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2005年11月 3日 (木)

言葉。

 昼は短歌の会に出て、眠いのを我慢して「お勉強」したが、帰ってみるとラオスからのお客様に夕食を早めに出してくれと言う夫からの電話。7時と聞いていたので安心していたが、こりゃまた大変。このところの物置騒動で、そもそも掃除からしなくてはならない状態だったこの屋の主婦は大あわて。食事はたくさん作る必要はない、と言うことだったが、どうしようか?、、、ぴんときたのが、本日我が家にCoopメンバーとしてやってくる友人のお寿司屋さん。彼女に泣きついて何とかして貰うことに。おかげでどれだけ助かったことか!お寿司以外に天ぷらなんぞも用意してくれたおかげでほとんど作らずにすんだ。しかし、たくさんいらないと言ったこの屋の主は、「ラオスという国はお野菜をふんだんに食べる国だから、もっと野菜料理をたくさん出してくれ」な〜んぞとのたまう。買い物にも行けてないからあるものと言えば冷蔵庫にたった二つのピーマンと10センチほどの山芋、半分黒くなった大葉、豆腐は畑のものだからこれも使う。これらをあれこれと工夫して出したが、ホントに男って人種は、我が家の冷蔵庫にはいつも何でもあると思っているのだろうか?ぷりぷり。
 そもそも、なんで夫がこんなに夕食を急いだかと言うに、本日のお客様はてんで言葉が通じない人だったのだ。出来るのはラオス語とフランス語で、英語はほとんど分からない。病院の院長さんだというが、やはりお国柄で色々あるもんだ。だからして、夫は会話が出来ずしたがって間が持たず、次から次へと何か行動していたというわけだ。最後にぽかぽか温泉にお連れして我が家に帰り着いたときはへとへと状態だった。私も少なくとも私くらいの英会話は出来るだろうと話しかけてみるが、全く無駄。私もつい無言で行動してしまい、あるときはもうやけっぱちで日本語でしゃべっていた。この方は通訳を連れての来日らしかったが、何故か本日はお一人なのだ。もちろん、だからといって空気が悪くなることもないし、お互いに気を遣ってのもっぱら表情のみの会話はそれなりに暖かいものではあったが、、、。
 言葉、言葉ことば。人間にとって、絶対ではないけれど大きな比重を占める「言葉」というもの。考えてみると日本語だからって通じているとは限らない。今日の歌会での年齢からくる「不通」や生活環境からくる「不通」なども、そりゃあ程度の差はあるが、ホントの意味で完全に通じ合ったとは言えないから外国人と話すのと同じかも知れない。人それぞれ言葉一つに対する概念が違う訳だから、分かったような気になっているだけかも知れない。したがって、今日のような他人が作った短歌を「評する」というのも恐ろしい行為だ。何人かの方々の評を聞いてきたが、限界があるなあ、というのが率直な意見だ。、、いやまあ、これが人間のしていることなんだ。完璧はあり得ない。

 

 

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