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2005年11月

2005年11月30日 (水)

遣るべき事は遣った。

 明日からの留守に向けて一応送るべき物は全て送り、片づける物は片づけ、インフルエンザの予防接種も済ませ、荷造りも済み、空港までのアッシー君も見つけ、打つべきメールの返事も終わり、FMの収録のゲストとの打ち合わせも終わり、来年のシャンソン発表会のための段取りも終わり、ただ今食器洗い機を回しながらお風呂のお湯を溜めながらこの日記だ。病院から後は母を伴ったため、あっけにとられていたなあ。何もかもが時間ぎりぎりで処理されて行くのでびっくりしている。たとえば東京方面に荷物を3個送るのも、集荷の方が来て居る中でガムテープだ。母を送る道々、上京したらとにかく気を付けろと、そればかり繰り返し言われる。まあ仕方がないだろう。何せ、今年2回も転倒した私だ。母に負けている。

 全て終わってるつもりだったが、う・大事なことが抜けていた、と今気づく。まあそんなところだろう、私のことだ。これをやっつけられたら、心おきなく行けるなあ。夫に食事周りの説明をするのは明日にしよう。、、やれやれ。

 しかし、今日はびっくりした。インフルエンザの注射でいきなりその箇所がかゆくなり発疹が出て熱も出た。30分は病院に居ろという指示を守っていたおかげで、かゆみ止めの薬やらアレルギーの飲み薬やらが追加される。母はびくともしてないので、私にやわな体だとため息をつく。んな事言っても、この体はあんたから出てきたんだよ〜という目をしたら笑っていた。フフフ。ま、もう生んだときの罪は時効だろう。60年前だ。

 さあ、久しぶりの東京だ。

 

 

2005年11月29日 (火)

とっさの一言。

 私の留守の間、夫が、万一、洗濯するかも知れないので、少なくなった洗剤の補充にホームセンターまで出かける。帰るだんになって母がトイレに、私も連れなんとかになって、一緒に仲良く個室に入室。目の前のドアーに貼り付けてあるポスターを「このウオッシュレットトイレはこのお店に売っています。別なタイプもあります、、、」と読んでいくといきなりそのドアーが開かれた!「あっ!」というたった一言の私の声にその女性は「ぎゃっ!ス!スイマセン!」と叫びバタンとドアーを閉めた。幸か不幸か、いや紛れもなく幸いなことに私はマスクをしていた!人相まで読まれてないだろう。、、、なんて、別に悪い事してたわけではないが、なんともはやばつが悪いではないか。よく考えてみると鍵が甘かったのだ。キチンと入れたつもりが外から引っ張れば開く程度にしか入ってなかったのだろう。それにしてもその人もノックしてくれても良さそうなものだろう。私もそこに入る前はノックしてから入ったんだから。実は、その後が困った。折角顔が割れてない!のに手を洗う時に顔を合わせたくない、との思いにぐずぐずとトイレにいた私。かなり待ってもそのお人も出る様子がない。仕方なく大急ぎで飛び出して手を洗い出口に行くと母が待ちくたびれていた。
しかしまあ、とっさの一言は面白いもんだ。「あっ!」と「ぎゃっ!」だからなあ、、。ハハハ。いやはや本日は、お品のよろしいお話で、、、。

 

 

2005年11月28日 (月)

ぎょへ〜っ!

 借金を忘れていたなんて!ついにここまで来たかと言う感じ。練習から帰宅。車を降りながら
「そうだ、Sさんにサンポートの駐車カードの支払いをしてなかったなあ。封筒に入れとかないと忘れるんだよなあ」とその作業をしながらとあるお方に電話。何か忘れてな〜い?と言われるまで全然思い出さなかったが、先日そういえば会費とお弁当代を立て替えて貰っていた。いやん!もしかして認知症街道まっしぐら!?もしかして他にも誰か私に何か貸してな〜い?って、聞いて回りたいくらいの心境だ。やれやれ。

 今朝はシェイクスピアの講座を受講。「ベローナの二紳士」だったが、その中にfall in loveというのが出てきて、まあ、人間は自分の意志ではどうにもならないものに動かされることがままある、という話しだった。後の昼食会で「私はfall in 溝の方がこのごろ似合ってるみたい」と言って受けたと言うわけだが、みんな似たような年頃故違和感の無い会話であった。グスン。

 その後はシャンソン教室。来年だがみんな発表会に向けて気合いが入ってきた。楽しい物を考えなくては!さあ、うまくいくかなあ?アクトは「落語ぺら」最初のステージだった。大入り満員で立ち見どころの騒ぎでなく、沢山お帰りになった位だった。その思い出の舞台に又立つことが出来る。そういえばミュージカルもここだった事がある。高い天井からぶら下げて貰ったなあ、、、。なんて時間の経つのは速いんだろう。み〜んな昔の出来事になっちゃった!

 

 

2005年11月27日 (日)

一つ済んだ、、、、。

 Cantiamoが終わった。その名の通り歌いましょうというものだったが、私にとっては歌心を取り戻せるかどうかの賭けの時間。まあ、30点くらいか。伴奏者に助けられて一応暗譜で歌えたから50点かも。どうしてもあのプリマのPPPが出せない。夕べのお風呂では満点だったんだけどなあ。ステージにお風呂を置いて欲しいと言って笑いをとったが半分本心だ。そんなオペラ無いかなあ。
この会はちょっと練習レベルの差があり過ぎるかも。発表会とはレッスンを受けた人の発表する場、だと思うから、どんな形でも練習の成果を発表しなくてはいけないのではないか?上手下手はどっちでも良いが、、、、。参加することに意義ありっていう考え方もあるかも知れないが、幼稚園児でも発表会となれば先生方と死にものぐるいで練習している。
、、、、次はシャンソンの発表会出演だ。こちらも練習に入らなくてはイケナイ。その前にクリスマスコンサートだし、ああ、やることがまだまだ多いなあ。

 4日後は東京だ。ということで、意外と早く帰った私に夫が早速ヘアーカラーを頼んでくる。やりますけどねえ、、、、内心はもうそろそろ染めるのはおやめになったら?というものだ。先日私の友人Sさんは全然染めてないけどそれが原因で年寄り臭くもないし、別に暗くもないでしょ!?と言うと、「あの人は人生どっか吹っ切れてる人だ。何か物事全てに確固とした自分を持っていると感じる。」な〜んて言ってたのにやっぱり染めるか。まあ、捨てられない物がたくさんあるんだろう、我が亭主殿は。

 

 

2005年11月26日 (土)

認知症かもって、やな冗談。

 今年2回転倒したことのショックは夫のほうが深刻みたい。やたら認知症だとかのことを勉強していて、今日もあるところでしっかりその手の話しを聞いてきて「何気ないところで転ぶというのが、最も怪しい」というのだ。他にも「食べ物の味付けが変わった」り「野菜の切り方が不揃いだった」り「覚えたことが1分後には怪しい」とか、色々あげていたなあ。そうそう、車の運転をしていて遠くから来ている車が認知できず発車したりターンしたりして事故を起こすとか、、、。ま、聞いたことをこれだけ思い出すんだから大丈夫か!?2時間前だ。
 でもホントに大丈夫だろうかと一瞬どきんとしたことも事実。夫の話を一緒に聞いていた母を送りながら「もし私がぼけたら後はよろしく!」と言ったもんだ。ったく、逆だわいなあ。今日のお客様からも、その人の姪御さんで脳梗塞から来た呆けの人を介護しているというのを聞いたばかり。それだって本人はなりたくてなった訳じゃあないだろう。頼れる人が少なくて、おばさんが面倒見てるというわけだ。なんだかねええ。

 明日はCantiamo。歌詞が覚えられてる間はいっか!

 

 

2005年11月25日 (金)

ねええ。

 テレビニュースによると、このところ皇位継承問題が加熱してきているらしく、研究機関委員会が議論している様子も流れている。夫がそれを見て良いことを言った。「あの委員会のメンバーでは出る結論ははじめから決まってるだろう」というもの。殆どの人が白髪頭の高齢で、しかも男性ばかり。「半分は女性で若い人も入ってないと、、」全く!この委員会のメンバーを決める人も又同じような人たちなんだろうなあと思うと、な〜んだ、って感じだ。ま、皇室制度そのものにも議論が分かれる現代、難しい問題だ。ねええ。

 娘からどか〜んと私にとっては不要品、娘にとっては貴重品が二箱も届く。内一箱には骸骨が入ってるという代物。たださえ我が家の不要品を整理中だというのに、う〜う、と唸りながら又しても母に手伝って貰ってなんとか物置に。やれやれ、まあ、少なくとも広さだけはあるからすっかたなかんべさ〜だ。新居の写真も送ってくるが、なんか、これ見たらあんまし行きたくないなあ、と思ったりして、、、。でも、このところの私の体調不良と転倒事件を聞いて「もう〜こんといて!」と心にもない事を言う娘が不憫で、やっぱりこの狭い所をなんとか住みよい所にするべく頭を捻ったりもする。ふ、やっぱり母親してる。ねえ。

 小豆島から先頃採れたてのオリーブバージンオイルが届く。実はこれ注文したときは品切れで、予約しないとあっという間に売り切れて買えないというので、1年前に頼んでおいた物だ。そもそもNHKの取材番組で、イタリアのバージンオイルに負けない凄い物が出きているというのだった。早速問い合わせて予約と相成った。まだ賞味してないが、少なくともお値段はイタリア物より数段高いところをみると、さぞかしおいしいんだろう。ねええ。

 

 

 

2005年11月24日 (木)

ふ〜っ!

 と、ただ今ビールで一息。だって昨日は飲めなかったし〜。今日の働きに免じて一杯くらい良いじゃないの、ねえ。
 というのも、今日はとにかく転倒のショックと実際の打ち身の軽減の為朝寝を決め込んでいたら、二人の師匠から電話。ま、お二人のお話をお聞きしてからやおら起きだして、服を着替えたら午前10時という時間。このパジャマから普段着に着替えるのが至難の業。腕は上がらない回らない、背中は痛むし、膝もがくがく。まあ、昨日よりはこれでも良くなった感じだが、さて、病院は行く方が良いのかどうなのか、、、?と考えてる内に次々と用事が出てきて結局は行けず、4時にお着きになるFMのゲストをお迎えに築港まで。義妹に電話して、母を電車に乗せて欲しいと頼み、2本分の収録に局へと出かける。実は来週の東京行きのために、録りだめの必要があったのだ。スムーズに取り終えて母を駅でピックアップ、ゲストをその辺でおろして丸亀まですっ飛ばす。市民劇場例会は、矢張り開演の10分後だったが、まあ無事入れて、面白い芝居におなかの空いたのも忘れて観賞した。それは母も同じだったようで後から、ホールに入ったときはおなかが空ききっていたと述懐。でも、この私に眠気と空腹を忘れさせる面白さはただ者の作品ではないと思ったら矢張り三谷幸喜の作品だった。(知らないで行ったというのも凄いなあ、考えてみると!)佐藤B作の名演技もさることながら、たった4人しか出演者が居ないこの作品、台本がメチャクチャ良い。テンポの良い演出も良かったし、遠くてもやっぱり来て良かったと終演後に「一鶴」本店で鳥の足にしゃぶりつきながら母と話したことだった。タイトルは「龍馬の妻とその夫と愛人」という一見しただけではなんだか分からないものだったが、見てみると、なるほどこれしか言いようがないなあ、と又してもおかしみがこみ上げるものだった。久しぶりの丸亀会場だったが、ずいぶん会員が増えてるような気がした。今日のFMでも話題になったが、矢張り生の舞台にかなう物はない。テレビやCD,DVDでは絶対味わえない物が、生の舞台にはある。それは、その場の観客と共に作り出す物かも知れない。、、今日の観客と言い昨日の演奏会の観客と言いどちらも熱かったからなあ、、、。

 しっかりおしゃべりしながら帰宅したら10時。意外と早かった。ま、今日も早々に寝ることに、、、。人の話ではこの打ち身というのは3日めがつらいとか、、、。覚悟するしかないなあ。

 

 

2005年11月23日 (水)

てんやわんや、、やっぱり!

 そもそも高速に乗ったときに「あ、地図がない」と叫んだときからいやな予感がしたもんだ。「まあ、なんとかなるわよ」とさぬき女のおおらかさで絶好のドライブびよりを楽しむ。紅葉が遅く、深紅は少なくそれ故にその赤さが目立って美しい。早めに出立してのんびりした運転で、幸せな気分だったのが、今年、私にとっては二度目となる「転倒事件」で一転、痛くてしんどい道中となってしまった。トイレタイムで、ある場所に駐車して建物に入る直前「ど・どてっ!」と転んでしまったのだ!約1時間の運転直後で体がこわばっていたのか、数センチの段差に気づきながらそれに引っかかってしまった。その日はとっておきのイタリアから買ってきた水色のお気に入りのセーターを着ていたのだが、肘のところが完全にすり切れ2センチほどの穴が空いている。仕方なく近くのスーパーに立ち寄り急遽セーターと湿布薬を購入。お色直しをして目的地コスモホールまで出かけたのだった。

 プリマK嬢のリサイタルは相変わらず充実し、幅広い層に受ける内容をふんだんに披露した。一番感心するのは彼女の「歌心」だ。会場には何度も目頭を拭う人たちが何人もいて、かくいう私目も「わすれな草」「落葉松」「トウーランドット」等には涙を抑えられなかった。私の横にいた人で初めてこの方の演奏を聴いたという人も、この方はご自身も歌手だが、しっかり涙目だった。こんなに人を感動させることが出来る「歌」って、なんと素晴らしいことか。徳島の私のボーイフレンドKさんともバッタリお会いして、彼の車で我々4人演奏後おいしいコーヒーをごちそうになる。彼もいたく感動してチョーが付くご機嫌だったというわけだ。なんとそこの喫茶店には先頃話題の「アザラシのナカちゃん」の住民票なんてのがあって、差し上げましょうか、と言うのを丁寧にお断りしたがやれやれ。
夕食は議員さんをやっている我が従兄弟のT氏に付き合って貰い、わいわいがやがや、女7人と男一人という構図に違和感もなく宴会となる。といっても、私は運転手。他の連中は高速はだめという人ばかりで、誰もアルコールは飲めず、可愛らしい食事会となる。議員さんというのは色んなことをよく知っていて、食事のツマに面白かった。

だんだん時間と共にあちこちが痛くなってきて、こりゃあ明日は病院だなあ、、、と思いながら帰宅してから全身に改めて湿布。ふ〜っ。
この日記を書いていると母からの電話。早速同行していた義妹から報告されたらしく注意力が散漫だとか、気を付けろとか、さんざん言ったあげく、今、日記を書いているからと切ろうとしたら、「あんた、又転んだと書いたらあの先生から電話が掛かるよ!ヒッヒッヒ」と来た。やばい、しかしもう書き直す元気はない。お・や・す・み!

 

 

2005年11月22日 (火)

さあて、、。

 明日は徳島まで演奏会に出かける。とっととお風呂入って寝ておこう。さっき岡山から帰宅して、ただ今お風呂の準備中。行きのフェリーはぐっすりおやすみ。帰りは真面目にお勉強。というのも、突然東京からこれまた明日の演奏会にと御来高の女性お二人を讃岐うどん屋さんにご案内。八島寺などちょいとご接待させて貰ったので、お疲れモードだったのだ。イヤ〜、熱心なファンが居るもんだ。流石世界のプリマドンナ。
ところで、今日は高名な画家の奥様もご一緒だったが、今夜は岡山だと言うと、「教えることはご自分のお勉強にもなるでしょう!?」と言われる。先生も教室を持っていらしてよくそう仰っていられるそうな。イヤほんと、その通り。私は自分のために出かけている。不思議なことにこんなに調子が悪くても、生徒さん達にはちゃんとした声で教えられる。おそらくは集中の問題だろうが、ちぇちの練習中にどうしても出来ないことが簡単にクリア出来るのだ。それは、指導しながら出来ないわけにはいかないという思いからかも知れないが、それにしても、である。まるで二人の私が居るようだ。まあ、音域が低いということもあるが、体を使い声を延ばすやり方なんか、ちぇち練ではあんなに苦労しているのに、どってことなくやれてしまう。やれやれ、歌はやっぱりメンタルな部分が大きく影響するのか。

 とにかく、寝よう。

 

 

2005年11月21日 (月)

人は戦う。

 相変わらず声のスランプが続いているが今夜も練習だった。冷静に考えてみると、声が出ないかも知れないという恐怖と戦っている自分がいて、その恐怖がかえって事態を悪くしているのだ。そんなことはどちらでも良いと開き直ってやりゃあ良い物を、つい根がまじめだから。

 帰宅して遅い夕食をとりながらテレビを付けると「ケネディ大統領の暗殺」の映画が放送されていた。この歴史の変わっていない事件をどういう結末に持って行くのかと大変興味が湧いて最後まで見ることに、、。しかし、この映画を見るとケネディ亡き後のジョンソン、ニクソン、どちらもグレーどころか、かなり黒に近いではないか。告発した検事は現在かなりの高齢、もしくはこの世の人ではないかも知れないが、一番最後に字幕が出て、国家機密とされる重要証拠は2029年まで公開不可能となっていると出た。ということはあと24年も先でないと明らかにならないのか。
この映画を見ていて、ホントに恐ろしいのは人間で、人間の作り出す組織だとつくずく思ったことだ。日本でも某政党にたてついた角で処罰された党員の悲喜こもごもが連日報道されたが、これなんかもこの「組織」というものの持つ恐ろしさだろう。次元は違うが、子供でも徒党を組むと残酷なことも平気でやってのけるし、これが人間の根っこの性格かもしれない。、、、しかし、手放しでそれを放置してはいけないのではないか?この映画の主人公検事のように、正義を持って、恐怖と戦うべきなのだ。

 

 

2005年11月20日 (日)

一つ済んだ、、、、。

 短歌の締め切りに何とか間に合った。あるお方が「封筒に入れて封をしたら、例えは悪いけどトイレに行ってすっきりしたときのような感じだわ」とのたまわれたが、あたしゃ未消化でまだ大腸あたりにごっそり残ってる感じだなあ。納得がいかないなあ。ホントにこんなことやってて良いのかしら?と、かなり懐疑的。しか〜し、師を信じて言われた通りやっていくしかない。何しろ自分という人間は、短歌の世界ではエンパイアーステートビルの受付あたりに居るんだろうから、指示通りに歩いていかないと見晴らしの良い屋上まで行けないだろうから、、、。屋上へたどり着く前に飛び降り自殺してなきゃ良いが、、、。コホン。

 声を出す歌は、音域の楽なものを選んで一応来週末の発表会に出演することにした。その日によってまちまちな喉の調子がどうなるか、、、、開き直りしかない。

 実は今日は一つ公演に行くのを断念した。ずっと以前落語ぺらに参加してくれたダンスチームの公演だったが、このところもの凄く力を付けてきていて、見せるダンスになって居る。だが、どうしてもレッスンが終わってからすぐさま駆けつけるという芸当が出来なかったのだ。夫も帰宅したし、段取りを考えるのもめんどくさい。ま、いっか。と取りやめた。舞台って言うのはそこをはずしたら、二度と見られないわけで、縁のあるものはなるだけ行きたいのだが、無理はしないと決めたのだ。内心メンバーの顔を思い浮かべながら「ごめん」と謝る。

 明日はミカン狩りの予定だが、、、、。

 

 

 

2005年11月19日 (土)

参加することに、、、

昨日の日記に「参加することに異議あり」な〜んて書いちゃってるなあ!実は本音だったりして。異議ではなく、意義のつもりだったが、考えてみると喉の調子は相変わらずおかしいし、短歌は「詩的表現」からほど遠い生活のため、川柳にならふさわしいかも〜と足踏みなのだ。こんな人間には参加する事に異議あり!ってどっかから言われそうだもんねええ。イヤ〜この間違い字、深層心理ってか?

 さっきマッサージ機でテレビがなんだかうるさいなあと思いながらうとうとしていたら、目覚めてみるとクイズ番組だ。あまりにやかましいので、切ったのだが、このテレビ誰も見ていない。我が家ではこうして見られてないテレビが一人でわあわあ言ってることが多い。殆どが夫の「クセ」によるものだ。とりあえず帰宅したらすぐテレビを付ける癖がある。そして見るでもなくさっさと自室に入りそのまま出てこないのに、テレビは大音量で鳴りっぱなし。これは職業病かと長い間あきらめてきたが、このご時世、やっぱり見ないときは切るべきだろうと強く思う。だんだん二人とも年取ってきて色んなところが弛んできていることは事実だが、これからは大いに要チェ〜ック!だ。
それにしてもこのごろのこの大笑いの連続ドタバタ番組オンパレードは一体どういう現象なのか?視聴者がみんなこういうのを期待してるとでも言うのかしら?こんな時代だからNHKが光って見える。色々あるようだが、局員は頑張って欲しいなあ。ねえK君!!
 

 

 

2005年11月18日 (金)

眠い!

又しても眠り病か!?
ただいま午後10時だから、今から寝ると、、、いくら何でもねえ。
夫も、他の人も眠れるときは寝たらいい、と申し合わせたように同じ答え。
そうなんだろうか?
ついに今日はインフルエンザの予防接種なるものを初体験すべく予約してきた。
去年飲んだなんたら言うインフルエンザのお薬は、それを飲んで笑いながら自殺した人が複数いるらしいから、今年はそんなのにお世話にならないために早めに手を打つ!この下降線の体力では、たかが風邪、されど風邪、ってことになりかねないからなあ。

喉の調子が悪いので首の皮を引っ張る癖がついている。今日も今日とて何気なく鏡の前でそれをやっていたら、あっと気がついたことがある。引っ張った皮膚が元に戻るのにもの凄く時間がかかっている。何かの間違いかと、何度も同じことを繰り返すが結果は同じ。これは明らかに皮膚および筋肉の老化現象。むむむむ、、。ついに正真正銘の老人か!孫に「みっちゃん」と呼ばそうという決心が鈍るではないか!

短歌の締め切りが間近である。27日はCantiamoだし、、、、どちらも参加することに異議あり、っていうことになりそうだ。は〜っ!

 

 

2005年11月17日 (木)

お見舞い。

 友人のTさんのお見舞いに行ってきた。日頃おしゃべりな彼女もさすがに長い闘病生活にお疲れのご様子。まあ、それでも行ってから我らを送り出すまでののべつ幕なしのおしゃべりは、快復しつつあることを伺わせた。実は彼女は現在骨折中の母上と同室である。ところが母上をそこへ移動させるまでが大変だったようで、今日の我々のおしゃべりのテーマはその「もうけ主義」の開業医のことが中心。前病院は完全看護だから移動させる必要はないと一旦は完全拒絶。その後の交渉で転院の話しは聞いてないとか、別に転院を止めてる訳ではないとか、かなりご主人と激しいやりとりの末、ようやく出して貰えたんだそうだ。一番いやなのは当のご本人に「あんたは80才にもなって自分で話しが出来ないのか!あんな男に言わせて!」と食ってかかられた事だったとか。そりゃあ無いでしょう!と我々も憤慨。きっとこういう病院は長続きしないわよ!という結論に。いやはや、こういう事があるから、転院というのは患者にとってはとってもイヤなことなんだ。
我が父親を転院させるときも、母がメチャクチャ反対して、話しだけでも聞きに行こうと無理矢理連れ出したものだ。あの時はリハビリの重要性が世間でも分かって無くて、きちんと取り組んでいた病院はホントに少なかった。「この方は寝たきりになります」と宣告されて放置されたので、納得できずに別な病院に連れて行ったのだ。そこでは「この方は自分の能力の30パーセントで生きていますがこの病院では100パーセントになるよう努力します。」と言われて、その瞬間からリハビリが始まった。そして寝たきりを宣告された父が3ヶ月で杖で歩けるようになったのだ。母もこうした現実に初めて転院の必要性を納得したのだった。しかし、最初にあれだけ拒んだのは、「お医者様に悪い」、というそのことだけだったことを思うと、患者の多くが出会ったお医者様を信頼して、すがっているんだと思う。今日の母上の場合、それでも娘と同じ病院に居たいという気持ちを快くくんであげられないものか、と思ったことである。

 まあ、我が友人達はみんなしぶといぞ。今日のTさんにしても30万人に一人という奇病らしいが、手術は大成功。まもなく社会復帰出来るらしい。そんな珍しい病気に当たったんだったら宝くじでも買えば!?と言い置いて帰ってきた。良かった良かった!

 

 

2005年11月16日 (水)

回顧そして懐古。

 偶然NHKの「ローハイド」という大昔の番組の再放送に行き当たった。タイトルの「ローリンローリンローハーイ」という曲を聴いた途端、メチャクチャ懐かしくなって、食事の間中見てしまった。けれど、記憶というのは怪しいもので、このタイトル曲はもっと凄いバスバリトンの声で朗々と歌ってくれたと思うのだが、なんだかイメージと違うなあ。こんなものだったのか?

 今日は気になっていた冬物と夏物の入れ替えを情けないことに85歳の母に手伝って貰って完成。捨てる物や貰って貰う物もわんさか出て、「私ってホ〜ント捨てられない人だなあ」という感想を持った。私と似たような体型の人がいつも貰ってくれるし、その人は私より若いから「派手」っぽい物はなるだけ残さないようにしたが、、、全部出してみたらなんだか着る物が無いなあって感じ。去年はどうやって過ごしてたんだろう?、、、この心理って実は私一人ではないみたい。他の人からも聞いたことがある。それで次々と新しい物を買いたくなり、洋服屋さんが立ちいくんだろう。まあそれにしてもしょうもない物ばっかりだなあ、、、。
中に、思い出の服なんてのがあって、これが又しょうもないんだけど、やっぱり捨てられないのだ。、、、こうやって残っていくんだけどなあ、、。
 
 

 

 

2005年11月15日 (火)

死ななきゃ治らないこの、、、

 「ドジ症候群」てやつ。先日終わりにしようと誓ったばかりだというに、早速やっちまった!本日は岡山行きの日だったにも関わらず、ぜ〜んぜん頭になかった!例によって手帳にはあった!まさかこんなに早くドジ病が再発するとは思わなかったので油断して例のパソコンが教えてくれるって〜のを設定してなかったんだ。いつもならお世話役の方が前日にお電話くれて、明日よろしくとなるのだが、今日に限ってその方もお忘れで、午後になってお電話くれたのだ。なんというタイミング!急遽皆さんにお詫びと日程変更をお願いして、あたしゃ行きました、オペラ「愛の妙薬」!このところの声の不調を「本物の声」を聴いて薬にしたかったのだ。しかも私達がやったあの「愛妙」だ。今日聴いて改めてこのオペラの音楽の素晴らしさを思い知らされた。そして何より懐かしかったのだ。殆ど全部知ってる曲が次々と出てきて、出演者に私達の舞台が重なって、何とも言えない懐かしさで一杯になった。この思いはI先生も同じだったようで、しきりに懐かしかった、良かった、を連発されていた。そして最後は「オペラはやっぱり面白い」だった。このオペラ大好き人間は他にもいて、夕食をご一緒することに。私達の舞台も見てくれていて、みんなで大盛り上がり。I先生のうどん屋姿がみんなの脳裏に浮かんだことであった。ご本人以外は「とても良くお似合いでした」と言うのだが、、、、フフフ。
今日は外国からの、しかもイタリア本場からのものにしては安価だったのは、映像を主に使い、舞台装置はほとんど無い。衣装も基本的なものを殆ど変えず、これは身軽な旅だろうなあ、と思った。オーケストラは今流行りつつあるハイブリッドオーケストラ(弦楽四重奏とエレクトーン2台)で、まあ、多少のスケールの小ささは否めないが、その代わり弦の美しい音色が際だって、ネモリーノのソロの時なんか良い味が出ていた。エレクトーンは日本人の女性二人の演奏だった。全体としてちぇちの公演に似た思想が感じられ、なおかつオペラの楽しさを十二分に表現してくれてホントに良い公演だった。ある殿御によると、「あのストッキングが良かった!」らしいのだが、これは女性達には今ひとつ、、。ま、色んな見方があるのが舞台の面白さだ。
何はともあれ本日は「伝統」の重さという物も十分に感じさせて貰った。ベルカント、確かにみんな響きが上に上がっている。美しい声のオンパレードだった。さて、これが薬になるか!?

 

 

2005年11月14日 (月)

ああ、スランプだあ〜。

 このところの疲れ方は尋常でない。午前中にパソコン関係を済ませ、昼ご飯も食べる暇無く飛び出してシャンソン教室。4時過ぎに終わったらくたくた。サティで遅い昼食兼夕食にパスタを食べて、元気になるかと思いきや逆に気分が悪くなった。第一眠い。今夜の練習は行かずばなるまい、、、と一度帰宅してからまた出かけるも、なんか変。再び喉の奥がざらざらになっている。今、缶ビールを飲んでみたが、まあ、これは胃に収まったなあ。てえことはまだ大丈夫か、、。うちには飲みたいお酒がたんとあるというのに、全然飲めないこのつらさ。ラベルを眺めてはため息。こんな調子の時にお酒なんか飲もうもんならきっと声が全然出なくなる。不思議だが、日本酒はそうなることが多い。若手の歌手で公演1週間前は絶対アルコールを飲みませんという人がいたが、中でも日本酒は絶対の絶対だと言っていた。なんなんだろう?ふぁ〜あ眠い。寝る。

 

 

2005年11月13日 (日)

芋づる式にお片づけ。

 このところの我が家のお金を使わない改造計画に一区切り着いたと思いきや、最初はほんのちょこっと気になるところを整理して、その不要になった物を置く場所を作り、そこで不要になったものを別な場所に移し、置いてみるとバランスが気になり、気になった所を抜本的にえいっとばかりに整理し始めたらもう〜だめ!日頃の付けがこんな時一気に押し寄せる。結局今夜は母の一番下の妹さんをお誘いして「お釈迦さんにラブソング」という仏教界の演劇を母と三人で見に行ったが、台所のテーブルの上は戦場跡となっていて、夫への書き置きに「まだ途中だから、我慢して隙間でご飯食べてチョ」と書いて出かけた。
お芝居はなっちゃんがフアンになったあの讃岐弁の力強い劇団が共演で、あの人もこの人も好演していた。案の定一瞬爆睡で全然記憶にないところがあるが、面白い筋立てでラストは誰一人悪者が居なかった、というのはいかにも、、、。帰りにいただきさんのお店に立ち寄りおいしい魚料理を食べて帰宅。再び元気を出して続きに挑んだが、眠い!眠気覚ましにこの日記だが、どうもあくびが止まらない。ホントに体力が無くなってきた。今日は娘の引っ越しの荷造りにはるばるお姑さんが手伝いに来てくれてるらしいが、彼女はお若いからなあ、、。私なんか行ってもなんの足しにもならなかったかも〜。く〜っ情けない!

 

 

 

 

2005年11月12日 (土)

3カ所目。

 岩盤浴3回目の3カ所目。今夜はこの手の施設では一番古いと言われる所へ、誰も誘ってくれないとひがんでいる叔母を誘って母と3人、老人浴となる。ここにはお風呂があって、また、ひと味違うなあ。しかし、各施設によってそれぞれ考えが違うためか、来ている人もタオル地のネグリジェ姿の人もいれば、タオルはらりの人、すっぽんぽんの人、と様々だ。おかしなことにこれが、年齢によってスタイルが違う。スッポンの人は殆どが若い人。素晴らしい肉体美を惜しげもなくさらしている。これは単に肉体的コンプレックスのあるなしでなくて(コホン)、やはり時代だろう。普通の温泉でも、ガラスのドアーをぱ〜っと開けて何処も隠すことなく颯爽と入ってくるのは若い人だ。事実我が家の若い人も連れて行くとつい「あんた、ちょっとタオルで前を、、、」と言ってしまうのだ。私が小さい頃は別にクラスで水着に着替えるのにあんなバスタオルスカートなんかする必要もなかったのに、今頃の子はみんなあれを着けているという不思議。我が子にあれを作る時とても違和感があったのを思い出す。それだのに、温泉ではこれだ。一体どういうこと?、、、なんてこと考えながらおびただしい汗にまみれていた。3カ所の中で一番安い500円の料金は大変良心的。我が家から遠いのが難だが、ま、叔母と母孝行のためには時々来てあげようと思う。ロビーに平幹二郎と前田美波里の写真があったので訊いてみると矢張り今年の春公演のときに立ち寄ったらしい。シェイクスピアの「冬物語」だったが、あの素晴らしい舞台が蘇りその写真を特別な思いで見ることになった。施設の人はそんなことには関心が無く、インターネットで個人名で申し込んできたので、顔を見るまで分かりませんでしたとか言ってくれる。どうやら平幹二郎がこの岩盤浴にはまっているらしい。確かに体力勝負の役者にとって、これはとても良い健康法かも知れない。行く前は喉の奥がざらざらして、歌のレッスンの時も妙な咳が止まらなかったんだが、今は何ともない。私にはホント合ってるなあ。

 ところで、昨日のドジ話をしっかり読んでくれた10歳年上の方から電話があり、「安心したわあ」と言われる。「そういう効用もあるのよ、あんたの日記には」な〜んて、返事に困るコメントが。へ〜〜、どうせそうでしょうとも!と言いつつ内心では、くっそ〜、これからはドジなんかするもんか。少なくともここに書かずにいられない程のでかいのは何が何でもフィニート!だ。と、固い決心をしたおみっちゃんであった!グスン。

 

 

2005年11月11日 (金)

今日も今日とて、、、。

 ドジの連発。まずは予約のお客様の時間が分からなくなった!でもまあ、お待ちしていて解決。やがてI先生から「今日は6時からだったね!?」とレッスンの確認の電話があったが、す〜っかり忘れていた。その上、いつも広告でお世話になっている某呉服屋さんのご招待会なるものに予約していたのもどっかへ、、、。電話がかかってくるまで頭にない。でもってどか〜んと来たのがFMだった。本来今日までに収録するべきものを、とんころりとお忘れ遊ばして、局から電話が!その人の名前を携帯の表示に見たとたん思い出したという次第。そっか!今週分を取り忘れてたのだ!と。
そこへ飛んで日にいる夏の虫ならぬ秋の虫がやってきた!メンバーのTさん。「良いですよ〜」とのんびり答えられて、それまでの胸のつかえがす〜っと取れる。やれやれ、なんでこうなるの?って、自問自答。そりゃ、あ〜た、手帳は何のためにあるのよ?!いやそうなんだが、勿論こうなるのは殆どの場合「見てない」のだ。記録漏れ以外は、毎朝見ていればこんなことにはならない。が、朝は忙しいのだ。なんだか体内時計と現実の時計がずれて居るんだなあこのごろ。対策を考えて、パソコンを開いたら予定を教えてくれるという機能を使ってみようと思うのだが、イマイチ技術が伴わない。何とか自分で開発してみるべえ。

 しかし情けないなあ。いっぺんに一つのことしか出来なくなっちゃった!とその秋の虫さんに言うと、「あら、それが普通ですよ!」と言われてしまう。そ、そうなんだろうが、それでは余りに私らしくないではないか!ま、でも、これが現実なんだろう。とりあえず、少し元気にはなってきたから、これでよしとしよう。

 明日は、メンバーのSちゃんの結婚式だ。可愛い花嫁さんだろうなあ。幸せになってほしいものだ。

 

 

2005年11月10日 (木)

秋深し、、、。

 我が家の猫の額ほどの裏庭に柿の実が枝もたわわに実り、今までになくたくさん収穫出来た。しかも何故か今年は種なしになっている。今までにないことだ。夫は「主に似て種が無くなったかも」などと品のない感想を述べてゲラゲラ一人で受けている。そんなこと思ってるからかどうか、夫は一切収穫に手を貸さない。もっぱら私と母の仕事だが、最初に採ってから2週間してカラスに食べられない内にと再び採って驚いた。前回の倍くらいに大きいのが採れたのだ。間引きの効果が出たのかも知れない。しかもこれが結構行ける味なんだ。実は、知人からおっきい富有柿が届いたが、正直我が家の方が味が濃い。プロが作った物よりおいしいなんて、不思議。
長い竿ばさみを操ってブロック塀にあがりおっかなびっくり採っているが、それで気づいたことがある。ニュースで東京のどこかでカラス対策として黄色いゴミ袋を売り出したといい、カラスに見えない色なのでかなりの効果を上げていると出ていた。ということは、カラスが真っ赤に熟れた物ばかりを狙って食べているように見えるのは、もしかしたら、その色にならない限りカラスには見えてないのかも知れない!黄色いうちは見えないのかも!
、、これって凄い発見かも〜。でもないか。

 

 

2005年11月 9日 (水)

フッフッフ、、、。良い感じ。

 今日はいきなりご亭主が夕食はいらない電話をしてきたので、準備してあったおいしい〜刺身で一人食事を済ませ、昨日偵察済みの「岩盤浴」に行ってきた。やっぱりなんか良い感じ。私には合ってるってことか。このところ、女を捨ててお顔のお手入れなんぞやってなかったから、年相応に肌が疲れてきていたが、ほ〜んと、良い感じ。効能書きには「若返る」な〜んて書いてある。しかもここの方が先日行ったところよりちょっぴりお安く、ちょっぴり快適で、ちょっぴり清潔で、ちょっぴりおしゃれ。このちょっぴりのおかげで回数券を購入して帰った次第。実際2回行ったらちぇちの月会費が飛んでいくんだが、これから冬に向かい良いかも〜。今日のお客さんから寝る前にコーヒーを飲むと良いと聞いて、これまた早速飲んでいる。な〜んて素直なアチクシ。(いつまで覚えていられるか、、、)

 クリスマスコンサートの準備に追われ始めた。ま、今夜は早寝して、明日明日!

 

 

2005年11月 8日 (火)

讃岐の猿まねってホントかも〜。

 昨日行った岩盤浴の話を来店客に話したら、あら、もっと近くにありますよ、と言われる。へええ〜、知らなかったあ。で、偵察に出かけるとあったあった。なるほど我が家からはこちらの方が近いだろう。早速明日にでも行きたいところだ。というのも、夕べは一度も起きることなく、朝までぐっすり。で、先日まで履けなかったジーパンがするっとはけた。別に痩せたわけではないだろうが、多分あの熱で脂肪が柔らかくなったのか?!なんか良い感じだ。
それにしても、あたしゃ全然知らなかったが、いつの間にか世の中岩盤浴ブームとなているらしい。この「ブーム」に弱いのが讃岐人と見た。良いとなれば次から次へと同じような物が出来る。出来ないのは市民オペラぐらいだ。そして、これまたいつの間にか消えていくんだ。ま、これは讃岐人独特でも無いかも知れない。いつのころかボーリング場が消えていったし、それは全国だったし、ディスコもそうだ。ブームとか流行は考えると不思議なもんだ。そのまっただ中に居るときは全然違和感が無く、そこを出たときとっても変な感じがする。たとえばファッション界だって、一時期猫も杓子もお婆さんもミニスカートだった。私が若い頃は何故かアップヘアーがはやっていて、お出かけの時はいつもモリモリと頭の上に髪の毛を盛り上げていたし、そのころはみ〜んなピンヒールだったから、駅の構内なんかでよくヒールのかかととか、ヘアーピース(部分カツラ)が取れて落ちてるのを見かけたもんだ。今考えるととってもおかしいが、みんな大まじめだった。あれは何なんだろう。流行に乗り遅れまいとするのは、ある種のエネルギーであって、元気な人がやるもんだ。団塊の世代と言われる昭和20年代生まれの私達が若い頃は、やはり世の中元気があったんだ。、、、見ず知らずの人たちが集まり「団塊の世代同窓会」なんてのが行われるそうだ。一体どんなんだろう、、、。その日私は東京だ。

 

 

2005年11月 7日 (月)

珍しくヒマだった、、。

 寝てる訳にはいかなかったが、とりあえず歌の自主練習やら、メールの整理やらをやっていて、思いついたのが最近流行りの「岩盤浴」。母と義妹を伴い出かけてみれば、女性専用と歌うだけある内部の様子。初体験だったが、入ってみると驚くほどの汗が出る。「高齢者はお控え下さい」なんて張り紙にもめげず母は入りました!まあ、低温の部屋もあって子供も良いらしいから良いんだろう。約1時間1500円は少々お高い感じだが、絶え間なく人は入って来る。確かに出たら肌がつべつべになっているしコップ数杯くらいの汗が出たように思うが、それ以上にお茶とお水を飲んだからなあ。しばらく続けると良いかも知れない。が、8時間持ちますという温浴効果は、ちぇちの練習時にすでに寒かった。従って、ただいま体の内部から暖めようと日本酒タ〜イム。イヤホント、日常は疲れることばかりで、この夢に入る一歩手前の時間は大切な愉悦の時。一人、この日記に向き合うときが良い時間なのだ。ぼちぼちお酒が回り出してきたしなあ、、、。

 

 ずいぶん前にやった「メリーウイドウ」の中の曲をやるとき先生が「懐かしい」を連発していたが、ホントにそうだ。思えば、あれが第1回の「落語ぺら」だった。演出演技指導に我が娘も加わり、「グリセット」の曲プラス「リンダのどうにも止まらない」が大受けして、やる方も発散したあの時の音楽だ。もうあれから7年にもなるんだ。

 午前0時半。今頃Kさんはお家に着いた頃だ。ホントに遠いけど頑張ってきてくれる、有り難い存在。お孫さんのお世話も良いけど、ご自分の歌も続けてくださ〜い!と願わずにはいられない。

 そういえば今週12日が結婚式のメンバーがいるなあ。きっときれいな花嫁さんだろうが、何より幸せになってほしいものだ。

 

 

2005年11月 6日 (日)

今日は最高!

 たった今、演奏会から帰宅。あまりの感動に一人で乾杯中!
 志度音楽ホールでのハイドンフェスティバル最終日の今日のメイン演奏は、オーケストラにソプラノとアルトが付き、少年少女合唱団も加わるというもので、ペルゴレージ作曲の「スターバト・マーテル」であった。今までいわゆる「宗教音楽」というものを聴いてはきたが、今日のように心の奥深いところで感動したのは今日が始めてかも知れない。一番素晴らしかったのは意外にも少年少女合唱団だった!あとで指揮者が彼らを褒め称えて「こんなに音楽を理解している子供達は素晴らしい財産だ」と評していたが、後からの主催者の説明で、昨日と今日の二日間で特訓されて、ものすごく進歩したという。それはきっとあることで、指揮者に対するおべんちゃらではないと思った。当然二人のソリストにも厳しい注文がつけられたようだが、いやあ、なかなかのステージだった。処刑されたキリストの側で悲しみ苦しむ母親マリアを歌う二人は作曲家の意図するところをたっぷり伝えた。ソプラノは我が落語ぺらにも出演してくれたことのある若い人で、伸びやかな声をふんだんに披露した。
 しかし、感動はこれだけで終わらなかった。ハイドンの交響曲が30分ほど演奏された後、アンコールとなり、指揮者が「ちょっと変わった曲でお別れします」という。どこが変わっているかと集中していると、演奏が始まってしばらくすると一人、二人、三人、、と演奏家達が楽器を持って退場していく。ああ、そうか、これは別れの曲なんだと合点してから涙が止まらない。管楽器、大太鼓からどんどん居なくなり、音楽は続いているのに指揮者まで居なくなる。弦楽器ばかりでしばらく演奏した後最後に残ったのは2台のバイオリンだけ。切なくすすり泣くように向かい合って引いていた二人が立ち上がり、やがて上手下手にと去っていく、、、、。今思い出してもじ〜んとする。これはハイドンの「告別」という曲のフィナーレ部分だと退席する耳にアナウンスが聞こえる。
この曲を演奏する前に指揮者が通訳の女性を通して言った言葉が思い出された。「今から一番大切なことを言います。」と前置きして、「皆さんは今日私達の音楽をとてもよく聴いて下さいました。でも、音楽を理解するのは心です。」子供達の合唱団が「音楽を理解している」と評価したのはそういうことだったんだと分かる。
しかし、その言葉はすぐに裏切られたと、私は思った。私の周辺から次々と驚いた声、次はどの楽器?と興味本位の声が聞こえる。そんなの、どっちでも良いじゃん、と言いたかった。華やかなオーケストラがだんだん少ない楽器での演奏となっていくこの過程を味わわなくては、、、、、だが、最後の二人だけの演奏は、観客の「意外性」に対する感激の声と拍手で効果が半減した。
 いや、それも良いのかも知れない。想定内のことだったのかも。要するに「さようなら」の演出効果はあったのだから。

 余韻をかみしめながら車を運転していると娘からの電話。誰かにしゃべりたくてしょうがなかった私はここぞとばかりにべらべらベら。で、「最後に残った楽器は何で、何台か分かる?」と言ってみたら、いきなり「太鼓!」ときた。ったく、センスがないにも程がある。「ヴァイオリンじゃあ、あまりに普通だから、、、」と言い訳したりして。だからって太鼓でド〜ン!じゃ、悲しくも何ともないじゃん!ぷりぷり。

 いずれにしても、ほ〜んと、今日は凄い拾い物をした。演奏が終わって、真っ暗な駐車場に行くと、空には満天の星が輝き、北斗七星がくっきり。大きな深呼吸をして車に乗り込む。志度なんてちっとも遠くないと、現金にも思ったんだなあ、これが。

 

 

 

2005年11月 5日 (土)

娘の引っ越し。

 娘が結婚以来夫婦で住まわせて貰っていた夫の親御さんのマンションを出て、都心に住むことになったが、山のような荷物の整理にうんざり状態だという。まあそうだろう。別に引っ越さないでも家の中の整理というのは大変なものだ。引っ越すとなれば、未練を振り捨てて捨てなくてはイケナイものや、物理的に持って行けないものを処分する必要もあったりと、「モノ」の持つ物魂(私の造語で、ものだまと読む)に振り回されて時間があっという間に無くなる。よほどしっかりと覚悟を決めて取りかからないと、片づかないものだ。電話で、気合いを入れてやりなさいと檄を飛ばしたら意外と素直に乗ってきて「ん、分かった、がんばる!」とは、明日からお天気が崩れるはずだ!

 本日の来店客のお一人が最近スポーツジムに通い始めたという。今時のこういうところはホントに至れり尽くせりで、高松の施設は来年4月にオープンするという私が狙ってる所を含めると6,7カ所に及ぶらしい。過当競争は消費者のためには有り難いが、いつかまた倒産の憂き目にあわないでほしいもの。今度はものすご〜い決心で会員になるつもりだから、簡単につぶれて貰っては困るんだ。今日の話を聞いても、自分がジムで汗を流したり、ダンスを踊ったり、水中を闊歩したりしている姿をイメージして気分を盛り上げて居るんだから。
実は、夕べの激しい(?)ダンスで筋肉痛になるかと思いきや、今日はなんだか体が自由ですいすい動ける。これはきっと動いた方が良いということだろう。ああ、楽しみ〜。
ところで、この方は朝10時〜午後4時までたっぷりそのスペースに居たらしい。今日で3週続いていると言うから、それってすごくない?てとこだ。私にや出来ない芸当だろうなあ。

 来年の4月だなんて、すぐ来るからなあ、、、。

 

 

2005年11月 4日 (金)

ほお〜

 と、ひたすら感動したのは、本日劇団の忘年会の二次会で「70年代のディスコ」なる場所に引っ張って行かれて、深夜にもかかわらずえらい繁盛していたのに、懐かしさ混じりの感嘆符がついたというわけだ。中には20代とおぼしき女性も居て、30〜50代、最後に入ってきた人はどう見ても私以上の年齢だ。その人は瞑想状態で手を中に泳がせ、なかなか堂に入った踊り方をしていたが、きっと昔から相当踊っていたんだろう。例のミラーボールが激しく回るフロアに私も二度ほど立ってみたが、いやあ、懐かしかった。そこに行く前に「70年代ってことはツイストかゴウゴウ?」と訊いて「それっても一つ前よ、ママ!」と馬鹿にされたが、確かにみんなはそれ以後にはやった踊り方で踊っていた。例の「マヒマヒ〜」とかいう奇妙なのもやっていたりして、まあ、昔とはやはり違う。が、こんな店があったなんて、ち〜っとも知らなかった!まあ、話の種に、と連れて行かれたが、確かに種にはなったなあ。これでも昔は朝方まで踊り狂っていた時期があるというと、唖然とされたが、、、ハハハ。あたしだって若いときはあったんだ!ふんっ!

 飲み放題2890円、という安さなのに鍋料理はことのほかおいしかった〜。若い人はよく知ってるなあ、色んなとこ。

 FMの収録はライブをやっている人たちだったが、最近多いなあ、この手の活動をしている人たちが。音楽を媒体にして楽しむというやり方がうまい人たちが多くなってきて居るんだろう。一時フォークソングが流行り、ギター青年も多かったが、あれと同じかも。

 今夜もお忙しいおみっちゃんだった。駐車場1800円、テクノ1500円というのも、変な感じ。というか、テクノサービスはホントに有り難い。

 

 

2005年11月 3日 (木)

言葉。

 昼は短歌の会に出て、眠いのを我慢して「お勉強」したが、帰ってみるとラオスからのお客様に夕食を早めに出してくれと言う夫からの電話。7時と聞いていたので安心していたが、こりゃまた大変。このところの物置騒動で、そもそも掃除からしなくてはならない状態だったこの屋の主婦は大あわて。食事はたくさん作る必要はない、と言うことだったが、どうしようか?、、、ぴんときたのが、本日我が家にCoopメンバーとしてやってくる友人のお寿司屋さん。彼女に泣きついて何とかして貰うことに。おかげでどれだけ助かったことか!お寿司以外に天ぷらなんぞも用意してくれたおかげでほとんど作らずにすんだ。しかし、たくさんいらないと言ったこの屋の主は、「ラオスという国はお野菜をふんだんに食べる国だから、もっと野菜料理をたくさん出してくれ」な〜んぞとのたまう。買い物にも行けてないからあるものと言えば冷蔵庫にたった二つのピーマンと10センチほどの山芋、半分黒くなった大葉、豆腐は畑のものだからこれも使う。これらをあれこれと工夫して出したが、ホントに男って人種は、我が家の冷蔵庫にはいつも何でもあると思っているのだろうか?ぷりぷり。
 そもそも、なんで夫がこんなに夕食を急いだかと言うに、本日のお客様はてんで言葉が通じない人だったのだ。出来るのはラオス語とフランス語で、英語はほとんど分からない。病院の院長さんだというが、やはりお国柄で色々あるもんだ。だからして、夫は会話が出来ずしたがって間が持たず、次から次へと何か行動していたというわけだ。最後にぽかぽか温泉にお連れして我が家に帰り着いたときはへとへと状態だった。私も少なくとも私くらいの英会話は出来るだろうと話しかけてみるが、全く無駄。私もつい無言で行動してしまい、あるときはもうやけっぱちで日本語でしゃべっていた。この方は通訳を連れての来日らしかったが、何故か本日はお一人なのだ。もちろん、だからといって空気が悪くなることもないし、お互いに気を遣ってのもっぱら表情のみの会話はそれなりに暖かいものではあったが、、、。
 言葉、言葉ことば。人間にとって、絶対ではないけれど大きな比重を占める「言葉」というもの。考えてみると日本語だからって通じているとは限らない。今日の歌会での年齢からくる「不通」や生活環境からくる「不通」なども、そりゃあ程度の差はあるが、ホントの意味で完全に通じ合ったとは言えないから外国人と話すのと同じかも知れない。人それぞれ言葉一つに対する概念が違う訳だから、分かったような気になっているだけかも知れない。したがって、今日のような他人が作った短歌を「評する」というのも恐ろしい行為だ。何人かの方々の評を聞いてきたが、限界があるなあ、というのが率直な意見だ。、、いやまあ、これが人間のしていることなんだ。完璧はあり得ない。

 

 

2005年11月 2日 (水)

師はどこまでも師であった。

 朝、ゴミ出し中の夫にとっては運良く、睡眠中の私にとっては運悪く、恩師がご自分の短歌集を友人達の分と一緒に届けてくれた。例によって寝過ぎたなあと起きてくると、どさっと置いてくれるので何かと思えばあっと驚く師の歌集。急いで手に取ってみると柔らかな生成の地色に濃淡の茶系一色のススキの、、、これは絵なのか写真なのか、、、穂先あたりにタイトルの「風香花声抄」とシンプルに印字されて、作者の名前が深紅にておわす、という格調高きもの。風の音、華の香り、とせずに逆狙いとはさすがである。早速眺めて見た(読んだ、ではない)ら、表装のイメージに違わず美しい流れがあり、過去に色々教えて頂いたことはそういうことだったかと、膝を叩く所もあった。これから読んで行く予定だが、楽しみなことだ。
「私を先生と呼ぶのは止めて」と何度か言われるが、やはり私にとっての師は師である。

 このパソコンが今現在、うんうん言っているのは、なんじゃいなあ??気持ち悪いからとっととバックアップをとることにしよう。これがまた大変だ。でも、アドレスが消えたおかげで色々不便が生じている。二の舞は止め無くては、、、。
というわけで、またぞろパソコンに振り回されることになりそうな予感が、、。

 

 

2005年11月 1日 (火)

達成感はあるものの、、、。

 先日母と衝動買いしてしまったでっかい組み立て式物置。目障りながら横目で見ながらの生活に、一番に「やろう!」とけりをつけたのは、もちろん私ではない。”おんとし”85歳の我が母であった。珍しく朝も早くから電話してきて
まずは病院へ連れて行けと言う。ちょうど私も喉の調子も診て貰うため一緒に行くことに。母は、実は最新式の血流の状態を見るという機械による検査を受けたのだが、後のお医者様からのお話に私も同席すると医師曰く「血管年齢は60代から70代のものですから、心配はいりません。お年から言ってこんなものでしょう、、、、」と言いながらカルテを見て驚く。「えっ?あの〜、はあ〜、これはこれは、、、」と絶句。要するに、先生は母の年齢を勘違いしていらしたのだ。見てくれで、70代と思い、慰めてくれていたらしい。結論は、「今まで通りお暮らし下さい!」だった。やれやれ。
むしろ私の方が、今年の特徴の風邪を引きずっているとの診断で、また有り難くお薬を頂くはめに。、、、となると、俄然元気を出した母が、今日のような晴れた日にやってしまおう、と、予想通り言い出した。で、午後の時間を全部使って、まあ、母もそりゃあよく働いたが、どっちかというと動くのは私中心になるし、ビスをねじ込むのも、不足の部品を買いに走るのもこのか弱い私がやらなくちゃあイケナイ。さすがに参った。普段使わない筋肉を使うので、胃のあたりの筋肉がつれて痛いこと痛いこと!なんとかぎっくり腰にならないで終えられたが、は〜っ!疲れたあ!元気な母を持つと大変だ〜の巻。

 人間疲れてるときはぼんやりするもんで、食事の後ぼ〜っとテレビを眺めて、最近のコマーシャルはおもろいなあ、、、と思っていると、「ホタルの墓」がアニメでなくて実写版とでもいうのか、ドラマが上映され始めたのは、不幸だった。疲れた神経に追い打ちをかけるように涙腺をゆるめ、涙を絞り、、、(しかし、アニメ程の完成度は無い感じ)零時近くまで見てしまった。
戦争が人を変えるというある一面を描いて現実的だった。

 やっぱり戦争はいやだ。が、そう考えない人もいるのかもしれないなあ、、。

 

 

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