« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005年10月

2005年10月31日 (月)

二人の天才。

 どちらも女性だ。一人は美空ひばり。もう一人はフジコヘミング。昨日のテレビ欄にこの日本が生んだ二人の天才音楽家の名前が特番という形で出ていた。私はたまたまフジコを観たが、なかなか中身の濃いおもしろい番組だった。視聴者からの強いリクエストで実現したと言っていたが、確かに面白かった。何年か前に私の誕生日に県民ホールにきたとき、行きたくてたまらなかったのに何故か行けなかった演奏会だった。今更ながら悔しいではないか。「ラ・カンパネッラ」が彼女のもっとも得意な曲らしかったが、是非生で聴いてみたいものだ。番組の最後に、下北沢に住んでいる、と言われて思わず娘に電話してしまう。今度娘が住む町の名前だったから。
 娘婿殿の説明だと、芸術家の卵やら芸術家やらが大勢居て、劇場やなんかがひしめいているところらしい。こりゃあまた、おもろい所に住むことになったもんだ。早速12月に出かけるが、楽しみが増えた。しかも、昔からの親友が近くに住んでいるというのだから、ははひひふふへへほほははほほ〜。

 ひばりは以前何度もその天才ぶりの記録を観たからまあ良いだろう。、、、なんてこというと、あの人に大目玉。塩や岬で買った手ぬぐいをお土産にあげたら、後生大事に飾ってあると言うからすごいフアン心理だ。ラベルにひばりの写真だか絵だかがついたものもプレゼントしたが、絶対飲めないと言う。そんなもんなんだろうなあ。

 ところで今夜もちぇちの練習日だったが、一日の最後がこれだと、ほんとに疲れる〜。朝はシェイクスピア、午後はシャンソン、で、これだ。夫の夕食が不要だったのがせめてもの救いだったが、、。

 いつまでものどの奥がざらざらしてるのはなんでだろう〜〜・・??ぼちぼちちゃんと喉を診て貰った方が良いのかも〜。病院の中でも診て貰いたくない上位を占めている(私の中で)耳鼻咽喉科、もっと楽な診察って出来ないのかなああ、、。
 診察といえば、先日交通事故にあったメンバーがとうとう違う病院へ行ったそうな。やっと言うことをまともに聞いてくれるお医者様だったと、喜んでいた。某医大に講義に行った夫が以前、勉強以外に教えなくてはイケナイことの一つが、コミュニケーションについてだ、と話していたが、そういうことだろう。私の従兄弟で医者の彼は「このごろの医者は頭が良すぎて困る。医者なんてのは頭なんかより大事なもんがあるんや」と毒舌を吐いていたが、何か思うところがあるんだろう。ここにも「お勉強一筋」のひずみが出てきているような気がするが、、、どうだろう?
 ネットで回ってきた寒いメルマガ。小中校生の音楽の授業がカットされる方向にあるという。一体国は何を考えているのか?我が娘のように、音楽しか興味がなかったような子はどうなるの?と言いたい。それより何より音楽がどれほど人間にとって必要なものか、ち〜っとも分かってない頭でっかちのお偉いさん達。国民をどんな方向に引っ張っていくの?と言いたい。あ〜あ。

 

 

 

2005年10月30日 (日)

金子光晴、って人のこと。

「東から来て洛陽の路をたずねるものがあった。たずねられたものが、東を指して教えた。教えられたものは又、他のものに教えた。遂に洛陽は西にあると知って歩いているものまでもじぶんの信念があやふやになってきて、人のゆくとおり、踵を返して東に戻りはじめた」
 人は前へむかって歩いているつもりでうしろへ歩いている場合があり、人がみなうしろへむいて歩いているために、前にむかってあるいているものがうしろ向だと思われ、じぶんでもそうおもい込むことがありましょう。現代の多数の詩人はそのうしろ向に歩いている人間の一人です、、、

 この文章は本人と同じ当時の詩人達を指して批判しているが、一般の人間にも同じように感じていたらしい。今日のNHKで紹介されていたが、「人は蟻や蜂のように群れて生きるのが自然なのかもしれない。たとえ行く先が地獄だろうと、大勢が行く方へと群れるのが自然なのかも、、、。しかし、自然に逆らって二本足で立って歩くのが人間だとも言える。人は個人で改革(革命だったかも)されなくては、大勢の人間がいく方に歩いてしまう。、、、て、良い言葉だったなあ。要するに考える人になれってことか。

 もう一つNHKで環境問題を取り上げていて、アジアから選抜された各国の代表10代の若者達が熱帯雨林を旅して像の生態が壊れかけていることなどを体験として知るというのがあった。対策を話し合う中で、日本から参加の子が「警察権力で罰を与える」という意見に対して、「心の教育をもっともっと強化すべきだ」という意見の子がどこかの国の代表で、なんだか、いかにも、ねえ、って感じだったなあ。このツアーの参加条件は英会話に堪能なこと、だそうだが、日本人の彼ら、何のためのお勉強をしてきたかを正しく理解する旅になってくれて、将来の地球が、彼らの手で蘇ってほしいなあ。それにしても、象たちが可哀想でならなかったなあ。

 

 

2005年10月29日 (土)

あああ〜しんどおお〜

 パソコンがようやく復旧したのは良いが、メルアドのバックアップを取り忘れ得ていたので、整理するつもりもあって、再登録やり始めたら、あるわあるわ、、、横文字のアドレスが、いったいどなた様のものやらさ〜っぱりわかんないものやら、お返事し忘れなんてものも、、、出てきたりして。とにかくまともにはやってらんない状況だ。

 それにしてもここの管理人でもある彼は、ほんとに凄腕だ。システムがわかっているというのはこういうことかと、次々と並べられる横文字に必死でついて行こうとしながら内心舌を巻く。それで思い出したのが、本日昼食中にみていたNHKの演芸大賞グランプリ決定戦の落語部門。お定まりの「子供の宿題」がテーマのもので、少学6年生の子供の宿題を父親がやってみるがちっともわからない。問題が悪いと怒り出した父親がこんな宿題を出すなと塾に怒鳴り込めば先生が「はい、明日からはこのような問題は出しません。なぜなら、お父さんのレベルがわかったからです」という落ちで終わるのだが、時代によって受ける教育が違うということもあるということをも示唆しているだろう。全く、今日の彼といい、我が息子といい、小さい頃からパソコンに親しみ、操ってきた年代と、その年頃は川で魚を追っかけたり、せいぜい紙芝居を見ては楽しんでいた我々世代では、自ずと違いがあるのではないか。考え方ではあたしゃ幸せな方だろう。その両方を知っているんだから。

 そして時間なんてものはいくらあっても足りないのが、この手の作業だ。これを仕事にしている人の気が知れない。ていうか、まったくお気の毒。ま、便利でおもしろい、がそれ以上ではない私とパソコンの関係。ばかぼんパパの声が聞こえる「これでいいのら〜」

 

 

2005年10月28日 (金)

ドタバタ、ジタバタ。

 パソコンが無くて空いた穴が、簡単に埋まっていく。これにパソコン業務(?)が加わったらどげなことになるんじゃろ?
 母を伴い大きな収納棚、組み立て式を買ってきて、どんと、置いてみたら、お店で見るのと違い、ずいぶんと大きい。これを紐解いて組み立てるのは勿論私中心の親子作業だから、いつになったら完成するか、分かったモンじゃない。しかし買った物はしょうがない。目障りでも置いとくことになるだろう、なああ。(ば〜か)

 今週分のFMの収録がまだだったことに気づき、朝起きてから必死でゲスト探し!本日の犠牲者はカルチャーセンターの店長さん。まあ、宣伝という目的があったから好いようなモンだが、お気の毒なこと!しかし、時間もかからず、スムーズに行き、けっこう楽しかったのは、まあ、成功か。収録前にロビーで、以前の局で一緒だった若い男の子とバッタリあって、お互いの近況を懐かしく話し合う。それぞれ新しい環境で頑張っているようだ。、、、ホント人生何があるか分からない。

 帰宅してからこのところ二日に1回になっている鍋料理をあわただしく作り、2缶目のビールに手を出して半分取り上げられるも、夕食は無事終了。
10時からもう寝ろという夫を無視してただいまパソコン中。だって、いくら何でも10時はねえ、、。

 

 

 

2005年10月27日 (木)

て、停電だなんて!

 夕べ、航空券の予約中にいきなり停電。ぎょぎょっ!と思うまもなく、あっという間に、おだぶつの吾が愛しのパソコン。明後日来てくれるという救世主が来るまでは、メールを読むことも出来ない。、、となると、ひま〜だなあ。かなり違うなあ。でも不安でもある。なんか起きてそうな気がしたりして、、、。ていうか、こっちから発信すべきあれもこれも出来ないではにや〜の!?こりゃあ、困った。今は夫のパソコンを借りているが、、。
 今日は久しぶりで、もしかしたら1年ぶりくらいでポカポカ温泉に。夫のたっての「お願い」だったんだが、私には少し早かったみたい。背中のあたりがぞんぞんしてるなあ。湯上がりに娘の引っ越し話で長電話したのもいけない。都心に引っ越すそうだが、大丈夫かなあ、、、空気がねえ、まあどこにいても心配なんだが、、。

 今日はキューピットのお役目も一つ。単に引き合わせただけだが、こんなので旨くいくんかいな?

、、、てことで、今日も何かとお忙し!

 

 

2005年10月26日 (水)

いよいよ、、、

 私も正真正銘の婆ちゃんになるのか、、、。息子の生まれる予定の子供がどうやら女の子らしいと言ってきた。早速名前を考えてくれと言う。我が子の時は、娘の場合は顔を見てから考えたが、今度はイメージかァ、、。ケッコウ難しいもんだ。一生使うことになるだろうし、,、なあ。

 近所にコスモスをふんだんに造っているお家がある。満開の時は素晴らしくて思わず車の速度も落として、眺めながら通り過ぎたものだ。今日、同じ場所を通ったら、花々がすっかり色あせて、それが大量だから尚更つらかった。盛者必衰ではないが、美しいものもこうしていつかは枯れていくのだ。そして大地にと戻り、又その後に同じように花が咲くんだろう。私に孫が出来るように、、、。

 

 

 

2005年10月25日 (火)

贈り物。

 今朝は9時からびっちりのお客様で、昼食抜き、一段落したら即岡山へ、フェリーへと出かけたため、我が夕食は例のあんまし食べたくない、ていうか、これが讃岐うどんと県外の人に思われたくないうどんを、帰りのフェリー、従って時間は夜の10時という時間に食べる。背に腹は替えられない、て訳だ!
 実はフェリーに乗る前に用事があって、高松のシャンソン教室の方をお尋ねした。その時以前にも頂いたことのあるおいしいお米を又頂く。そして、奥ゆかしくも「ちょっと訳ありのお米でして、私の書いたものをコピーして入れてあります」と言われるので、車の中で拝見して驚いた。その方の書いたものが、ある新聞紙上に随筆として選考されて発表されていたのだ。その文面の素晴らしく説得力のある美しさ。書かれた内容の、読む人の胸を打たずには居られない悲しさに、思わず涙したことだった。それは随分前に亡くされたご主人とそのお友達との心の交流を描いたものだったが、残された家族としてそれまでと同じようにそのお友達ご夫婦とお付き合いがあるらしく、その方から送られる日本一おいしいとされる産地の大切なお米だった。本当に有り難かった。
 今日は岡山でもお土産を頂いた。ちゃんと冷蔵バッグに入れられた珍しいお豆腐やお揚げ、がんもどき等もある。これら心のこもった贈り物は、その内容も嬉しいが、下さる方の心づくしが何より嬉しい。私も見習わなくては、、、とうどんを食べながら熱心に思ったことだ。
、、、ん?なんか忘れてるぞ、と今考えて思い出した!実はホンノ数分時間があったので、あずまやの前で車を一時停止。あのソフトクリームをちゃっかりゲット!そうだった、しっかり食べてたのだった!迷惑駐車の挙げ句、ソフトを持って、目立ちながら車に乗り込んだ時は、流石にハジカシ〜、でも空腹には替えられない、のであった!

 

 

2005年10月24日 (月)

いやはやいやはや、、、、。

 本日が夫の誕生日だったなんて事、す〜っかりお忘れ遊ばしていたアチクシ!昼間母と買い物に出かけ、買い物の最後にテーブルクロスでかなりの時間を費やしていて母に「アンタ時間大丈夫?」なんて言われて初めて今夜のちぇちの練習を思い出し、「大変!間に合わない!」と絶叫、一目散に夢タウンから飛び出し取り敢えず自宅にいた夫に「ごめん、今日は夕食帰ってからね!」と叫んでおいて脱兎の如くまたまた飛び出し、母を送り届けてから一目散に練習会場へ。なんとか 少々遅れで到着。しばらく振りの練習を何とかやりおおし、(これを虫の知らせと言うのだろうか?)帰りにサティに立ち寄り、夫の好物を買い整えて帰宅。急ぎ鍋を仕立て、夫にはにぎり寿司と刺身を前に、さあ、食べましょうという段になって夫が一言「お母さん、今日は僕になんか言う事あるんじゃない?」と言われて初めてものすごい勢いで夫の誕生日だと言うことを思い出したのだ!「勿論、分かってるわよ!」「お・め・で・と!」としらじらしく乾杯!我ながら呆れた!確か昨日まではおぼろげながら覚えていたのだ。だが、今日のとりあえず、一番の関心事は自分の健康だった。小旅行で体調が又悪くなったらどうしよう、と内心びくびくものだったことと、ああ、短歌の締めきりだったのだ!速達で原稿を午後出してから母を拾っての買い物だった。何とか取り繕ったものの、いやはや、いやはや、結婚以来35年ぶりの失態だ!「長生きしてオメデトウ!」な〜んて言っちゃった、ハハハ。

 今夜はクリスマスコンサートに向けての練習だったが、今年はなかなか良い感じだ。塩江の皆さんも喜んでくれると良いなあ。F館長さんが退職されたとか、今回は御礼のコンサートになりそうだ。

 

 

2005年10月23日 (日)

秋の旅、終わる。

 琵琶湖周辺から大阪まで、初めは優雅に中ぽっぽ、最後のとどめは、大笑い。、、てことで、今回の「秋の旅」の顛末を、ここに詳しく書く元気は流石に無い。兎に角生きて帰ってきたという、記録のみにとどめて、本日はお・や・す・み〜。

 

 

2005年10月20日 (木)

さあ明日だ!

 まるで賭けみたいなもんだが、只今、なが〜く御風呂に入り、全ての薬を飲み、これを書いたら即就寝、の予定。明日の朝こそは、すかっと今日の秋空のように目覚めたいもの!
旅の支度は未だ全然出来てないが、ま、明日だ。
琵琶湖ホールが私を待っている〜。
同行する友人達もまるで遠足気分だ。明日はアッシー君してくれる人も現れて(半ば強制的に)準備着々。夫には夕食時に話したが、てっきりそんな身体で!と、小言の一つも言われるかと思いきや、「どうぞどうぞ!」と、まあ、一拍の間はあったが、それで気分が晴れるならと、一応機嫌良く出してくれる。義妹が一緒というのも役立ったみたい。
さ、さ、さ、寝るべ!

 

 

2005年10月19日 (水)

今日で4日眠り姫。

 10時間以上の睡眠が4日も続くというのは、やっぱり変だわあ!?と一人言言うとすかさず主人が「それは身体が要求してるだけ」だと言う。「眠れる時は寝たらいい」とも。そういえば、夫は時々あの世へいっちゃったか?と思うくらいよく眠ってるなあ。そうかも知れない。余りに眠らな過ぎだっただけかも。しかし、目は腫れるし、何だかねえ、、。王子様のキスの夢でも見るしかないのか、、、あはっ!

 出来るだけ雑用から逃げようとしているが、すればするほど、雑用が追っかけてくるような気がする。今日は日がな一日クリスマスコンサートとそれに関するあれやこれやでパソコンの前から離れられない。一つの舞台を創るのに、膨大なエネルギーが必要だと言うこと。

 年賀状は何枚必要か?とある人が例年の如く聞いてくる。そうか、もういつの間にかそんな時が来たのだ、といういつものあの、いや〜な気分に陥ってしまう。年賀状、止めたくても止められないこの慣習を、すぱっと止める名案は無いものか?確かに年賀状だけの繋がりになっちゃってる人もいて、せめて年賀状くらいという気持ちで出す人もいる。、、それにしても誰かせめて少なくする名案を教えて欲しいものだ。

 

 

2005年10月18日 (火)

昨日のことだが、、。

 Coopで買い物中、車のウインドウの光線遮断グッズが210円で売られていて、こりゃあ良いモノがあったとその場で早速窓に設置。発車してから妙に暑いなあと、なにげに窓を開けてギャッ!オートの窓側がそのたった今設置したばかりのスグレモノを巻き込んでガ、ガ、ガ!慌てて元に戻すと部品が取れたが、まあ、なんとか修復。全く頭がおかしい。こうすればああなる、ってことがこんな他愛もないことすら分からないなんて!いよいよ焼きが回ったか!おみっちゃん!
別にそのショックからではないと思うが、夕べ会議の後、この日記をつけて寝てから、朝目覚めたのが翌日の11時半!母からの病院へ連れてって電話で目が覚めたのだ。これって!?変じゃないのかなあ?結局は病院で自分も見て貰う羽目になったが、お医者様曰く、「眠るのは眠りなさいということでしょう」だ。3種類ほどの薬を貰って、早速只今飲んだが、さて、どうなりますことやら。確かにちょいと早く薬を飲むのを止めちゃったかも、、、。以前は頂いた薬を全部飲まないでも自力で直してたんだけど、もうダメか!残念!週末の小旅行に向けて完治させておかなくては!

 

 

 

2005年10月17日 (月)

叱ってくれる友が居る、、、。

 未だ風邪が、体調が、とややこしい状態の私に、いい加減歳を考えろ!と叱ってくれた友人が居る。いや、あの、その、としどろもどろの私だが、内心はホントに有り難いのだ。でも、叱られたからと言ってどうにもこうにもならないこともある。そりゃあ、究極はそんなものはありゃあしない。人間死んじゃったらそんなこと言ってられないんだから、なんだって、どうにかなるもんだろう。だが、世の中のしがらみ、というか、関わりというか、一人で生きてる訳じゃあないからして、義務も責任もあるわけだ。ここで我が儘になれと言われても、ねええ〜〜〜。

 本日はシャンソン教室に見学者が見えて、余りのレベルの高さにとてもじゃないけど入れません、とえらい恐縮してお帰りに、、、。そうかなあ???と思いながら一方では、あるいはそう聞こえるかも知れないなあとも。みんな、ホントに上手くなったし、観客の居ない慣れた練習場では、実力が100%発揮出来る。みんなの熱心さにはいつもお尻を叩かれている感じだが、矢張り、これも止められないものの一つだ。、、ろう。

 夜に始まったちぇちの会議は予定通り10時に終わり、いつもに似合わずすいすいと運んだ。その理由の一つは、会長の反応が良かったこともある。一時ほどの不調ではなくなったに違いない。私にお株を取られた恰好だ。ハ。
 今度はクリスマスコンサートだ。それが終われば3月は春の音楽祭。次々とやってくるなあ。
今日は弱音を吐いて我が儘の一つを聞いて貰ったが、そろそろ、ソリスト扱いをさせて欲しいものだ。若かった頃と違って、ホントに一度に何もかもが出来なくなった。舞台に立つなら、裏の仕事は勘弁して欲しい。そう言わせて貰ったのだが、さて、うまく行くかいなァ。いやいや、全体のことを考えるとそうしなくてはイケナイのだ。
ガンバロウ!

 

 

2005年10月16日 (日)

変換。

 今日の短歌例会でも話題になったが、パソコンの文字変換で、いろんなミスが起きている。目で確認したつもりが、間違いをも正しく読んでしまうので、ミスがそのまま通ってしまう。早い話がこの日記。後で読み返してみると、その日の体調などでひどい変換をそのままに見過ごしている場合がある。打ちっ放し、書きっぱなしだから、当人は間違えてるとは思っていない。時間が経って読んでみると思わず吹き出す間違いはケッコウたくさんある。もっとひどいのになると笑いどころか、意味不明なんてものもある。その時の気持ち自体覚えてないというわけだ。
この、変換間違いによくやるのが、別に変換は必要ないのに、「クセ」で、変換キーを押してしまうという場合もある。私の場合はかなり多いかも。早打ちを目指していて、兎に角早く打ちたいので、指に覚えさせているというのもある。、、、ま、いずれにしても、時代とともに原稿の間違い字というのも、変わってきてることだろう。知人で、校正のとても上手な人が居るが、醒めた目を持って居るんだろうなあ。

 朝たった一人着物を着付けただけで、再起不能なくらい疲れ切って、午後の短歌歌会に行くべきかどうか迷っていたらKさんからお誘いの電話が。瞬時にそれに乗って思い切りよく出かけてみた。どうせ家にいてもただ寝るだけだから、少々頭の体操でもしてみようと思ったのだ。確かに頭の体操にはなったなあ。、、しかし、「歌」と名が付くからにはそこに「心」がなくては、頭で考えるだけでは完成しないだろう。自由詩の種田山頭火、萩原井泉水のように、文字を越えた表現、というか、形に囚われない(イヤ、囚われても良いが)ともかく「表現」が欲しい。「言葉」によって、切り取るのではなく、その向こうに感じさせたい、感じたい、、。
山頭火に「朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし」
なんてのがあったなあ。今日はKさんが「わたくし」という語が使いたくて作ったと自作の歌の事を話していたが、「わたくし」、奥の深い言葉だ。この言葉を日常で使う友人が居て、いつも「良いなあ」と思いながら聞いている。
山頭火の歌には
「まっすぐな道でさみしい」なんて、どうしようもない強烈なインパクトで迫り来るのもある。彼のようには生きられないが、心の奇跡を辿ることはしたいものだ。

 

 

2005年10月15日 (土)

事故。

 メンバーの一人が歩いていて交通事故に遭ったという。ご主人からの電話では大したことはないらしいが、それは外見上のことで、これから精密検査らしい。どうか無事でありますように!
ず〜っと以前、血液型でどんな交通事故を起こしやすいかと言うデーターがあったが、あたしゃO型で「人身事故」とあったから以来人にはよくよく注意して走っているが、今日の相手の方はO型だったのかどうか?
ここんとこ殆ど外へ出てないが、そうなるとあんまり運転したいとも思わないのは、やっぱり変だなあ。イヤなことがあっても車を飛ばすとスカッとするアチクシ、心なしか運転も妙に慎重になってきて、気味が悪い今日この頃!って、それが普通なのよねえ、、、。ゲホゲホッ!
後少しだけ風邪が残ってる感じ。今日も早寝といこうか!そうだ、明日は朝から着付けの仕事だった!

 

 

2005年10月14日 (金)

しつこい、ねばい、ハギレが悪い、、、

 って、やな男の3大要素=今年の風邪、らしい。(私の説)友人にもこの手の風邪を2週間しっかり持った人が居て文句タラタラ。どうせこういうものにしか持てない、吾等肉体派同窓生!
こんな疫病神にはとっとと消えて欲しいんだけど、どうも未だ少々この身体に未練があるのか、ぐずぐず居座っている。父が時々やっていた逆療法でもやってみようかという気になる。あつ〜いお湯にたっぷり浸かって、さっと寝る!確か卵酒とか飲んでたなあ。、、、こんな時に父を思い出すのもおかしいが、亡くなってから時々思いもかけない時にひょっこり出てくる。大きな分厚い手のひらの感触まで鮮明に甦る。矢張り、私の側に居てくれてるのかも知れないなあ。。

 

 

 

2005年10月13日 (木)

友ありて、、、

 吾に優しく夕餉誘う。てことで、本日はもう一息で治るはずの私の風邪の退治に、友人が協力してくれた。夫の夕食も準備してくれて、あとは私は寝るだけ。目覚めたら台風一過のすがすがしさになりますように!でも、どっかに台風がいるらしい事聞いたなあ。こっちに来なきゃ良いんだけどなあ、、、。

 

 

 

2005年10月12日 (水)

ひたすら寝る。

 こんなに寝たのは入院以来だ。眠りとは「死」のように不思議なものだ。その長い沈黙の間、全く存在感がない。食べないでも死なないが、寝ないと死んでしまうのが人間らしいが、何故そう造られて居るんだろう。一日のあれこれは一度リセットせよ、との神のおぼしめしか?

 県内外で只今コンサートラッシュのようだ。ある都市での演奏会のヘアーメークを依頼されるが、こんな身体じゃあ、ごめんなさいするしかない。全く身体が資本とは良く言ったものだ。

 これだけ世の中から遠くにいると、自分が舞台なんぞに立って何かやってるってことが、まるで嘘みたいだ。明日からは家事に復帰して、仕事もやらなくては!気力気力!何事も気持ちが大事だ。へなへなしてるとロクな事はない。がんばるべ〜。
 
 

 

 

2005年10月11日 (火)

参った!

 昨日午後7時半に就寝。目が覚めたら時計が12時半を指している。真夜中か。ケッコウ寝たなあと、喉が渇いたから水飲んでもう一度寝よう、と下に降りたら、ニャニャんと午後12時半だった。ッテ事は、17時間寝ちゃったというわけだ。まあ、お陰で喉は少し楽になり、寝る前に38度あった熱も下がっている。しかし、身体は未だ病人ぽい。本日は休業にして、遅い朝食件昼食をとり、再びベッドへ。余りに眠れるのが気持ち悪くて、重い腰を上げて病院へ。結局は点滴の憂き目に。しかも又その間眠ったんだから凄い。今年は考えてみると50本位点滴打ってるなあ。「細いですねえ(血管が)」と言われるのも慣れて、針が我が腕をまさぐるのにも快感すら覚えるようになってきたな〜んて。麻薬じゃあるまいに!
やれやれ。

 

 

 

2005年10月10日 (月)

特効薬。

 咳をしたら胸が痛いのはどういうこっちゃ!?勝手に名前を付けて「急性気管支炎」宣言をして、只今午後7時前から無理矢理寝ることにした。友人が「寝るのが薬」と言うのもあるが、マジでこんなになったことがない。今年は経験しないことが次々と起こる年だ。
うがいして首を暖めて胸に湿布を貼り、ぐっすり寝てみよう。これでダメなら明日は又病院か。出来れば行きたくないなあ、、、、。トホホホ。

 

 

2005年10月 9日 (日)

風邪か?

 朝からずっと妙な咳が出て止まらない。久しぶりに、殆ど半年ぶりに日本酒を飲んだが、この消毒法は効果がないみたいだ。肩は余りにビンビンで、マッサージ機を最強にしても未だ頼りないくらいだ。夫が、来客の合間に髪を染めてくれと言うので薬液を塗布して待ち時間でちょっとのつもりがマッサージ機でグッスリ寝てしまい、流石に夫も遠慮したのか起こさず、タイムオーバーで真っ黒に。私の予定では、やや栗色のおしゃれな色にと思っていたが、そうはならず、機嫌が悪いかと思いきや満足していたなあ。要するに何でも良いんだろう。白くなければ。

 母の友人という人が大阪から帰省して、母の家よりも我が家の方を探し当てたとかで、結局うちでの再会となった。数時間に及ぶ昔話はまあ85歳だ、当然だろう。、、、、私達もこの人達のように85歳でもこんな風におしゃべりしてるのかなあ、、?今のところみんな元気だが、さあ、いつまで続く事やら。
 ねむいっ!

 

 

2005年10月 8日 (土)

予想通り、、、

 ひどい出来だった。途中で舞台からすっ飛んで逃げて帰りたかったが、こんな私のためにお花まで準備して来てくれた人がいて驚くやら、申し訳ないやら。アナがあったら入りたい心境だ。
思えば今回まで何回皆さんにこうして期待を頂きながらお返し出来ず落ち込んだことだろう。恥多き人生、これ以上の形容があるだろうか!?いつか、お葬式で人様の面前で転んだ時のような気持ちだ。終演後に表に出たら、蓮井さんは私の目標です。と言われてしまう。どういう意味かと思ったら、この年になっても歌ってるということらしい。今年に入ってからこの手の感嘆符がよく聞こえる。てえことは、やっぱりぼちぼち引け時か。大したこともやってないのに、一線から退かなくてはならないのか。むむ無念、、と思う反面、もういっか。という気もする。ここで舞台から引いても私にはやりたいことがたくさんあるし、困ると言うことはない見込み。何とかなるだろう。それに歌の練習は続けるんだから良いだろう。、、、などなど打ち上げ会場ではみんなの色んな言葉を聞きながら、一人心の中で思考していた。私が表舞台に立たなければ、その分裏の仕事は充実するだろう。ちぇちがやっつけの舞台が多い、と言われることも少なくなるに違いない。、、、真剣に考える時が来たのかも知れない。

 自信喪失のおみっちゃん、今夜は寝るぞ〜。
そういえば、はるばる海を越えてやってきたKさんは未だ家に着いてないだろう。ご苦労様な事だ

 

 

 

2005年10月 7日 (金)

絶望的。

 前日にレッスンなんか受けるもんじゃない。ボロがボロボロ出てきて、自信喪失も甚だしい。こりゃあ、明日は前代未聞のドジをやるかも知れないぞ〜。指導者も最高レベルのお疲れ。夕食後も立ち上がれないくらいのひどさだったなあ。全く、お互い年ですねええ〜、と分かり切ったつまらない繰り言を言い合うのみ。かろうじて先日のある演奏会で、この師よりも10歳は上だろうという方の立派な歌い振りに話題が行き、見習わなくては!と重い腰を上げることに。いやはや、、、大変。
あたしゃこれから明日の山ほどの荷物を準備だ。
確かにこんな事はいつまでもやってられない。
今日来たお客さんが「先生、未だ歌ってるんですか〜」と、、、ととと。思わず「すいませ〜ん」と何故か謝る羽目に。「いやいや、良いことですよ。出来る時は何でもやっといてください」と、これは社交辞令か!?その心は「ムムム、この人は又してもお店をほっぽらかして、好き放題やろうってか?」だろうなあ、、。ホントに申し訳ないと思ってるんだ〜って、誰も信じないか!今日も開き直りだあ!スンマッソ〜ン!

 

 

2005年10月 6日 (木)

今夜も鈴虫が、、、。

 どうしてか、毎晩大音響で鳴き続けている。コオロギもいるし他にも色んなのが鳴いてるらしいがしかとは分からない。中に妙なしゃがれた声で鳴いているのがいるが、あれは一体、、、?今年の様に虫の音が大きく聞こえる年はなかったと思う。酷暑が何かしら作用して、元気な虫をたくさん繁殖させたのか?
 関係ないが、さっきアルマーニの伝記ドキュメント、といっても彼は未だ生きているから伝記というのもおかしいか。半生記のようなものか、が放映されていて興味深く見てしまった。しまったというのは、お勉強の時間がつぶれたということだが、もうここまで来たら開き直りしかない。
アルマーニといえば、初めてイタリアに行き息子の注文でミラノを走り回ってGパンを買ってきたのを思い出す。確かにあの手触りは忘れられないものだったが、10年も前でもかなりの値段だった。「アルマーニのお店は何処ですか?」と聞くと教えてくれたのは良いが、お店が幾つも離れたところにあり、「大人用」「青年用」「子供用」とあって、それぞれ男性女性があり、もう大変だった!今の映像からだとアルマーニ自身が相当お店の雰囲気に気を配り、隅々にまで彼の目が行き届いているらしいが、確かにこの変なアジア人が目的のものを見つけられるまでに気持ちの良い対応と店構え、決して入り難くないし、さささっと見て回れる仕組みになっていたのは思い出しても良い感じのモノだった。彼が今どれくらいなのかハッキリとは分からないが、高齢になってきているのは確かだ。映像では彼が別荘のある島でいつもするように散策をしているのがあったが、独白で「この島に来ると島の植物はどんどん美しく成長しているのに自分はどんどん後退していっている。この階段を上るのにも時間がかかるようになったし、泳ぐ距離も短くなった。ボートに乗る回数も減ってしまった。いつかこの自慢の別荘も人の手に渡るのだろう。それを考えると悲しい、、、」と言うのだ。彼のように才覚と才能と努力とによって、欲しいものは全て手に入ったとして、「老い」と「死」というストレスからは逃れられない。高みに登ったからこそ、余計寂しさを感じるのかも知れない。私から見ると、そのお歳で泳いで、走って、ボートして、仕事も人並み以上にやっているのは、それ以上何を望むことがあるのか?と思うくらいだが。
この映画は、彼の素晴らしい手腕と敏腕な仕事ぶりをつぶさに見せておきながら、間にこのような場面を入れて、彼が普通の人間と変わらないことを見せる。なかなか面白い作品だった。

そんなことより、お勉強だ!原稿だ!

 

 

2005年10月 5日 (水)

若い人。

 16歳をそう呼ばない人はないだろう。FMにゲストとして出て貰ったが、目の前の彼女からは笑みがこぼれる、ほんのりした眼差しがこぼれる、ため息がこぼれる、みずみずしさが、柔らかさが、まさに今咲き始めた蓮の花のようである。しかし、口をついて出てくる言葉の内容は彼女がただ者でないことを臭わせる。いきなりちぇちのコンサートに紛れ出ることになったが、こういうところからも何事にも臆することのない人間像が偲ばれる。だのに本人は「私は極端な引っ込み思案で、シャイで、緊張しいなんです」などと言う。収録中も私よりなめらかで(あたしゃもう疲れ切っていて、時々唇の裏を噛みながらのおしゃべりだったのだ)よどみなく喋るではないか!、、、、こうして、本日の取り組みは完全に彼女の勝ち!と、相成ったのである。ち〜ん。

 

 

2005年10月 4日 (火)

合い言葉。

 本日メンバーのデユエットの振付をしに私と同じ年齢のピアニストMさん宅に行く。ここには以前良く通ったもんだ。それだけよく歌っていたということだ。彼女とはカルチャーでも一緒、海外にも一緒に行ったことがあり、大体どんな生き方をしてるかお互いに分かっている間柄だ。で、お互い口をついて出るのが「無理出来ないよね」だ。そして「無理しない方が良いよね」と続く。「お互い倒れないようにやっていこうね」という情けない締めくくりになってしまう。彼女に限らず同年代の人と会うと、まるで合い言葉のように「無理」がキーワードの言葉が出てしまう。肉体年齢はどうやら平等に上積みされているらしい。

 今日の練習は実りあるものとなった、と思う。少なくとも前回よりは良くなった。出来るだけ簡潔に、しかし伝わるように付けたつもりだが、さて、本番に何処までやって貰えるか、、、?でも、本番の出来が半分でも、そこに向かってやったことには意味があるだろう。彼は若いし、素晴らしい資質を持っている。スターになる要素が充分ある。その若さをフルに使ってきわめて欲しいものだ。

 ああ、こんな男性がもっと欲しいなあ。

 ガラコンの影アナというものを作成し始めたが、若い人に読みやすいようにとなると、ケッコウ大変だ。こういうことをやってくれる人を作らなきゃいけないんだが、会長の弁ではないが、今回はゲストとはいえ一大オペラをやっていたんだから、しょうがない。あのハードスケジュールの中、なんにも他のことが出来なかった。みんな未だ疲れが取れきってないことからも、今回のオペラが如何に大きいことだったかが分かる。結局裏の人間を作るというのが必要にもかかわらず、充分とは行かず、どこの団体もそれで苦労している。早い話がこないだのオペラも、出演者が統括をヤリ、チケット売りから合唱指導までやっているわけだ。勿論組織が大きいから、部署に複数の人を準備出来ると言うことはあるだろうが、私は歌手でござい、という立場にある人は極少ない。、、ということが、今回も参加して分かった。結論として、体力がないとオペラなんかやれないのだ。あ、又これだ!

 

 

2005年10月 3日 (月)

捨てろって言ったって!

 相沢みつおのカレンダーに「捨てる どうでも良いものから捨てていくんだね」というのがあるが、今日はボイラーの古いのと邪魔になってきたソーラーシステムのあれこれを全部持って帰って貰ったら10万円だ。毎朝我が家のトイレで、この相沢みつおの言葉を見続けていて洗脳されたのか、何が何でも主人が持ち帰って貰え、と言う。確かに全てが無くなってさっぱりして気分が良い。が、これが現実だ。きょうび捨てるにもお金が要る。
 そんなことより、今日はその業者さんが我が家での仕事中にシャンソン教室。母に留守を頼み、急ぎ帰宅してから片付けにはいるが、うんざりする。一体どこから手を付けるべきか、、。ああ、何もないところに住みたいものだ!

 ちぇちの練習はブームに乗っ取りカルメンだ。
有り難うございました。みんな。

 

 

2005年10月 2日 (日)

感動した!

 なんてこった!よその劇団だ!かねてから殆ど全作品を見続けてきているが、今回ほど、テーマといい、舞台美術といい、音楽といい、見事にマッチした作品は初めてだ。以前一緒に舞台に立ったことのあるT君は本領を発揮して素晴らしくソロを歌った!ちぇちのオペラにも語りで出てくれたN君はもう全くプロの領域。「間」といい、「語り口のなめらかさ」といい、そこに心を込めた名句調はちょっと最近聞いたことがないくらい良かった。何より作品自体の持つ「深さ」がシンシンと胸を打った。全くの偶然だが、この日記に何日か前に書いた私の想いをそのまま舞台に乗せてくれたようなものだった。この作者は私とほぼ同年代で、だから彼の生きてきた時代が理解出来るし、何を見て、何を感じて生きてきたかが想像出来るという点で、ずっと興味深いものがあった。ここにきて、このテーマというのも、全く共感出来る。空海の青年時代、と言う設定だが、彼の想像力は空海の史実にとどまらず、彼の姿を借りて現代の青年達の姿を描いてみせる。「人は生きている限り苦しむ」「多くの苦しみの中のほんの少しの幸せで生かされている」「幸せの背中には必ず不幸がある」「生きているだけでその人は罪をしょっている」「生きると言うことは人を傷つけることだ」などなど、若い役者達から次々と言葉が投げられる。
空海が高野に立って裾野に拡がる村や町を眺め、「ここからは姿が見えぬが確かに居る人間達。怒り、泣き、愛し、もがき、時には人を騙し、野心を持ち生きている人々。これらの人々が愛おしくてならぬ。、、、」という述懐には涙がこみあげた。
奇しくも先日娘と息子と母を伴い、善通寺へ参拝し、弘法大師に触れてきたのだ。妙に縁があるなあ。3時間の長丁場が、今日ばかりは長く感じられなかった。ミュージカルだのに、母も満足したようだ。帰りのラーメンもおいしくて二人ともご機嫌で帰宅。、、、ホントはメチャクチャしんどくて行きたくなかったのを、自分で自分のお尻を叩いて出かけたのだったが、ホントに行けて良かった。一期一会、芝居は消える。その時を逃したらもうお仕舞いだ。出会えた時はラッキー。
 今も大阪の友人が教育テレビでテノールリサイタルやってるよと教えてくれる。
こうして又、暗譜の時間が、、あ・あ・あ・あ〜

 

 

2005年10月 1日 (土)

一難去って又一難。

 今頃になってカルメンの疲れがど〜〜っと出てきている。なのに8日はガーラコンサートだ。いやはや体力が全くない。やれ印刷だ校正だDMだ、、、休む暇がない。ていうかその前に練習する暇がない。あっという間に夜が来て、もう眠らなくてはイケナイ。眠らなくても良いなら、随分時間が稼げるんだけどなあ。

 明日は某劇団の公演だが、なんだかしんどいなあ。羽が生えて飛んでいきそうな予感が、、、。
自分じゃなくて、チケットの話し。

 しかし今夜の夕食、伊予赤鶏と里芋の煮込みはお団子入れておいしかったなあ。こんなのがおいしい季節になっちゃったんだ。

 

 

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »