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2006年1月

2006年1月31日 (火)

ホームページ。

本日お知らせがあり短歌仲間の方のホームページを見せて貰った。「自分が関わったこと、あるいは関わろうとしていることに、とことんこだわりを持ちどこまでも推敲を重ねている人」という感じの三日月さんのホームページである。参考にはなるが、この気力が無いのが現状のちぇちだ。いや私だ。ぼちぼち更新して貰おう。
 とにかく、文学は面白いし楽しいものではあるが、日本の古典となるとかなり難解である。そこを出来るだけ現代に引き寄せてくれているのは有り難い。たまにはこういう高尚なところを覗くのも悪くない。

 このお方ではないが、日本酒の飲み過ぎか?やけに世の中がぽわんぽわんして居るなあ。

 

 

2006年1月30日 (月)

ホテル住まいも良いもんだあ〜。

 でも、実際は一人を満喫できたわけではない。息子を嫁りんの実家に送る途中二人でチェックイン。「禁煙ルームを」と頼むと一部屋だけ空いていた。一旦彼を送ってからパーキングに車を於いて部屋に入ったら午後11時も回っていた。コンフォートルームという呼び名のその部屋はセミダブルベッドに空気清浄機、マッサージチェアー付き。枕は低反発とそば殻100%の二種類から選べるし、天然芳香樹とやらのバス用芳香剤などあり、確かにリラックス出来るよう工夫がされていた。しかし、その時間からお風呂に入り、マッサージ器に掛かり、ちょいとテレビでも楽しもうかと思ったら、もう2時前だ。面白そうな「整形外科医の芝居」が掛かっていたが一日の疲れがどっと出て目が開かない。2時には爆睡していた。で、目覚めれば9時。ぎょへ〜っ!チェックアウトは確か10時。朝食も10時まで。大学には10時に着いてないとイケナイ。、、、そりゃ無理。
で、観念して、大学へは遅れていこうと即決。最低限の事を遣って必死でレストランへ。締め切り前で何もないかと思いきや、結構種類が豊富で、私より寝坊さんも3組いて、しっかり和食コースをコーヒーまで頂く。外は雨。道行く人がみんなロマンチックに見える。こんな日は雨も悪くない。一人電動車椅子で後ろに傘を差して通った女性が居て、なかなかおしゃれ、、ぼんやりと将来の自分を想像してたなあ。

 車を出してから今日のチョーチョーチョー多忙な一日が始まったのだ。ちょいと遅れてそ〜っと教室に入り、なるだけ教授と目が合わないように静かに縮こまって席に着く。シェイクスピア「恋の骨折り損」は愉快なミュージカル仕立てのDVDを見ながらの楽しい講座だった。結論から言うと、「人はしてはイケナイと言われるとしたくなるし、およそ禁欲的生活なんぞは出来る筈もなくする必要もない」ということか。、、まあ、それにしてもこの映像、男性のダンスがとっても面白い。ちぇちの「メリーウイドー」とは勿論全くレベルが違うが、どちらも何かしら醸し出すおかしみがある。出演者の一人がマツイ55さんによく似てたりして、、、フフフ。道化の役で軽妙な感じも似てたなあ。

 シャンソンの発表会の衣装あわせからピアノ合わせまでは気が狂うかと思う程。何時間も怒鳴りっぱなし状態。でもまあ、なんとかなりそうだ。ふ〜っ!
 
 とどめはちぇち練で、事前にゆっくりみんなでお弁当を食べてから取りかかったのが良かったのか、いつになく会長も力が入ったレッスンをしてくれた。か。あたしゃもうやけっぱち状態。しっかり歯が浮いて、口の中の変なとこ噛むんだなあ、これが!

 

 

2006年1月29日 (日)

逃避。

 本日親ばかちゃんりんが帰省。赤ん坊に会ってから仕事関連の講演会に。夕食を我が家で取ったら又ぞろ嫁りんの実家へ。ホテル付きの航空券で帰省したのでホテル1泊が浮くから誰か泊まってくれと言う。家にいたらなんだかんだと寝るのが遅くなるから、じゃあ母が変わりにお泊まりしようと、、、、ある意味の逃避だ。明日はまたこれが超がつく多忙の予定。「シェイクスピア講座」「シャンソン発表会合わせ」「ちぇちぃりぁ練習」の3台イベントがぎちぎちに入っている。
少しは英気を養う必要ありと決定。明日は独身になることに。

 カルメンの写真を選びに行った。久しぶりに見ると懐かしいなあ。と〜ってもしんどかったけど、、、ちょいと舞台が暗すぎる感ありで、全体が沈んでいる。悲劇に相応しい照明ではあったんだろうがみんなの顔がよく見えない。ソリストの方々は皆さん見栄が決まっていて格好いい。特にW先生は色気があって、こんなカルメンが実際いても男性はその気になったかも〜と思わせる。しかしなあ、最近話題の事件で逮捕されたのがカルメンシータ、な〜んてやだなあ。

 さあ、これから「精米」と「買い物」と「夕食の準備」だ。お腹具合が悪いという母が気掛かりだが、まあ、明日になってだ。

 

 

2006年1月28日 (土)

言いそこ間違い、、、。

 我が夫は3日ほど前、我が家に帰ってきて、見えない位置だが側で私がパソコンをしているとも知らず「ただ今」ではなく「こんにちわ」と言いながら入ってきた。言ってから間違いに気づき小さく「ただ今」と言い直したのには思わず「ぶ〜っ!」と吹き出した。その場ではことさら大げさに騒ぎはしなかったが、毎日思い出さない日はなく、来客で気の置けない人にはちびりちびり告げては楽しんでいる。いやあ、とにかくこのところ我々はおかしい。
 今日も今日とて、レッスン修了後男3人を相手に夕食中、和気藹々と時間が経って、まあ私としては一日の疲れがどっと出ていたわけだが、、いつになくみんな饒舌で私も乗っかっていた。で、テレビでは昨今の世界の経済界のことを特集していて、ある国で起きたことが余所の國に及ぼす影響について語っていたときのこと、あたしゃ思わず言ったもんだねえ。「そうよねえ、アメリカが風邪ひいたら、日本が肺炎になるって!」ほんの少しの沈黙の後T氏がおもむろに「アメリカがくしゃみしたら日本が風邪引くってえのは聞いたことがあるけど、それ?」と突っ込んでくる。ギャハハハ、ソレソレ!と笑いが止まらない。とにかく会長はある人のことを評して、「あの人は苦手だなあ。何考えてるか分からん」な〜んぞとおっしゃるもんだから、すかさず切り返す。「それって、まるっきりせんせーのことじゃありませんか?」これがあまりに的を得ていたため、T氏吹き出す。会長モゴモゴニタニタ。おまけに夫もゲラゲラ。いやはや、みんな自分の事は分からないんだ。このところ、やけに色んな事がおかしいのは、遂に頭がおかしくなってきてるのか?、、、ハ。

 

 

2006年1月27日 (金)

寒い夜は日本酒に限る!

 たった一合しか飲んでないが体がぽっかぽか。その代わり、眠くなるのも早いなあ。眠い。

 今日のFMはわざわざ番組のためにピアニストと歌い手が録音してきてくれて、それをかけながらの収録となった。ご本人の作曲のもので、「源氏物語」など日本の古典がテーマだった。香川にはこうして舞台に燃えている人が多いなあ。

 舌の奥の方を噛んでしまい喋っても飛び上がるほどいたい。おかげで変な収録になっちまったが、ま、いっか。

 ねむっ

 

 

2006年1月26日 (木)

久しぶりのレッスン。

 なんだかんだと言ってる内に時間が経って、長いことレッスンを受けてなかったが、矢張りレッスンとは良いものだ。始めるときは寒くてもすぐ暖かくなるし、始める前の登校拒否症的な憂鬱はどこかへ吹き飛んだ。段々声の道筋が見えてくると嬉しくなってくる。何万回も同じ事を言われ続けて、しかもそれを毎回忘れている事に気づかされるのだ。体に覚えさせるという作業は事ほど左様に難しいということだ。頭が悪くても歌えないが頭よりは「カン」ではないか。その点は語学の勉強にも似ているようだ。以前カナダ人の友人から「英語は音楽と同じです」と言われたことを思い出す。全く注意して聞いていると彼の英語は音楽そのものだった。そして彼は歌がとっても上手だった。このごろどうしているかなあ、、?

 しかしまあ、考えてみると人間の一生なんてホントに短いなあ。何かを勉強するにしても極めるまでも行かないにしてもある程度まででもなかなか一生では時間が足りないって感じだ。私がかじった油絵にしてもこれは大変な世界だ。今現在かじりつつある短歌なんぞは、奥が深すぎて、到底ものに出来そうにない。宗教にしても相当数あるモノの内、仮に何かを信仰したとしてそれを極めるまでは余程の修練が必要だろうし、ましてや他の宗教を平行して勉強してそれと比較する、なんて事は出来ようはずがない。全ては出会いで、運命なのかも、、、。見回して手が届く、ほんの少しの何かにみんな触れることが可能なだけだ。
 だったら救いが無いかというとそうでもないと思える。先人が創ってくれた階段の上を又積み上げて行けばいいのだ。だから指導者が要る。

 さあ、これからも指導者に身をゆだね、あれもこれも少しでも、、、だ。

 

 

 

2006年1月25日 (水)

ほんにいそがしいいちにちだったわい。

 昨日お客様から頂いた身の丈1メートルはあろうかという大根と格闘して、ようやく「ゆず大根」を大量に漬けた。へとへとになったが、ゆずの香りに癒されてボリボリ味見。塩分を相当減らしてみたが、まあ、なんとかいけるか。当分は食べなきゃいけない!、、、この大量の大根拍子木切りを遣っている間に考えたことは、この形が段々ばらばらになってくると認知症って言ってたなあ、、、。とか、大根のこの白さ美しさみずみずしさ!大根足、なんて言葉があってまるで良くない形の代名詞みたいに言われているが、この色っぽさは賞賛に値するし、昔の人はもしかして美しい足、おいしい(?)足のことを指して言った?な〜んてこと、無いかなあ?ボリボリボリ。
 本日のメインイベントは「同窓会」の打ち合わせであった。11名ほどが集まり、ケンケンがくがく議論の末、6月10日(土)時の記念日となった。60の時にやるに相応しいという訳だ。殆どの人が還暦であり、それらしい会にするべくみんなで協力しようとの決意表明の会ともなった。1学年600名居た卒業生が果たしてどれだけ集まるか、、、100人は集めたいと言いつつ300人なんて数も飛び出してくる。チリジリバラバラになっている人たちを集めるのは簡単ではない。さあ、どんなことになるのか。何故か今回も私はこの会の中心辺りに居なくてはならない。早速案内状の作成だ。苦労のしがいのある会になると良いなあ。、、、今朝のテレビの占い選手権なあんて変な番組で、O型の人は同窓会のお世話なんかすると良い、って、、、いやあ不思議!ピッタシカンカン。

 会議中に歌仲間のM君からメールが入る。なんと奥様はただ今8ヶ月だとか!昨日の検診で男の子だと分かったと嬉しそうに書いてきている。いやあ、私の周辺は赤ちゃんラッシュだ。無事生まれて欲しいなあ。きっと可愛いだろうなあ、あの二人の子供だったら。来月こちらに一時帰省するらしく二人に会えるらしいのは楽しみなことだ。

 忙しくても良い一日だった。なあ〜。

 

 

2006年1月24日 (火)

世の中騒々しいなあ〜〜。

 毎日のテレビニュースを見ていると、なんだか何かにせっつかれているような気がする。一切の出来事を知ることが出来ない土地に暮らしてみたい。知ればそれについての感情もわき起こってくるし、怒りや悲しみといった感情も出てくる。別に減るわけではないから良いのかもしれないが、でもなんだか体のどっかがすり切れて行ってるような感じがする。いかんいかん、これはちょいと重症かも知れない。良い音楽やきれいなモノに触れなくてはならない。思いの外長くなった義妹の入院で、連日病院通いというのも気分がめいる原因の一つだろう。いやでも自分の長い闘病生活(と言ってもたかだか1ヶ月だが)を思い出してしまうのだ。病院と言うところ、心も体も病んだ人が入っているにもかかわらず、「癒す」という環境からはほど遠い。彼女の病棟で言えば、一日中意味不明の言葉を大声でわめいている人がいたり、4人部屋は堅くカーテンが引かれて交流もなく、いわゆる病人食は食べられるようになった時点で食欲をそそらないという代物だ。今日はうっかりヨーグルトを持って行ったらまだ止めて下さいと言われてしまう。ふ〜っ。

 なんだか今日は眠いなあ。せっかく頂いた大根をゆず大根に創ろうと楽しみにしていたが、明日だなあ、、、、。

 

 

2006年1月23日 (月)

“公明党あ

“公明党あんた自民のなんなのさ” −宮城、よねづ徹夜。
(毎日新聞:平成17年8月17日号より)

(ハイ、ポチです。)

というおもろいのを見つけたのは、全くの偶然。これとは直接関係ないが、本日逮捕されたホリエモンのプログを探していて、とんでもなく面白いサイトに迷い込んでしまった。その屋主の主張はK首相とホリエモンはと〜っても似てるという論点でこれでもかとその論証を繰り広げているのだ。で、ついでに上記のようなものが載っていたというわけだ。
 それはともかく、遂にあのお方は逮捕されてしまった。常々ハッキリと断定できないが「ウサンクサイ」若者だと思いながら長らくテレビで見ていたが、なるほどねえ。こういう顛末になりましたか、、、!父親という人が得意げにインタビューに答えて、「小さい頃百科事典と望遠鏡と自転車しか与えませんでした」と言い、その上に「人間無駄なモノの味を覚えるとそれを止められなくなる。」な〜んてことも仰っておられた。これを聞いて私はこのホリエモンなる異人は(偉人ではない)創られたものだったか!とある種の感銘を受けた。そうなんだ、こういう人が実際にいるんだ。そうしてああいう人間を育てて居るんだ!という感銘だ。少し前にホリエモンが宇宙旅行に安く行けるという夢を語っていたシーンを見たが、それで納得だ。小さい頃の夢がそのままじゃないか。それ自体悪いことではないが、、、、 悪いけど、あたしゃ真っ向からこのお父上に反論したい。人間には「無駄こそが必要!」と思っているからだ。無駄なんて言われたら、ちぇちの活動なんてその最たるものだろうし、文学や芸術はみんなそのターゲットにされるだろう。威張るほどの育児ではなかったが、私は子供達には大いに無駄を経験させたいと願い、そうしてきたことを思い出す。無駄とおぼしきモノの中からどれだけ人生に有益なものが得られるか、人間はロボットではない。又ロボットに近づけようとしてもそうはなり得ないのが人間なのだ。彼ホリエモンは、人生の最初の部分で間違った方向付けをされてしまったのではないか。
 先日偶然見たテレビの「ターミネーター3」はシュワちゃんが好演、最後は自分の様なターミネーターはこうなるのが一番良いと自ら煮えたぎった金属の炎の中へと降りていくので終わったが、これは人間とは何かを示唆していた。人間のあるべき姿を描いていて興味深かったのだ。
 今日から20日間3畳の暖房のない部屋で彼は一体何を考えるのだろうか。小さな窓から星を見てやっぱり宇宙への夢を見るんだろうか、、、?

 今日は1週間ぶりにベイビーに会いに行った。また少し人間らしい顔になっていた。子供を囲んで、みんな幸せだった。

 

 

2006年1月22日 (日)

暴言。

 本日友人と話していて彼女から夫の暴言について愚痴を聞かされた。余りにひどい暴言に彼女は実家の母親に電話して泣きついたそうな。「あのねお母ちゃん、私次の夫の給料が出たら整形手術しようと思うんよ。だって毎日おまえはブスだデブだ汚いと言われ続けるから、、、」と言うとそのお母さん、「まあ、ホントにどうしてあんたはそんなにきちゃないのかいなあ!?」と言われて話しにならなかった、、、とまあ、冗談まじりでそういうが、要するに夫の積極的な誹謗中傷に頭に来てる、というものだ。夫婦というのは確かに30年以上も一緒にいて、おべんちゃらを言わないばかりか、逆のことを言い合ってじゃれていると言うところがないでもない。この夫婦は客観的に見て、どっちもどっち、である。
我が娘も夫婦げんかの折りには「ボケ、オタンコナス!」なんて言葉を使うらしく、これが又夫のお気に入りの言葉になっちゃって、大したことでない時でも彼はすぐ「ボケ、オタンコナス」と応酬するらしい。これは関東の人が使うとむしろチャーミングな感じだからおかしい。
考えてみると、私はこんな言葉使ったこともないし、夫をボケ呼ばわりしたこともない。いわゆるののしると言うことを知らないのだ。(お腹の中の話しではない)
世代だろうか?85歳の我が母が、このごろの若い人が余りに言葉遣いが悪いと嘆いている。訊いたこともないような暴言を若い人が吐くのが聞くに堪えない、と言うのだ。そこに相手が居ない場合特にエスカレートしているとも。
さては、この我が娘の夫への「ぼけ、オタンコナス」なるものも、その対象か!フフフ。
そういえば私もテレビを見ながらこのところ暴言を吐いて居るなあ。「国会答弁」なんか見てると無駄と分かっていてもつい、、、、。やれやれ。

 

 

2006年1月21日 (土)

色んな話し。

 正直病気の事は書きたくないなあ、って感じだ。こう毎日のように病院に行っていると、なんだかおかしくなってくる。今日は義妹の病室を見舞うだけでなく自分の血圧降下剤と母の薬をもらいに行ったが、ついでに診察もして貰う。普通、診察のついでに薬を貰うモノかも知れないが、どうも白衣は苦手だ。昨日聞いた話では私よりももっとI会長の方が白衣には弱いらしく、お医者様に計って貰うと血圧がびょよ〜んと上がってしまうらしい。あのポーカーフェースでも血圧だけは正直なんだと思うとおかしかったが!ハハハ。
嬉しいことにあたしゃコレステロール値が大いに下がっていて、お医者様から「素晴らしい!」と感嘆された。まさか他の人のデーターって事、無いよねえ〜。ま、おかげで薬の量がうんと減って、うれち〜!

 このところオペラネットワークが動き始めたようで、次々と情報がもたらされる。その中に興味深いモノがあった。なんでも中国にとてつもない巨大で機能性に溢れたホールが出来たらしい。他にも
「北京では天安門前に、国家大劇院を建設中です。世界最大規模で、オペラ劇場を始め、四つのホールの上に、チタン合金の丸屋根をかぶせる豪華さで、付随するレストランも、3000席の他に幾つもあります。国際コンペで、中国の国会では日本の設計に決まりかけていたのですが、小泉総理の靖国参拝の所為で、フランスのシャルル・ドゴール空港の設計者ポール・アンドルーに決まってしまいました。2007年に完成する予定で、そのこけら落としは、世界各国からの、56演目が予定されています」ということらしい。
台湾にも新しいホールだ。
「台湾の台中にオペラハウスが計画中であることをご存じの方がいらっしゃるかも知れません。昨年12月に最終選考があり、現地でその選考に残った5チームのインタビューと発表がありました。私(日本大学理工学部の本杉省三)も伊東豊雄さんという建築家チームのメンバーとして行き、幸い一等に選ばれました。2009席のオペラ劇場、800席の劇場、200-300席の小劇場の他に、市民活動機能や商業施設が入ったかなり大規模な施設です。こんな施設、今の日本では難しいことですが、中国本土に負けない施設をという意気込みが伝わってきます。2009席というのは、その年のオープンを目指した計画だということで、かなり急いだ計画になります。」
オペラが世界中でまだまだ伸びていく一例かも知れないなあ。

 

 

2006年1月20日 (金)

色んな人がいるもんだ!

 今日のFMはオペレッタスクールを主宰しているというAさんとそのメンバー。本来は声楽家であるその方は、オペラに限らずクラシカルなものを世に再現したいと考えていて、それを実行に移しているエネルギッシュな女性だった。去年はオペレッタ「オセロー」と歌舞伎からの題材で遣ったそうな。他にもビーズをかなり遣っていて、賞を貰ったりもしているという多才さである。実践にばかりとらわれて、宣伝が行き届かないため宣伝の一環として今日の我が番組に快く出演して下さったという次第。ところが贅沢なことに、私は本日目の前で「オテッロ(オセロー)」の朗読劇、「柳の歌」のアリア入り」を聴かせて頂くこととなった。伴奏はマンドリンで、如何にもその時代を彷彿とさせる。一度舞台で公演されたものを朗読劇風にやっていただいたのだが、なかなかの表現力。オセロ役のM君は以前私の番組に出て貰ったことがあって、その変貌振りに驚いた。彼の素晴らしい声は、オセロの苦悩を乗せ妖しいまでに美しく響いた。いやあ、朗読劇って良いじゃん!?と感動したもんだ。出来ることならこういうの時々遣りたいと言うと、Aさんもそうらしく話しは録音の外でも盛り上がった。舞台は舞台で面白いが、こうして聴く人の想像力に訴えるのは、第一衣装が要らない。ホールから始まって美術照明、その他諸々がカットできる。全ては聴く人の想像力に任せれば良いのだから、、。これは一考の余地ありか?、、、効果音としてCDを挿入したりと時間が掛かり予定よりも大幅に時間延長。しかし、ミキサーの君も楽しそうだったなあ。


 義妹の入院先が近いため、洗濯物を取りに行く。収録前にはその辺を探し回って食べられそうなものを買いそろえて行ったが、まだ熱が上下していて安心は出来ない。一体何の病気なのか、、?明日はCTだという。さて、、、。

 

 

 

2006年1月19日 (木)

色んな事があるもんだ。

 義妹がとうとう入院だ。インフルエンザとの診断が怪しくなってきたためだが、ホントの所は分からない。とにかく高熱が続く。大人の高熱はつらいモノだが、彼女はどうやらこういう経験が今まで皆無らしい。自分は死ぬんじゃないかと真剣に思っているらしい。ま、お医者様は「命に別状はありません」と言ってくれて一安心したようだが。急な入院で慌てて下着やパジャマを買いに走ったが、彼女の車の時計が狂っているとも知らず、夢タウンで突っ走っているとちぇちのメンバーが不思議そうに見ているので、ぺらぺらと早口で現状を話す。すると後を着いてきてくれて一緒に買い物をしてくれるが、「でも、まだ閉店までは時間がありますよ〜」と、と、と、、全く、あんなに走るこたあなかったんだ!おかげで全部間に合って急ぎ実家に行き諸々を母から受け取り再び病院へととって返す。病室を整えて帰宅したら深夜だ。さあ、明日から又忙しくなるなあ。夕方からはFMだし〜。酉年がバタバタするというのはホントかいな?

 

 

 

2006年1月18日 (水)

日本酒は効くなあ〜。

 寒いからと、本日のパーティでは熱燗を頂く。これがよく効いて、入り口付近の寒いところでもほかほか。よくのみよく食べた。
 この日のメンバーの中に、同窓生が何人もいて、遂に今年の同窓会の日時が決定した。6月ということだからこれまた忙しくなるなあ。いや、なるだけ今回はお役をごめんなさいだ。既に7月がガーラコンサートになるかもしれず、何かと忙しくなりそうだから、慎重に慎重に!やるとなるとほぼ100人程度の人が参加するから、結構準備や何かが大変なのだ。ま、誰かが遣ってくれるだろう。〜〜なんて、うまく行くかなあ〜〜。

 今日はお客の前で、いや、頭の後ろでいきなり吹き出してしまうという失態をやらかしてしまった。というのも息子が悪い。赤ちゃんの顔写真をパソコンで送ってくるのは良いが、どうみても可愛いとは言い難いモノ。今日も夫に拡大写真を見せたところ、それをじっと見ていた挙げ句出た言葉が「ガッツ石松にそっくり!」だった。しかも「ガッツ石松の顔写真なんか送らず自分の子供の写真を送れ」とメールしろと言う。そう思ってみるとこれがそっくりなのだ。あまりのおかしさにゲラゲラ笑ってそのまま仕事に掛かったわけだが、いきなり、なんの前触れもなくそれを思い出してブッと吹き出してしまったというわけだ。お客さんは頭の上で笑われたのだから自分の事を笑われたと思われるし、すいませんと謝って説明することしきり!やれやれ、分かってくれて良かった良かった!

 

 

2006年1月17日 (火)

覚悟が全て!

なんて大げさだが、今日はいくつか覚悟を持って臨んだ。まずは義妹がインフルエンザだが、これによって伝染した場合の覚悟も、母がそうなったときの覚悟も出来たつもり。そして突然昨日カルチャースクールの発表会の持ち時間の変更を言い渡されて、参加者による曲目の削減と台本の変更を余儀なくされ、出かける前に急遽台本の手直しをコピーして持参したが、不参加と言われるかも知れないと覚悟の上出かけた。しかし、結果はそうはならず、みんな出演する気持ち満々だということが分かりホッとする。宇野港に着いた時、いつものフェリーでなかったため大きなトラックと一緒に降りる羽目に。帰りはもっと怖かった!車を先に乗せると言われてず〜っと外で待っていたら、まあ、乗るわ乗るわ、見たこともないような3台ほどの車両が連なった大型トラックや強面のお兄ちゃんが乗っているギンギラのでっかいトラックなんかが、これでもかと乗り込んでいく。ええ〜?まだ乗るの〜?と言いたくなるくらいの量だ。すっかり忘れられていた私は「乗っても良いですか〜?」と叫んで乗ったモノの、こりゃあひょっとしたらこの寒空に海のもずくとなるのか、、、と妄想したもんだ。柄にもなく非常口と救命具の確認もしたりして。しかし、待合いにかかっていたテレビで細木なにがしの番組を見るともなく見ていると、その恐怖はすっかり忘れていたなあ。驚いたことにあのお方はホストがよいなんぞを経験しておられるそうな。最初は7,80万円のボトルをキープですって!?何日かしたら友人を数人連れて数百万円の出費をするですって〜〜?ふひょ〜っ!あたしにゃあとても分からない世界だ。ハムサムな男性がそんなに良いのかなあ〜。う〜分からない。あまりの時間の無さに、鯖を塩焼きしただけで出かけた私に、夫の機嫌が悪いのでは?と一抹の不安が、、。しかし、何故か夫は上機嫌。冷蔵庫にあるモノなどで食事中だった。午後11時という時間にである。まあ、何事もおそれるに足りないものばかり。全てはなるようになるのだ!

 昨日も朝からメチャクチャ忙しかったが、今日もこれ。明日も仕事の予約はあるし、同窓生のパーティで今年本格的になりそうな同窓会の打ち合わせだ、、!いや全く、実はいつあの世へ旅立っても良いという覚悟こそ必要なのかも〜。

 

 

2006年1月16日 (月)

疲れて声も出ない!

 本日の総会の流行語大賞「老齢」の為か、メチャクチャ疲れてしまった。指導者交代劇という内容で、かなり緊張したがまあ、上手く行ったと思う。事前の詰めが甘く、突っ込まれることもあったにせよ、会計もその労を足蹴にされることもなく、順調に報告できたし、何より良かったのは新しくメンバーになってくれたI君や、しばらく振りのA君が忘れずに参加してくれたことだ。貴重な男性会員として活躍して欲しいものだ!
「市民オペラちぇちぃりぁ」の火が今年も消えずに灯された感じだ。!!!眠いっ!

 

 

2006年1月15日 (日)

明日は大変だあ〜。

 夕方は市民オペラのちぇちぃりぁの総会だ。その前に我が家で事務処理をするために夫の友人達が集まるらしいが、夕食は作ってくれとのお達し。その前はシャンソン教室、その前は義妹の見舞いとその前は衣装合わせ、、、。明日のための準備を間もなく終えるつもりだが、実は途中で部屋の整理整頓を始めちゃったからもう〜大変。特に手紙なんかが出てくるともう駄目!どんどん時間がたってしまう。写真も駄目なうちの一つだなあ。中に一枚、今は入院しているらしい友人がにこやかに映っているのは、右から左と片付ける訳にはいかない。どうして居るんだろう〜。

 

 

2006年1月14日 (土)

なんのこたあない!

 別にわざわざ我が呼び名を口にするこたあ無かった。ベイビーの顔に向かって、とにもかくにもあんたの名前は「なっちゃん」だよ〜ん。とそう言っておけば良かったのだ。
 しっかし、可愛いなあ〜。陳列されてたときより、この腕に抱いた方が断然可愛い。「玉のような赤ちゃん」とはよく言ったものだ。昔は3ヶ月くらい目が見えないとか言われてたと思うが、今日なんかカメラのシャッターにいちいち反応する。声がする方に顔を動かす。なんだ、こりゃあ見えてるわねえ、と顔を近づけたが、まあ水深5メートルから海上を見てるようなもんだろう。そのうち世の中がハッキリ見えてきて、又そのうち生まれた時のように段々海の底へと戻っていくのだ。とりあえず今日はようこそ、人間界へ。ってなもんだ。、、、もっと良い世の中だったらねええ。この子の母は「菜」という字が大好きだそうで、「花」という字は母親の一字。結果「菜乃花」(なのか)と命名された。父親は「菜の花は人の心を和ませるし、油が採れて人の為にもなる、、」なんぞとこじつけていたが、まあ、可愛い名前だ。これは私見だが、女の子は不思議なことに愛されるように生まれてくるようだ。どこか男の子と違う。年を重ねるごとにそれが顕著になってくる。、、、楽しみなことだ。

 義妹がインフルエンザかも知れないと、結局は病院をはしご。何となく背中がぞくっとするのは気のせいか。先日自分が入院したときの主治医が彼女の担当医でもあって、マスク姿の私の方が「お元気ですか?」って聞かれてしまう。アハッ!

 

 

2006年1月13日 (金)

停電。

 何故だろう。このごろやたらと停電が多い。今夜もパソコンで総会のレジュメ制作途中、バチッと消えてしまった。外を見ると世の中真っ暗。又先日のようにパソコンが壊れたかとひやっとしたが、再起動でなんとかつながった。やれやれ。
しかし、電気が無いと外は思いっきり暗いなあ。ホントはこういう時間には寝るに限るんだろうが、、。

 レジュメなる物を作成していて、この市民オペラちぇちぃりぁが18歳にもなることに感慨を覚えた。もうすぐ成人だ。なんとか、そこまでは育てなくては、、、。20歳になってほっといても何とかなっていく団体になってくれれば御の字だが、、、。さあ、新しい団体として、再生なるか!?

 停電しないうちにパソコンを閉じよう。

 

 

2006年1月12日 (木)

せっぱつまった話し。

 明後日出産後順調に退院することが決まったらしい親子。となると、いよいよこの手に抱く事になるが、さて、我が身の事をどう呼ぶか?友人にそそのかされたように、物心つきはじめたら「みっちゃん」と教えて洗脳始めるか、はたまた、潔く「おばあちゃん」と呼ばせるか悩むところだ。
ま、顔を見てからって事に、、、。

 このごろ風邪引きさんが多いなあ。気を付けよう!

 

 

2006年1月11日 (水)

今日も晴れ。

 日本列島を寒波が襲い、雪で死者が出てる県もあるというのにここ讃岐の地は暖かい。余りに良いお天気に家事がはかどるはかどる。何人家族?と疑うくらいの洗濯をして、気掛かりだった物置の片付けや、店廻りのゴタゴタ、表廻りのお掃除などなど、、、。自分でも驚くくらい動ける。というのも、整形で痛み止めを貰って飲んでいるからかも知れない。なんたって背骨を支える軟骨が一カ所完全に無い場所があるんだから、姿勢によってはかなり痛いハズなんだ。しかしその薬ももう無くなる。又いやな病院という所へ出かけなくてはならない。ああ、やだなあ、、。
 そういえば今日ちびっこを見に行ったらエレベーターで見ず知らずの紳士が声をかけてきて、「病院はイヤなところだけどこの階だけは良いですねえ」と笑顔を向けてくれる。笑顔を返しながらみんな思うことは同じなんだと納得。今日は二日ぶりに見られたんだが、これがまあ驚いたことにかなり成長していて、最初からとならずいぶん人間らしくなってる!ごそっと退院していて赤ちゃんの数が少なく、今日は余裕で見られた。相変わらずビデオ片手のパパさんが居て、このまま幼稚園や小学校でも撮り続けるんだろうなあと思わせる。お嫁さんの話を聞くと、新しくなったことと、昔のマンマのところがあって面白い。産後に目を使うのは矢張り今も駄目のようで同室の人は誰もテレビを見ていないそうだ。お風呂は翌日からオーケーだそうだけど、、、。

 ある小冊子をトイレに置いてあって、それによると島崎藤村という人は父親が国学者で歌人でもあったようだが、藤村は短歌を詠んでいないようだ。このように子供が環境によって受ける影響は計り知れない。蛙の子は蛙ということだが、形を変えて現れたりもするから面白い。この居並ぶベイビー達がここを出てそれぞれの環境に成長していくとき、全く違う個性が現れているだろう。そう思ってみんなを眺めていると飽きないものだ。心の中で「みんな、がんばれ」って呼びかけていたんだ。そういえば「がんばれ」っていう歌があったなあ、、、。

 

 

2006年1月10日 (火)

本日晴れ。

 ちぇちの為の出張を無事終え、帰路メンバーと立ち寄った居酒屋のビールもお料理もおいしく、帰ってみれば私の留守で息子と母と夫が仲良く準備してあった豆乳鍋で食事を済ませていて、後かたづけもハハが遣ってくれていた。ほろ酔い機嫌の私を20通ほどの年賀状が待ってくれていたが、まあ、類は友を呼ぶの例え通り、こんな風に賀状を出す日にこだわりのない人が私の友人には多いのだ。しかしよくぞこれだけ!と驚くほどの人がこの年末年始に病気だ怪我だとダウンしている。私だけじゃあ無かったんだ!中には歌いすぎて体調を崩しました、なんてのもある。うらやましい話しだ。そうかと思えば、海外の色んな所へ出かけている人もいて、両極端だ。年賀状は日を限定して考えなければ良い習慣だ。1年に一度きりの通信手段という人もいるから。
、、、全てが上手く運んだ今日の浮かれた気分で「殺人事件」のテレビドラマを後半20分ほど見終わったら、夫が新しい我が家のオモチャDVDデッキを使おうと、今日早速DVDを借りてきた、と自慢する。何を借りてきたか当てろというが、そんなもの分かるはずがない。「般若心経でも借りてきたの?」と嫌みを言えば「セカチュー」だと言う。「へ?」そんな虫いた?と真顔で訊くと、夫がそんなことも知らないのかと言いかけるのと、私があの庵治が舞台の映画を思い出すのが同時だったから、そこから大笑い。だって、若い子が言うなら分かるけど、およそそんなものに縁のなさそうな夫の口から聞かされると、てっきり虫の名前かと思っちゃったんだからしょうがない!ああ〜おかしい。あんまり私がゲラゲラ笑うので、伝家の宝刀のように「認知症」を持ち出す夫。靴下二枚履いて「足が腫れた」と勘違いする人には言われたくないもんだ。どうせ庵治のロケ地がどこかを見たかった程度だろうし、、、ああ、おかし!
息子の捨てぜりふじゃないが、ったく、これじゃあ呆け競争の日々だ。「僕は知らん」なんぞとほざいたなぁ、あの恩知らずは!フフフ。
そういえば、今日帰っていった恩知らずは、我が子を抱くことも出来ず、寂しく帰っていったなあ。大病院の悲しさで、「規則は規則です」と冷たいもんだ。ガラス越しの子供に声をかけてたが、次にあえるのは1ヶ月後だとか。それだって当てにはならない。やれやれ。

 

 

2006年1月 9日 (月)

成人式。

 一度も着物を着たことがない女の子達が、振り袖を着てお出かけのお手伝い。トイレの仕方から車の乗り降りまで指導しなくてはいけない。この仕事を始めた頃はみんな新日本髪という物を結っていたが、このごろは跳んだりはねたりのヘアースタイルが皆さんの好み。足袋も白でない人も。まあ、着物がしきたりに左右され過ぎて、着物離れを生んでいるだろう事を考えると、これで良いのかも知れない。若い人が時代を変える。
 中にお母さんが二十歳の時に着た着物を持ってきた人がいて、なんとそのお母さんという人もやっぱり私がお支度させて貰った人だった。時間は恐ろしい早さで過ぎていく。

 今日も仕事の後でベイビーを見に出かける。ギョッとするくらい人数が増えている。出産ラッシュなのか!授乳室も一杯だとか。我が息子は明日家に帰らなくてはいけないが。

 

 

2006年1月 8日 (日)

誕生のドラマ。

 前日にシャンプーしたのが効を奏したのか、その日のうちに入院、翌3時10分に出産。「今から分娩室」という連絡を受けてすっ飛んで行ったが、着いた途端に派手な産声が病院の廊下中に「うぎゃ〜っ!」と響き渡った為、何処にいるかもすぐ分かった位だ。とにかく声がでかい!
厳重な衛生管理の中、消毒と上着で室内に入り、生まれたての赤ん坊を抱っこ。3000グラムの女の子は、紙人形のように重量感がない。強く抱くとつぶれてしまいそうで頼りない。安産で、「発露」から「出産」までなんと2分だった。そのために母子ともに疲れてないから、どっちも表情が軟らかい。別室では金切り声がず〜っと続いていて、後で分かったがその人はその4時間後に生んでいる。自分の事を考えてもそれが普通だろう。今回はラッキーだった。
大病院の良くないところで、赤ちゃんに親でさえも触れられない。面会時間にガラス越しだ。少子化にしては結構なカズの赤ちゃんがびっちりと並べられ、まるで品評会だ。傑作だったのは、昼間1度見て、夕方再度見に行くとよく寝ている。「お腹が一杯なのねえ」なんぞと言いながらしばらく眺めていたが、うろうろしていた夫が「それ違うよ」と言うので驚いてネームプレートを見ると確かによその子供だった!なんてこった!たった数時間で顔が変化するんだと思って感心していたのに!まあ、長い産着の袖で顔の半分は隠れているから仕方ないにせよ、年のせいの思いこみここに極まる!ハ!後で息子に話して馬鹿にされたが、いやまったく。

 平成18年1月8日とはまあ、結構なお日にちで。おばあちゃんの私12月12日、パパの息子6月6日、おばちゃんの娘9月9日。このパパに至っては昭和46年6月6日午前6時ときたもんだ。ぞろ目の数合わせになってる!

 赤ちゃんを大勢の親兄弟親類縁者が見に来ているが、ここだけはホント平和だ。指が動いたと言っては笑い、くしゃみをしたと言っては感心し、唇をわななかせて泣くと言っては笑い、、、1時間の面会時間が途方もなく優しく流れていく。

 明日は成人式。この子も20年後には、、、。

 

 

2006年1月 7日 (土)

いよいよ、、、

 お嫁さんがとうとう入院した。予定日の今日には間に合わないらしいが、わずかの誤差で出産らしい。不思議なもんだなあ。
 東京の娘からは何度も電話が掛かる。心配と好奇心で一杯のようだが、まるで自分の事のようだ。あんたねえ、、と言いたくなるが、まあしゃあない。そのうちこちらにも出来るといいのだが。何はともあれ、無事出産して欲しいものだ。息子と連絡を取りながら待機中だが、分娩室に入ったら駆けつけるつもりだ。まもなく日付が変わるから、ひょっとしたら深夜の出産かも。、、て、満潮時に生まれることが多いという話しで今テレビで確認したら6時らしいが、どうなのか、、、。今日の午後、私が洗髪をしてあげながら、「頭を刺激すると、子宮につながる「つぼ」が刺激されて出産が早まるかもよ」と話したらどうやらその通りになったみたい。この話は、美容室では昔から言われていて、まんざら迷信でも無いかも知れないと思う。

 ず〜っと、このところ、息子の出産の時のことが思い出されている。還暦とはよく言ったものだ。全く、時がバックしている。娘が記念すべき年に生まれて良かったね、と還暦におばあちゃんになることを指摘してくれたが、全くその通りだ。生まれてくる子供と人生やり直しだ!

 

 

2006年1月 6日 (金)

まだ出てこない。

 我が家の初孫。余程この世に出たくないのか、まあたっぷり母親のお腹の中にいる。もっとも予定日は明日だから、まだ遅いと言うことにはならないが、待つ身にとっては、、、だ。なんだか、どきどきしながら、今日は息子夫婦を連れてイタリアンでゆっくりお食事。この店は全然知らなかったが、二人はちゃっかり来たことがあるらしい。白を基調にビュッフェなど飾ってある清潔なお店だった。まるでフランス料理のような趣のコースだったが、内容はこってりでかなり満腹に。店員さんが「すいません貸し切り状態で」なんぞと言うが、我々にとっては有り難いこと。いつもは相当混んでいて、息子達は断られたこともあるそうだ。
往復の車は矢張り気を遣ったなあ。まるでぱんぱんの風船を乗せているような具合で、どんなささいなショックでもパンクしそうなのだ。幸いなことに良いお天気で車の中は暖かかく、食後の散歩をするという二人を彼女の実家まで送り届けて
ハイさようなら。今夜も彼はここにお泊まりなのだ。まあ、これも時代だなあ。

ばあさまになるのはいつなのか、、、、。

 

 

2006年1月 5日 (木)

こんなハズでは、、。

 高知の喜寿を迎えた友人が、昨年どうも調子が悪いというので、Yさんと二人何もかも放りだして高知まで駆けつけた。車で行くというのを、どうやら雪になるらしいからバスで来いというお達しに素直に従う。それは正解で、いつもは車で行くのだが、たまには景色を見ながらも良いだろうと言いつつなんの事はない、二人とも道中爆睡して2時間近くを休養しながら行ったという訳だ。景色もへったくれもない!
 着いてみれば意外と元気そうなOさんが、思いっきりの笑顔で歓待してくれた。長く一人暮らしをされていて、一人暮らしのエキスパートと言って良いだろうOさん。あらゆる生活の知恵を日々の生活に取り入れ、全く健康的に暮らしているが、この日も着くやいなや特製のお茶や庭の野菜のお総菜などで休む間もなくお接待してくれる。この日の夕食はOさんの心づくしの鰹のたたきやかにの鍋に取れたてのお庭のお野菜をふんだんに入れた全く贅沢なものとなった。大根おろしに山椒の粉が入っていたのは絶品だった。私の為にビールまで買ってくれていて、、、、いや、あの、私達、Oさんの事が心配で来たんだけど、、、と言いながら、次々と出されるおいしい物珍しい物にいちいち感嘆の声だ!私達3人は、全く奇妙な関係だ。それぞれが何の共通点もなく、年齢もまちまちで、趣味は全く合わないと言っても良いくらいだ。Oさんの趣味は登山で、Yさんは歩くのも苦手、登山なんかさせたら死んでしまうって位だ。まあ、私は若い頃多少の経験があるけど、Oさんのように日本の名だたる山々を制覇するほどにのめり込んだことはない。私の演奏会にそれなりの関心と評価は示してくれるが、二人とも音楽が好きでたまらないというのでもない。おしゃれには3人とも関心があるが、3人が全く違うものに興味を持つ。ま、私はサイズの問題で二人について行けないのもあるが!数えればきりがないくらいの不協和音だ。しかし、それぞれが落ち込んだり体調が悪かったり退屈していたりすると、まるで磁石になったようにお互いがお互いを呼び合う。そして他愛もない会話でそれぞれが癒されていく。今回も、実は問題を抱えていたのはYさんの方で、その彼女が100パーセント癒されて帰ることが出来たのだ。別にお説教されるわけでもなく、大層な人生の指針を授かるわけでもないが、こうして3人で過ごした時間で又元気になって明日から生きていけるねと言う言葉が自然に口をついて出る。そういえば、夕べ布団の中で「考えたら私達二人ともここへ家出したことがあったよねえ、、、フフフ!」と回顧。数えれば30年近い交際だ。
 帰りのバスは高速に入ってから素晴らしい雪景色だった。運転席の真後ろに陣取った我々の目の前は、山々につもり始めた雪が緑をどんどん白く染め上げていく様子がつぶさに見て取れる。いつの間にか暖かい車内でぐっすりと眠ってしまったが、、、。
 
 私にとってのお年玉だったなあ。

 

 

2006年1月 3日 (火)

歌会。

 例年になく人数が少なかったが、それなりに和気あいあいと進行した。歌が文学の範疇にあるとは承知しているし、文学は好きだが、どうも遠くを飛んでいる飛行機を眺めているような気分になることがある。やっぱり向いてないのかも知れない。まだ新米のくせに言える言葉ではないが、、、。娘の嫁ぎ先にとっても上手に歌を詠むおばあちゃまがいて、今年も良い歌を年賀状に寄越して下さった。私は「歌は難しいです」と書いて出しただけだが。こういう技が出来るというのは確かにうらやましいのだが、、。
二次会は参加者の殆どが参加する珍しいものとなった。こうして何度か会っているうちに、とてもフレンドリーな気分になっているのに気づき驚く。会の主催者のSさんを中心に集まってきている人たちだが、Sさんそっちのけで勝手に会話が弾んだ。

今日は三日月が柔らかな空の色に美しかった、、、。

明日は高知だ。

 

 

2006年1月 2日 (月)

冬の中の小さな春。

 寒くない。日が差して、洗濯したくなったり、出かけたくなった今日。暮れに作家から案内を貰っていた石の美術館に行き、石の彫刻に触れてきた。お正月から美術に触れるのはいいもんだと、着物姿のお嬢さんにお茶の接待を受けながら話したものだ。今日は夫がどうしても自分が運転するというのをこれ幸いと、助手席に乗り友人を誘ってのドライブとなったが、そこを出てから近くの有名なうどん屋さんに行くと午後3時というのに40人待ち。あきらめて、というより私以外は待つのが大嫌い。他へ行こうということになり、それならヒマしてる母も誘って普段行かない温泉に、と次々計画が変更する。結局塩入温泉に行ったが、はるばる行った甲斐があって、お湯の質が途方もなく良い!肌がつるつる、5歳くらい若返った感じだ。あ〜あ、やっぱり温泉は良いなあ。

 てことで、明日は生まれ変わった気持ちで短歌の歌会に臨もう!んなわけ無いか!?ハハハ。

 

 

2006年1月 1日 (日)

初詣。

 午前中に年賀状をやっつけて、遅いお雑煮を食べてから夫息子友人と4人で初詣。我が家は長年意味もなく与田寺だが、今日の混み具合は近年ここがブームだったにしてもメチャクチャ多かった。まるで春のような陽気にみんなの表情も明るい感じだ。ばらまかれた硬貨をフミながら小高い山上にあがる。庵から海がきれいに光っているのが見えた。おみくじを引いては一喜一憂しているのは我々だけではない。老若男女がにわか信者になって群がっているのだ。

 ま、これで厄が落ちてくれたら良いんだけど、、、。

 

 

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