神への冒頭、、。
台所仕事をしながら偶然見た映画、途中だったしタイトルも分からなかったが、シュワちゃんが二役で出ていて、なかなか面白い内容だった。主人公が自分のクローン人間が自分の妻と娘と仲良く暮らして居るのを見て激怒し、その偽物を殺そうとまでするがそれは自分を殺すようで出来ない。やがて法を破ってクローン人間を作り続けている人物に捕らえられ、そこで実は自分の方がクローン人間だったと知らされる。そこからは本物と偽物が協力し合ってこの組織を破壊し、最後は偽物が遠くへ旅立つというところは如何にもアメリカ的。てっきり悲劇に終わらせるかと思ったら、やっぱりハッピーエンドだ。
この映画の中では人間は法的に駄目だが、動物は許されているという時代設定で描かれているが、それって、そんなに絵空物語でも無いような気がしてきた。現代でもクローンではないが動物のロボットが進化し続けている。本物でない物に愛情が注げると言う点で共通している。
興味深かったのは、クローンを制作する科学者の妻が何度目かに死の床にあって、「もうこのまま死なせて欲しい」と懇願する場面。激しく抵抗していた科学者が、最後には彼女の望みを受け入れて死を看取る。そして彼の技術を利用してきた悪人に今後一切この仕事から身を引くという時の理由として「私はそれほど、妻を愛しているからだ」と答える場面はふ〜む。なかなか。
古今東西、「不老不死」というのは人間の願望のトップを占めてきた。誰だって老いたくないし死にたくないのだ。しかし人は死なねばならない。毎日鏡に老いを確認して受け入れるしかない。そして家族隣人の死も受け入れるのだ。いつか別れると思えば愛しさも募るではないか。それが例えペットたちであっても、だ。
しかし、殆どの人は自分は死なないと思って生きている。いくら頭で考えていても、おそらくは死の宣告を受けるまで自分は死なないという感覚で生きている。いや、その穴の中に入ったら何処までも果てしなく落ち込んで行きそうな暗黒の真実を見ないようにして生きているといった方が良いかも知れない。簡単に言えば「怖い」のだ。この恐怖が生み出す数え切れない人間の犯す罪。
クローンはその一つかも知れない。
今夜、ある近しい方からお電話があってお話の中で、治らない風邪を引いたと思っていたら旦那様で、クローンとは関係ない学者様が「それは風邪じゃないよ、この薬を!」というので、それをしゅっとしたらあっという間に治った。で、まあ、奥様は改めて旦那様を尊敬し直した、というお話。ごちそうさまあ〜!だが、私も尊敬するなああ。このところ見立ての悪いお医者様が多いって話し、良く聞くもんねえ。でも、もしかして、それって、愛情めがねのせいじゃないのかなあ?
試しに私の問診してもらおう〜っと!フフフ。
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