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2005年12月

2005年12月31日 (土)

明けてしまった!

 友人が二人ほどやってきたり、以前の従業員が夫婦で来たりとにぎやかで仕事がはかどらず、食事をして温泉に行ってからあれこれやっていると遂に夜が明けそうだ。午前5時。久しぶりの夜更かしだ。ようやく店先の年頭の言葉をでっかく書いて張り出して、本日の予定の仕事の8割は済んだ。もう限界なので後は明日だ。薬が良く効いて腰の痛みがないのでよく動けるのだ。来年はもう無理かも知れないなあ。
 大晦日に人が大勢来たり、深夜に温泉に行ったり、こんな我が家の状況がお嫁さんには到底理解できないらしく、信じられないメールが続々と息子に届いている。こりゃあ大変な所へ来たと思ってるかも〜。フフフ。こんな事で驚いてちゃあ我が家の嫁はつとまらない。ま、とりあえず慣れて貰おう。

 この調子だと今年も多忙かもなあ〜。

 

 

2005年12月30日 (金)

今年のとどめか、、、、

 仕事を早めに切り上げてFM来年のお正月用録りだめ収録だった。年の初めに相応しく5月にカーネギーでのリサイタル予定のプリマドンナとそのお姉様Rさんと先日の徳島リサイタルで目立っていた若者S君の三人が出演者だった。もっぱらあの徳島での演奏会が話題だったが、彼S君はなんとあの時がプリマの歌を聴く初めてで、熱烈なフアンになっちゃったらしい。収録の時にも涙を流しながら「魂が揺さぶられました」と話す。彼は独身で、来春には日本料理店を出すらしい。日頃クラシックには遠い生活だったらしいが、どうやらすっかりはまってしまい、お店にクラシックが流れるようにしたいとも話す。いやあ、歌の力でこんな若者の心までねええ、、、。当のご本人はこんな事には慣れているらしく、冷静に笑って受け止めていたが、彼が「もっと多くの若者に聴いて欲しい」と話したときには深く頷いていたなあ。イヤ全く!若者にこそ聴いて欲しいのだ。
私が彼の名前を言いそこ間違いしたり、ちょろちょろミスがありながらも、笑いと感激に充ち満ちた収録が無事終わり、気分爽快で女3人忘年会と相成る。私がお連れしたのはインドネシア料理で名高い、私のお気に入りのお店。予想通りとっても気に入って貰えて、まあ食べるわ食べるわ、まるで私達欠食児童みたいねと言いながら最後はご飯系を取るのも忘れない。私が運転手で彼女達はアルコールも飲めるってわけだ。うらやまぴ。
ご機嫌のお二人をご実家までお送りして急ぎ帰宅。やりかけの年賀状を深夜までやってはみたが、到底終わるわけがない。あきらめて寝たら3時。あ〜、この年賀状、何とかならないかと思いつつ止められないのは彼女たちも同じだったなあ。
おぼっちゃまは、夕食の準備をして出かけたにもかかわらず、帰ると言っておきながら「やっぱり彼女の実家に宿めて貰う」と簡単に電話してくる。ったく、もしこれが反対だったら、絶対出来ないくせに、母親には何でも言えるんだ。フン。

今年もあと1日だ。
大晦日に海外からお帰り遊ばす夫もねええ〜。

 

 

2005年12月29日 (木)

遂に、、、

 今年は遂に年賀状を完全手作りとした。といってもパソコンに入れていくだけのことだが、それが大変な作業だった。大晦日に帰宅するという夫はその日に書くつもりなんだろう。まあ、自宅で印刷すればいつでも間に合う。実際は、印刷屋さんに出すのが間に合わなかったということだ。

 今日は今年最後ののレッスンだった。イマイチ声の調子が戻らない。来年厄落としに行って、、、それからだ。
 明日はFMお正月用の録り駄目だ。ふ〜っ。

 

 

2005年12月28日 (水)

息子と。

 昨日は息子と二人でしっかり飲んで食べたらもう眠くて眠くて、、、!尻切れトンボの日記になったが、今日も今日とて二人で岩盤浴。体の奥底から今年の垢を落としてきたら、又してもあくびばっかり!夕食に、母の実家から届いたつきたてのおもちを鍋に入れておいしく頂いた後だったから、二人とも眠いのだ。こりゃあ、今日から年賀状に取りかかるつもりが段々怪しくなってきた。あああ〜時間が足りない。なあ。

 

 

2005年12月27日 (火)

息子。

 今夜は多分数年ぶり、いや10年以上ぶりかも知れない!息子と二人の夕食となる。どっかで豪勢に食事をしようか?と相談している中で、それなら同じくらい豪勢な食事を我が家でとろうということになり、昨日見つけたお肉の専門店に出向き、そのお店で一番高級なステーキ肉を、1枚200グラムで良いというのに息子の言い分を取り入れて300グラムで買って来た。ワインも日頃縁がないようなものを購入。ご飯には餅米とビタミンE剤と日本酒を入れて炊く。高知から取り寄せた特別なトマトとおかひじきなど、食材は揃っていた。
 確かに向かい合って久しぶりに色んな話が出来た。、、、息子には息子の良さがあるなあ、、。

 

 

2005年12月26日 (月)

 女性だけ

 女性だけの忘年会というのは矢張り食べるのがメイン。本日はシャンソン教室の忘年会でアジアン料理に舌鼓。私はビールもサワーも頂いたが、それにしても弱くなった。終わる頃には眠くて目が開けていられないほど。帰宅してみれば灯油が全然無い。明日の朝がつらいと思って送ってもらった友人に24時間営業のスタンドに連れてってもらい一カンだけ購入。これでとりあえず一安心。なんだかどんどん寒くなってきているもんなあ。
 
 本日は初めてのピアノあわせだったが、まあまあうまく行った。、、、なにもかも来年だ。

 

 

 

2005年12月25日 (日)

会議、そして、おまけ。

 7時からの会議の前に毎年恒例となったYさんご夫妻がお歳暮ご持参下さるというのを有り難くお迎えし、早めに来られた会長とご一緒の夕食会となる。実は準備の途中で気分が悪くなり、予定の半分しか出来なかったが、皆さんそこそこ満足して下さったようでほっとする。
 本命の会議は予定通りとも行かなくて、雑談から始まり、本題は、始めちょろちょろ中ぱっぱ。S嬢が泣いても結論出ず。ってところか。団の運命を左右する大切な議題だったが、それ故になかなか話しも進まない。話しはあっちこっちに飛び火し、戻ってはまたぞろどこかへ、、、。女性が多いせいで感情論が主流を占める。歌う女性はなおさら感情が豊かで、従ってちょっとしたことにも反応が激しい向きがある。二人の男性は当然ながら口が重くなる一方だ。話しを早くまとめて早く帰りたいお方が、なんとかレールを引くが簡単に話は引き戻されてしまい、あえなく結論を出せないままご帰還に。その流れに乗りたかった会長は、またぞろ原点の話題に引き戻されて、再び腰を下ろす羽目に。ついにはパーキングの門限を理由にすっくと立ち上がるも、この日少しアルコールが入っていた為、やむなくH嬢に送ってもらわねばならず。となれば、車の中で再び三たびその話題に触れざるを得ないというわけだ。さぞかし今宵は熟睡出来ることだろう。フフフ。

 今宵は、考えてみればクリスマスだった。Mさんのお手製のチーズケーキをおいしく頂き、その上にチョコレートデコレーションケーキ、ドーナッツ、ときた。良いのかなあ???と思いながら食べちゃったなあ。こんな風にみんなと一緒なら何を食べてもおいしいものだ。そして、こうした仲間は一朝一夕に出来るものではない。様々な苦労を共にしてきて、泣いたり笑ったりした仲間だからこその絆である。もし、今の生活が、ちぇち抜きだったらどんな人生だったろう?井戸端会議の時間が増えた人がいるだろうし、夫との口論が減った人もいるだろう。私のように仕事を犠牲にしてきた人間は、もっと潤ったかも知れない。、、、しかし、これらのデメリットを考えても、今確かに私は普通には得難いものを得、得難い人に巡り会ってると断言できる。私の長いようで短い人生の中で、特別な光を持っている時間なのだ。オペラなんぞという外国の文化をひたすら自分たちに近づけようとしてきて、必ずしも思うようには行かないことが多いが、多分これは、「出会い」の妙なのだ。私達はオペラに出会ってしまった。砂漠でオアシスに出会うように。

 会議の後は整理体操のごときおしゃべりに花が咲く。これで固まった頭脳を少しゆるめるのだ。本会議の時には出ない内容の本音も出るというわけだ。
 
 さて、明日はレッスンから忘年会とシャンソン漬けの一日になりそうだ。ふ〜っ。

 

 

2005年12月24日 (土)

いっちっち、、、。

 分からん男ははるばる国外へといっちっち。
その息子は彼女と一緒に彼女のご実家にいっちっち。
会長は教会へいっちっち。
てええことで、あたしゃ急遽おばばと二人でおデートへいっちっち。
早く帰ってあれこれやろうと思ったが、車の中でなぜだかめちゃ眠い。こりゃあ危ないから外出はなし。ビールで追い打ちをかけて、とにかく寝よう!

 

 

2005年12月23日 (金)

ぼけぼけ、、、。

 本日我が家に息子夫婦が初お泊まり。何故か私が緊張していたが、買い出しから料理まで一緒にやって、飲むうちに食べるうちに心底うち解けて、楽しい食卓となった。今二人がお風呂タイムでこうしてパソコンの前という次第。彼女が持参した結婚式と前写しが一冊の本になったものを見ながらじ〜んと来たのはアルコールのせいか?さすが、ん十万円の写真集だけあって、どこの女優さんの結婚写真かと見まがうばかりの出来だ。その中には万葉集の相聞歌までが印刷されていて、写真家が力を入れてくれているのが分かる。まあ、我が息子はこんな時の常として完全におまけだが!
ついでに幼い頃の子供達の写真を出してきて一緒に見たが、これには笑った笑った!いやあ、記録というのは面白いものだ。そして昔の時代背景までもが見えてくるのもおかしい。母が今の私よりも10歳ほど若いから元気なはずだ。子供達を抱っこしてくれている写真が多いこと。

 和やかに話している中で今日が金曜日だと全然思ってないことが判明。よく考えてみるといつもの金曜日と違ってレッスンがあったからだが、かなりズレているなあ。やれやれ、名実ともにおばあちゃんだ。

 明日海外に出発する夫は、それにしても愛想がない。テレビを見ながら食事するし、我々3人の話しには殆ど入ってこない。写真集だって熱心に見るわけでもなく「ふ〜ん、これがあの金額の写真ねえ、、、」とぱらぱらめくるだけ。しかもとっとと10時前にはご就寝。テレなんだかなんなんだか、、、。男は分からん!

 

 

2005年12月22日 (木)

電源が、、、

 何処が悪いのか、このところしょっちゅうブレイカーが落ちる。勿論元に戻せば明るい生活が戻っては来るが、なんだか薄気味が悪いなあ、、、まるで今年の私のようだ。明日は出入りの電気屋さんに相談しておこう。まあ、如何に我が家が電気製品を使っているかということだろう。我が身でさえも使いすぎた感があるからなあ、、、。

 今日は息子さんを亡くしたというお年寄りが来店されたが、まだあまり時間が経っていないにしては落ち着いていらした。殆ど日常に戻っているのは会話の中で分かる。人生長くやっているとある種の達観が生まれ、あがく、わめく、あらがう、なげく、とりみだす、、、、というようなことは少なくなるのかも知れないなあ。しかし、もし私にそんなことが起こったらどうだろう。きっとかなり取り乱すに違いない。男の子というのは、いつも距離を置いて暮らしてきてはいるが、我が子は我が子だ。空想しただけで悲しくなって思考を停止したくなる。どちらかというとクールな母親をやってきたのだが、こりゃあやばい。

 明日は飛行機が飛ぶのかなあ、、、?

 

 

2005年12月21日 (水)

暮れらしくなってきた、、。

 明後日帰って来るという息子とお嫁さんを宿泊させるための準備も今日やっつけた。夫の外遊前夜は家族で宴会の予定だ。家族が増えるという感覚は何となく嬉しいものだ。

 母を病院に伴い、迷ったあげく自分も血液検査をして貰う。少し、我が身を振り返るつもり。血管の強さ脆さをはかってくれるという機械の宣伝ポスターを見ていて、これは是非遣らねば!と張り切って受付に相談すると、「こないだの健康診断で、既にこの機械での検査はお済みです」と言われてしまう。へ?全く記憶にない。が、そういえば担当医から「年齢の平均よりは良いですねえ」と言われたのは、血管年齢のことだったのか!「年相応ですって言われたら大概忘れますよねえ、、、」と私に代わって苦しい弁明をしてくれた受付の方。優しいなあ。トホホ。

 

 

2005年12月20日 (火)

シンデレラタイム。

 岡山から帰宅すれば当然夫は就寝中。メールは会議の集合日程のアンケートが続々と来ているが、この忙しい年末のこと。みんなのスケジュールが合うわけはない。まるで解けそうにないパズルを如何に組み合わせるか、、、至難の業だ。結局は最大公約数か。
 今日の岡山は今年最後で、しかも忘年会をかねていたので長引いたというわけだ。アルコール抜きのお弁当という可愛らしい忘年会だが、普段プライベートな事を話さない会なのでみんなのことがよく分かって新鮮だった。今までの練習時では時間が短くて、個人の事を話す時間がなかったのだが、聞けばそれぞれユニークな人ばかり。驚いたのは年齢だ。とてもじゃないが御歳には見えない人ばかり。やはりこんなことしようかと言う人はみんな若いんだ。似たような年齢となればお子様達も似たような年齢で、話が弾んでいくうちに、合コンパーティを企画しよう、な〜んて話しが盛り上がる。私もこれには一役買うことに!岡山なら遠くないし、ひょっとしたらひょっとするかも〜。中には娘さんが音大の歌科をでてるという人もいて、それなら身内に楽器をしてる人がいるとか、音楽関係も色々出てきて面白かった。まあ女ばかり、話しは尽きないのだ。
 行きのフェリーは爆睡。帰りは発表会の案を練っている内にあっという間に到着。、、、しかし、疲れた〜。明日は本業の予約と母の病院と、、、休むヒマがないなあ。正直、こっちも診察して欲しいんだけど、なんだかなあ、、。

 

 

2005年12月19日 (月)

 本日は、晴れ。

 本日目出度くお嫁さんYとそのご実家のご両親を我が家にお招きしての会食完了。和やかに、みんなが少しずつ気を遣いながら楽しい食事会となる。人間、矢張り飲んだり食べたりを一緒にすることでうんと仲良くなれるもんだ。又一歩お近づきに慣れたような気がする。
 その後の予定がないというYを伴いサティに行き、話題の映画「Mr&Mrsスミス」を見ることに。開演までの余った時間でひろ〜い売り場のベビー用品を物色。まあ、近頃は何でもあるなあ、というのが正直な感想だが、うちのお嫁さんは古風にも、おしめは布を考えてるとか!まあ、このご時世に珍しい。保育科ではそんなことも習うんだろうか?
 二人でたっぷりゆっくり散策をしてお茶をしたらちょうど時間となって、目出度く本日から「シニア料金」を支払っての入場。安いのは大変有り難いのだが、「シニア」という響きにはまだ抵抗が!そのうち慣れるんだろうなあ。てえことは、「おばあちゃん」と連呼されるのにも慣れるんだろうなあ、、、。グスン。
 映画は予想以上に面白く、側にYちゃんが居るのも忘れて見入ってしまった。考えたら、過激なセックスシーンといい、夫婦間の刺激的な会話といい、嫁姑が一緒に見るのに相応しいとは言い難い物だったのだが、、。終わってから同時に顔を見合わせて「面白かったね!」と言えたのは、ハ、彼女もなかなか、、、、フフフ。
 こうして私達も少しずつ、、、だ。

 だんだん声が出なくなってきている。ヤバッ!
 明日は岡山だ。
 

 

 

2005年12月18日 (日)

雪にもめげず、、、、

 38回市民オペラちぇちぃりぁ演奏会は終わった。岡山他県外組の方々はたださえ遠くからくるというリスクを負っている上に、今日は、というか昨日から雪騒動でハラハラし通しだったろう。かくいう私目も相当疲れた。ひっきりなしに掛かる電話に受け答えしながら正直な話し、こんなことしてたら今日は歌うのは無理なんだけど、、、と思いつつの大声だった。とにかく、一つのことしか出来なくなってるんだ。
 雪のせいだろうか、観客の動員も少なく、仕方ないが残念だった。今、「配車」「打ち上げリスト」「プログラム下書き」などを全部破り捨てたところ。ようやく解放される!
さあ、もうろうとした頭ながら、明日は11時に息子のお嫁さんが家族連れでやってくる。さてお昼は何を作ろうか?と

 

 

2005年12月17日 (土)

ついに雪が、、、、、

 本日は目の回る忙しさ。朝早くからこちらの勝手で時間を繰り上げて貰ったお客様を仕上げ、お昼もそこそこに練習会場へと飛び出す。帰ってからこれまた繰り延ばして貰ったお客様を仕上げたが、途中なんと10数回に及ぶ電話応対。やがてレッスンにお見えになる先生とメンバー達とも明日のことを相談。何故か楽観的な先生と心配な人たちのギャップの狭間で決断を迫られる。お客様からも問い合わせが。いやあ、なんともお答えできないつらさ!出来れば済ませておきたいクリスマスコンサート。順延ったって、お正月にクリスマスソングでもないだろうし、、、。
明日着る予定のスカートとブラウスのお直しを取りに行き、特急でぽかぽか温泉へ。ともかく、体調も少し戻しておかなくては、と夫の誘いに乗ったのだ。しか〜し!帰りは遂に雪になった!いつもなら歓喜の声で歓迎するはずの雪を、嘆きの声で迎えたのだった。今も降りしきる白い白い雪。こうして外を眺めていると少しづつ植木や郵便受けが白く染まっていく。あ、あ、あ、車にも、かなりの積雪が!あ〜〜〜あ、なんでよりによって今日なのよ!?

 ぽかぽか温泉では、バスタオルの私が1歳半くらいの男の子に大もて!彼はじ〜っと私を見てると思ったら、自分が飲んでいるお茶らしき飲み物をあげるという風に差し出す。その仕草が余りに可愛くて、ついお相手を。「おばちゃんに有り難うは?」とおばあちゃんらしき人が声をかけるのを聞きながら、そうか、もうすぐ私もおばあちゃんになるのか、、、と一瞬感無量。昼間のお客様に「みっちゃん」と呼ばせたいと言って叱られた。「威厳がなくなり、人生の先輩を尊敬しない子供が育つ」というものだ。「威厳」「尊敬」どちらも呼び方で決まるようなものだろうか?まあ、確たる自信はないが、その子と私の関係が生み出すもののような気がするが、、、?さて?

 

 

2005年12月16日 (金)

うううん〜〜、、、。

 明後日は一体全体どうなるんだろう!全国的に大雪との予報が何度もながれて、それを見るたびに心細さが募ってくる。ついに我慢できず美術館に電話。雪で当日無理な場合でも、あくまで「順延」と決まったが、これ一つ動かすことはあれもこれも動かさなくてはいけないってこと。東京から来られる方は明日には到着なんだから、と電話してみると、どっちにしても来高されるとか。、、、そうなんだあ。
県外組は他にも数人。みんな心配だろう。なんでよりによってどんぴしゃりと日曜日が一番ひどいだなんて!誰だあ、雪女は!

 我が家の前で止まった車から、ここ数年いらしてない顧客のお一人が降りてこられて「懐かしいわねえ」を連発。お互いのご無沙汰を言い合う中でいきなり「私、ガンだったの」と言われる。聞けば乳ガンで手術、予後は良いのだが、リンパにまで及んでいたから、どうなるか分からない、と言う。外見はあまりやつれてないが、なるほど頭髪は全部抜け落ちたようだ。切り取った側の腕がぱんぱんに腫れていて、これは薬の副作用だという。しばらく立ち話をして、別れ際のお互いの言葉は「のこされた人生、一生懸命生きようね。」だった。私より若い彼女だが、大きな試練を超えて、少しでも幸せに生きて欲しい。

 

 

 

2005年12月15日 (木)

疲れたわい。

 一番の原因はここに書きたくないが、会長のせいだ。
 二番目はFM関連。でもこれは楽しかったので、差し引きゼロ。
 三番目はピアノリサイタル。これは開始時間を1時間も間違えては〜は〜ひ〜ひ〜たどり着いたらまだ40分も前だったというお粗末。でも、期待通りの演奏は素敵で、アンコールのショパンのノクターンでは泣いてしまう。曲目はクリスマス用にプログラミングされていたが、如何にも彼女らしく清潔に弾くので、天空からの音楽のようだった。間近な位置だったため、華奢な白い指が魔法のように鍵盤を滑るのを不思議な物を見るような気持ちで眺めたり、、。でも、いくら客席に背を向けているとはいえ、あんなに大勢に取り囲まれていては緊張するだろうなあ。演奏には影響なかったが小指が小刻みに震えるのまでが見えたんだなあこれが。
 会場には知人が大勢。W先生とはカルメン以来で思わず手を取り合ってのご挨拶となる。ピアニストAさんとご一緒で懐かしくお話を。香川の音楽会の常連さんも沢山。まあ、こんな時にお会いしてあれこれお話しするのも良いもんだ!

 お腹ぺこぺこで帰宅、あるものを片っ端から掻き込んでいたら、外でご馳走食べてきたはずの夫が、別に付き合わなくて良いのにやってきてビール片手にごちゃごちゃ、、、あたしゃピアノの余韻に浸りたいんじゃあ〜〜。しかしなあ、テレビでは姉なにがしの潤んだ目がどアップで写り続けているし、目の前にはこの顔だ。現実は色気がないなあ。勿論、もぐもぐぐびぐび飲み食いしながらの私の頭の中だけの話しだ。やれやれ。

 

 

2005年12月14日 (水)

さぶっ!

 週末のクリスマスコンサートがまさかの大雪かもしれない。まだ積っては居ないらしいが、当日はどうかしら?まあ、このての音楽会には相応しいとも言えるが、、、。何故かちぇちのクリスマスコンサートは毎年雪が降るのだ。

 本日は朝から晩まで「偽装建築」の国会中継など一色。姉なにがしさんは「こんな事は一人では出来ません」と言い、その後の登場人物達はあたかも姉なにがしさん一人の罪であるかのようである。その後のニュースでは早速新しい情報が今日の証言の信憑性を疑わせる内容で明らかにされる。一体誰がホントの黒幕なのか。。。?私はあの人が一番怪しいけどなあ、、、、。

 さあ、明日はFMに徳島からお客様。夜はピアニストD様。のリサイタル。又忙しくなりそうだ。寒いけど、私達も本番まで後少し、頑張るべ。

 

 

2005年12月13日 (火)

 娘の嫁ぎ

 娘の嫁ぎ先のご家族ご親類が東京のとある高級中華料理店に集結。しばし歓談と豪華夕食の予定と娘から聞いていたが、食事中に送ってきた写メールは凄かった。北京ダックは良いとして、トリの水掻きの冷製、魚の臓物の珍品、浮き袋の煮込みなどなど、食べたことのないものばかり。とどめは「さそり」だった!その写真を見たときはてっきり「ザリガニ」かとおもったら、正真正銘のさそりなのだ。うひょ〜っ!絶対食べられない!あちら中国では普通の食材だとか。いやはや、いやはや。
 
 今日の寒さったら無かった。更年期障害の名残のフラッシュ現象で突然熱くなる私でも、この寒さには我慢できずにだるまの如く着込んだ。日本各地が雪で埋まりつつあるとか。さあ、18日のクリスマスコンサート。大雪で行けないなんて事、無いよねえ〜。合併しても気候までは同じに出来ないなあ、、。
 

 

 

2005年12月12日 (月)

本日BDの私への名言。

 「一生懸命にならんことを身上に生きちょります。」とは友人からのメールだ。同じ年の彼女のこの言葉、いやあ、身にしみる。まさか、「一生懸命になれない時」が来るとは思っていなかった。勿論、よぼよぼになったら仕方ないが、まだその時までには時間があると思っていたのだ。ところが今年はどうもおかしい。今までの自分らしくない。体力気力が平行して落ちてきている。
だから、彼女のこの言葉は、今の私にとってとても優しい。

 「来年早々には、おばあちゃんだけど、益々元気に、若々しく、みっちゃんらしく生きてください。」これは娘のお姑さんから。この「らしく」がこれからは変化していくのかも知れない。

 「これからは穏やかでいて下さいますように」って、これは、我が息子からのコメント。どういう意味だあ?まるで、今まで、、、だったみたいじゃん!?
 彼のお嫁さんからは「おかあさんにとって、良い歳(!)となりますように。」そうなんだ。年月でなく、この今の自分の歳を大切に生きるとしよう。来年早々孫のプレゼントも頂けるが今日はひとまず万年筆というクラシカルなプレゼントを二人から頂く。これで、これからの人生を短歌にしたためられると良いのだが、、、。いやはや。

 短歌と言えば友人に我が恩師の初版本を貸してあげていたら、それを今日返してくれて、「まるで小説、いや小説よりも感動した。ご本人を知っているせいかもしれないが、目の前に繰り広げられる悲しみや喜びが自然に心に入ってきて、涙が出た。」というのだ。いやあ、短歌はやっぱり「人」そのものだ。

 名言とは言い難いが、Buon Compleanno!ってのもあったなあ。まあ、誕生日を覚えてくれているだけでも凄い!12月12日、オイッチニイ、オイッチニイと生きてきた私。これからはひ〜ふ〜ひ〜ふ〜とあえぎながら生きていくんだろうか。
ま、「生きてるだけで、儲けもん」て名言もあるからなあ。

 

 

2005年12月11日 (日)

ついに還暦。

 あと1時間で正真正銘の60歳。還暦というとなんだかぼやっっと聞こえるが、数字というのはきついものがある。よくぞここまで生きたなあという感慨もあるが、なんだ、人生は短いなあ、という慨嘆も。
 夫が鳥取からかにを買って帰ると電話をかけてくる。妻の誕生日のお祝いに自分の好きな物を買って帰るというのも如何にも我が夫らしい。まあ、しかし、遠慮せずにお相伴に預かることに。久しぶりに甘くておいしいカニをたっぷり食べたら急に眠気が来て仮眠。正に至福のひとときだった。これで炬燵でもあったら言うこと無いんだが、我が家ではいつからか炬燵というものを出さなくなった。おこたでゆっくりするという時間もなければ空間も無い。

 先日行った東京での一瞬一瞬が日常生活の中に時々顔を出す。もの凄い数の人間の頭とか、けばけばしい色彩のアートギャラリーとか、センスの良い喫茶店とか洋服屋さん。へそだしルックの娘達やエスカレーターに行き違う変な髪の男の子達。みんながそれぞれ自由に生きている。

 駄目だ、眠い!思考力が持続しない。50台最後のぶ〜たんたんに入るとしよう!!全ては明日だ!

 

 

2005年12月10日 (土)

神への冒頭、、。

 台所仕事をしながら偶然見た映画、途中だったしタイトルも分からなかったが、シュワちゃんが二役で出ていて、なかなか面白い内容だった。主人公が自分のクローン人間が自分の妻と娘と仲良く暮らして居るのを見て激怒し、その偽物を殺そうとまでするがそれは自分を殺すようで出来ない。やがて法を破ってクローン人間を作り続けている人物に捕らえられ、そこで実は自分の方がクローン人間だったと知らされる。そこからは本物と偽物が協力し合ってこの組織を破壊し、最後は偽物が遠くへ旅立つというところは如何にもアメリカ的。てっきり悲劇に終わらせるかと思ったら、やっぱりハッピーエンドだ。
 この映画の中では人間は法的に駄目だが、動物は許されているという時代設定で描かれているが、それって、そんなに絵空物語でも無いような気がしてきた。現代でもクローンではないが動物のロボットが進化し続けている。本物でない物に愛情が注げると言う点で共通している。
 興味深かったのは、クローンを制作する科学者の妻が何度目かに死の床にあって、「もうこのまま死なせて欲しい」と懇願する場面。激しく抵抗していた科学者が、最後には彼女の望みを受け入れて死を看取る。そして彼の技術を利用してきた悪人に今後一切この仕事から身を引くという時の理由として「私はそれほど、妻を愛しているからだ」と答える場面はふ〜む。なかなか。
 古今東西、「不老不死」というのは人間の願望のトップを占めてきた。誰だって老いたくないし死にたくないのだ。しかし人は死なねばならない。毎日鏡に老いを確認して受け入れるしかない。そして家族隣人の死も受け入れるのだ。いつか別れると思えば愛しさも募るではないか。それが例えペットたちであっても、だ。
 しかし、殆どの人は自分は死なないと思って生きている。いくら頭で考えていても、おそらくは死の宣告を受けるまで自分は死なないという感覚で生きている。いや、その穴の中に入ったら何処までも果てしなく落ち込んで行きそうな暗黒の真実を見ないようにして生きているといった方が良いかも知れない。簡単に言えば「怖い」のだ。この恐怖が生み出す数え切れない人間の犯す罪。
 クローンはその一つかも知れない。

 今夜、ある近しい方からお電話があってお話の中で、治らない風邪を引いたと思っていたら旦那様で、クローンとは関係ない学者様が「それは風邪じゃないよ、この薬を!」というので、それをしゅっとしたらあっという間に治った。で、まあ、奥様は改めて旦那様を尊敬し直した、というお話。ごちそうさまあ〜!だが、私も尊敬するなああ。このところ見立ての悪いお医者様が多いって話し、良く聞くもんねえ。でも、もしかして、それって、愛情めがねのせいじゃないのかなあ?
試しに私の問診してもらおう〜っと!フフフ。

 

 

2005年12月 9日 (金)

PASSIONEというもの。

 イタリア語で情熱という意味だ。この、目には見えないが間違いなく人を動かしているもの。大きさも形ものびていく方向もみんな違う、人それぞれだ。姉なにがしと言う人も、おそらくは持っていた時期があっただろうが、何らかの事情でどんどんその形が崩れ、存在すらも無くしたのだろう。ついに国会喚問に登場するらしいが、ひどいことをした人間だのに、なんだか哀れが先に見えてしまうのは何故だろう。
 先日訪ねた友人のお姉さんで1級建築士のその人は「これで気兼ねなくこの部分に予算を要求できる」と一連の事件発覚を歓迎していたそうな。確かに安全性より「予算」が前面に出ていたのだろう。

 本日はFM2本分収録。疲れたけれどとっても面白かった。

 

 

2005年12月 8日 (木)

危険が一杯。

 「転倒」の話しではない。このところの事件続きの日本の事だ。水戸から上野に帰る途中に人身事故があったようで、電車が遅れたがこの手の事故も東京では日常茶飯事らしい。娘の話しだと、友人の母親がホーム最前列で本を読んでいたそうな。ある時ふわっと風が吹いて挟んであったしおりが飛んだ。思わずそれを掴もうとしてホームに落ち、その上を電車が走ったとか。即死だったという。私が上京中、娘はいつもしっかりと私の腕を掴んでいたが、そういうこともあったのかと納得。確かに駅のホームは怖い。何事もなくお嫁さんを連れて帰れてホントに良かった。

 

 

 

2005年12月 7日 (水)

なんちゅうか、かんちゅうか、、、

 予想していたとはいえ、余りに汚い我が家。その上に旅の荷物の片付けで瞬く間に時間が過ぎる。疲れたと言ってるヒマがないのは、良いことなのかどうか、、、?流しにはいつ食べたのか分からないおかゆらしき物のこびりついた鍋や、得体の知れない物が焦げているフライパン、ひからびたご飯の入った炊飯ジャー、山盛りになった生ゴミ、ほこりだらけの床、一つ一つ片付けながら「この人は私が死んだら一体どんな生活するんだろう?」とふと考えてしまう。それなりに遣るんだろうが、予想が付かない。
 東京の宿泊先の友人宅では、ご主人が深夜にゴミを出しておられたが、あれが私が居るからなのかいつもなのか、、、。きっといつもの習慣なんだろう。我が家では外国からのお客様や小うるさいお客様の前では突然皿洗いなんぞが始まるからまあ、分からないが。

 それにしても今回は一度も舞台芸術に触れずに帰ってきたなあ。予定していたオペラや芝居がことごとく行けず、この年になって歩いてもちっとも面白くない竹下通りや下北沢界隈をテクテクとかなり散策した。何も東京まで来て運動することはないだろうに、である。ま、誰しも病気には勝てない。仕方ない。これからは便利になった娘の家を拠点に時々は上京したいものだ。

 次はいつ行けるか。。。?

 

 

2005年12月 6日 (火)

ひとまず帰っては来たものの、、。

あっという間の6日間。折角娘の引っ越しの後かたづけをと張り切って行ったのに、あちらさんは夫婦で風邪を引き込んでいて、娘は私にあれこれ指示を出すことも出来ない程。クリスマスコンサートを控えて伝染らないかと戦々恐々の私、完全版マスクを必ず着用、外出から帰宅したら手荒いを励行、出来るだけ人混みは避けて、2日間近くの友人宅に寝泊まりさせて貰う。まあ、彼女やご主人とはホントに久しぶりの対面だったので、それなりに楽しかったが、そのおうちには彼女にとってのお姑さんも居るし、申し訳ないの二乗だった。ご主人は以前と変わらずとっっても親切で私が奥さんの友人ということでホントに気を遣ってくれる。学者肌の方特有かもしれないが、世間ずれしてない方で強くないお酒を私のために頑張って付き合って下さる。私がゆっくり上質のボージョレヌーヴォーの赤を頂いている間に早々にダウンして側でぐうぐうおやすみに!際限の無い私達のおしゃべりにお風呂まで待って下さる。これが二日も続いて流石に腰のあたりがむずむず。いやはや申し訳なかった。娘の引っ越し先からは駅までの距離よりも近いという不思議な偶然。3日目は無印良品のお店まで足りない布団を買いに行き、友人と二人小雨の降る中エッサエッサと持ち帰る。その労も厭わずしきりにご近所になったことを喜んでくれるこの友人の有り難いこと。持つべき物は友人だ。そういえば娘の芝居も全て観劇してくれているのがこの人だった。オペラに造詣の深いこのご夫婦だが、そのせいもあって舞台芸術には全てに関心を持っているのだ。娘婿の会社が経営するレストランで、もう一人の友人とランチを頂く。その人はどうもご主人が悪いらしく、いつもに似合わない暗いムードが体を取り巻いている。そういうときだから会えて良かったのかも知れないが、、。婿殿の招待で同じ建物の「スコットランド美術展」を観てしばし異次元に漂うことになったのも良いタイミングだったかも、、。

 帰宅してからキッタナイ台所を片付け、あれこれ気になるのをうっちゃっといて、あたしゃ出かけた「岩盤風呂」!だってこの疲れを取るすべが思いつかないから。帰りの飛行機の中でも配ってくれる飲み物にも気が付かず眠っていたから多分ここでも眠ってしまうかと思いきや、実はそれどころではなかった!東京よりも寒い高松故、着込めるだけ着込んで出かけたのだが、3回目なので慣れた状態ですいすいと順番をこなし岩盤に俯せになって「ああ、今回はほんに疲れたわい〜」と旅の出来事を振り返っていると、近くでぶっとい男性のような声がする。「えっ?」と思ったが又静かになったので「ああ、中年になるとあんな声になる人居るんだよなあ、、」と夢の中へ。すると又大きなため息が聞こえるのが、どうも男性の声っぽい。「はっ?!もしかして私男性のドアーから入ったの?ここは男性の部屋?」と思い始めたらパニック。そうっと顔を上げて隣を見るとどうみても女性の足が見える。「やっぱりあの声は女性だったのか。それにしても男性的だなあ、、」と再び横になるも、またまた複数の男性の話声が!ぎゃあ〜っ!こりゃあ、一大事だ!どう考えてもここは混浴だったのだ!
、、、今日で3回目だというのにこの建物の構図が全然飲み込めてなかった私。入り口が違っても中は男女混浴だったのだ!しかしそれって、どっかに書いてるかな〜?いくら寝間着のようなものは着ていても、そりゃあないべ〜?!落ち着かないったらありゃしない!帰る早々これだからなあ、、。ったく思いやられる!

2005年12月5日
 

 

 

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