして貰うよ」と電話での様子を話す。この母の昔話が結構面白いのだ。勿論戦争も体験しているし、日本の女性が体験してきた諸々を知っている。こういうお年寄りの話を聞く事が出来る家庭が少ないんだろうなあ。
そう思えば何と有り難いことか。
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